般若の思想 ―礼・節・法の官能― <死を間際にした思い> 借金返済で弁護士に相談






<死を間際にした思い>



縄による人体の緊縛に対して、性的興奮を覚えるというありようは、
人間にはサディズム・マゾヒズムの性向が備わっていることにあるからとされている、
サディズム・マゾヒズムは、虐待という現象を通して人間を見ることであるから、
虐待の現象のひとつのあらわれが緊縛である以上、
縄による緊縛は、虐待である意味以上のものにはならない、
従って、女性に緊縛を求めることは、虐待したいと申し出るのと同じであり、
虐待を望む女性、つまり、マゾヒズムの性向を持った女性でないかぎり、
その申し出は快く受け入れられない、
快諾しない女性を無理やり縛り上げれば、それこそ虐待であるわけだから、
緊縛は虐待以外の何ものでないことがあらわされる、
これは、縛者と被縛者の関係をサディズム・マゾヒズムという数式に当てはめたことであるから、
わかりやすいと言えば、わかりやすい、
わかりやすいということは、論理的であるということにあれば、科学的と言えることでもある、
西洋の学術から教えられるままに受容した考え方には違いないが、
縄による人体の緊縛を行っている当事者にすれば、
猥褻とされる事柄についてのことであるから、それ以上追求しても始まらないばかりか、
理屈をこねていると勃起したものさえも萎えてしまうから、
ただ、性欲と性的官能に身を任せて行なうことが一番ということになる、
縄という道具を用いて人体を縛り、
縛者は加虐性向を満足させ、被縛者は被虐性向を満足させる、
互いが行き着く処は、性的興奮からの高まりである性的絶頂にあることからは、
縛り上げた女性の膣へ縛った男性の陰茎が挿入されて行われること、
縛り上げた男性の肛門へ縛った男性の陰茎が挿入されて行われること、
縛り上げた女性の膣へ縛った女性の擬似陰茎である張形が挿入されて行われること、
いずれかにあるものということになる、
それだけでは、殺伐としている行為にあると考えれば、
緊縛という縄掛けに対して、職人的な手わざの意味があり得ることから、
人体を彩った意匠を緊縛美と称することができることにある、
これ以上のものを探り出すことは難しい、これが縄による人体の緊縛の一般論と言える、
しかし、私は、そのようには思っていなかったという点で、
サディズム・マゾヒズムに強い関心を抱いていたということでは、
常識の異端者にあったことかもしれないが、
その異端者の世界の価値観のなかでも異端者であった、
ひねくれ者と言われれば、そうなのかもしれない、
だが、緊縛に用いられる縄というものに関心を持つと、おのずから、
縄の<ひねる・ねじる・よじる>というありようから考え方が影響されるということも事実である、
私が独りで悶々と考え続けて行なったことにあるから、
独断と偏見にすぎないことであるには違いないのだろうが、
それは、次のような考えにまで至ったことでもある。

私は、東京生まれの日本人である、東京に育ち、東京に在住している、
日本人には、日本人としてあることの民族固有の事情があるのは、
民族の創始以来の歴史・伝統・因習といったことからは、当然のことである、
従って、この民族固有の事情が縄による緊縛へ影響を与えていることも、当然のことである、
それは、明治時代におけるサディズム・マゾヒズムの学術の導入よりも、
遥かに以前、太古の縄文時代にまで遡ることのできる、民族固有の事情にあることだとしたら、
日本人としては、自然なありようにあることだとしか言えない、
これは、縄文時代の縄が日本民族固有の事情を作り出しているという認識である、
縄文時代に発祥し、土器に表象としてあらわされている縄が民族史を貫いて、
現在、使用されている緊縛を行うための縄に辿り着いているという見方からすれば、
縄による緊縛という意義は、西洋思想のサディズム・マゾヒズムの様相を超脱して、
日本民族固有の事情からの意義をあらわすことにあるという認識である、
それをみずから<般若の思想>と名付けた、
<般若とは、人間が真実の生命に目覚めた時にあらわれる、根源的な叡智。
     世界の窮極的真理を知ること。智慧>といった意味にあることで、
つまり、縄による緊縛は、人間の覚醒の手段にあるということである、
太古の縄文時代の祖先も、現在の我々も、人間というありようにおいては、
食欲・知欲・性欲・殺傷欲を活動させて生存する動物にあるということでは変わりはない、
祖先が縄文時代の一万三千五百年に渡って執着した縄は、
現在の我々がDNAとして継承していることにあれば、
現在の縄による緊縛という執着が人間の覚醒の手段となり得る意義になることも無理がない、
縄による人体の緊縛というのは、被縛者となる女性・男性は、
その最も自然な姿にあるということからは、
一糸も身に着けない、生まれたままの全裸にあることである、
全裸にあること自体がすでに公然とすることを禁じられているという猥褻の事象にあることは、
隠されるべき陰部を晒し、更には、行われる縄掛けの次第によっては、
陰部は、膣口から愛液を漏れ出させられたり、勃起をあらわす陰茎は射精させられたりして、
猥褻は、剥き晒しの露わという人間が示されることになる、
このようなありように対して、
<人間が真実の生命に目覚めた時にあらわれる、根源的な叡智>にあるとすることは、
本人は気が付いていないだけで、気違いの考え方だと誹謗されることがあったとしても、
無理のないことだと言える、
これが <サディズム・マゾヒズムに強い関心を抱いていたということでは、
常識の異端者にあったことかもしれないが、
その異端者の世界の価値観のなかでも異端者であった>という意義にあることである、
従って、社会生活者としても同様にあることは、省で勤労する常識人としてある一方で、
独りで部屋へこもるとなれば、非常識人として、
孤立した世界へ耽溺するというありようにあることであった、
そこから、 これも、あけすけに語れば、独断や偏見の域を出ない事柄にあるのだろうが、
そのように考えることなしには、<般若の思想>の実現はあり得ない、決定的事態があった、
<般若の思想>は、<世界の窮極的真理を知ること。智慧>を意義している、
これは、別の表現を使えば、人間を超越する存在、<神的存在>を措定させることにある、
日本民族固有の事情から<神的存在>を考えることをすると、
どうしても、向き合わなければならない対象があることに気付くことになる、
それは、<天皇>という存在である。

みずからが存立するまわりを取り巻くすべての対象に対して神を認識できるというありよう、
これは、<八百万の神>と称される、日本民族固有の事情としての宗教性にあることである、
日本人は、この認識において、老若男女、十人十色、千差万別という多種・多様・多義にあって、
すべての者が<八百万の神>を<神的存在>とすることで、
平等な人間としてあり得ることにある、
しかしながら、実際は、体制と制度をあらわす国家という囲繞のなかにあっては、
憲法があらわす事柄を最高位と考えるありように置かれている、
日本国憲法は、<信教の自由>を掲げている、
どのような<神的存在>を信仰しようとも自由である、
だが、その憲法の第一条は、<天皇>を規定するものにある、
<天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く>とあるのである、
<天皇>は、<日本国の象徴><日本国民統合の象徴>と規定されている、
それが<象徴>という表現のレトリックを用いての最高位の存在であると考えさせられることからは、
日本国と日本国民の存在があり得なければ、<象徴>という存在理由もあり得ないことにある、
単なる元首であるという規定であれば、このようなことは生じない、
何故、このようなややこしいありようがあらわされるのかと言えば、
<天皇>の地位は、戦前は<現人神>、つまり、<神的存在>であったが、
対外戦争に敗戦して、国家元首でありながら戦争責任を取らずに、
同じ地位のままにあり続けたことの整合性的解釈から、<象徴>とされたことにある、
従って、<象徴>という表現は、戦前の地位である、<現人神>と同義のものにある、
言い方を換えれば、<天皇>が現在も<神的存在>をあらわすことは変わらないという意味では、
<象徴>は、単なる表現のレトリックに過ぎないと言えるのである、
このありようを明確に示しているのが<宮中三殿>という存在である、
<天皇>が居住する皇居には、<宮中三殿>といって、神鏡を安置している<賢所>、
歴代天皇の神霊を祀る<皇霊殿>、八神と天神地祇を祀る<神殿>というものがある、
このなかで、<神殿>は、すべての神を祀るということにある、
すべての神ということであるから、<天皇>は、<八百万の神>のすべてを祀るということにある、
≪みずからが存立するまわりを取り巻くすべての対象に対して神を認識できるというありよう、
これは、<八百万の神>と称される、日本民族固有の事情としての宗教性にあることである、
日本人は、この認識において、老若男女、十人十色、千差万別という多種・多様・多義にあって、
すべての者が<八百万の神>を<神的存在>とすることで、平等な人間としてあり得ることにある≫
と定義したところで、平等にない地位をあらわす<天皇>が<八百万の神>を祀るのであれば、
日本人、日本民族にある者の平等は、相対・矛盾をあらわす言辞にしかならない、
体制と制度に囲繞された日本国家においては、
最高位である<天皇>を認めなければ、<八百万の神>の認識はあり得ないということである。

神宮(伊勢神宮)を本宗とする、<神道>をあらわす、<神社本庁>というものが存在する、
神宮は、天照大御神を祀る、天照大御神は、<天皇>の氏神であるから、
<天皇>が祀るありようが<神社本庁>の<神道>を日本国民の統合とする概念が可能となる、
しかしながら、<神社本庁>に属さない神社も全国には数多あることも事実である、
大きな単立として2、000社、小さなものを含めると20万社はあるとされる、
この状況は、<天皇>が祀るありようが<神社本庁>の<神道>を意義するものとは別のありよう、
日本人、日本民族において、<八百万の神>の認識はあり得ることが示されていることにある、
<国家とは体制と制度に囲繞されたものをあらわすことでしかない>という理解からすれば、
<天皇>があらわす<神道>とは、<神社本庁>に依って、
体制と制度をあらわす国家という囲繞を作り出すための方法に過ぎないと見ることが可能である、
<天皇>が現在の地位を得た明治維新からの歴史は、
日本国を統合するためのありようを作り出す方策に過ぎなかったことへ考えが及ぶ、
江戸時代までは、全国にある諸藩が<八百万の神>の元に、
多種・多様・多義をあらわす日本の宗教観にあった、諸藩は、その大小にかかわらず、
自主・独立・固有の知覚をあらわす自治体をあらわしていたことにあった、
徳川幕府は、この状況を少なくとも二百五十年は統括維持した政府にあったが終焉を迎え、
<天皇>が最高位となる大政奉還(1867年)が行われて、明治維新となった、
それまでは、神社も寺も一体としてあること(神仏習合)の多種・多様の宗教観にあったが、
そのありようでは、唯一の絶対性にある最高位の存在に相反・矛盾の生じることから、
明治政府は、神仏判然令(1868年)に依り、神社と寺を分離して、
<天皇>の神道(国家神道)という聖性が作り出されることになった、
<天皇>は、国民に周知された存在ではなかったから、
<日本国家は天皇という存在が一つにする>というプロモーションのために、
<天皇>が全国を巡幸することが行われた、
1890年の<教育勅語>の発布は、
<天皇>の道徳は、国民を総意へと向かわせる一義にあったが、
<天皇>の元に<一億総何々>の一義となる思想が生み出されることでもあったことは、
日本国家を統括維持する<現人神>である<天皇>が作り出されるまでに至ることであった、
大日本帝国憲法(1889年)においては、皇族などの名誉や尊厳を害する罪として、
<不敬罪>という刑法が明文化されていた、
その客体は、第一に、天皇
第二に、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太孫など天皇に準ずる皇族
第三に、神宮
第四に、皇陵
第五に、普通の皇族とあった、
<天皇>と神宮(伊勢神宮)は、絶対の存在にあったのである。

樹立された明治政府が日本国家という体制と制度の囲繞を作り出すために、
<天皇>の元に<一億総何々>の一義となる思想が必要不可欠であったことは、
日本国家が置かれている状況を露わとさせていることだった、
アメリカ合衆国のペリーの黒船の来航以来(1853年)、開国を迫られた、
ハワイ王朝がアメリカ合衆国によって滅ぼされ併合されたとき、
アジアの拠点となる日本国は、次の標的にあったが、
非常事態の内戦という南北戦争(1861年〜1865年)が生じた為に、
明治の開国時点では、それを果たすことはできなかった、
だが、アメリカ合衆国のアジア支配にあって、日本列島の存在は必要不可欠であった、
ロシア・中国に向かい合って、日本国家の領土と国民を支配下に置くことは、
イギリス・フランス等の南方アジアに植民地を持つヨーロッパ諸国に対抗しては、
絶対に求められることであった、
こうした実情を当時の明治政府が把握していなかったということはあり得ない、
それは、西洋列強に追いつくために、<欧化主義>と称される、
軍事・文化・教養・生産の西洋主義の過激な導入にあらわされたことにある、その結果は、
日清・日露戦争に多大の人命と金銭の損失を蒙りながらも、勝利を得たことであらわされた
同時に、日本国家は世界の一等国になれたという思い入れを抱かせることでもあった、
思い入れというのは、自己中心的な価値判断にあることで客観性を欠くことにある、
最初は、主観性の思い入れから始まることでも、
それが成長を遂げるためには、客観性の内省は不可欠にある、客観性の内省は、
みずからの立ち位置がどのようにしてあるものなのかを検証することである、
向き合っている相手の情報を蒐集して綿密な研究を重ね、
みずからとの相違が何処にあるのかを把握して、
どのようにして相手に対処するかを判断し実行することを求められるが、
日清・日露戦争の対外戦争に勝利して領土の拡張を果たしたことは、
思い入れを超克するものではなかった、
次の戦争においても勝利することの確信は、
軍備の増強にあらわされ、国際連盟を脱退して、国際社会から孤立することへ至った、
対外戦争において、日本国家の存在理由を明示するという方策しかあり得なかった、
そのためには、挙国一致、最高位とする<天皇>の元に戦争することが求められた、
日清・日露・満州事変・大東亜戦争・太平洋戦争と戦争を続けることしかあり得なかった、
従って、勝利する限りは、自国の存在理由はあらわされるが、
敗北するとなれば、その先はあり得ないという状況が作り出されることでしかなかった、
この日本国家のありように対して、
アメリカ合衆国は、ペリーの来航に始まる、綿密な日本研究があった、
日本を如何にしてみずからの支配下に置くかという客観的・分析的研究があった、
日本支配のシナリオは、相手の情報を蒐集して綿密な研究を重ね、
軍事行動を判断させるものにあった、
この経緯からすると、日本国家は、江戸幕府から明治政府を樹立して、
開国による自主・独立・固有の知覚をあらわすための国家の先行きは、
最初から閉ざされた状況にあったと見ることも可能である、
日本国家は、時間の問題で、
アメリカ合衆国の前哨基地となる必然にあったという宿命である。

<教育勅語>(1890年)という国民のありようをあらわす、
<天皇>の道徳は、日本国民を総意へと向かわせる一義にあることであったが、
このようなありようを観察分析して、アメリカ合衆国は、
日本人というのは、これ以上のものではないと理解した、
このようなありようで、一つの国家がまとまるのであれば、
このありようを利用しない手はないということであった、
これが大東亜・太平洋戦争終了後の支配の基底を成すことであった、
従って、日本国家が無条件降伏するまで、
日本列島全土を焦土化する絨毯爆撃と長崎・広島へ原子爆弾を投下する、
というかつてない破壊行為が行われた必然は、
アメリカ合衆国にとって、日本国と日本列島の支配は、
予定調和にあったということでしかなかったことのあらわれであった、
それは、先制攻撃にある日本の真珠湾攻撃に対する正義、及び、
世界秩序の平和を作り出すための国際貢献と意義されたことにあった、
日本国家は敗戦した、
国家の元首にある<天皇>であれば、当然、戦争責任を問われることであったが、
アメリカ合衆国の日本統治は、<天皇>の存在があってこそであれば、
<天皇>の存在以上の認識を抱くことない民族の統治は容易なことにあった、
ただ、アメリカ合衆国が教導する民主主義を建前とすれば、
<現神人>は無意味であるから、
<象徴>と置き換えることが成されたが、統治の本質は変わることはなかった、
日本国憲法の第一条は天皇の明示にあるということで示されたことだった、
そこから始まる、アメリカ合衆国の日本支配ということであった、
その見立ての通り、見事に戦後の経済復興を成し遂げ、
その経済成長はアメリカ合衆国を脅かす世界第2位にまで発展するものであった、
しかしながら、支配下にある日本国家であるから、
いい気になる勝手な振る舞いに対しては、懲罰が下された、
日本製品の輸入超過や田中角栄の中国との国交正常化に対する懲罰などは、
その一例である。

日本国家は、日本国憲法の上位をあらわす、
日米安全保障条約と地位協定(1960年)の元に、
アメリカ合衆国の教導に隷属する、<大人しいうさぎが住む国家>となった、
戦争で敗戦したことから始まる、このありようは、
その後の日本人観の根拠となることでしかなかった、
国民の統合という<天皇制>が個人の自立・独立・固有の知覚を阻んで、
教育は、<教育勅語>という戦前からの継承意識にあることは、
<天皇>から頂いているものという認識をあらわすことでしかなかった、
自主的解決よりも他人任せにする共同意識が国民の総意である、
と考える倒錯が生まれることは、国民の社会生活における、
いじめ・家庭内暴力・幼児虐待のありようを正当化させる常識にさえなる、それらは、
本能が執らせている行動に過ぎないという正当化以上のものにはならないからである、
<天皇制>のある限り、
<天皇制>を屋根にした一つ家に生活するありようを総意とすることは、
そのありようが国民の統合にあるという幻想を作り出されるだけで、
そのようにして育まれ、あらわされる、隷属意識は、
国家を統治する側にとって好都合にあるというだけのことに過ぎない、
明治維新において、全世界へ開かれた開国という意義をただ曖昧とさせるだけになる、
自主・独立・固有の知覚を必要不可欠と考えることを開国の意義と見なすとすれば、
日本国家は、大東亜・太平洋戦争の敗戦に依って、
開国に失敗したということが実際であると見ることができる、
従って、アメリカ合衆国が<天皇制>を残存させて日本国家の統治を行ったことは、
日本列島に数多ある基地の存在が前哨基地を露わとする、
日本国家の全裸の姿態であるということでしかない、
それを眼くらましに隠蔽する様々な衣装が戦後の文化・思想・芸術にあったとすれば、
アメリカ合衆国の文化・思想・芸術に準じる表現者が評価される実態は、
他者へ隷属することに悦びを見い出す、日本の民族性が示されていることでしかない、
このありようは、<天皇制>を撤廃しない限りは、変えることのできない状況であれば、
万世一系の隷属状態にあることだと表現できることである、
万世一系の隷属状態にあるビンタが維持継承されていくということである、
現在、教育や運動の現場で行われるビンタは、単なる暴力行為でしかないことだが、
<天皇>が戦争責任を取ることなく、
<現神人>を<象徴>と言い換えただけの国家体制にあるということは、
敗戦以前の道徳や軍隊教育や家庭内しつけが維持継承されているということにあって、
言語を通じての理解にある、綿密な精神的教育が反故にされている証左である、
暴力やいじめが日常的に社会全般に蔓延することは、
苦痛と快楽の二原則にある単純な肉体的教育が優先されていることの証左である、
苦痛と快楽の二原則である、加虐・被虐をあらわす、サディズム・マゾヒズムである。

大東亜・太平洋戦争敗戦後の日本国家において、
サディズム・マゾヒズムの表現が<流行>をあらわし、更に、持続している様相は、
敗戦したことによって形作られていく隷属国家としてのありようと軌を一にしている、
その状況に納得のいかない者がサディズム・マゾヒズムを愛好する異端者のなかにあって、
異端者のなかの異端者というひねくれたありようをあらわすことになるのである、
それは、<じゅずつなぎ>と題された、
初めて見た緊縛写真に始まることだった、
写真は、三人の女性が素っ裸で後ろ手に縛られ胸縄を掛けられ、
正座させられた姿を並んで正面から撮られているというものであった、
女性が一糸もまとわない全裸にあること自体、心臓が高鳴るほどの驚きにあって、
その女性が縄で縛り上げられているという被虐のありさまは、
ただ、心臓をバクバクさせて、陰茎を頑なにさせて、
興奮を呼び覚ます以外の何ものでもなかった、
<じゅずつなぎ>にあらわされた、三人の女性は、
余りにも現実的な姿をあらわしていることにあったことが衝撃的であった、
三人の女性は、一様に、被虐に晒されたみずからの恥辱の境遇にあって、愕然と首を落とさせ、
垂れた黒髪が顔立ちを覆わせ、その表情を窺い知ることはできなかったが、
ぴたりと閉ざされた両腿からは、恥ずかしい箇所を少しでも見られまいとする羞恥が漂っていた、
だが、漆黒の陰毛をわずかに覗かせていたことは、
置かれた拘束の状態が自由を奪っている現実を露わに伝えていた、
現実的な姿が感じられたのは、写真に撮られている女性たちの姿態にあったことは確かだった
モデルとは思えない、脂肪の付いたずん胴の体型とお椀形の乳房は、
近所の銭湯へ行けば、番台から覗くことのできる、隣近所のおばさんを思わせたことだった、
それは、縄による女性の全裸の緊縛が余りにも身近にある出来事だと思わされることであった、
緊縛行為は、隠されているというだけで、
普段の生活においては、見ることのできないものにあった、
しかし、普通の実生活があるように、普通の緊縛行為があると思えたことだった、
<じゅずつなぎ>という意味は、
三人の女性が縛られた裸身の互いを縄で繋がれていることにあったが、
室内は薄暗く、床が板の間の造りで狭苦しい雰囲気を漂わせていたことは、
物置を想像させることにあった、恐らく、人買いにでも拉致され、
部屋へ監禁された情景があらわされていると感じさせたことだった、
日本人女性は、従順で心優しく、妾や情婦とするには最適の存在にあると読んだことがあった、
肌のなめらかさと白さ、しかも、顔立ちが良く、若ければ高値にも付くというものにある、
日本国家は、大東亜・太平洋戦争に敗戦したのであるから、
戦勝国の好き勝手にされたとしても、文句は言えない、
国家が貧困な状況へ置かれたことにあれば、金銭になることなら、人身売買も厭わない、
それは、拉致されてきた娘が全裸に剥かれて取り扱われる身上から示された、
「おまえさんは、大事な商品だ、逃げてもらっては困るから、素っ裸になってもらうぜ、
女の値打ちは、生まれたまんまの素っ裸の身体付き、
それと、あそこの締まり具合の良さで決まる、
あそこの商品価値は、後でじっくりと確かめさせてもらうから、まずは、裸になりな!」
取り囲んだ冷酷な形相をあらわとさせたやくざ者たちがにらみをきかせて、
そのように告げたことは、残業で遅れて深夜を独り帰路へ着こうとしていた、
二十一歳の娘を襲った悲劇の始まりであった、
拉致された郊外の廃屋にある日本間において幕の上がる、非情の口上であった、
左右から豪腕の男性に双方のほっそりとした腕をかんぬきにされて、
立たされていた娘は、あまりの衝撃的な出来事に落とされ、
想像さえしたことのない身上に置かれたことを言い渡されて、
艶やかな黒髪を垂らして覆わせた顔立ちをもたげることさえできずに、
すすり泣くばかりにあった、気力を失っている様子は、
言われたことの意味を娘が理解できたかどうかをさえ危ぶませることにあったが、
娘は、人生を教える教師の前へ立たされた生徒ではなかった、
分かろうが分かるまいが、行われることに変わりのないことがあるだけだった、
二度と着ることのない彼女の洋服であることが示されるように、
破れようが汚れようがお構いなしの脱衣となってあらわされたことにあった、
強引に剥ぎ取られるということにみずからの晒されている境遇を知らされる、
行使される暴力の前には、力の弱い者は屈服せざるを得ないことを教えられることだった、
一糸も許されない全裸とさせられた娘は、
羞恥と屈辱と恐怖からぶるぶると震えるばかりにあったが、
その瑞々しいなめらかで白い姿態は、細い両腕を強引に後ろ手とされるなり重ね合わされ、
ほっそりとした双方の手首は、
使い古されたどす黒い麻縄でがっちりと縛り上げられるのであった、そればかりではなかった、
可憐な乳首をあらわす、二つの美しい乳房を上下から挟んでの胸縄が施された、
娘は、素っ裸の羞恥に晒されたみずからの姿態へ巻き付けられた縄の拘束を意識させられて、
もはや、立っているのもままならないくらいに、恥辱と恐怖に舞い上げられていた、
波打つ黒髪を右に左に打ち震わせて、泣きじゃくりながら、裸身を火照り上がらせていた、
女という存在は、やくざ者たちの強要に従うばかりのか弱い牝をあらわす動物に過ぎなかった、
全裸の姿態を麻縄で緊縛された縄尻を取られて、激しく小突かれるままに向かわされても、
すすり泣きを続ける顔立ちを俯かせたまま、
従うようにふらふらと歩くのが精一杯であることで示された、
向かわされた奥の物置の扉が開かれると、
天井から吊り下がった裸電球の薄暗い明かりに浮かび上がって、
生まれたままの全裸にあって、後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられた二人の女性がすでにいた、
二人は、板の間の床へ並んで正座させられた姿勢に置かれていたが、
扉が開かれる音を耳にすると、俯かせていた顔立ちを同時に向けるのだった、
娘は、二人の女性と顔を付き合わせたことで、
二人の置かれている境遇をまじまじと知らされるのだった、
二人の女性は、後ろ手に縛られ、掛けられた胸縄が乳房の美しさを際立たせる様子にあったが、
股間を少しでも見せまいと両腿をぴったりと閉ざしてはいたが、
腰付きのくびれを締めて、臍のあたりから股間へ向けて、縦に下ろされている麻縄が見えた、
二人の女性が漂わせる表情は、羞恥と恥辱と不安と恐怖に晒される哀切にありながらも、
思いもよらない官能に高ぶらされているという自失の感じられる様子にあったことは異様だった、
「そうさ、この女たちは、こんな場所へ素っ裸で縛られて、可哀想な目に遭っているんじゃねえ、
商品として立派に通用するように、四六時中、褌縄であそこを刺激されて鍛え上げられている、
たまらなく気分の良い時間を過ごしているのさ、さあ、おまえも一緒になりな」
その言葉に、娘は、もはや、生きた心地がしないというほどに茫然となっていた、
左右のやくざ者に双方のしなやかな両脚をずるずると割り開かれると、
これ見よがしに漆黒の恥毛を露わとさせた股間をさらけ出されたことは、
娘にあらがう言葉とも悲鳴ともつかない声音をあげさせたが、
されるがままになる以外に為す術のないことに変わりはなかった、
腰付きのくびれに巻き付けられた麻縄を締められ、
臍のあたりで結ばれた縄を女の小丘まで下ろされ、
股間へ通される際には、女の割れめにある膣口へもぐらされるための瘤縄が整えられたが、
尻の艶かしい亀裂からたくし上げられた縄が背後の腰縄へ縄留めされたときには、
見栄えをあらわす見事な褌縄となっていることにあった、
「ほおら、おまえらのお仲間がもう一人できたよ、
三人寄れば文殊の知恵と言うじゃねえか、もう、寂しくなんかないぜ」
同様に、床へ正座の姿勢を執られされた娘は、すでに、麻縄で繋がれた姿にある、
二十九歳になる女性、二十四歳になる女性と並ばせられた正座の姿勢を執らされた、
二人を繋いでいる縄に繋がれて、<じゅずつなぎ>とされたのであった。

中学一年生のときに出遭った、
<じゅずつなぎ>という衝撃的な緊縛写真だった、
十三歳の未成年者が東京下町にある古本屋で手に入れることのできた、
性表現満載の風俗雑誌に掲載されたものであった、
団塊の世代と呼ばれる子沢山世代の最後と言える、1950年生まれの少年は、
1963年当時、代金さえ支払えば、小言はおろか胡散臭い眼もなく、
十八歳未満禁止の雑誌や書籍を手に入れることのできた時代にあったことだった、
戦後復興から高度経済成長期へ移行するなかで、国家や国民の成長のためには、
何事も大目に見られた時代にあったということなのかもしれない、
相応の衣食住が満たされ、スポーツや娯楽に興じられるという満足が与えられたことでは、
1964年に首都東京でオリンピックという世界の祭典が開催されることは、
日本が平和な国家へ向かっているという自己表現にあったことなのかもしれない、だが、
一方では、明治維新から大東亜・太平洋戦争の敗戦までの戦前の歴史が受け継がれていた、
十八歳未満禁止の雑誌は、同級生の男子の間でまわし読みされることにあったが、
それが教師にばれれば、ビンタということになる、
小学校・中学校・高校の教育過程において、
教師のほとんどは戦争経験者・軍隊経験者にあり、
体罰というのは、軍隊経験者にとっては必要不可欠の教練であり、
家庭教育にあっても、しつけの必然性としてあったことは、
しつけは民法に容認されていることにあった、
従って、校則に示されていることではなくても、教師自身の裁量ひとつで、
ビンタや指示棒で痛い目にあわされることは、教育・しつけの日常事としてあったことだった、
校舎の三階から、五、六人の生徒が我一番と競争で一階へバタバタと駆け下りたところ、
生徒を補導する教師と出くわして、
おまえら何を騒いでいるんだあと生徒は並ばされビンタされた、
運動能力が劣っていた者は幸いにもビンタの難から逃れることはできたが、
バチバチと階下から聞こえてくる懲罰の響きには、ただ、身を隠すことしかできなかった、
そのような中学生活のなかで、生涯忘れることのできないビンタがあった、
大倉という名前の男子生徒を女子も見守るクラス全員の前においてなされた、
卒業を間近に控えた、担任教師によるビンタだった、
何のために懲罰を受けさせられているのか不明だった、
まさか、十八歳未満禁止雑誌の所持を見つかったくらいのことではなかったと思う、
理由が不明のまま、おまえは分かっていないと激怒する担任教師の声音が叫ばれながら、
10発くらいに及んで続けられたビンタの光景は、
ただ、恐怖と悲哀を感じさせるものでしかなかった、
女子の中には、泣き出すのを懸命にこらえている生徒もいた、
大倉とは大して付き合いはなかったが、
この教師の行為は許せないと実感させることでしかなかったことは確かだった、
ビンタは、戦前の日本の軍隊では兵士に規律を体得させる常道であったことを知った後年、
この一件は、日本国家の敗戦という悲惨な事態と直結するものが感じられたことだった、
と言うのは、その後、その担任教師が同じ中学校の校長になったという事実は、
まるで、体罰教育の正当性が証明されたかのように、
ただ、唖然とさせられるばかりのことにあったからである、
人間が人間に対して暴力を振るう、
その関係が親子・兄弟・親族・他人であろうと、互いの年齢がどのようにあろうと、
苦痛と恐怖と傷害を生み出す暴力というのは、容認できなかった、
それが死をもって行われる戦争という暴力行為であれば、絶対に容認できなかった、
その暴力行為の果てに敗戦した戦争は、
あらゆる事柄で悲惨な状態を生んだことでしかなかった、
日本国家において、
体罰がしつけや教練や教育の名目で存在し続けている現実があるとしたら、
戦前は戦後も脈々と続いているということでしかない、
それを伝統にあることだとしたならば、苦痛と恐怖と傷害を生み出す暴力からは、
生産性のない実体があらわされることでしかない、
このように考えている者が生まれたままの羞恥にある全裸の女性、
或いは、男性を縄を用いて縛り上げる、
縄による緊縛というありように強い興味を抱いたことは、
実に、相反・矛盾していることにあった、
精神は、暴力の否定を意識しているにもかかわらず、
肉体は、縄による緊縛のありさまを見るだけでなく、ただ、想像するというだけで、
陰茎は、見事な反応を示すことにあったのである、このありようは、人間存在は、
加虐・被虐をあらわすサディズム・マゾヒズムにあるという学術が示されていることだったが、
担任教師のビンタも、縄による緊縛の加虐も、同様の虐待があらわされていることにあれば、
担任教師のビンタに対して、陰茎を反り上がらせる反応があったとしても、
不思議ではないことだった、
懲罰を見守る男子生徒のなかには、そういう者もあったのかもしれない、
そのように考えると、<じゅずつなぎ>の境遇に置かれた三人の女性も、
風俗雑誌に掲載されているようなエロ小説があらわす、
次のような展開をあらわすこともあり得たことなのかもしれない、
薄暗い物置に放置された、一糸も許されない全裸を麻縄で緊縛された女性たちは、
余りにも惨めな境遇にあるみずからに閉じこもるばかりにあったが、
これから先の不安、非情に取り扱われる恐怖、逃れられない拘束にある身体の悲哀は、
考えをまとめさせる猶予を完全に奪い去って、その擾乱の思いは、むしろ、
女の割れめへ施された褌縄によって込み上げさせられる官能に高ぶらされることにあった、
誰からともなく、切なくやるせないため息が漏れ始めていたことは、
中央に座る二十九歳の女性を中央にして、左右の女性がにじり寄り、
おのずから横並びに正座させられた裸身の肩を寄せ合うようになっていたのであった、
ああ〜、ああ〜、ああ〜と甘美な声音と感じられるくらいの三重唱は、顔立ちを火照らせて、
乳首を尖らせて、ぴたりと閉じ合わさせた両腿の付け根にしずくのきらめきをあらわしながら、
物置の扉の外まで聞こえるものとなっていたことは、頃合を見計らったように、
扉が無造作に開かれて、三人のやくざ者があらわれたことで明らかとされるのだった、
「よおし、いい声が出ているな、だいぶ気分がのってきたようだな、
おまえさん方の商品価値である、あそこの締まり具合の良さを確かめるにはもってこいだ、
おっと、この年増の女は、おれがやる、
ここへ連れて来たときから、おれは気に入っているんだ」
兄貴分の言うことに逆らうことなどあり得ないことであったから、次の序列にあるやくざ者は、
ほくそえんだ表情で、二十一歳の娘を選ぶのだった、しかし、一番下っ端にしても、
残った二十四歳の女性の顔立ちと女体は申し分のないものであったから、不満もなかった、
<じゅずつなぎ>にある三人の女性は、相手になったそれぞれのやくざ者の手で、
そのまま仰向けに寝かされていったが、あらがう言葉も素振りもなかった、
股間へはめ込まれた褌縄は、全裸に晒されるという火照る羞恥に加えて、
その羞恥を縄で縛り上げられるという動転する屈辱を重ねられて、更には、
花びらを押し分けて、膣口へしっかりとはまり込んだ、淫猥な瘤縄の刺激にあって、
女性たちの肉体と精神はひとつになり、
ひたすら高ぶらされる官能に置かれていることにあった、
男たちの手際の良い指さばきで、褌縄が外されていったことは、
むしろ、ほっとさせられるような安堵の気持ちをもたらせたことにあったが、
開かされたしなやかな両脚の付け根を男性にまじまじと見られることは羞恥の極みにあった、
そして、あふれ出せた女蜜によって、てらてらと輝く膣口が開き加減をあらわしていたことは、
男たちがズボンのポケットに忍ばせてきたものを思い通りとさせることにあった、
仰向けにされている三人の女性にも、しっかりと確認できるように掲げられた、そのものは、
男性の反り上がった陰茎を模した木製の太くて長い張形だった、
見せられた女性たちは、両眼を大きく見開いて、異口同音に悲鳴を上げていたが、
すぐさま、女の花びらへあてがわれたことで、気付かされたその異様な感触は、
ああっ! ああっ! ああっ!
という叫び声とも嬌声ともつかない声音を全裸を緊縛された三人の女性に上げさせた、
道具を膣へ押し込まれた、二十九歳の女性は、ああ〜ん、ああ〜ん、
と明らかな嬌声を露わとさせ、難なく呑み込んでいくありさまを示したが、
二十四歳の女性は、ううっ〜ん、ううっ〜ん、とこらえるような声音を発しながらも、
ようやく、亀頭の部分を呑み込むことへ至るのだった、
二十一歳の娘にあっては、痛いっ! 痛いっ! と叫び声を上げ、
逃れようと優美な腰付きを揺さぶったり、
太腿をぴたりと閉じ合わせてあらがいを示すことにあった、
弟分の難儀しているありさまを見た、兄貴分は、おもむろに、娘の裸身へ近付くと、
上下の縄で挟まれた、瑞々しさをあらわす二つの乳房を双方の手で鷲掴みにした、
それから、強く揉み始めると、可憐な乳首を突き出すような具合にさせて口中へ含み込んだ、
吸い上げては、舌先で転がすという愛撫が繰り返されたが、
しなやかな両脚をばたつかせていた、娘も、ああ〜、という甘美な声音をもらすようになると、
両脚が悶えるような素振りをあらわしたことは、艶やかな太腿を左右へ開かされることに、
ただ、されるがままになるだけとなった、きらめくしずくが漏れ出している膣口は、
あてがわれた亀頭の先端を少しずつ呑み込んでいったが、
ああっ! という大きな嬌声は、挿入の果たされたことが示された合図となるのだった、
その合図を引き金としては、娘から離れた兄貴分は、
みずからの相手となる年増の女性の緊縛された裸身の脇へ添い寝をして、
片方の手で張形を操作しながら、
欲情から立ち上がっている乳首をしゃぶり始めたことにあった、
兄貴分に倣っては、娘の緊縛の裸身へ添い寝をしたやくざ者は、
貰い受けた有難い乳房に尖らせらている可憐な乳首へむしゃぶりついて、
みずからの反り上がった陰茎の思いの丈を握り締めた張形の操作へ馳せるのであった、
兄貴分たちに負けじと弟分も、縄で縛られた二十四歳の女性の裸身の脇へ添い寝をすると、
薄紅色の欲情を露わとさせている乳首を頬張りながら、
片方の手は、しっかりと咥え込んだ太くて長い模造の陰茎の抜き差しを始めるのだった、
その突き上げられる刺激には、ああっ、ああっ、ああっ、と甘美な声音が発せられたが、
誰が一番に高ぶらされる官能の絶頂を極めることにあるか、
これが女性の商品価値を決める目安であったことは、
すでに、繰り返される抜き差しに、女性たちは、のけぞるような緊縛の裸身をあらわしていた、
男たちによって、膣へ呑み込まされた張形がぐりぐりと抜き差しを繰り返され、
乳首が吸われ、舌で転がされ、噛まれるという熱烈な愛撫が続けられると、
緊縛された女性たちは、置かれた身上をただ為されるがままになるというばかりにあって、
乳房と膣から掻き立てられる、官能の高ぶりは、一気に煽り立てられ燃え上げられ、
黒髪を打ち振るわせ、火照り上がった顔立ちを右に左にと置き所なくさせながら、
ああ〜、ああ〜 ああ〜 という甘美な声音の三重唱となって、
高まるばかりの悩ましさを露わとさせていた、
更に、張形が大きく抜き差しされる及んでは、
もれ出す女の花蜜がぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃと音を立ててさえいた、
ついには、双方の太腿をぶるぶると震わせ、
ああっ! ああっ! と張りつめた嬌声を上げた、
二十四歳の女性が一番に絶頂を極めたことをあらわすのであった、放心したようになって、
縄を掛けられた姿態を快感の痙攣でびくっ、びくっと打ち震わせているのだった、
続いて、悲鳴に似た甘美な声音を上げながら、
二十一歳の娘が緊縛された裸身を硬直させて昇りつめたが、
快感のぶるぶるとした痙攣に緊縛の裸身を悶えさせながら、
高ぶらされた思いのあまり、すすり泣きを始めていた、
「この年増女、なかなかのものだぞ、顔立ちも豊満な乳房も悪くない、
それにも増して、あそこの締まり具合の良さ、絶頂を引き伸ばす能力は、
高値の付けられる商品となること、間違いない、では、そろそろ追い込むことにするか」
兄貴分は、満悦した笑顔を浮かべると、握り締めていた張形から手を離し、
その指先を相手の女性の唇にまで持っていって触れさせた、
高ぶらされる官能の快感から開き加減となっていた唇は、
押し込まれてくる指先を求めるように含み込んで、しゃぶることをさせられていた、
女性は、両眼をしっかりと閉じて、官能の酔いにされるがままになるばかりにあった、
やがて、口中から引き抜かれた、唾液たっぷりの指先は、
開かれた双方の太腿が女の花蜜にてらてらと輝きながら見せつける女の割れめにあって、
咥え込んだままにされて揺れている、太くて長い木製の張形の下方に位置する、
菊のすぼみをあらわす箇所へ持ってこられた、
とば口へは、中指が突き立てられるようにして挿入されたが、
流れ落ちた花蜜に濡れた菊門は、縄で緊縛された女性の全裸をのけぞらせただけで、
押し込まれるままに呑み込んでいくのであった、
兄貴分のその所作は、弟分たちが学ばねばならない手練手管であるように、
三人の男性の両眼を凝らしたまなざしが女の割れめへ集中していた、
兄貴分の空いている方の手は、しっかりと張形を握り締めていた、
双方の手は、張形と指先をぐりぐりとうごめかせて、
膣内にある鋭敏な粟粒を刺激し始めているのだった、
それには、二十九歳の女性も、あらんかぎりに緊縛の裸身をのけぞらせるだけでなく、
火照り上がった顔立ちを右に左に打ち振るって、
ああっ! ああっ! と牝獣の咆哮を思わせる悩ましい声音を張り上げると、
ぶるぶると艶やかな双方の太腿を痙攣させ、
腰付きが浮き上がるほどの硬直をあらわしながら、
いくっ〜 という叫び声と共に、快感の絶頂を昇りつめるのであった、
女性の肛門から指を引き抜いて立ち上がった兄貴分に倣って、
弟分たちも床から立ち上がった、
三人のやくざ者のまなざしは、床へ仰臥している三人の女性へ注がれていたが、
生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ、
胸縄を掛けられて突き出せられたふたつの乳房にあって、
くびれた腰付きからしなやかに伸びる両脚は、脱力したように開脚の姿勢となり、
女の割れめは、天井から吊り下がる裸電球の弱い照明においてさえ、
引き抜かれないままされている、太くて長い張形を濡れそぼった女の花蜜で輝かせていた、
「こいつらは、相応に売り物になることが分かったから、
明朝、ここから連れ出して、奴隷市場の競売へ出すことにする、
今晩は、ご褒美として、そのままの格好でお休みになって頂くとしよう」
兄貴分がそのように言い終わると、三人は、物置を出て、ぴしゃりと扉を閉めるのだった、
床には、生まれたままの全裸を縄で緊縛された女性たちが横たわっていた、
官能の絶頂の余韻にあって、放心したように投げ出された姿態は、
挿入されたままの擬似陰茎の感触にあって、
再び身悶えをあらわさせることの始まりでもあるのだった、
それが<じゅずつなぎ>に繋がれた三人の女性の薄幸な運命であったのである。

<じゅずつなぎ>は、衝撃的な白黒写真だった、
だが、それが衝撃的だと感じさせたのは、
近所に住むおばさんやお姉さんが一糸も許されない全裸となって、
縄で縛り上げられるという行為は、決してあり得ないことではない、
ただ、日常生活においては、当たり前に見ることのできない行為としてあるだけで、
実際には、隣近所の家の中で、当たり前の行為として行われていることにある、
このように考えることができることだった、
このように考えることのできる根拠が確かめられた思いにあったからであった、
その根拠とは、小学校五年、十一歳のときに、
近所に住んでいた二歳年上の坊ちゃんから打ち明けられた秘密にあった、
一ケ月後には、アメリカへ移住することが決まっていた、直前の告白だった、
坊ちゃんが言うには、まだ、ずっと小さかった頃、
母親が父親に裸にされて、縄で縛り上げられた姿を見たことがあるというものだった、
そのときの父親は、「悪いことをする者は罰を受けねばならない」と言いながら、
「許して、許して」と乞う母親に対して、寝巻きを無理やり剥ぎ取り、
縄で雁字搦めにしたそうだ、それから、父親は、
「おれはおまえを愛しているからこそ、こういう真似をするのだ」と言ったというのである、
このような秘密を聞かされたが、意味の不明な事柄として、心の片隅に残るだけのものだった、
坊ちゃんには、そのような秘密よりも遥かに強烈な体験をさせられていたからだった、
代々貿易会社を営む、裕福な家の独り息子であった、坊ちゃんの両親は、
一年の半分くらいを外国旅行へ出掛けていて、留守は、老夫婦と女中にまかされていた、
家に住み込みで従事する、十八歳になる、この女中へ行われた縄による緊縛行為だった、
坊ちゃんの言い分では、女中を縄で縛って仕置きをするのは、自分の役目ということだった、
清楚な顔立ちもさることながら、おとなしくて素直であった女中は、
逆らうような悪い真似をすれば、仕置きをすると申し渡されていたことにあった、
女中は、坊ちゃんに言われることなら何でも従った、
家の大きな庭の片隅にある土蔵が仕置きの行われる場所であったが、
最後の仕置きの光景は、心に焼き付くほどの強烈な体験だった、
仕置きとは言っても、ただ、女中を縄で後ろ手に縛り、
立った姿勢で土蔵の柱へ繋ぐというだけのことだった、
柱に繋がれた女中の様子をその前に陣取ってじっと眺め続けるだけのことだった、
だが、坊ちゃんには特別の意味があったことは、打ち明けられた秘密のもう一つにあった、
女中を仕置きしたかったのは、女中を誰よりも好きだったからだということだった、
「おれはおまえを愛しているからこそ、こういう真似をするのだ」と自覚していたのだ、
坊ちゃんは、幼いときに、父親が全裸にした母親を縄で緊縛する光景を目撃した、
大好きだった母親を父親がいじめているように映ったありさまは、
大好きだから行われることにある、それを認識させられたことにあったのだ、
愛しているから、相手をいじめる、これは、何とも相反矛盾しているありようにあるが、
そのときは、ただ、坊ちゃんは女中を好きなんだとしか思わなかった、
居間に飾られている両親の写真を見たことがあったが、
母親というのは、映画女優と言ってもおかしくはないくらいの美人であった、
その綺麗な顔立ちとスタイルの美しさからは、坊ちゃんの覗き見た両親の愛欲行為とは、
実際は、このようなものであったのではないかと思わせるものがあった、
子供が寝静まった深夜、夫婦の寝室では、夫の欲望がたぎっていた、
愛する妻に対して、どのように愛を伝えることが最上であるか、言うまでもなく、
それをあらわすには、妻が望む、縄による緊縛を施すこと以外にはあり得なかった、
ダブルベッドの上で、ネグリジェ姿にある妻は、しなやかな身体付きを正座させた姿勢で、
両手を膝の上に置き、波打つ艶やかな黒髪に縁取られた美しい顔立ちをもたげさせていた、
その大きな瞳のまなざしは、彼方を見つめている素振りにあったが、
結ばれた綺麗な形の唇には、これから行われようとすることへの期待が滲んでいるのだった、
夫は、妻の前へ仁王立ちになって、手に携えている麻縄の束を見せ付けるようにしながら、
「悪いことをする者は罰を受けねばならない、
おまえは、先日の旅行の際、イタリア人の青年に色目を使っただろう、
おれは、見逃さなかったぞ、おまえは、あの美青年に抱いてもらいたかったのか、
不埒な女だ、縛るから、着ているものを脱げ!」
夫の言い分に対して、おずおずと顔立ちを相手に向けた妻は、
「そのような、あんまりです……
もう、縛られるのは嫌です、許して、許して」
哀願の言葉を口にしながら、夫の縄を手にしている手首をほっそりとした両手でつかまえた、
しなやかな身体付きをすり寄せてくる妻に、夫は、相手の手を振り解くと、
勢いに任せて、ネグリジェの首元に両手を掛けて、切り開くように一気に下までホックを外した、
更には、なよやかな両肩を剥き出させながら、すっかり脱がせるのであった、
パンティひとつの上半身を露わとさせた、妻は、思わず、細い両腕を掻き抱いて胸を覆い、
柔らかな黒髪を揺らせながら、いや、いや、とかぶりを振っていたが、
その仕草こそが期待が現実になることの承知と心得ていた、夫は、ベッドへ上がり、
妻の背後へまわると、乳房を覆う細い両腕を引き剥がして背中へ持ってこさせた、
抵抗はまったくなかった、むしろ、されるがままに身を預けるように、
寡黙になって行われることに恭順の態度があらわされるのだった、
華奢な両手首が重ね合わされて麻縄が巻き付けられ、
後ろ手に縛った縄は、すぐさま、身体の前へ持ってこられ、
可憐な乳首をつけて綺麗な隆起をあらわすふたつの乳房の上部へ掛けられた、
背後へ戻されてから、再び、同じことが繰り返されて、背中で縄留めがされた、
自由を奪われる手首の拘束感、それを確かなものとさせる両腕と胸部への圧迫感、
半裸の姿態を横座りの姿勢とさせた、妻は、顔立ちを俯き加減とさせていたが、
虚空の一点を凝視するまなざしとしっかりと結ばれた唇からは、
その拘束感や圧迫感としっかりと向き合っている様子が窺えるのだった、
夫は、更なる縄を背中で結ぶと、今度は、ふたつの乳房の下部へふた巻きするのだった、
それから、一度背中で縄留めされた縄は、腋の下から上下の胸縄へ絡められた、
左右それぞれに行われたことで、上下の胸縄の柔肌への密着度が増したことは、
それを感受する妻の綺麗な唇を開かせていくことにあらわされていた、
三番目の麻縄が用意され、縄頭が背中で結ばれ、二筋とされた縄は、
ほっそりとした首筋の左右へ振り分けられて身体の前へ下ろされると、
ふたつの乳房の間になる上部の胸縄へひとつにまとめられて絡められた、
締め上げるようにして下部の胸縄へ巻き付けられてから、
再び、二筋に分けられて、左右から背後へまわされた、
腰付きの辺りで左右からの縄が交錯され、二度巻き付けられた縄は、
くびれが際立つように締め込まれると、背後へ戻されて、左右がひとつに縄留めされた、
ふたつの綺麗な乳房が突き出すような格好にされたことは、
縄の緊縛による拘束感と圧迫感に封じ込められたという妻の思いを高ぶらさせていた、
可憐なふたつの乳首がしこっている様子にありありとあらわされていた、
官能を高ぶらせている妻の反応を感じ取った、夫は、
横座りになっている妻の前へ立って、決め付けたのである、
「おれはおまえを愛しているからこそ、こういう真似をするのだ」
その言葉に対して、妻は、夫を見上げるようにしながら、しっかりと頷くのだった、
その頷きが心からのものであったことは、
夫にパンティひとつの半裸の姿態をベッドへ仰臥させられても、
しなやかな両脚をぴたりとひとつにして閉ざさせた姿勢を執ったが、
夫の両手がパンティへ掛かり、脱がされることが分かれば、
優美な尻をみずから浮かせて従ったことにあらわされているのだった、
妻のパンティを手にした夫は、芳しい匂いを放つものであるかのように、
みずからの鼻先へ掲げたことは、
高ぶらされる官能から両頬を火照らせている妻の顔立ちに恥じらいの表情を浮かばせた、
夫は、パンティの股間の部分が大きく濡れそぼっているのを見つめていたからであった、
半裸にされて、縄で縛り上げられただけで、このような反応をあらわす妻の裸身、今や、
生まれたままの全裸をあらわす、優美な曲線の示す、純白の柔肌にある女の妖艶な姿態、
改めて、波打つ黒髪に縁取られた顔立ちを見やれば、
高ぶらされる快感から、すでに、うっとりとなっている、美しい表情が窺えるのだった、
もどかしいというばかりに、夫は、身に着けていたパジャマも下着も取り去った、
妻と同様の全裸の姿態を露わとさせるのだった、
陰茎は、見事に反り上がったありさまにあって、堂々としていた、
妻のまなざしは、てらてらと輝く剥き晒しの美しさに感動する凝視を投げ掛けているのだった、
夫が仰臥するみずからの顔立ちの横へ跪き、陰茎の矛先を唇へ押し当ててきたことは、
半開きとなっていた妻の唇を更に大きく開かせることでしかなかった、
頬張られた口内で、柔らかな舌先が思いの丈をあらわす熱心な愛撫として示されたことは、
夫にも、上下の胸縄で突き出すようにされた乳房へ、返礼となる愛撫が始められたことにあった、
夫婦が仲睦まじく互いを高めあう熱心さは、頬張る夫の陰茎の硬直にあらわされ、
ぴたりと閉じ合わさせていた妻のしなやか両脚をもどかしそうに開かせていくことに示された、
夫は、妻の乳房への指先の愛撫をやめると、
愛情あふれた唾液にまみれた陰茎を相手の口中から引き抜くのだった、
それから、相手の下半身の方へ身を移すと、華奢な両足首を捉えて、
ずるずると開脚させていったが、妻は、うう〜ん、と緊縛された上半身に身悶えをあらわすばかりで、
ただ、されるがままにあるだけだった、吹き出せた汗でしなだれた漆黒の繊毛に覆われた、
ふっくらとした女の小丘は、その下に、ぱっくりと開かれている割れめを露わとさせていたが、
あふれ出せた女の花蜜で輝きを帯びている花層は、
膣口までもはっきりと開かせた状態にあることを見て取らせるものにあった、
それは、口先から銀のしずくが糸を引いて硬直をあらわしている陰茎の向かう先を誘導していた、
夫は、求められるままに、妻の体内へ挿入を果たした、
それから、ああ〜ん、ああ〜ん、と甘美な声音を上げて求める、妻の欲求に応じて、
夫は、懸命に抜き差しを繰り返したことは、緊縛された裸身を置き所なく身悶えさせるのだった、
ついには、あなた、来て〜 という叫び声にも似た嬌声が室内に響き渡ると、
夫も堪えるに堪えていた放出の限界にあって、
仲睦まじい夫婦は、一緒になって、快感の絶頂を極めるのであった、
縄による緊縛は、夫婦の愛を結ばせる絆にあったということである、
もし、そうでなければ、坊ちゃんが父親と母親の緊縛行為の真似をして、
仕置きと称して、住み込み女中への愛の表現を行う意味は、不明瞭なことでしかなかったからだ、
従って、アメリカへ移住する最後に行われた仕置きは、
その本当の意味をあらわすということでは、
このようにあったことだとしても、不思議はなかった。

坊ちゃんの部屋にミルクとビスケットを運んできた女中をつかまえて、
「今から、おまえを仕置きするから、土蔵へついてこい」と言い放っただけで、
女中の表情は一瞬こわばって大きな瞳がさらに大きく見開いたが、
はいという素直な返事が聞かれるのだった、
坊ちゃんを先頭に女中が従い、大きな庭の片隅にある土蔵へ入った、
入口にある網戸から差し込んでくる光だけの薄暗い場所であったが、
閉じ込められたような陰気くさい雰囲気には、
わけもわからなく胸をどきどきさせるものがあった、
坊ちゃんと女中は年齢が五歳離れていたが、
その頃はもう坊ちゃんの身長の方がうわまっていた、
眼の前にすくっと立たれた男の子に、
女中は顔を俯き加減にしてまなざしをそらさせていた、
「悪いことをする者は罰を受けねばならない、
おまえは、ぼくが来て欲しいと思ったときに来なかった、
ぼくにさみしい思いをさせたおまえは悪いことをしたのだ、
罰を受けさせてやる、縛るからな」
坊ちゃんが話し始めると、女中のまなざしは相手に向けられていた、
じっとそそがれる女中のまなざしを坊ちゃんも、また、じっと見つめ返すのだった、
女中の顔は蒼ざめて見えるくらいに緊張していたが、
坊ちゃんの表情も凛々しく見えるくらいに緊張していた、
ふたりは、ものすごく大人に感じられた、
「着ているものを何もかも脱ぐんだ!」
唐突に言い放った坊ちゃんの言葉は、驚かさせられる以外の何ものでもなかった、
一番驚いていたのは、言うまでもなく、そのように言い渡された、女中だった、
女中は、清楚な顔立ちに緊張の表情を浮かばせていたが、
その相手の言葉には、大きく綺麗な瞳が更に見開いていた、
「そのような、あんまりです……
もう、縛られるのは嫌です、許してください、許して……」
十八歳になる美少女は、震える声音で哀願し始めるのだった、
しかし、坊ちゃんは、意を決しているように微動だにしなかった、
それから、美少女の震える声音に劣らない震え声で、
「おまえを仕置きするのも、今日が最後かもしれない、
ぼくは両親とアメリカへ行くことになった、
おまえとは別れたくない、だが、それは無理だ、
おまえを仕置きしてきたのは、誰よりも、おまえのことが好きだったからだ、
だから、おまえを忘れないことがしたい……」
坊ちゃんが思いを打ち明けたことは、大人の世界のように、かけ離れた感じがした、
その執った態度にあっては、別世界の出来事のように感じられることだった、
坊ちゃんは、みずからが身に着けていた衣服を脱ぎ始めていた
土蔵の中という空間は薄闇にあることで、隔絶された空間を作り出せていたが、
一糸もまとわない少年の裸体が白々と浮かび上がったことは、
しかも、男性であることを露わとさせる陰茎を堂々と屹立させていたことは、
少年が告白した愛する思いは、事実であること以外の意味をあらわさなかった、
坊ちゃんは、麻縄を握り締めたまま、無言で立ち尽くすばかりにあった、
そのまなざしは、女中の顔立ちへ一心に向けられていることにあったが、
向けられた美少女も、その綺麗なまなざしを相手にしっかりと投げ掛けていることにあった、
そして、そのほっそりとした指先は、身に着けていたセーターを摘まみ、
意を決したように、一気に上半身から脱がさせたのであった、
それから、スカートを腰付きからすべり落とさせると、
シュミーズひとつとなった、女性の姿をあらわしたのであった、
艶やかな髪を束髪にしていたが、それを解き、頭を振って、
波打つ黒髪が清楚で美しい顔立ちを縁取るようにさせた仕草は、
大人の女性にあるような色気を漂わせるものにあった、
坊ちゃんは、直立不動の姿勢を崩さずに、まじまじと相手を見つめ続けていたが、
女中の方も、両頬を恥じらいに赤く染めながら、少年の方を見つめることを怠らなかった、
互いを真剣に見つめ合うふたりだった、
女中は、肩紐をそれぞれにはずすと、シュミーズを姿態からすべり落とさせた、
白いブラジャーとパンティ姿になった、その優美な身体付きが放つ輝きは、
どきどきとさせるばかりの美しさにあったが、意を決した思いは、
ためらいもなく、姿態を覆う下着を取り除かせるのだった、
そうしてあらわされた、女中の美少女の全裸にある姿だった、
なめらかな純白の柔肌は、土蔵の薄闇にある情景にあって、
あたりを明るませるほどの輝きを放っていた、
女性の全裸にある姿態がこれほどまでにも美しいものかと感じさせられることだった、
艶やかな黒髪に縁取られた清楚で愛らしい顔立ち、
それを支えるほっそりとした首筋、なよやかな両肩、
ふっくらと綺麗な隆起をあらわすふたつの乳房は、可憐な乳首をのぞかせて、
腰付きの優美なくびれを女性らしさと強調させて、
慎ましく茂らせた漆黒の陰毛に隠された女の小丘のふくらみを更に際立たせていた、
艶やかな双方の太腿からしなやかに伸びた両脚は、
足の指先までも、麗しさの美をあらわしていることにあった、
その一糸もまとわない生まれたままの全裸の姿に向かい合っては、
坊ちゃんは、圧倒された思いにあったことは確かだったが、
その思いの丈をあらわす反り上がった陰茎は、
縄による緊縛を行うことを愛の証しとする以外の何ものでもなかった、
坊ちゃんが麻縄を手にして女中に近付くと、
美少女は、毅然としているとさえ感じられる表情にあって、
みずからの両手を後ろ手にさせて、両手首を重ね合わさせる仕草をあらわした、
坊ちゃんは、差し出された両手首を縛り、更には、縄を身体の前へ持っていっては、
美しいふたつの乳房の上部へ縄掛けすることにあった、
美少女は、柔肌を圧迫される拘束感に戸惑わされるように、まなざしは定かではなかった、
だが、二本目の麻縄が背後に結ばれ、ふたつの綺麗な乳房の下部へ掛けられて、
乳房が突き出させられるような姿態にされたことは、
みずからの置かれている身上を理解したとでも言うように、
清廉な表情をその麗しい顔立ちに浮かばせた、
女性が生まれたままの全裸にあることの美麗、
その全裸が縄による緊縛の意匠にある秀麗、
それは、夢幻に浮かび上がる美の極まりの像としか言えない、
女神の壮麗さを感じさせたことにあった、
坊ちゃんは、縄で縛り上げた美神の縄尻を取って、ただ、立ち尽くしているだけだった、
それは、永遠とも思わせる、張りつめた情景にあった、
そして、坊ちゃんは、両親と共にアメリカへ移住していった、
残された者が美神の縄尻を取ることになることだった、
後ろ手にされて全裸を縛られた縄尻を取られると、
美神は、みずからが先導者であるかのように、突き進んでいくことにあった、
土蔵の片隅にある、二階へ上がる階段へ向かって、躊躇なく進んでいった、
女神に導かれているというありさまだった、
階段を上がるときに、揺れ動く白く綺麗な尻に艶かしい亀裂が間近に見えたが、
その蠱惑的な深淵は、何と美しく、神秘的なものとして映じたことにあったことか、
やがて、上りきったところで、美神は、振り返り、
あなたにとって、必要な方々です、あなたを待っています、
私の役目は、終わりです、と述べると、綺麗なまなざしを奥の方へ投げ掛けるのだった、
そこに見たものは、
共に手を繋いで、横並びに立ち尽くす、三人の全裸の姿にある女性だった、
驚いて、思わず、女神の方を見やったが、
そこに、女中の姿は、もはや、なかった、
残されたのは、縄尻として掴んでいた麻縄が床に垂れて、
足元にとぐろを巻いて、解かれた縄の残り香を伝えているありさまだけだった、
立ち尽くす三人の女性が放つ全裸の美しさに惹かれて、
握り締めた麻縄を携えて、近付いていく以外にはあり得ないことだった、
<じゅずつなぎ>は、一糸もつけない三人の女性が後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられ、
正座した姿で並んでいるお互いを縄で繋がれているというものだった、
生れたままの全裸でいる女性が縄で縛られた姿、
何と美しいものだろう、
縄による緊縛で悟りを開いた女、般若の女、何と気高いものであろう、
私と彼女たちとを繋いだ縄、
私の縄を彼女たちの御手に委ね、時を終わりにしよう、
あとは、彼女たちが作り出すことだ……
意識が消えていくのがわかる……
意識が……消えて……いく……………………



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