12. <縄による緊縛>という<結びの思想> |
寝台の上では、シーツを激しく掻き乱して、男女が絡まり合っている、 女性は、生まれたままの全裸を<縄>で後ろ手に縛られ、 ふたつの乳房を上下から挟まれた胸縄を掛けられて、 着物姿をはだけた男性の陰茎を膣へ、或いは、肛門へ受け入れて、 ふたりは、ひとつとなって、性的官能を高揚とさせ合いながら、 顔立ちをひねらせ、上半身をねじらせ、下半身をよじらせて、 共にある、快感の絶頂へ向かおうとしている…… 楡畑雄二の描く、<縄による緊縛の交合の図>と言えるような<美しい>作品である。 この絵画にあって、<縄による緊縛>が<緊張>をもたらしていることは、 <縄>が<加虐・被虐>の様相を表出させていることにあるからだけではないことは、 日本民族における者にあれば、<原初の知覚>から、容易に察することのできることにある。 <縄による緊縛>は、<加虐・被虐>だけをあらわす事象ではない、 <加虐・被虐>だけを目的とした、<拘束>という意義の<縄による緊縛>であれば、 加虐者の意思のままに、被虐者が取り扱われるために行われる<準備作業>、 という事柄にあることにしか過ぎず、殊更に、<縄>を用いなくても果たせるということでは、 <縄>を用いているから、<日本の緊縛>に準じている行為にある、 と理解していることにあるとしたら、日本の着物をまとえば、誰でも、 <日本風>に見えるという思い入れにあるのと同様で、曲解にさえある。 <縄による緊縛>という事象を見ることに、日本民族における者にあれば、 <軽薄・短小>の理解には、あり得ないということは、楡畑雄二の作品においても、 <縄>と<緊縛>のありようが<認識>を持って描かれていることで、見事に示されている。 女性を後ろ手に縛った胸縄は、ふたつの美しい乳房のふくらみを際立たせて、 欲情をあらわすように乳首は立ち上がり、柔肌への食い込みは、 <縄>の撚られたありさまと結びの質感をしっかりと伝えてくるものとしてある。 それに対する男性の着物の腰帯が<縄>のように撚られているありさまがあることは、 共に<縄>に縛られた、女性と男性の結び付きを<意義>あるものとさせている。 この絵画作品が伝えてくる、男女の交接の<意義>は、 高揚とさせられる性的官能が向かわせる、<性の開放>という快感の絶頂は、 <縄による緊縛>があらわす<整合性>と同一のものとしてある、と言えることにある。 このことは、<縄>を<整合性の象徴>と見ることの可能によって、 始めて意識できるものとしてあるということは、 <縄による緊縛>がもたらす<緊張>とは、 <性の開放>という快感の絶頂という予感にあって、 高揚とさせられる性的官能が向かわせる、 <ひねる・ねじる・よじる>と<認識>させる、意識の活動にあることである、 促される<結びの思想>をみずから取り結ぶことで実現される、<整合性>にある、 という情況があらわされることである。 性欲と性的官能が<言語による概念的思考>へ関与するものとしてあることは、 <同一>としてある対象を知覚することにあって、 <相違>する認識を得ることが可能である、という事柄を示唆されていることである。 喩えるならば、この<整合性の認識>を<超絶的な神の認識>に置き換えて、 相応の<神学的概念>を布陣して、考察を進めることをすれば、 <性の神秘主義>といった表現も可能になるということである。 その場合の可能とは、<一義>の<神的存在>を信仰する立場にあって、 有効とさせる固有の<原初の知覚>からのありようでしかない以上、 <原初の知覚>を相違する立場からは、 その言語による表現が<難解>に見えることがあるとしても、必然的でしかないし、 その逆もまた、同様の事柄としてあることになる。 <同一>の<男女の交接>という事象が<相違>をもって見られることの可能は、 <同一>の<男女の交接>という事象が<同一>の<快感の絶頂>をあらわしながら、 <性の開放>という<同一>の感覚にあってさえも、 <相違>する認識があり得るということが示唆されることである。 民族にあっての<ポルノグラフィ>の表現における、それぞれの固有の<多種・多様>は、 <同一>事象の<概念>の<相違>の実例として、見ることのできるものとしてある。 高揚とさせられる性的官能が向かわせる、 <性の開放>という<快感の絶頂>は、<同一>の感覚にあっても、 導き出される、<性の認識>が<相違>するということは、 厳然と存在する、<原初の知覚>の<相違>は、 生み出される<概念>の<相違>として、 あらわされるものでしかないことが示されているのである。 従って、<原初の知覚>が思考活動における、根拠となる<概念>と相違する場合、 両者が<自然>に<結ばれない>という情況に置かれることは、 <相反・矛盾・軋轢>といった概念が存在することへ導かれるものとなる。 <原初の知覚>そのものには、正否を判断する作用があり得ない以上、 <根拠の概念>に従った、概念的思考活動へ向かわされる、 <似非自然>が生まれることになる。 例えば、<SMの概念>を根拠として、<加虐・被虐>の<事象>を見ることをした場合、 その<SMの概念>に代替する<概念>があり得ない限りは、 <同一>としてある対象を知覚する場合、 <相違>する認識を得ることの可能は、あり得ないことに置かれる。 <相似>する<知覚対象>さえもが<SMの概念>によって、 認識されてしまうありようとなる。 <SMの概念>が本来の<加虐・被虐>の意義から派生して、 <主人と奴隷><支配と隷属><能動と受動> といった<関係>の概念を意義するものとしてあれば、 <相似>する<知覚対象>としての事象は、 すべてがその派生の<概念>によって見られることが成される、ということである。 この情況は、言い換えれば、人間関係において、 <絶対者と被絶対者>の関係を意識させるということで、 <絶対者>は、<主人・支配・能動>にあるならば、 <被絶対者>は、<奴隷・隷属・受動>にしかあり得ない、意識の相対関係となる。 さらに、この<相対関係>の意識からは、決して逸脱できない、 という思考活動へ置かれることになるのは、 思考活動は、<事象>に性と性的官能が関与してあることの如実を前にさせられて、 男性が女性を素っ裸に剥いて、縄で縛り上げて<虐待>するという光景があれば、 人間存在として、<性>という<動かすに動かせない事柄>が関与していることは、 <変えられようのない事柄>としての<絶対性>を見てしまうことにある、 <一義>の<絶対性>を思考するようになってしまうことである。 <一義>の<絶対性>を信じる、民族の<原初の知覚>にあることであれば、 ここに、<相反・矛盾・軋轢>は生じない、 <虐待>は、一義の絶対性的信仰が神的存在へ復活する、 象徴として見ることが可能としてあるからである。 しかしながら、<虐待>をそのように見ることのできない、<原初の知覚>にあれば、 <相反・矛盾・軋轢>に置かれる以外にない。 ここで、その<SMの概念>に取って代わる<根拠の概念>が存在すれば、 それを思考活動することで<自然>が生まれる可能性があるが、 存在しなければ、それを<根拠の概念>とする<似非自然>へ向かわされる。 <似非自然>にある以上、<相反・矛盾・軋轢>に置かれる情況は、 極端な場合には、<異様>な表現行為となってあらわされるか、そうでなければ、 <自主性・自立性・独立性>といった意識を希薄とさせられて、 <自己同一性>にはない、という情況を形成していく表現行為があらわされる。 <自己同一性>にはない、という意識は、 <他者>への<模倣・追従>にあると意識されている場合、 <隷属>が当然の情況である、と信仰することでもしなければ、 その情況から離脱できないありようは、<苦悩>となるだけのことでしかない。 明治時代以降の<日本文学>において、<近代化>の旗印の基に、 <西洋思想>へ<模倣・追従>することから生じる、 <相反・矛盾・軋轢>による、この<苦悩の主題>が表現されるという伝統は、 明治の文豪と称される、夏目漱石を象徴の存在としてあることで、 その<苦悩の主題>は、大東亜戦争敗戦後の<民主化>においては、 <喪失・閉塞・萎縮>となり、更に、<甘え・依存・自虐>を伴って、 現在に至っては、<断絶・絶縁・無関係>を表現するまでになっている。 <苦悩の主題>の<不明の原因>を捜し求めるありようを<純文学>としている状況は、 失われた希望、失われた目的の未来へ、なし崩しに進んでいるようにさえある。 <文学>は、<社会状況>の反映であるが、 <文学>が<社会状況>へ反映することでもある。 <文学>が人間にとって、必要不可欠の<表現方法>であることは、 概念的思考は、言語に起因している、という当然のありようにあって、 <文学>の<新たな表現方法>は、 人間としてある、<表現の可能>を示唆することにある。 世界に数多ある民族にあって、 <日本文学>が固有のありようを示すことがあるとすれば、 その<表現の方法>を固有に創出することに掛かっている。 その固有のありようが<不明の原因の模索>ではないことは、確かである、 <不明の原因>とは、ただ、民族の<原初の知覚>へ率直に従わない、 ということに過ぎない、それは、あくまで、<基礎>であって、 求められるのは、<展開>の表現にあるからである。 <縄>は、<整合性の象徴>としてある。 このことは、楡畑雄二の<絵画表現>から、 <縄>を消去してみると浮かび上がってくる<事柄>からも、理解できることにある。 <緊縛>がなければ、男女の絡まり合う姿態は、<江戸四十八手>と伝えられる、 <性の体位>で言うところの<松葉崩し>と見てよいと思われるが、 その体位で交接するありようは、性と性的官能を如実とさせて、 快感を高揚させる、人間の<美しい>実在をあらわすものにある。 この<美しい>感覚は、常時、活動する性的官能が導くものであることは、 当然の作用にあるが、日本民族の<原初の知覚>があらわす<自然感>でもある、 <ありのままにないこと>を<調和>と感覚することが関与することである。 男性と女性という異なるふたつの存在を<ひねる>とすることで、 <男女という緊密な結び付き>及び<性器の触覚と性的官能>を高揚させるために、 <よじる>という展開は、<四十八手>が見事にあらわす表象をもって、 性的絶頂における<昇華>を表現させたものとする、<調和>として示される。 その<四十八手>は、表裏として、<九十六手>とも称されることにあるが、 体位の数は、相撲の四十八手になぞらえられただけで、 <多種・多様>としてのありようがあらわされている。 <揚羽本手><菊一文字><下がり藤><時雨茶臼><しぼり芙蓉>といった、 名称だけを見ただけでは、どのような体位にあることなのかを想像できないことは、 <江戸時代>における、事象の把握と言語の比喩が<現在>とは一致しないことからで、 <江戸四十八手>の<多種・多様>にも、<捕縄術>における、 縛り方と名称の<多種・多様>と同様なありようが示されてあることは、理解できる。 <多義・多種・多様にあること>を表現することは、 日本民族の<自然感>にあって、<調和を表現すること>と同義と言えることにある。 いずれの民族にあっても、男女の交合は行われることであり、 <男女という緊密な結び付き>及び<性器の触覚と性的官能>を高揚させるために、 それぞれが民族固有の方法を持って成されることは、<原初の知覚>からすれば、 当然のことにあるが、<江戸四十八手>の<多種・多様>は、 九十六態を創出させて、<ひねる・ねじる・よじる>の<様式>を表出させ、 <事象>を見つめ、変え、昇華させる、<見方>が可能であることを示唆する。 インドの<カーマ・スートラ>が中国経由で入った、<模範>へ準じた<表現>において、 固有の<様式>を表出させたことは、<模倣・追従・隷属>にはない表現としてあり、 批判を覚悟で言えば、<芸道>と称される<日本の芸術>と同様にある。 それは、このような観点に立つと、見えてくる<事柄>による。 <江戸四十八手>は、性的絶頂の快感に導かれる、<整合性>の認識のために、 <男女という緊密な結び付き>及び<性器の触覚と性的官能>を高揚させるために、 その<多種・多様>にある、<体位>という<様式>が考え出されたことである。 <多種・多様>にある<様式>は、<自然感>をあらわすことにあるからである。 <対象を得た性的官能は、掻き立てられ、燃え上がり、高ぶらされて、 ついには、抑え切れない、性欲の開放へ到達することで、始まりと終わりを完遂させる、 これ以上の快感はあり得ない、という整合性の満足感をもたらして>。 この人間の感覚の必然的過程にあることは、<整合性>の完遂ということが、 人間の心理にあって、最も重要な<要因>となっていることを示唆される。 <江戸四十八手>は、 <整合性>と<自然感>が結び付いてあることの<同一性>を示すのである。 この<意義>が<体位>の<多種・多様>だけを眺めていただけでは、 注意を促される<事柄>としてあり得なかったとしたら、 <縄による緊縛>は、それを明らかとさせることがある、ということである。 楡畑雄二の絵画表現に、<縄>が描かれてあるかないか、ということである。 <江戸四十八手>には、<理非知らず>という<体位>がある。 これは、本来は、女性の両手と両腿を<縄>で縛って行うものとされている。 両手を前縛りにされ、両膝を折り曲げて縛られ、前屈みとさせられた姿態にある、 女性の晒される陰部が責められる交合というありようは、 奉行所で行われた、海老責めという拷問の姿態から想起されたことであるのは、 <道理にかなうかどうかわからない>という名称にあらわされている。 江戸から明治への変遷にあって、不要とされた<捕縄術>の官から民への移行は、 性的行為をあらわす、<縛り>ということで継承された、と見ることができるとするならば、 性的行為をあらわす、<江戸四十八手>は、民に知られていた事柄にあれば、 <理非知らず>が<縛り>の<模範>と成り得たことにあったとしても、不思議ではない。 <江戸四十八手>と<捕縄術>の結び付きがあった<可能>を言いたい理由は、 <江戸四十八手>において、ひとつの<体位>と<技法>という意義で、 すでに、<縄による緊縛>が表現可能な事柄として存在した、という事実である。 <加虐・被虐>という<拷問>ではなく、 ましてや、<西洋の性の学術>に依るものではなく、 <男女という緊密な結び付き>及び<性器の触覚と性的官能>を高揚させるために、 <縄による緊縛>が<性の体位>の<様式>として存在していた、という事実である。 これは、些細な事実である。 <SMの概念>で一括されて評価されてしまえば、 <日本の処刑・刑罰史>が<SMの表現史>ということで終わってしまうのと同様である。 つまり、<加虐・被虐>をあらわす事象であれば、すべて、<SM表現>であり、 それ以上の事柄にはない、という<絶対性>に置かれることである。 しかしながら、<道理にかなうかどうかわからない>と称されていることは、 <縄による緊縛>の<体位>が<道理>にあるとは見なしていない前提にあって、 にもかかわらず、その<体位>が導く、<性の開放>という快感の絶頂は、 <どうかわからない>という認識を教えることにある、と見ることができると、 この些細な事実は、大きな意義を持ってくることにある。 すでに、江戸時代に、<四十八手>の<性行為>として<様式>とされていた、 <縄による緊縛>にあるならば、 <SMの概念>へ準じたことは、ただの<模倣・追従・隷属>に過ぎないことであって、 その<本筋>から、<ひねる・ねじる・よじる>を行えば、 日本民族の固有の<表現>が目的をあらわすありようへ、 自然に導かれることがあり得ることが示せる、ということにある。 <縄による緊縛という結びの思想・四十八手>は、 そうした意図によるものである。 (2011年2月27日 脱稿) |
☆13.縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (1)〜(4) ☆11.縄の実在論 ひねる・ねじる・よじる ☆縄による日本の緊縛 |