縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (8) 一万三千五百年の縄の執着 |
<縄文時代>と称される時代は、今から、約一万六千五百年前に始まり、 約三千年前に終わる期間とされていることにある、 終わりを定める時期は諸説のあることにあるが、ここでは、<約三千年前>を採用している、 そこから、<一万三千五百年>の表題となっている。 一万三千五百年は、長大な時間である、その長大に渡る時間において、 <縄文時代>の特徴をあらわす表象のひとつである、<縄文土器>という<事象>がある。 土器の表面に描かれた図柄や形状の意匠が<縄>に由来するものと見なされて名付けられたことにあるが、 <縄文>という名称は、1877年(明治10年)、東京都大森貝塚の発掘調査を行った、 アメリカの動物学者・エドワード・モースの調査報告書にある、 <cord marked pottery>を翻訳したものが現在に定着している。 <縄文>が<縄>をあらわすものにあれば、<縄>という道具が実際に存在したことが意義付けられる、 また、一万三千五百年に渡って表現された、<縄>の表象の多種・多様から、 <縄>に執着したと見ることができる、<一万三千五百年の縄の執着>というありようである。 一万三千五百年という長大な時間に渡っての執着にあることにあれば、 その民族に固有の<特質>を育ませるのに充分なありようがあったと考えることに無理はない。 その<特質>が民族の固有性として、どのようにあらわれるものにあるかは、 その後の歴史として展開された時代、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、 明治、大正、昭和、現在の平成の<事象>として表現されていることにあると見ることができる。 この<特質>は、<或る一つの時代>において顕著にあらわれた<事象>として見られるものではなく、 各々の時代に共通してあらわれる、<事象>のすべておいて合致するありようとしてあることにあれば、 それは、<民族意識>や<民族精神>のあらわれと言って可能な事柄としてあるが、 時代の趨勢から、個を集団へ結束させる意義の目的として使用される、 <民族の思想>とは、おのずと異なるものとしてある、つまり、 <民族意識>や<民族精神>とは、<通底している事柄>にあることが要件としてあることになる。 この<通底している事柄>を全時代を通して見い出すためには、<方法>が必要である。 <事象>についての見方を<具象的側面>と<抽象的側面>から見るということをすれば、 <具象的>とは、明確な姿・形を備えている側面を見ることであるから、 <事象>に関する証言・文書・物件などの証拠に依って、それが実在したことを確認できることにある、 <抽象的>とは、<事象>が成立するための要素・性質・因果などの側面として見ることであるから、 実在を確認した<事象>の存在理由を明確にすることにある。 この見方に基づいて、<事象>を時系列として並べれば、<歴史年譜>というものが出来上がる。 しかし、これは、<通底している事柄>をあらわしていることにはならない、 <通底している事柄>は、縦に時系列に置かれた<事象>を横に並列として見ることであって、 <歴史年譜>が<民族史>を示すものにはあっても、 <民族意識>や<民族精神>を表現するものにはないことが示唆されるだけにある。 従って、<民族意識>や<民族精神>と称されるものは、時代の折々に都合よく考え出されることにあるか、 或いは、戦争の事態に、個を集団へ結束させる意義の目的に使用されるということでしかなかったことは、 <具象的側面>に見る<対象>を<通底している事柄>として<抽象的側面>と見ることをすれば、 一義化された<対象>が作り出され、<神格化>や<偶像化>となる、という手段にあることも示される、 それは、民族に潜在する、<民族意識>や<民族精神>のあらわれではなく、 創意に依って作り出される、<民族の思想>としてあることでしかない。 以下に考察されることは、こうした<民族意識><民族精神><民族思想>のいずれにもないことは、 日本民族の存在理由について述べられていることにはあっても、 特定の信仰、或いは、信奉する<対象>があることに基づいて行われていることにはないからである、 特定の信仰とは<宗教>であり、 信奉する<対象>とは<天皇>であることが必然付けられることにはないということである。 <縄文土器>の表象があらわす、<一万三千五百年の縄の執着>には、 その民族に固有の<特質>を育ませるのに充分なありようがあったと見ることのできる事柄は、存在する。 それは、現在まで、<縄文時代>より継承・維持されている<事象>として実在していることは、 <通底している事柄>と言って差し支えのないことをあらわしている。 土器に表現された<縄>について、次のような解釈をすれば、それは、成り立つことにある。 縄を綯うという行為は、自然に生育する植物を素材として作り出すことである、 自然界の産物を治めて道具に変えるという<神聖>としてあることである、 <縄>は、自然界を治める行為の象徴としてあるものである、 <縄文土器>の<縄>は、<宗教性>をあらわしているものにある、という見解である。 <縄文時代>の<縄に依る宗教性>は、 <アニミズム>や<呪術>以上のものとして見ることはできないが、 <縄の神聖>という認識においては、後の<神道>における<注連縄>があらわす、 人間の力の及ばない<八百万の神>を治める象徴とされているありようと同様のことが示されている。 <注連縄>は、今すぐにでも、最寄の神社へ行くことさえ可能であれば、 誰もが容易に確かめることができるものとしてある。 <注連縄>を見ることは、現在に至るまでの一万六千五百年間、連綿と継承・維持されている <一万三千五百年の縄の執着>があらわす<縄に依る宗教性>を確認することにある。 しかしながら、<注連縄>に<神聖>を見ることは、それを信仰するか、信奉するかしなければ、 明確な感受性として働いていることを確認できない。 ここに、<通底している事柄>として、その民族にある者の<特質>として、 <縄に依る宗教性>のあることを感受できる表現がある。 <サディズム・マゾヒズム>にある表現と称されてしまえば、<反宗教的>という解釈の程度に留まる、 次のような絵画作品に見ることができるものとしてある。 沖渉二 画 小妻容子 画 これらの作品は、<SMの概念>を抹消して見ることをすると、 日常としてある神社参拝が<縄による緊縛>の<ひねるという異化>に依って表現された、 非日常的な状況にあって、猥褻な表現を神聖な<宗教的行為>と同一視することを可能とさせる。 それは、すべての<宗教的行為>の<神聖>の所以は、 人間にある<四つの欲求―食欲・知欲・性欲・殺傷欲>の極度の抑制か逸脱ということにあれば、 性欲の放埓にある、猥褻な表現は、<堕落>ということにおいて、 <宗教的行為>の<神聖>の<表>に対して、<裏>を表現していることにあって、 <神聖>の<注連縄>が欲求を解放させた人間に掛けられた緊縛の<縄>としてあることは、 <ねじるという変化>において、人間を治める行為の象徴と見なすことを可能とさせて、 性的官能が高ぶらされ、性欲が最高潮にまで至らせられる、猥褻な緊縛姿は、 <縄>で縛められた<堕落>は、人間があらわす、<表><裏>を<一体>とさせて、 <よじるという昇華>へ導かれるものとしてあると見ることが<宗教的行為>をあらわすことになる。 <縄による日本の緊縛>は、 <一万三千五百年の縄の執着>があらわす、<宗教的行為>にあると言うことができる。 しかしながら、この認識の前提となっているのは、あくまで、<縄>に<神聖>の意義を見ることであって、 <縄に依る宗教性>を持たない民族においては、ただの猥褻表現に過ぎないことにある。 <一万三千五百年の縄の執着>は、<縄>に<神聖>を象徴させる、 <縄に依る宗教性>を育ませたことにあったことを如実に確認させる表現となっていることは、 それらの絵画から眼をそむけたところで、或いは、まったく知るところではなかったことにあったとしても、 日本民族における者にあっては、<縄に依る宗教性>を抱いていることを変わらせるものでない、 そのことは、<縄>に<神聖>を認識できることは、<神道>に見ることができるばかりか、 時代としては、その後に伝来した、<仏教>を題材とした表現においてさえ、 同様の<宗教的行為>を確認することを可能とさせている。 非日常的な次のような絵画作品には、それが示されている。 椋陽児 画 前田寿安 画 <煩悩>を生み出す人間の<堕落>を縛める、緊縛の<縄>の<神聖>は、 高ぶらされる<煩悩>が性欲と絡まり、<ねじるという変化>となり、 性的官能が最高潮を極めたとき、<表>の<神聖>と<裏>の<煩悩>が<一体>へ至らせて、 <よじるという昇華>である、<解脱>という<宗教的行為>をあらわすということになる、 それは、<煩悩即菩提>、煩悩にとらわれている姿も、その本体は、 真実不変の真如、即ち、菩提(悟り)であり、煩悩と菩提は、別のものではないということに依る。 日本民族は、<欧化主義>に立って、<西洋思想>へ<模倣・追従>したことによって、 <近代化>した民族にあるという見地に立つとすれば、 こうしたありようが示す、<一万三千五百年の縄の執着>からの<縄に依る宗教性>は、 <縄文土器>と同様の太古の遺物の感受性としてあることか、 或いは、<縄>が意義する<宗教的因習>に過ぎないことにあると見なすこともできる、 <神道>や<仏教>は、至高を目指して構築された教義のある、<宗教>にある以上、 <アニミズム>や<呪術>とは相違するものとしてあることに依る。 しかし、<縄に依る宗教性>があるとされることは、次のようにも見ることができるものとしてある。 <縄に依る宗教性>は、<通底している事柄>としてあることにあれば、 それは、<神道>や<仏教>の<宗教概念>を思考する<上層>に対して、 <下層>にあるとすることができるのは、<一万三千五百年の縄の執着>は、 <神道>や<仏教>の成立よりも、長大な時間にあることの事実からである。 <上層>となる<言語による概念的思考>と<下層>となる<通底してい事柄>の相対という、 心理の複層構造にあることは、例えば、哲学的探求として、自己存在の認識を求めようとすると、 通常の意識として思考する<上層>と<通底している事柄>としてある<下層>の相対は、 双方は合致しているという整合性にない限り、<相対=矛盾>を知覚させるものとなる。 <上層>の<哲学的心理>と<下層>の<縄に依る宗教性>の相対にあることは、 <縄に依る宗教性>があらわす<神聖=整合性>に対して、 思考によって異なる<神聖=整合性>の相対は、<矛盾>をあらわす対峙へ至る以外にないことになる。 この解消できない<矛盾>に対して、西田幾太郎が示した、<絶対矛盾的自己同一>という発想がある、 <上層>と<下層>という複層構造にある心理にあっては、 何処まで思考しても、相容れない矛盾を知覚させることにしかない以上、 その絶対矛盾しているありようを自己同一とする以外にないということである。 それは、禅宗の思想の哲学的用語に依る再考にあると見ることもできるが、 特定の信仰、或いは、信奉する<対象>があることが赴かせるありようでもある。 <矛盾>は、<言語による概念的思考>そのものがその整合性を求める活動において、 知るということは、全知はできないということにある以上、 <概念>と<概念>の相互間に<相対・矛盾>を生じさせることにある、 究極の真理としての<一義>を求めようとすれば、<自己同一>というありようは、 <矛盾>を知覚することができるためにあり得る概念と言えることにもなる。 哲学の探求とは、矛盾をあらわさない思考のありようを表現することにあれば、 その探求自体が矛盾をあらわしていることにあるが、 人間の<知欲>の貪欲は、それを際限のないものとして行ってきたということが人類史である、 人類の<言語による概念的思考>には、 <唯一・絶対・最終>はあり得ないということが示されているというに過ぎない。 従って、特定の信仰、或いは、信奉する<対象>があることに基づいて行われる思考にある限り、 <一万三千五百年の縄の執着>は、<縄に依る宗教性>をあらわす事柄だけに留まってしまうことにある。 これまで、<結び>に由来する思想として考えられてきた種々雑多のありようも、 <縄に依る宗教性>の範疇を超えるものになければ、同様の事柄としてあるだけでしかない。 <☆11.縄の実在論 ひねる・ねじる・よじる>において述べたことに始まるが、 <一万三千五百年の縄の執着>は、<縄に依る宗教性>を育んだ時間であることは、 それだけの時間をかけて、<縄>を見る<知覚>を育ませたことにあると考えることができることにある、 それを<原初の知覚>と呼んで、その知覚があらわす事柄を<結びの思想>としたことにあったが、 此処に至って、<縄に依る宗教性>とは、まったく分離させたものとして考察し、<縄に依る宗教性>は、 <結びの思想>のあらわれのひとつに過ぎないということを明らかとさせなければならない、 それは、<ひねる・ねじる・よじる>という知覚が<異化・変化・昇華>を導く活動にあって、 それを方法論とすることが<結びの思想>と呼べるものにあるからである、 <一万三千五百年の縄の執着>が生んだ<結びの思想>ということにあるからである。 (2012年10月19日 脱稿) |
☆13.縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (9) ☆13.縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (7) ☆縄による日本の緊縛 |