13.縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (1)〜(4) <理非知らず> 借金返済で弁護士に相談



縄による緊縛という結びの思想・四十八手

(1) <理非知らず>



女性は、全裸の姿にあって、<縄>で両手を前縛りにされていたばかりか、
両膝を折り曲げられて縛られ、前屈みとされた姿態へ置かれていた。
江戸時代の拷問で言うところの海老責めの格好に似て、
陰部は、これ見よがしとあからさまにさらけ出され、
責められるのを待ち受けさせられるというありさまにあった。
同じく全裸の男性の反り上がった陰茎が濡れそぼった膣へ挿入されると、
緩やかに、次第に、激しく抜き差しが繰り返されて、
男女という緊密な結び付きは、性器の触覚と性的官能を高揚とさせ合いながら、
性の開放という快感の絶頂を目指して、精進していくありさまがあらわされた。
対象を得た性的官能は、掻き立てられ、燃え上がり、高ぶらされて、
ついには、抑え切れない、性欲の開放へ到達することで、始まりと終わりを完遂させる、
これ以上の快感はあり得ない、という整合性の満足感をもたらして、
性器と性的官能の合致を果たすのである。
<江戸四十八手>にある、<理非知らず>という<体位>における、交接である。

<理非知らず>とは、<道理にかなうかどうかわからない>ということであるが、
別称を<理知らず>とも言われたことであれば、<道理を知らない>、
つまり、<人として行うべき正しい道がわかっていない>ということであるから、
<強姦>を表現していることにある。
<性の体位の四十八手>という<様式>のひとつとして、
<強姦>を掲げるのであるから、相応の意義があらわされていないと、
人間の倫理ある、<性の様式>全体が荒唐無稽と化してしまうことになる。
<人間の倫理ある性の様式>と言える理由は、
その<多種・多様>に示される、対面男性上位、対面女性上位、
対面座位、対面側位、対面立位、後背男性上位、後背女性上位、
後背座位、後背側位、後背立位、十文字交差、逆向き、
といった<体位>があらわす男女の姿態において、
男性と女性は、平等の位置付けにあることが明白に示されていることにある。
互いは、社会的にどのような位置付けにあろうとも、
生まれたままの全裸となった男性と女性にあって、互いの存在は、
これ以上の快感はあり得ない、という整合性の満足感がもたらされるために、
性欲の開放へ到達することの目的を果たさせる生き物としてある、
それは、人間が生まれてきた理由であり、生きていく理由であり、
種族の保存と維持のために、過去を未来へ継承するという行為である、
という人類の創始以来の必然のありようがあらわされていることである。
このような<人類の創始>の自覚をあらわした、<性>の認識を<ひねり>、
<性の体位の四十八手>という<ねじり>を通して、<様式>へと<よじらせた>、
という日本民族の<原初の知覚>よる<結びの思想>の具現のひとつにある。
従って、<理非知らず>の<縄による緊縛>は、
<縄>に<意義>を見い出すということがあり得なければ、
ただの<縄の拘束>にある交接は、<強姦>という<虐待>のありようでしかない。
縄文時代以来、連綿と継承される、<因習>において、
<縄>に<意義>を見ることのできる、日本民族の思考活動にあっては、
<理非知らず>は、
<強姦>を<擬似>する事柄として見ることの可能が示されることであり、
その<縄による緊縛>のありようも、
性欲の開放へ到達することの目的を果たさせるものとして示される。

<江戸四十八手>には、<縄>が用いられる、もうひとつの<体位>がある、
<だるま返し>と称されている。
仰向けにした女性の両太腿を<縄>で閉じ合わせて縛り、
折り曲げさせた両脚を上げて抱きかかえ、浮かばせた尻に交接する。
この場合の<縄>は、両太腿をぴたりと閉じ合わせることができれば、
用いなくともよい、とされていることは、<理非知らず>にあっても同様のことで、
<体位>は、<縄による緊縛>という<擬似>の姿態をあらわすことになる、
実際に、<縄>で縛られていなくても、
<縄>で縛られているありようと同然にある、ということである。
この<擬似>の姿態については、 <首引恋慕>という<体位>にあっては、
両脚を伸ばして座った男性と向かい合わせに女性が腰を下ろして、
輪にしたひとつの紐を双方の首へ掛けて交接するというありようから、
<心中>を<擬似>していることは、名称からも察せられる事柄としてある。
<強姦>や<心中>を<擬似>することを<様式>へと昇華させていることである。
<擬似>を創出させる想像力が性的官能の高揚のために用いられていることにあるが、
<体位>と<擬似>の関係は、表裏の九十六態のすべてにまで及ぶ、
その名称があらわす、<比喩表現>として、
自然の事象、他の動物の生態、生活の形態などをあらわすものとしてある。
<性の体位の四十八手>が<様式>となって昇華されているありようは、
九十六態という<多種・多様>にあるばかりのことでなく、
この<比喩表現>の<多種・多様>のあらわれにも見ることができる。
日本民族の<自然感>である、
<ありのままにないこと>を<調和>すると感覚することが働いている。
ここから、<江戸四十八手>が創出された目的を見ると、
それは、<性の体位>の<多種・多様>という<変化>を示して、
性と性的官能を高揚とさせて、性の開放の満足を求めるだけではなく、
<多種・多様>という<変化>の行為を通して、広範に、深遠に、高邁に達する、
<認識>を得るためにあることが示唆される。
その<認識>とは、<人間存在の本質の認識>といった、
<芸を修業して、最上を表現することで、人間を知る>、
という<日本の芸術>を意味する、<芸道>としてのありようである。

<江戸四十八手>が<芸道>をあらわすものにあれば、
<縄による緊縛>とは、<芸道>である<武術>のひとつとして位置付けられる、
<捕縄術>からの<自然にある展開>と見なすことができると、
<芸道>として、<人間存在の本質の認識>が目的とされる表現にあることは、
<本筋>である、と至らせられることにある。
これは、<縄による緊縛>を<加虐・被虐>の<猥褻な事象>として見ているだけでは、
立ち現われ難い事柄であることは、
<江戸四十八手>を<猥褻な事象>として見ているだけでは、
<芸道>を示唆することを感じ難いことにあるのと同様である。
それらは、ただ、<猥褻な事象>に過ぎない、と見なしてしまえば、
それ以上の<意義>をあらわすこともないことにある。
性的官能は、常時、活動しているものにあることを意識している心理にあれば、
<猥褻な事象>という<社会的な定義>という以前に、
<江戸四十八手>や<縄による緊縛>は、
<自然な事象>としてあり得るということである。
これを<自然な事象>と感覚しても、<社会的な定義>が<倫理・道徳観>から、
<猥褻な事象>という<悪>の位置付けが行われた場合、
<相反・矛盾・軋轢>の心理へ置かれることは、当然の経過となる。
ましてや、<日本人>は、猥褻な事象を自然な事象と見なす、
文明・文化の遅れた後進国家にある、未開民族のようなもの、
と自己を卑下して考えるようなことにあれば、必然的な経過となる。
明治の<近代化>以降にあって、<芸道>の存在理由は、
<玄人の趣味>以上の事柄にはあり得ない、とする見方に成り変わったことは、
<西洋の学術>へ根拠を置いて、<芸術>の本質論を問うことをすれば、
<芸を修業して、最上を表現することで、人間を知る>ということは、
<芸を修業して>という、言わば、<手による技術>へ重点が置かれることで、
<人間を知る>ということをあらわすための芸の文献等の希薄な状況は、
<最上を表現すること>をただ<感覚的なもの>とさせてしまうのである。
<芸道>の当事者による文献、<真髄>をあらわした<言語表現>の希薄は、
<日本の芸術>には、確固とした哲学も美学も心理学も希薄と映らせて、
<感性があらわす芸術>という評価で踏みとどまらせてしまうことにある。
ましてや、<猥褻な事象>である<性と性的官能>を<表現>に見ることなど、
その価値を貶めることにしかならない。
確固とした哲学も美学も心理学も、明確な言語表現とされない成り行きは、
<西洋の学術>を模範・規範として、
<日本の芸術>は成立するまでに至らせられることになる。
それに反発する見解や思想があったとしても、
<模範・規範>が<西洋の学術>にあることならば、
偏狭な<民族思想>にあるか、固陋な<伝統思想>にあると見なされることは、
<感性があらわす芸術>では、
<感性>以上の事柄が評価し難いことがあらわされていることにある。
<縄による緊縛>にあっても、<感性>以上の事柄が見い出せなかったこと、
<縄による日本の緊縛>の存在理由を明確とした<言語表現>の希薄なことが、
無批判の<西洋の性の学術>の<模範・規範>へ準じさせたことにある。
<日本の感性>、これは、当然に、<原初の知覚>のあらわれである。
しかし、<日本の感性>だけで、<芸道>が成立するわけでもなく、
<宣伝文句>にあるならともかく、<日本の芸術>の存在理由をあらわすことでもない。

<縄による緊縛>が<捕縄術>を<本筋>とした<芸道>の継承にあることだとしたら、
<芸を修業して、最上を表現することで、人間を知る>という、
<人間存在の本質の認識>が目的とされる表現にある、ということになる。
この場合、<捕縄術>の存在理由にあった、
<宗教性>が欠落していることがあったとしても、
<芸道>という<本筋>を見誤ってある、ということにはならないことは、
<縄による緊縛>が表現する、<形態>と<事柄>に依存することである。
ただの<縄の拘束>にある交接は、<強姦>という<虐待>のありようでしかない、
という<加虐・被虐>の<表現>が意義されるだけの事象では、
それは、あらわし得ないということにある。
<理非知らず>にあって、<擬似>の<縄>がその姿態のありようを如実とさせることは、
<縄>は、必要不可欠のものであることをその名称があらわしている、
<縄による緊縛>は、<人として行うべき正しい道ではない>ということである。
にもかかわらず、成される行為の理由は、
それが性器の触覚と性的官能を高揚とさせ合う可能があるからである。
女性は、生まれたままの全裸の姿にあって、一本をふた筋とした、<縄>を差し出された。
覆い隠すものひとつない、乳房も恥毛も晒された裸姿に、羞恥の思いを募らせたが、
眼の前へ立つ男性にあっても、全裸の姿は、同様としてあることであったから、
高ぶらされる羞恥は、見せ付けられた、<ねじり合わされる動揺>によるものであった。
<縄>で縛られて自由を奪われる、そのように思っただけで、緊張した顔立ちは、
一気に火照り上がって、両手は、おずおずと身体の前へ持ってこられるのだった。
両手を合掌に合わせた、ほっそりとした両手首へ、<縄>が二重に巻き付けられて、
縄留めが終えられると、締められた感触が柔肌を通して伝えてくる感覚は、
胸の高鳴りを戸惑いさえ覚えさせられるくらいにさせるのだった。
男性は、抱きかかえるようにして、女性の腰を落とさせて、床へ座らせた。
それから、しなやかな両脚を揃えさせると、前縛りにした残りを使って、
双方の艶やかな太腿を閉じ合わせるようにして、<縄>を巻き付けていくのであった。
締め込まれるように縄留めがされると、両手と両脚を拘束されて繋がれた姿態は、
身動きを許されずに、床へ腰付きを落とさせて、尻餅をつかされる状態となった。
男性から、その緊縛の全裸の姿態を仰向けにされても、されるがままになるしかなく、
両膝を折り曲げさせられて、前屈みとされる姿態へ置かれるに及んでは、
陰部をこれ見よがしとあからさまにさらけ出される状況にあるほかなかった。
女性は、思わず、いやっ、とあらがう声をもらしたが、
羞恥のあまりの官能の高ぶりは、強引に犯されるという思いから、
膣を濡らせるばかりにあった、それを見やる、男性も、思いのままに犯すことから、
妖美なる深淵のありさまに、いきり立たせた陰茎から、蠱惑にきらめく糸を引かせて、
ふたりは、互いの思いをひとつにするように、見つめ合うばかりになるのだった。
思考不要の官能の世界へ、男性と女性は、誘われるばかりのことであった、
いや、<強姦>を<擬似>している、<理非知らず>にあれば、
<強姦>のように、有無を言わさず、やり遂げられることで、
互いの満足が見い出されることにあった。
このような思いから、考え出された<体位>であることは、
ここにある、<縄による緊縛>は、<加虐・被虐>を意義することがないからである。
では、この<擬似>から生み出される事柄とは、何であるのかと言えば、
<風情><風趣><興趣><風雅>といった語であらわされるもので、
<日本の感性>と称されてきた<事柄>にある。
<江戸四十八手>における、<理非知らず>という<性の体位>が示唆することは、
<縄による緊縛>の<性行為>は、<様式>としてあり得るばかりでなく、
<風情><風趣><興趣><風雅>を生み出す、
<性行為>として可能であるということである。



縄による緊縛という結びの思想・四十八手

(2) 『奥州安達ケ原ひとつ家の図』の象徴




月岡芳年の『奥州安達ケ原ひとつ家の図』を<象徴>と見ることの可能は、
それが<人間の全体性>を表現している、<日本の芸術>という存在にある。
<模範・規範>となる、<芸術表現の可能>が示唆されていることにある。
<人間の全体性>とは、人間の生存活動をあらわす、
四つの欲求―食欲・知欲・性欲・殺傷欲―の認識に基づいて、
七つの官能―視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・第六感・性的官能―という色合いを持って、
<表現>という可能が追求される、<創造>として示される事柄にある。
この<創造>において、<媒体>と<方法>を問わないことは、
<多義・多種・多様>にあってこそ、
日本民族の固有にある<表現>が成されるありようにあるからである。

日本民族の<自然感>は、
<ありのままにないこと>を<調和>すると感覚することが可能なことにある。
これは、<言語による概念的思考>が<整合性>を求めて活動することにおいて、
興味深い展開が示されることを示唆する。
<整合性>とは、<矛盾のないこと>であるから、
<調和>と感覚することは、<自然な状態>をあらわすことが<自然>と感じられる。
<自然な状態>を<矛盾のないこと>と同義として見ると、
<ありのままにないことを調和すると感覚すること>は、
<矛盾を調和すると感覚していること>になる。
では、その<矛盾を調和すると感覚していること>から生み出される<表現>は、
ただ、<不自然な矛盾>をあらわすものとしてあることになるのだろうか。
『安達ケ原の図』が如実とさせていることは、
その問題に、日本民族固有の展開の方法があり得ることを実現していることにある。
それは、その民族における者でなければ、見い出すことのあり得ない、
<原初の知覚>を発揮させた、<表現>としてあることである。
<ひねる・ねじる・よじる>という<結びの思想>が作用しているということである。
<日本の芸術>は、<風情><風趣><興趣><風雅>を生み出すという点から、
<感性があらわす芸術>という<見方>も可能なことにあるが、
<結びの思想>の点から見ると、更に、複雑な様相が立ち現われてくるものとしてある。
<西洋思想>の<遠近法>が導入される、明治時代以前の<日本の絵画>表現は、
その<媒体>を問わずに、全般に渡って、平板な印象をあらわす、
言わば、一枚の紙の上に、描出する対象を<並列>に置いてあるようなものとしてある。
この<奥行>を欠いた表現は、『安達ケ原の図』にも見られることで、
その<奥行>が欠如していることから、思考の上での<深さ>のない表現、
<感性>が主体となる表現と見ることは、<遠近法>の側から見る、<見方>である。
<遠近法>が前後の<奥行>をあらわす<直列>とするならば、
<日本の絵画>があらわす<奥行>の欠如は、<並列>を意義することにある。
この<並列>は、描写の<対象>をただ<並列>に置いているということではなく、
置かれた<対象>は、相互に、<結ばれる意義>を持ってある、
<結びの思想>が作用して、<比喩表現>があらわされるものとなっている。
<結びの思想>の作用とは、
異なるふたつ以上の事柄を結び付けるということであり、それを、
<ひねる>は、対象とする事柄を変えることが可能なものとして見えること、
<ねじる>は、対象とする事柄を変えられること、
<よじる>は、変化させた対象を昇華させられること、という現出とさせる、
異なるふたつ以上の事柄の並置は、それらとは異なる認識をもたらすことを実現させる。
これは、<正・反・合>という<弁証法>のありようとは相違するもので、
異なるふたつ以上の事柄の関係が<正・反>にあるとは限らないことは、
対象とする事柄の関係を<比喩>で結ばせることをするのである、
直喩・隠喩・諷喩・引喩・換喩といった用法にある、
<比喩>が<意義>を作り出すものとしてある。
<善・悪>という<正・反>の相対は、<神>の<合>にあって昇華される、
というような<正・反・合>の<弁証法>に思考活動が慣らされていると、
<善>であるか、<悪>であるか、明確に表現されない対象は、わかりにくいことから、
<快・不快>に基づいた<感覚的な判断>で、<対象>の評価が成される。

『安達ケ原の図』における、最も衝撃的な描写の<対象>は、
<若い妊婦>が<縄>で後ろ手に縛り上げられ、問答無用の猿轡を施され、
孕み腹を突き出させられた緊縛で逆さ吊りにされる、という<虐待>の様相にある。
衝撃的であって、その上、<若い妊婦>は、乳首と乳房もあらわな半裸の姿にある、
という扇情的なありように眼を奪われてしまうと、相対する<老婆>は、
ただの<残酷>をあらわすための引き立て役にしか映らず、
この絵画作品は、<残虐・悲惨・非情>を主題とした、<無惨絵>でしかない。
<若い妊婦>が<虐待>される<表現>は、相対する両者の対照を無視させて、
<不快>を感じさせる、<感覚的な判断>の対象にしかならないことは、
妊婦を虐待することは、<非道・外道・極道>にある、という認識へ至らせることでもある。
従って、<若い妊婦の虐待>という<部分>だけを絵画から切り取って、
そこに<意義>を見い出そうとするためには、
<非道・外道・極道>を超える<概念>の存在がなければ、
そのように<表現>することを<芸術>である、と述べることは、困難な事態にある。
ここに、<若い妊婦の虐待>は、<西洋の性の学術>に依れば、
人間存在として、性的に、当然として行われる行為にある、という立証があれば、
それは、<非道・外道・極道>には違いないが、
むしろ、<人間的な芸術にある>へ成り変わることができる。
絵画から切り取られた、<若い妊婦の虐待>は、写真撮影の写実表現を契機に、
ひとり歩きしていき、<西洋の性の学術>の<象徴>となり、
<若い妊婦>に施された、<縄による緊縛>も、
同様の<象徴>へと収まった、という経過が示されたことである。
だが、『安達ケ原の図』の<全体>がその<象徴>と見なされるというのでは、
その<誤謬>は、修正されなければならない、
その論考は、『☆<被虐美>という猥褻で恥辱のある表現』として示されている。
<部分>だけを切り取って、拡大に解釈される方法が生じた理由は、
<若い妊婦の虐待>の<衝撃>にあることは確かである、
それが性と性的官能を高揚とさせる表現にあったことも確かである、しかし、それ以上に、
芳年の<創造>が<全体>を把握させるには、<偉大>過ぎたことにある。
それは、<日本の芸術>において、稀有な<偉大>を表現していることにあるのは、
その<作品>を根拠として、展開のできる、<認識>があらわされていることにある。

『安達ケ原の図』における、<若い妊婦>と<老婆>の対照は、
<若い妊婦>は、ふたつの乳房もあらわな腰巻ひとつで、
孕み腹も生々しい半裸を後ろ手に<縄>で縛り上げられ、手拭いで猿轡をされて、
両足首を束ねられた緊縛で、天上から逆さ吊りにされているありさまにあり、
<老婆>は、その相手の姿を鋭いまなざしで見据えて、同様の半裸の姿で、
勇ましく立て膝をしながら、大きな包丁を研いでいる状態にある、
という<加虐・被虐>の表現されている情景である。
ここに、その情景があらわす、<物語>という背景を知らなければ、
<善・悪>の相対を読み取ることが難しいことは、
<若い妊婦>と<老婆>は、身に着けている着物に始まり、
身体のあらゆる部位、頭髪、眼・口・鼻の顔立ち、柔肌、身体付きにおいて、
すべてが対照をあらわすように描出されていることにある。
その対照とは、<若い>と<老い>であらわされる、
人間の<肉体>の存在を意識させられることにある。
両者には、それぞれに<比喩表現>をあらわすものがあると読ませられるのである。
<若い妊婦>が示す事柄は、<生>が意義する、
艶やかな黒髪、白さを放つ瑞々しい柔肌、なよやかな優美をあらわす女の曲線であり、
その焦点は、新しい子を宿した、<孕み腹>をもって、生々しく強調されている。
<老婆>が示す事柄は、<死>が意義する、
抜けた白髪、褐色に萎びた皺だらけの肌、骨と皮があらわす失われた女の残影であり
その焦点は、研いでいる<大きな包丁>によって、鋭利に強調されている。
この<孕み腹>と<大きな包丁>という焦点がひとつに結ばれることは、
際立った<対照>にある、異なる両者が並置されることで、
それぞれがあらわす<比喩表現>は、更なる<事柄>を浮かび上がらせることになる。
それは、妊婦の腹が包丁で切り裂かれる、残虐な<殺人>が行使される、
という<想像>によって、生み出されることである。
<ひねる>ものとしてある、<若い妊婦>と<老婆>は、
<孕み腹>と<大きな包丁>とを結び付ける<ねじる>を通して、
<殺人>を想起させられることで、<よじる>ものをあらわすのである。
ここで、<加虐・被虐>の<正・反>の相対が如実に示されていながら、
<善・悪>の存在が希薄なものとしてしか感じられなかったことは、
<意義>をあらわすことになるが、その情景の<物語>を既知していれば、
<老婆>と<若い妊婦>が実際の母娘であるという<因縁>から、
そこにある<善・悪>は、<宗教的認識>をもって、解釈されることになる。
しかし、その<物語>を知らない者にあっては、
<因縁>を超えた<事柄>に至る、<認識>を可能ともさせる。
それは、<若い妊婦>と<老婆>の相対があらわす<事柄>とは、
<四つの欲求>という、<生>と<死>の生存活動そのものであり、
それは、<善・悪>を超えた、<神的存在>の関与のない、
<人間そのもの>の認識があらわされている、という示唆である。
人間という動物存在にあっては、みずからの能力では、<無>にすることのできない、
食欲・知欲・性欲・殺傷欲が働くことで、<生・死>があり得る、という<認識>である。
<ありのままの自然>にはない、
<対照>を作り出していることからの<調和>の表現である。
芳年の<偉大>とは、この<表現>を可能としたことで、
そこから、展開のできる、<認識>があり得ることを示唆したことである。
『安達ケ原の図』の<象徴>とは、それを指すものである。
そのとき、<若い妊婦>を緊縛した<縄>は、単なる<拘束>を意味するものではなく、
<縄>を<整合性の象徴>と見ることの可能な民族にあっては、
芳年の表現した<認識>は、そのようにして、<縄による緊縛>があるからこそ、
導かれる<展開>へと結ばれるのだと実感させられることにある。
<縄による緊縛>が<捕縄術>を<本筋>とした<芸道>の継承にあることなら、
『奥州安達ケ原ひとつ家の図』の<全体>の把握は、
その<展開>を促すものにあることである。

一方で、<部分>に切り取られた<若い妊婦の虐待>にあっては、如何なものか。
<西洋の性の学術>の<象徴>となった経過において、
快美感の文学表現をあらわす、官能小説家へ至って、
『花と蛇』という作品の未完の最終、<被虐の終章>において、
見事に、満開に花開かせることになるのである。

……………
千代はそういって部屋を出ると、
静子夫人が一人閉じこめられている地下の牢舎へ向かった。
牢舎の中に一人ぽつねんと坐りこみ、
静子夫人は凍りついた表情でぼんやり一点に視線を向けている。
 千代と順子が、如何、本日の気分は、と笑いながら鉄格子の間からのぞきこむと
素っ裸の夫人は白い柔軟な両腕を胸の前で交錯させ、
柔らかく翳った睫を哀しげにしばたかせながら千代に視線を向けるのだった。
「黒人とぴったり呼吸も合うようになったようね。
ショーまであと三日なんだから、一層御自分のそれに磨きをかけてがんばって頂戴ね」
 千代がそういって笑うと、夫人は黒髪のおくれ毛が一筋二筋はつれかかる
端正な頬を急に歪めてシクシク泣き出したのである。
「あら、どうしたの、奥様。急に泣き出したりして」
 千代はとぼけた口調でいうのだが、夫人はどうしたのか、
鉄の檻に美しい額を押し当てて奥歯をきしませながら肩を慄わせるのだった。
「千、千代さん。私、私……」
「どうしたの、はっきりおっしゃいよ、奥様」
「私、赤ちゃんが出来たの」
 静子夫人が嗚咽にむせびながらそういった途端、千代は、
「まあ」
 と、眼を輝かせ、
「ほんとなの、ね、ほんとに赤ちゃんが出来たの」
 千代は全身を揉み抜かれたような痺れを感じて声を慄わせた。
 静子夫人が泣きじゃくりながらうなずいて見せると、
千代は踊り出さんばかりに狂喜する。
「そうなの、赤ちゃんが出来たの。すばらしい事じゃない」
 千代が甲高い声で笑い出した時、
川田と医師の山内が地下道を歩いてこっちへやって来た。
「ね、奥様に赤ちゃんが出来たってのは本当なの、山内先生」
 千代が山内の手をとらんばかりにしていうと、山内は微笑しながらうなずいて、
「間違いありません。一週間ばかり前から月のものが止まったので
今朝珍察したのですが……」
奥様は間違いなく懐妊されています、というので千代は顔面一杯に喜色を浮かべ、
「よくやって下さったわ、山内先生。
これで私の念願は全部叶えられたという事よ。充分にお礼をさして頂きますわ」
 といい、牢舎の中ですすり上げている静子夫人に対しては、
「何も奥様、泣く事はないじゃありませんか。
これで奥様も一人前の女になったという事よ。可愛い赤ちゃんを生んで頂戴ね」
 と、はずんだ声を出した。
「そろそろニグロとショーの練習をする時間なんだ」
 川田は鉄格子にかかっている南京錠に鍵を差しこんだ。
「さ、出て来な」
 川田に声をかけられて夫人は指先で涙をそっと拭いながら
檻の中より腰をかがめて出て来る。
 乳色に輝く上背のある裸身を夫人がそこに立たせると
川田は肩に担いでいた麻縄をとって背後に近づいた。
 すると夫人はもう催促されるまでもなく、
乳房を覆っていた両手を解いて背中へ廻すのだ。
 川田は夫人の背の中程で重ね合わせた白い手首に
キリキリと麻縄を巻きつかせていき、
「生まれて来る子供のためにも今のうちにみっちり稼いでおかなきゃあな」
 というと、千代も続けて、
「そうよ、お産の費用から赤ちゃんの養育費、
すべてはここで稼ぎ出さなきゃならないのよ。そうでしょ、奥様」
 と、哄笑し、川田の手で後手に縛り上げられていく
静子夫人の絹のように柔らかい繊毛を掌で撫でさするのだった。
「わかった、奥様」
「ええ、わかってます、千代さん」
 象牙色の冷たく冴えた夫人の頬に一滴の涙が流れ落ちる。
「さ、ニグロの部屋へ行くんだ。歩きな」
 川田はがっちりと後手に縛り上げた夫人の背を手で押した。
 川田に縄尻をとられ、
千代と順子に左右を挟まれた形で静子夫人は地下道から階段を上り、
ジョーとブラウンの待ち受ける部屋に向かって歩まされていく。
 庭に面した廊下を歩む夫人の柔媚な頬に
木の葉をそよがせて吹いて来る風が柔らかく触れた。
 夫人は優雅な美しい顔をそっと上げ、哀愁の色を帯びた翳りのある瞳で
青い空に流れて行く白雲を見上げるのである。
 ふと、足を止めて青空を見上げる夫人の表情は
汚辱も屈辱も羞恥も洗い流したような清らかさに輝いている。
「来年の今頃には、もう静子に赤ちゃんが出来ているのですわね、千代さん」
 静子夫人は今、不思議な位に澄み切った気分になっている。
「そうよ、きっと来年の今頃は
赤ちゃんにお乳を飲ませる奥様を私達は見られるでしょうね」
 千代は川田と顔を見合わせて笑い、
「さ、ジョーとブラウンがお待ちかねよ。
感傷に浸るのはそれ位にして早くお歩きよ」
 といい、夫人の官能味を盛り上げた美しい双臀を平手で軽く叩くのだった。
(団鬼六 著)

それから、臨月を迎えた、絶世の美女、静子夫人は、
生まれたままの全裸の姿にあって、麻縄で後ろ手に縛られていた。
黒ずんだ乳首と乳輪になっていたが、ふっくらとしたふたつの乳房は大きくなり、
いや増しの麗しさを漂わせていた、しかし、それにも増して、
はちきれんばかりに膨らませた白い腹の艶やかさは、
その孕み腹を強調されるように、挟むようにして上下から幾重にも掛けられた縄で、
太腿の付根にのぞかせる、絹のように柔らかい繊毛さえもいじらしくそよがせて、
まわりで見守る誰の眼にも、艶麗な美術品のように映らせるのだった。
緊縛された妊婦は、醜女の千代に縄尻を取られ、引き立てられるようにされながら、
しずしずと優雅を漂わせて、地下で催される秘密ショーの舞台へ歩まされていく。
その真摯な姿には、被虐へ悟りを花開かせ、被虐に晒されることで陶酔を表現させる、
菩薩へ変身したとさえ評される、静子夫人の自負を感じさせるものがあった。
裸一貫で稼ぎ出す、被虐をあらわす妖美が淫靡に残酷に放たれる出し物、
それは、伊藤晴雨に始まる表現とされる、
<緊縛された妊婦の逆さ吊り>である、と想像させるものだった。



縄による緊縛という結びの思想・四十八手

(3) 縄による緊縛における<言文一致>




<言文一致>は、日本の場合、1866年の前島密の提唱に始まるとされる、
思想や感情を自由で的確に表現するために、
書き言葉の文体を話し言葉へ近づけるための主張と文体の改革運動としてある。
この運動は、<表現の可能>ということにあっては、終点を持たない、
現在も継続している事柄としてある。
<縄による緊縛>における、<言文一致>は、
月岡芳年の『奥州安達ケ原ひとつ家の図』を象徴として、
1885年に運動が始まったことである。
これも同様に、現在も継続している事柄としてあることは、
『安達ケ原の図』に示される、<人間の全体性>の表現にあって、
生の象徴と言える、<妊婦>においてさえも、
<縄による緊縛>が表現を可能とさせる事柄は、
性と性的官能の事象に対して、<縄>は不可欠の意義をあらわすものとして、
<性と心理>の認識の問題に、考察を展開させるものとしてある。

『安達ケ原の図』の<緊縛された妊婦の逆さ吊り>は、
<因習>の表現として見れば、
フェリシアン・ロップスの『☆聖アントワーヌの誘惑』(1878年)に典型として示される、
<西洋思想>があらわす、<若い処女の十字架のはりつけ>と同様の事柄にある。
ロップスの絵画表現も、その観点から始めれば、
民族固有の重要な認識のあらわされていることにあるが、そこからの考察の展開は、
<西洋思想>の導き出す問題にある、<日本民族>の問題にあっては、
<緊縛された妊婦の逆さ吊り>は、切り取られた<部分>の事柄である以上、
それは、<因習>を見させることを可能とさせるが、それが答えとはならない。
<十字架>の象徴とは異なり、<逆さ吊り>に象徴が示されることはなく、
<妊婦が縄で緊縛される>という事柄において、<本質>があることによる。
<逆さ吊り>は、<縄による緊縛>においては、
<縄掛け>が表現させる、ひとつの<形態>にあることでしかなく、
<十字架>へはりつけられる<妊婦>というありようは、象徴をあらわさない。
従って、生まれたままの全裸へ妖艶な刺青を施された絶世の美女、
静子夫人が縄で緊縛された姿で馬に乗せられ、引き回されて見せしめられた後、
十字架へはりつけられた晒しものとなる、という<映像表現>などは、
被虐へ悟りを花開かせ、被虐に晒されることで陶酔を表現させる、
という<西洋の性の学術>へ隷属をあらわすばかりか、殉教を示す表現にあることは、
両脇の十字架へ磔刑とされた、若い全裸の女性がふたり、血を流している様相は、
ゴルゴタの丘における、イエスと罪人ふたりの処罰を模していることはあからさまで、
その妖美とする場面は、キリスト教の<伝道表現>を伝えるものにしか映らせない。
もっとも、原作の『花と蛇』にしても、登場人物の千原美抄江と折原珠江にあっては、
淫靡な被虐に晒されるあまり、自殺を図ろうとする美抄江に対して、珠江は、
「お嬢様は私と同様、キリスト教信者ではありませんか。
御自分の意志で命を断つなんてことは神に抗うことです」
と言って思い留まらせることをするが、命を繋ぐということは、被虐へ悟りを花開かせる、
<西洋の性の学術>の認識という<救済>が結論である、しかも、美抄江は、
<華道>の家元の令嬢にあることは、ひとつの<芸道>の滅びをも示唆される。
『花と蛇』を<懺悔書>と見るしかないことは、<性>の展開がないことである。
その未完の小説の最終場面から、想像の展開を許されるなら、
このように結末をつけるものでしかないと言えることにある。

縄で緊縛された妊婦は、醜女の千代に縄尻を取られ、引き立てられるようにされながら、
しずしずと優雅を漂わせて、地下で催される秘密ショーの舞台へ歩まされていく。
その真摯な姿には、被虐へ悟りを花開かせ、被虐に晒されることで陶酔を表現させる、
菩薩へ変身したとさえ評される、静子夫人の自負を感じさせるものがあった。
裸一貫で稼ぎ出す、被虐をあらわす妖美が淫靡に残酷に放たれる出し物は、
暗闇を埋め尽くした観衆の熱いまなざしとむせ返るひといきれを舞台の方へ誘わせ、
緞帳が引き上げられるのを今は遅しと高鳴らせる鼓動で数えさせていた。
タキシード姿の川田が舞台のそでにあらわれて、口上を申し述べると、
緞帳が光の帯を横一線とさせて、まばゆさを増しながら、たくし上げられていった。
あらわれた光景には、熱く爛れたどよめきが賞賛の言葉となって応えた。
絶世の美女、静子夫人は、生まれたままの全裸の優美な姿態にあって、
臨月を迎えた妊婦姿を堂々とした白木の十字架へはりつけられていた。
ほっそりとした両腕を左右へ広げさせられ、華奢な両手首を縄で縛られ、
直立とさせた姿態のしなやかに伸ばさせた両脚を台に立たせて、足首を拘束されていた。
黒ずんだ乳首と乳輪になっていたが、ふっくらとしたふたつの乳房は大きくなり、
いや増しの麗しさを漂わさせていた、しかし、それにも増して、
はちきれんばかりに膨らませた白い腹の艶やかさは、
太腿の付根にのぞかせる、絹のように柔らかい繊毛さえもいじらしくそよがせ、
見守る誰の眼にも、艶麗な美術品のように映らせるものがあった。
静子夫人は、被虐に晒される身上に、美しい顔立ちを恍惚とさせた表情で紅潮させ、
ままにならない姿態を妖しく身悶えさせながら、淫靡をひたすらに喜びとさせている。
その姿には、菩薩にない、神々しさがあらわされていると感じることができるとしたら、
両脇に立つ十字架へ優美な全裸の姿態をはりけられた、きらめくロザリオを胸にする、
千原美沙江と折原珠江の静子夫人に負けず劣らずという恍惚の媚態をあらわす姿が、
官能の絶頂へお供する、被虐の奴隷の贖罪を漂わせていることにあった。
キリスト教徒の介添えは、静子夫人の変身の立証だった。
その変身は、被虐にあることの法悦を民族の民が自覚するための復活、
最後の審判という大東亜戦争敗戦後の再生である。
静子夫人の十字架の元には、その復活こそがその者たちの救済をあらわすように、
生まれたままの優美な全裸を縄で高手小手に縛られた、男女が群がりすがり寄っていた。
遠山桂子、野島京子、野島美津子、村瀬小夜子がそれぞれの膣に、村瀬文夫が肛門に、
淫靡な被虐にあるあかしとして、張形を突き立てられた姿態で悶えているのであった。
見守る者すべてに、復活の救済よ、あれ。
まことに、そうなりますように。
色事調教師・鬼源が残した記述には、このようにあるのだった。






東映映画 『花と蛇』 2004年


残された<記述>の真偽のほどは、考察の必要の求められることに当然あるが、
<縄>と<縄掛け>がすべてを物語るものとしてあれば、
<縄による緊縛>の優れた<縛者>に言葉は要らない、とすることは、
<芸を修業して、最上を表現することで、人間を知る>という<芸道>にあって、
<縄による緊縛>の<達観><真髄><奥義>について、
<模倣・追従・隷属>や<陳腐な独りよがり>のありようにはない、
真摯な表現として伝達される<文書>が残されるということは、
現在が過去と未来を結ばせるものとしてある以上、常に、望まれることにある。
その<文書>に<言文一致>の必要のあることは、
修業の成果をあらわす<芸>は、最上をあらわす<表現>において、
言語以上の<事柄>を示すことがあり得ることだとしても、
<芸>の<言>は、<文>に依って、可能な限り、記されることが求められる。
<日本の芸術>という<芸道>の存在理由は、
<芸>が表現されるだけで伝達が終了する、という段階には留まらず、
<縛者>は、<玄人の趣味>を満足させるためにある、表現者としてあるばかりでなく、
<人間を知る>ことの<表現>が何処まで可能かを示す存在にある、ということである。
それは、<容易な表現>であれば、<模倣・追従・隷属>も容易なことにあるが、
<縄>と<縄掛け>において、人命にまで及ぶ危険さえ孕む、<表現>にあることは、
<容易でない表現>には、<容易でない事柄>が示されるということにある、
それが<人間を知る>ということにあれば、
<人間を知る>ことは、展開させる、く認識>を導くものとしてあり得ることである。
<言文一致>が必要とされる理由は、ここにある。

<縄による緊縛>が<捕縄術>を<本筋>としていることは、
<捕縄術>は、<書き言葉>にあたり、
<縛り・緊縛>は、<話し言葉>に相当するものにある、という関係がある。
<縄による緊縛>の思想や感情が自由的確に表現されるためには、<縛り・緊縛>は、
<本筋>とする<捕縄術>とよじり合っての<展開>になければならない。
<捕縄術>が<縄掛け>の<四つの主旨>としていたことは、以下の事柄にある。
1.縄抜けができないこと。
2.縄の掛け方が見破れないこと。
3.長時間縛っておいても神経血管を痛めないこと。
4.見た目に美しいこと。
この<書き言葉>に従って、<話し言葉>を構成すると次のように考えられる。

1. 拘束の意義

<縄抜けができないこと>は、<縛者>が<被縛者>を<拘束>という、
自由のままならない身上に置くということである、
そこから、<縛者>は、<被縛者>を自由に取り扱うことの可能が生まれる。
<縄による緊縛>は、人間が人間を<縄>で縛る、という事象にある。
この行為がどうして存在して、何故必要であるかを問えば、
民族の<縄>の発祥以来、連綿と継承される、民族の<因習>にあって、
人間の性的官能を高揚とさせ、性の開放という絶頂へ向かわせる手段として、
<表現の可能>において、<方法の展開>が示唆される、と答えることができる。
<拘束>は、そのままにあれば、<暴力>をあらわすことでしかない、
<縄による緊縛>が<擬似>という<想像力>の活用を不可欠のものとすることは、
<表現の可能>において、<方法の展開>をもたらすことは、
その<表現>がどのようなものとしてあるかに掛かっていることにある。
<擬似>とは、本物によく似て、そっくりまねをすること、という意義にあるが、
<拘束>のあらわす<様態>は、その<様態>の<本物>に似せるということで、
その似せるための<想像力>が如何に発揮できるかということである。
<拘束>にある以上、縄抜けされるような<縄掛け>は、無意味であることでしかないが、
<擬似>が<何々ごっこ>と称されるような<ままごと>と同義となるか否かは、
<表現>される<様態>における、<拘束>の<様相>に依存することである。
<縛者>の<被縛者>の<拘束>は、性的官能を高揚とさせ、
性の開放という絶頂へ向かわせることが果たされて意義が生まれる、という所以である。

2. 縄掛けの方法

<縄の掛け方が見破れないこと>は、<縄掛けの方法>という意義にある。
その<方法>は、<拘束>が目的とする<擬似>の想像力にあって、
唯一の<方法>ということをあらわさない、<方法>とは、<多種・多様>にあって、
<拘束>の<多義>を<擬似>で<表現>できる<可能>としてある。
従って、<縛者>にあって、創出される<縄掛け>の<基本>は、重要な事柄であり、
その<展開>は、<基本>を作り出すことにすべて依存している。
<芸を修業して、最上を表現することで、人間を知る>という<芸道>にあって、
<基本>とは、修業するための<芸>そのものをあらわすことで、
<縄掛け>という<芸>は、他者へ<模倣・追従・隷属>して学ぶことはできるが、
その<基本>を<展開>させる<想像力>なくしては、
みずからのものとすることはできない、<被縛者>へもたらされる事柄もない。
<縄掛け>の<多種・多様>は、<種類の多少>で示されることではなく、
<被縛者>とよじり合う<緊縛の多少>であらわされることにある。
ただ、常習は慣れを生む、慣れは鈍感を招く、鈍感は<表現>を鮮明とさせない、
これは、性と性的官能にあって、<美>を現出させることの要因であるから、
<縄掛け>に求められる、<多種・多様>は、重要な考察の対象としてある。
それは、<多種・多様>にあっては、人命にまで及ぶ危険さえ孕む場合があることは、
<縄は、命綱から首吊りの縄までの使用があること>を常に想起させることである。
<縛者>にとって、<縄掛けの方法>を生み出すことは、
<被縛者>という存在をどのように認識しているかをあらわす、表象である。

3. 緊縛の本質

<長時間縛っておいても神経血管を痛めないこと>は、
<緊縛の本質>をあらわすものである。
人命にまで及ぶ危険さえ孕むという<縄による緊縛>にあって、
<縄掛けの方法>が有効であるか否かを立証する、<緊縛の本質>である。
<縄>と<縄掛け>の関係は、<言語>と<話法>の関係である、
<縄>と<縄掛け>は、<被縛者>へ<語り掛けるもの>としてあるということである。
<縄>そのものに<意義>を見い出す、民族にあっては、<縄>と<縄掛け>は、
<縛者>が<縄>を通して<被縛者>へ語るということであり、
<語り掛けるもの>が思想と感情をあらわすものとしてある。
<縄掛けの方法>が<縛者>と<被縛者>の性と性的官能を高揚させるということは、
ひねられた<両者>が<縄掛け>でねじられ、性の開放という絶頂へよじることであり、
<両者>がひとつになって、修業した<芸>の最上を表現するということにある。
ここに、性の差異が意味を成さないことは、
<縛者>と<被縛者>の関係は、男・女、男・男、女・女にあって、
相対する立場のいずれにあるかを問わない、老若の差異へ従うこともさせないことにある。
<縄による緊縛>は、<特定の概念>を<教育>させられる行為ではなく、
<多義・多種・多様>の行為を通して、<性>の<自由の認識>を求めることである。
それは、<縄>をどのように認識しているかのあらわれであれば、
<縄>に、<道具>としてある以上の<霊>を認めたとしても、
<多義・多種・多様>にあっては、自然な宗教性にあると言えることにある。

4. 縄掛けの美

<見た目に美しいこと>は、不可欠の存在理由を意義している。
<美のあらわされない縄による緊縛は、日本民族の芸道にあらず>。
<美>は、あらわれたときにその存在があるのではなく、
それを感覚する者がそこからみずからの<美>を知ることで、<美>として存在する。
<縄掛け>は、転変とした運動をあらわすものとしてある、
性と性的官能は、流動的な活動をあらわすものとしてある。
<ありのままにないこと>を<調和>すると感覚できる、日本民族の<自然感>は、
この転変と流動をねじり、よじり合わせる、結びの思想をもって、
並置する、異なるふたつ以上の事柄から、昇華された異なる事柄、
<美>を創出させるということを実現させるものである。
それを<被虐美>と呼ぶか、<緊縛美>と呼ぶかは、呼称の相違にしか過ぎない、
<呼称>がその<様相>をあらわす、<言文一致>が徹底されれば、
<縄掛け>の呼称は、その<美>の表現へ、限りなく近付くものとさせる。
<加虐・被虐>の<様態>がそれ以上の<様相>をあらわさずに、
<美>を認識させるものであるとされるならば、ここで言う、<美>は、
<加虐・被虐>の無意味をあらわして、初めて、示されるものである。
<美>は、限界を認識させる、知覚ではない、
<美>の創出は、知覚の可能を拡大・深化させるためにある。
これが最上とされる<縄掛け>は、最高とされる感覚にあって、
<美>は、更にそれ以上を求めさせると感覚したときにあらわれるものにある。

<性と性的官能>と<縄掛け>の関係は、<言>と<文>にある。
常時、活動している<性と性的官能>を如実とさせることのできる、
<縄掛け>にあれば、<文体>と呼べるその<意匠>の<多種・多様>は、
<言>という<性と性的官能>をこれまで以上に、
思想や感情を自由で的確に表現できることの可能を示唆する。
人間の<表現の可能>は、この<言文一致>により、
<縄による緊縛>が歴史的に表現するものとなることにある。



縄による緊縛という結びの思想・四十八手

(4) 全裸を後ろ手に縛られた母の像




『あるとき、私はその土蔵の二階の柱のかげに、真っ裸の母の姿を発見したのであった。
母は、身に一糸もつけない真っ裸のままで、うしろ手に括り上げられて悶えていたのである。
金網窓からさしこむ光の中で、日本髪をおどろに乱した全裸の母の姿は、
そっと二階の階段を上っていった私の眼の前に何の予告もなく見えてしまったのだ。
「あ……晃! こ、ここへ来たらいやッ、あっちへ……あっちへ行っててッ!」
板敷の上の、柱の根もとから長持ちのある壁のあたりまで、
濡れて溜っている水の糸が母のもらした尿だと判ったとき、
私は階段の上がりばなで、ブルブルと震えていた。
私はそのとき、錦村小学校三年生だった。』 
(美濃村晃 「縄をもった食客」 ☆絵画作品

昭和初年の一般家庭において、
<縄による緊縛>が行われていた事実を如実とさせる、価値ある記述であることは、
この<縛られた母の像>をトラウマの<幼少体験>として、その後の須磨利之は、
母から自立しようとする子がその<抑圧の象徴>から開放されるために、
<象徴>を消去するための創作を<母以外の女性>を対象として、
絵画・写真・文章・雑誌編集等に渡っての執着であらわさせたことだった。
創作の主題は、<ひとつ>だった、<縛られた女の像>である。
母ばかりではない、どのような女性にあっても、
身に一糸もつけない真っ裸のままで縛り上げられれば、晒される恥辱の姿態に、
自尊心は、悔しさから睨みつける眼差しをもって、嫌悪と抵抗を示すことはするが、
剥き晒しの羞恥の極みに置かれれば、高ぶらされるばかりの性的官能は、
女であることの快感を目覚めさせて、高邁な精神と下卑た肉体の葛藤は、
妖美に煩悶する姿を如実にさせるというものである。
これを須磨利之の<被虐美>と呼んで差し支えないことは、
<様式>にまで高められた、飽くことなき、<繰り返しの表現>に示されていることにある。
この<被虐美>の<様式>は、団鬼六における、創作の主題を<ひとつ>とさせて、
筋立ての<繰り返しの表現>は、登場人物と状況設定を変えるというだけで、
飽くことなき、執着の多作を見せるという結果を生ませている。
それは、ややもすれば、<紋切り型>という<固執・単調・陳腐>を漂わさせることにあるが、
そもそもがトラウマの<幼少体験>ということに原因があれば、止むに止まれぬ、
深層心理による立派な性表現であると言えることにあり、
その<被虐美>は、<加虐・被虐>の異常心理として、理解されるものとしてある。
従って、<SMの概念>が消滅してしまうことは、
<被虐美>の存在理由が失われてしまうことにある表現としては、
明治時代以降の同様のありようにある、すべての表現と一律の事情に置かれている。
一切の<加虐・被虐>を<SMの概念>という<一義>で理解する限りでは、
この事情は、避けることができないものとしてある。
<SMの概念>を根拠とする、<被虐美>の限界と言えることである。
しかしながら、日本民族における者である以上、
<被虐美>が固有の見方としてあることは、必然の事柄であって、
<縛られた女の像>さえあれば、<被虐美>であると見なす程度のことでは、
<縄による緊縛>があれば、<SM>としてきたありようと同様で、
<美>を創出する<意義>は見失われるばかりのことにある。
須磨利之が<縛られた母の像>に見たものは、
<SMの概念>とは無関係であった、と解釈することの可能があって然るべき所以である。
それを知るには、我々も、問題の<土蔵>の階段を昇ってみるしかない。

漆喰と木と瓦で建てられている<日本家屋>にあって、紙と木である障子と襖、
せいぜい、便所や風呂場の木戸といった遮蔽は、
<密室>をあらわすようなものにはなかった。
個人宅にあって、<土蔵>という存在が固有のありようを示しているのは、
その建物のあることがそこへ収納するだけの財産をあらわす、
威容としてあるばかりでなく、唯一とも言える、<密室>を実現していたことにある。
<密室>の必要は、善くも悪くも、<差し障りのある事柄>が行われることにあるが、
古来より、貯蔵することが目的の<土蔵>が最適の場所となってきたことは、
<蔵の中>という呼称表現が想起させることは、隠微な非日常的事柄である、
と同様に感じさせる事象にあるとすれば、民族的感性にあるとさえ言えることにある。
ひとりにひとつの<蔵の中>があって、不思議ではない、心理的<密室>である、
江戸時代までは、<拷問蔵>と呼称されて、過酷な刑事尋問が行われてきた場所であり、
人目をはばかる性的行為も、その一端を担ってきた、という歴史的<密室>である。
小学三年になる少年が怖いもの見たさの冒険心から、
<土蔵>に関心を寄せたことは、自然な成長過程のことであって、
ひとり、その二階へ上って、長持ちを探って見つけ出したものが、
半裸を縄で縛り上げられた女性が折檻される、
という歌舞伎の一場面を描いた錦絵であったことは、偶然とは言えなかった。
女性が折檻される場面は、責められる女性があらわす声音や様態が嬌態を滲ませることで、
交接時における女性の快感の妖艶を意識させるものがある。
そうした<錦絵>がその歌舞伎同様に人気があって、手広く印刷業を営み、
文化に関心の深かった、伯父が所有していたことがあったとしても、異常な趣味ではなかった、
ただ、<差し障りのある事柄>であるから、相応の場所へ収納していたというだけであった。
<異常>は、むしろ、静寂が漂い薄暗く湿った、閉塞感を強要される、<密室>にあった、
乱歩あたりなら胎内を想像させ、横溝なら禁忌の因縁を想起させる状況にあった。
従って、<密室>の隠微な非日常的雰囲気は、
<錦絵>の表現を残酷で恐ろしい事柄とさせて、いや増しに感覚させるものであったし、
縛られた半裸の女性の様態を激しい胸騒ぎを覚えさせるものとするに充分であった。
それは、そこに<ひとり>でいる、<自己>と面と向かわされる、という初体験であり、
<縛られた女の像>という概念が生まれたことであり、
ひとりにひとつの<蔵の中>を自覚させられる、始まりであった。
<土蔵>から明るい母屋へ戻り、思い返してみれば、他人には到底話すこともできない、
心の<密室>へ仕舞い込んでおくしかない、<異常>があることを知ったことだった。
だが、日数が経つに連れ、思い出す<錦絵>は、残酷な恐ろしさよりも、
<縛られた女の像>は、不思議と胸を高鳴らせ、対象を得て刺激される性的官能は、
頬を赤らませるくらいに、もう一度見てみたいという思いを募らせることにあった。
しかし、<土蔵>へ勝手に出入りすることを伯父に許されてはいなかった。
夫と死別して、実家の兄の元へ出戻りした母は、奔放な気性にあったが、
一家の長の言動には素直に従うという、美貌に恵まれた女性だった。
若くて美人であったことは、結婚以前から、多数の男性に言い寄られた存在でもあった。
その昔馴染みの一人と親密な交際を始めたことを伯父は気付いていた、
妹に対して、子供がいることを諭し、世間体もあることだから、
身持ちを崩すような振舞いは禁ずると厳重に注意していた。
だが、母は、一度ならずも、無断で外泊したのであった。
ついに、怒った伯父は、子供の手前もあることなので、
性根を叩き直すための仕置きとして、<土蔵>で、充分な反省の時間を与えたのであった。
そのような経緯を露とも知らない、少年は、母は今日も用事で出掛けたものと思い、
母屋には、伯父のいないことを幸いに、<土蔵>へ忍び込む願望を実行に移したのであった。
ひっそりと静まり返った蔵の中は、別世界へ入ったような薄暗い奥行の深さを感じさせて、
あの<錦絵>をまた見ることのできる思いで高鳴なる胸は、
一段一段を手探りのようにして昇る階段につれて、更に高ぶらされるものとなっていた。
そうして、階段の上がりばなまで来たときだった。
尋常ではあり得ない、現実が眼の前にあらわれたのである。
土蔵の二階の柱のかげに、真っ裸の母の姿を発見したのであった。
母は、身に一糸もつけない真っ裸のままで、うしろ手に括り上げられて悶えていたのである。
金網窓からさしこむ光の中で、日本髪をおどろに乱した全裸の母の姿は、
眼の前に何の予告もなく見えてしまったのだ。
「あ……晃! こ、ここへ来たらいやッ、あっちへ……あっちへ行っててッ!」
板敷の上の、柱の根もとから長持ちのある壁のあたりまで、
濡れて溜っている水の糸が母のもらした尿だと判ったとき、
少年は、ブルブルと震えていた。
母の悲鳴にも似た命令口調に、少年は、階段を下りて、土蔵を抜け出したが、
何処をどうして、母屋へ戻ったのか、まったく覚えがないくらいに、
衝撃的な<縛られた母の像>であったのだった。

その後、あのありさまの弁解を母から直に聞かされることはなかった。
伯父は極めて厳格な人物であり、母は独善的とさえ言える性格を感じられる年齢になると、
あの出来事は、行状の悪さに対する罰という折檻であった、と考えられるようになったことは、
学校でも、家庭でも、悪行に対しては、当然の罰が与えられる、という道徳があったからだった。
<縛られた母の像>とは、母が罰を受けた姿、ということでしかなかった。
だが、その<像>が意義を持つことになるのは、
少年の心の<土蔵>に収納された体験は、肉体の成長を伴った過程において、
固有な結び付きをもたらす、概念的思考となることにあった。
日本民族における者であれば、
<原初の知覚>に始まる<結びの思想>を働かせるということにあった。
肉体の成長は、印象深い<錦絵>を思い出すことで、陰茎が勃起することを自覚させた、
少年は、幼少から絵を描くことが得意であったことから、みずから、
その想像の<錦絵>の模写をすることで、再び見ることが可能になる満足を得ようとした。
しかし、印象として感覚している<錦絵>ほど、みずからの描く絵は、扇情的ではなかった、
描き方が稚拙であることは、歴然としていた、それでも、
それを克服しようと情熱を燃やして努力させるほど、<縛られた女の像>は魅力的だった。
やがて、それなりに見栄えのする表現が可能となったが、あの<錦絵>は、
想起させるほどの扇情がないことを改めて実感させる結果を生むだけであった。
いったい、みずからが<縛られた女の像>に感じている<扇情>とは、何なのか。
抱いたその疑問に答えを求めるとすれば、少年は、
それを知るために、もう一度、心の<土蔵>へ入らねばならないことにあったが、
<縛られた女の像>に関心を寄せることは、世間の常識からすれば、<異常>な事柄である、
間近に<母>が生活するという<尋常>の意識は、それを禁忌と思わせることへ働いた。
少年が答えを出すためには、親元を離れて自立し、
絵画で生計を立てる修業のために、弟子入りする年齢まで、待たねばならないことだった。
<芸を修業して、最上を表現することで、人間を知る>という<芸道>は、
日本画の習得に励む青年にとって、
<土蔵>の階段を確かな足取りで昇らせるための修業だった。

絵画制作の技術の向上に伴って、客観的に見ることのできるようになった<母>は、
<ひねられる>ということにあった。
<母>は、自尊心の強い、気位の高い、奔放な性格であった、
それは、美貌に恵まれていたことで、華を感じさせる存在感をあらわして、
子供の眼から見て、自慢のできる、美しい<親>にあった。
その<親>が身に一糸もつけない真っ裸のままで、うしろ手に括り上げられて悶えている、
という畜生同然の恥辱のありさまを目撃したことは、
無惨であり、悔しいばかりのことであると感じさせられたことは、確かだった、
<錦絵>の女性が放つ残酷で恐ろしい<淫猥>とは、比較のしようがないものであった。
だが、<錦絵>がもたらす<淫猥>を凌駕する、<扇情>の迫真があることも確かだった。
<母>に<扇情>を感じるなど、<異常>極まりないことに違いない、
しかし、絵のモデルになる<女>の場合、実際は<母>だとしても、
<乙女>として描かれるということがある、画家は、モデルに<女>を見るだけである。
<母>も、ひとりの<女>にあって、<女>に感ずる<扇情>ということであれば、
人間としてあることであれば、不思議でも何でもないことになる。
人間としてあれば、不思議でも何でもないことを、<母>は、<女>としてあらわしている、
それは、いったい、何か。
画家を修業する、客観的で冷徹な両眼は、
それを、板敷の上の、柱の根もとから長持ちのある壁のあたりまで、
濡れて溜っている水の糸がもらさせた尿であることに見い出すのであった。
抑えたくても、どうにもならない、人目をはばかる場合もある、人間の<生理>である。
<母>は、<母>である前に、ひとりの<女>であり、
<女>は<人間>という動物であることを<認識>させられることだった。
美しく、誇りにさえ思っていた、<母>が身に一糸もつけない真っ裸のままで、
うしろ手に括り上げられて悶えていたありさまは、
ブルブルと震えさせるほどの衝撃をもって、少年に<人間の認識>をもたらせたことだった。
<固有>にある<縛られた母の像>は、<ねじられて>、
<普遍>にある<縛られた女の像>へと変質することであった。
それは、青年が<男性>を自覚する、という成長のあらわれでもあった。
<縛られた母の像>が衝撃的な<固有の体験>に過ぎなければ、
その<幼少体験>は、生涯を通じての<ライトモチーフ>となることに違いない。
だが、日本民族における者にあっては、<原初の知覚>に始まる<結びの思想>が働く、
人間が<表現する動物>という存在にある以上、<ひねる・ねじる・よじる>をもって、
<固有>を<普遍>へ昇華させる、心理活動は、可能なことにある。
日本民族にあれば、いずれの者にあっても、創造性を発揮できる条件にあることは、
須磨利之にあっての<昇華>とは、
<普遍>にある<縛られた女の像>に依る<扇情>を<美>に高めることであり、
みずから、手にする<縄>で<よじる>ことをさせるものであった、
縄師、画家、文章家、写真家、雑誌編集者という多種・多様の表現のありようであった。
<女>は、<縄>で縛られなければならない、
それは、縛者の勝手放題を許すための<拘束>に置くためではなく、
<女>は、<縄>で縛られることで、<女>の<美>を如実とさせることにあるからである、
<縛られた母の像>は<縛られた女の像>へ昇華させられることで、
<被虐美>をあらわすことであり、<様式>と言えるものになることだからである。
この<芸術>を実現するために、<男性>は、<縄>を携えて、
<土蔵>の階段の一段一段を懸命な足取りで昇っていくのである、
上階には、生まれたままの全裸をあらわして待つ、<母>がいるのであった、
縛り上げられる<縄>で被虐に晒される<母>が、
妖美な<女>をあらわすさまを<最上を表現する>ものとして、
創作されるために。

その飽くことなき、<繰り返しの表現>に、
<固執・単調・陳腐>の<紋切り型>が感じられるとしたら、
<よじる>という<昇華>にまで展開させる代わりに、
<西洋思想>へ準じて、<SMの概念>へ依拠することで、
表現の存在理由を得ていることが<被虐美>の限界を如実とさせていることでしかない。


それを打破する示唆をひとつの素晴らしい彫像が示している。

☆アリスティド・マイヨールの<とらわれのアクション>


(2011年4月9日 脱稿)




☆13.縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (5)

☆12.<縄による緊縛>という<結びの思想>

☆縄による日本の緊縛