借金返済で弁護士に相談




縄がおかれていた。
生まれたままの全裸の女体があった。
その縄を用いて、その女体を縛ることを<緊縛>と言った。
がっちりときつく縛り上げることをしなくても、
エロスの衝動の導くままに、縄で人体を拘束すれば、
<緊縛>というものだった。
従って、馬や牛や豚や犬や猫を縄で厳しく拘束したからと言って、
たとえ、それがエロスの衝動を感じて行った行為であったにせよ、
<緊縛>とは言わなかった。
いや、言わせなかった。
言語は、人間だけが固有に所有している認識の手段であり、表現の手段であり、事物命名の手段である。
たとえ、裸にした女体を縄でふんじばって、畜生同然の取扱い方を行ったにしても、
縄で拘束された生まれたままの姿にある人体は一頭の豚と変わりなく見えることだとしても、
人間に関わる言語は、畜生との差異を表現するものでなくてはならなかった。
畜生との差異を明らかにすることによって、始めて人間らしさを表現できることであった。
「女は畜生同然の裸に剥かれ、縄で縛られ、鬼畜と言うがごとくの畜生以下に取り扱われるのだった」
このように表現された文章があるとすれば、
それは、人間はこの地球上において、ほかのすべての動物よりも優っているから人間なのであって、
それらの動物と同等か、それ以下の境遇に置かれるということは、
人間の尊厳を貶めていることを表現しているというよりは、
むしろ、貶められる<下降>は、賛美される<上昇>を前提としているから成り立つことを言っている。
鬼畜の取り扱いを受ける女がついには菩薩へと変容するような表現に至るとすれば、
もとより、人間が仏か神かに変容できる自負を意識していればこそ可能なことだと言える。
その自負の由来は何であるかと言えば、心と呼んでいる人間の尊厳である。
人間を<高きもの>へ導くとされている心というものである。
人間が神へ至る上昇を行う階段であり、
現在、その過程の真っ只中にいるという、考察中のありようである。
人類の創始以来、昇り出している階段ならば、少しは高みへ近づくことができたと思うのがあたりまえだが、
ところが、どっこい、そうは簡単にはいかないことだった。
地球上にいる人間は、<低きもの>へ引きつけられる重力に支配されているのである。
まあ、簡単に言えば、<突き詰めて考え込んでいるだけでは、御飯を食うことはできない>ということ、
<高きもの>へ上昇しようとする力の分だけ、<低きもの>へ引きつけられるという状態にあるのである。
従って、人間を生きるということにおいて、いずれを優先して行うのは各自の随意だが、
人間というありようにおいては、人類創始のときと大して変らない。
もっとも、何百万年などという時間の程度では、変らないのがあたりまえなのかもしれない、
地球の位置するとされる太陽系の時間から見れば、はかないくらいのもの、
ましてや、人間ひとりの生の時間など……。
だから、とり急ぐことになる。
せめて、自身の存命中に<事が起こればよい>と思わざるを得ない。
死んでしまったら、どうなることかわからない。
せめて、自身の存命中に……。
人間の表現が性急で過激なものとしてあるとしたら、その生の時間の短さによるものである。
だが、発展しているとされている文明、文化生活が生の時間を伸張させる目的があっても、
後がつかえるほどの長寿が幅をきかせたのでは、地球上の居住面積ではまかない切れないことになる。
必要な希求される長寿は、不必要な望まれない子孫ということになる。
いや、強姦で性欲を発散し、殺戮で不必要と思われる人間を抹消し続ければ、
人間の生態系は、いままで行ってきたように維持できるということか。
人間が生存の有効性として作り出してきた科学的と称される道具の類で、
みずから環境を脅かし、生命を危機にさらすようなことをしている現状というのは、
実は、人間の生態系の全体から見れば、人口の増大を抑制していることだと言えるのである。
家のなかでも、ネズミが増え過ぎれば、ゴキブリが増え過ぎれば、ダニが増え過ぎれば、
殺戮して駆除する道理と一緒で、地球上に人間が増え過ぎれば、同様のことが行われるのである。
人間にとって、殺戮と強姦が欠くことのできないものとしてあるのは、
地球という限られた居住面積に棲息し、生存し、種を存続させようとする動物である限りそうなる、
というあたりまえの事柄である。
人類の相対棲息数は、地球の居住面積で決められているのである――
これを厳密な数値に置き換えることは、生物学、心理学、進化学、ほか諸々の学術から割り出せること――
それを明らかにしない、明らかにしたがらない、明らかにすべきでない――
いずれの理由があってにせよ、その数値を言い出す者がいるとすれば、
こぞって、<荒唐無稽な数値だ>と決めつけられることも必至であるということ――
言い換えれば、絶対数から余剰と見なされた人間は、この地球上には不必要であるということだ。
ひとは生まれながらにして自由であり個人としての尊厳を持っている、なぞと言うのはおためごかしとなる。
 夫婦ふたりの数が絶対数であれば、生まれてきた余剰な子供は虐待されて死に至らされることを実例は示す。 
他人の居住地を侵略するのは、みずからの居住地ではまかない切れない人口があるからであり、
 その侵略をどのように大義名分化するかは、その侵略の実行者たちをどのようにして結束させるかという帰納法。 
難しい話ではない、ただ、動物として、棲息し、生存し、種を維持しようとすれば、
行わざるを得ない、人間にとって不可欠の殺戮と強姦ということではないか。
それは、人間が動物として<低きもの>へ引きつけられる状態にある限り、変わりようがないものであり、
それと同じくらい、あたりまえに、<高きもの>へと上昇を試みるから、人間なのである。
だから、殺戮や強姦――そのような非人道的なこと、心という<高きもの>は絶対に許さないのである。
人間には、ほかの動物には、あるかないかわからない、心というものが明確に存在するのであるから……。
ところで、<緊縛>というのは心を縛るものだ、と言われている。
女の身体を縛るのではない――どのように残酷な姿にふんじばっても、表面に見えるものは幻像で、
縛られた人間の実像は、心という眼に見えないものにあるということである。
その心を縛ることができるから、女はみずからの心のありように目覚めさせられ、
縛られることに喜びの感じられる生き物となるのであった。
卑猥と思われる事柄も、心の点から見ようとすれば、ロマンティックな香りさえ漂わせる。
これを学術的な言葉を借用すれば、女はマゾヒズムに目覚めるということになる。
マゾヒズムというのは、精神的にも肉体的にも虐待を受けることで性的喜びを覚えるありようである。
人間には心があるから、神的上昇を意識するばかりでなく、マゾヒズムも知覚できるということである。
ところが、マゾヒズムもサディズムも心の問題では、およそ隅の方に置かれている。
もっとも、人間が繁殖のために行う一般的で平等な交接でさえも、心の問題では大して取り沙汰されない。
マゾヒズム、サディズム、交接の三者混交してのありように至っては、もう、心とは無関係でさえある。
全裸にした女を男が縄で縛り上げ、緊縛された女を男が肉体的虐待を加えた上に交接する――
このありように心の問題を持ち出したところで、非人道的行為という倫理で埒外に置かれるであろう。
心が知覚するサディズム・マゾヒズムでありながら、心とはまるで別物のような取り扱われ方になる。
従って、心とは何か、という問いが俄然際立ってくる。
心というものが、あっちで表現されるいること、こっちで表現されていること、
あまたに表現されることにおいては、何が何だか、わけのわからないものだと感じられても不思議はない。
言い換えれば、わけのわからないものであるからこそ、都合よく用いることができるものである。
そうした心のありようは、心がひとえに全体性的なものではないから、そうなるのであって、
人間の全体性的なありようからは、心は人間の認識の手段の一部分を占めるものでしかない、
と考える方が無理がなくなる道理である。
人間が認識を得るには手段が必要である。
それが従来の方法では、もはや事足りないとなれば、手段を変えることを考え出すことは必然である。
人間は、<低きもの>へ引きつけられる下降にあるばかりでなく、
<高きもの>へ上昇しようとする動物には違いないのである。
だから、仮に心をどのような別の言葉に置き換えたところで、事態は変らないというのはあたりまえで、
心の役割を狭隘な定義として人間の全体性としている限りは、
<針小棒大>という針の穴から世界を覗く大言壮語の認識とさえ言われて仕方のないことになる。
それは、尻の穴から世界を覗くとする<チン小マン大>という快感原則を世界認識とすることと同じである。
「チン小マン大ですって、まあ、恥ずかしいことを……あなたさまとわたしの関係みたい……
 でも、何をおっしゃっているのか、よくわからないお話ですわ、心がどうのこうのと……。
 それはともかくとして、女が生まれたままの全裸を晒して、そのそばに縄が置かれていたら……
 考えられることは、ひとつじゃありませんこと…… 
 いつまでも、待たせおくというだけじゃ、ただ、ただ、無粋なだけのことじゃありませんこと……」
生まれたままの全裸の女体は、おもむろに顔を上げてこちらを見やると、そのように言うのだった。
その熱っぽい潤んだ眼差しが……
汗をにじませた匂い立つような白い柔肌が……
そろそろとほっそりとした両手首を背中で重ね合わせる仕草を示して……
もたげた矛先の向かうままに出す回答が最も矛盾のないことのように思わせるのだった。




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