<☆『奥州安達ケ原ひとつ家の図』>の鬼婆に瓜ふたつの権田孫兵衛という名の老人に連れられて、 小夜子は縄で全裸を緊縛されたまま、ぐるりとまわるような、回廊とも言うべき廊下を歩かされていた。 この和服姿の老人、見るからに鬼婆に似ていたが、声音はどのように聞いても、男性のものとしか感じられなかった。 従って、この場合の<老人>は男性を指すものであると言い切りたいが――岩手伊作の場合のこともあるので―― 生まれたままの全裸があからさまにされるまで、取りあえずは、不明としておいた方がややこしくならないかもしれない。 このような老人までが素っ裸になり悩ましい姿態をさらけだすところが、ポルノグラフィのポルノグラフィたる所以であるが、 八十歳余の高齢者男性ヌードがほかのポルノグラフィでは余り見受けられないことであるにしても、 <エロスのエネルギーは、人間として生まれた時から死に至るまで発動する>という根拠がある以上、 <人間の事象というのは、地球を舞台にした全員参加の表現の一大展示会である>という建前がある以上、 必然であるとしか言いようがなかった。 だが、そうは言われても、赤子もいずれは老人になるという必然が眼を覆っても厳然たる事実であったとしても、 やはり、そのようなものは見苦しくていやだと思われることもある。 そのような場合は、作者の描写など、読者が自由に思い描くための単なるきっかけにすぎないものだとして、 お好みの想像力を逞しくしていただきたい。 言語表現というのは、眼を覆われても厳然としているという点で、素晴らしく柔軟性のある有用なものであるのだ。 視覚で訴える表現が<一目でわかる>という物分かりの良さを示すことに比べれば、 <一目>でも<何目>でも分かりにくいという物分かりの悪さを示すところに特質を持っているからである、 この物分かりの悪さは、歴史的に言っても、表現する側からすれば、芸術性とさえ自負してきたところであるから、 実は作者はこれこれをそこで言いたかったのだと事細かに示すことをされてさえも、 そのような解説など無意味と化するくらいの謎をあらわすのである。 この謎――作者は書き終えて表現してしまっている以上、 それ以上は解けないことをあからさまにしているものであるから、 謎解きの愉しみは、ほとんど読者に委ねられていることになる。 どのような文学表現であろうと、<表現されていることが常に読者を上回る>という前提が存在するものではないから、 読者がお好みの想像力を逞しくすることこそは、表現の真理を解き明かす本領発揮と言えることなのである。 その場合、作者の表現意図と異なるような結論が導き出されたとしても、それこそが求められていたことと言えよう。 作者の労苦をかけた懸命な表現に対する読者の真摯で賢明な無理解……この幸福でさえある愛情の双方向性は、 読者は言うに及ばず、作者にさえ身ごもらせる新しい認識の胎児に比べれば、実に些細なことに違いない―― とまわりくどい描写になってしまったが、 これも、ひとえに小夜子が老人に引き立てられて回廊をぐるぐると歩きまわされていたことによるのだった。 その<余りにも単調で長ったらしい時間>は、書けば<十五文字>にすぎないことであるが、 身をもってその状況に立たされている者にとっては、円環は永遠と同義であるという錯覚さえ生じさせるものだった、 と言えば言い過ぎにしても、そのような行為を老人特有の繰り返すことへの執着のあらわれだとすると、 ただでさえ、「女の脱衣」「女の芳香」「女の木馬」と筋道をわずか三つ進んだだけで、 ややこしい様相をおびてきている小夜子の空想であるのに、その上、まわりくどい執拗さが加わることになれば、 果たして、筋道はどのような展開へ転げまわされていくのか、ただ、不安と恐怖と羞恥の思いを募らされることだった。 やはり、生い先のない老人には匙を投げるということが、非情なことのようだが、世に行われる常と言うものなのだろうか。 読者が金銭を出して欲しがるものを表現することが現行の文学というもののありようである以上、 生い先のない老人が一番の読者としては読みもしない、生い先のない老人が活躍する生い先のないポルノグラフィなど、 たとえ、<エロスのエネルギーは、人間として生まれた時から死に至るまで発動する>ことを立証することだとしても、 そのような表現は荒唐無稽以外の何物でない、若い読者にそっぽを向かれる、という結論に落ち着くだけのことだろう。 つまりは、ポルノグラフィの荒唐無稽の存在理由を整合性をもってあらわすことができたというだけの話なのである。 いや、何とまとまりのよい結論であろう…… ここでお終いとさせていただければ、生い先を終える有終の美とさえ言えることになるのだろうが、 回廊をひたすら、ただぐるぐるまわるだけという、老人のあらわす執拗にまわりくどい繰り返しへの執着は、 ポルノグラフィのあらわす荒唐無稽の存在理由を荒唐無稽な整合性をもってあからさまにさせることをするのである、 すなわち、荒唐無稽であるからこそ始まりがある、ということだった―― そのような険しい老いをあらわした老人に縄尻を取られて引き立てられていたら、 たとえ、目がさめるように若々しい全裸を縄で緊縛された美しい女でなくても、 羞恥と不安と嫌悪と恐怖と反感のまぜこぜとなった思いに逆撫でされていたとしても、不思議はなかった。 そうして、ようやく、たどり着かされた古ぼけた板張りの小屋の入り口だったのである。 古ぼけた板張りの小屋の入り口…… 舞台装置のその外観…… どのように見ても、小夜子が明美夫人と一緒に入れられた<木馬の部屋>の入口と瓜ふたつのものだった。 だいぶ時間は経っているが、先ほど出発した出口と同様のものに見える場所であった。 若々しい女は、びっくりさせられて、思わず、立ち尽くしてしまった。 声にはならなかったが、ジジイ、ふざけるんじゃねえ、というような憤慨を感じさせることだった。 むしろ、聞こえたのは、その憤慨を正しいことであると思わせる迫力あるサウンドであった。 閉ざされた扉を通して、なかから、女の嬌声と男のけしかける怒声が聞こえてくるのであった。 筋肉隆々の浅黒い加虐の男がか弱く美しい被虐の女を責め立てている臨場感―― 生まれたままの全裸を麻縄で緊縛された美女は、 跨がされた丸太の木馬の背中へ懸命になって身悶えして股間をこすりけ、 美しい顔立ちから優美な裸身全体へ及んで吹き出させた汗と、 高ぶらされた官能のままにあふれ出させた女の蜜とで、 やるせなくうごめかせる美麗な両脚の先端から床へぽたぽたと水溜りを作っていたが、 激しくけしかける醜男も、ついには、我慢できずに黒いショーツを脱ぎ捨てて全裸となり、 同じくらい真っ黒な陰茎を筋肉隆々と反り上げながら相手の足元へひざまずくと、 白くしなやかな両脚へ絡みつき、女の股間の刺激が増すように思いを込めた力を加えながら、 蛭のような舌先を這わせ夢中になって愛撫するのだった―― と想像させるものが伝わってくるのであった。 老人はやはり老人なのか、ボケが見事に表現できるから老人であると言えるのか。 同じ部屋へ入るのなら、最初から出る必要もないことである、ただ、手間をかけさせるだけのことである。 老人の存在は、どうあっても、若い者に手間をかけさせるものでしかないのか。 「さあ、遠慮なく、お入り……」 老いたしわがれ声は、そのように言ったが、 小夜子は、ただでさえむかついていた上に全裸を緊縛されていたから、あたりまえに素直な気持ちにはなれなかった。 じっと突っ立ったまま動こうとしない相手に、 険しい老人は、悩ましいあだっぽさをあらわにさせている尻の方へ鋭い眼光をやると、 骨ばってささくれ立った手で白く柔らかなふくらみをおもむろにつかんだ。 「いっ、痛い、何を! 何をするの!」 小夜子は、きっとなったまなざしを向けながら、思わず叫んでいた。 「あんたがわしの言うことを聞かないからだよ、それとも、こっちの方がいいのかな」 骨ばってささくれ立ったもう片方の手が、胸縄で突き出させられていた若い女のふっくらとした乳房を鷲づかみにした。 「痛いっ! いやっ、いやっ! あなたなんかに触られたくない! 離して! 離して!」 年寄りに勝手に取り扱われる腹立たしさは、小夜子の顔立ちを真っ赤にさせて、緊縛された裸身を激しく身悶えさせた。 しかし、老人の握力はなまじのものではなかった。 しかも、尻の方にあった指先は、あだっぽい亀裂を割って奥へと侵入するような気配を見せ、 乳房を鷲づかみにしていた指先は、可愛らしく立っていた乳首をこねりまわすような仕草を始めたのだった。 その感触は、骨ばってささくれ立った手とは到底思えない、 刺激される芯があるとすれば、それをじかに触られているような甘美で強い疼きを伝えてくるものであった。 ああっ〜、ああっ〜。 小夜子は、思わず、甘い声音をもらしてしまっていた。 されるがままになっていると、どんどんと掻き立てられていって、 尻の亀裂へ侵入された指先に恥ずかしいすぼまりを愛撫されていることさえ、気持ちがよくなってくることだったのだ。 「ああっ……いやっ…… いやっ……だめっ、だめっ……やめて…………」 女が高ぶらされる官能に必死になってあらがうまなざしを向けて訴えかけてくるのを、 険しい顔付きをした老人は、表情ひとつ変えずに、ただ、ねちねちと煽り立てる指先で答えているだけだった。 生まれたままの裸姿を縄で緊縛された若々しい乳白色の柔肌へまとわりついた枯れた茶色の老いさらばえた手だった。 小夜子は、このような愛撫をされただけで、と激しい悔しさを感じていたが、もう、反発する言葉にならなかった。 意志を固めようとする思いは、ねちねちとほぐされていって、ぐじゃぐじゃの快感だけが考えを引っ張っていくのであった。 薄目を開いた悩ましそうなまなざしを浮かべるようになっていて、されるがままに老人へ身体を預けるようにさえなっていた。 「年寄りだからと言って、伊達に年を取っているわけじゃないよ。 わしは、おまえさんへ<色の道>を教授するために遣わされた者だと言っただろう。 わからずやの子供であっても、道理を教えるのに虐待するようなことをするのは、教える側に道理がないからさ。 ただ、感情や気分や思い付くままにやったって、子供だって気まぐれなものさ、学びやしないのさ。 おまえさんがいまそうして感じているように、学ぶってことは、気持ちのいいことだとまず教えてやることが肝要なのさ。 どのように難しいことだって、それが楽しくなれる、愉快になれる、気持ちがよくなれることだとしたら、学ぶ気になるのさ。 どうだい、気持ちがいいだろう…… 気持ちよくしてやっているのは、このわしだよ…… このわしから、<色の道>を学ぶ気になったかい…… 学べばそれだけ、気持ちのいいことが待っているんだよ…… もっとも、おまえさんの精進があってこそ、さらによくなるってことだけどね…… それとも……いやかい? いやだと言うのなら、それでもいいよ、無理には勧めない…… 選択肢はあるんだ……いやなら、肉体と精神を徹底的に虐待されて学ぶ方法だね…… まあ、昔ながらの伝統的な方法で、理論化もされていることだから、採用している教授者も多いが、 この館のご主人様は、<人間は常にそれ以上を求めて種族保存と維持を行っているものである>とお考えであるから、 この館特有の方法が行われるわけだね。 おまえさんがいやだと言うのなら、わしは手を引くよ…… その代わりに、サディストと呼ばれる方たちへおまえさんを引き渡して、館の外で好き勝手をやってもらうだけだ…… さあ、どうするね?」 背後から小夜子の裸身を抱きかかえる格好になっていた老人だったが、 そこまで語り終えると、愛撫をやめておもむろに離れていくのだった。 高ぶらされた官能に浸っていた女にとっては、思いがけないことだった。 頭のなかは、<どうして>というクエスチョン・マークばかりになっていた。 「さあ、どうする?」 小夜子の縄尻を握ったままの険しい老人は、相手の顔立ちを正面にして、たたみかけるように言うのだった。 どうすると言われても、<色の道>そのものからして、まるで理解に苦しむことだった。 もうひとつの選択肢があると聞かされても、そのようなこと! 両方とも選ぶ気にならないというのが素直な気持ちだった。 いや、そのようなことよりも、老人の言いなりに、されるがままに進められていくことに、納得がいかなかった。 この調子で進んでいったら、老人に手安く扱われる、ただの肉欲の奴隷に成り下がってしまうのがおちだった。 それほどに、老人の喜ばせる技巧には、有無を言わせないものがあったのだ。 「……あの方に……ご主人様に、一度お会いさせてはいただけないものでしょうか…… あの方にお会いするために、私は、この館へ伺ったのです…… それが、どういういきさつからか、このようなでたらめなことになってしまって」 小夜子は、恐る恐る、尋ねていた。 険しい老人は、険しく遮るような大声で怒鳴りつけてきた。 「でたらめだって! 荒唐無稽だって! 何を言うんだ! この物語の作者へ向けられる非難としてあるというのなら、道理もあろうが! わしらのご主人様へ向かって! 尊大なご主人様へ向かって、その思し召しを荒唐無稽だと言うのか! 思い上がりもいい加減にしろ! たかが女の分際で! たかが人間の分際で!」 険しい老人の顔付きは一層険しくなっていたが、その表現前と表現後の違いは区別できないほどであった。 「ですから、一度…… 一度、ご主人様にお会いさせてはいただけないものでしょうか、と申し上げているのです…… お願いです……」 小夜子は、綺麗な柔らかな黒髪を揺らせながら、じっとなったまなざしを相手へ向けるのだった。 「それがおまえの思い上がりだと言うんだ! どうして、おまえなんぞの分際がご主人様にお会いできるのだ! 岩手伊作から申し渡され、<鋼鉄の檻>へ入って<道>の第一歩も進み出せなかったおまえが! <色の道>の選択肢でさえ、決めることのできないでいるおまえが、どうして、どうして、どうして! わしや岩手伊作でさえ、お目にかかることのできないご主人様であるというのに!! どうして、おまえなんぞが!!!」 <いわて・いさく>なのか<いわ・ていさく>なのか、どっちつかずという再び登場した名前であったが、 小夜子には、男たちから強姦された美しい岩手伊作の印象が思い起こされるだけで、 依然として、わけのわからない名前であることに変りはなかった。 「ご主人様って、明美さんの旦那様のことでしょう?」 それで、思い付くままに言ってしまったのだった。 「明美さん? 明美さんの旦那様がご主人様! まったく、おまえは、何を考えているんだ!! あの女は、ただの被虐の女に過ぎないだろうが! どうして、ただの被虐の女の旦那様が崇高なご主人様であるのか! 馬鹿も休み休み言え! まったく、何という考え違いをしている思い上がりなんだ!」 しかし、小夜子は、緊縛された裸身を揺さぶるようにして、食い下がったのだった。 「では、ご主人様にお会いすることがかなわないことでしたら、明美さんに会わせてください…… その扉の向こうの部屋にいるのでしょう、彼女に本当のことを教えてもらいます……」 小夜子は、険しい老人を押しのけるようにして、扉の奥へ進もうとしたのだった。 だが、生まれたままの全裸を後ろ手に縛られていた姿では、扉を開くことができなかった。 「お願いです、この扉を開けてください、私は、なかへ入りたいのです」 険しい老人の口調は、急に、もとの調子へ戻っていた。 「最初から、<色の道>を選ぶなら、選ぶ、そう言えばいいだろう…… まったく、一貫性のない、気まぐれな若い者は、これだから、手間をかけさせると言うんだ……」 ぶつぶつとそう言いながら、ぎいっ〜と古びた木製の扉を軋ませて開いてやるのだった。 なかへ勇んで入っていった小夜子だった。 だが、入るなり立ち尽くしたままになってしまった。 そこは、コンクリートの真新しい内装に囲まれた簡素な部屋などではなく、簡素な丸太の木馬もなかった。 従って、全裸を緊縛された明美夫人の姿もなく、黒いショーツ一枚の浅黒い筋肉隆々男もいなかった。 簡単に言えば、外見はまったく同じに見えたが、なかはまるで別の部屋だったのである。 では、被虐女と加虐男の臨場感あふれるサウンドは、と言えば…… そこへ据えられた大型のスピーカーが発する音声だった。 どうして、このようなまぎらわしいことをするのだろうか、という驚きと疑問は、小夜子にとっては当然だったが、 このいきさつを筋道と理解していた老人にとっては、当然すぎて説明するのも面倒だというものだった。 「まあ、バック・グラウンドのサウンドとしては、なかなか官能を掻き立てて、いいものだが…… これからは、おまえさん自身のメイン・サウンドが悩ましく甘美な泣き声を上げるのだから、修行には不要だろう……」 険しい老人は、スピーカーから流れる電気音響を切ってしまうと、奥へと手招きするのだった。 「さあ、遠慮はいらないよ…… 自分の家だと思って、存分にお入り……」 土間の造りになっている場所だった。 老人は、さっさと畳の上へあがっていったが、小夜子は付いていかなかった。 ふたりの間には、引き立てるための縄がぴ〜んと張り詰めていた。 「何だ、ここまで来て、また、駄々をこねるというのか…… もう、入ってしまった以上、進むしかない…… 最初に言ったように、おまえさんは、望もうが望むまいが、みずからの<道>を進むしかないんだよ…… さあ、こっちだ」 老人は、険しい力で小夜子を繋いだ縄尻をぐいと引き寄せるのだった。 どうして、このようなことになってしまうのだろう、という思いが激しく込み上がってきて、 全裸を緊縛された女は、ずずっと歩まされると同時に、押さえ切れない哀しさで目頭が熱くなるのを感じるのだった。 このようなことは、もう、いやっ…… 家へ帰りたい……家へ帰って主人に抱きしめてもらいたい……そう思うのだった。 だが、襖が大きく開かれ、緊縛された裸身は、自分の意思とは無関係なようにずるずると次の間へ運ばれていくのだった。 広い畳敷きの部屋の正面上座には、立派な床の間が一段高くしつらえてあって、 そこにあるけやきの床柱の前まで歩かされていくと、小夜子は、突っ立ったままの姿勢にさせられた。 「だれが掛けた縄か知らないが…… このような見栄えの悪い縄掛けでは、せっかくの女の美しさも引き立たない……」 そう言いながら、権田孫兵衛は、相手の身体から、あっという間に縄を解き外してしまった。 その縄は、明美夫人が掛けた山吹色も真新しい麻縄であったが、 縛めから解放され、ほっとした息をつく間もなく、小夜子が新たに身にまとわされたのは、 老人と同じくらい使い古されて灰色に変色してしまった麻縄だった。 しかし、使い古されているほどに手際のよい縄掛けであった。 そのわずかの時間、小夜子も、逃げることのできる絶好の機会であると考えたが、 思考が生み出す突然の行動よりも、習慣として行われた本能的な縄掛けの方が断然早かったのだった。 華奢な両手首はもとあったように重ね合わされて縛られ、身体の前の方へまわされた縄は乳房の上へ巻き付けられ、 背中へ戻されると縄留めをされた、新しい縄が背中へ繋がれ、今度は乳房の下の方へ巻き付けられると、 たるみが起こらないように双方の腋の下から乳房の下縄へ絡められて、背後でしっかりとした縄留めが施されるのだった。 素人からすれば、明美夫人の縛りと、岩手伊作の行った縛りと、どれほどの違いがあるのかわからないほど、 手際の良さや後ろ手胸縄縛りの外見からは、どれも<美麗後手胸縄縛り>にしか見えないものであったが、 権田孫兵衛老人は、その縄掛けこそが――縛られた女はさらに美しくなる――極意と考えていることだった。 確かに、辛抱していればやがては成功するものだ、という忍耐力が大切なことの喩えである、石の上にも三年ではないが、 人間、ひとつのことを十年やっていれば、そこそこに社会生活で飯を食っていける技能にはなるものがある。 権田孫兵衛は、八十歳余であったのだから、二十歳から始めたとしても六十年、やはり、それは圧倒的な数字であろう。 違いがわからないのは、その数字に到達していない者が感じることで、わかるひとにはわかるのかもしれない。 このようなことを書くのは、これから、権田孫兵衛が<色の道>として小夜子へ教授することが―― 作者には、<財団法人 大日本性心理研究会>の権田孫兵衛氏の発言の方が遥かにわかりやすいという意味で―― 少々わかりにくい点があることをあらかじめ述べておきたいからである。 悪く言ってしまえば、老人の繰言、そのように言われても、だれが文句を言うか、言うのは本人ばかり、なのか……。 いずれにしても、権田老人は、だれに遠慮も要らずに着々と準備を進めていった。 生まれたままの全裸姿を後手胸縄縛りにされた小夜子は、けやきの床柱を背にして正面を向いて立たされると、 くず折れてその場にへたり込まないようにがっちりと繋がれた。 権田老人は、その前へでんとあぐらをかいて座ると、小夜子の裸身へまじまじとした視線を投げやるのだった。 小夜子は、棺桶へ片足突っ込んだ老人の思いのこもった視線にさらされて、 そのまなざしの空ろとも思える生気のなさがあらわす、抱いている思いのまるで推し量れない不気味さに直面させられた。 状況にあらがう気持ちを集中させようと懸命になるのだったが、老人の執拗な視線がこともなげに掻き乱すのだった。 老人の形相がただ老いさらばえた険しさをあらわしているようなものでなく、 貪欲であったり、好色であったり、卑劣であったりしたら、そのように決めつけて対峙できることだった。 だが、老人は、後にも先にもこれっきりという<老い>しかあらわしておらず、 それに対して、小夜子は、ただ、<若い>ということでしか向き合うことができなかったのだ。 <老い>と<若い>、この両者の優劣は、どのような観点から見るものかによって、大きく様相を変えることである、 人口比率として増大の傾向にある老人の存在を介護の点から見ると、<老い>はまるで<劣>のように見える、 しかし、この<劣>は増大の傾向にあれば、<若い>は、必然的にそれに従属する関係を強いられるものがある、 <老い>は<優>をあらわしていると言える、老人の存在が表現者として思想を強烈化しないおとなしい現状であれば、 この<優>は潜在的な威圧感しか示さない、脅威を感じているのは、せいぜい介護の当事者というだけである、 赤子もいずれは老人になるという必然は眼を覆っても厳然たる事実である、 戦争や殺人は防止できるが、老化はできない。 この<老い>を表現する老人が若い娘を陵辱するポルノグラフィなど、どのような意味を持つものであるのか。 大層な意味などない、荒唐無稽なだけである。 老人など、放っておけば自然消滅していくものか、山中へ置き去りにして風化させる風習に存在理由があっただけである。 時代の先端思想の邪魔になるようなことなど、これまでにありえなかったのである。 或いは、老人の人口比率が全体の五十パーセントを超えたからといって、老人のポルノグラフィが繁盛するわけではない。 あるのは、<若い>は<老い>に絶対的な隷属関係を強いられる支配が生まれるということである。 だから、老人のポルノグラフィなど荒唐無稽である、まだ、近未来のテロリストによる世界支配の話の方が説得力がある。 意味がない、作者としては放棄したい…… だが、小夜子の思うがままの空想は、先へと続けさせるのだった。 <若い>ということが<老い>を扇情することはあっても、その逆は成立しにくいことである、 八十歳余の老いさらばえた女が生まれたままの全裸を縄で縛られて床柱へ晒しものにされているありさまは、 女を見せしめるように恥毛を剃り上げられ割れめを悩ましく剥き出しにされていたとしても、一般的に難しいことである、 <エロスのエネルギーは、人間として生まれた時から死に至るまで発動する>ということがあっても、 <好みの想像力を逞しくすることこそは、表現の真理を解き明かす本領発揮と言える>ことであっても、難しいことである。 従って、<若い>は、扇情しているみずからのありようを強烈に自覚させられることによって扇情させられるという、 意識の倒錯があり得ることになるのだが、これも、<老い>へ隷属している関係があるからこそ成り立つことなのだろうか。 小夜子は、自分が生まれたままの恥ずかしい全裸の姿でいることを改めて思わされるのだった。 ふたつの美しい隆起をあらわしているふっらとした乳房ばかりではない、まさに女であることを見せしめるように、 陰毛を取り去られた箇所がくっきりと鮮やかな割れめをあからさまにさせていることが、 それらを覆い隠す手段を縄の緊縛で奪い取った相手によって、穴のあくほど見つめられているということが、 これほどまでに羞恥と屈辱の思いへとみずからを追い込んでいくものだとは、想像もできないことであった。 決めつけることを無意味と化する執拗に繰り返されるだけの生気のない空ろな凝視は、 拠るべき場所を失わせた思いにある不安と恐れをないまぜにしてぐるぐると募らせていくばかりで、 いつしか、それが不思議なくらいに甘美な官能の疼きまでも呼び覚ますのを感じさせられてしまうのであった。 凝視されているその箇所その箇所が抑え切れない悩ましさをおびて熱く火照ってくるのだった。 麻縄で緊縛された柔肌が刺激され官能を敏感にさせていることがあったにしても、 ふたつの桃色の乳首がいやらしいくらいに立ち上がってしまっているのが、 もう、見た目にもはっきりしたことだとわかるのだった。 ただ、見つめられているだけで、こんなに感じてしまう…… しかも、無味乾燥としたこんな老人に…… こんなこと、でたらめだわ……こんなこと、いやっ! 小夜子は、がっちりと床柱へくくりつけらた裸身を身悶えさせようとしたが、上半身はままならなかった、 下半身は大股開きすることさえ可能であったが、両腿を閉じ合わせ懸命に隠すことはしても、動かすことなどできなかった。 生まれたままの全裸を麻縄で緊縛された女の立像として、じっとしているほかなかったのだった。 若く美しい全裸の女の立像――館のフロントに置かれていた乙女のヌードの大理石像とまさに競い合うものであったのだ。 その姿態を眺めていると、女体と縄との間には、相性が存在していることがわかる。 その優美さは、神のみわざと讃えられる女性の肉体は、 ほっそりとした美しい首、 なでた優しい肩、 なよやかな細い腕に華奢な手首、 ふっくらと隆起する柔らかな乳房、 わきのしたから腰へかけての弓形のあでやかな曲線、 まるみのある豊かで官能的な尻、 股間の麗しいなめらかさ、 匂い立つような太腿から脚まで伸びるしなやかさ、 すべてにおいて、柔軟性と曲線性につつまれ、大自然を思わせる壮麗な起伏に富んでいることをあらわしている。 このことは、身体の箇所のひとつひとつが縄を掛けやすい特徴を示しているということである。 後ろ手にさせ重ね合わせた手首を縛るとき、ほっそりと華奢であることがまとめやすくさせている。 その縄を身体の前へまわし胸の上へ掛けるにしても、隆起している乳房の弾力でずれることがない。 ふたつの乳房を上下から挟むような胸縄として施せば、縛った後ろ手は否応なくがっちりと固定されるのである。 さらに、古来より首やうなじの美しさを引き立たせるためにされてきた首飾り、 この場合は、掛けられる首縄というものが、これほどまでにしっくりと合うなまめかしい姿というものがほかにない。 牛や馬や豚や犬や猫などに掛ける首縄、畜生を意識させる以外にない野卑さとは大きな相違である。 その首縄を縦縄にしておろし、股間までもっていってもぐらせて背後へ引きまわすにしても、 陰茎と睾丸のような突起物があって邪魔をするようなこともない。 むしろ、麗しいほどになめらかであって、深々とした切れ込みさえあることが、しっかりと収まるようにさせるのである。 どうして、女体には女としての割れめが存在するのかという疑問があれば、 それは、緊縛されるために掛けられた縄をしっかりとくわえ込むためにある、という因果の必然性を言うことができる。 この地球上に棲息する動物を探して、このような意味の縄の相性を示す存在は、女体以外にはないからである。 そして、その割れめへもぐらせた縄を埋没するくらいに食い込ませるにしても、 股の縄を左右から引っ張り上げる縄は、弓形の曲線をもった腰があることで難なく果たせるのである。 そのあでやかなくびれは、優美さばかりでなく、機能的にも縄を引っかかりやすくさせているということである。 かぐわしささえ漂わせる太腿やしなやかな両脚に至っては、 きちっと揃えさせても、激しく折り曲げても、左右へ大きく開かせても、 その柔軟性は、魅力的な足首へ掛けられた縄を見事に固定させていくのである。 そして、この総体は、表面を被う柔らかで弾力のある脂肪の肌があることで、縄を芯から密着させる性質を示し、 女体というのは、縄へなじむ肉体というものをあらわにさせている、ということをまのあたりにさせるのである。 従って、女体と縄の緊縛の相性は、白色人種・黒色人種・黄色人種を問わない、普遍的事柄と言えるものである。 このことは、すでに、<女体緊縛の必然性>ということでは、ごくあたりまえの事柄にすぎなかった。 果たして、老人がこれと同一の視線で眺めていたものかどうかわからないところに不気味さがあったのだが、 権田孫兵衛は、若い女の全裸緊縛姿へ執拗に繰り返す視線の執着を続けながら、ひとり話し始めたのである。 おまえさんの美しい身体を、まずは、じっくりと眺めさせてもらうよ…… 偉い文学者の先生は、眠れる美女をひたすら眺めることをなさったが、 わしも知り合いであったら、このような方法もあることを教えて差し上げたかった…… 女は美しい生きものだ、特に若い女性は輝ける生きものだ、少女に至っては天女の神々しささえある…… その美しい女が自然の生育させた植物の繊維で撚られた縄で縛り上げられている姿…… 妖しくも、華々しくも、麗しくも、優美で、艶麗で、荘厳な姿、この世で、これ以上の美しさはないという至上の美…… いや、あれだけの偉い先生であったのだから、本当はご存知だったのかもしれない…… ただ、そのままを表現したのでは、差し障りがあって世間体も悪い、それでは、アカデミー賞は無理だったろうし、 やはり、婉曲する文体であればこそ、文学であったのだろう…… あからさまに書いてしまったのでは、底が見え見え、馬脚をあらわすというのでは、身もふたもないことなのだろう…… わかっているが、わざと書かない、これが日本文学の矜持と言える伝統なのだ…… 一生懸命書いても、それ以上をあらわせない文学もどきとは、こんにゃくとがんもどきぐらいの違いがあることなのだ、 ましてや、作者にさえわからないことをあえて表現するなどという、荒唐無稽の気違い沙汰は言うに及ばずだ…… 美しいものは、ことさらではなく、まわりくどく、どっちつかずの、さりげない、秘めやかなあらわれにこそ、あるものだ…… <色>というのは、そのようなあらわれにおいてこそ、はじめておびるものなのだ…… 塗りたくったからといって出るものではないし、強烈な対照を示したからといって、浮かび上がるものではない、 <色>は、整合性をあらわすようにしたからといって、明らかになるものではないのだ…… わが国の先人は、そのことを充分に承知していた…… わかっている、ただ、わざと書かない、わざとあらわさない、これが表現の伝統であり、それは、いまも続いている…… だから、将来も変わらない、それこそがわが国だけがあらわすことのできる至上の美であるからだ…… 西洋の合理精神とやらの整合性を見せつける美しさは、わかっていることをありのままに表現するものだ、 わかっていることが表現されて、わかっているように表現されて、それが思ってもみなかったことであれば、 わかっているが、わざと書かないということが、まるで、何もわかっていないことのように感じるかもしれない、 わかっていることをわかっているように表現することが正しいありようだと思えたとしても、不思議のないことだ…… つまり、数学は美である、と感じることだ…… わかっていることをわかっているようにしか表現しない整合性は美である、と言うことだ…… われわれのわかっていることは、すべて、人知を超越するお方からの賜物であることで、わかっていることだ…… そのお方は唯一のありようであり、唯一であるからこそ、あらわされる美は唯一の美であるのだ…… その美を表現できることは、わかっているが、わざとあらわさないのではなく、わかっているから成し得ることなのだ…… それは、美しい、唯一神からの賜物の至上の美とされれば、それ以上のものはないということで、美しいのだ…… だが、<色>をあらわすことではない…… <色>をあらわすことのできるのは、わが国が伝統として継承してきたありようにしかないのだ…… だが、わかっているが、わざとあらわさない、というありようからして、整合性が希薄なものとしてしかない…… 宗教が唯一の整合性に基づくものとしてあり、その整合性の権化である科学という思考方法が、 政治・経済・文学・美術・音楽から工学・医学・心理学・考古学・進化学・宇宙学にまで満遍なく行き渡っていれば、 わかっていることだけで、世界認識は充分に事足りるとされたとしても、不思議でも何でもないことである…… 人間にある依然とした不明も、神の賜物として、その不明が人間にわかるだけ幸福であるという恩寵であるからだ…… だが、このようなことは、わかりきったことである、わが国の先人は、裏表なく承知していたことだ…… だから、明らかにされない、わが国の表現の伝統は、わかっているが、わざとあらわさないとすることにあるからだ…… わしも、<色>を教授し継承させていく者である以上、これ以上は、はしたないことであるからやめておこう…… それを、作者にさえわからないことをあえて表現するなどという血迷った者がいるとしたら、 整合性はひとつのありようとして確実に説得するものがあるが、荒唐無稽など、ただの荒唐無稽にすぎないことだ、 最も肝腎なことである、<色>をあらわすことは、絶対にできないことだ…… そのようなこと、このようにおまえさんの生まれたままの美しい裸体を、邪念なく、見つめれば、わかるだろうことに…… ふっくらとした果実のようなかぐわしさを漂わせる乳房、そこに瑞々しい甘さを匂わせる愛らしい乳首…… それが単なる形容ではないことは、鷲づかみにし、口へ頬張ってみれば、だれにでもわかることではないか…… ましてや、おまえは、縄で突き出させられた、眼にもあざやかなありようを示しているのではないか…… わしに頬張って欲しいと言いたげなほどに…… だが、わしが若く威勢のよい今の男ではなく、老いさらばえた昔の男だから、おまえは言い出せないでいる…… いや、そうではないだろう、おまえは、わかっているのだ、わかっているが、わざとあらわさないでいるだけなのだ…… おまえは、みずからの<色>をあらわしてくれるものなら、相手のえり好みなどするようなことはしない…… それは、おまえがわが民族の女だからだ…… わが国の文学表現の真髄が女流によって考えられ、支えられてきたことであるように、女をあらわしているからだ…… 女でなければ、作り出すことも、表現することもできない、<色>をあらわしているからだ…… 隠す覆いを奪われているからこそ、柔らかく盛り上がった雪白の無垢な丘に神秘をかもしだせてあらわれた深遠な淵、 その奥にひそませた襞に覆われた洞穴がうるおいの輝きに満ち始めていることがどのように明らかなことであっても、 おまえには、わかりすぎるほどわかっていることであっても…… わかっているからこそ、わざとあらわさないことなのだ…… 男はそうはできない、わざとも何もなく、あからさまにもたげてそり上げて、さらけ出すことしかできないのだ…… それは、善くも悪くもなく、整合性をあらすものだとわかるからこそ、わかるものを表現しようとすることになるのだ…… 西洋の合理精神が考え出した整合性の展開であるロマンとかノヴェルとか呼ばれる表現へ追従できたことだ…… だが、追従して作り出されるものは、それ以上の展開を生み出すことはない、ましてや、<色>をあらすことではない、 せいぜい、できることは、さらけ出させたみずからのおちんちんをこねりまわして、放出させることくらいだろう…… だが、自慰行為だって、立派な性行為だ、芸術的表現の様相をおびることでさえできる…… 唯一神の恩寵を表現の結実として作り出すことをしないロマンやノヴェルに、 西洋の合理精神から友好的なお愛想の批評や賞さえ送られるのは当然のことなのだ…… 西洋の合理精神が考え出した整合性に脅威を与えるものなど何もない、追従奴隷の信条告白であるからだ…… それがゆえに、奴隷の信条告白にそれ以上のものが見出されなければ、ぼんやりとした不安がいざなって、 できることがなくなった者が最後に行うことである、自殺があるだけなのだ…… 偉い文学者の先生も、勇ましいその息子さんも、ほかにも、多くの多くの方が当然のことのように亡くなっていった…… 老いは見苦しいし、死体は醜いが、仏様になってしまえば、どのようなことだって、きれいごとで済ませることができる、 そのきれいごとを美学と思い、仲間内だけの駄話を批評であるとしていたら、おめでたいと言えばおめでたい…… だが、亡者への哀悼よりは、おめでたいことの方が将来的展望があることに思えるのは、当然のことなのだ…… おめでたい椀飯振舞の酒宴は、おちんちんの整合性を認識する男だけが寄り集まって行うことであるからだ…… 女は、酒宴の次の間に、生まれたままの全裸を縄で緊縛された姿で夜具へ横たえられ、待たされているのだ…… 女は待っているものなのだ、常に待ち続けているものなのだ、おまえがそうして、床柱へくくりつけられているように…… 男には、欠くことのできないそのような女が存在し、その女によって慰められる喜びこそは、 繰り返されるだけのぼんやりとした不安、悶々とした自慰行為からの救いであることに間違いないからだ…… そのように、わが国には、<色>をあらわすことのできる女流が脈々と続いて、男を支えてきているのだ…… 女流は、さらけ出されることもなく、みずからを絶つこともなく、したたかに強靭に輝きを継承し続けているのだ…… 女は美しい生きものだ、特に若い女性は輝ける生きものだ、少女に至っては天女の神々しささえある…… その美しい女が自然の生育させた植物の繊維で撚られた縄で縛り上げられている姿…… 妖しくも、華々しくも、麗しくも、優美で、艶麗で、荘厳な姿、この世で、これ以上の美しさはないという至上の美…… 生まれたままの全裸を縄で緊縛された女と交わる喜び、そこで体得できる<色>があればこそ、 男のロマンもノヴェルも屹立するのだ、そり立ったロマンもノヴェルも輝きを放出できるのだ…… それが可能となるのも、ひとえに女が縄で緊縛されているからだ、縛られた女はさらに美しくなることだからだ…… これは、わしが独断と偏見と執着から執拗に言っていることではない…… わしも、わが国の歴史過程では、ひとりの因習の継承者にすぎないからだ…… 因習……昔から伝わる古い習慣やしきたり……これを馬鹿にしてはならない、 もっとも、馬鹿にしたところで、馬鹿にする者ほど、因習の持つ力を知らずに隷属している者はいないのだ…… それもそのはずだ、それは、脳の深いところにあって消し去ることのできない民族の記憶としてあることだからだ…… 深いところにあるから、直接、性的官能と結びついたかたちであらわれるものであるからだ…… <色>というのは、そのようにして醸成されるものでしかあり得ないのだ…… だから、ことさらではなく、まわりくどく、どっちつかずの、さりげない、秘めやかなあらわれにこそ、あるのだ…… 縄というものがそれを導き出すための道具であることは、縄が生み出されたときからの必然的な因果であるのだ…… わが国の現在あるありようは、すでに、縄文土器が明確にあらわす表現で予定されていたということだ…… 人間というものは、直立歩行ができるようになり、両手を自由にしたときから、 観念と道具と技術を、人間にとって有用なものを作り出すために、互いに影響させ合いながら発展させてきた…… 結ぶ、繋ぐ、結わえる、縛る、といった観念は、ばらばらに存在しているものを全体化させようという欲求だった…… 人間が結ばれれば、夫婦となり、親子となり、親族となり、集落となり、村となり、町となり、都市となり、国家となる…… 動物が人間と結ばれれば、家畜となり、労力となり、愛玩物となり、見世物となり、食糧となる…… 植物が人間と結ばれれば、住居となり、燃料となり、食料となり、鑑賞物となる…… 取り巻く自然と人間が共存していくためには、全体化させる観念は絶対不可欠のものであったのだ…… 一本の太い蔓で繋ぐよりも、細い蔓を何本も撚り合わせたものの方が柔軟性があり容易であり強靭でさえある、 人間が初めて植物の繊維を撚り合わせて縄を誕生させ、このことを発見したとき、 結ぶ、繋ぐ、結わえる、縛る、といった観念が実際になる驚愕と歓喜は、大変なものであったに違いない…… 縄文土器に示される文様のありようが偶然の意匠ではあり得ないことは、その美しい力強さこそは、 植物の繊維から縄を撚るその手立てによってあらゆるものが自在に操れる、という神秘が畏敬されているからだ…… この畏敬が縛って繋ぐ力というわが民族の精霊崇拝を育てていったのだ…… 自然に生育する植物に宿るものは、森羅万象に行き渡って存在するものであったのだ…… 縛って繋ぐ力という観念は、人知を超越する森羅万象を全体性として把握させるものであったのだ…… 観念が継承されようとすれば、習慣やしきたりとなるから、因習が生まれる…… 因習は民族の拠りどころとなる記憶であるから、その民族が絶滅しないかぎり、継承されていくものなのだ…… その継承の事実は、眼を覆って隠そうとしても、取って代わるような整合性の理論へ追従するようなことをしても、 見せかけでしか変りようがないのは、因習として消し去ることができないものが観念の根拠としてあるからだ…… 哲学、心理学、文学、美術、音楽、どのような表現であろうと、因習の根拠が異なるものに同一のものは生まれない、 いや、それらをエンターテインメント、ただの娯楽として行っているというのなら、話は別だ…… 娯楽は真理探求が目的ではない…… 真理探求に似た楽しさや喜びを味わうことができるから、娯楽としての存在理由があるのだ…… ありようの事実、真理は、喜怒哀楽の感情移入されたもの、感動とは別物であるのだ…… それは、見たくない、知りたくない、考えたくないということとは、別物としてあるのだ…… あるという事実でしか存在し得ないもの、因習とはそういうものなのだ…… ひとつの宗教に結束することのない民族、まるで、無宗教のようにさえあるようだが、そのようなことはあり得ない…… わしらの始まりは、森羅万象、超自然の対象との結合を意味する象徴として、縄を信仰の道具として使ったのだ…… わが国の宗教、政治、芸術、社会へ行き渡ってあらわれる糸や紐や縄の結びの豊かさは、 原初の結ぶ、繋ぐ、結わえる、縛るという観念から貫かれていることなのだ…… 縄が、結ぶ、繋ぐ、結わえる、縛るという実用的な道具というだけのことであれば、西洋にもロープの結索術が存在する、 だが、わが国の縄の捕縛術があらわす技術と美と信仰の全体化されたありようは、世界に類を見ないものだ…… 縄の捕縛術は、偶然に生まれ偶然に消滅していったもので、現存してないことが証拠だなどと、だれが考えるだろう…… 室町時代に始まり江戸時代に隆盛を見た捕縛術は、明治時代を迎えて競うように導入された西洋の合理精神により、 時代遅れの役に立たない因習とされて隅の方へ追いやられていったのだ…… 手の込んだ美しく信仰的な緊縛よりも、鋼鉄製の手錠の方が手早く合理的ということだ…… だが、因習である、民族の因習である…… 消し去られたようにされることになっても、世間の目をはばかるようなありさまとなっても、継続していくものなのだ…… 犯罪人を縛る因習は、性的対象を縛る因習として命脈を保ったのだ…… 因習が脳の深いところにある、まさにそのありようとして、自然なあらわれとして、性的緊縛を展開させたのだ…… 日本の縄による女体緊縛の現象が明治時代以降からあらわれ始め、 それが現在に至っては、どうして、日常茶飯事の週刊誌的情報にさえなるようになったのか…… 管理社会に閉塞する心理の表象、人間所有のサディズム・マゾヒズムのあらわれ、異形としてある日本の美学…… いろいろなことが言われてきたが、どれも、緊縛が縄でなくてならないことを示しているわけではない…… 西洋の合理精神に追従するだけの心理学もどきから見るのでは、黒の整合性は黒の整合性にしか映らないからだ…… 少しも難しいことではない…… 縄文土器に啓示されている予定調和を現在進行中であり、それが眼に見えてあらわれているというだけだ…… いずれは、縛って繋ぐ力というありようが民族の真髄である<色>と絡まり合って結ばれ、 わしらの存在そのものとなるのだ、人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神であるというヴィジョンだ…… わが民族の宗教は、因習をもって確実に存在し、実現の時間を経過し続けているということだ…… だから、おまえがそうして生まれたままの全裸を縄で緊縛されている姿は、偶然でも、思い付きでも、異常でもない…… 縄文土器が必然的にあらわされた認識であるならば、おまえの全裸の緊縛姿は認識の必然的展開であるからだ…… 人間の性を野放図にさせておいては人間を全体化できない、それらをまとめる習慣やしきたりがなくてはならない…… 因習というものが、どのようなありようにおいても、性的官能と結びついているという所以だ…… 民族の縄が誕生したときから、縄が性的官能と結びついた道具として用いられることにならねばならない必然だ…… 現在、まのあたりにさせられている性的対象の緊縛は、わが民族の予定調和への歴史過程であるということだ…… 予定されるヴィジョンの実現には、<色>はなくてはならないものとしてある…… <色>が、わかっているが、わざと表現しないということにあるのは、 わかっていることをわかっているように表現することでは、全体性の取りこぼしがあるからなのだ…… わが国の先人は、みなこのことを承知していたのだ…… だから、ここにこうして、わしがあるということだ…… 現在とは、過去と未来の結び目にすぎないものだ…… わが民族の歴史過程は、因習に<色>を結びつけるために、 縄による緊縛の様式を展開させなければならないということだ…… 権田孫兵衛老人は、小夜子の全裸緊縛姿へ執拗に繰り返す視線の執着を続けながら、しゃべり続けているのだった。 放っておいたら死ぬまで続けているのではないかと思えるほど、老人特有の長ったらしい執拗さに違いなかった。 だが、それは、男性だから感じることなのか。 小夜子も、爺さんの繰り言をいい加減に飽きてしまったことだと思われたが、そうではなかったのである。 このような話のどこが魅力的であるのか、まったく理解に苦しむところであるが、 うっとりとなった薄目がちのまなざしを浮かべ、美しい裸身を桜色に上気させて、なよなよとさせているのだった。 或いは、ただ、見つめられ続けているという境遇がみずからを扇情しているというありさまであったのだろうか。 いずれにしても、それが小夜子の望むところであれば、いま少し、読者の方にもご辛抱いただきたい老人の独白だった。 様式というのは、わが国の表現において、最も重要な方法だ…… 根本の思想が整合性として明確でなく、様式だけに重きが置かれるありようは、底の浅い表現のように思われる、 神的なものが表現されていることだとすることと、花鳥風月のありさまだけが表現されていることでは、 遥かな差があるように思われる…… だが、根本思想が明示されているからといって、それが確固とした表現だと見なされるのは、神に拠るからである…… その作り出される様式も、神に拠ることによって、根本思想を受け入れる器として作り出されるにすぎない…… 根本思想は、整合性の根拠としての神に拠ったものとしてしか、表現できないということだ…… それは、ひとつのありようだ、それがひとつのありようであるように、わが民族にも、ひとつのありようがあるのだ…… わが民族の様式というのは、様式そのものが根本思想をあらわすものであり、 展開されない様式は、様式ではないということだ…… 様式である以上、誕生すれば、成長し、衰退し、死滅していく、流行れ廃れというものがある…… だから、はかない、わび、さび、などがあらわされるが、そのようなことは、自然界では当然のことだろう…… そのような様式の表現を追及して、そのようなあたりまえのことを、 それらは表現しているだけの浅薄なものであるのだろうか、そんなはずはない…… わが民族の予定調和は、縛って繋ぐ力という観念を貫いているものだ…… その歴史過程である、各々の時代の表現に現出した糸や紐や縄のありようには、その根本思想が示されている…… 各時代のありようとしてしか見なければ、表現がその時代の流行れ廃れとしか見えないのは、あたりまえのことだ…… そのような見方には、明治時代以来、競って導入された西洋の合理精神による整合性の学問、 つまり、唯一神が根本思想という尺度に拠った方法で考察が行われていることがあるからだ…… おのれの民族思想を追従したよその民族思想で理解しようとしたところで、 依然として納得のいかない答えとなるのは、あたりまえのことだ…… せいぜい、取り巻く自然を受容し愛でる日本の伝統思想という、 おちんちんのこねりまわしにすぎないことになるだけだ、それで気持ちよく放出ができればよいが、できなければ…… それとも、天子様のありようを根本思想として、これまで行ってきたことであり、これから行っていくことであると…… 古い因習に囚われているから新しく啓蒙する、だが、追従するだけの新しい合理精神によって啓蒙されたとしても、 古い因習から解放されるわけではない、にもかからわず、因習から解放されたという思いから考察を始めれば、 倒錯しているわけだから、矛盾を起こすのはあたりまえなのだ…… 相反と矛盾は整合性の愛すべき息子たちなのだから、当然と言えば当然の思考方法だろう…… だが、これまでに行われてきたことは、すべて、来るべき予定調和のための準備であるのだから、 どのようなありさまであったにせよ、必然的歴史過程であるのだ…… おまえがそうして全裸を緊縛されて立たせられていることは、わが民族の歴史過程のあらわれなのだ…… おまえの美しい裸身がくくりつけられている床柱は、床の間というものにある…… 日本建築の様式で造られた住居には、縛って繋ぐ力を発揮させる場所が何と豊富にあることだろうか…… 梁、桁、柱、鴨居、欄間……これらは、縄と同様の自然が生育させた樹木から生まれたものだ…… 日本家屋は木材を組み合わせたもので、日本間を見まわしても、自然から作り出された調度品ばかりだ…… 人間も自然の一部であると言うならば、日本間には自然しか存在しないのだ…… おまえは、自然のなかに生育する美しい生き物であるということだ…… うっとりとなった薄目がちのまなざしを浮かべ、美しい裸身を桜色に上気させ、なよなよとさせている心地よさは、 どうしてだかわかるか…… 自然の繊維で緊縛されたおまえの肉体と精神は、みずからにある人間としての自然性を発露させ、 大地へ根を下ろして生育する樹木や草花とみずからを同一化させようとすることを求めるからだ…… 満開の桜の樹の下で生命を極めることを美と感ずることができる所以だ…… それも、縛って繋ぐ力というわが民族の思想が貫いているからだ…… だから、おまえは、さらに縛られることによって様式を展開させ、さらに美しくなる存在とならねばならないのだ…… そのために緊縛の技法もさらに展開する、いまのままでとどまるということは、あり得ないのだ…… おまえは、<色の道>を進まねばならない…… 低いところにあるものは、その意思するところが低いから高くならないのであって、 高いものと結び合おう、繋がろうと意思すれば、高いものへ近づくことができる、縛って繋ぐ力がそうさせるのだ、 高いところにあるものでも、その意思が低ければ、高いものでいられるとはかぎらないということだ、 終わりと思われることは、始まりにすぎない、その始まりはやがて終わりを迎え、また始まる、 環に結ばれた縄は、永劫に回帰する、 世界に類のない縄文土器があらわすように、世界に比類のない縄の緊縛があるのは、 わが民族が世界に唯一の予定調和のヴィジョンを縛って繋ぐ力で成し遂げるためのものであるからだ…… 『奥州安達ケ原ひとつ家の図』の鬼婆に瓜ふたつの老人のひとり台詞は、これで本当にお終いなのか。 まだ、言い足りなさそうな様子にも見えたが、老人は、自然素材からできた畳から立ち上がっていた。 その片方の手には、使い古されて灰色に脱色した自然素材からできた縄の束が握られているのであった。 「おまえさんは、望もうが望むまいが、みずからの<道>を進むしかない、と言った意味がこれでわかっただろう…… おまえさんは、<色の道>を教授されなければならないから、そこにいるんだ…… それは、おまえが女だからだ、おまえが美しい女だからだ……」 けやきの床柱へ繋がれた小夜子の裸身の間近へ立った老人は、その骨ばってささくれ立ったもう片方の手で、 胸縄で突き出させられている若い女のふっくらとした乳房を鷲づかみにするのだった。 ああっ〜。 小夜子は、思わず、甘い声音をもらして反応を示したが、うっとりとなった薄目がちのまなざしを浮かべたままだった。 老人は、つんと立ち上がって欲情を示している愛らしい乳首をさらに突き出させるように、骨ばった指で挟み込んでいった。 「いたい〜」 か弱い声を上げた小夜子だったが、嫌がる様子も見せずに、されるがままになっているのだった。 その突っ立たせられた桃色の乳首へ、むっくりとのぞかせた土気色した老人の舌先がにょろりと伸びていった。 うう〜ん。 ぬめった舌先でこねリ始められると、女のうっとりとしたまなざしはその箇所へ向けられたが、されるがままだった。 どうしてだ、老人の語った事柄にそれほどの説得力があったとは思えないが、小夜子は、まるで言いなりではないか。 老人の舌先に執拗に舐めまわされて、若い女の乳首は、挟み込まれた指が離れていっても、激しく突っ立っているのだった。 今度は、その溌剌さを老人の大きく開かれた口がまるごと頬張っていった。 歯のすっかり抜け去っている老人にとっては、舐める、しゃぶる、噛む、吸う、と行うなかでは、噛むは歯茎で行うという、 若く威勢のよい今の男ではまずできない愛撫だったが、これが独特の感触を伝えてくるものであったのだ。 もぐ、もぐ、もぐ……ぺろっ、ぺろ、ぺろっ……ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……すぱっ、すぱっ、すぱっ……もぐ、もぐ、もぐ…… 日本間に響いているその音だけを聞かされていたら、笑ってしまうような間の抜けたサウンドであったが、 小夜子の悩ましく、やるせなく、切なく、甘美な声音は、見事なメイン・サウンドでハーモニーを奏でているのだった。 ううっ、ううっ、ああっ、ああっ、ああっ〜ん、ああっ〜ん、ううっ〜う、ううっ〜う…… 高ぶらされている官能が声音にだけあらわれているものではないことを確かめられるように、 教授する者のささくれ立った指先は、おもむろに相手の下腹部の方へ伸びていき、 ふっくらとした果実のようなかぐわしさを漂わせる乳房、そこに瑞々しい甘さを匂わせる愛らしい乳首を舌で賞味しながら、 隠す覆いを奪われているからこそ、柔らかく盛り上がった雪白の無垢な丘に神秘をかもしだせてあらわれた深遠な淵、 その奥にひそませた襞に覆われた洞穴がうるおいの輝きに満ちていることを明らかにさせようとするのだった。 「ああっ、だめ……だめっ……」 小夜子は、柔らかく波打つ美しい黒髪を打ち振るって、いや、いや、をして見せるが、 ふっくらと盛り上がった白い丘へ生々しくあらわにしている悩める割れめへ、指をもぐり込まされていくままだった。 「さあ、もっと、入りやすいように、股を開くんだよ、こうしてもらいたかったんだろう……待たせたな」 「……………」 小夜子は、言われるがままに、閉じ合わせるようにしていた双方の艶やかな太腿をそろそろと動かしていくのだった。 骨ばってささくれだった老人の指先は、白く柔らかな肉の合わせめを左右へ押し開くようにしてもぐり込んだ。 「ううっ〜う……ああっ〜あ……だめっ、だめっ……いやっ、いやっ……」 もぐり込んだ二本の指に可愛らしい敏感な突起をさぐりあてられ、優しく強くこねりまわされ始めるのだったが、 同時に、とがっている乳首も歯茎に上下から挟まれて、激しく舌先で舐めまわされるのだった。 「ああっ、だめっ……感じてしまう、感じてしまう……」 女は、もう、じっとしていらいれないというように、縄で緊縛された生まれたままの全裸を身悶えさせようとしたが、 上半身は床柱へがっちりと繋がれているためにままならず、仕方なく、顔立ちを右へ左へと置き場のないように動かしたが、 老人にいじくりまわされている股間と乳房が伝えてくるものは、そのようなことでは抑え切れるものではなかった。 「ああっ、だめっ、だめっ……もう、いきそう……もう、いきそう……」 小夜子は、身体が伝えてくる官能に追い立てられるように、さらに、それが明らかとする強烈な心地よさを求めるように、 教授のささくれだった執拗な指先がもっと動きやすいようにと、艶めかしい太腿をさらに開いていくのだった。 頬張り続けているたったひとつの乳首をとっても、老人は、執拗にまわりくどい繰り返しへの執着をあらわにしていたが、 快感の突起をこねりまわす指先も、同じ人物のものであったから、疑いなく同様なものがあった。 老人は、生い先のない雰囲気を漂わせていたが、 女を高ぶらせる愛撫への執念は、いつ果てるともわからないという感じさえあった。 若さあふれる生い先の小夜子にとっては、とにかく一度昇りつめてしまいたいと思わせる、その快感の果てしなさだった。 思いのあらわれは、膨れ上がっていた花びらの間からどろっとした女のぬめりをあふれ出させることで示された。 ううっ〜う……。 堰が切られてあふれ出す甘美なぬめりが老人の骨ばった指先にまで流れてきて、 うるおいのあるふくよかな女の蜜に勢いを得て、摘まれるまでに尖ってしまった可愛らしい突起へ爪が立てられるのだった。 「ああっ、ああっ、いく、いく……」 小夜子の麗しい曲線を描く腰は抑え切れないくねりをあらわし、 柔らかな雪白の悩ましさをかもし出せる太腿は痙攣をおび始め、 美しい顔立ちは波打つ黒髪を流れ落すようにのけぞらされていた。 「そうは、勝手な真似はさせないよ…… おまえさんは、わしに教授されている身だ、勝手に昇りつめることは許されないんだよ…… そうしたければ、わしに許可を求めることだな…… <色の道>というのは、そんな生やさしいものではない…… 高ぶらされたから昇りつめますというだけのことでは、あたりまえすぎて、おもしろくも何ともないだろう……」 老人は、突然、絡みついていた小夜子の裸身から離れると、そのように言い放ったのだった。 女は、そんな、という思いを示す驚きと失望と動揺を桜色に上気させた顔立ちに浮かばせながら、相手を見やるのだった。 禿げ上がった真っ白な頭髪に歯のないくぼんだ口もと、どぎつい目つきや鋭い鷲鼻、 皺だらけの小柄で痩せ細った身体が険しい老いをあらわにしている男を恨みがましく見つめるのだった。 こんな男の思い通りのままに身体を扱われているのだ……。 小夜子は、そう思い直すと無性に腹が立ってくるのを感じていた、 昇りつめるための許可なんか、ましてや、哀願してなんか絶対に求めるものか、という気になってくるのだった。 毅然とした思いをあらわすように顔立ちを輝かせ始めた相手を知って、老人は表情ひとつ変えずにたたみかけた。 「どうした、官能を昇りつめるために、わしに許可を求めるおねだりをしないのか…… 最高に気持ちのよい思いへ行き着けるのだ、頭を下げるなんて、たいしたことではないではないか…… そうか……なるほど…… それでこそ、おまえさんは、わが民族の女だ…… 性的官能のままに肉欲の奴隷となる紋切り型では、整合性はあらわせても、それを超えるものはないというわけか…… なるほど、おまえさんは、間違いなく、わが民族が予定調和のヴィジョンを招来するために<色の道>を歩む女だ…… だが、うぬぼれてはならないぞ、思い上がってはならないぞ…… 数多いる女のなかから、神によって選ばれた女だと思えば、それらしいことに違いない…… だが、おまえさんは、そのようなものではない…… おまえさんは、民族の予定調和が実現されるために、みずから道を選んだ女としてあるにすぎないのだ……」 またしても、決め付けにかかった老人の発言だった。 このような似非新興宗教のような言辞、いまどきの若い男女にはやらない、そんなものではないのか。 小夜子も、そのように決断されたからといって、わけのわからない老人の繰り言を長々と聞かされたからといって、 官能に高ぶらされてしまったことは事実であったとしても、何をわけのわからないこと言ってるの、という思いが募っていた。 彼女は、ぷいと顔立ちをあちらの方へそらせると、そこへまなざしを集中するのだった。 権田孫兵衛老人は、すねたような相手の様子などお構いなしに、 手にしていた灰色に変色した麻縄をふた筋にすると、女の優美な腰のくびれへ巻きつけ始めていた。 小夜子は、行われていることなど人事だと言わんばかりに、一点へ投げかけたまなざしをかたくなに続けるのだった。 腰へ巻きつけられた縄は、きゅっと締め上げられると、可愛らしい形の臍の下で結ばれた。 女は、あふれ出させた甘美な蜜で、てらてらと光沢をおびている悩ましい太腿をかたくなに閉ざしていたが、 ふっくらとしたなかに生々しい亀裂をあらわにしている股間へ、縄をもぐらせようとする老人の指先に抵抗を示さなかった。 老人にされるままに、ふた筋の麻縄を割れめへ埋没させられていくだけであった。 可愛らしい敏感な突起も、うるおいの内奥を飾る花びらも、菊のすぼまりをあらわす小穴も封じ込められていったが、 その感触にうめき声さえもらそうとせず、毅然とした顔立ちの凝視を続けたままの小夜子であった。 ふたつの張りのある艶めかしい尻の肉の間から、引き出された麻縄が緩みのないように締め上げられたとき、 女は初めて、ううっ、とか弱い声音をもらした。 だが、それは、そのありさまをまのあたりにさせられれば、当然と言えることだった。 小夜子の腰へ掛けられた縄は、臍から股間へ、 割れめの肉が浮き上がって見えるくらいに激しく食い込まされたものであったのだ。 老人は、そのありさまをしげしげと眺めながら、険しい顔付きを変えることもなく言い捨てた。 「さあ、その格好で、思いを遂げて見せるんだ…… マゾヒズムを選んだ明美夫人でさえ、丸太にまたがって、ひとりで官能を高ぶらさせて思いを遂げようとしたんだ.…… おまえさんだって、みずから<色の道>を選んだ女であるのだから、できないことはないはずだ…… しっかりと食い込ませた股縄へ、縛って繋ぐ力へ、思いをひとつに集中させれば、やり遂げられることだ…… さあ、始めるんだ…… その間に、わしは、次の支度へ取りかかる……」 教授する者は、さっさと次の間へ向かい、そこの襖をぴたりと閉めてこもってしまった。 ひとり、日本間の床柱へ、生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられ、股縄を施され、 くくりつけられて置き去りにされた小夜子だった。 身動きひとつしまいとかたくなになる女の息遣いのほかには、 部屋には、静寂とさまざまな植物の芳香がほのかに漂っているだけであった。 これが<女の股縄>と呼ばれたいきさつであった。 |
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