< 承 > 縄文土器にあらわされている縄の紋様がわれわれ日本民族の予定調和の表象であることは、 それがそこにあるからということではない、 そこにあることが、それ以前から持続した事柄として存在していることを表象しているからである。 縄というものがあらわす表象とは、そのようなものなのである。 縄文土器にあらわされている紋様が人類史上、ほかに類例を見ない独創的な表現であることは、 われわれ日本民族が人類史上、ほかに類例を見ない独創をやり遂げるということを表象しているのである。 民族の予定調和をやり遂げるということである。 われわれ日本民族にとって、縄のあらわす二重螺旋の形状がわれわれのDNAを眼前とさせていることは、 縄は、われわれの意識と思索と考察・認識において、そのあらわれが示されているということであり、 因習として継承され続けている事柄があらわされているということである。 われわれにとって、縄は、必要不可欠の道具である、とされるような程度のことではなく、 将来、縄が用いられることがなくなったときにおいてさえも存在する、民族意識そのものなのである。 われわれにとっては、縄が存在しなかったら、という仮定する考え方があり得ないのは、 縄が存在しなければ、日本民族も存在しなかったということだからである。 縄が宗教的、政治的、軍事的、美術的の目的で、日本民族の意識の表象として、 生活に密着して用いられて来ていることは、これまでの歴史が明らかとしていることであるが、 その縄の意識が意味することが、縄を目的のための道具とするだけのことであったとしたら、 縄に取って代わる有用な道具が導入されることで、縄の必然性は消滅していってしまうことである。 縄の意識がわれわれの民族意識であることを如実とさせている歴史の過程がこれを明らかとさせている。 室町時代より発祥したとされる縄の結束の術は、江戸時代にまで継承されて捕縛術となり、 流派は百五十以上、縛り方は三百種類はあったとされている。 その縛り方の意匠には、悪を払拭するという宗教的意義がこめられて、 対象となる男女や身分の相違ばかりでなく、季節の変化や方角においても、 それぞれ、異なる縄と緊縛の多様があった。 これらの流派が江戸時代の終焉をもって、ことごとく歴史から姿を消していったことは、 明治時代に入ってから西洋へ追従するように導入された、 合理主義的精神の考察・認識の方法に取って代わられたことによる。 国家の富国強兵の目的では、その先端を進んでいると思われる西洋の国家のあらわす表現は、 模倣して誤りがないと信じられるほど、みずからの国家の弱体と貧困を意識させられたということであるが、 それは、国家という事柄であって、民族意識は、因習を継承するものとして独自の事柄である。 ただ、国家は、その民族意識としての因習を陳腐な後進として、 教育の普及と拡充を意義として、消滅させるようなことをするものだとしたら、 絶対に消し去ることのできない民族の存在理由を抑圧するのであるから、 そこに、軋轢や矛盾や相反が生まれることは、当然のことであるばかりか、 国家がその富国強兵の目的において、敗北しなければならないという結果を招くことにもなるのだろう。 それは、敗北した国家が民族意識をどのように取り扱うかという新たな問題を抱えることであるが、 どのような国家の形態になろうとも、人類の誕生より、因習として継承されて来ている、 人間としての民族意識は、消滅させることができないからこそ、民族意識としてあるものなのである。 それは、独自の民族意識の表現を生み出すことが可能であるからこそ、 その存在理由が発揮されるものなのである。 追従するということは、そのように思索することで、みずからの貧困をみずからへ暴露していることである、 みずからが貧困であるかどうかは、その貧困が何を生み出すことができるか、 思索し、考察・認識することから、さらに、表現して明らかとさせるほかにないことである。 思索し、考察・認識することの不充分を追従に代えて、表現さえも追従することの模倣に過ぎなければ、 その軋轢や矛盾や相反を近代自我の苦悩を表現する日本の芸術であるとされたとしても、 お粗末な笑いを誘うことでしかない。 日本民族の縄の意識も、歴史の上から捕縛術の流派が姿を消していったことで、 さらに、根源的な事柄を露呈させるに至ったのである。 縄の民族意識は、人間のありようとして、性を除いては、あり得ないことが示されたのである。 人間が人間を縄によって緊縛する。 このことは、すでに捕縛術によって行われていたことで、それは、罪人を拘束するということであった。 罪があるとされる相手から、自由な行動を奪い取り、縄の意義をまとわせるということであった。 罪という意義のない場合でも、縄は対象から自由を奪い取り、拘束することであり、 捕らわれた動物が扱われるのと同様な境遇が与えられるということであった。 縄で縛られた人間というのは、畜生と同然のありようが示されることであった。 人間が人間を縄によって緊縛するということは、 人間の動物であることを明瞭にあらわすことなのである。 人間における性がそこに露見されるのは、性が動物状態を明確にあらわすものであるからであって、 人間が人間を縄によって緊縛することは、人間の心理以前の事柄としてあるということである。 縄による人間の緊縛が露見された性をもってあらわしていることは、 人間の動物状態が示されていることが最初にあって、 その後に付け加えられる心理は、その状態を展開させるためにある、表現でしかないということである。 明治時代以降に導入されたサディズム・マゾヒズムの心理という考察・認識は、 縄による人間の緊縛において、その状態を展開させるためのひとつの表現でしかないということである。 サディズム・マゾヒズムの心理が展開させる表現が用いられなかったとしても、 縄による人間の緊縛は、性をあらわす事柄には、まったく変わりがないということである。 われわれ日本民族の独自性をあらわす縄の意識がいとも容易に、 キリスト教神学の合理主義的精神から生まれたサディズム・マゾヒズムに結び付けられてしまったことは、 それに取って代わることが示せないために、追従したということでしかない。 サディズム・マゾヒズムというのは、ひとつの心理する方法であって、 いずれは、それに取って代わる心理の方法が考え出されることになれば、 遊戯や娯楽として楽しむようなひとつの表現方法でしかないものである。 加虐・被虐の相対性が男・女や善・悪の相対性と似たようなものである限り、そのようになることである。 生まれたままの全裸にある女性を縄で縛り上げる緊縛。 これは、外観からすれば、加虐・被虐をあらわすものであることに相違はない。 しかし、そのありようとしての外観が相似しているからと言って、その本質が同一とは限らない。 縄による拘束の目的が陵辱にしかないことであれば、縄による緊縛である必要はないことだからである。 日本のサディズム・マゾヒズムの性表現である、小説、映画、コミックス、写真、絵画、ゲームなど、 縄で縛り上げられて陵辱されている場面にあって、どのひとつを取っても、 それを別の拘束具の表現として置き換えても、性表現としての相違が生じることはないのである。 目的は、陵辱にあるからである、 そこに相違の不満が感じられるとすれば、日本的情緒が半減されたものとしてあるという不満である。 その不満は、われわれ日本民族にある縄の意識が納得させられていないという不満であり、 われわれには、縄の意識があることが明瞭にされたということである。 縄の意識の表象は、すでに、縄文土器に示されている。 縄文時代には、縄が用いられていたことがその表象から理解できることであるが、 人間が人間を緊縛するために、縄が用いられたという事柄が示されているわけではない。 日本の島々の誕生が男神と女神の性交から行われたという神話があるように、 縄文の時代にあったかも知れないという話を想像することができるだけである…… 男は、粘土をこねてひものようにし、それを輪にして積み上げながら、土器の形を作っていった。 その土器を長い日をかけて陽のあたらない場所へ置き晒し、充分に乾いた頃に、 作った火床へ土器を置き、枯れ草の灰をかけて、炎の勢いを増しながら焼き上げるのだった。 だが、のっぺりとした土器の表面は、焼き上がったときには幾つもの亀裂を走らせて、 手にして取り上げたときには、割れてしまうものであった。 そのようにして、どれだけの数を作っては、失敗を重ねてきたことであろう。 粘土を工夫してみた、乾かす日を伸ばしたりした、焼き上げる火と長さを変えてみたりもした。 しかし、のっぺりとした土器の表面には、亀裂が紋様のように走り、割れてしまうのであった。 男は、行うことの至らなさを不可思議へ思いを掛ける至らなさだと考え、 植物の細い繊維をねじって作られた縄を岩棚へ捧げて、眼を閉じて思いを集中させるのだった。 縄は不可思議なものであった。 植物の繊維を寄せ集めてふたつの細い束にし、それらをねじり合わせていくだけで、 最初にあった植物の細い繊維とは、まるで異なったものに姿を変えるのである。 しかも、植物の繊維は一本では柔弱な力しかないものだが、集まれば、蔓の一本よりも強靭であり、 どのようにも、形を変えることのできる柔軟があった。 その縄に、結ぶ、縛る、繋ぐということをさせれば、あらゆるものを自由に操ることのできる力があった。 ふたつのものがあれば結ばれ、ふたつは離れないように縛られ、ふたつをひとつに繋ぐことができる。 ふたつの繊維の束の撚り合わされた姿があらわす強靭と柔軟は、 美しい裸の男と女が絡み合っているように、陰陽の美しさが輝いているようであったのだ。 縄には、不可思議な力が宿っている、 男がそう思いを込めて、陰陽の美しさを見つめようと眼を開いたときだった。 岩棚の向こう側に、縄の美しさにも優る、美しい白い生き物と思えるような女が立っていた。 男は、びっくりして、見つめるままになっていたが、女の方も、びっくりして、立ちすくんでいた。 男は、この女こそ、みずからの連れ合いとなるために、あらわれた女であると思った。 男は、岩棚の縄を引きつかむと、向こう側へ走ってまわったが、女は、逃げ出していた。 男は、必死になって、女を追いかけた、強靭は柔軟に優っていた。 女は、背後から抱き締められるようにして、男の両腕のなかへ落ちていた。 女は、激しく両脚をばたつかせ、身体を懸命に悶えさせて、逃れようとするのだった。 男には、掻き抱いている相手の柔肌から立ち昇ってくる芳しい体臭に、 この女が連れ合いとなってくれる以外に、女はいないとさえ思われて、両腕の力をさらに込めるのだった。 やがて、女は、必死の身悶えを繰り返すことに力が尽きて、男の腕のなかで気を失ってしまった。 男は、みずからの藁葺きを引いた屋根の家へ、女を運んだ。 女は、すぐに気を取り戻して、置かれている場所を知ると、逃げ出そうとするのだった。 男は、あわてて、女を羽交い締めにして、 逃げ出さないようにするために、その身にまとっていた麻の布を無理やり剥ぎ取ったのだった。 女は、生まれたままの全裸にさせられたが、 さらけ出された余りにも優美な身体に、男は茫然とさせられていた。 女も、見つめられることにうろたえていたが、それでも、外へ逃げ出そうとすることは忘れなかった。 男には、この女を絶対に離すまいという思いが生まれていて、 ふたつのものがあれば結ばれ、ふたつは離れないように縛られ、ふたつをひとつに繋ぐことができる、 そのことを成し遂げられるのは、不可思議な縄のほかにないと思い至るのだった。 捕らえた動物を家畜にするために縛り繋ぐことをするように、 裸の女の両腕を無理やり背後へねじ曲げ、両手首を重ね合わさせて、縄で縛り上げるのであった。 それでも、女は、しなやかな両脚をばたつかせて、逃げようとする素振りをやめないのだった。 しかし、男の思いは、がっちりと結ばれていた。 女が連れ合いとなることに思い至るまでは、いつまでも、その格好にさせて置くのだと決めたのだ。 不可思議な縄の力は、それをやり遂げさせるからだ。 家の中央に藁葺きの屋根を支える太い柱があったが、 女は、それを背にして立たせられ、男のまなざしを全身で受けとめるように、 優美なくびれを見せる腰付きへ縄を巻かれて繋がれたのだった。 男は、真剣なまなざしで、相手の美しい顔立ちと身体を眺め続けたが、 女は、まなざしをそらせて、臍を曲げたように、かたくなになっているばかりだった。 男は、陶然となりながらも、その緊縛された姿を見つめているうちに、突然、ひらめいたことがあった。 女の生まれたままの全裸の優美な曲線をあらわすなめらかな柔肌は、 のっぺりとした土器の表面を思い起こさせた。 そのくびれも、艶めかしい腰付きへ巻かれた縄は、くっきりとあらわしていたのだった。
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