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10. <被虐美>という猥褻で恥辱のある表現




月岡芳年の『奥州安達ケ原ひとつ家の図』は、1885年に誕生した<絵画>である、
クラフト=エビングの『性的精神病理』は、その翌年の1886年に公けとなった<著作>である。
その<絵画>がその<著作>にあらわされた<サディズム・マゾヒズム>を根拠として、
描かれたものではないことは、時系列から見て、確実な<事柄>としてある。
従って、これから述べられる、その<絵画>に対する解釈がそれ以後にあらわれた解釈と異なるとしても、
<絵画解釈>に付き物の<独断と偏見>に陥ることはあっても、まったくの誤謬となることではない。
ましてや、その<絵画>に<サディズム・マゾヒズム>以上の<事柄>を見ることが出来なかった、
<趣味の偏向>とも批判できる、これまでの見識は、その<絵画>の価値評価を貶めることではあっても、
高めたことではないことは、日本絵画史における、<傑作>を見失わせた過失さえ問われることにある。
何故ならば、この<絵画>が<表現>している<本質的意味>は、日本の絵画史上においても、
二つと類例を見ることのできない、<事柄>があらわされているものだからである、
それは、哲学や心理学の根拠となってしかるべき、<象徴>の示されたものとしてあるからである。
絵画の解釈にあたっては、パノフスキーが提唱した<イコノロジー 図像解釈学>の方法概念である、
<第一段階 或いは 自然目的主題>―描かれた対象や色彩など、事物の表現の眼に見える段階、
<第二段階 或いは 因習目的主題>―絵画のあらわす心象や物語という寓意の段階、
<本質的意味 或いは 内容>―絵画の根底にある精神、文化、歴史の段階、
という過程を柔軟な適用で使用しているが、その理由は、この<絵画>に対しては、
すでに、<西洋思想>である<サディズム・マゾヒズム>による解釈の一般が<既成概念>としてあり、
それを払拭するためには、同様の<西洋思想>をもって、相殺させることが最善であるという意図に依る。
これによって、日本民族の眼前に、<猥褻>や<恥辱>や徒に誇張される<西洋思想>の虚飾なしに、
『奥州安達ケ原ひとつ家の図』が立ち現われることを望むものである。

 

<絵画>は、<言語>により次のように描写できるものとしてある。
場所は、日本家屋の室内である、天井は煤で黒ずみ、壁はひび割れて、
漆喰が数箇所に渡って大きく剥げ落ちている、柱にも酷い腐食があらわされ、開け放たれた出入口は、
木戸か障子が失われているほど老朽化していることが示されている、そこは、廃屋と言えるようだ。
廃屋であれば、通常、人が居住しているはずはないから、そこに人がいるというのは、<不審>である。
この場所には、<不審>があるという、ただならない不安は、そこに描かれている、
<不審>な場所にいる<不審>な<人物のふたり>を注視するように仕向けられる、
そこで、不安は、一気に恐怖へと逆落としにされる。
<不安・恐怖・怒り・悲哀>といった<感情>は、<喜び・楽しさ・笑い>といった外向性の<感情>に対して、
<心理>を内向性にさせる<意識>として働くものである、
常時活動している<性的官能>にあって、その<官能>の<所在>を如実とさせることになるのは、
<心理>を内向性にさせる<意識>として働く、という状態が作られることにある。
それは、<起因>となる<対象>と<意識>が結び付くことであり、
この場合、女性の<半裸の姿>という<事柄>がそれであり、
この<絵画>が<性的官能>を高ぶらせる<起因>を持ったということになる。
作者が人間の<感情>の働きと<性的官能>の活動に対する理解を持っていることがなければ、
決して作り出すことの出来ない、<設定>としてあることである。
何故なら、女性の<半裸の姿>という<事柄>は、<ふたりの人物>の<対比>をあらわしている、
その<対比>は、<相対化された対象>を明確に際立たせるように作られている、
<相対化された対象>が際立つためには、<性的官能>の如実は、欠くことのできない<事柄>としてあり、
<性的官能>が常時活動していることがあって<起因>され、
<言語による概念的思考>は、その<起因>に依って進められるということになる。
<対象>となる人物のひとりは、<若い>女性である。
その女性が<若い>と感じさせるのは、柔肌の雪白に輝く瑞々しさにあって、
髷を解かれて垂れた長い黒髪は艶やかで、
あらわとされた乳房も豊満に、薄紅色の尖らせた乳首も可憐でさえある、
その上に、突き出すように張り出せた、大きく初々しい孕み腹がその若さを確かなものとさせている。
若い妊婦は、手拭いの猿轡を噛まされて、その顔立ちを知ることはできないが、
眉をしかめて両眼を閉じさせた表情は、苦悶をあらわしていることに間違いがないことは、
<赤>の湯文字ひとつの半裸姿を縄で縛られて、天井の梁から逆さ吊りにさせられていることで察せられる。
まるで、捕獲された動物がこれから鍋にでもされる、といったありさまを髣髴とさせることは、
<縄掛け>が<拘束>だけを目的とした、無慈悲をあらわとさせていることにあり、
畜生扱いされた人間の状況として見れば、これは、<被虐>のありようでしかないことである。
<対象>となる人物のもうひとりは、<年老いた>女性である。
その女性が<年老いた>と感じさせるのは、くすんだ<茶>の着物の上半身を脱いだ半裸姿にあって、
骨と皮という老いさらばえて黒ずんだ肌に、しぼんだ乳首に皮だけという醜さのふたつの乳房が垂れ下がり,
禿げ上がった真っ白な頭髪と歯のないくぼんだ口もとは、どぎつい目つきと鋭い鷲鼻とあいまって、
死期を間近とさせたような老いた険しい形相をあらわとさせていることにある。
しかし、その姿からは、強靭な生の執念さえ感じられることは、
男性のように立て膝をしながら、大きな出刃包丁を大きな砥石で研いでいることにある。
老婆の鋭いまなざしの先にあるのが若い妊婦の顔立ちであれば、
その出刃包丁は、その相手に対して用いられる道具であることが察せられると、
それは、<加虐>のありようでしかないことになる。
<ふたりの人物>の<対比>は、<女性>という同性の<半裸の姿>ということを除いては、
湯文字と着物、柔肌、頭髪、顔立ち、まなざし、乳房、身体付き、
といういずれの<部位>において、色彩と形態が<対照化>されて描かれている。
この<対照化>は、床へ置かれた、水の張られた大きな桶の存在にも及んでいる、
妊婦がいれば、それは、当然、産湯となるべき<水桶>である、しかし、
囲炉裏から立ち上る激しい炎と煙は、その目的にはないことを出刃包丁と共に暗示させるのである、
ひとつの<事物>が<二重の意義>をあらわしているのである。
いったい何事が起こるのであろうかという不安と理由が不明であるという恐怖は、
ただ、突き出させられた妊婦の<大き過ぎる>孕み腹と老婆の研ぐ<大きな>出刃包丁とを結び付かせる。
若い妊婦の剥ぎ取られた着物が衝立に掛けられている整然さは、
この<情景>が<意図的な>成り行きであることを示しているのである。

『奥州安達ケ原ひとつ家の図』、というこの<絵画>の表題から、
能、人形浄瑠璃、歌舞伎に精通している鑑賞者にあっては、
この<場面>の<成り行き>を知っていることで、不安と恐怖は、高ぶらされた<性的官能>をもって、
迫真的な表現として描かれた、<無惨絵>であるという印象を持つことになる。
だが、その<成り行き>を知らない鑑賞者にあっては、
この<情景>は、単に<物語の一場面を描いたもの>に過ぎない、
ということを超えた認識を抱かせることになる。
この<相違>がこの<絵画>を皮相的に眺めさせてきた原因となってきたことは、
老婆の<加虐>と若い妊婦の<被虐>があらわされていれば、それは、西洋の<学術>にある、
<サディズム・マゾヒズム>が<表現>された<錦絵>と見なしたことにおいて、決定的であった。
<残虐な情景>が<表現>される<絵画表現>をおしなべて、
<サディズム・マゾヒズム>を根拠として見ていたら、
ボッシュやゴヤの<表現>は、浅薄な<どぎつさ>しかないものでしかない。
この<絵画>の題材というのは、、能では、『黒塚』、人形浄瑠璃や歌舞伎では、
『奥州安達が原』として知られているもので、<奥州安達ケ原の鬼婆伝説>に基づいている。
伝説とは、次のようなものである。
「昔、京都の公卿屋敷に<岩手>という名の乳母がいて、手塩にかけて、姫を育てていた。
あるとき、姫が重い病気にかかったので、易者に尋ねてみると、
妊婦の腹にある胎児の生き肝を呑ませれば治る、という答えが返された。
そこで、<岩手>は、胎児の生き肝を求めて、旅へ出ることにした。
しかし、妊婦の腹にある胎児の生き肝など、容易に手に入るはずのものではなく、
いつしか、奥州の安達ケ原にある岩屋までたどり着いていた。
木枯らしの吹きすさぶ、ある晩秋の夕暮れどきであった。
<岩手>が住まいとしていた岩屋に、
生駒之助と恋絹という名の旅すがらの若夫婦が宿を求めてやって来た。
その夜更け、身重であった恋絹は産気づいて、
生駒之助は、産婆を探すために岩屋の外へ走った。
<岩手>は、この時とばかりに、研ぎ澄ました出刃包丁を振るって、
陣痛に苦しむ恋絹の膨らんだ腹を切り裂いて、胎児の生き肝を取ることを果たしたが、
恋絹は、息絶え絶えの口で、
幼い折に、京都で別れた母を探して旅してきたが、とうとう会えなかった、と言って息を引き取った。
<岩手>がふと見ると、恋絹はお守り袋を携えていた、
それは、見覚えのあるお守り袋だった。
恋絹は、別れた<岩手>の実の娘であったのである。
真実に気がついた<岩手>は、余りの驚愕に気が狂ってしまい、鬼婆と化したのであった。
それ以来、宿を求めてやって来た旅人を出刃包丁を振るって殺害しては、その生き血を吸い、
いつとはなしに、<奥州安達ケ原の鬼婆>として、知れ渡っていくことになったのである。
数年後、宿を求めた東光坊という僧があらわれて、
鬼婆と対決し、如意輪観音を示して祈願した。
観音像は、空中高く舞い上がり、まばゆいばかりの光明を放ちながら、
白木の真弓で討ち取って成仏させた。
<黒塚>と呼ばれる、鬼婆の遺骸の埋められた場所が阿武隈川近くに、現在も残っている」
芳年は、その人形浄瑠璃を見て、創作の<着想>を得たとされているが、
その<絵画>も、また、<想像>によって描かれたとされている。
この<絵画>が<想像>によって描かれたものであるということは、極めて重要な<事柄>としてある。
それは、余りの<どぎつさ>のある設定に、
<モデルを用いて創作することが不可能であったこと>が理由ではないからである、
芳年は、写生を重んじていて、斬首された生首や戦場の屍を写生に行ったとされている。
従って、この<絵画>には、<想像力>が全面的に用いられて創作されたことは、
芳年の<想像>とは、<洞察>として<本質的意味>を把握した、と理解できることにあるからである。
その<本質的意味>とは、<人間の全体性>を<洞察>したことで、
これは、<想像力>においてのみ達成できる、優れた絵画表現者の<幻視>である。
にもかかわらず、後年の伊藤晴雨の挿話などは、
この<想像力>の重要性を反故にさせたことは、明らかな過失にあると言える。
晴雨は、妻に勧められて、芳年が本当に妊婦を吊るしたかどうかを確かめるために、
妊婦である彼女を吊るして実験し、写真に収めたのである。
そこから、芳年は写生していないという事実を判明させて、芳年の弟子にそのことを話した、
弟子は、師匠が写真を見たら大変喜ぶだろうと答えた、ということである。
<現実性>ということを<写生>に求めることしか考えられない立場にあっては、
その程度の<事柄>になってしまうということである。
これでは、<象徴主義>や<シュール・レアリスム>はおろか、<表現主義>でさえ、
<現実性>をまともに把握することのできない、気違いの妄想表現に過ぎなくなることであろう。
明治維新以来、西洋民族の<想像力>に依って描かれた、
傑出した<絵画表現>の深遠で豊富な成果を眼前とさせられて、圧倒されるばかりの<両眼>は、
それとまったく同様にして描かれた、<日本の絵画>として見ることができなかったのである。
文化の遅れている<日本の創作>は、
文化の進んでいる<西洋の創作>に比べて、劣等である、と見なすように、
西洋の<学術>を<模倣・追従・隷属>することに躍起になるばかりの<盲目>的あらわれである。
<絵画はモデルを用いて写実的に行われることが最善>ということも、
これまた、西洋の<自然主義>という作風の<流行>に準じることからのありようだとしたら、
いったい、江戸時代以前の浮世絵や絵画にある、<想像力>のありようをどのように見ていたことなのだろうか、
それとも、日本人は、あるものはあるとしか考えられない、という<西洋>に<飼われた犬>のようなもの、
ないものをあると考えることのできる、という<人間>の<想像力>のまるでない、
<ふがいない>民族であることを<本質的意味>とするようなことであるのだろうか。

芳年のあらわした<人間の全体性>の<洞察>とは、
それまで、製作において、<無惨絵>においてさえも、写生を重要視した作者の<到達の域>である。
女性の<人物のふたり>が<対比>として<表現>している<事柄>は、
非情な宿命にあった、母と娘の悲劇が生じたことの<本質的意味>は、
人間に根深くある、昔の人間も、今の人間も、未来の人間にあってさえも変わらない<事柄>、
人間が<誕生>と<死滅>の狭間にあって、感じ得る<生>と<死>、
その人間を突き動かして活動させる、<食欲><知欲><性欲><殺傷欲>という四つの<欲求>、
人間とは、畢竟、それだけのものである、という<人間の全体性>の<認識>である、
喜怒哀楽も、喜劇も悲劇も、残虐も慈愛も、すべての<事物>は、そこから始まる、
という人間にある<因習>の<洞察>である。
<因習>とは、人間の生存を成り立たせる、食欲、知欲、性欲、殺傷欲で営まれる生活、
それらが満たされるために作り出され、それだけで生きることを可能とさせる、
継承される<しきたり>を意味することであるが、描かれているすべての<事物>は、
この<洞察>を<表現>するために、<対照化>されているのである。
<若い妊婦>には、人間の<性欲>があらわされている、
<妊婦>であることは、男性の陰茎と女性の膣の結び付きがなければあり得ない、
臨月間近にある孕み腹は、はち切れるばかりの溌剌とした胎児の生命の躍動を伝えて、
豊満な乳房と尖らせた薄紅色の乳首と共に、
<妊婦>にならなければ生じない、<肉体>の<欲求>が示されてある。
その<女性でなければあり得ない姿態>が<縄>によって<緊縛>されている、
この<縄による緊縛>は、<拘束>を目的としたものでしかないことは、
窒息させると思えるような首縄、二の腕を縛って後ろ手にさせている縄、
妊娠している腹をせり出させるように腹帯と共に下から締め込まれている縄、
両脚を揃えるために両膝と両足首へ巻き付けられている縄、
そして、天井の梁から逆さ吊りにさせている縄へ至るまで、
<肉体>の<欲求>をあらわす人間を<動物状態>へ置くように<表現>されている。
その<性欲>に対峙して、<年老いた鬼婆>には、<殺傷欲>があらわされている。
死期を間近にしたような骨と皮という老いさらばえた、<鬼婆>の<肉体>にあって、
強靭な生の執念が険しい形相と立て膝にして出刃包丁を研ぐ姿態に浮き上がる、
それほどに、人間にある<殺傷欲>は強いものであると言わんばかりである。
それも、膨らんだ腹が切り裂かれて、母体を<死滅>させ、胎児の生き胆が取り出されるのは、
不治の病にある姫が食するためにある、という<食欲>の如実が待っていることである、
人間は、生存のためには、異種族の動物ばかりでなく、同種族の人間に対しても、
姦淫もすれば、殺傷し食することを行う、動物なのである。
このような人類の誕生以来の<因習>なくしては、あり得ない動物なのである。
そして、産湯となるべき水桶は、ひとつの<事物>が<二重の意義>をあらわしていることを象徴する、
生まれる胎児は、その産湯につかる新生児としてあることではなく、
生き胆が食されるために殺害されて洗われることに使用される、水桶ということである、
つまり、生と死は、表裏一体にあることの<象徴>である。
こうした<事柄>を鑑賞者は、<想像力>をもって、<人間の全体性>の<表現>と知覚するのである、
芳年の<洞察>をそのように見るのである、
その働きこそは、人間の<知欲>のあらわれの何物でもないことである。
<狂画家><血まみれ芳年>と称された絵画表現者の<到達の域>である。
<因習>としてある人間存在、人間の永遠の姿、人類の不滅のありようが<表現>されているのである。
その<絵画>は、そのような残虐で凄惨な情景など見たくない、知りたくない、考えたくない、
と感じさせることにおいて、人間の<思考>にある<因習の存在>を想起させ続ける、
<因習の絵画表現>の傑作としてあることなのである。

ただひとつの<絵画>でも、<解釈>の仕方次第で、その後の展開は、大きく変わる。
<性欲>と<殺傷欲>の部分だけを<趣味の偏向>によって解釈しても、
この<絵画>から導き出せる<意義>は、<サディズム・マゾヒズム>までが<限度>のことでしかない。
それ以上はない、という<人間理解>の<限度>があらわされることでしかない。
1885年より現在に至るまでの<歴史的事象>がそうしたありようしか示さなかったとしたら、
それは、<☆初期の段階>としてあったことである、と<再評価>するほかにないことである。
何故ならば、ここに示された、『奥州安達ケ原ひとつ家の図』の<解釈>から出発することは、
<新たな意義>を展開させるということ以外になく、その<新たな意義>とは、
芳年があらわした<人間の全体性>の<洞察>にほかならないことだからである。
しかも、<西洋思想>の<絵画解釈>の<方法>に依っても示すことができたように、
芳年は、<対比><対照><二重の意義>といったありようについて、
縄文時代より連綿と継承されてきている、<異なるふたつのものを結び付けて新たな意義を作り出す>、
という<結びの思想>をもって行っているのである、
<若い妊婦>に施された<縄による緊縛>は、それを<象徴>しているのである。
従って、芳年の<意義>が導くありようは、<結びの思想>を継承するということであり、
これによって、断絶させられて今日まで至った<事柄>を創造し直す<可能>が生まれたことである。
そして、<伝統の継承>が明らかとなるということは、
<日本民族の自己同一性>が発揮できるということにある。
西洋の<学術>を<模倣・追従・隷属>することに躍起になるばかりに、
<事物>を眺める<両眼>が<盲目>的となっていることで、
見過ごされてきた<本質的意味>という<事柄>は、
芳年の<絵画>の場合だけに限ったことではないはずで、
その<対象>とされる<表現>は、<絵画>の分野だけに限ったことでもないはずである。
<日本民族の自己同一性>から始まる<再評価>とは、
それらに対して、<新たな意義>を見い出していくことになる、という<存在理由>である。






縄文時代より連綿と継承されてきている<縄の表象>が意義すること、
<異なるふたつのものを結び付けて新たな意義を作り出す>、
という<結びの思想>をもって、
<人間の全体性>の<表現>が行われること、
これが<日本民族の自己同一性>の発揮である、というありようが生まれた。
<人間の全体性>とは、喩えれば、限られた<適用力>を超えたありよう、
<自然科学>ばかりでなく、<人文科学>や<社会科学>を総体化したものである、
ということであれば、いずれの分野にあっても、条件は、同一の<事柄>としてある、
おじいさん、おばあさん、とうさん、かあさん、おにいさん、おねえさん、
おじさん、おばさん、いとこ・はとこ、いじめに関わるひと、自殺希望のひと、ひきこもりのひと……
どのような条件にある人間であれ、日本民族を自覚する者であれば、条件は、同一の<事柄>としてある。
それは、現在、置かれている<状況>は、
一切がその<人間の全体性>を意識するための<相克>であれば、
<個>たる、それぞれが<みずから>の求める<表現>を行うことを当然の<事柄>として、
晒される<相克>を超えていくことさえあれば、
どのように転んでも、<四つの欲求―食欲・知欲・性欲・殺傷欲―>と
<七つの官能―視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・第六感・性的官能―>を備えた<動物>であることが、
<総体を考えられるという自然認識の宗教思想>という<因習>を根拠とさせて、
<結びの思想>を的確に意識することで、
<言語による概念的思考>を<想像力>によって<展開>させることができる、ということである。
このような<夢想のようなこと>であれば、
実現可能であると思うことができなければ、誰も行うことをしないのは、当然である、
傍観してもらえる対象としてあれば、不幸中の幸いと言えることかもしれない。
何故ならば、<既成概念>と真っ向から対峙し、相克し、超克することであるから、
<既成概念>が反故にされることだとしたら、それで飯を食っている者にとっては、死活問題である、
<既成概念>で飯を食っている<業者>からは、反感・反発・排斥があって、当然のことである。
人類が<社会>を構成し、<金銭の経済>という<整合性の思考>を行うようになって以来、
それこそ、昨日今日の<ありよう>ではない、<伝統の継承>としてあることであるから、
まさに、<結びの思想>という<伝統の継承>対<金銭の経済>という<伝統の継承>の対決、
その対決は、<損得>が数値でもって<価値評価>をあらわすことが可能であるから、
<新しい意義>が<既成概念>よりも<金になる>ことが判明すれば、
対決の結果は、<古い概念>にしがみつく<考え>だけが消えていくだけのことでしかない。
1885年より現在に至るまでに、『奥州安達ケ原ひとつ家の図』に<着想>を得て、
<日本民族の自己同一性>が成し遂げる<人間の全体性>の<表現>、
<このような考え方>を生み出した者は、ひとりやふたり、あったのかもしれないが、
跡形もなく、闇に消滅してしまった<ありよう>しかなかったとしたら、
理由は、ひとえにそれを成し遂げる<経済効果>を見込めなかったことに依る、
或いは、<このような考え方>を生み出す者がまったく存在しなかったとしたら、
置かれている日本民族の状況が<異様>と認識できるほど逼迫していなかったか、
<整合性の思考>にある<西洋思想>で頭が振りまわされて、
<日本民族>の<未来>など考える余裕がなかったことに依るものである。
2010年7月24日付の読売新聞掲載の内閣府の全国実態調査によれば、
15〜39歳の男女5、000人を対象に、3、287人(65.7%)から得た回答で、
<ひきこもり群>の推計は、70万人、<ひきこもり親和群>は、155万人、合計で、225万人とされる。
かつての太平洋戦争の死者は、軍人・民間人を合わせて310万余とされるから、
実に、72%に匹敵する数字である、或いは、この数値にピンとくるものがなければ、
<ひきこもり>経験者である国会議員が<ひきこもりのひきこもりによるひきこもりのための政治>を掲げて、
<ひきこもり党>という新党を結成した場合、
15歳から19歳の者も時間の推移で有権者となる目算で、225万票は期待できるということである、
しかも、内閣府の予想は、<ひきこもり>増加の傾向を示唆しているのであるから、
調査年齢対象外の<ひきこもり>を含めた救済は、日本の未来を明るくする社会貢献としてあれば、
<ひきこもり>を取り巻く、親・兄弟・姉妹の浮動票さえも勝ち得ることになるのである。
225万人という数値は、大変に魅力ある数値と言えることである、
ゲーム・メーカーは、<ひきこもり>が<ひきこもり>で楽しむ専用ソフトの売り上げを225万本とし、
衣料・メーカーは、<ひきこもり>が<ひきこもり>でしか着れない衣装の売り上げを225万着とし
電話機・メーカーは、<ひきこもり>が<ひきこもり>でしか使えない携帯電話の売り上げを225万台とする、
ついでに、<日本民族の自己同一性>に目覚める者も、225万人いれば、それは、革命となることである。
従って、大変に魅力的な数値である、しかし、同時に、その<ありよう>から見れば、
225万個の<うさぎ小屋の個室>に225万人のひとがそれぞれに閉じこもる、
という<異様>な数値とも言える。
これに、<異様>を感じられないとしたら、現在の日本の状況では、
更に<異様>な<事柄>が乱立しているから、目立たないだけである、と言えることである。
<社会>的に<異様>な<事象>が増殖する理由は、
解決できずにいる、<民族固有の問題>が原因であることは、
人間の<ありよう>は、民族の<因習>が原動力となっているからにほかならない。
従って、<日本民族の自己同一性>が生まれたことは、
<人間の全体性>へ向けての<表現>が行われることを要求されるものでしかないのである。






女性を全裸にさせて、縛りたいから、<縄>で縛り上げる、
それで充分である、それ以上は、要らない、
その<ありよう>に理由付けをしたところで、大した意味は生まれてこないことは、
全裸を縄で緊縛された女性のあらわす存在感の方がその言語に比べて優っているのであれば、
稚拙な言語表現であればこそ、むしろ、沈黙していた方が<被虐美>も際立つということである。
<縛者>は、<縄掛け>で<表現>されることにすべてがあらわされるということは、
<縄掛け>が<思想・作法・技術>を総体化しているものとしてあるからで、
この意味が理解されていない<緊縛>は、<美的>にはならないということである。
それは、<縄>の本数が多い・少ない、<様相>が複雑・単純、
<縛り具合>が厳しい・柔らかい、ということに依存するのではなく、
江戸時代における<捕縄術>が主旨としていたことである、
縄抜けができないこと、
縄の掛け方が見破れないこと、
長時間縛っておいても神経血管を痛めないこと、
見た目に美しいこと、
という<四つの主旨>が満たされているかどうかにあることである。
<縄掛け>が<拘束>を目的として行われることであれば、<縄抜けができないこと>だけで充分である。
<緊縛>をあらわす小説や物語などにおいても、<縄掛け>の描写がどれだけのものであるかを見れば、
その作者が<被虐美>をどのように理解しているか、
<拘束>をどのように認識しているかを読み取ることができる。
<いじめ>のための<拘束>として、<高手小手に縛った>というだけの<緊縛>描写では、
そこから導き出せるものは、<いじめ>だけでしかないことは、当然の結果でしかない。
<被縛者>との<関係>と<配慮>が残る三つの主旨を必要不可欠とさせているからである。
<被虐美>を<表現>しようという意図にある、小説・絵画・写真・映画・漫画・アニメにおいて、
<縄掛け>の描写に重要性が置かれることは、<☆初期の段階>の<表現>にあっても、
<縄掛け>が<思想・作法・技術>をあらわすものであることが理解されている場合、
その<表現>は、<いじめ>が示される<緊縛表現>以上の<事柄>が示唆される。
<破邪顕正>という宗教性の消滅してしまった、
<捕縄術>が現代において<伝統の継承>をあらわすものとしてあるとしたら、
この<縄掛け>の<四つの主旨>から、
<思想・作法・技術>をどのように展開させることが可能であるか、
それを問われているということであり、
<日本民族の縄による緊縛>が<表現>する<被虐美>が<新たな意義>を持つことである。

『あるとき、私はその土蔵の二階の柱のかげに、真っ裸の母の姿を発見したのであった。
母は、身に一糸もつけない真っ裸のままで、うしろ手に括り上げられて悶えていたのである。
金網窓からさしこむ光の中で、日本髪をおどろに乱した全裸の母の姿は、
そっと二階の階段を上っていった私の眼の前に何の予告もなく見えてしまったのだ。
「あ……晃! こ、ここへ来たらいやッ、あっちへ……あっちへ行っててッ!」
板敷の上の、柱の根もとから長持ちのある壁のあたりまで、
濡れて溜っている水の糸が母のもらした尿だと判ったとき、
私は階段の上がりばなで、ブルブルと震えていた。
私はそのとき、錦村小学校三年生だった。』 (「縄をもった食客」)
これが須磨利之の<原体験>と言われている、<情景>であった。
この<情景>とそれを<幼少体験>した<表現者>のあらわす<意義>については、
これまでにも、小説や論考と多くの記述が成されてきたことであるが
須磨利之を知れば、その記述へ赴かせるというほど、
衝撃のある<情景>と<幼少体験>としてあることである。
それは、この<加虐・被虐>のあらわされた<情景>が<心理>にある<因習>を想起させて、
見たくない、知りたくない、考えたくない、と感じさせる一方で、
<性的官能>を高ぶらせる、ということがあるからで、須磨少年も、それを実感させられたことであった。
<性的官能>を高ぶらせる<起因>となっている<事柄>は、<母>の単なる<素っ裸>ではない、
それは、日常、風呂場でも見ることは可能であるから、この場合、全裸だけでは、起こり得ない。
全裸でありながら、後ろ手に括られて、柱へ繋がれている、というありさま、
そのような日常生活では到底あり得ない、罪人にあるか、動物状態にある、という<非日常性>にある。
<非日常性>とは、<常識>として考えている<既成概念>を<倒錯>させられることであるから、
<母>が罪人のような動物状態にあって、身悶えをしながら、尿までもらさせている、
という<女性>の<生理>を如実とさせていることは、
人間の<生理>を人前へさらけ出すのは、人間の<恥辱>であると教えられていれば、
その<倒錯>した<母>は、<恥辱>の姿態をあらわしていることになる。
その<恥辱>の姿態に、<性的官能>を高ぶらされるのであるから、
<女性が恥辱の姿態をあらわすこと>に<性的衝動>を覚える、ということになる。
それは、<女性の恥辱の姿態を表現する>、須磨利之という<責め絵画家>の誕生であった、
<幼少体験>にある<母>の<恥辱>を追い求めて、飽くなき<表現>を生涯貫くという始まりであった、
と記述するには、その<☆情景>を描いた須磨の<表現>は、美しすぎるのではないか。
この疑問を持つことは、須磨の他の作品群にも共通する、ひとつの<ありよう>に気づかされる。
確かに、須磨にとっては、<母の恥辱の姿>は、衝撃的なものであったことに違いない、
だが、彼は、その<ありよう>に、<美>を見い出したことでもあったのである。
須磨の描く、<縄>で緊縛された女性は、<紋切り型>と言えるように、
<恥辱の姿態>を必死に耐えて、女性としての自尊心をあらわとさせるように、
反抗的なまなざしを浮かべる女性がほとんどである、
須磨の<母>という人物も、恐らく、気丈夫な女性であったに違いない。
この<紋切り型>の表現は、作品に新味を失わせる結果になっていることも確かであるが、
この<紋切り型>こそ、<恥辱の姿態>にある<母>に見た<美>であったのである。
先に、<2.縄による緊縛の絵画>において述べたことを敷衍すれば、
伊藤晴雨のあらわした<猥褻で残虐で恥辱ある表現>から<残虐>を差し引いて、
須磨は、<美>を置いたということである。
この<美>は、また、<縄による緊縛>にもあらわれていることは、<縄>の本数が多い・少ない、
<様相>が複雑・単純、<縛り具合>が厳しい・柔らかい、ということに比重はなく、
<捕縄術>の再現とも思える、<縄掛け>の<美>が示されてある、
これが須磨利之の<被虐美>と呼ぶものであると言うように、定型である。

この<被虐美>は、須磨利之と同様の主題で描かれた、<☆幼児体験>という作品を見ると、
小妻容子においては、明らかな相違があることがわかる。
<母>は、全裸を後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられ、腰縄と股縄まで施されて、柱へ繋がれている姿態は、
両脚さえも縛られ、あらがいを封じられた手拭いの猿轡まで噛まされている、というありさまにある。
この<縄>で雁字搦めの<恥辱の姿態>は、<性的官能>が高ぶらされることを主眼としているのは、
<母>の恍惚として高潮させた顔立ちばかりでなく、
<母>の<不思議>という<倒錯>を見つめる<あどけない息子>にも、
同様の紅潮があらわされていることに、見事に示されている。
<母>も、ひとりの人間であり、ひとりの女性である以上、
<母>の<恥辱の姿態>は、<猥褻>をあらわすこともあるということである。
しかも、小妻は、その<猥褻>にある<情景>を<美>として<表現>可能としているのである、
それは、<縄による緊縛>の描写において、縛る<縄>は、<麻縄>であることが鮮明に示されて、
<縄掛け>は、<性的官能>を表出させるためには、
<縄>の本数が多く、<様相>が複雑で、<縛り具合>が厳しいということに、
<捕縄術>の<四つの主旨>があらわされている。
<喩え>としては、《<被虐美>という猥褻で恥辱のある表現》において、
伊藤晴雨が見たままを写実に表現する<自然主義>をあらわしたとすれば、
須磨利之は、女性の理想の<美>を追い求めた<ロマン主義>をあらわし、
小妻容子は、女性と男性に対する認識の主観による<表現主義>である、と言える相違であるが、
この貧弱で、どこかわかったようでわからない<喩え>は、言うまでもなく、
<西洋思想>の<主義>とされたことを<当てはめただけ>の使用にあるからで、
<日本民族>の<表現>を解析するのであれば、
民族固有の<分析方法・語法・概念>を創出して行わない限り、<実態>もあらわれにくいことである。
この場合の<喩え>としては、<文章表現>における、<被虐美>の<縄掛け>は、
次のようなものとしてあることを見ることができる。

『泣きじゃくる雪路の両腕を背中の中程へたくし上げ、
ガラス細工のような繊細な手首を重ね合わせて縛り始めていた三郎は、
何だ、とばかり節子の顔を睨みつけた。
「奥様を裸にまでし、縄で縛りあげるなんて、あ、あんまりだわ」
……
美しい豊満な乳房の上下をきびしく麻縄で緊め上げられている雪路は、
しいんと凍りついたような表情を前方に向け、爪先をすり合わせるようにして、ゆっくりと歩き始めている。
美麗な太腿が動く度に、その付根にふっくらと盛り上がる絹のような柔らかい繊毛が悩ましく揺らぐようで、
それを見つめる直江はムズムズと胸をしめつけられるような気分になっているのだ。』
(団鬼六 『生贄姉妹』 勁文社刊)

『安芸子は乳房と下腹部を両手でおさえて、すくみきった全裸を、女王の吟味の目にさらした。
「若い体というのは、美しいものね。ことにこの子のように美少女と呼ぶのにふさわしい子のヌードは……」
……ひしひしとロープが食いこんでくるのを、安芸子はまるで木偶人形のようになすがままになっていた。
麻痺したような神経に、荒っぽいロープの肌ざわりと、肌に食いこむ圧迫感が、むしろ快くさえあった。
首縄で高々と吊りあげられた後ろ手、乳房を縦横に締めあげる菱形のいましめ――
それらはあらためて自分の置かれた立場のみじめさを確認させる。
「股縄もかけて」
「かしこまりました」
玲子は慣れきった縄さばきで、安芸子のくびれた胴にロープをひと巻きすると、
よじり合わせたロープを前から後ろに股をくぐらせた。
「いや……」
締めあげられて、安芸子ははじめて悲鳴をあげた。
シクシクした感触が、女のもっとも繊細で敏感な部分に食いこんだのだ。
目で見なくてもそこがどんなふうに痛めつけられているかは察知できた。
唇が裂かれて、その柔らかな内側に埋没しているのだ。
「……ゆるめて……おねがい……」
安芸子は腰を引き膝をこすりあわせて、耐えられない声を絞った。
が、そんな下半身の動かし方をくりかえしたら、そこに加わる刺戟は増すばかりなのだ。
へっぴり腰になったまま、安芸子は進退きわまった。
「すぐにすべりがよくなって、痛くなんかなくなるわよ」
慰めともからかいともつかぬことをいって、玲子は縄尻を腰のところでとめた。
「すてきだわ。やはり日本人の女は縄がいちばん似合うようね」
杏子はうなずきながら、つと鞭を伸ばしてツンと頭をもたげている乳首を小突いた。」
(千草忠夫 『復讐の淫惑』 二見書房刊)

『美也子夫人は全裸のまま夜具の上まで運ばれていた。
「座って手を後ろへまわせ」
「縛るのは許してください……つらくて……」
「昨日も言っただろう。女はこうしたほうがもっとも女らしくて美しい……特に、美也子はな」
言いながら大熊は、手際よくひしひしと縄がけしていく。高手小手にして、乳房をプックリと絞りだした。
「ああ……」
乳房の上下に縄がけされて、それがゆがんでいく姿をチラッと見やった美也子夫人は、
それだけで力が抜けていくのを感じていた。
「苦しい……」
息がつまるほどギリギリと締められる。
「ああ……もう少しゆるくしてください……苦しいの」
「甘ったれるんじゃない。まだまだこれからだ」
大熊は美也子夫人の肩を突いてあお向けに倒した。
{あっ……」
勢いあまって美也子夫人の白い足が宙を蹴った。その足を器用に空中でとらえると、
大熊はそれを左右に開き、その内側へ移動した。
「あっ、いやぁ……」
「おとなしくしているのだ。今日は特別にいい思いをさせてやるから」
大熊は別のロープを美也子夫人の頸にかけて、それで胸のロープを一つに結び乳房を絞った。
そして、そのまままっすぐ縦におろした。
二つの器官の位置を目測して、大小一つずつの結び目を作る。
美也子夫人に気どられないうちに、一気に埋めて縄がけしてしまいたい。
縦縄をピンと引いて女性器官に当てがい、そこを指で開いて瘤を装填してしまった。
「い、痛い……いや……いやです、そんなの……」
女の器官に埋め終わったところで、気づいた美也子夫人が騒ぎたてた。
「ああ……お願いです……そんなことしないでください」
「初めての者は誰でも騒ぐのだ。しかし、少ししんぼうしていればすぐに馴れる。
すると今度は、この縄が欲しくてたまらなくなる」
「いやいや、そんなところまで」
アヌスにも施されて、美也子夫人は狼狽した。
「股縄と言ってな、女の動きを封じるのもこの縄なら、女が泣いて歓ぶのもこの縄だ」
大熊は美也子夫人の身体をくるっと引っくりかえしてうつ伏せにした。
そのわずかな隙に、美也子夫人は急いで脚を閉じようとした。
が、かえって一つの瘤を挟みつける結果になった。
美也子夫人は「あっ」と悲鳴をあげて、あわててまた開かねばならなかった。
大熊はその様子を見ていて、にんまりとほくそ笑んだ。
そして縄尻を後ろ手の結び目に繋ぐと、がっちりと締めあげてしまった。
「ああ……苦しい……」
「さ、立ってみろ」
「……………」
身体をもたげようと、ちょっと膝に力を入れただけで股間の瘤に響いてしまう。
「……た、立てない……ああ……はずしてください。
力を入れると……とても痛くて……お願いです」
大熊は美也子夫人を助け起こした。
さらに、大熊は美也子夫人を引きまわすために、細腰にロープをひと巻きし、
それを縦縄に連結して手に握った。大熊がロープを引けば、
すぐに美也子夫人の股間に響くようにしたのである。』
(五代友義 『奴隷夫人 羞恥と羞悶』 フランス書院刊)

『「ね、母さん。裸になってよ」
「だって、こんな朝から?」
「お願いだよ、母さん」
着衣を脱いで朝の光に羞じらいながら、淫らな女体を露わにしてゆけば、
明美の口から思わず溜め息が漏れる。
「うーん……」
正文は全裸になった明美の肉体に、今ではすっかり手馴れた仕草で縄をかけていった。
「あっ……うんっ……」
縛られることにどんなに馴れても、縄で裸の肌をこすられ肉を締めつけられる感触は、
いつでもきわどく刺激的で、明美ははしたなく喘いでしまう。
「ねえ、正文……あーんっ……」
縄が股間をくぐり、陰毛を乱し、女陰の割れ目に喰いこみ、お尻の谷間にえぐりこむ。
何度かけられても、股縄はそのたびに初めてのように恥ずかしく、
淫らで、ふしだらな感覚を湧きたたせる。
明美は縄のひと締めごとにゾクッと身震いし、めまいしそうになる。
覚えてしまった縄の味、縛られることの快感に、
明美の肉体は朝の光のなかでひときわ淫らに火照り、潤みはじめていた。
正文はその緊縛姿を一瞥すると、何も言わずに寝室から出ていってしまった。
「ああっ……正文、待って……」
裸で縛られたまま、一人取り残された明美は、身の置きどころがなかった。
どうしていいかわからなかった。あてどなく部屋のなかを歩きまわって、
壁に背をもたせかけて溜め息をつく。ごていねいにも、
股縄にはいくつもの結び目が作られ、喰いこんだそれが、歩くたびに女陰にこすれる。
「いやらしい縄……」
はしたない気分に誘われ、明美は後ろ手に縛られた両手を使って、
裏に大きな姿見のついたクロゼットのドアを開けた。
全裸で縛られている自分の姿、正文の欲情に輝く眼差しのもと、
かすかに垣間見ることしかできなかった女体のふしだらな光景を、
誰にも知られずに、そっと自分の目で確かめてみたかった。
明美は姿見に向かい合った。
上と下から幾重にも縄に挟みつけられ、痛々しげに肉を盛りあげた両の乳房の頂に、
すっかりしこってツンと突きあがった乳首。ふさふさした陰毛を千々に乱し、
その下の柔らかな肉を左右に押し分け、ぷっくりと盛りあげるまでに、
ぎっちりと喰いこんだ股縄。裸にされて縛られているその実感が、視覚と触覚とで増幅され、
体の芯にジーンと熱いものが沁みわたる。あまりに哀れで、はしたなく、
そしてふしだらな自分の姿に、明美は思わず目を伏せた。
目を伏せれば、股間に喰いこんだ縄の締めつけが、否応なくもひときわ生々しく感じられる。
甘く切ない痺れに、明美は無意識のうちに太腿をきつく閉じ合わせ、両脚をもじつかせていた。
「あーっ……」
目をあげて姿見を見る。はしたない女体の淫景に、一秒と見つめられずに目を伏せる。
「あーんっ……」
身をよじり、内腿をこすり合わせれば、喰いこむ縄がいよいよ生々しく迫ってくる。
その繰りかえしのなかで切なさはつのり、肌は火照り、股間は熱く濡れてゆく。
股間が熱く潤むのが感じられれば、羞恥はつのり、官能が昂る。
「うーんっ……いやっ」
もう、とても立ってなどいられない。明美は、火照り疼きはじめた肉体をベッドに投げだした。
「ひどいわ、正文ったら……」
濡れて、さらなる昂りに焦がれた女体。しかし、後ろ手に緊縛された明美には、
ただ身をよじり、内腿をきつくすり合わせ、喰いこんだ縄に女の官能を委ねる以外の術はない。
横になって脚を組み、腰をもじつかせる。うつ伏せになって、下腹をベッドにこすりつける。
そんな切ない試みの繰りかえしではあっても、昂りはいや増し、
甘美な痺れが全身にひろがり、股間がますます熱く蕩けてゆく。
「う、うーんっ……正文のいじわるぅ……」
甘い陶酔に浸りきる明美。
しかし、ついには満たされることなく果てしなく押し寄せる官能の波に呑みこまれ、
翻弄されつづける。そんななかで、甘くかすかな眠りは唯一の救いであった。
明美の乱れた息が、いつの間にか規則正しい小さな寝息に変わっていく。』
(鬼頭龍一 『母奴隷』 フランス書院刊)

作者が異なれば、<表現>も<多様>となることには違いないが、
<官能小説>というのは、<写実>が基本となる<表現>でありながら、
<絵画表現>ほど、<縄掛け>において、<目に見える大差がない>と感じられることだとしたら、
<被虐美>も<縄掛け>も大して比重が置かれていないことに依る。
従って、<美>の表出にあっては、<文章表現>よりも<絵画表現>の方が優るということであれば、
《<被虐美>という猥褻で恥辱のある表現》という問題にあって、
小妻容子の<表現>は、重要なものがあると言えるのである。






小妻容子の<絵画表現>が表出させる<美>にあっては、
<サディズム・マゾヒズム>は、もはや、超克されたものでしかないという<域>において、
月岡芳年の『奥州安達ケ原ひとつ家の図』があらわす<人間の全体性>と同様のものがある。
<幼児体験>という作品にあっても、次のような<物語>を<喩え>としてみれば、
<縄による緊縛>における、<性欲と官能の所在>という<事柄>の重要性も明確となることである。

家は、土蔵を持つような資産のある家柄であったことは、それだけ、家系を支えるしきたりも厳しかった。
容子がその家へ嫁に来たのは、跡取りの独り息子に見初められてのことだった。
華やかな婚姻の後、容子は、義父母との同居生活に入ったが、間もなく、嫡男が生まれたことは、
それで初めて、家族の一員となることができたという安堵感と幸福感を彼女に与えたことだった。
それと言うのも、家系を支えてきたしきたりは、義母によって教育されることであったが、
それは、言葉遣いに始まり、行儀作法、嫁の立場、妻の立場、
嫡男の教育、家の考え方にまで及ぶことであり、夫は、その教育に一切の口出しをしなかった。
容子も、夫を愛し、生まれてきた息子を愛すればこそ、ただ、従順に従うばかりのことだったのである。
家は、義父が長として、絶対の権力をあらわしていた、夫は、跡取りとして、それを学ぶばかりであった。
そして、家系をもって因習を継承する家がしきたりの本領をあらわす夜がやってきたのである。
それは、生まれた嫡男が五歳となって、将来へ向けての成長も安定したときだった。
夫に言われて、容子は、用意された純白の着物に着替え、義父母が待っているという土蔵へ向かった。
彼女には、わけのわからない胸騒ぎが感じられたことは、
夫の素振りには、尋常でない苦悩が滲み出て、向かう場所が土蔵ということに不可解があったからだった。
何故なら、その土蔵は、厳重な立ち入り禁止の場所として、教えられていたのである。
土蔵の入口には、義母が蒼ざめているくらいの緊張した顔付きで出迎えた。
そして、これから、伝統ある家系にある女としての心得を長から教えられると申し渡された。
義母に従って、容子は、土蔵の二階へ上らされた。
義父は、普段と変わらない威厳を漂わせて、板敷の間の奥に正座していたが、
あらわれた嫁を見つめるようにしてもたげた顔付きには、やはり、緊張している表情が滲んでいた。
容子は、ただならない雰囲気にあって、不安で狼狽した思いは、恐れまでも感じさせて、
義父へ近付かせる足元は、すくむのを懸命にこらえて進めることでしかなかった。
きちんとした正座の姿勢で座った容子を前にして、義父は、
家系を支えるしきたりとして、おまえが本当の一家の女となる日がやってきた、
そこにいる義母も、かつて、おまえがそこにあるように、わしの父とあったことで、
実を打ち明ければ、わしと妻には子供はない、おまえの夫は、父とわしの妻の子なのだ、
とそこまで聞かされたとき、容子は、余りの驚愕に、顔立ちを蒼白とさせて震え出していた。
そこから、更に、続けられた事柄を聞かされるに及んでは、恐怖に気を失いかけていた。
その姿態を支えたのは義母であったが、義父と嫁は結ばれるということは厳格なしきたりであって、
世間の常識がどのようにあろうと、新たな継承の子の誕生は、
一家を今日まで維持させ、未来永劫へと続かせる、矜持として自覚されていたことにあった、
そのために、家系の伝統として連綿と伝えられてきている、<縄掛け>もあることだった。
義母から、着物をすべて脱いで裸になりなさいと申し渡されても、
気を保っているのが精一杯という容子は、茫然となって、帯を解かれ始めてもされるがままだった。
あなたも一家の嫁なら、しきたりの心得を納得なさい、私もそうしたから、今があるのです、
と明言される言葉に、容子は、どうしても承服したくないという意地が自尊心であったが、
身に着けているものをすべて剥ぎ取られて、全裸をさらけ出されたとき、
眼の前に仁王立ちとなった義父が握り締めている麻縄には、思わず、悲鳴をあげたのだった。
どうして、裸にされて、縄まで掛けられるのか、まるで、罪人扱いの酷い仕打ちとしか思えなかった。
容子は、懸命に全裸を縮こまらせて、泣きじゃくり始めていたが、
義父は、<縄掛け>の継承者であり、義母は、<縄掛け>される継承者であったことは、
夫婦が力を合わせて行えば、女ひとりが張る意地など、容易に解かれるものであって、
あらわとされた若々しい乳色の素肌には、容赦のない麻縄が巻き付けられることであった。
容子は、ただ、泣きじゃくるばかりで、されるがままの姿態にあったが、
容赦のない<縄掛け>は、後ろ手に縛られ、ふっくらと豊満な乳房を上下から挟んで掛けられ、
固定されるように二の腕へ巻かれただけではなく、腰のくびれが際立つように締められた腰縄、
更には、女としてあることの最も敏感な割れめへ埋没させられての股縄まで施されたのであった。
泣きじゃくる声音も、封じられるように手拭いの猿轡が噛まされ、柱へ繋がれるようにされた姿態は、
太腿と足首をひとつに縛られて、しきたりに雁字搦めにある身上を悟らせるのに充分なことだった。
義父は、美しいものを眺めるというような一点に魅せられたまなざしを浮かべながら、
おまえがそのように美しい衣装を着たことは、もはや、わしとおまえは、義父と嫁の間柄にはない、
家系を継承する男と女としてあることだ、男が女を愛しているからこそ行われることなのだ、
だから、無理強いはしない、無理強いなどしなくとも、おまえに掛けられた縄がおまえを開くからだ、
開かれたおまえは、愛される女として、愛する男を受け入れることを求めることがあるだけだ、
わしの息子も、充分に承知している、いずれは、息子も同じ振舞いをすることにあるからだ、
それが伝統の継承にあるという、我々の家の矜持であるからだ、そのように言い終わると、
義父は、女の全裸の美しい緊縛姿をいつまでも眺め続けていたい、という残念を漂わせて、
義母と共にその場を立ち去っていくのであった。
ひとりにさせられた容子は、残酷な仕打ちをされた思いに、ただ、すすり泣くばかりであったが、
やがて、縄で緊縛された太腿へ落ちる涙も枯れ果ててくると、茫然となった思いに浸されるのであった。
どうして、悪いことは何もしていないのに、このような浅ましいありさまに置かれているのか、
義父の語った事柄は、聞かされていて分からない事柄ではなかった、
だが、すべてが理解できたということではなかった、むしろ、理解したくなかったのだ、
その納得できない、何故という思いは、答えを求めるようにさ迷うばかりとなっていった。
だが、顔立ちを右へ左へよじる以外に、身動きどころか身悶えさえもままならない身体にあった、
ただ、置かれた身上、一家の嫁であるという立場を耐えることでしかなかったのだ。
その耐え続ける思いも、次第に疲れ果ててくると、
土蔵の二階は、手拭いの猿轡をされてくぐもらされている声音さえ、
うるさいと感じさせるほどの静寂にあることへ思い至らされるようになっていた。
ひとりぽつねんとして、一糸も着けない全裸を縄で縛り上げられている、
というみずからと向き合わずにはいられない状況が生じたのだった。
手首は重ね合わされて縄で縛られ、ふたつの乳房は突き出すように上下から縄で挟まれ、
両腕は縄で固定されているという上半身は、縛られているという惨めな思いとは裏腹に、
その縄の拘束がしっかりと抱擁をされているような熱い感覚を伝えてくることに、
感じたことのないような驚きを意識させられたのだった。
その熱い感覚は、穏やかな思いになるどころか、胸を高鳴らせるような疼きさえあると感じられると、
腰のくびれへ巻き付けられている縄、太腿と足首を結び合わせている縄も、同様なものとして意識され、
義父の配慮で藁のござが敷かれ、義母の配慮で赤い湯文字が敷かれた板敷の間へ、
へたり込むようにして座らせた姿態が苦しく辛いものであるというよりは、
高鳴る疼きに、もどかしいものとして感覚させられるようになっていくのであった。
ついには、その熱い抱擁に、気持ちの良さを覚えると、突然、
どうしてこのようなありさまに置かれているのか、という問いが再び浮かび上がり、
その答えは、すぐさま、高鳴る疼きは、股間に通された縄にあることが理解されるのだった。
艶やかにふっくらと盛り上がった陰毛を掻き分けて、もぐり込まされた縄は、
柔らかな小丘がせり出すほどに埋没させられていたことは、まなざしを落とせば分かることだったが、
それ以上に、女の割れめにある、敏感な小突起、穴を閉ざす唇、すぼまる肛門が圧迫されている実感は、
縄によって、気持ちを高ぶらされ、女の花蜜まで潤ませていることを如実と意識させたのであった。
縄は、みずからの身体を雁字搦めに閉ざしているが、その縄が高ぶらせる思いは、
我知らずに、どんどんと大きくなって、閉ざす唇さえ開かれていくことを感じさせるのであった。
疼かされ、高ぶらされる、という波のうねりに漂わされる、このような気持ちの良さは、
今まで経験したことのないものであった、それは、身動きひとつままならない不自由にありながら、
どこまでも開放される自由の感じられる、という正反対のことがひとつになる、
という不可思議で蠱惑な快感を感じさせられることだった。
容子は、思わず、ああっ、と声をあげて、精一杯の身悶えをして、切ない溜め息をもらさせたが、
それは、手拭いの猿轡で封じられると、ますます、拘束されているというやるせなさへ集中させた。
そのやるせなさは、切なさと絡まり合い、縄の拘束を女の割れめの一箇所へ収斂されたように、
突き上げられる甘美な疼きとされると、開いていることを何とかしてもらいたい、という思いへ夢中にさせた。
それが適えてもらえないというのであれば、腰付きを出来る限り、ねじらせ、くねらせ、うねらせて、
激しく高ぶってくる淫靡な官能を耐えるということしかなかった。
そのときであった、そのようなことは、絶対にあり得ないことが起こった、
浮遊させられる思いにまで至っている官能の高ぶりから、幻像があらわれたのだ、
黒のかすりの着物を着た五歳になる息子が階段の上がりばなに立っているのだった。
何も知らない息子は、いつもなら、隣へ添い寝してくれる母が昨夜からいないことを不審に思い、
朝早くから起きて、あちこち捜しまわった挙句に見つけ出した、ということが事実であったとしても、
もはや、容子には、みずからのふしだらで浅ましい姿を見られたことに羞恥も屈辱もなかった。
むしろ、驚きと不可思議の表情を浮かべて見つめ続ける、あどけない息子に、
もっと見て、もっと見て欲しいと思うことが開かれた官能を更なる高みへと引き上げてくれるようで、
自然な思いにあるのだった、何故なら、あなたがいま見ている女は、
あなたが大人になったとき、家系のしきたりで、愛する女であるのだから。

<縄による緊縛>は、<サディズム・マゾヒズム>を抹消すれば、
<縄による緊縛>、それ自体が<性欲>と<性的官能>を明らかとさせるものになる。
<サディズム・マゾヒズム>が<性欲>と<性的官能>の理解に<限度>をもたらしていることは、
<加虐・被虐>の<様相>と見なせる<事柄>をその<概念>と<等式化>することにある。
この<一義>を絶対化する<等式化>は、どのような<加虐・被虐>の<事柄>にあっても、
<サディズム・マゾヒズム>で解釈させるということで、思考の<柔軟性>が奪われることは、
<Sである>とか<Mである>といった<記号>の使用に至っては、
膠着した状態とさせられることにある。
<サディズム・マゾヒズム>という本来ある<概念>の<意義>は、
<記号>によって見失われて、<事象>を<記号>と<等式化>して見るようになる、ということである。
これでは、<思考の整合性>からして、<想像力>が脆弱となるのは、必然である。
<想像力>が脆弱となることによって、<加虐・被虐>の<意義>も曖昧なものとなり、
<加虐>にあるのか、<被虐>にあるのか、という<思いやり>が失われて、
子供が邪魔な存在であれば、虐待して殺害することが平然と行われる、という<異様>まで生じる。
その<異様>が社会現象として、<大衆報道>で大きく頻繁に取り上げられれば、
子供が邪魔な存在と感じる<親>にとって、<虐待の正当化>を保証させるものとなる、
それは、<大衆報道>で面白おかしく取り上げられている娯楽番組と並列して見られることで、
眼の前の子供が邪魔な存在であることは、重大な<事柄>とは感じさせられないからである。
小妻容子の<絵画表現>は、この<想像力>の展開を促すものとしては、
それが<性欲と官能の所在>という<事柄>を如実とさせていることにある。
この点で、小妻の<☆姦の紋章>は、<象徴の絵画作品>となる傑作である。
この作品に接する鑑賞者は、そこから受ける<着想>をどのような<喩え>として展開させるか、
或いは、その者が<表現者>を自覚する者であれば、
みずからの<表現>をそこからどのように展開させることができるか、
問われる<事柄>としてあることだからである。






<サディズム・マゾヒズム>の<誤謬>について、
述べなければならないときがやってきた。
<サディズム・マゾヒズム>は、人間の行う<概念的思考>にあって、
ひとつの<考え方>に過ぎないものであり、人間にそのような<属性>があるということではない、
つまり、<サディズム・マゾヒズム>は、ひとつの<性的表現>に過ぎないものであって、
その<属性>があることで、人間の活動が支配を受ける、ということではない、
それでも、人間には、そのような<属性>があるものであると見なすとしたら、
<キリスト教>という<宗教的概念>を信仰とする<ありよう>に身を置くことでしかない、
従って、その<宗教的概念>に身を置くことのない者にとっては、
<サディズム・マゾヒズム>の<概念>は、<意義>のないものとなるほかないことである。

<加虐・被虐>の行動に、<性欲>と<性的官能>を結び付けることは、
その行動を成す<概念的思考>においても、<性欲>と<性的官能>が結び付けられることである、
つまり、心理と行動の双方において、<加虐・被虐>をあらわすことは、
それと結び付いている<性欲>と<性的官能>に依るものであるということになる。
これは、<加虐・被虐>の心理と行動にあるとき、<性欲>と<性的官能>が高ぶることから、
<加虐・被虐>が<性欲>と<性的官能>を活動させる<原因>と見なしていることにある。
<加虐・被虐>の心理と行動にあるとき、<性欲>と<性的官能>は高ぶる、
と結論付けることで、<加虐・被虐>の<様相>を示す<事柄>に対して、
おしなべて<サディズム・マゾヒズム>に依るものであると見なすことができる、とすることである。
これは、一見正しい観察のように見えることであるが、上記の結論に至らせた考察の根拠となる、
観察の<対象者>がおしなべて<キリスト教>の信者であるとしたら、
<キリスト教>信者に固有の<考え方>を差し引いたものとして見なければ、
<対象者>の経験の口述は、懺悔の口述と大差がないものでしかない。
<8.日本民族の縄による緊縛の美学>において、すでに述べたように、
<苦痛を通しての歓喜>という<ありよう>は、キリスト教信仰の要である、
イエスの鞭打ちの処罰と十字架の磔刑が復活へ導かれてあらわされる人類救済の過程である、
それを<苦痛を通しての快感>という<性欲>と<性的官能>へ結び付けたというだけのもので、
<キリスト教>の信者には、<鞭打ち>や<十字架の磔刑>の意味する<苦痛>は、
極めて重要な<事柄>であるからこそ、<西洋の民族>にあっては、
<鞭打ち>や<十字架の磔刑>に類する<表現>が<性的表現>に頻出するのである。
従って、<苦痛>は<苦痛>に過ぎず、<苦痛>に<意義>を認められなければ、
成り立たない<考え方>であり、<苦痛を通しての歓喜>ということも、
<苦痛>を<悪>、<歓喜>を<善>と見立てる、<一義>を成立させる<二元論>にあれば、
<悪を通しての善>という相対論から、高次へ向かう<救済>を示していることであって、
それを<神秘主義>と絡めて述べられるに至っては、<神学>とさえ言えることである。
<性>の<事象>を<神学>として考えることに誤謬はない、
それは、尊厳のある、宗教的な思想であり行動である。
<サディズム・マゾヒズム>に誤謬があるとするのは、
<苦痛>は<苦痛>に過ぎないとした場合、<苦痛>は<悪>でもないということである。
<苦痛>は<快感>と相対しているものではなく、
<ひとつの感覚>の<程度の差異>としてあることだからである。
つまり、<苦痛>も<快感>と成り得ることがあるということは、
肉体における<性感帯>と称される箇所への適度の刺激は、<快感>をもたらすことであるが、
肉体へ<苦痛>の刺激を与えることによって、
<性感帯>は<快感>を感覚させることもするということである。
それは、<肉体>について言えることであれば、<心理>においても、
<苦痛>と<快感>は、同一感覚の差異という実際を<概念>として区別しているだけのことになる。
従って、<加虐>や<被虐>に<快感>を覚えることは、
感覚としての<傾向>をあらわすことではあるとしても、
加えられる<刺激>の度合いに応じてあらわされるものであれば、
<サディズム・マゾヒズム>という<二極性>は、人間の<属性>としてあることではないことになる。

このことをあらわしているのが<縄による緊縛>という<事象>である。
<縄による緊縛>は、<鞭打ち>や<十字架の磔刑>と同じように、
<サディズム・マゾヒズム>に依る<性的表現>のひとつであると見なされたことは、
優れた学術である、<西洋思想>でさえ、
<日本民族>の<事象>に必ずしも適合するものとは限らない、という<可能性>が無視されて、
<似たような>現象であれば、<同一>の現象であるという思い込みで、<概念化>されたのである。
<縄による緊縛>の<縛者>にあっては、その<相違>は、感覚的に察知されていたから、
<縄による日本の緊縛>は、<サディズム・マゾヒズム>ではない、と言うことはできたが、
それを立証してくれる、日本の<性科学者>があらわれない以上、
<西洋思想>に準じるしかなかったということである。
たかだか、<猥褻>で<低俗>な<性的表現>は、<一時の流行>としか見なされなかったのである、
<高級>な<西洋思想>を<模倣・追従・隷属>している、<両眼>には、
<エロ>な<縄による緊縛>は、そのようにしか映らなかった<事象>なのである。
そこに生じた<誤謬>がその後へ撒き散らさせた<悪弊>は、
<サディズム・マゾヒズム(縄による緊縛)>という<娯楽>の隆盛をもたらしたということは、
<経済効果>のあったことであれば、まだ納得のいく<事柄>ではあったことかもしれないが、
<いじめ>の隆盛をもたらしたことは、収集のつかない事態とさせていることである。
<いじめ>のおしなべての<事象>は、行動においても、心理においても、
<サディズム・マゾヒズム>を根拠として解釈することを可能とさせたからである。
<いじめ>は、<サディズム・マゾヒズム>が人間の<属性>である以上、
人類の不滅の<事象>ということである。
<縄による緊縛>も<いじめ>の<性的表現>に留まっている限りは、
日本の<縛者>の矛盾した<心理>から<表現>される<被虐美>は、
思い入れか、独りよがりか、自画自賛の<ありよう>を超えるものとはならないことである。
<性科学者>も、<縛者>も、この事実に気付くべきである、
《<縄による緊縛>は、その<縄掛け>という行為自体で、
<性欲>と<性的官能>を高ぶらさせることが可能である、
それは、<縄掛け>が肉体における<性感帯>へ<刺激>を行うからである》、
そんなことはわかっておるわい、とすぐさま反論されそうな、
この単純な事実である。
すなわち、<サディズム・マゾヒズム>という<心象>を抹消されても、
<縛者>と<被縛者>は、思いを高ぶらさせることは可能である、ということであれば、
<サディズム・マゾヒズム>は、人間の<属性>などではなく、
数多ある<性的表現>のひとつとして、
<薬味>の程度に用いられる、<概念>に過ぎないということである。
そして、<縄による緊縛>だけで、<性欲>と<性的官能>が高ぶらされるということは、
抱かれることのない、<いじめ>という<心象>の分だけ、
<心理>は、<新たな意義>を見ることを可能とさせるのである。






<縄による日本の緊縛>は、
<被虐美>という猥褻で恥辱のある表現である、
このように述べられることを否定はできない。
否定ができないから、<成人指定>の<事柄>としてあることである。
しかし、<成人>が理解をもって、思考を<想像力>により展開させられる<事柄>としてあれば、
充分である、<未成年者>は、<成人>を見ながら、学び成長するものであるから。
<認識>の展開は、知っているか、知らないかの相違に依存することである、
<縄による緊縛>において、<サディズム・マゾヒズム>が抹消されたことは、
<縄による緊縛>、それ自体が<性欲>と<性的官能>を明晰とさせることになるのは、
<縄による日本の緊縛>、それ自体が<伝統の継承>としてあることに依るからである。
<日本民族>として、<みずから>の<両眼>で見つめる、<性>にあるからである。
<日本民族の自己同一性>に目覚め、そこから始められる<新たな意義>の創出とは、
実に、この<ありよう>を<知っているか・知らないかの相違>で、行われることに過ぎないのである。

人間は、<表現>する動物である。
その<表現>は、生まれたばかりの赤ん坊が手足を動かし泣き声をあげて欲求を伝達することから始まり、
ついには、冷たいむくろとなって動きをあらわさなくなるまで続く、流動的な現象としてあることである。
<表現>の目的は、人間のなかに<内在している欲求>を<外在している対象>へ伝達するということにある。
この<表現>の伝達を機能的・有効的なものとするために、
人間は、<媒体>と<方法>を求めて、人類の創始以来の生存を続けてきている。
身振り・手振り、声をあげること、言語を用いること、絵を描くこと、物体を造ること、思想を作ること、
音楽を作り演奏すること、舞踏をすること、演技をすること、運動で競い合うこと、縄でひとを縛ること……
芸術、スポーツ、科学、政治、経済、宗教、戦争、ポルノに至るまで、
<表現>の伝達の<成果>が現在の<文明・文化>と呼ばれていることの<総体>ということである。
人間が人類種としての生存を保存・維持できる限り、
この<表現の可能>ということは、ひたすら求められていくことであり、
人類が動物としての活動を停止するか、種として絶滅させられない限りにおいて、
<表現の可能>に<終末>もあり得ないことである。
人間は、生まれれば、生きるために、この世にあらわれるのであり、
人類種の保存・維持のために、<流動的現象>としての<表現>を行い続けていく以外にない。
従って、<表現>における<媒体>と<方法>という問題は、
人間が生物であることの認識は言うに及ばず、人間の死活問題をあらわすことである。
いずれの人類・民族・人間にあっても、同じ条件に立たされている、<事柄>としてある。
その<ひとつの場合>を<個>としてある、
<ひとり>ずつの人間が<各々に>対処していることである。
<表現>は、<四つの欲求>から始まり、<七つの官能>の<色合い>を帯びながら、
<心理>によって<形態>を与えられることで、<表現>として生まれることである。
<表現>と<心理>との間には、密接な関係があることは当然であるが、
常時働いている<七つの官能>の関与が<心理>へ<色合い>を帯びさせる問題は、
<色合い>という微妙で曖昧で不可分な<あらわれ方>をするだけ、見分けることを困難とさせている、
先に述べた、<8.日本民族の縄による緊縛の美学>における、<美学>への言及にも、
曖昧・不足・矛盾が見られるとしたら、この事情に依るものである。

しかしながら、こうして、至ることのできた地点からは、
<縄による日本の緊縛>における<被虐美>という<ありよう>も、
<表現>の<媒体>と<方法>を<分析・展開>させるための<対象>として見ることに、
<みずから>の<開かれた両眼>をもって、行うことができることにある。
この<表現>を読まれた方も、少しは、<表現>がやりやすくなった、と感じられることだとしたら、
<縄による日本の緊縛>が導く<事柄>は、これからが<本領>となるように、
<本領>へ進み出ることになることを思うばかりである。


(2010年8月2日 脱稿)




☆11.縄の実在論 ひねる・ねじる・よじる

☆9.縄による日本の着物緊縛

☆縄による日本の緊縛