般若の思想 ―礼・節・法の官能― <眺望所> 借金返済で弁護士に相談






<眺望所>



その場所は、想像もしたことのないような思いがもたらされる、不可思議にありました、
全裸にある羞恥からの高ぶらされる官能が身体へ縄掛けされている縄と絡み合って、
螺旋を描くような具合にして、天上へ昇っていくありさまにあることでした、
遥かな高みにある塔の最上階にある眺望所、
そこを目指して、塔の内部の壁に沿って作られた螺旋階段を上っていくことにあったのです、
日本人・日本民族は、現在において、求めるありようをあらわす存在にある、
多種・多様・多義のあらわされる、日本人・日本民族のありようは、
求めるありようがあらわされることにある、
それは、みずからという思いのなかであらわされることである、
このありようが知らされることは、上るばかりにある官能が更に押し上げられて、
これ以上はないという快感と喜悦に打ち震える浮遊にあって、
上り続けている螺旋階段の先には、差し込む光が見えてくることでした、
そして、上りつめた眺望所でした、
眺望所には、ある物が置かれていました、
目と歯に鍍金のはめられた、二本の角をもつ、鬼女の顔立ちをした、
<人間が真実の生命に目覚めた時にあらわれる、根源的な叡智、
     世界の窮極的真理を知ること、智慧>をあらわす、
三つの般若の面でした、
白い柔肌を絡めるように施された、綾なす菱形の紋様も鮮やかな縄による緊縛は、
可憐な乳首を立たせた、ふっくらとしたふたつの乳房を縄で囲むようにして際立たせ、
愛らしい臍を際立たせ、漆黒の色艶を帯びた陰毛が隠させる、
柔和な女の小丘に覗かせる割れめを分け入って食い込まされた箇所を麻縄が際立たせていたことは、
女性の官能がかもしださせる匂い立つような妖美を漂わせることにありました、
柔肌を圧迫される菱形の紋様の縄掛けに官能を高ぶらされ続けていたことは、
股間にはめ込まれた股縄が上半身の上気に伴って食い込むようになっていることで示されていました、
女芽と膣口と肛門は、刺激を与えられ続けることにあるのでした、
それは、即ち、床に置かれた三つの般若の面は、
それぞれにみずからの手で被らざるを得ないものにあったことでした、
恐ろしい鬼女の顔立ちをあらわす仮面を被ることは、
一糸もまとわない全裸にあるということだけでも、明確な羞恥のあらわされることにあって、
その全裸を際立たせるように、縄の織り成す紋様に彩られていた羞恥は、
柔和な女の小丘に覗かせる割れめへ埋没している縄の羞恥に収斂するありさまに示され、
傍目に見たら、気の狂った鬼女に映ることにあるのでした、
だが、それと同様に、高ぶらされ続ける官能は、快感と気持ちの良さと喜びが感じられ、
突き上がる甘美な疼きに燃え立ち、燃え上がり、燃え盛る肉体においては、
向かわされる快感の絶頂へ舞い上げられていくことは、
縄掛けがもたらす喜悦の素晴らしさを知らされることにあったことでした。

日本人・日本民族は、現在において、求めるありようをあらわす存在にある、
多種・多様・多義のあらわされる、日本人・日本民族のありようは、
求めるありようがあらわされることにある、
それは、<みずから>という思いのなかであらわされることである、と称される<みずから>、
<みずから>思えば、<みずから>があり得ると言っていることである、
だが、それだけのことであれば、
<みずから>は、<みずから>に一つしかないと言っているのと同じことである、
一つしかない<みずから>であれば、
多種・多様・多義のあらわされる、日本人・日本民族のありようは、相反・矛盾することにある、
<みずから>は、多種・多様・多義にあらわされる<みずから>にあるから、
多種・多様・多義のあらわされる、日本人・日本民族のありようという整合性は生まれる、
<みずから>が存立するまわりを取り巻くすべての対象に対して神を認識できるというありよう、
このありようを体現することができる<みずから>というのは、
多種・多様・多義にあらわされる<みずから>を思うことのできる<みずから>にある、
人間が置かれている時間と空間は、刻々と変化していることにある、
その人間が思う<みずから>というものも、刻々と変化していることにある、
同じ状態はあり得ないということでは、常に変化していることにある、
人間存在とは、このようにしてあることから、<一義>の概念が必要となる、
<一義>の概念に依って、流動・転変にある、人間・自然・宇宙は、
あたかも、静止している画像のように、受容しやすいものとなるのである、
国家体制という囲繞においても、同様である、
<一義>の概念に依って、流動・転変にある、体制と制度は、
あたかも、確固としている囲繞のように、受容しやすい静止となる、
万世一系の固着した歴史にある日本、行く末も同様にあるという日本、
その<一義>が民族の存在理由としてあるだけの国家、
国民という概念は、その<一義>を超えるものにはないということにおいて、
国民であるという被縛者をあらわすことは、つまりは、あり得ないということである、
従って、<自主・独立・固有の知覚>にある<みずから>に依って考えることなしには、
<みずから>という思いのなかであらわされることにあるということもあり得ない、
そのように考える<みずから>があり得なければ、
他者の<みずから>を考えることもあり得ない、
<みずから>という他者の存在を考えることができなければ、共存は困難なことにある、
共存することに困難があれば、他者への理解は、考えるということにはなく、
喜怒哀楽という感情による<自然観照の情緒的表現>のありようが優勢となり、
考えるという<自然観照の観念的表現>は後退させられる、
考えることはされず、感情次第で喜怒哀楽をあらわすだけにあるから、
<みずから>も後退させられて、他者から受ける刺激だけが行動表現の起因となる、
他者から受ける刺激が喜怒哀楽のいずれにあるかを感覚するだけであるから、
感覚は言語表現を感情的な言葉であらわすということしかあり得ない、
後退させられた<みずから>においては、暴力を除いては、これ以上のことは起こりえない、
<自然観照の情緒的表現>である<もののあはれ>は、
<もの>という客観的対象を<あはれ>という主観的感動で捉えて認識し、
調和のとれた優美繊細な情趣をあらわす、芸術意識にあることが示されたことであった、
それは、<知覚作用である>と述べられていることにあるのは、
森羅万象に対して、その自然という本質を見極めるには、
事に触れて起こる様々の微妙な感情を率直にあらわすことをする、というその意義は、
喜怒哀楽といった、感情の変化に対してだけではなく、それを徹底して、
<日常性の知覚>において行われるすべてを<もののあはれ>という認識としたことにある、
このありようを日本人・日本民族にある主体性と見なしている誤謬は、
明治維新以来の国家体制維持・継承のために続けられた対外戦争を行うには、
統合のための<一義>の日本人観が必要不可欠にあった事情に依ることである、
そのありようが惨敗という敗戦の結果へ導かれたにもかかわらず、
戦後も変わることのなかった<天皇制>が<もののあはれ>を維持・継承させたことにある、
後退している<みずから>を前に出すためには、
<自然観照の情緒的表現>と相対する<自然観照の観念的表現>を前提とする、
新しい表現の創出なくしては、あり得ないことにある、
縄は、植物の繊維をまとめたひと筋同士を絡めて、二重螺旋としたものである、
二つの相対も、撚り合わせて、縄にすることは、可能なありようとしてあることは、同様である。

そして、眺望所にひとりの人物があらわれたのです、
その相手を見るなり、思わず、驚きの悲鳴を抑えさせるほどの風采にあることを感じさせられました、
禿げ上がった真っ白な頭髪に歯のないくぼんだ口もと、どぎつい目つきや鋭い鷲鼻、
皺だらけの小柄で痩せ細った身体が薄っぺらな着物に包まれて、
険しい老いだけがあらわとされている老人にあったのです、
それは、 恐ろしい鬼女の顔立ちをあらわす仮面を被る相貌と変わらないと言えば、
相手に対しては失礼かもしれませんが、それほど、威圧的な雰囲気にさえあったことでした、
その方は、般若の女たちを眼光鋭いまなざしで一渡り眺めると、言ったのです、
「わしが此処にいるのは、おまえさん方がわしを求めたからであって、
それは、おまえさん方の覚醒の認識に依るものだ、
おまえさん方は、日本民族の女として、<民族の予定調和>に目覚めたということだ」
そのように語られ始められた言葉にありましたが、その意味内容よりも、
遥かに気掛かりを感じさせたことは、その皺だらけの手に握られたものにありました、
使い古されて灰色に脱色した麻縄の束だったのです、
「<民族の予定調和>、
おまえさん方は、初めて聞く言葉だろう、
だが、それは、おまえさん方が覚醒の認識に至ることがなかったから知らずにいた、
というだけで、日本民族は、民族の創始である、日本列島の居住以来、
脈々とその実現のために民族を維持継承してきていることにある、
いずれは、民族の全体が覚醒のときを迎えることにあるが、
今は、その経過であって、みずから覚醒を求める、選ばれた者たちにおいて始まっていることだ、
江戸時代と明治時代の転換期に存在した、月岡芳年という絵師がなければ、
わしという存在もあり得なかった、
晩年に至ったときの月岡芳年の人間における般若の認識があり得なければ、
わしは、絵画として描かれることはなく、現われることはなかったということだ、
わしが現われたのは、民族の創始以来の維持継承にある、
<民族の予定調和>の伝導のためであるからだ」
すべて歯の抜けたくぐもった声音で語り続ける老人は、不気味でしかありませんでした、
しかし、その語る内容には、その不気味とは裏腹な誠実が感じられることにあったのです、
不可思議な感覚にあるとしか言いようがありませんでした、
見えるものは、それを片側としたならば、
反対側となる見えない側にも、意義は存在する、
<じゅずつなぎ>は、その見えない側の意義を明らかとさせるありようにある、
それを知った者には、この方は、その語られる内容からして、
<導師様>とお呼びするのに相応しいという思いへ向かわされるばかりにありました、
「民族の創始以来、誕生させた縄には霊力が宿る、
その霊力のある縄で縛られる肉体は官能をひたすら高揚させ、精神に霊感がもたらされる、
このありようを覚醒の認識として知った、日本民族の最初の祖先は、
表象として後世に残すために、縄文時代の長きに渡って、土器製作の執着にあらわした、
縄文土器を見る機会さえあれば、描かれている縄の表象の意義が何を意義するものにあるか、
時代をどれだけ重ねようと、その意義があらわす不滅は、日本民族のありようは、
<民族の予定調和>を実現することでしかないことが啓発されていることにあるからだ、
その意義は、おまえさん方が敬愛した<あの方>に施された縄に導かれて、
<じゅずつなぎ>においてもたらされた認識に示されていることだ、
≪みずからが存立するまわりを取り巻くすべての対象に対して神を認識できるというありよう、
これは、<八百万の神>と称される、日本民族固有の事情としての宗教性にあることである、
日本人は、この認識において、老若男女、十人十色、千差万別という多種・多様・多義にあって、
すべての者が<八百万の神>を<神的存在>とすることで、平等な人間としてあり得ることにある≫
ということだ、だが、これは、覚醒の認識としての出発点に過ぎない、
おまえさん方は、<縛って繋ぐ力による色の道>を歩むことが本道にあるからだ、
それを体現するためには、縄で縛られて、見い出されるというありようしかない」
そのように、<導師様>がおっしゃられたお言葉は、
生まれたままの全裸にある、みずからの肉体をみずからの縄掛けで縛り上げた、
白い柔肌を絡めるように施した綾なす菱形の紋様も鮮やかな縄による緊縛にあって、
可憐な乳首を立たせた、ふっくらとしたふたつの乳房を縄で囲むようにして際立たせ、
愛らしい臍を際立たせ、漆黒の色艶を帯びた陰毛が隠させる、
柔和な女の小丘に覗かせる割れめを分け入って食い込まされた箇所を麻縄が際立たせていたことは、
両手の自由によって、三人は、互いの手を取り合う姿にあったことでしたが、
<導師様>がおもむろに掲げた、灰色に脱色した縄の前には、
おのずと手を離させ、後ろ手にさせて、両手首を重ね合わさせる仕草を執らせるのでした、
<導師様>は、礼・節・法の三人の女性の手首を一本の縄をふた筋とさせて、
それぞれに後ろ手縛りとさせてから、互いを繋ぐ、<じゅずつなぎ>とさせたことにあったのでした、
この方は<導師様>であることに間違いはないと確信させたことは、
後ろ手に縛られた瞬間から、不可思議な感覚が急に膨らんできて、
それまで熱ぼったい快感にある、高ぶらされた官能へ置かれていた肉体にありましたが、
<導師様>の縄は、霊力をあらわすように、一気に悩ましすぎる疼きを広がらせたのです、
女芽と膣口と肛門を刺激する、女の割れめに掛けられた股縄は、
熱気を増して、更に深々と食い込む感触を伝えてきたことは、
おのずと漏れ出させる花蜜の量を呼び覚ますことにありました、
<導師様>は、三人の女性を繋いだ縄尻を取ると、引き立てるようにして、
眺望所にある三本の白木の柱へ向かわせたのでした、
「これは、智慧の晒し柱といって、縄の霊力が霊感をもたらす瞑想を行うための柱だ」
そのお言葉は、礼・節・法の三人の女性が望むありようを示していることにありました、
それぞれの柱を背にして、右手に節子、中央に法子、左手に礼子が直立した姿勢を執りました、
<導師様>の新たな縄は、すでに<じゅずつなぎ>にある三人を柱へ括り付けるために、
後ろ手に縛った縄へ絡められて柱へ巻き付けられ、
それがふた筋とされた一本の麻縄で行われたことは、
新たな<じゅずつなぎ>の縄を掛けられた、一蓮托生をあらわすありようにあったことでした、
礼とは、社会の秩序を保ち、他人との交際をまっとうするために、人として行うべき作法、
節とは、言行などが度を超さず、適度としてあるふるまい、
法とは、物事に秩序を与えているもの、法則、真理、根本的な規範、
この礼・節・法の一蓮托生です、
それがあらわされた、般若の女にあったことでした、
そのような姿で縄で縛られ、柱へ晒しものとされたことに対して、羞恥などありません、
むしろ、他者に対して、晒しものとされることに矜持さえ抱かせることにあったのでした、
三人の女性の喜びの思いは、これ以上はないと快感を押し上げられて、
高ぶらされ続けていた官能を一気に頂上まで到達させるのに充分でした、
艶やかな太腿の付け根の双方をてらてらと花蜜で輝かせながら、ぶるぶると痙攣させて、
上りつめた快感の甘美をあらわす声音は、被っている般若の面でくぐもらせていながらも、
柱に括り付けられて身動きのままならない緊縛の裸身を悶えさせるばかりにありました、
まだ、瞑想さえ行っていないというのに、喜悦の浮遊を味わってしまったことは、
修行の足りなさを思わせるのと同時に、思わず、<導師様>の方へまなざしを向けさせるのでした、
だが、眼の前に立っているはずの<導師様>のお姿はありませんでした、
あったのは、礼・節・法の三人の女性にとって、
官能の高ぶりが鎮まったときは、瞑想の始まりにあったということでした。



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