4.因習の絵画表現 再び 借金返済で弁護士に相談







4. 因習の絵画表現 再び



<縄の結び>ということが縄文時代にひとつの表現の到達を表象して以来、
それは、日本民族のひとつの思想の<起>をあらわすことであった。



呪術としてあり、実用としてあり、芸術であるところの<縄の結び>は、
日本民族の文明と文化の進展において、
宗教・政治・軍事・農業・漁業・芸術・遊戯というあらゆる様相に示されて、
人体を拘束する目的の<縄による緊縛>にあっては、
室町時代の末期に発祥し、江戸時代に隆盛を見た<捕縄術>というありようで示されるに至った。
それは、人体を縄で縛り拘束することを単なる刑罰としただけのものではなく、
<破邪顕正>という正義を目的とする宗教的行為としたところに存在理由が示されたものであった。
この宗教的行為は、<縄による緊縛>という作業が<技術>を伴うものとしてあることに依るが、
その<手による技術>は、様々の必要から、
日本民族が多種多様の分野へと発展させてきたものであった。
しかしながら、江戸時代以前と明治時代以降という歴史的な分水嶺にあっては、
伝統ある<手による技術>も、西洋先進国における<機械による技術>を前にして、
未開民族の弓矢、刀、槍に比べれば、大砲や銃器が威力において断然優勢のある実際のように、
西洋先進国の思想が生み出す<機械による技術>の表現を学ばなければ、
<手による技術>だけの後進国に甘んじなければならず、近代化は成し遂げられないことであった。
こうして、<手による技術>は、可能な限り、<機械による技術>へと転換させられていったが、
他の民族から学ぶということは、<機械による技術>そのものだけを学ぶということではなく、
それらを創出した民族の思想、宗教、歴史を認識するということであり、
みずからの伝統と対峙させられるということでもある。
この避けられない対峙から生まれる<矛盾・軋轢・苦悩>といった事柄は、
文学においては、二葉亭四迷、夏目漱石、芥川龍之介の場合のように、
明治時代以降の日本の芸術が<主要主題>としてきた事柄である。
西洋先進国の思想から学び・追従することに依って生まれる<矛盾・軋轢・苦悩>を抜きにしては、
日本の芸術の存在理由は創出できないという状況にあることでは、現在も変わらずにあることである。
ただ、それを表現の俎上に生まれたままの全裸で載せるかどうかということが違いであって、
解決されないままに至っている<矛盾・軋轢・苦悩>ということでは、
近年では、 ひとつの典型的なありようとして、三島由紀夫が示した介錯割腹の表現がある。
文学の有能な表現者でさえ言語で超克できない日本の<主要主題>があると明示したことである。
従って、言語で超克できない者は、自殺を答えとすることができる、
思想家・芸術家・政府高官・公務員・企業社長・従業員・学生、いじめにあう小学生に至るまで、
<矛盾・苦悩・軋轢>に置かれる状況の解決は、言語による概念的思考の展開ではなく、
自殺にあることは、むしろ、日本思想の伝統に準じることになるとさえ見なされる。
一国の戦況が劣勢ともなれば、特別攻撃隊や集団自決に至ることであらわされた戦争表現は、
献身的犠牲行為においての自殺は、美にまで昇華されるものとなるのである。
従って、日本の民族思想が明治時代より引きずっている<主要主題>の解決に窮すれば、
自殺という表現が<起承転結>の<結>として用意されていることになる。
<機械による技術>の思想から学び・追従することが当たり前となっている現在の状況にあって、
漠然と意識する<矛盾・苦悩・軋轢>の所以が民族思想の対峙にあることだと想像できないとしたら、
縄文時代に<起>として始まり、脈々と持続しているひとつの民族思想の存在があるということなど、
ただ、荒唐無稽な絵空事に過ぎない事柄になるであろう。
このひとつの民族思想は、<人間としてあることの全体性>へ思いを馳せるというものであって、
人間に備わる<四つの欲求ー知欲・食欲・性欲・殺戮欲ー>を認識の根幹として、もとより、
呪術としてあった<縄の結び>を<進展させる宗教性>としていることが固有のものである。
<進展させる宗教性>とは、神道も、仏教も、キリスト教も、儒教も、何もかもをも受容して、
その総体を考えられるという宗教思想のことであるが、
そのような荒唐無稽な宗教思想など、世界の何処を見渡しても存在しないと見なされるとしたら、
無宗教とさえ見なされる現在の日本民族の宗教性のありようを想像できないことと同じである。
日本民族が固有に進展させているありようであるからこそ、民族意識としてあることである。
その民族意識は、<縄の結び>として縄文時代の表象を<起>とし、その後の進展を<承>とし、
室町時代末期の<捕縄術>の発祥を<転>としたが、
隆盛を見た江戸時代を区切りとして、その<手による技術>は減衰していった。
<捕縄術>が減衰していったことは、<手による技術>が前近代的であったことにあるが、
それは、同時に<捕縄術>の宗教性を<機械による技術>によって消滅させられたことであった。
このことは、<捕縄術>の<縄による緊縛>の部分は<手による技術>の民族意識として残ったが、
それは、<四つの欲求>の<性欲>の表象として、
<日本の緊縛>という文化と称されて現在までに進展していることであるが、
人体を縄で拘束するというありようを解釈するに当たっては、
西洋先進国の性科学思想に準じなければできなかったことで見事にあらわされている。
サディズム・マゾヒズムが西洋先進国の思想・宗教・歴史である以上、
そこに日本固有の民族意識としての伝統である思想・宗教・歴史があらわれることはない。
従って、そのありようが<捕縄術>の流れにあることだとしたら、<結>を示すことでしかない。
ましてや、明治時代以降、<手による技術>が<機械による技術>と対峙することで生じた、
<矛盾・軋轢・苦悩>を超克させる手段になることなど、おこがましいかぎりの話である。
日本の文化と称したところで、趣味や娯楽にとどまる程度でしかないことである。
もっとも、趣味や娯楽の効果は、民族思想の云々よりも遥かに経済性のあることであるから、
この<結>をもって、そのありようと見ることに間違いはない。
起こってしまった過去の事象は変えることのできないものである、
そして、将来も変わらない、
変わることで余程のお得が生まれることでなければ、変わることを誰も望まない、
それで民族は生活しているのである、生活してきたのである、生活していくのである
つまり、受け継がれる<因習>こそが民族にとっての拠り所であるということである。
<因習>は、民族にとって、最大・最強の思想であるということである。
日本民族にあっての最大・最強の思想は、縄文時代の表象を<起>とするものが存在する、
<縄の結び>という思想が<性欲>の表象としての<日本の緊縛>文化を<結>とするだけとは、
到底思うことのできない、脈々として受け継がれてきた長い歴史があることである。
同一の物を眺めていても、結ぶことをしなければ、異なったものとして見ることはできない、
<起承転結>を整合性としている概念的思考であっても、想像力による<展>の導入は、
起こってしまった過去の事象は変えることのできないものであっても、
将来に役立てる解釈として、異なった事柄として展開させることができるものとしてある。
現在の日本民族の文学に問われていることがあるとすれば、
明治時代より引きずっている<主要主題>に<展>を導入する、
<機械による技術>と<手による技術>の対峙を展開させるということにあるように、
歴史的解釈をみずからの民族の<因習>から行う、新しい表現にあることである、
少なくとも、言語を用いての表現である以上、それは避けられない。
SMという西洋製のブランドの眼鏡を通して眺めていた絵画であっても、
眼鏡を外して全裸となって、みずからのまなざしで直接見つめることをすれば、
官能を掻き立てる同一の絵画であっても、異なったものとして見ることができるのである。
最後に、日本民族が表現した<縄による緊縛>の絵画を再びご覧になって頂きたい所以である。


☆因習の絵画表現 ― 終わりにして始まりのとき ―


(2008年12月2日 脱稿)



☆5.<縄による緊縛>・ひとつの答え・ひとつの終わり

☆3.因習の絵画表現

☆縄による日本の緊縛