13.縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (21) <緊縛美の夫人>の誕生 借金返済で弁護士に相談



縄による緊縛という結びの思想・四十八手

(21)  <緊縛美の夫人>の誕生



人間は、一糸も身に着けない、生まれたままの全裸の姿態にあると、
羞恥を感ずる箇所を見られまいと隠そうとする、
それは、みずから以外に他者の存在が意識されるということにあるが、
隠そうとする両手は、麻縄で後ろ手に縛られていることから行うことを許されず、
裸身をよじらせて隠そうとするには、
縦・横・高さが一メートル半ほどの鋼鉄製の檻に入れられているという状況にあっては、
身動きを思いのままにはさせず、しかも、そのみずからに対して、
他者の存在も同様の状態にあったことは、ただ、横座りとさせた全裸の姿態を縮こまらせて、
出来る限り、隅の方へ身を寄せさせることでしかあり得なかった、
これが<囲繞の檻>へ入れられている、恵美子と香織の母娘の姿と言えた、
身動きすれば、柔肌と柔肌が触れ合うくらいの互いの距離にあって、
母と娘は、相手を意識し合うまいと懸命になって自身へ没頭しようとするが、
地下室の天井から下がるシャンデリアの煌々とした照明は、
冷たい鉄格子の嵌った檻の中を非情にも映し出すことにあるのであった、
ふたりがどのような素振りをあらわすことにあるか、
設置されたビデオカメラの眼がしっかりと向けられている状況にあることだった、
日本における、犯罪抑止の看視ビデオカメラの台数は、世界的にも多いとされていることにある、
使用されているその一台がこの地下室にあったとしても、驚くにはあたらないことにある、
母と娘がそのビデオカメラの眼を意識していたとすれば、羞恥の思いは、避けられない事態と言えた、
しかし、みずからを見つめる相手の眼から意識を逸らさせて、みずからへ没頭しようとすることは、
全裸の姿態へ施されている、縄による緊縛にあっては、
高ぶらされる自身の性欲と性的官能と向き合わざるを得ないという状況が意味されることにあった、
突き出させられる格好で、ふたつの乳房を上下から挟むようにして掛けられている胸縄は、
ふたつの乳首を欲情で強張らせているありさまを明らかとさせていたが、
股間の女の割れめへ深々ともぐり込まされている股縄は、
女芽と肛門へ鋭敏に圧迫する刺激にあることもさることながら、
作られた瘤縄が膣口へ含まされていたことは、双方の太腿の付け根をてらてらと輝かせながら、
しとど濡れているさまを露わとさせていることにあるのだった、
それは、思わず、身悶えをしないではいられない、性感を高め続けられる境遇にあって、
母と娘のいずれからともなく、肩先を微妙に触れ合わせることにあったのである、
だが、触れ合えば、互いに、びっくとなって、恐れるものから逃れるように身体を縮こまらせるのだった、
そのようなことが繰り返されていたが、
やがて、触れ合うことが恐れよりも快感を意識させるようになっていったことは、
すでに長い時間に渡り、檻へ入れられた身上へ置かれていた、恵美子にあっては、
もはや、我慢することも限度というところへ来ている状態にあった、
だが、相手は、腹を痛めてみずからが産んだ、実の娘である、
可愛くて仕方がない、綺麗な顔立ちをした、わが子であった、



縄奴隷の女は、<囲繞の檻>の中にあって、そのような状態に置かれていることにあった、
この一つの<比喩>は、そのままに置かれ続けているだけでは、事態は変わらないままにある、
その必然的な経過とは、母は、高ぶらされ続ける性欲と性的官能に依って、
いずれは、娘の愛らしい唇を求める行為をあらわすことになることである、
それは、禁断の行為にあることだとすれば、異常な行為には違いないが、
そもそも、全裸を縄で緊縛されて、<囲繞の檻>へ入れられているという状況が異常であるのだから、
異常が異常を産むというありようは、<主体>にあっては、正常な経過となる整合性にある、
母が求める娘の唇と舌は、娘がその行為を拒絶するという意思のあらわされることにあったとしても、
娘に施されている縄による緊縛は、性欲と性的官能を高ぶらせ続けているという同様の身上は、
母に導かれることがより強い快感を生じさせることにあれば、母の正しい導きに従うことは、
誕生以来、そのように生育させられてきた娘にとっては、正常な経過となる整合性にあることである、
身動きをあらわすには、余りにも狭隘な<囲繞の檻>の中で、
互いの唇と舌を吸い合い、乳首と乳房を舐め合うことまでは可能な体位にあることだとしても、
縄の掛かった股間を互いの唇と舌で愛撫し合うにまで至ることが可能かどうかは、
想像に委ねられることにあるが、いずれにしても、そうした必然的な経過は、時間の問題に違いなかった、
そこで、この一つの<比喩>は、もう一つの<比喩>と並置されることに依って浮かび上がってくる、
展開する事態を求められることにあることは、<結びの思想>に基づいていることにある、
<縄奴隷の女>が成長する、<緊縛美の夫人>というありようである、
もう一つの<比喩>とは、次のような話に始まる。

明治維新という大股開きにある、開国は、苛烈な世界にあって、峻烈なアジアにおいて、
日本民族という類稀なる絶世の美女が日本国家という源氏名において、
半玉から芸妓へ成長する、自主・独立・固有の知覚を示すありようを必須とする状況にあった、
近代という勢力旺盛な時代の先進国である、帝国主義の勃起も露わな植民地政策を行う、
西洋思想の列強国の産物を手本とし導入することで、
そのなよやかな肩を厳つい肩へ並べることが必須の事態としてあることであった、
このなくてはならない陰部のように必須にある、国内意識と対外意識が相対し対立するところに、
矛盾・相克・軋轢が生じるということは、横恋慕するように避けられない恋愛としてあったことで、
日本の止むに止まれぬ近代的自我の誕生とは、
生まれることを望まれた子供ではなく、あざとい浮気から生まれる胎児のようにあることであった、
従って、西洋思想対日本思想の対立を超克することは、不倫の苦悩の問題として引き摺る、
矛盾・相克・軋轢の解決を意義するものとしてあったことであった、
日本髪を結った、絶世の美女は、勃起も露わな異国の男性たちに取り囲まれ、
身に着けた、瀟洒な和服のひとつひとつを興味深そうに剥ぎ取られていき
美しい顔立ちも、ふたつの綺麗な乳房も、股間の悩ましげな陰毛もさらけ出されて、
生まれたままの優美な全裸の姿態を四つん這いにさせられた、
そのほっそりとした首へ、皮製の首輪をはめられ、首輪の環には、銀色に輝く鎖を繋がれて、
植民地の隷属をあらわすために、いつでも、帝国主義の勃起を迎え入れられるように、
艶かしい白い尻の間から、妖艶な割れめをのぞかせる姿勢を取らされるのであった、
という状況へ陥ることを断固拒絶する、矜持を抱く、芸妓にあったことだった、
艶麗な歌舞や興趣のある音曲を見事な芸とする、芸妓は、
それを表現する日本思想をしっかりと抱いていたのである、
ものという客観的対象をあはれという主観的感動で捉えて認識し、
調和のとれた優美繊細な情趣をあらわす、もののあはれという芸術意識にあることであった、
しかし、その情緒による芸術意識は、ものという客観的対象を同質のものと見ることにあった、
森羅万象にある、ものは、各々に異なったものにありながら、あはれという感動で同質にあった、
異なったものにありながら、同質と感動する、情緒性の知覚にあることであった、
個々の異質が問題とされず、個の全体が問題とされる、雰囲気が重要な意識としてあることだった、
この芸妓の芸術意識に対して、西洋思想の芸術意識は、、
異なったものにあることは、異質を明確にされることで感動する、合理性の知覚にあった、
個々の異質の問題は、その集合である全体の問題として、分析が重要な意識としてあった、
状況に対して、雰囲気で把握するか、分析で把握するかの両者の相違である、
従って、人間という観点から見れば、この情緒性の知覚と合理性の知覚の相対は、
共に備わっていることにあれば、いずれが主潮にあるかということでしかないものである、
西洋思想にある列強国の産物を手本とし導入することが不足を補うことにあれば、
合理性の知覚の発達を促すという教育も真剣に考えられるべきことにあったが、
手本とし導入することが模倣・追従に留まることならば、情緒性の知覚は主潮のままにある、
むしろ、その情緒性の知覚にあることが自主・独立・固有の知覚をあらわしていることにあれば、
手本とすることは、情緒性の知覚によって導入されるというありようを示す以外にない、
芸妓の艶麗で興趣のある振舞いは、絶世の美女の所以を自負させるものとなる、
本居宣長に依って提唱された、このもののあはれという学説は、
知覚のあらわれとして示されて、日本人の感性が固有に存在することを宣言したものにある、
更に、大和心と漢心という相対として、自我が主張されていることにおいては、
日本思想史上、二つとない、日本人の画期的な存在理由が明示されたものにある、
その学説の根拠としては、『古事記』と『源氏物語』が置かれている、
それによって、天皇の予定調和と文学の芸術性が指し示されていることでは、
文学・歴史学・心理学・哲学・神学を含んだ、総体としての国学が示されていることにある、
従って、自我を主張する、大和心が国家の自主・独立・固有の知覚を意義するものとして、
政治的に利用されることが行われたことは、必然的な成り行きであり、
それは、 もののあはれにある、芸妓が人情知らずの女衒の女将に変貌したように、
植民地の隷属を獲得するために、列強国に倣って、帝国主義的勃起を露わとさせていくことは、
女にあれば、その勃起は、木製の張形を設えた、
西洋思想の模倣・追従にある、擬似陰茎のまがいものでしかあり得なかったことは、当然であった、
大日本帝国陸海軍の軍律・戦略・戦術において明白とされた、
状況に対しての調査や情報の分析の希薄があらわす、雰囲気で現実を把握するというありよう、
個々の異質が問題とされず、個の全体が問題とされるという作戦の絶対遂行は、
戦場に非現実的な夢想を見て人命を軽視する、全体性の精神主義にあって、
餓死者が全戦没者の六割以上あったという荒唐無稽をひけらかしたことであった、
明治維新から大東亜戦争敗戦に至るまでの日本国家の戦争の意義を問うとすれば、
情緒性の知覚で行われる行動が何処まで有効なことにあるかを試されたことにあった、
答えとしては、国土を焦土と化され、無条件降伏による、惨敗の敗戦でしかなかったことは、
西洋思想の合理性の知覚が優っていたことは、
勝つことができなかったという自我の萎縮とさせたことであった、
率直に、自然に、屹立させることができないという、インポテンツの萎縮となることであった、
この脳にはびこるインポテンツは、芸妓においては、濡れそぼつという状態が萎縮することにある、
艶麗な歌舞や興趣のある音曲を表現する芸が粋や艶という湿り気を失い、
もののあはれの認識のない、殺伐たる女をあらわすことになる、
女衒の女将に変貌していた、芸妓は、敗戦に依って、化けの皮を剥がされたということであるが、
戦後批判というものが西洋思想の産物の影響に依る合理性に倣って、
戦争の是非や善悪を糾弾する作法は、
当然、勝利することのできなかった、日本思想という事実に基づいていた、
従って、敗戦の事実は、歴史的に消すことができない以上、
戦後批判は、永続的に行われる様相を帯びるものとなる、
何故ならば、その日本思想とは、自主・独立・固有の知覚を示すありようにあって、
それが果たされなかったことが批判されるわけであるから、
自主・独立・固有の知覚を示すことがあり得ない限りは、終わりがないということにある、
西洋思想対日本思想の対立を超克するという過激で露骨な羞恥の問題から眼を逸らさせて、
西洋思想をひたすら模倣・追従することの正当性は、
国家が悲惨な戦争の結果から、戦後復興へ邁進し成長を成し遂げるためには、
先進国の位置付けを必須のものとする目的において、
その産物を手本とし導入するありようを必然的とする自我にあることが理由になることであった、
金がなければ食うに困るということであれば、外貨を必死に稼ぐしかない、
化けの皮を剥がされた、芸妓は、艶麗な歌舞や興趣のある音曲の芸で稼ぐことができなければ、
さびれた温泉町のヌード・ショーでも、
猥雑な場末のストリップ・ショーでもやらざるを得ないということでは、
類稀なる絶世の美女は、品性という矜持をかなぐり切り捨てて、
高度成長へ邁進するしかなかったことであった、
明治維新以来、行われてきた、欧化主義に依る方策と同様にあることは変わらなかったが、
西洋思想へ隷属するように置かれたことは、大いなる変容であった、
戦争に負けた日本の産物は、西洋思想の産物の前にあっては、劣等であり、
西洋思想の産物を手本とし導入して作られた日本の産物は、優れたものにあっても、
それは、優越する勝者に追従していることにある以上、自主・独立のものにはないことにある、
この隷属意識による葛藤は、近代的自我の矛盾・相克・軋轢が如実に示されていることにあったが、
その近代的自我を超克しようなどという者があらわれなかったのは、
戦後復興と高度経済成長へ向かう、生産する活気にあっては、
雰囲気で現実を把握するという情緒性の知覚が主潮にあれば、
状況に対しての調査や情報の分析は希薄となり、全体性の精神主義が優先されることになる、
戦前の軍隊の名残と言ってしまえば、それだけのことにあるが、
一丸となる国民の必要をその精神主義に依存しているのでは、本質と言えることにある、
軍隊の名残が集団における教育のための体罰の必要としてあることなどは、実質でさえある、
情緒性の知覚を主潮とすることは、依然として、変わりようがなかったということにある、
西洋思想の影響による左翼的思想、及び、日本思想の影響による右翼的思想、
両者の対立のあらわす事柄が近代的自我の矛盾・相克・軋轢を如実とさせることにあっても、
両者の見解は、漢意と大和心の対立のように見なされている限りにおいて、
共に相容れないことをあらわすことによって、存在理由を示すというありようでしかない、
近代的自我の矛盾・相克・軋轢を引き摺り、更には、隷属にもあるという身上では、
外貨を多分に稼げるようになっても、自主・独立・固有の知覚を示すありようは生まれない、
場当たりの際物の刹那の自己満足的な享楽が固陋な現実を覆い隠すということが奨励されて、
脳にはびこるインポテンツも、治癒する対象にさえならない状況へ向かわされるばかりとなる、
やがて、経済的成長が頂点へ至り、生産の活気が衰退へ向かい始めるようになると、
矛盾・相克・軋轢は、異様と言えるような社会的現象となって、浮かび上がり始める、
典型的な現象は、若年層における、引きこもり・いじめ・自殺の増加である、
若者は、将来を夢想し、現実を変革しようという反抗心があるからこそ、時代は、常に、
年長の保守と若年の革新の闘争にあって、より良い未来の礎を構築することができる、
若者が隷属に甘んじて、仕方なく、引きこもり・いじめ・自殺へ向かうとしたならば、
未来に対する、生産性の思考は断絶され、希望を減退させる傾向の加速を招くことでしかない、
隷属していれば、少なくとも、食ってはいける、という奴隷根性は、
その身上に反抗をあらわさない限り、自主・独立・固有の知覚を示すありようへ導かれることはない、
日本における、近代的自我は、超克されなければならないありようである、
いつまでも、引き摺り続けていても、碌なことは生み出さない、
夏目漱石や岡倉天心が憂いた日本が現在も相変わらずにあることだとしたら、
類稀なる絶世の美女にある、芸妓は、再び、生まれ変わらなければならないという話にあることである。

「美しい姿態だわ、子供を産んだことのある身体とは、とても思えない」
由美子さんは、等身大を映し出す鏡へ、美しいまなざしを投げ掛けながら、そのように言うのであった、
気を付けの姿勢を執るように直立不動にあった、恵美子は、そのように評された、
一糸も身に着けない、生まれたままの全裸にある、みずからの姿態を直視することができなかった、
羞恥の余りに俯かせた顔立ちは、真っ赤に火照っていたが、
「類稀なる絶世の美女にある、芸妓として、世の中へ出ようとしている、
あなたがそのような自信のない態度をあらわすということは、無粋というものです、
しっかりと自分の髪と顔立ちと身体を見てご覧なさい、
ペリーの黒船来航以来、太平洋上のハワイに続く、極東における五十一番目の州と成ることを宿願として、
明治維新という大股開きにある開国へ至らせ、太平洋戦争においては徹底的な敗北へ落とし込め、
一糸も身に着けない、生まれたままの全裸にある、姿態をさらけ出させることをもたらした、
アメリカ合衆国が惚れる、見事な姿態にあるとも言えることにあるのですから……
その美しい列島の姿態は、現在、北海道から沖縄までの全国各地に、82の米軍専用基地、
残りは自衛隊との共用にあって、合計で132の基地に依って守られている状況にあることは、
惚れ込みようにも一途なものがあるということの証拠です、
昭和20年9月2日、戦争の降伏文書調印式が行われた、戦艦ミズーリの艦上には、
ペリー艦隊の旗艦のアメリカ国旗が掲げられていたことがその本意のあらわれでなくて、一体何かしら?
そればかりでなく、ロシア連邦には、四島の北方領土を抱かれたまま、
中華人民共和国や中華民国には、尖閣諸島を横恋慕され、
大韓民国からは、竹島に愛着を示されるということにあるのですから、
類まれなる絶世の美女の列島の裸身は魅力があるということです、
でも、<他者へ隷属することは喜びである>というのは、
戦後の一時期に<SM>と称されて流行したことであって、
今更、五人の殿方にその美しすぎる全裸を捧げるというのは時代錯誤でしかあり得ません、
もはや、そのような時節ではなく、自立した意思と行動をあらわすことのできない民族というのは、
<M&A>の対象となるだけのことで、隷属する身上で安楽に飯が食えるというほど甘くはないのです、
世界の現状は、自然環境を含めて、あらゆる意味で逼迫している情勢にあるのです、
類稀なる絶世の美女にある、芸妓として、世の中へ出るということは、
そのような世界へ姿をあらわすということにあるのです、
芸妓が特定の主人や女衒へ隷属することなしにはあり得ないということにあるならば、
天皇やアメリカ合衆国というのは、
国民主権・平和主義・基本的人権を保障する、<憲法>という紙切れ一枚の証文などよりも、
余程にあなたを守ってくれる後ろ盾にあると考えることも一理あることですが、
言い方を換えると、天皇制の撤廃と日米安全保障条約の破棄は、
自主・独立・固有の知覚の問題と切っても切れない関係にあることが状況として示されてあるということです」
と聞かされた姿態を恵美子は改めて見やるのであった、
鏡に映し出された、なめらかな乳白色をあらわす柔肌は、辺りを明るませるくらいの輝きを放ち、
艶やかに波打つ長い黒髪に縁取られた、清楚な化粧が美貌を引き立てる顔立ちを際立たせていた、
大きな黒い瞳の両眼は澄んだ光を帯びて、純真を滲ませる鼻筋にあっては、
真一文字に結ばせた綺麗な赤い唇が秘めたる意思を漂わせていた、
ほっそりとした首筋に撫でた両肩がなよやかな両腕を両手の指先まで流麗な線であらわし、
ふたつのふっくらと隆起させた乳房の美しい曲線が突き出たふたつの乳首を可憐なものとさせていた、
更には、腰付きの優美なくびれにある曲線は、尻の方へ伸びて蠱惑な艶かしさを漂わせ、
双方の艶やかな太腿の方へ伸びては、しなやかな両脚の線を爪先にまで示していることにあるのだった、
一糸も身に着けない、生まれたままの全裸にあることは、それだけで羞恥の姿態にあることだった、
他人のまなざしがその姿態を鑑賞するように投げ掛けられていたことは、抑えられない羞恥でさえあった、
ましてや、みずからが見つめるというには、それは、羞恥の極みにある姿態をあらわしていた、
綺麗な形の臍を覗かせる、なめらかな腹部の下、ふっくらと盛り上がる女の小丘は、
女であることをあからさまとさせる割れめをさらけ出させていることにあった、
女の小丘が乳白色を輝かせるだけ、その漆黒をあらわす割れめの線は、
神秘的とも映るくらいの深々とした亀裂を露わとさせていることにあったのだ、
羞恥を覆い隠す陰毛をすっかり奪われているという如実があらわされていることにあった、
「あなたは、日本国家という源氏名において、半玉から芸妓へ成長する、
自主・独立・固有の知覚を示すありように対して、対外的にも、国内的にも、
惨憺たる結果をもたらした、最悪の戦争を敗北をもって失敗したことにあるのです、
この重大な意義は、日本国家は他国へ隷属をあらわす国家に置かれたことが出発点にあって、
戦後の終結とは、自主・独立・固有の知覚を示すありようがなければあり得ないことが示されていることです、
国民の生活を有意義とするためには、<憲法>の改正は必要不可欠の事柄にあります、
しかし、占領国に押し付けられた<憲法>にあるから自主憲法ではない、
ましてや、それが戦前へ復古するような改正の内容として考えられていることにあるならば、
<憲法>の改正が自主・独立・固有の知覚を示すありようをもたらすことにはありません、
何故ならば、それは、すでに、失敗した結果をあらわしていることにあるからです、
明治維新以来、抱えている<近代的自我の超克>という問題を軽く見ていることにあれば、
戦争の敗北という事態も、時間の経過と共に、軽い問題にあると見なすことへ導かれていっても自然です、
しかし、そのようなありようからは、同じ失敗の結果がもたらされるという未来しか見えないのです、
失敗した結果から出発するという立場へ置かれているにも関わらず、
失敗した結果は、あたかも存在しなかったように考えていることにあるとしたら、
それは、無知・無作為・無謀をあらわしているということでしかないのです、
半玉から芸妓へ成長する、自主・独立・固有の知覚を示すありようを求めると言うのならば、
あなたは、日本国家という源氏名を改めて、新たな呼称が必要とされることにあります、
縄文時代より連綿と持続する、<結びの思想>に基づくことにあれば、
あなたは、<緊縛美の夫人>と呼称される、新しい源氏名にあるということになります、
それは、人間性を追求する、人間そのものをあらわす存在とならなければならないということにあることです、
その存在証明として、あなたは、女であることを如実とさせる存在にあることが必要不可欠です、
芸妓として、一糸も身に着けない、生まれたままの全裸にあるとき、
女をあらわす亀裂をあからさまとさせていなければならない姿態にあるべきことなのです」
向かい合うようにして白木の太柱が立つという日本間へ連れて来られた、恵美子は、
そのように申し渡されて、一方の太柱を背にして、全裸の姿態を畳の上へ跪くようにされたのであった、
障子と襖に仕切られた部屋には、床の間があって、そこには、等身大を映し出す鏡が立て掛けられていた、
二十畳の広さのある中央に堂々とした白木の太柱が二本立っているという異様は、
その場所が特殊な状況にあることを如実に伝えていることにあったが、
瀟洒な和服姿にある、由美子さんの姿は、
そのほっそりとした手に麻縄の束が握られていたことにあったとしても、
日本間の造りにしっくりと調和している趣きがあるのだった、
それ故に、由美子さんの手によって掛けられていく、麻縄は、
柔肌へ吸い付くように生き生きとしているものにあった、
上下からの胸縄を掛けられて、ふたつの乳房を挟み込まれるようにされた、
その胸縄を首から下ろされる縄で締め込まれることによって、
立ち上がっているふたつの乳首をありありとさせられるように突き出させられる格好へ置かれた、
背中を太柱へ押し付けられると、両腕で柱を挟むような具合にされて、後ろ手に縛られた、
柱へ固定されるように幾重にも巻き付けられた、縄は、肘の部分にも、二の腕の部分にも施された、
閉じ合わせていた太腿を割られ、両脚を可能な限りに開かされて、両足首を柱へ縛り付けられた、
双方の太腿へ巻き付けられた縄が大股開きにある姿勢を固定させるように柱へ繋がれていくのであった、
それから、腰付きを前へ迫り出させるための縄がくびれへ巻き付けられて引っ張られることが行われ、
向かいにある太柱の上部へ縄留めされると、
突き出させられた腹部と漆黒の陰毛をこれ見よがしのものとされる姿態をあらわすことになったのである、



女は、その姿に思わず、いやっ、という呟きを漏らさせていたが、
対外的にも、国内的にも、惨憺たる結果をもたらした、最悪の戦争を敗北をもって失敗したことの事実は、
消すことのできない歴史にある以上、されるがままを耐え忍ぶ以外に方途はなかったことにあった、
背にさせられた太柱が天皇制にあり、向かいに立つ太柱が日米安全保障条約にあることは、
麻縄で拘束された、被占領下にあるという身上は、美しい日本列島の姿態をあらわさせることにあって、
将来を生き抜くというためには、耐え忍ぶしかないという姿にあることが示されていた、
すでに、由美子さんは、石鹸を泡立てた刷毛の入った小鉢と刃をきらめかせる西洋剃刀を両手にしていた、
眼の前へ立たれているという状況に置かれては、両眼をしっかりと閉ざさせて、
唇を真一文字に結ばせて、為されることをただ引き受けるという覚悟をすることでしかなかったことにあった、
「これは、あなたが<緊縛美の夫人>として生まれ変わるには必要なことです、
身悶えしたくても、それを許されない、がっちりとした緊縛の姿に置かれていることですが、
大事なところを傷付けてしまうなんて不本意なことはしたくはありませんから、
剃刀を当てている間は、どうか、身動きすることは、懸命に堪えてください」
由美子さんは、そのように言うと、恵美子の迫り出した腰付きの前へ正座の姿勢を執るのだった、
それから、小鉢の石鹸水を刷毛で再度泡立て、漆黒の陰毛へ塗りたくり始めた、
全裸を縄で緊縛された女は、最初の刷毛の触感に、思わず、ぶるっとした身悶えをあらわした、
「懸命に堪えなさいと言ったでしょう、刷毛の感触で、こうも敏感にあることだとしたら、
剃刀を当てたときは、どうなるのかしら、
冗談で行っていることではないのです、真剣になりなさい!」
その語気の強さに対して、女は、ただ、はい、と小さな返事をするばかりにあるのだった、
陰毛を刷毛で優しく逆撫でされることは、思っていた以上に快感を生じさせることにあったことは、
それが丁寧で執拗に隈なく塗りたくられることにあって、
女の顔立ちは、羞恥で赤く染まっている以上に、高ぶらされる官能の火照りを露わとさせていた、
身悶えを懸命になって堪えることは、その官能を更に掻き立てられることになったことは、
不動の姿勢が示される代わりに、ああっ、ああっ、ああっと漏らさせる声音が震えていることにあった、
漆黒の陰毛は、真っ白な泡で覆い尽くされていったが、そこへすぐに剃刀が当てられることはなかった、
由美子さんのほっそりとした指先は、白い泡を陰毛へまぶすように丹念に撫で始めることをしているのだった、
それは、愛撫されていることにあると言ってもよかったことは、
ふっくらとさせた女の小丘を撫でまわすに留まらず、割れめへ潜り込むようにも為されたことで、
ゆっくりと掛けられた時間は、執拗な愛撫がされていることをあらわす以外の何物でもないことにあった、
女は、掻き立てられる官能が高ぶらされる官能へ押し上げられていくことを如実とさせるように、
堪える余りに顔立ちをのけぞらせて、う〜ん、う〜ん、う〜ん、と唸る甘い声音を発していたが、
言われた通りに、身悶えは、微動だにしないという姿勢を従順に示していることにあった、
だが、さすがに、執拗にうごめく、由美子さんの指先が割れめへ潜り込んで女芽に触れ、
それを立ち上がらせようと掻き出し始めたときは、思わず、身悶えをあらわしてしまったのだった、
麻縄でがっちりと固定されている腰付きが精一杯にくねるのを見て、由美子さんは、
「分からない人ねえ、懸命に堪えなさいと言ったでしょう、
あなたは、<緊縛美の夫人>という源氏名で世の中へ出ることになるのです、
その呼称の通り、一糸も身に着けない全裸を縄で縛り上げられた姿態を晒すことになるのです、
縄で緊縛されたあなたの美しさに見惚れて、ただ、ひたすら鑑賞するだけに留まる者もあるでしょう、
けれど、今、私が行っているような振る舞いへ及ぶ者はいないという保障は何処にもないのです、
あなたは、全裸を縄で緊縛されている姿態にあるのですから、自由を奪われている、
にもかかわらず、守るべきは、みずからの力でしかないという状況へ置かれていることにある、
特定の主人や女衒へ隷属することなしにあるということは、そういうことです、
為されることに一々反応を示していたら、あなたは、芸のない芸妓にあるとしか見なされません、
芸のない芸妓とは、ただの素っ裸を縄で緊縛された女に過ぎないという意義でしかないことは、
そのようなものにあることだとしたら、日本国家という源氏名のままでいるありようと変わらないことです、
その源氏名は、すでに破綻をあらわしているのです、
今更、そのような陳腐固陋なものを日本の伝統にありますと開陳したところで、
あなたを鑑賞する世界の誰が新味を感覚することにあると言えるでしょう
少なくとも、日本民族が人類の最先端を邁進する民族にあることだとは見なされないことです、
それを承知して!
日本民族は、人類の最先端を邁進する民族にあることを実現すること、
それこそがあなたが生まれ変わることであり、
自主・独立・固有の知覚を示すありようをあらわすことであるということ!
あなたの艶やかな漆黒の陰毛が剃り上げられて、女を露わとさせた姿態にされるということも、
あなたは、覆い隠さずに表現することを本領とする意思のあらわれにあることの必然からです!」
女が芸のない芸妓であったならば、由美子さんの言葉は、
その指先で掻き出され、摘まれ、揉まれて、高ぶらされる官能のままに、
声を上げて喜悦をあらわすことで、文字通りのものとなることにあった、
しかしながら、女は、縄文時代より連綿と持続する、<結びの思想>の体現者にあれば、
感情を主潮とする<自然観照の情緒的表現>にあるだけとは言えないことにあった、
女は、懸命に堪える方法をみずから学ぶしかない状況にあったのである、
それが<芸>と呼ばれるものであったのである、
割れめへ潜り込まされていた、由美子さんのほっそりとした指先は、ゆっくりと引き抜かれると、
床へ置いてあった、刃をきらめかせる西洋剃刀を取り上げていた、
石鹸の泡を充分に含んでしっとりと濡れた陰毛は、匂い立つような漆黒の色艶を放っている、
そして、女の小丘の柔肌へ、最初のひと剃りの刃が当てられた、
ぞりっという衝撃は、女にとって、女の割れめを貫いて走る、電撃的な感触となって感じられることにあった、
それは、柔らかく敏感な箇所へ鋭利な刃物を当てられているという恐怖感を呼び覚ますことにあったが、
柔肌を滑る刃物の触感は、その恐怖を上まわる快感を感じさせることにもあったのだ、
ぞりっというふた剃り目が行われたときには、
思わず、ああっ、と声を上げそうになるのを赤い唇を噛み締めて懸命に堪えるばかりで、
微動だに腰付きを動かすまいという必死の思いは、身体から汗を噴き出させることにあった、
恐れる感覚と気持ちの良い感覚がねじり合って、性的官能を上方へ向けて昇らされるという思いは、
必死なって堪えれば堪えるだけ、強い快感を生み出すことにあるのを悟らされるに至っては、
閉じた膣口を膨らませていた女の愛液が漏れ出すのを察知させられることでもあった、
美しい列島の姿態は、成されるがままに、陰毛を剃り上げられていくことを引き受けているのであった、
覆い隠させている恥毛が奪い去られることによって、
あからさまとされていくという本質が示されることにあった、
女の小丘が乳白色を露わとさせるだけ、漆黒をあらわす割れめの線は、
神秘的とも映るくらいの深々とした、美しい亀裂を如実とさせていくことであった、
天皇制の撤廃と日米安全保障条約の破棄が時間の問題であることは、
近代的自我の超克が成し遂げられたという状態にあれば、必然的に導かれる事態としてあることである、
自主・独立・固有の知覚を示すありようをあらわすということは、
隷属する状況から解き放たれて、人間存在にあることの見地から、人間性を創造するということにある、
縄文時代より連綿と持続する、結びの思想の体現者にあるということは、
日本民族における者がそれぞれの思考において、
民族の創始を起源とする、縄を綯っているということであり、
民族史という歴史の全体から見れば、
創始以来の一筋の縄を総力で綯っているという状態にあることである、
日本民族に依って、綯われる一筋の縄というありようであり、
人間存在にあることの見地から、人間性を創造するというありようである、
そのありようは、隷属する状況から解き放たれていることが体現である以上、
その見地からすれば、天皇制が存在することには限界のあることが示唆されるからである、
日本列島という島国にあって、大陸から隔絶している状況は、そこへ引きこもって、
自主・独立・固有の知覚を示すありようを育むことを可能とさせた歴史にあることである、
徳川幕府の施政において、鎖国という引きこもりの堅持は、
本居宣長のもののあはれという学説を生み出させるのに充分な土壌としてあったことであった、
その引きこもりを継承・維持することが可能なことにあれば、
引きこもっていることで、万世一系とされる、天皇制は、その存在理由をあらわすことにあった、
天皇制は、日本列島としてある、国家が引きこもりの状態にあることで成立してきたことである、
そのありようがあからさまとされたのは、世界への開国を余儀なくされて、
明治維新に依って、徳川幕府を頂点とする施政を天皇を頂点とする明治政府の施政に転換したことは、
天皇を頂点とする国家がもたらしたことは、絨毯爆撃によって国土を焦土と化され、
核兵器である原子爆弾を二発も落とされ、310万余の戦死者を生んだ、
徹底的な惨敗のあらわされた、無条件降伏という大東亜戦争・太平洋戦争の敗戦に示されている、
無謀な戦争は、国家権力を思うがままにした、軍部の暴走に依ることだと言われることにあるが、
その軍部を統御できなかった、天皇の治世にあったということも事実としてある、
明治維新から大東亜・太平洋戦争の敗戦に至るまでの天皇の治世は破綻を結果としたということである、
その破綻の意義は、国家が引きこもりの状態にあることで成立してきた、天皇制では、
国家が世界へ開かれた存在にあって、
そのあらわされる、自主・独立・固有の知覚は通用しなかったという事実である、
破綻がもたらされたという天皇制の限界が如実とされたことである、
国民を一つにするために存在する天皇という考え方は、
日本列島としてある、国家が引きこもりの状態にあることで成立してきたことで、
国家が世界へ開かれた存在にあるという現在、
<象徴天皇>という意義を把握することの困難なありようの無意味さは、
ましてや、<元首>へ位置付けようとする憲法改正の企図があると言うのであれば、
日本民族の自主・独立・固有の知覚を示すありようを作り出せなかった、天皇制は、
再び、国民から、自主・独立・固有の知覚を示すありようを奪うものであるということでしかない、
依拠する存在でないにもかかわらず、依拠してあることを象徴と考えるような思考の方法では、
隷属から解き放たれることを象徴と考えるありようと同様のことで、
認識や分析の希薄からは、いずれは破綻のもたらされる結果を生み出すことになるだけのことにある、
明治維新から敗戦に至るまでの天皇の治世は破綻を結果としたということにあれば、
現段階からすれば、<初期の段階>にあったという意義でしかない、
現行の日本国憲法の第1条は、<天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く>とあることは、
主権者たる国民の総意が天皇の存在を規定することができることが意義されている、
天皇制の撤廃が時間の問題であるのは、<近代的自我の超克>次第のことにある、
国民の総意が<近代的自我の超克>にあれば、必然的な経過となることにある、
慎重で丹念な剃刀さばきが覆い隠させる漆黒の陰毛を完全に奪い取ったことにあったのは、
当てられる剃刀の感触がなくなったのと同時の由美子さんの言葉にあらわれていた、
「綺麗になったわ」
濡れタオルを掴んだ、由美子さんの手で女の小丘に残る石鹸の泡を優しく拭き取られて、
あからさまとされた股間へ、まじまじと視線を注がれながら、評されたことであった、
「ふっくらとさせた乳白色の柔肌に覗かせる、黒い亀裂の深々とした様子は、
少女のような可憐な純真さをあらわすようでもあり、
成熟した大人の蠱惑の艶かしさを漂わせるようでもあるという神秘的な割れめに映っている、
いずれにあっても、芳香を漂わせて、匂い立つような美しさにあることは確かです、
あなたに掛けられる縄の緊縛がその割れめを際立たせることにあるか、
それとも、単なる恥知らずの猥褻な開陳に終わることにあるかどうかは、
<緊縛美の夫人>となるあなたの自覚のあらわれ次第のことです」
深々とした神秘的な亀裂を露わとさせた、美しい日本列島という姿態は、
その割れめの何たるかを本質とすることを問われている状況にあるのであった、
明治維新という文明開化は、
引きこもりの状態にあった日本民族が<近代的自我>という問題と向き合わされたことにあった、
<近代的自我>とは、民族としての因習を持続・継承する人間がそれに隷属することから解放されて、
自主・独立・固有の知覚を示す、一個の人間として、人間性をあらわすことが可能であるかという問題である、
人類史にあって、近代に至り、それは、超克することを求められた問題にある以上、
超克することができなければ、人間存在の苦悩・葛藤・軋轢の根拠となることでしかないものにある、
それは、苦悩・葛藤・軋轢が生み出す相反・矛盾を引き受けることでしかないものである、
従って、放置しておけば、相反・矛盾がもたらす、倒錯した事態へ導かれることになる、
明治維新から敗戦に至るまでの<初期の段階>において、
超克することの失敗にあったことは、必然的に、現段階の露わな問題としてあることになる、
由美子さんは、天皇制と日米安全保障条約という白木の太柱へ縛り付けていた、
<緊縛美の夫人>の縄掛けをすっかり解くと、跪かせていた姿態の手を優しく取って立ち上がらせた、
それから、等身大を映し出す鏡の前へ連れて行き、 気を付けの姿勢を執るように直立不動にさせるのだった、
一糸も身に着けない、生まれたままの全裸にある、
みずからの姿態を直視することのできなかった、夫人にあった、
「美しい姿態だわ、子供を産んだことのある身体とは、とても思えない」
由美子さんは、等身大を映し出す鏡へ、美しいまなざしを投げ掛けながら、そのように言うのであった、
羞恥の余りに俯かせた、夫人の顔立ちは、真っ赤に火照っているばかりにあった、
「類稀なる絶世の美女にある、芸妓として、世の中へ出ようとしている、
あなたがそのような自信のない態度をあらわすということは、無粋というものです、
しっかりと自分の髪と顔立ちと身体を見てご覧なさい、
あなたが抱く自覚があなたをあらわすことにあるのです、
あなたに<緊縛美の夫人>であることの自覚がなければ、
あなたは、一糸も身に着けない、生まれたままの全裸にあって、縄で縛り上げられた姿態に晒されても、
芸のない芸妓がそうであるように、ただの素っ裸を縄で緊縛された女に過ぎないことがあらわされるだけで、
<緊縛美の夫人>は、騙りの呼称に終わってしまうことにあるのです、
その抱く自覚が試練に遭うことは、生やさしいものではないということです、
<近代的自我の超克>とはそういうものにあることです、
あなたのその美しい列島の姿態は、
82の米軍専用と50の自衛隊との共用の合計で132の基地に守られていることにあるから、
生まれたままを晒される全裸にあっても、羞恥を覆い隠させる陰毛があることで、
これまでは、恥ずかしい姿態ではあっても、その隷属を甘受することができることにあった、
しかし、今、その覆い隠させる陰毛を奪われた、剥き晒しの女の小丘にあることは、
日米安全保障条約が破棄されて、守られる身上から自主・独立・固有の知覚を示す身上となることは、
あなたに<緊縛美の夫人>の自覚が確固なものとしてあるかを問われていることにある、
あなたに確固たる自覚がないならば、隷属を甘受する以外にないというありようにあることです、
さあ、両手を後ろ手にして、縛るから……」
と申し渡されたことだった、
<緊縛美の夫人>と呼称された、美しい列島の姿態は、言われるままに、両手を後ろ手にさせるのであった、
由美子さんは、用意していた麻縄を手にすると、一本をふた筋として、
その縄頭を重ね合わさせているほっそりとした両手首へ当てた、
美しい列島の姿態は、縛るからと言われただけで、みずから手首を重ね合わさせる従順さにあった、
無条件降伏という惨敗を結果としたことから始まるありようにあれば、
申し渡されることに従順さをあらわすことは、当然のありようとも言えることにあった、
一糸も身に着けない、生まれたままの全裸を露わとさせている、美しい列島の姿態は、
両手首を縛られた残りの縄を身体の前部へ持ってこられ、
愛らしい乳首を付けてふっくらと隆起する、ふたつの乳房の上部へ二重に巻き付けられた、
背後へ戻されて、今度は、乳房の下部へまわされると、しっかりと巻き付けられて、
戻された背中で交差する縄を束ねるように縄留めが行われるのだった、
そこへ一本をふた筋とした新たな麻縄の縄頭が結ばれて、
ほっそりとした首筋を振り分けるようにして身体の前部へ下ろされると、
胸縄の上部へ絡められてまとめられ、更に、胸縄の下部へ絡められて締め込まれた、
ふたつの乳房は突き出すような具合となった、
由美子さんは、残りの縄を手綱のように引っ張りながら、
「付いて来なさい」
と言って、美しい列島の姿態を引き立て、閉ざされていた障子を大きく開いた、
そこには、小さいながら手入れの行き届いた日本庭園があった、
由美子さんは草履を履いたが、引き立てられる女は素足のままで地面へ降ろされた、
小さな池の前まで連れて来られると、
「そこにある二本の杭を足元にして、座りなさい」
と命じられて、言われるままにしゃがみ込んで、優美な尻を地面へ落す、<緊縛美の夫人>にあった、
二本の杭とは、地面へ深々と打ち込まれた丸太であり、その間隔は、一メートル程あった、
地面へ突き刺さる、二本の杭ということであれば、二本の白木の太柱がそうであったように、
天皇制と日米安全保障条約が比喩されることにあったとしても、不思議のないことにある、
為されることから見ても、それは間違いなかったことは、
由美子さんは、天皇制の杭へ、<緊縛美の夫人>の引き締まった右足首を縄で縛り付けたのである、
杭へ縛り付けられたことで、右足首が自由を奪われたことは、
必然的に、<大日本帝国憲法 第1条>があらわす、厳然とした天皇制を明示する、
<大日本帝国は、万世一系の天皇がこれを統治する>を想起させられることにあった、
<万世一系の天皇>という存在にあれば、<現神(あきつかみ)>であろうと<象徴的存在>であろうと、
<国民を統合する存在>にあることは変わらないという支配下へ置かれることである、
<神的存在>を引用・言及・論及・比喩する場合、
日本民族にあっては、常に並置される存在にあるということである、
このありようを無視できる表現は、<娯楽>となる表現だけである、
<娯楽表現>である限りは、<神的存在>を安易に、能天気に、皮相に取り扱うことが可能である、
笑って済ますことができるというその浅薄さの故に、天皇が示唆されることはない、
だが、民族の自立の問題と向き合うとなると、そうはいかない、ましてや、人間の問題となると……
此処で、他の対比の比喩、
例えば、<自然観照の情緒的表現>と<自然観照の合理的表現>の二つの杭、
或いは、<四つの欲求から生み出される因習>と<進化から生み出される四つの欲求>の二つの杭、
日本民族が抱えている、様々の対比の実情からすればできないことではない、
ましてや、読者が自由に想起する対比の可能にあっては、
多種・多様・多義の求められることであって、あり得ないことではない、
だが、文脈からすれば、地面へ打ち込まれている杭は天皇制であることが、
もうひとつの杭を日米安全保障条約とすることになる、
大東亜戦争・太平洋戦争の敗戦に依って、天皇制が撤廃されていたとしたならば、
一年前に予告することにより、一方的に廃棄できるとされる、日米安全保障条約は、
果たして、現在まで存続する条約にあったかどうかは疑問と言えることにある、
日本民族の自主・独立・固有の知覚を問題とすれば、
第一義としてある天皇制の存在がそれを第二義に置かせる思考へ導いてしまう矛盾に対して、
第二義を甘受するありようは、葛藤・苦悩・諦念から生まれる表現でしかあらわすことができない、
第一義としてあれば、自立の問題は、全裸のあからさまな問題となることにあるからである、
由美子さんは、夫人の左足首を掴むと、しなやかに伸びた両脚を割り開かせようとしていた、
「嫌です」
というか細い声音を漏らさせた、夫人の両脚は、大股開きとされることに抵抗を示していた、
由美子さんは、呆れたという微笑みの表情を浮かべて、
「無駄なあらがいです、
抵抗をしたところで、反抗をあらわしたところで、体制としてある国家が取り決めた事柄は、
そこに国民として居住する者は、遵守するほかにないことにあるのです、
<国民投票>という方法で変革が行われるには、まだ、制限があることです、
あなたは、現状にある事態を受容することなしには、その本然をあらわせないことにあるのです、
それとも、天誅と叫んで刀を振りまわしたり、
身体に巻き付けた爆弾を爆発させるテロといった暴力行為で表現するというのですか、
それこそ、<近代的自我の超克>にあるという問題です、
どのような大義名分があらわされようとも、暴力行為でしかそれを示せない隷属にある、
<四つの欲求から生み出される因習>の存在として人間の如実があるという問題です、
あなたが羞恥を押し開いてあらわすべきは、人間の問題にあることです、
これまでの方法で超克が成し遂げられなかったのであれば、
同じ方法が用いられても、同じ結果を生むことにしかならないのは、道理です、
想像することもできなかった方法が行われても、奇抜・奇態・奇異と映るのは最初だけです、
問題は、その奇抜・奇態・奇異の外観ではなく、内実にあるからです、
お分かりなったら、素直に両脚を開かせなさい!」
女性が一糸も身に着けない全裸を公然と晒させるということは羞恥極まりない状態にある、
更に、覆い隠すべき陰毛を奪われて、剥き出しの女の小丘に露わとさせている、
深々とした割れめを明らかとさせているということは、堪え難い羞恥にあることである、
その上、両脚を可能な限り割り開かされて、
最も見られたくない身体の箇所を如実とさせられるというのであれば、
素直になれと言われても、容易に首肯できることにはなかった、
しかも、美しい列島の全裸の姿態には、身動きの自由が奪われる、縄による緊縛が施されていた、
縄による緊縛が単に拘束を意義するということにあれば、そのようにしか映らないことである、
しかしながら、<結びの思想>に基づく<縄による緊縛>にあれば、
これまでの経緯で明らかなように、意義はひとつしかあらわさせないということにはない、
<ひねる・ねじる・よじる>という<異化・変化・昇華>の作用は、
美しい列島の全裸の姿態をより輝かせるものへ導くという<縄による緊縛>にあることになる、
列島の姿態がその思いへ導かれていたことは、
しなやかな両脚は、おのずとされるがままの状態を引き受けたことであらわされるのだった、
由美子さんは、伸ばさせた左脚の引き締まった足首を日米安全保障条約へ繋ぎ留めた、
地面に突き刺さっている、天皇制と日米安全保障条約という二本(日本)の杭は、
堂々と大股開きにさせた股間をこれ見よがしのものとさせていた、
その状況は、さすがに、堪え切れない羞恥の極みにあって、
美しい列島の姿態の顔立ちは、思わず、波打つ綺麗な黒髪を右に左にと打ち震わせながら、
ああっ、ああっと遣る瀬ない声音を漏らさせて、悩ましそうに上半身の身悶えを繰り返させていた、
だが、覆い隠す術もなく、固定されたように、さらけ出せている股間は、官能の高ぶりを露わとさせ、
花びらをぱっくりと開かせては、愛液をきらめかせながら、
女芽という司法、膣口という立法、肛門という行政の所在を如実に覗かせていることにあるのだった、
それは、見ようによっては、
<開国>があらわされた事態に映るとも言える状況にあるのであった。




(2016年2月28日 脱稿)




☆13.縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (22)

☆13.縄による緊縛という結びの思想・四十八手 (20)

☆縄による日本の緊縛