11. 縄の実在論 ひねる・ねじる・よじる |
古来より、<天女>という存在が言い伝えられている、羽衣伝説というものが一般的で、 天上より羽衣をまとって飛来した天女が湖水で水浴びをしていると、 その姿を見た男があまりの美しさに心を奪われて、返すまいとして羽衣を隠してしまう、 天に帰れなくなった天女は、男と結婚して子供をもうけ幸せとなる、 やがて、羽衣を見つけ出した天女は、天上へ帰っていく。 日本各地に残る言い伝えであるから、同様な人物や結末とは限らないことにあるが、 美しい全裸の姿で水浴びをする、天女の発端は、変わらない。 この言い伝えに、<縄>を絡めたお話が次のようなものとしてあり得るが、 古来よりの伝承ではないので、未来にまで残る話となるかどうかはわからない、 しかし、違和感を感じる話かどうかは、いますぐにも、判断できることにある。 澄んだ青空が静かな湖面に爽やかに映えている。 林まで薪を刈りにやって来た男がその湖の近くに休んでいると、 一羽の白鳥が空よりひらひらと舞い降りてきた。 白鳥は岸辺へたたずむと、まわりにひと気のないことを知るや、ひとに成り変わった。 艶やかで軽やかな衣をまとった、美しい顔立ちをした女だった。 男は、ひと目見るなり、心を奪われて、相手に気づかれないようにして、見つめ続けた。 女は、身に着けていた長い衣を脱ぎ去ると、生まれたままの裸の姿となった。 まばゆく輝く白い肌をあらわした、なよやかで艶かしい起伏のある姿に、 男の思いは、虜とされてしまい、ふるい立たせずにいられないものとなった。 女は、黒髪をなびかせながら、水辺へほっそりとした足を入れ、柔らかな裸姿を浸していった。 それから、白い艶やかさをひねり、ねじり、よじらせて、魚のように水とたわむれるのだった。 その美しいありさまに、男は、天にも昇らせられる幸せな思いを感じ、 女をみずからのものにしたいと、気づかれないようにして、脱いだ衣を隠したのであった。 水浴びを終えた女が岸辺に上ると、あるべき衣が消えているのを知って驚いた。 衣がなくては、天に昇れない、天上には帰れない、 ふたつの手でなよやかな白いからだを押さえて、うろたえるばかりだった。 そこへ男があらわれた、女の前へ立つと、見せつけるようにして掲げたものがあった。 藁を束ねて撚り合せた、縄だった。 女は、びっくりしたが、まじまじとそれを見つめるほかなかった。 縄は、強く、柔らかく、変わらせる力をあらわすことで、神の宿るものであった。 女は、神の前では、おとなしく従うほかなかった。 裸の体を隠した両手を後ろ手にされて縛られることをされても、 恥ずかしさのあまり、美しい顔立ちを赤らませて俯かせるばかりで、 あらがうことなど素振りにもみせず、男にされるがままとなっているのだった。 神である縄がとらわれの身をあらわす姿とさせたことは、 神に抱かれる思いにさせたことで、女は、男との出会いを喜ばしいものと感じるのだった。 女を縛った縄を引いて、男が家路を向かう姿は、 まばゆく輝く白い肌をなよやかにあらわした白鳥がとらえられていくようにも見えたことだった。 女は、縄で縛られたまま、男と結ばされた。 女を離したくないという男の思いは、 一糸も身にまとわせない裸の体を縄付きのままとさせたことだった。 やさしさのとらわれの身となったことは、女にとって、幸せを感じさせることであったが、 天上へ戻らねばならない身にあることに、変わりはなかった。 おとなしくされるがままになる女は、みずからのものになったことだと思い、 縄は必要なくなったと男が解いたつぎの日の朝だった。 女は、見つけ出した衣をまとい、白鳥に成り変わると、空へ舞い上がっていった。 美しい白鳥が飛び去っていくのを知った男は、泣いて悔やむばかりのことだった。 残された縄を見て、神への信心の足りなかったみずからを戒めるばかりであった。 男が神をまつる社を造り、縄を掲げることにしたのは、そのときよりのことである。 日本民族における者である以上、どうにもならないことがまずある、 それは、民族の創始以来、連綿と継承されて来ている、<因習>と呼ばれる血肉である。 <因習>とは、<古くから伝えられてきた風習(『大辞泉』 小学館)>という、 <その土地や国に伝わる生活や行事などの習わし、風俗習慣、しきたり>を意義することにあるが、 ここで用いられる意義は、それらの<あらわれ>の<動因>をも含むものとしてある。 <因習>を<動因>となっている事柄の<あらわれ>として取り沙汰するだけでは、 <因習>は、非難されるべき<悪>のありようとしか映らないことであれば、 <因習>とは、文明化されていない、文化の未発達な未開民族が拠り所とするものである、 西洋先進国があらわす、人類の先端思想や科学技術は、 文化の未発達な未開民族からは、絶対に生まれないものであるばかりか、 <因習>を根拠とするありように置かれ続ければ、その西洋に植民地化されてしまう現実がある、 日本は近代化しなければならない、という明治の文明開化期の事態を想起させることに繋がる。 <因習>の<悪>の<あらわれ>だけを見るという考え方を推進させれば、 西洋先進国があらわす先端思想や科学技術を<模範>として、 <模範>にそぐわない<因習>は、<悪>と評価され、切り捨てられていくことが行われて、 <模範>を<模倣・追従・隷属>するありようを<近代化>と認識することに至ることでもある。 切り捨てられた<因習>は、消滅させられていく事柄もあるが、 公共の場から隠蔽されたというだけで、残存し続ける事柄もある。 <縄による緊縛>という事象は、室町時代末期に発祥し江戸時代に大成した、 <捕縄術>という<因習>が現在まで残存したものである。 しかしながら、明治の<近代化>、大東亜戦争敗戦後の昭和の<民主化>という二重の消去で、 <捕縄術>のあらわす意義は、<縄による拘束>における<技術>だけを存在理由として、 その<因習>が本来あらわす民族の宗教性・様式といった独自性を消失させられた。 現在は、<西洋の学術>による性的表現にあって、<SMの緊縛>と称されて、 <人体の拘束>の<道具>として扱われる意味にしかない。 世界的に普遍的な認識のある、<西洋の学術>に基づいた性的表現にあって、 <人体の拘束>のための<縄>は、<道具>に過ぎないことの普遍性にあれば、 自然科学の研究が民族固有の<因習>と無縁にあって、<世界標準>の事柄となるように、 日本の<縄による緊縛>は、その<技術>の<世界標準>を示唆したことにあり、 その<技術>の経済効果を発揮することがあらわし得る民族であれば、 その発祥と歴史を持つというだけで、日本民族である必要は、まったくなくなることにある。 従って、<捕縄術>は、消滅させられた事柄である、と認めざるを得ないことである。 しかし、民族にある<因習>が消滅させられたわけでないことは、当然のことであって、 民族にある<因習>は、消滅させられる、というようなものにはない、 民族にある<因習>を消滅したいのであれば、その民族を消滅させる以外にない。 <因習>は、世界に数多ある民族が各自に持ち合わせているものである、 言うまでもなく、日本民族だけが独自に所有していることではない。 民族のあらわす独自性・独創性とは、 それぞれの固有の<因習>にある民族がそれぞれに与えられた条件において、 どのような文明や文化を生み出し展開させているか、ということにある。 人類という観点からすれば、それぞれの民族が固有の<因習>に従って、 それぞれの独自性・独創性を最大限に発揮させて、 人間の可能性というものをどれだけ表現できているか、ということにある。 <因習>は、民族の創始以来、 民族の保存と維持のために継承されてきた、民族の生存の原動力としてあることで、 <言語による概念的思考>を行う人間である以上、その原動力は、 <その土地や国に伝わる生活や行事などの習わし、風俗習慣、しきたり>の<あらわれ>と、 <動因>となる固有の<思想>を育んできたことにある。 この<動因となる思想>は、これまで、<民族意識>といった表現で呼ばれてきたものであるが、 <ある民族に属しているという自覚、同じ民族の仲間という連帯感>といった意識だけではなく、 更に根本的に作用するものとしてあることでは、<動因>と言えるものとしてあることである。 その<動因となる思想>を<日本精神>と言うことは、容易である、 しかし、時代の変遷によって、塗り替えられるような意味での<日本精神>では、 <精神=思想>というありようにあるよりも、更に根深くあるものとしては、 それは、人間にある、<四つの欲求>や<七つの官能>と同等と言えるものとしてある。 何故なら、その<動因となる思想>は、<事物の知覚>にまで影響を持つことにあるからである。 日本民族の場合、<動因となる思想>は、<結びの思想>というものである。 この<思想>は、<縄>に始まる縄文時代を起源とするものであるから、 一万六千五百年に渡って展開されているものである。 その創始となる<縄>が<事物の知覚>に影響を持つことをここに示してみよう。 置かれた<縄>をじっと見つめてみれば、気付くことである、 複数の筋が撚り合わされて織り成された螺旋の形状には、 見つめていて見飽きない、力動感・不可思議・美しさが感じられることである。 これは、<縄>が直線の形状をしていながら、ねじれているという形態をあらわしていることによるもので、 力動感は、すぐにもそれ自身が大地から動き出して、天に向かって這い登り始めるようにあり、 不可思議は、そのねじれが留まるところを知らない永遠を髣髴とさせるようにあり、 美しさは、くねらせる姿態の柔軟で艶かしい妖美をあらわすようにあって、 <縄>が大地(女性)から天(男性)へ繋がるものであると同時に、 陰(女性)と陽(男性)のねじり合わされて交接した姿を想起させる。 交接は出産を導くものであるから、<縄>は、<生み出すもの>の表象としてあれば、 <神的存在>と森羅万象の生成を見ることも、不思議はない。 その<縄>は、実際の生き物としてもある、<蛇>の存在である、 <蛇>の交尾は、雌と雄のふたつがひとつに絡まり合って、場合によっては 雌雄とも交尾器が左右一対あるために、雌一匹に対して、雄が二匹で交わるという、 <乱交>さえもあることで、長いときは、交尾の状態が何日も続くというものである、 ひねられ、ねじられ、よじられて、撚り合わされるありさまがあらわす、生存の生々しい強靭さは、 雄の精子が雌の体内で二、三年は生きていることにも示される。 <縄>の発祥とは、この<蛇>の交尾を見て発想されたものではないかと想像させることは、 縄文時代には、蛇信仰が存在していたことに繋がることである。 日本民族にあっての<縄>とは、それがそこにあるというだけで、 森羅万象の生成と流動が宇宙をあらわす表象を感じられるということであり、 縄文時代の意識にまで至らせることである。 こうした表現を読まされて、それほどの不自然さを感じないことにあれば、 それは、その者が日本民族における者であることを示唆されている。 言い方を換えれば、違和感を感じることがあるとすれば、 その<違和感>こそ、その者における民族性をあらわに意識させられているということになる。 これを<原初の知覚>とすれば、そこから始められる、<言語による概念的思考>は、 その知覚の影響に基づいて活動とするものとしてある、と見ることができる。 <言語による概念的思考>は、<四つの欲求>と<七つの官能>の影響に基づいて、 言語の組成が行われることにあれば、<原初の知覚>の影響をもって、 心理は、その三者に基づくものとしてある活動、と言うことができるものとしてある。 心理というありようをこの<三者>から切り離して考察することは、 一見、純粋客観的に見えるようであるが、 実は、そのように考察する<言語による概念的思考>において、 この<三者>が作用し、影響を持つものであれば、純粋客観的にはあり得ないことである。 このことは、<心理学>という普遍性は、それを創出した民族に固有なものであって、 <四つの欲求>や<七つの官能>に関係する知覚の現象を研究する、 <自然科学的な心理学>の個別性についてだけ、人間の普遍性に妥当することが示される。 言い方を換えるならば、人類は、民族の数だけ、固有の<心理学>を創出し得るということである。 みずからの<心理学>を持たない民族が他の民族の<心理学>を学ぶことはできても、 他の民族の<心理学>をみずからの民族へ完全に適応することはできない、ということにある。 <心理学>をみずから創出しないということは、<心理学>を必要としないということであって、 必要のない<心理学>を無理に当てはめたところで、軋轢さえ生ずることでしかない。 日本民族に固有の<心理学>とは、このようなものである、 従って、他のありようと同様となるはずのないものである。 それほどに、<四つの欲求><七つの官能><原初の知覚>は、 <言語による概念的思考>の組成に作用があるということである。 人間の<言語による概念的思考>は、言語の組成ということで活動するものである以上、 <整合性>を持ってあることを快感と感ずる。 従って、<整合性>を持ち得ない場合、不快感という状態に置かれることで、 <不安な状態>や<矛盾のある状態>を意識させられることになる。 <不安な状態>や<矛盾のある状態>が<三者>との関係から生じているものであれば、 実際の<縄>そのものを見つめたときに、<自然感>の生ずることがあるとすれば、 <動因となる思想>は、<原初の知覚>として働いていることになる、 ところが、<人間は、加虐・被虐の行為に依って、高揚させられる性的官能を属性としている>、 と<概念>を教育されていることにあれば、<縄>そのものを見つめて、思考させられることは、 <縄=縛る=緊縛=加虐・被虐の性的表現>となって、性的官能の高揚を知覚させられる。 性的官能は、常時、活動しているものであるから、 <縄>という対象を得て、高揚を知覚させられるというありようが、 加虐・被虐の性的行為に性的官能の高揚である快感を覚えるということになる。 <縄を見せられて、女は、被虐の喜びに疼かされた>といった文学表現は、 <人間は、加虐・被虐の行為に依って、高揚させられる性的官能を属性としている>、 という教育された<認識>が前提であって、この<認識>が流布される以前には、 <縄を見せられて、女は、自然の喜びに疼かされた>とあったことだとしても、当然のことになる。 人体が<縄>で縛られることが<加虐・被虐の性行為>でしかないと教育されていれば、 <縄>が呼び覚ます<原初の知覚>にも意味を見い出すことなく、 <加虐・被虐の奴隷状態>を<日本の性行為>であると見なすようなことにも至らせられる。 『家畜人ヤプー』の主人公の日本青年が到達するところの西洋人種の家畜として、 奉仕する喜びを教え込まれ、近親交配や去勢を施され、畜人馬から肉便器、出産用の子宮畜といった、 食用から愛玩に至るまでの身上にあることをどん詰まりの<予言書>として見るか、 或いは、『花と蛇』の主人公の静子夫人が西洋の加虐・被虐の性思想に目覚めるまで、 縄で緊縛された全裸を浣腸・排泄・放尿・膣への異物挿入・肛門拡張・乱交・同性愛・獣姦といった、 責め苦と調教に置かれ続けて脱出できない身上にあることを<懺悔書>として見るか、ということである。 いずれにあっても、<西洋思想>へ<模倣・追従・隷属>している限りは、 喪失させられた、閉塞させられた、萎縮させられた、絶望的な状況しかない、という警告である。 大東亜戦争敗戦後の<民主化>にあって、占領軍指導の西洋化の教育と敗戦という負い目は、 <WGIP 戦争犯罪を自責するための情報計画>という存在があったことまでを考慮すると、 加虐・被虐の性的表現の<認識>を教育された経過であることは、 <民族>の意識を隠蔽され、<自主・自立性>と<民族の矜持>を希薄とさせられて、 <西洋思想>の奴隷状態にあっても幸福である所以は、 <経済大国>へ成長する見返りによって成立していた状況と言えることである。 それは、<経済大国>という希望の状況を奪われ始めると、異様な社会現象があらわれ出して、 警鐘のように打ち鳴らされることに見ることができるものとしてある。 いずれを異様な事象と判断させることにあるかは、 そのありようを自然であると知覚して考えられるか、ということにあるから、 社会現象に異様が見い出せないとしたら、それから先は問題はない、ということでしかない。 自然としてのありようを意識させる、<原初の知覚>とは、そうしたものである。 従って、<原初の知覚>へ率直に従わないということは、 そうとしか見えないものをそうではない、と強要されるありようであって、 <矛盾・軋轢・苦悩>のある心理へ向かわされるということであり、 <動因となる思想>である<結びの思想>が有用に発揮されないという状態になる。 <結びの思想>は、異なるふたつ以上の事柄を結び合わせる、という働きにあることは、 それが有用に発揮されないことは、断絶・絶縁・無関係といった事象を招来させることになる。 社会現象として、断絶・絶縁・無関係をあらわす事象が増加することは、 <原初の知覚>による<結びの思想>が有用に発揮されていない、ということである。 そうとしか見えないものは、そうとしか見えないのである。 そうとしか見えないものを異なったものとして見るためには、 <言語による概念的思考>によって、特定の<概念>を<認識>とさせて思考する以外にない、 特定の<概念>は、この場合、<西洋思想>にあるということである。 みずからの民族が所有する学術よりも優秀であれば、学ばなければならない道理がある、 しかし、それであって、<原初の知覚>が消失させられたわけではない。 <原初の知覚>へ率直に従わない、というだけにある。 置かれた<縄>をじっと見つめてみれば、気付くことがある、 <縄>のあらわす形態には、動性が感じられる。 この動性の感覚は、どのようなものであっても、じっと見つめていれば、 動きながら変化していることを知らせるものがある。 縄の発祥が蛇の交尾を観察したことから導き出されたと見ることに無理はない。 異なるふたつ以上のものがひとつになって絡まり合うことで、新たなものが生まれるのである。 蛇に似た一本の蔓ともう一本の蔓を絡ませて、<ひねる>ということをすると、ひとつになる、 その新たなひとつは、一本の蔓よりも丈夫である、 今度は、より細い蔓で<ねじる>ことをすると、強さも増し柔らかさも生まれる、 更に、植物の細い繊維を束ねて、ふたつとしたものを<よじる>と、<縄>が誕生する。 そこにあって、そのままである、ふたつのものを合わせて、 <ひねる>ということをすれば、生じることである、 <ねじる>ということをすれば、変容するものである、 <よじる>ということに至れば、変容し変質するものとなる。 <縄>を誕生させたことは、<ひねる><ねじる><よじる>という過程にあって、 <そこにあってそのままである事柄>を変容し変質させることの可能を教えられたことである。 <ひねる>は、対象とする事柄を変えることが可能なものとして見えること、 <ねじる>は、対象とする事柄を変えられること、 <よじる>は、変化させた対象を昇華させられることである。 縄文時代に展開された土器の意匠に、この<ひねる><ねじる><よじる>を見てみると、 一万三千五百年の長きに渡って執着させた、多種・多様の象徴があらわすことは、 <結びの思想>の形成にほかならず、日本民族の文明・文化として、 それ以降の宗教・政治・軍事・農業・漁業・芸術・遊戯というあらゆる様相に示されたことである。 しかしながら、そのような歴史であってさえも、三千年という時間のことに過ぎない。 一万三千五百年に渡って血肉とさせた、<結びの思想>という<動因>であるならば、 少なくとも、あと一万五百年は、働きが発揮されても、驚かされることにはないが、 果たして、そのときまで、日本民族が保存・維持されているかどうかはわからない。 少なくとも、現時点では、日本民族における者であれば、誰でも継承する<因習>は、 <結びの思想>という<原初の知覚>が血肉としてある。 |
<縄>は、どのようにして作られているものであるかを見ると、 数本の植物の細い繊維を束ねて、ふた組としたものを撚り合わせてある。 <数本の植物の細い繊維>を<ひと>に見立てれば、 <ひと>は、群棲しているありようから、ひとつに束ねられて、<集落>を形成し、 そのひと組の<集落>が別のひと組と合わされて、撚られると<大集落>となる。 その<大集落>が誕生するためには、撚られることである、<ひねる>ということが必要であり、 <ひねる>とは、ひとつに撚るための<ひとつという意義>の創出である。 <大集落>が保存・維持されるには、より強靭となることの必要は、<ねじる>ということを導く、 <ねじる>は、<ひとつという意義>が生活の基盤となるための<社会>の構造構築である。 その<大集落>が更に大きくなり、<国家>といった掲げる理想を持つものとしてあれば、 <社会>の発展のために、<よじる>という昇華が必要となることである。 古代の集落の建設者が<縄>を見て、このようなことを想起したかどうかはわからないが、 <縄>が宗教・政治・軍事・農業・漁業・芸術・遊戯へ用いられていった広範を見ると、 <縄>にある、<ひねる><ねじる><よじる>という<動性>は、 発想や想像力を常に掻き立てずにはおかないものがあったと考えられることである。 <縄>の実在は、この<ひねる><ねじる><よじる>という作用を教えて、 <結びの思想>という<動因>となったことは、 <縄>の思考と<手>による技術の相乗が果たさせたことであるのは言うまでもないが、 日本民族の文明と文化には、この<縄>の<動性>が示されてあるとき、 表現される事柄に<自然>が表象されるということも、示唆されることにある。 日本民族における、<自然>は、この<縄>の<動性>を根拠としてあるということである。 どのような対象を前にしたときであっても、 その<原初の知覚>にあっては、<縄>の<動性>である、 <ひねる><ねじる><よじる>という作用をもって、 <結びの思想>という<動因>を働かせて、 異なるふたつ以上の事柄を結び合わせるということを行う、ということである、 このありようを<自然>としていることから、<自然>を観照している、ということである。 <自然>の認識は、それがそのままそこにある、ということではなく、 <自然>が<動性>をあらわして感覚されることにある。 <ありのままにあること>を<自然>であると教えられていると、 <自然>は、整然と<調和>してある状態と同義にさえなることにあるが、 日本民族の<自然感>は、<ありのままにないこと>を<調和>すると感覚することである。 <ありのままにないこと>を<調和>と感覚できる能力を所有している、ということである。 この能力から、日本民族の表現してきた、 宗教・政治・軍事・農業・漁業・芸術・遊戯に及んで、固有性があらわされたことは、 <捕縄術>という消滅させられた<因習>について見ると次のようになる。 現在ある、<縄による緊縛>という事象は、人体を<縄>で拘束するということにある。 人体と<縄>さえあれば、老若男女、誰もが行えることにあることでは、平等にあるとさえ言える。 しかしながら、実際に、或る者が或る者を<縄>で縛ろうとすると、 そこには、人体と<縄>さえあれば、誰もが行えることにあることがそうではない、と知らされる。 その第一が、どうして縛るのか、どうして縛られるのか、という疑問の生ずることである。 <西洋の性の学術>に従えば、その<概念>を根拠として、 性的官能の高揚と絶頂を愉悦することができることにあるから、 両者がその<概念>さえ受容すれば、双方の疑問は、解消することにある。 そこで、第二が生ずる、縛者は、縛るという行為が思っているほど容易でない、と知らされることである。 縛り方が緊縛にならない、緊縛になったとしても、被縛者の身体へ不必要の悪影響を及ぼす、 そうして、緊縛が成し遂げられても、縛り方が美しく見えない、といったことである。 <縛るという行為>は、相応の技術を要求されるものとしてある。 第一の疑問に対して、西洋の性の学術に無知である者の場合は、 縛者も、被縛者も、暴力としか見なせないことであるから、加虐・被虐の行為を意味することでしかない。 もし、それで性的官能の高揚と絶頂を愉悦することができることにあるとしたら、 強姦と言える事象と同様であるから、緊縛の技術も、緊縛の美醜も、要求されることにはない、 強姦が目的であれば、手間隙掛けて、わざわざ緊縛に及ぶ必要もないことである。 <縄>で人体を拘束するという事象は、 <拘束>のない状態が人体の<自然>のありようであれば、 <不自然>をあらわすものでしかない。 その<拘束>が刑罰や仕置き、或いは、陵辱といった意義を目的として行われることにあれば、 それは、<自然>も<不自然>もなく、<縄>は、<拘束>の道具であれば、事足りることである、 <縛るという行為>は、相応の技術があれば、それ以上の必要がない。 そうした単なる<道具>でしかない<縄>が<捕縄術>という<拘束>にあっては、 <縛るという行為>の主旨として、縄抜けができないこと、 縄の掛け方が見破れないこと、長時間縛っておいても神経血管を痛めないこと、 見た目に美しいこと、とされたばかりか、宗教性をあらわした様式にまであったことは、 <縄>そのものに対する、<原初の知覚>が認識の相違を生ませていることにある。 どのようなものであったかを略述してみる。 (詳細は、名和弓雄 『捕物の世界(二)』 日本放送出版協会、 『絵でみる時代考証百科―捕者道具編』 新人物往来社)。 <捕縄術>の根本理念は、<破邪顕正>という大義にある。 <破邪顕正>とは、不正や誤りを打破し、正義を実現することであり、 <縄>は、不動明王が左手にする羂索になぞらえて、 打つことは、迷いの苦しみから衆生を救って、悟りの世界に渡し導くことである、 <衆生済度>の不動の羂索を打つことに同義の神意にある行為としている。 羂索は、中国の<四神感応>に従って、 五色(青・黄・赤・白・黒)の線が綯い合わされている。 四神は、青(東・青竜)、赤(南・朱雀)、白(西・白虎)、黒(北・玄武)として象徴されることを、 それぞれに、春・夏・秋・冬へ配して、<捕縄四季弁色の制>としている。 二度の土用中に、黄色の<縄>を使用する以外は、 <春は青色の青竜縄を東に向けて打つ>というように、四季・方位・色の使用が定められている。 この<しきたり>は、幕府の法制で守られたが、天明(1780年代)以降は、簡略化された。 捕縄の方法には、被疑者を捕縛するとき、抵抗・逃走を防ぐために用いられる<早縄>、 護送や捕縛するとき以外に用いられる<本縄>と呼ばれるものがある。 隆盛時には、流派は百五十以上、縛り方と名称は三百種類くらいあったと推定されることで、 流派によって、縛り方も、名称も、異なることにあったが、 <本縄>は、罪人の身分や罪の軽重によって相違があったことは、以下の通りである。 雑人(十文字・割菱・違菱・上縄)、僧侶(返し縄)、神官(注連縄)、 山伏(笈摺縄)、女人(乳掛縄)、士分(二重菱)。 対決の際(羽附縄)、剛力者(足固縄)、縄抜けの巧みな者(留縄)、 罪人の追放・受け渡し(介縄)、断罪(切縄)。 縄掛けの仕上がりには、装飾的な意味が込められていたとされる。 こうした成り立ちが生まれた経過を次のようにして見ることができる。 不動明王が左手にする羂索になぞらえてある、<縄>は、 中国思想の伝来以前から存在するものである。 <縄>で人体を縛るということは、<縄>で動物を縛るという前提があれば、 <縄>で<拘束>することによって、思いのままにする、 という状態を作り出せるものとなることである。 <原初の知覚>は、<ひねる>として、<縄>に見ることのできたことは、 <縄>が他の動物と同様に<人体>にも適用できるということにあった。 ここまでであれば、<縄>は、相応の技術に留まるだけのことに終わる、<道具>である。 しかし、日本民族の<原初の知覚>は、<縄>に<ねじる>を見ている。 日本民族の<自然感>は、<ありのままにないこと>を<調和>すると感覚することである、 ということがここに働くのである。 <人体>も<縄>も、ありのままにないのである。 <ねじる>は、<ありのままにないこと>から<ありのままにないこと>を作り出すのである。 <縄>による<人体>の<拘束>は、<ありのままにないこと>を作り出すのである。 これを実際に行うためには、<よじる>ということが必要とされる、 それは、中国伝来の思想であり、その思想から展開される、<様式>の創出である。 この昇華が<捕縄術>として大成されるものとなったと言えることである。 <様式>にあらわされる、<調和>とは、<ありのままにないこと>という<自然>である。 このありようは、<ひねる・ねじる・よじる>という<動性>が根拠となって、 <ありのままにないこと>を<自然>と認識させることであるから、 流動と転変を<自然>とさせる、<多義・多様>へ導かれるものとしてある。 幕府の法制で、<捕縄四季弁色の制>という<一義>の基にはあったことであるが、 その<一義>でさえも、時代の経過と共に廃れたことへ置かれたように、 民族の全体からすれば、流派は、百五十以上、縛り方と名称は三百種類も存在した、 という<多義・多様>が表現されることは、宗教における、多神教のありようと同様に、 日本民族が<一義>の基に学術を体系化させる、 文明・文化になかったことのひとつの例証でもあるということである。 この<多義・多様>は、<ありのままにないこと>を<自然>と認識させることであるから、 柔軟性がある、置かれた対象を<一義>の価値観に災いされることなく、見ることができる。 それが相違するどのような民族のものであれ、その民族の文化として、見ることができる。 但し、受容となると、<原初の知覚>の<ひねる・ねじる・よじる>が働くことで、 <ひねる>は、対象とする事柄を変えることが可能なものとして見えること、 <ねじる>は、対象とする事柄を変えられること、 <よじる>は、変化させた対象を昇華させられること、 という過程が成し遂げられないと、充分な文明・文化を発揮できないという状態が生まれる、 対象へ<模倣・追従・隷属>するような事態にもなる。 現在ある、<縄による緊縛>という事象においても、 <緊縛美>と称するように、優れた縛り方は、美醜を重要な事柄とすることは必至である。 生まれたままの全裸の人体は、ありのままの自然であって、 その自然を<縄>で緊縛することによって異形が生じるありさまを、 調和が歪曲されたことによって生じる、<美>として見ることにはない、ということである。 <緊縛美>とは、<ありのままにない>人体の<自然>が緊縛の技法によって、 <ひねる・ねじる・よじる>という<ありのままにない>作用をもって、 <ありのままにない>調和を生じさせることに、<美>を見ているということである。 この相違は、<原初の知覚>が異なるものとしてあることによって、作られることである以上、 同一にあてはめることのできない、<美意識>としてあることである。 そのことは、 <縄目>という、柔肌へ<縄>が押し付けられて出来上がる模様について、 それが特徴的に描かれた絵画作品や写真が少なくないという事象にも示されている。 富士利美 <縄目>を単に、縄文土器を真似た描写であると見てしまえば、文字通り、伝統の表現である。 しかし、それがどうして共通してある必要があるのかを考えると、 どうして、日本民族以外の<緊縛>表現に、この<縄目>が見られないのか、 という相違が浮かび上がってくる。 答えは、<真似た>ということではなく、<縄目>に<意義>を見い出すからである、 <縄目>を表現することに、<縄>の<意義>を見い出すからである、 <縄目>に<意義>を見い出さない民族は、それを表現しないということである。 <縄目>は、<縄>の<結び目>を意義することでもある。 <結び目>に<意義>を見い出せることは、<結び目理論>という幾何学も存在することにあるが、 この<結び目>にも、<多種・多様>を創出し、 あらゆる分野へ<多義>を展開させた、日本民族の<美意識>である。 ハンス・ベルメール ジョン・ウィリー ハンス・ベルメールやジョン・ウィリーなどの緊縛を見てみれば、この相違は理解できることで、 それを<西洋の性の学術>で一括されてしまえば、ただの<SM>にしかならないことでしかない、 西洋の理念で見れば、『源氏物語』は、女流の書いた先駆的<小説作品>となるのと同様である。 <小説>は、西洋民族の<原初の知覚>による、言語理念で生み出された表現であり、 『源氏物語』は、日本民族の<原初の知覚>による、言語理念で生み出された<物語>である。 <SMの緊縛>と称されてしまえば、いずれも、ただの<緊縛>となってしまうことになるが、 表現される<美>は、相違するものであることは、 その<表現>が導く事柄も相違する、ということも見えなくなってしまうことにある。 日本民族の<縄>には、厳然とした<意義>が実在する。 その<意義>を<原初の知覚>から認識しているのである。 |
<縄>には<意義>があることを表現した、 ひとつの<因習の絵画>がある、 椋陽児が描いた、この<☆作品>である。 綺麗に結い上げられた黒髪に、端正に着付けられた着物姿の若く美しい女性が畳へ正座している、 ほっそりとした両手は、膝の上へきちんと置かれ、 傾げた顔立ちの大きな両眼のまなざしは、畳にあるものへ向けられている、 緊張した表情を浮かばせながら、置かれた<縄>をじっと見つめ続けているのである。 これだけの絵であれば、<ひねる>ということに留まることは、 <西洋の性の学術>の解釈で、<縄>で<被虐の思いを掻き立てられる女>で終わってしまう。 よく見ると、襖に隔てられた敷居の向こう側、つまり、次の間に、<縄>が置かれていることがわかる、 <縄>は、<敷居>という<常識のある日常性>に仕切られた、向こう側にある。 その<縄>は、断片を覗かせる、その横には、ちり紙の入った箱が断片を覗かせる、 左手には敷布の断片があると見ることができれば、表現は、<ねじる>ものとなる。 この女性は、夜の床を前にさせられている、と想起させられることになり、 その愛欲が布団の上で生まれたままの全裸にさせられ、<縄>で縛り上げられて、 交接する行為にあることは、性的官能の高揚と絶頂にあって、ちり紙が必要となるからである。 着物が端正に着付けられているほどに、行儀のよい態度にあるだけに、激しい行為となることは、 <常識のある日常性>からは、異常とされる、嬌態と喜悦にある、みずからを知ることである、 それは、立ち上がって、<敷居>を跨ぐ意思に掛かっているのである。 <縄>、ちり紙の箱、布団の敷布という覗かせる断片は、 女性のじっと見つめ続ける、緊張のまなざしで、女性の姿態とひとつに撚り合わされるのである。 <緊縛>の実際がまったく表現されず、<縄>のひとつの実在から、 このように、ないものをあると考えられる、という<想像力>を促されることは、 この女性がこのとき初めて<緊縛>の行為に臨むのではないと理解させることにあって、 性的官能に高ぶらされる心理が動揺させられていることは、 匂い立つような色香さえ生じさせることにある。 日本民族における者であれば、少なくとも、このような認識を持つことのできる絵画にある。 女性が<縄>を魅入られたように見つめているから、<SMの絵画>にある、 というような合理的な算数、或いは、条件反射のような認識では、 匂い立つような色香さえ生じさせる<風雅>など、とんでもない話でしかない。 更に、ここから、<想像力>が<よじる>という昇華にまで、思考を至らせるかどうかは、 それぞれの鑑賞者における、問題となることであるが、 その<よじる>は、それぞれにひとつという、<多種・多様>の<意義>が生まれて、 対象の理解ということが行われることにあって、 <原初の知覚>による<結びの思想>の発揮ということになる。 <縄>の断片を見るだけで、<意義>を結ばせてしまう、<原初の知覚>がある、 それが<想像力>を促すということは、例えば、この<作品>の場合は、 日本民族の女性が着物姿にあって、<縄>と共に置かれてあれば、 それが<縄による緊縛>を想起させる。 <縄による緊縛>の目的は、性と性的官能の高揚と絶頂をもたらすことにあれば、 そこへ至るための<縄による緊縛>の<方法>というのは、 ただ、<拘束>のために、ふん縛ればよい、というものにはならない。 美しい女性であれば、美しい着物が解かれた、美しい女性の姿態にあることは、 高揚と絶頂をもたらす、<縄>も、それに見合うだけの美しさになければならず、 <ひねる>として見られることは、<ねじる>とならねばならず、 <緊縛の方法>に興趣が凝らされて、<よじる>となることは、 <美>の<風雅>を作り出すことをさせるものとなる。 ありのままにない自然は、ありのままにない自然を作り出すことで、 <風雅>という<調和>を認識させるのである。 この<風雅>は、寺田寅彦の『俳諧の本質的概論』において示されている、 <日本古来のいわゆる風雅の精神の根本的要素は、 心の拘束されない自由な状態であると思われる。 忙中に閑ある余裕の態度であり、死生の境に立って認識をあやまらない心持ちである。 「風雅の誠をせめよ」というは、 松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、 いわゆる格物致知の認識の大道から自然に誠意正心の門に入ることをすすめたものとも 見られるのである。(昭和七年十一月、俳句講座) 『寺田寅彦随筆集 第三巻』 岩波書店 > という意義で用いている。 <縄による緊縛>における、<加虐・被虐>と見なされるありようは、 <西洋の性の学術>から見れば、性と性的官能の高揚の<暴行・虐待・強姦>の行為にあるが、 <縄による日本の緊縛>では、<被虐美>とは、 <美の風雅>を創出させることが可能であるということをあらわす、 日本民族の<縄>の認識からすれば、当然の帰結となることでしかないことにある。 これらの相違は、<美意識>の必然性から生まれるものであり、 その<美意識>を形成する、<原初の知覚>が異なる以上、 <美>が導く事柄の認識も相違してあることは、当然のありようにある。 <ひねる・ねじる・よじる>という<思考の作用>がもたらすことは、 固有な<見方>ができることであり、独創的な<表現>を成し遂げる想像を導くものとしてある、 それは、<結びの思想>の<ひとつの具現>である。 <縄>が<意義>をあらわすことを表現した、もう ひとつの<因習の絵画>がある、 <縄を綯う>と表題を付けたいほど、その<意義>する事柄は、見事にあらわされている、 前田寿安が描いた、この<☆作品>である。 闇の舞い降りた囲炉裏端で、着物をまとった若い男性が<縄>を綯っている。 その撚られて出来上がった<縄>の先には、身に着けた着物をはだけられ、 豊満な乳房と艶かしく白い下半身をあらわとさせた、若い女性の存在がある。 女性は、後ろ手に縛られ、胸縄で乳房を突き出させられ、跪いた姿勢に置かれていたが、 両足首を組まされて縛られていることは、艶やかな太腿を開き放しとさせて、 陰毛を掻き分けるようにして、股間へもぐり込まされている、<縄>をあらわとさせている。 その<股縄>は、身体の前の腰縄と結ばれ、背後へ吊り上って繋がれていることは、 女の割れめ深くへ埋没させられていることを伺わせるものがある。 男性の綯っている<縄>というのは、その<股縄>そのものであることで、 撚られる強弱や牽引の具合に合わせて、割れめへ埋没させられた<縄>は、 敏感な女芽、膣の花びら、菊門へ、振動と摩擦という刺激を与えるものとしてある。 <縄を綯う>ということは、女性の陰部を刺激し、責め続けるという意義にあることは、 高揚させられた性的官能から、首をのけぞらせ、陶然となった表情を浮かばせながら、 割れめから女の蜜をしとど滴り落とさせて、反応をあらわとさせていることに示されている。 <縄による緊縛>の<責め絵>という<SMの絵画>と見なされるだけにあって、 その<ひねる>は、高ぶらされる性的官能から、鑑賞者に、火急な方法を求めさせることにあれば、 男性にあれば、陰茎をしごかせ、女性にあれば、陰核と膣を愛撫させることで、 対象の認識の整合性を絶頂にまで至らせることによって、得ることのできるものとしてある。 <猥褻な表現すべて>があらわすことは、それだけの存在理由を持つものでしかない、 と見なされる限りにおいては、<ねじる・よじる>は、働かないことに置かれる。 だが、<縄>の日本民族の<性と心理>にあっては、それだけでは、収まり切らないことは、 前田寿安のこの<作品>を前にして、幾度でも、自慰行為が可能であるように、 優れた<表現>は、<繰り返しの鑑賞>に耐え得るものである、という実際が示されることで、 <作品>は、<猥褻の目的>にある以上の<事柄>を表現していることを如実とさせる。 <縄>が<意義>をあらわすことを表現した、と言ったことは、この<事柄>の問題である。 日本民族にあって、<縄>の存在は、<意義>の整合性を表象するものとしてあることは、 それが<原初の知覚>をあらわし、<結びの思想>を導くものとしてあることにある。 <縄>は、<矛盾がない>という感覚をもたらすことにある、ということである。 その意味で、<縄>は、<整合性の象徴>である、と言えることにある。 つまり、<縄>があらわされるだけで、<整合性>が示されるのである。 この<作品>は、その<事柄>を示唆している。 描かれた情景を見てみると、古い時代の農家の部屋といった様子である。 藁を打つための木槌と台、むしろ、竹篭、藁座布団が置かれ、 囲炉裏には、薪が豊富にくべられて燃え盛っている。 その自在鉤には、肉の切り身と魚が刺され、やかんが掛けられてあるが、 串刺しの魚も灰に立てられて、徳利のあることから、酒の肴とされるものと見ることができる。 茶碗は、ひとつは、女性が跪かせられているそばに、もうひとつは、それと真向かいにあるが、 これから、男性と女性で酌み交わそうというには、奇妙がある、 すでに酒宴が行われたということであれば、酒の肴に手が付けられていないのは、<異様>である。 囲炉裏には、五徳やわたしが見える、そこにも、奇妙と感じられるものがある、 炭挟みと言えば、普通のものであるが、縮れた黒い毛が無数にまとわりついているのである。 炭挟みは、女性の膝のあたりにあって、そこの床にも、黒い縮れ毛は、散乱している。 この奇妙は、剥き晒しとされた女性の陰毛とすぐに結び付くことにあるが、 炭挟みでむしり取られたとするには、女性のそれは、綺麗に生え揃っている<異様>にある。 そもそも、男性が<縄>を綯うことで、女性を性的に責め立てる、という<異様>にあることであるが、 どうして、このような<異様>があるのか、という疑問を抱かせる。 そして、更に、ひとつの決定的な<異様>がこの情景を<動揺>させるようにしてある。 障子の向こうから、部屋の様子を覗いている、年老いた男性の存在である。 この年寄りに対して、若い男性は、注意を向けるが驚く素振りも見せず、平然と<縄>を綯っている、 女性の恍惚とさえなっている、性的官能の高揚の表情と並置されると、 <異様>なほど、ふたりの男性は、<常識のある日常性>を感じさせる、<平静>な態度にある。 年寄りは、若い男性の父親であり、若い女性は、若い男性の妻に違いない、と想起すると、 これは、或る一家の日常生活の或る情景、と見ることも可能なことになる。 この情景にある、すべての<異様>は、性的官能の高揚をもたらすために、配置されていることは、 <異様のある非日常性>を作り出すことで、性と性的官能の所在を明らかとさせる。 <作品>は、その目的で言えば、<猥褻>をあらわすことに違いない、 しかし、それは、女性の顔立ちの表情があらわす、性的官能の高揚と絶頂にある、 恍惚としたありようを<美>として表現するために行われていることも、明らかなことにある。 性と性的官能による、<美>は、<異様のある非日常性>において、開示されているのである。 それだけであれば、<ひねる>が<ねじる>というだけのことに留まる。 性と性的官能を<異様のある非日常性>において開示させる表現方法は、 性と性的官能が隠されている<常識のある日常性>においては、 <猥褻な表現すべて>の常套手段としてあることで、型にはまった新鮮味のないことでさえある。 ここにあって、日本民族の<縄>の存在は、<よじる>ということを導く、 <新しい知覚>をあらわすものとしてあるのである。 平然と<縄>を綯っている若い男性と年老いた男性の態度における、<常識のある日常性>は、 若い女性のあらわす<異様のある非日常性>と並置させられることで、 異なるふたつの事柄がひとつに撚り合わされて、 更に、<異なる事柄>を認識させるということである。 人間にある<性欲>は、生存を目的とした、種の保存・維持のために活動するものである、 それ以外の<意義>はないということでは、ただの力動であると言えるものにある。 その<性欲>に<善悪>を認識させるのは、<知欲>が思考作用で取り結ぶ<意義>にある、 <性欲>は、言わば、<善悪>の<彼岸>にあって、 それを<此岸>から、<言語による概念的思考>を橋渡しするのが<性的官能>である。 <性的官能>は、<言語による概念的思考>に、常時、関与するものとしてある、 この<作品>を見ている場合のように、<対象>が刺激を明らかとさせる場合は、 <性的官能>が<言語による概念的思考>を促すようにさえある。 人間の生存にあって、性欲と性的官能は、常時、活動している状態にあって、 <対象>を得ることで、性的官能が高ぶらされ、淫らな思いをめぐらし、性欲を行使する、 という過程となることである。 ここで、<淫らな思いをめぐらす>という思考作用は、 掻き立てられる<性的官能>によって、<整合性>を求めるように促されることにある。 <言語による概念的思考>は、<整合性>を求めるようにしか活動しない、 それが正当に成し得ないことによっては、心理の歪曲・倒錯・亀裂といったことを生じさせる。 心理の歪曲・倒錯・亀裂とは、言語の組成が正当な意義を結ばない、というありようである。 それは、<不快感>となって、不満足の状態がもたらされることである。 それに対して、<整合性>とは、<快感>である、 性的絶頂のこの上のない満足感の状態と同一のものとしてある。 性的官能の<言語による概念的思考>への関与があらわされている、 と見ることができるところである。 人間は、進化の過程において、言語の発達を<整合性>の実現としての<快感>として求めた、 <快感>を求めては、ないものをあるとさせる、<想像力>を促した、と考えられることにある。 この知覚の状況にあって、<縄>が促す、<新しい知覚>とは、 <縄>は、<整合性の象徴>である、と言えることにある。 <異様>が羅列されるだけでは、思考作用は、<矛盾や不安>を意識する以外にない、 <矛盾や不安>は、<快感>へ向かわせる過程においては、障壁でしかない以上、 <対象>に刺激される、性的官能は、成し遂げられない、という<不快感>に置かれる。 この<不快感>を解消することは、高ぶらされている性的官能のままに、 自慰行為なり、男女の交接なりで、満足を成し遂げることを性欲で行使させる。 性的官能が高ぶらされるというのは、<不快感>に置かれるというありようである、 対象がどのようなものであれ、性的官能が高揚することは、<不快感>にある以上、 それは、<快感>を求めざるを得ないものとしてある。 心理は、<整合性>を求める思考作用で、それを果たすというありようにしかない。 <縄>のあらわす<整合性>の感覚は、この<作品>が表現するように、 <常識のある日常性>と<異様のある非日常性>を結ぶということをさせる、 女性を性的官能の絶頂へ向かわせるために用いられている、 <縄による緊縛>という実際があらわしていることは、 <縄>が導く、<原初の知覚>は、<結びの思想>の<ひとつの具現>として、 どのように表現される、<矛盾や不安>があっても、それを<整合性>とさせる、 <縄>の実在がある、という認識をもたらすことである。 |
<新しい知覚>と言ったことは、例えば、 <シュールレアリスム>という<認識の表現方法>がある、 解剖台の上のミシンとコウモリ傘、といったように、 異なるふたつ以上の事柄を並置させて、それを知覚することによって、 異なる事柄を認識させる、というもので、 そのように行わせることに、<無意識>や<潜在意識>が関与しているとされるものである。 その成果として、<知覚の可能性>ということを開拓させた意義は、重要である。 <縄による日本の緊縛>があらわす、<認識の表現方法>は、 異なるふたつ以上の事柄を並置させて、それを知覚することによって、 異なる事柄を認識させる、ということを<縄>が導くという方法にある。 椋陽児と前田寿安の優れた表現は、その実例である。 <知覚の可能性>を開拓することにおいて、今後、どれだけのものになるか、 <西洋思想>へ<模倣・追従・隷属>しているだけでは、答えの出ないことである。 それは、<ひねる・ねじる・よじる>というだけで、 バロック時代後期の<マニエリスム>における、 <フィグーラ・セルペンティナータ 蛇状曲線>という<認識の表現方法>と類似させて、 <和製マニエリスム>にあるとか、<日本のシュールレアリスム>とするありようと同様で、 これまで、そのような<模倣・追従・隷属>しているだけの表現に展開がなかったことは、 <原初の知覚>が相違していることにあるから、ということでしかない。 <モンタージュ>という<認識の表現方法>は、エイゼンシュテインの映画技法としてあるが、 異なるふたつ以上の事柄を並置させて、それを知覚することによって、 異なる事柄を認識させる、ということは同様で、 それを日本の漢字や歌舞伎からの影響で創出させたとされている。 日本民族の歴史においては、 異なるふたつ以上の事柄を並置させて、それを知覚することによって、 異なる事柄を認識させる、ということは、すでに、<俳諧>で達成されていることにある。 松尾芭蕉の<荒海や佐渡によこたふ天河>の一句を実例とできる。 日本民族における者が<原初の知覚>へ率直になれば、 決して、新しい<事柄>としてあることではない、 むしろ、古い、古すぎる、縄文時代より継承する、<因習>にある、 <新しい知覚>としてあるとすれば、性と性的官能が如実にあらわされることから、 これまでにはない、人間の事象の表現が可能とされる、 という新しさにあるだけのことである。 <縄>であるから、表現できること、 <縄>であるから、認識が可能なこと、 日本民族における者であるから、知覚できる<縄>にあること、 日本民族であるからこそ、<縄>で創造ができるということ、 <縄>の実在は、日本民族の<自己同一性>をあらわすものでしかない、 <縄>は、<結びの思想>を展開させるものでしかない。 (2011年2月12日 脱稿) |
☆12.<縄による緊縛>という<結びの思想> ☆10.<被虐美>という猥褻で恥辱のある表現 ☆縄による日本の緊縛 |