借金返済で弁護士に相談




 鬱蒼とした森のような緑の木立に囲まれて、
 屋上と地下をそなえた三階建ての立派な館が東京郊外の某所にあった。
 本編を読み続けている読者と知るひとぞ知る、俗称を<上昇と下降の館>と呼ばれる、
 偉大なM.C.エッシャーが眼の前へ描いて見せたような荘重な造りの洋館であった。
 作者と小夜子の母娘は、そこへ拉致されたのだった。
 拉致されたと言うからには、ふたりには、当然、無理やり連れ去られた場所というものがあった。
 そこが寒さを感じる人気のない海岸だったというのでは、いまやかなりありふれた場所となってしまっているらしいから、うまくない。
 ありふれた場所というイメージはおのずとそれに伴うイメージを連想させてしまうものである、物語の当初に語られて、
 いまだに姿をあらわさない<あの方・ご主人様>と呼ばれている存在が政治的なただの独裁者を想起させることだとしたら、
 人類と人間についての考察を行っている物語も、一挙に隣家同士のいがみ合いという下世話な話となってしまうであろう。
 隣家同士は、隣同士に住んでいるのであるから、土地の境界線がどうだのこうだのといがみ合うのはごくあたりまえのことである。
 起こした出来事で被害が生じたとなれば、いさかいとなり、金銭で決着をつけなければ収まらないというのが世の常である。
 従って、金銭で決着がつかないほどこじれているとすれば、あらそいを続けていくほかないことである。
 それが嫌だったら、どちらかが別の土地へ移るしかないことであろう、昔からそうしてきたのである。
 だが、簡単に領土を手放して、億からいる住民をすべてほかへ移動させることなど、コンピュータ・グラフィックで行うならまだしも、
 或いは、似非現実を作り出す文学で行うということなら可能であるかもしれないが、現実には少々難があることである。
 従って、埒のあかないあらそいであれば、状況に対する認識を変える以外にない。
 ところが、お互いがその抱く認識に固執していることから生まれたあらそいであるのだから、
 認識が簡単に変えられることであれば、そもそも、いさかいは生まれなかったのかもしれないということになる。
 要するに、現実における解決――つまり、整合性の実現――というのは、これほどにややこしいことであるのだから、
 せめて、認識のありようを表象する似非現実の文学のなかで、
 調和をあらわす整合性を表現したいという願望が強烈なものとなるのは、当然と言えば当然至極のことであろう。
 物語は<起・承・転・結の整合性>をどれだけ納得できるものとして表現できるか、ということに尽きるということである。
 主題や題材は人間の事象に関係することであるから、たいして重要ではない、折々の関心事になっている事柄があればよい。
 人間の事象など、どのようになぞったところで、ふんどしがブリーフ、湯文字がパンティとなるくらいの奥深さしかない。 
 その大して深くない人間の事象をどれだけ奥深く描写表現してみせるかということが作者の才能や力量とされているわけだが、
 その才能や力量も<起・承・転・結の整合性>を果たせる結果如何のことである、実はこれほどに過酷なものであるのだ。
 しかし、幸いなことに、整合性は形作ろうとするときに必ず<謎>を招き寄せるのである。
 それは、整合性が既存にある概念を結び合わせることで生成されるものであるからで、既存の概念は全知されていないからだ。
 簡単に言えば、もっとも納得のいくありようは本当にこれであるのか、という疑問を伴っているのである。
 科学における整合性というのは、つまり、この疑問に対する実証を求めることにある、実証とはだれもが同じ事実を認めること。
 だが、文学における<疑問に対する実証>は――これが文学の存在理由と存続を保証しているようなものであるのだが、
 人類が依然として言語による概念的思考を行っているということにあるから――<謎>をあかさないでおくことができる。
 しかも、その<謎>のゆえに娯楽することができる、という相反か矛盾、或いは、荒唐無稽のありようが示されるのである。
 その荒唐無稽のありようは、もとより、人間存在そのものをあらわすことであるから、
 その上で表現される不定形の感情である、喜怒哀楽、憧憬、愛、嫉妬、憎悪は、豊富な展開を生むことができるのである。
 言い換えれば、だれもが同じ事実をそこに認める実証があり得ないからこそ成立する表現である、と言えることなのである。
 <万人を感動させる文学芸術>などという表現が<万人に効く風邪薬>と同様の単なる宣伝文句にすぎないことは、
 だれもが同じ事実を認めることができない実証であるのだから、億ではなく、せめて、万人が市場であるということにすぎない。
 それであっても、利用した当人が効果があったと整合性を認識すれば、感動は人間と人間を結ぶと付け加えられるのである。
 昨今、文学がつまらなくなった、文学に人気がなくなった、希望のない文学、衰退していく文学、活字離れ、文字離れ、人間離れ、
 などと言われることがあっても、人類が言語による概念的思考を全面放棄することが起こらない以上、
 <文学が放棄されることはあり得ない>というよりは、<まったくできないことである>というのが実情であるのだから、
 文学の低級、低品質,、低価格が嘆くほどのことであるのは、それで事業を行っている側の収益の問題にすぎないことである。
 たとえば、視覚的なコミックスがいずれは活字の文学に取って代わると言っているとしたら、読者数と売上高のことにすぎない。
 どのような分野の商品を見ても、高品質のものは高価格で些少である、つまり、それを用いる者も小数ということである。
 だから、科学における整合性の実証を文学におけるリアリズムと同義として見るようなことは、場違いな話としか言えないのだ。
 科学者でさえ当然に行う<言語による概念的思考>と真っ向勝負をかけられるのは文学以外にないことは歴然としているのだ。
 文学が脆弱なものであると考えるとしたら、呼吸している空気が脆弱なものかどうかを問い掛けているのと一緒のことなのだ。
 いや、そのようなことは今更言われなくても、わかっていることだ、わかっている事柄であるからこそ、今日まで来れたのである。
 明日や未来には、常に求められる希望の展開が控えているということである、輝ける希望の旭日の……。
 ところで、拉致された作者と小夜子の母娘にも、希望の明日や未来はあるのであろうか。
 ポルノグラフィであるのだから、卑猥なことを散々にされてお終い、
 そもそも、そのような起承転結を成立させるだけで本分を果たしていることになるのであるから、読者も納得できることであろう。
 ポルノグラフィは、そもそも、性のオーガズムへの到達という整合性を表現するために考え出されたものである。
 従って、そこで成立させようとする物語の起承転結の整合性は、本来の目的のオーガズムの整合性を相殺させることになる。
 どのような筋立ての展開であろうと、<到達することはひとつ>という帰結は同一であるのだから、成り行きなど唯一でさえある。
 ポルノグラフィが起承転結の辻褄合わせを行おうとすればするだけ、荒唐無稽が如実に浮かび上がることになるわけである。
 ほとんどのポルノグラフィの物語が筋立てを中心に起承転結の調和をあらわさないものとして作られるのは、
 作者の怠慢でも、才能や力量不足でもなく、<言語による概念的思考>と真っ向勝負をかけて<性>をあらわせば、
 そのような表現にしかならないということである、<結>は<性のオーガズムの到達>しかないからである。
 逆に言うと、<性>をあらわさず、<言語による概念的思考>へ真っ向勝負をかけなければ、
 概念的思考の自我に苦悩する主人公といったものを起承転結に表現することは、容易に可能であると言うことだ。
 しかし、それでは<人間の考察を行う文学芸術>としては幼稚であろうから、概念的思考自体も問題とするようなことをする。
 これでは、最初に<性>を遠ざけ、<言語による概念的思考>を遠ざけていながら、
 いやよ、いやよ、そんな恥ずかしいことはいやっ、と言いながら、みずからの乳首をこねりまわしているようなもので、
 思考の迷宮というようなものをみずから作り出しているだけのことにすぎない。
 主人公の自我の苦悩といったところで、どうしてそのようなことで悩まなければいけないの、と疑問の湧くところである。
 従って、その埒のあかない思考の迷宮をつまるところは幻想とか怪奇と言うことならば、
 幻想とか怪奇というのは、超自然の想起などではなく、整合性を形成できないことへの暫定的解決策でしかないことである。
 起承転結の調和を納得させるために、ありふれた<結>が取って付けたもののようになるのは、せめてもの供物ということだ。
 それを折々の関心事の現代風として見せられるから、作り出されたときだけは新鮮な印象として受けとめられるのである。
 <将来、小説に賞味期限の表示が義務付けられる>と言った者もあるようだが、あり得ないことでないのは、その意味であろう。
 私、冴内谷津雄は、物語の作者として、このような概念的思考の自我に苦しんできたのであった。
 だが、作者の苦悩など、どうでもよいことだ、読者が知りたいのは、作者が作り出す物語そのものなのだ。
 従って、読者を納得させられる物語を作り出すことができないならば、作者は――即刻――やめるべきなのである。
 取って代わる者はごまんといる。
 人間のあらわす一切の表現は、人間がその存在理由を発揮する必要不可欠の伝達手段であることは、始まりにすぎない。
 物語としてそれを昇華させようと思えば、納得のいく表現方法をみずから作り出しさえすればよいだけのことである。
 作者と主人公が被虐に晒されて、性のオーガズムへ到達しなければならない展開は、
 物語を続行しなければならない作者の<起承転結の整合性>に対する答えであるというのが、せめてもの弁明である。
 それには、拉致された場所が設定されなければ、話が進まないままである。
 話題が作者の私事という下世話なことになってしまったついでと言ってはありきたりであるが、
 現在、減少傾向にある銭湯という場所がそこであったと言う方が、文化保存の観点からなども適切ではないかと思われる――
 閑古鳥の物寂しいさえずりが聞こえてくる静穏な洗い場に母娘がふたりっきり、眺望される富士山の威容の絵画を背景にして、
 広々とした湯船には透き通った湯が豊かに満ちあふれ、ふたりの軽やかな笑い声が天井へ高々とこだましている、
 互いの雪白の柔肌を仲良く流し合い、美しさにさらに磨きをかけようと母娘は競い合っているかのように楽しげだった、
 そこへ四人の黒子のような黒ずくめの闖入者があらわれた、ふたりは抵抗する間もなく全裸のまま連れ去られるのだった、
 入浴料金は入るときに支払われているので、突然いなくなったからといって無銭入浴にはならない、
 一挙に十人二十人というのならともかく、いまさら、ひとりふたりの客が減ったところで、
 経営する側にとってはたいした問題ではない、問題は今の売上で月が越せるかというところまできているのである、
 母娘の衣類も、薄汚い染みのついた下着やぼろの衣装ならともかく、女の芳香ただよう艶めかしい代物であったから、
 置き去りにされることなく、履物ともども拉致被害者と一緒に持ち去られていったのだった、
 経営者にしてみれば、最初から来なかった客だと思えば、そのような存在でもあったのだ、
 ましてや、<民族の予定調和の表象>などと聞かされることがあったとしても、何じゃそれ、ということだろう、
 示してもらいたいのは<一家の収入予定の証拠>、むしろ、そちらの方だというのが実感だったのだ――
 いや、拉致の実態は、それ以上に殺伐としていることであった。
 作者は表現されている言語の向こう側から、小夜子は表現されている言語のなかから拉致されてきたという、
 不可解な謎も何もない、水のしたたる色気などさらにない、無味乾燥としたお肌さらさらの事実があるだけだった。
 しかし、どこの馬の骨ともわからない者が連れてこられて嬲りものにされるというだけでは、わけのわからないだけのことである。
 確かに、人生の実存の比喩としては不条理のあらわれになることであろうが、主体者の不明の謎が提示される前提からは、
 超越的存在である神でさえもあらわれず待ち続けさせられるのは必然である、そもそも、超越性は存在しないのだから。
 拉致されるには拉致されるだけの理由というものがなくてはならない、嬲られるなら嬲られる理由というものがなくてはならない。
 SM文学と呼ばれている表現世界では、山本富士子と同じくらいに著名な遠山静子(
☆参照)という女性は資産家の若い後妻で、
 その容姿端麗は嫉妬と憎悪を招くほどに素晴らしいものであったから、拉致されて嬲られる存在となることができた。
 実際は、その美に嫉妬と憎悪を抱いたというよりは、資産家の金満に対しての逆恨みの対象として選ばれたことであっても、
 人間には、嫉妬、憎悪、逆恨みが火花となって燃え上がるサディズム・マゾヒズムという豊富な油田があるというのであるから、
 他人の資産と美しい持ち物に嫉妬と憎悪を抱くよりは、埋蔵されるわが身の油田資産を誇りとした方が筋であるかもしれないが、
 それでは物語にはならないから、全裸の容姿端麗にして縄で縛り上げ、納得のいくまで色責めが行われることになる。
 しかし、性欲が求めさせる納得など、オーガズムの整合性が最上のものである以上、概念的思考としてはあり得ない。
 従って、物語は、終わりのない筋立てとなる、せめて、<結>はと言えば、静子夫人がマゾヒズムに目覚めるということである。
 サディズム・マゾヒズムという、まことに豊富な油田資産を人間は所有しているから、成立することになる物語である。
 だが、果たしてそうだろうか。
 美しいものは凋落させられるところに本来の豊饒とした美と深い憂愁と悲哀がかもしだされ、
 その深い憂愁と悲哀は淫心を生じさせるものだという様式は、歌舞伎の発祥より、表現として継承されてきているものである。
 主人公がマゾヒズムに目覚めようが目覚めまいが成立してきているありようということである。
 近代化に遅れを取ってはならないと、西洋科学の認識に目覚めたところで、主人公の変わり得ない女としての様式としてある。
 性科学の無批判の導入と追従しかあり得なければ、伝統の様式でさえも、その学術で説明付けがなされることになる。
 それもひとつのありようには違いないのだろうが、果たしてそのままでよいことなのだろうか。
 たかだか、小説の話をしているのではない、人間の認識に関してのことである。
 取って代わるものが自己に示せないのであれば、他人へ追従する以外にないということは、生存し続ける上での必然である。
 他人へ追従することに納得がいかないならば、是が非でも、取って代わるものを自己で創り出す以外にないことである。
 それが自立ということで、そのようにできないままでいるかぎりは、母親のおっぱいをしゃぶり続けていることに変わりはない。
 作者と小夜子の母娘が<上昇と下降の館>の日本間造りになっている部屋へ拉致されてきて、
 最初に行為を始めろと言い渡されたのは、実は、娘が母親のおっぱいをしゃぶるということであったのだが、
 前段もなくその描写に入るというのでは、言語の場合は余りにも飛躍がありすぎるので、
 まずは、このような前書きが必要となった次第である――


 日本間の様式に造られた部屋であった。
 落ち着いたたたずまいの床の間には、流麗雄渾な書のあらわされた荘重な掛け軸もなければ、
 絵柄と色彩が幽玄をかもしだす陶の花瓶へ華麗な技法で生花された置物も配置されていなかった、
 端のかけた使い物にならない古臭い土器、縄文土器の模造品がひとつあるにすぎなかった。
 わび・さびさえかもしだす簡素な美と言えば、そのようなものであったかもしれないが、
 床の間の前には、一糸まとわぬ素っ裸にされた美しい武家の母娘が麻縄で縛り上げられていたのであるから、
 わび・さびに色が加われば、華麗・艶麗・妖美をただよわせる情緒と言えたことであったかもしれなかった。
 武家の母娘は、身分も家禄も高い女性たちであった。
 拉致されてきたからと言って、その場所は庶民的な大衆浴場などからではなかったことは、言うまでもない。
 高貴なお方は、酔狂にも雑踏する銭湯のような場所へお出かけになることはない。
 同じ酔狂と言っても、寒さを感じる人気のない海岸へ、月見をしにふたりっきりでお出かけになったのだった。
 どうして、また、そのようなところへ? と尋ねられても、それこそ、風流を求めてとしか言いようのないことだった、
 まるで、どなたかよろしかったら私たちを拉致してくださらない? 私たちは無防備ですよ、と言っている風情さえあったのだから。
 確かに、身に着けていた衣装を剥ぎ取って売り飛ばすだけでも相応の金銭になるに違いなかったが、
 美しい武家の母娘に近づいてきた四人の黒子のような黒ずくめの闖入者は、ア・カペラで、
 「私たちについてくれば、今まで経験したことのないような甘美な快感と優れた教育を受けさせてあげよう」と言ったのだった。
 どういう意味でしょう?
 突然の申し出に母娘は顔を見合わせて驚いたが、闖入者の背後にはメルセデス・ベンツのような籠が用意されているのを見て、
 申し出を風流に思いあぐねていたが、酔狂な回答などまるで必要のないことだった、
 ふたりは整合性のある用意周到な計画に従って拉致されることになっていたのだった。
 母娘がたぐいまれな容姿端麗の女性たちであったからではなかった。
 逃げ出さないようにとその場で無理やり生まれたままの全裸にさせられて縄で縛り上げられたふたりは、
 あたりへ光明をまきちらすほどの眼を見張らせるくらいの美しい裸身をさらけ出させたのであったが、
 <女性の全裸の匂い立つような色香というありさまは、残念ながら、日本女性だけが持つ固有性ではない>というように、
 裸体であれば、韓国女性であろうと、中国女性であろうと、ロシア女性であろうと、国境に関わりのないことであったが、
 計画されていることが<民族の予定調和>であれば、拉致される風情をただよわす日本女性でなければならなかったのだ。
 それは、言葉を変えた身代金要求ということでもなかった。
 縄で緊縛された全裸の女性が民族の予定調和の表象となることだった。
 えっ、何ですって? 全裸の緊縛女性が民族の予定調和? 何よ、それって感じだわ、ばっかじゃないの!
 今どき、全裸にされ縄で緊縛されて喜ぶのは、マゾッ気があるか、それでギャラのもらえる確証を示される女性だけよ。
 女というものをまったくわかっていない、そんなの男だけによる身勝手な願望・夢想・幻想・白昼夢よ、いい加減にしたら!
 だから、<武家の>と江戸時代の設定にしている。
 あほくさい、それじゃあ、まるっきり、時代錯誤じゃないの、科学思想が最優先する時代に生きているのよ、
 ノスタルジックに、センチメンタルに、ロマンティックに、人情のあやを思い出させる巧みな文章で描かれる時代物語ならともかく、
 何ですって、本筋は、サディズム・マゾヒズムの概念を価値転換することにあるですって!
 何を血迷っているとしか言いようがないわ!
 どうして、そのようなことをする必要があるのよ、いまのままでいいことじゃない、それで充分だと思っているひとたちが多数だわ。
 だが、人間の認識の歴史過程だから仕方がないことだ。
 あら、大きく出たわねえ、でも、それって、誇大妄想か、パラノイアか、モノマニアにすぎないってことじゃなくて!
 何と言われようと、言語による概念的思考を行う人間が整合性を求めて行わざるを得ない必然は、
 性のオーガズムの認識が原初としての根拠となっているからで、そこから見なおすと、性的傾向は属性として定めるよりは、
 人間があらわす表現の形態として見ることの方が人間の理解に一歩深入りできることではないか、と言えるのだ。
 神の裁きによる善悪二元論と同様に、
 科学が両極という二分化を成立させるために人間の行動を整合性的に概念化したとしたら、
 サディズム・マゾヒズムの相対で人間の行動を分類化して眺めることは、
 すべての攻撃性をサディズム、すべての防御性をマゾヒズムと言っていることと大差がない。
 その攻撃性や防御性に性的満足を得られる行為を指すものだと決定付けられるのであれば、
 人間の性的官能は、常時働いていることにより、常時性的満足を求めているものである以上、
 公然とした場で行われる戦争行為というものは、その相対の実証そのものということであり、
 人類の創始以来、放棄することのできないでいる殺戮と強姦は、サディズム・マゾヒズムの存在理由になる。
 人間の属性としてサディズム・マゾヒズムがあるということは、
 あらわす攻撃性のすべては、サディズムという属性による避けられない必然性ということになり、
 あらわす防御性のすべては、マゾヒズムという属性による避けられない必然性ということになる。
 つまり、虐待する側には人間としての虐待する必然性があり、
 虐待される側には人間としての虐待される必然性があることになる。
 いじめる側が人間としての必然を行っているのと同時に、いじめられる側にいじめられる必然を見ていることになる、
 いじめられる側が人間としての必然を行っているのと同時に、いじめる側にいじめる必然を見ていることになる。
 もし、そのようなサディズム・マゾヒズムという属性が人間にはないものだとしたら、
 いじめる側といじめられる側の相対関係は異なったものとなるのではないだろうか。
 だが、科学的認識として教えられ、マス・メディアからポルノに至るまで蔓延している一般常識ということであれば、
 そのような属性など人間にはない、とひとり感じたところで、何かが変わるわけではないし、変えられることでも当然ない。
 従って、世間に流布する常識に従って、虐待する側は堂々と人間の尊厳ある属性に従って虐待される相手に接する。
 何故なら、虐待を嫌がる相手も、実は、人間の尊厳ある属性に従って虐待を喜んでいるのだと理解するからだ。
 サディズム・マゾヒズムという概念は、人間のあらわす表現行為を属性として見なすことによって、
 まるで、エンターテインメントのような印象を持たされ、人間を全体化して認識しているという錯覚を生んでいるのだ。
 虐待することで性的満足を得る、虐待されることで性的満足を得る、このような属性は人間にはない。
 あるのは、そのような行為を志向することによって性的満足を得る表現の形態だ。
 概念的思考が善悪二元論と同様の整合性を求めれば、神によって与えられた人間の属性となるというありようだ。
 それは、科学的というよりは、神学的ではないのか。
 わかったわ、もう、いいわよ、そこまで言うのなら、お好きになさいよ、私にはついていけないわ……。
 カトリック教徒でもあった妻の孫兵衛は、そう最後の言葉を残して、私のもとから去っていったことだった。
 ああっ、彼女を本当に愛しているのか、見解は相克しようが、ともに全裸になって結ばれ合うことは、もうないのか。
 ああっ、またしても、私事が邪魔してしまうふがいなさ、このようなことを超克することなしには、実証は不可能なことなのだ。
 作者と小夜子という武家の母娘には、実証の生贄となってもらう以外にないことだった。
 娘の小夜子が身に着けていた豪奢な着物を三人がかりの黒子の手で無理やり剥ぎ取られていくありさまを、
 母親の作者は、残るひとりの闖入者に背後から羽交い締めにされながら眺めさせられていた。
 「いやっ、いやっ、いやっ〜、助けて、助けて、お母様、助けて〜」
 小夜子は必死になって抵抗するが、三人の腕力の前には、ずるずると剥ぎ取られていくばかりだった、
 ましてや、家事もしたことのないようなか弱い女の力では、あらがってさえいないように見えるくらいであったのだ。
 「娘に何をなさるの! このようなことなら、いやです! あなたたちとは、行きたくはありません! 
  離してください、私たちを今すぐ離してください!!」
 母親は、羽交い締めを振りほどこうと身悶えし懸命に狼藉者へ訴えかけるが、
 返答はさらに強固な締め付けにあらわされるだけだった。
 瀟洒な帯締め、華麗な帯、色とりどりの伊達巻、豪華な着物、品のよい長襦袢、色香ただよう肌襦袢、艶めかしい湯文字、
 純潔な足袋から優雅なかんざしに至るまで、身に着けているものはすべて容赦なく奪われていったのだった。
 文字通りの一糸もまとわない全裸の姿にさせられた女は、恥ずかしさと屈辱のために立っていることもままならず、
 狼狽するばかりだったが、美しい乳房と悩ましい股間を懸命に覆い隠そうとしていた両手は難なく背後へねじ曲げられ、
 重ね合わされたほっそりとした手首には、無慈悲な麻縄が有無を言わせず巻きついていくのだった。
 「いやあっ〜」
 女の悲鳴が上がったが、それは海辺に砕ける波音に消されてしまうというよりも、
 同じドビュッシーの管弦楽曲よりもピアノ曲がまさに表現する、
 神秘をかもしだす天上の月の煌煌とした光へ吸い込まれていくようなか弱さの声音だった。
 美しい娘は、<生まれたままの全裸にさせられて縄で縛り上げられた>。
 括弧のように書かれれば、わずか二十四文字にすぎないことだった。
 しかし、その初体験は、当事者の概念的思考において、天動説を地動説に説明し直すくらいの転換があるものだった。
 大袈裟な誇大妄想の表現であると思われるかもしれない、だが、体験されるとわかることである。
 一糸もまとわない生まれたままの素っ裸になって縄で緊縛されるありさま、これは、そうなかなかに体験できることではないだろう。
 縄と肉体があって、時間と場所さえ確保できれば、ひとりでだって試すことのできるものであるのだが、
 そのような行為を実行するのは、サディズム・マゾヒズムっ気のある者に限られ、異常性欲の世界へと開かれることであるから、
 まともな常識人であれば、サディズム・マゾヒズムという概念が人間の属性としてあることを理解していればよいことである。
 従って、見たいと望む者が見たいように、行いたいと思う者が行いたいように、感じたいと欲する者が感じたいように、
 その概念をあらわす<表現>は固定されていくのである。
 サディズム・マゾヒズムという概念のあらわす<望むような表現>にもかからわず、その<表現>が属性と同一視される。
 そのことだけにしか存在理由を持てないということであれば、ウィルスに感染した者が<患者>としての存在理由を持つように、
 それは、病理の対象であり、病気の患者ということであるのだから、サディズム・マゾヒズムという表現の極端、
 殺害や自害を表現することは、当事者の存在理由は、殺戮欲があらわす<加害者>であることを示しているにすぎない。
 殺害の対象が幼児に限られたり、女性に限られたりした場合でも、殺害者の男性には性的異常があることを重要視するが、
 <加害者>である事実を確証するために、サディズム・マゾヒズム等の属性が心理を倒錯させたありようをいくら考察しても、
 整合性のある解答が出るはずがないのは、サディズム・マゾヒズムが人間の属性ではなく、ただの表現の形態にあるからなのだ。
 イエス・キリストを象徴に加虐・被虐の過程に固有の価値観を抱いている根拠から考察されれば、
 サディズム・マゾヒズムの表現の残虐性の極みは神性に近いなどという<表現>が生まれて、当然とされるようなことなのである。
 犯罪は<表現>であるから、その表現のモデルを与えられれば、そのように表現したいと望む者が模倣することは必然である。
 殺戮欲をあらわした単なる<加害者>が悪の権化のようなコミックスのヒーローのようにマス・メディアに取り沙汰されれば、
 名もなく、まわりからも疎んじられ、悶々と自慰行為に耽っている者は、ヒーローになれるきっかけを与えられているのである。
 <加害者>はその<被害者>が受けた苦痛と同様の処置によって罰せられるとわかっていたら、果たして実行されるだろうか。
 つまり、相手を切り刻んだら、自分も切り刻まれて死に至る、というハンムラビ法典のような処罰があったとしたら。
 そのような因果応報の実刑があることを理解していながら<加害>する者がいるとすれば、
 その者こそ、サディズム・マゾヒズムがキリスト教神学を抜きして、人間の属性としてあることを考えさせる可能性と言える。
 だが、<加害者>が学術で保護されている前提であれば、この実態を人間の属性の因果として見るだけのことである。
 人間性、人間の尊厳、個人の確立、人間の平等……これらを人間の存在理由と称揚することは素晴らしいことだ、
 しかし、これらの概念が働く前段には<人間の荒唐無稽>が存在することを認めなければ、
 見たいと望む者が見たいように、行いたいと思う者が行いたいように、感じたいと欲する者が感じたいように、
 表現されるだけのことである、真理探求に似た楽しさや喜びを味わうエンターテインメントと変わらないということである。
 食欲、知欲、性欲、殺戮欲が望ませる欲望は、<表現>されることなしには、他者はその存在の意味を知ることができない、
 他者に見られるという<表現>であるからこそ、より良く見せたいと意味を望むだけ<表現>行為の強烈さは生まれるのである。
 世界認識というのは、世界にある人の数だけ、多種多様な<表現>行為が生み出されている複雑さを意識するということである。
 世界認識にあっては、<全裸の縄による緊縛>など、ほんのひとつの<表現>であるにしかすぎないものである。
 <生まれたままの全裸にさせられて縄で縛り上げられた>……これは、<民族の予定調和の表象>という観点からすれば、
 日本女性にとっては、行われることとしては数多の実例があるから、それほど難しい様態ではないであろう。
 問題にするとしたら、男性についてである、日本男性の方々が、
 全裸を縄で緊縛されたわが身がどのような意識変化を生じさせるものであるかを認識するか、ということである。
 天動説を地動説に説明し直すくらいの転換があるものかどうかは、試みの後に判断されて然るべきことであろう。
 では、ここからは、男性の読者に限っての表現となりますので、女性の方は、
☆先へ進んでください――


 早速、その場で身に着けているものを何から何まですべて取り去って、生まれたままの全裸になって頂きましょう。
 いやだと申されますか、何を馬鹿なことを言ってるんだとおっしゃられますか。
 荒唐無稽もたいがいにしろ、読者が作者から指図されて素っ裸になるなんて、そのような物語、聞いたことがないぞ!
 まあ、堅いことをおっしゃらずに、前例がないことでしたら、ここで一緒に前例を創り出そうではありませんか。
 すでに、この物語の作者であった方も登場人物として参加しておられるのです。
 読者が参加されたからといって、どこに不自然が生じますか?
 自然という概念は、自然という調和感にほころびができないように維持することで成立することです、
 人間の存在しない自然、そのようなものはただ荒涼・殺伐としているだけのものです、不自然だって自然概念一部なのです。
 ただ、気をつけてください、他人に邪魔されたり、覗かれたりしないことだけは、注意してください。
 物語の筋立ての成り行きを知らない者があなたさまの全裸で行っている仕草だけを知ったら、
 たとえ、人類の新しい認識への扉を開く試みだとあなたさまが言い張っても、異常な行為であるとしか見なされないでしょう。
 異常な猥褻的行為を行っているあなたさまは、実は異常な性癖の持ち主であったのだと決め付けられるのが落ちです。
 同一の物を眺めていても、結ぶことをしなければ、異なったものとして見ることはできないのです。
 如何ですか、すっぽんぽんになられましたか。
 それでは、縄をお取りください、あなたさまを縛って頂ける方がいらっしゃれば、それに越したことはありませんが、
 その人手を探している悠長な時間はありませんので、ここでは、ひとりで行う縄による緊縛の体感をご案内します。
 如何ですか、生まれたままの全裸になられただけで、あなたさまの大切なところは、もう、もたげ始めていますか。
 一物の大小に関わらず、生まれたままの全裸のありようを自意識する大小は、もたげる角度の大小に比例することです。
 もっとも、高齢者の方は、重力作用に対する抵抗を勃起力が劣勢とさせていることもありますので、当然、個人差はあります。
 この場合の自意識というのは、羞恥する意識であり、羞恥に対する価値観をあらわしたものであります。
 価値観というからには、概念としてどのように形成されてきたかについては個々人の相違はありますが、
 羞恥が他者を意識して生まれるものであり、他者を意識させることは、おのれと相手の意識が繋がることをあらわします。
 実際には、おのれと相手の意識は繋がることはありません、しかし、結ばれていると考えられることを可能にさせるのです。
 この相手と言っているのは、他者であり、或いは、他者を考える自己でもあるわけですから、
 誰にも見られないでひとりで行為を行うといっても、みずからがみずからを見つめているという状態は、少なくともあるわけです。
 ただ、意識は知覚するだけで終わるものではありません、知覚の意味を知ることが自己意識を働かせるということになります。
 この知覚の意味というのは、知覚という状態から意味という状態へ成り変るために伝達されなければあらわれません、
 この伝達のありようが<表現>というものです、そして、<意味>の形成されたものが<概念>となります。
 <表現>とは、人間が或るものから或るものへ変成することを伝達するために行う方法であって、
 自己から他者へ意思伝達を行うために、身振り手振りなどを用いて<表現>することは、そのひとつの<形態>であります。
 このような大切なところがもたげている<形態>の<意味>と関わりのないような言語の<表現>に接せられると、
 せっかく全裸になり反り上がりを示していたものも萎えてしまうじゃないか、ばか、と言われるかもしれませんが、
 ご心配には及びません、自然の繊維から撚られた縄は<縛って繋ぐ力>を存分に発揮しますから……。
 羞恥は、相対的な力関係における劣勢を意味し、相手を意識させる自意識をもっとも鮮明にさせる価値の意識と言えます。
 何ひとつ身につけない生まれたままの全裸というのは、この世に生まれ出た赤子同様の姿態の意味をあらわすもので、
 その状態は、無防備の状態を示すばかりでなく、成育されていない状態を示すということであります。
 衣装を身にまとう相手に対しては劣勢を意識させます、みずからの性器をあらわにさせていることが恥ずかしいのではなく、
 生まれたままにある性器を文明や文化の意識でもって覆い隠せない価値の劣勢が羞恥を生み出させるということです。
 羞恥の意識における価値というのは、劣勢をどのように評価しているかという度合いであるわけですから、
 文明や文化の意識が如実でない場合は、生まれたままの全裸であっても、そのことに対する羞恥は希薄なものとなります。
 人間の裸体がひとつの美の表現であるとして、文明や文化の衣装をまとわないからこそ美麗であると意識することだとしたら、
 剥き出しの男女の性器がそれに含まれないことはあり得ないことです。
 人間の哲学としてきたことが全裸の状態を前提に考察されないことも、同様にあり得ないことです。
 全裸の身体を抜きにして、その身にまとわせる衣装と着付けについてだけを考察しても、衣装の哲学にしかならない限度です。
 形而上的哲学があらわす、人間の知欲はこのようにまで着付けを深く考察できるものであるとする<表現>が示されることは、
 人類にとって、個々人が固有に抱えている<表現>の多様性の可能に多様な示唆を与えるものとして重要なことです。
 しかし、人類の歴史過程は、現段階において、形而上と形而下の結ばれた哲学へ成り変るところにあると言えます。
 あなたさまが何ひとつ身につけない生まれたままの全裸でいるその状態は、これからの人間の認識の前提となるものです。
 では、手になされた縄をふた筋にしてください、丸い部分の縄頭、ふた筋の端になる縄尻ができます。
 その縄頭をあなたさまの大切なところへ引っ掛け、ふた筋を睾丸を両側から挟むようにして股間へともぐらせます。
 このとき、ちょうどお尻の穴へ触れる位置へ、加減をつけて縄を一度結んで瘤を作ります。
 尻の亀裂から出ている縄を引き上げ首筋のところでふた筋を割ります、身体の前面へ縄が垂れ下がった状態になりますが、
 縄の強い牽引がなくても、あなたさまの大切なものは反り上がりを示してはいませんか、それはほんの始まりです。
 前面へ垂れているふた筋の縄をひとつにまとめて、胸もとから臍に至るまで、等間隔に五つの結び目を作ります。
 結び目の作られた縄尻は、臍の下あたりで腰へぐるりと巻きつけ、腰骨へ引っ掛かけるようにして正面できちんと縄留めをします。
 別の縄をふた筋にし、その縄頭を背中を伝わっている縦縄のできるだけ高い位置へ結びます、
 その縄尻を腋の下から前面へ持ってきて、胸もとの最初にある結び目と結び目の間隔へ通し、引きながら背後へまわします。
 まわされた縄を反対側から同じようにすると、前面の縦縄に菱形の文様が浮かび上がります。
 このようにして、残りの三つの間隔を順次左右へ広げていくと、身体の正面へ菱形の綾が織り成されるのと同時に、
 肉体を締めつけてくる縄の拘束感が始まり、あなたさまの大切なものへ引っ掛かっている縄も緊張を増します、
 余った縄は背中の縦縄と腰縄の重なるところへまとめるようにして繋ぎ留めてください。
 如何ですか、皮を剥き晒し、てらてらとした赤い充血の光沢をおびるほどの反り上がりが表現されていますか。
 このような堅くて長い一物でしたら、きっと女性の方に喜んで頂けるものに違いないと感じられることかもしれませんが、
 やり場を求めて放出するには、まだ、縄による緊縛の体感まで至っていませんから、こらえて頂くしかありません。
 そのまま床へしゃがみ込み、両脚を揃えて膝を立ててください、別の縄で両脚を縛りますが、
 まず、ふた筋にした縄を両膝の上のところで二重に巻きつけてから両脚の間を通して締め込むように繋ぎ留めます、
 その縄尻を足首のところまで持っていって同じようにして束ねます。
 残りの縄の端へ輪をこしらえ、身体を横臥させながら引っ張り上げていくと、逆海老の姿態になります。
 背後へまわさせた両手首をこしらえた輪へ絡めて締め上げれば、美麗亀甲股縄縛り逆海老の図の出来上がりということです。
 そのままの姿勢でじっと縄の拘束が伝えてくるものを感受してみましょう……。
 意識の相違によって、当然、個人差のあることですが、
 早い方ですと、何の愛撫も必要とせずに、きらめいた糸を引いている魚の口からオーガズムを求めての放出を始めます。
 一般的には、生まれたままの全裸を縄で緊縛されて放置されただけでは、反り上がりは見事であっても、
 オーガズムに至る放出にはすぐに行き着けないかもしれません。
 早いにしろ、遅いにしろ、人類の整合性の概念の第一原理を認識することですから、言うまでもなく、優劣などないことです。
 早い遅いの相違は、意識の仕方の相違に依っていることですから、
 あなたさまが緊縛されているみずからの姿態をどのように見ているかということに関係していることです。
 何が、美麗亀甲股縄縛り逆海老の図だ、このようなみっともない、みすぼらしい、浅ましくも、惨めな姿のどこが美麗だ!
 鏡でもそばにあって映し出されているみずからの姿態を知ると、醜態をあらわしているとしか見えないありさまがあるだけで、
 このような俗悪な行為をする者は、異常性欲者、変態、気違いとさえ言われて当然のことのように見えます。
 従って、醜態を美麗、悲惨を歓喜、残酷を妖美、苦痛を快楽に切り換える意識がなくては成り立ちません。
 幸い、人間には、サディズム・マゾヒズムという属性があり、それが作用することによって変換が行われるとされます。
 みずからが体現することなく鑑賞するだけの者であっても、関心を惹きつけるのはそれが作用することによるとされます。
 ですから、サディズム・マゾヒズムによる意識の転換が行われるまで、その状態のままであり続ければよいわけです……。
 しかし、時間を待っても、オーガズムへ到達できないもどかしさが募るばかりで、大切なものは萎えていくようでさえあります。
 平等な人間の属性としてサディズム・マゾヒズムがあって作用するものなら、だれでも意識の転換が起って当然のはずです。
 だが、待ち続けているだけで何も起らない事態は、とんでもない馬鹿々しいこと、荒唐無稽をさえ意識させるようになります。
 このような手間暇かけて行うことよりも、せんずりこいた方が目的の到達には有効であると思って当然のことになります。
 サディズム・マゾヒズムが人間の属性ではなく、<表現>と<形態>であるから、このような事態となることなのです。
 何もしなければ事は起らないのです、そうありたいと望む、志向する<表現>へみずからを意識化させなければ、
 オーガズムへ到達する目的は成就されないのです、属性はオーガズムの到達であって、その過程は<表現>なのです。
 人間の性的傾向と呼んでいるものは、すべて、性のオーガズムへ到達するために創り出される<表現>ということです。
 <表現>を行為する、<表現>を演技する、<表現>を成り切る意識を<望むままに志向>するということです。
 しかし、既成概念としてある社会の常識や法律や宗教は、その<望むままに志向する>ことを許容するとは限りません。
 あなたさまのいまのその姿態は、あなたさまが<望むままに志向する>ことだったとしても、
 それはあくまで、あなたさまが<望むままに志向する>ことにすぎないことです、あなたさま固有の<表現>なのです。
 ですから、<望むままに志向する>ありようがかなえられないために、孤独、不安、恐怖、絶望は言うまでもなく、
 憧憬、焦燥、憤怒、憎悪の感情をともなった意識の状態に置かれたとしても、異常でも倒錯でもないことです。
 あなたさまが求めているのは、異常性愛という性的傾向から性的倒錯の心理へ到達しようとしていることではなく、
 性のオーガズムへ到達するために、<望むままに志向する><表現>をどのように創り出そうかと求めていることだからです。
 全裸になり縄でみずからの陰茎と肉体を縛り上げた姿態は、あなたさまが<望むままに志向する><表現>の<形態>です。
 従って、全裸を緊縛するような手間暇かけて行うことよりも、好きな女優やタレントやアイドルを想像しながら、
 せんずりこいた方が目的の到達には有効であると思われれば、それがあなたさま固有の<表現>となることです、
 同じように、あなたさまの想像力は、そのみっともない、みすぼらしい、浅ましくも、惨めな姿を、
 <望むままに志向する>美麗、歓喜、妖美、快楽へ向かわせるために、
 <表現>を行為する、<表現>を演技する、<表現>を成り切る意識へおのれを置くようなことをすれば、
 オーガズムへの到達の可能を手中にしているということです。
 たとえば、このように……
 自分は、どうして、このようなみっともない、みすぼらしい、浅ましくも、惨めな姿になっているのだろう。
 谷津雄は、そばの姿見に映し出されているみずからの姿態を盗み見るようにして見つめていた。
 そこには、男が一糸もつけない生まれたままの全裸の姿をさらけ出して床へ横たわっていた。
 格好のよい浅黒く精悍な身体付きに端正な顔立ちをしている男性のヌード姿であったら、見栄えもあったかもしれなかった。
 だが、腹の少し出かかった中年近い男がスポーツもしない白い肉体のあちらこちらへ黒い毛を浮かび上がらせているありさまは、
 収拾のつかないだらしなさを感じさせるばかりのものだった、しかも、そのだらしのない身体は縄で縛り上げられているのだった。
 陰茎は恥ずかし気もなく皮を剥き晒して赤々と紅潮していたが、それは、そこへ引っ掛けられた縄が股間を通して背後へと伝い、
 首筋を分けて胸もとから臍へかけて下ろされ腰縄として繋ぎ留められ、下ろされた縦縄には幾つもの結び目が作る間隔があり、
 その幾つもの間隔を横縄が左右から開いて、菱形の文様が綾を成すように施されることによって生じている緊張だった。
 そればかりか、尻の穴へもぐり込もうとする縄の瘤を作られ、胸縄はふたつの乳首を上下から挟むようにして掛けられていた、
 両脚を揃えて膝を束ねられ足首を束ねられ、その縄で後ろ手に縛られていたから、縄の圧迫は性感帯へほぼ行き届いていた。
 淫猥亀甲股縄縛り逆海老の図、このようなご丁寧な縄の緊縛を施したのは、だれだ。
 もちろん、谷津雄がみずから進んでみずからの手で行うようなことではなかった、
 人後に落ちないまともな常識人であると彼はみずからを感じていたから、そのような趣味さえないという自意識を持っていた、
 それは、愛するがゆえに行われたことだったのだ。
 「鏡を見つめて、どうして、そのような情けない格好にさせられているのだろう、と思っているのかしら?」
 縄掛けの張本人が谷津雄の横たわる尻のあたりへ立って尋ねていた。
 波打つ豊かな長い黒髪、清楚な顔立ちを妖艶に引き立たせる両眼の青い縁取りと唇の真紅、身にまとう漆黒のラバーの衣装は、
 可憐な乳首と乳暈を丸く突き出させたブラジャーと悩ましい股間の箇所をあからさまにぽっかりと開けさせたショーツ、
 ほっそりとした両手はひじまで隠れる手袋をつけ、長く美しい両脚は膝まで隠れる踵の高いブーツを履いていた、
 愛する麗しい女王さま、孫兵衛さまであった。
 「どうしてだかわかる? 私が尋ねているのよ、答えなさいよ!」
 女王さまの黒いブーツの鋭い爪先がぐりぐりと締まりのない尻の白い肉へ突き立てられる。
 谷津雄は、痛いっ、と思わず声を上げそうになったが、それでは、意気地なしと思われるだけで嫌われてしまう、
 ここは、かたくなになって、男の意地を見せるのだ、と決心したが、それも束の間、
 女王さまは手にしていた乗馬用の鞭を相手の尻の亀裂から這い上がってきている麻縄へもぐり込ませて引き上げた。
 「うっ、うっ、うっ〜、うっ、うっ、うっ〜」
 大した力ではなかったかもしれなかったが、反り上がっていた陰茎へ加える刺激としては大きかった。
 赤く怒張している陰茎は、悶えるように上下に揺れて、おびえて震えているかのように見えた。
 「強情ね、でも、そのような強情を張ったからって、あなたのその情けない姿、ふがいなさは変わるものじゃないのよ。
  わかってる? あなたは、身のほど知らずに思い上がって、権威ある学術へ挑戦しようなどという浅はかさを露呈させるから、
  そのようなみっともない惨めな姿にさせられているのよ、おとなしく、ひとがやるように従えば、それで済むものを。
  あなたがやることなんか、だれも喜ばないってことよ、邪魔くさいだけだわ、目障りよ、あなたにできることはせいぜいそのくらい。
  異常性愛を示して見せられることじゃなくて! だって、そうでしょう、あなたは言ったでしょう、私に愛をかけてもらえることなら、
  心底から男をもたげて上げられることなら、おっしゃられる科学的整合性の足元へひざまずき、踏みつけられしても構いません、
  そう言ったのじゃなくて、望みどおりにしてあげるわ、科学的学術の偉大さを思い知るがいいわ!」
 女王さまのブーツの靴底は、縄の張力で陰茎を責められている苦痛から歪めていた谷津雄の顔をさらにひしゃげさせるのだった。
 「いっ、痛いっ……うっ、うっ、うっ……」
 妖艶な化粧を施した顔立ちに薄笑いを浮かべながら、科学的学術の権化は、容赦のない虐待を行うのだった。
 「何が痛いのかしら? 痛いことなんか、少しもなくてよ。
  あなたの長く反り上がったものは、放出したくて魚の口からきらめくよだれを垂らし始めているじゃない。
  気持ちがいいと素直に言いなさいよ、あなたの本性であるマゾヒズムを優しく開いてあげている私に、本音を言いなさいよ!
  あなたの古色蒼然とした時代遅れの反時代的な独りよがりの思想はただの迷妄だということを白状なさいよ!
  楽になれるわよ、気持ちよくなれるわよ、本当の自分を知ることですもの、私を愛しているというのなら、私に隷属することね!
  あなたは、所詮、整合性を根拠とした合理主義思想の奴隷にしかすぎないのよ、奴隷なら奴隷らしく生きることね!
  恥ずかしいことなんか、少しもなくてよ、だって、サディズム・マゾヒズムが人間の属性としてあるって、必然のことじゃない!
  むしろ、誇りに思っていいことよ、目覚めさせなさいよ、あなたのマゾヒズムを、サディズムを!
  そうしたら、あなたにご褒美をあげる、私にしかあげられないあなたへの愛のあかしを差し上げるわ」
 谷津雄は、もうひと押しで行きそうなところまで来ていた。
 ブーツに踏みつけられている顔だったが、まなざしだけは上げることができた。
 まなざしの先には、仁王立ちの姿勢で威圧をあらわすようにしている女がいた。
 妖艶な化粧で誇張されてはいたが、清楚な顔立ちの女の美しさがあった、愛しているからこそ、見ることができる美しさだった。
 顔の下には、黒いラバーのブラジャーが突き出させる可憐な乳首をつけた麗しいふたつの乳房を見て取れた。
 ふたつの乳首はしこりをあらわすくらいに突っ立っているのがわかったが、それは女の美しい情欲によるものだと思えた。
 さらに、その下には、股間の箇所をあからさまにさせた黒いラバーのショーツが女の秘所をのぞかせていた。
 夢幻に漂うもやのように柔和な漆黒の恥毛が奥深い割れめを見えるようでいて見えない神秘として煽り立てているようだった。
 優美な長い両脚はラバーのブーツへすっぽりと収まり、彼の顔を情け容赦もなく踏みつけていたが、
 それがいまやわが身の一部となってしまったように苦痛を失わせていた。
 孫兵衛、この愛する美しい女にされることなら、どのようなことであっても、愛と美の輝きを放つ行為となるに違いない、
 そう感じるようになっていくのであった、壮麗な女王さまへ隷属すれば、気持ちのよいところへ連れていってもらえるのだ……
 全裸になるように求められて、縄で縛られたときから始まっていたに違いない……
 縄の拘束感は、みずからの肉体の存在をこれまでには一度も経験したことがないような感覚で実感させるのだった……
 陰茎に掛けられた縄が尻の穴をあざとく刺激しながら股間を浮き立たせるように圧迫する……
 尻の亀裂を這い上がり尾骨を押しつけられると、もたげていた陰茎は押し出されるように反り上がる……
 反り上がった陰茎は掛けられた縄へいっそうの抵抗力をあらわして皮を剥き始めてさえいる……
 背中を這わされた縄を正面へ振り分けるために首筋で両肩へ力を加えられると、その緊張感はそのまま陰茎にまで伝わる……
 胸もとから臍まで縄へ結び目が作られ、縄尻を腰縄とされて結ばれていく間も、尻の亀裂へ収まった縄は弛緩しなかった……
 作られた結び目の間隔を広げるために、縄が身体の左右から巻き付けられていくと、背後の縦縄はさらに緊張感を増していく……
 身体の前面に縄で菱形の綾が織り成される頃には、小さなふたつの乳首もしこっているほどだった……
 その乳首のしこりを愛撫させるように、胸へ掛かった縄で上下から挟まれたときには、陰茎は見事に剥き晒していた……
 両腕を背後へまわすように求められきっちりと後ろ手に縛られると、剥き晒しはてらてらと赤い充血を示すようになっていった……
 羞恥の思いを感じたことは事実だった、だが、みずからの思いをよそに、身体は縄によってどんどん反応させられていった……
 肉体へ掛けられた縄の拘束感、肉体はしっかりとみずからの前に存在する、これは確かな実感であった……
 みずからという自意識はその肉体の存在をもって封じ込められてあるものだ、と感じさせられることであったのだ……
 床へしゃがみ込むように求められ横臥させられると、怒張している陰茎が際立つように姿態を逆海老に反らされた……
 後ろ手に縛った縄で揃えさせられた両脚の膝と足首を束ねられて、縄掛けが完了したのだった……
 拘束された肉体の感覚は、後ろ手に縛られて床へ転がされたあたりから、さらに変化し始めていた……
 後ろ手に縛られたことは観念することを意味していた、縄で緊縛されたみずからの肉体を受容せねばならない観念である……
 羞恥だろうと、嫌悪だろうと、反感だろうと、憎悪だろうと、感情の如何に関わりのない、拘束された肉体の受容である……
 肌へ密着し圧迫し続けている縄の刺激は、逆海老の姿勢の苦痛があったにせよ、耐えられないものではなかった……
 むしろ、次第に、肉体の受容は、みずからの前に存在する肉体の意識を変えさせていくものであった……
 肉体のあちらこちらから伝わってくる縄の拘束感が肉体を包んで浮き立たせていくように感じられたのである……
 反り上がっているものが天空へ上昇しようと躍起になっているが、肉体の重力は下降へ向かって責め立てられている……
 そのもどかしさに浮遊させられているという感じだったのである……
 そのとき、ひらめいたのだ……
 肉体はみずからの意識を封じ込めている存在ではなく、解放させるためにある存在ではないかということを……
 肉体が身動きの取れないように雁字搦めに緊縛されているのに、その肉体があることで自由があるように思えたのだ……
 ただ、反り上がったままでいさせられる陰茎がもどかしかった……
 行き着くところまで行かさせてもらえば、その肉体の自由は本物であると思えることだったが、それがかなわなかった……
 もどかしかった、ただ、もどかしかった……
 そして、もどかしさを耐え続けていくことは、萎縮させていくことにしかならなかった……
 そこへ、あらわれた麗しい女王さまだった、美しき孫兵衛だった……
 だから、もう、すっかり準備はできていたのかもしれなかった…… 
 あなたさまのおっしゃるとおりです、あなたさまにして頂いたことで、私は気持ちのいい思いを感じております……
 私は、あなたさまの申されるがままに追従するだけの奴隷です、思い上がった思想、深く、深く反省しております……
 どうか、お願いです、あなたさまの愛をかけてください、私をもっともっと気持ちのよいところへ連れていってください……
 もはや、もどかしさに負担を感じるような自己意識であれば、それを放棄するように振る舞うしかなかったのだ……
 振る舞えば、もどかしさから解放されて、待ち受けている性のオーガズムへ到達することができるのだ……
 「最初から、そのように自覚すればいいことじゃなくて、面倒をかけさせるわね。
  でも、認識ってそんなものよ、人類は長い歴史を衣装を着替えるように、その折々の要求で思想を流行させてきた。
  けれど、何も変わらない、天空のもとに新しいものはないということね、いいわよ、好きになさい。
  あなたと夫婦だった頃は、よくさせてあげたことですものね」
 孫兵衛女王さまはそのように言うと、踏みつけていた顔から足を離して、代わりに、美しい両脚を大きく開いて跨ぐのだった……
 谷津雄の眼前には、めまいを覚えさせるほどの悩ましい色香を放つ股間が芳香を撒き散らしながら迫ってきていた……
 女王さまは、しゃがみ込んでトイレに入るような姿勢を取っていた……
 谷津雄は、夢幻に漂うもやのように柔和な漆黒の恥毛を舌先で掻き分けながら、奥深い割れめが見えるように、
 懸命になって奥へ奥へと神秘を求めて顔を埋めていくのだった……
 ようやく、真珠のような輝きをあらわした敏感で可憐な突起をさぐり当てたときだった……
 その愛らしく立っているしこりへ吸いついていくと……
 もどかしさが一挙に解き放たれて、これ以上ないという快感を整合性をもって、下腹部からどくっどくっと貫かせたのだった……
 同時に、女王さまの神聖な割れめから麗しい小水が放出され、秘蹟の水のように顔面へ浴びせかけられたのだった……
 確かに、それは褒美として与えられた秘蹟の水であった……
 縄で緊縛された肉体は、肌へ密着し食い込んでいる縄の存在を今まで以上に実感あるものとしていた……
 だが、緊縛され拘束されていながら、解放された肉体の自由があるものだった……
 緊縛するために結ばれた縄があらわす拘束が生み出すさまざまな肉体の事柄と同様に、
 さまざまな概念的思考が結ばれることに従って意識に生み出される超脱があることを教えていた……
 環に結ばれた縄という閉じた構造でありながら、永遠の回帰という超脱をあらわしていた……
 それは、性のオーガズムと同様に、短い時間の認識でしかなかったが、感謝のあかしとして放出を呑み込ませるものだった……
 という具合になるわけですが、あなたさまは如何ですが、放出なされましたか。
 いまだにオーガズムへ到達できない読者を置き去りにして、作者ひとりが行ってしまうのは卑怯だ、とおっしゃられるのであれば、
 その全裸緊縛姿のまま、以下へ続いております、母娘の展開をさらなる刺激として頂けたら幸いと存じます――


 
美しい月夜の海岸で拉致されて、<上昇と下降の館>の日本間造りになっている部屋へ連れてこられたのは、
 母の名は作者という三十七歳になる奥方、娘の方は小夜子という二十七歳になる、これも奥方だった。
 ふたりは実子の関係にあったが、十歳という年齢差は、実子が事実であるとしても、かなりの無理があるように見受けられた。
 しかし、囚われた場所は<上昇と下降の館>と呼ばれる特有の重力場を持った状況にあったので、
 読者の柔軟な想像力は難なく受け入れることができるのだった、仮にできない場合でも、
 <荒唐無稽>の本領発揮として、グローバル・スタンダードに定義づけられるものとしてあったのだ。
 いや、母娘の年齢差など、性愛の愛欲表現の本筋からすれば、実に些細な事柄に違いないことであるから、
 辻褄合わせがどうしても必要とされるのであれば、それをもっとも得意とされている後日の批評家諸氏に行って頂くこととして、
 ここは、もたもたせずに、すでに火の付けられている官能を煽り立てる、自立した表現へと進まねばならない。
 ふたりは、一糸もつけさせられない生まれたままの全裸にさせられて、自由を奪われる麻縄の縛めを受けていた。
 娘である小夜子の雪白の柔肌は、あたりを一段と輝かせるほどの美しい光沢を放っていたが、それも縄によることだった。
 桃色の可憐な乳首をつけ麗しいふくらみを見せるふたつの乳房を上下からの麻縄に締め上げられ、
 後ろ手にさせられた華奢な両手首をがっちりと縛られたことで、あからさまにひと目を避けたいと思う箇所は隠し切れず、
 横座りにさせた姿態を精一杯よじりながら、美しい顔立ちをそむけるようにさせていたが、緊縛の縄はまことに無情なもので、
 しっとりとした色気を漂わせるうなじからなで肩の柔和さ、なめらかで美麗な背筋、優美でいながら色気を発散する腰付き、
 艶めかしい曲線を描きながらも亀裂が悩ましさをあらわす尻、なよやかな白い太腿の奥には艶やかな漆黒の和毛をのぞかせ、
 羞恥にぴったりと閉じ合わせるようにしているしなやかで美しい両脚があらわとなっているとしか言いようのないものだったのだ。
 母親である作者は、年上の世知からなのだろか、或いは、母としての気丈を示さねばならない女の意地によるものなのだろうか。
 後ろ手に縛られ胸縄を掛けられた裸身をねじって、横座りにさせた姿態をできるだけ晒すまいとしているのは娘同様であったが、
 品性を漂わせた美しい顔立ちは毅然としてもたげられ、まなざしはかばうように娘の方へと向けられているのであった。
 しかし、そうではあっても、ねっとりとした脂肪をにじませる乳色の色香を放つ柔肌をあらわとさせていることに変わりはなかった。
 薄紅色の乳首を愛らしく立たせながら突き出せられている豊満な乳房は、まるで妊娠すらしているような色気を匂い立たせ、
 美しいうなじからなで肩の艶やかさ、背筋のなめらかさは官能の芳香を撒き散らす腰付きから尻の悩ましい豊饒を際立たせ、
 むっちりとした美麗な太腿の奥にのぞかせる漆黒のふくらみをそこはかとなくあだっぽいものとさせていた。
 きっちりと揃えさせた優美な両脚が羞恥よりも貞淑をあらわすように見えるとしたら、母は妻でもあるという自負からなのだろうか。
 だが、身体と身体をできるだけ触れ合わせるようにして寄り添い合い、
 かすかな震えを美しい裸身にあらわしていた母娘であったのは、見知らぬ者たちに有無を言わさず拉致されて、
 どのような意味かもまっく見当のつかない言葉――今まで経験したことのないような甘美な快感と優れた教育を受けさせる――
 を言い渡されたことによる、不安と恐怖がせり上げていたことであったのは確かであろう。
 「は、は、は、は、は……
  おふたりとも、心配は無用でござるよ、おふたりの命が奪われるようなことはない。
  むしろ、命が輝くものとされる、そのように言った方がよいということが行われるのだ……
  おふたりが女性であるからこそ、わが民族の美しい女性であるからこそ、行われるということであるのだ……」
 畳の上へ横座りになって寄り添い合う母娘へ近づいてきた男は、朗らかな調子でそのように言うのだった。
 ふたりが思わず見上げれば、そこには、筋骨たくましく浅黒く精悍な若々しい風采の男が羽織袴という武士の身なりで立っていた。
 「拙者は、岩手伊作之助と申す者である……
  権田孫兵衛先生の弟子のひとりで、おふたりの相手をするために参った。
  後に控えているのは、同じく弟子の綱之助と申す……」
 武士の背後には、筋肉隆々とした無骨な顔付きの男が裸体に黒いまわしひとつという力士の身なりで立っていた。
 「拙者らは、権田孫兵衛先生に教えを受けた、風流や酔狂を心得る教養ある文化人である。
  <美しいものは凋落させられるところに本来の豊饒とした美と深い憂愁と悲哀がかもしだされ、
  その深い憂愁と悲哀は淫心を生じさせるものだ>というわが国伝統の様式美を充分に認識しておる者である。
  安心してまかせるがよい、決して、悪いようにはしない……
  では、早速、おふたりに女の色気とやらを発散して頂くことから始めよう……
  幸いにして、本日は、男女ともどもの読者の方が来賓として観覧に来ておられる。
  おふたりも、来賓の方々を失望させぬよう精一杯励んで頂いて、
  権田孫兵衛先生の<色の道>を成就するために宜しく歩んで頂きたい……
  さあ、立ち上がってくだされ」
 武士と力士は、各々に母と娘の緊縛された裸身の縄尻を引っつかむと、畳から無理やり立たせるのだった。  
 ああっ、いやっ、いやです、と口々にか弱い抵抗の声音をもらすふたりだったが、美麗の裸身はあからさまになるだけだった。
 武士と力士は、薄笑いを浮かべながら、縄の掛けられた生まれたままの優美な全裸の正面像を来賓へ見せつけるようにしたが、
 もちろん、絵画や写真やアニメや映画ではなかったので、<見せつける>だけでは見えないものであった、
 言語による描写という概念化がなければ、来賓にとっては、どのようなものであるか、わかりにくいものであったのだ。
 「艶やかな黒髪を美しい日本髪に結われ、なよやかで品性のある綺麗な顔立ちは黒目がちな瞳に紅をさした小さな口もと、
  ほっそりとした艶やかな首筋はなで肩のたおやかさに流れ、細い両腕の華奢な手首をした小さな両手にまで及んでいる、
  首もとの貞淑さはなめらかな白磁のような背筋の純潔さとあいまって、ふっくらと綺麗な形に盛り上がったふたつの乳房を、
  品のよい乳暈に瑞々しさを漂わせる愛らしい乳首をつけて際立たせる、胸から腰付きへかけての匂い立つような優美な曲線、
  爪先までしなやかな美しさをかもし出させながら伸びている両脚と可憐な足、そして、女であることの誇りと栄光をあらわす、
  あだっぽく神秘を漂わせる亀裂に割られた尻の艶めかしさ、乳色の柔和な太腿の付け根に夢見るような漆黒の幻を浮かばせ、
  ふっくらとした艶麗な靄の奥深くにある妖美の割れめの生気が撒き散らされている、まさに女性の全裸の匂い立つような色香、
  秀美である日本女性の生まれたままの全裸姿である、しかも、その秀美をさらに際立たせるように麻縄による緊縛がある、
  自然から生まれた植物の繊維を撚り合わせて作られた縄が概念を案出し撚り合わせて作られた思想をもって、
  人間の手によって結び繋がれる、壮麗な美と深遠な哲学が縛って繋がれた日本固有のありよう、
  全世界に類比を見ない、日本独自の思想がここに顕現されているのである、
  おふたりの生まれたままの全裸緊縛姿は、わが民族の表象、民族の栄光と尊厳、
  人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神である、という予定調和実現の表象であるのだ!」
 岩手伊作之助は、まるで、みずからの下腹部の反り上がりを言葉にしたような強固で長い口調でしゃべり終わると、
 背後から支えていた美しい母をさらに来賓へ見せつけるようにして、裸身をせり出させるのだった。
 となりにおっ立っていた綱之助も、大きくうなずきながら、背後から支えていた美しい娘を同じようにせり出させるのだった。
 権田孫兵衛先生の偉大な教えに追従する武士と力士にとって、秋の青空のように晴々とした天高い宣言となっているのだった。
 だが、これ以上はないという賛美や尊敬を示されても、女性の思いというのは、必ずしも<はいそうですか>とはいかない。
 百万の言辞よりも、ただ、<あなたが必要だ>とひとこと言われることの方が納得のいく場合もあるのである。
 ましてや、全裸にさせられて、自由を奪われた縄の緊縛にあるという異常事態だったのである、
 羞恥、屈辱、汚辱,、恥辱、嫌悪、憎悪、不安、恐怖、悲哀、と逆撫でされる感情を総動員されれば、
 どれを四季にあてはめて表現したらよいか、狼狽するばかりのことになるのは当然という状態だったのである。
 せめて、そのなかから羞恥と屈辱と嫌悪を中心に感じているというように、
 ふたりは、来賓へ向けさせられた裸身をよじって悶えさせ、美しい顔立ちを必死になってそむけるようにしているのだった。
 「さあ、始めて頂こうか、作者殿、小夜子殿……
  来賓の方々も、いまかいまかとお待ちかねでござる……」
 岩手伊作之助と綱之助は、相手のか弱い背中を小突くようにして、眼の前へ敷かれた朱色の艶めかしい夜具の上まで歩かせた。
 ふたりは、もう立っていられないというくらいに狼狽していて、夜具の上へくず折れるようにへたり込むと、
 互いに必死になってにじり寄り、ぶるぶると震わせている後ろ手に縛られた裸身を少しでも触れ合わせようとするのだった。
 小夜子は、もう、しくしくと泣き出してしまっている。
 作者も懸命に泣くのをこらえていたが、目尻からしたたるものは隠せなかった。
 「泣いているだけでは、どうにもなることではござらんよ。
  小夜子殿、そんなに哀しいのであれば、母のおっぱいを求めればよかろう、母は慰めてくれようぞ……
  いや、慰められる以上の悦びを与えてくれるはずだ……
  さあ、女の色気を発散させる手始めだ、娘殿よ、母殿の乳房を吸え……」
 岩手伊作之助の言葉を聞くと、母娘は思わず相手の顔を見つめ合い、美しい顔立ちへ朱を撒き散らすと、
 灼熱のものにでも触れたかのようにびくっとなって、身体を離し合うのだった。
 <娘が母の乳房を吸う>、そのまま書けば、別段、特別なことでも、異様なことでも、異常なことでもない。
 ただ、成人した女性同士が行うことであれば、実の親子であっても、風流というには少々度がすぎる感じがする。
 「どうして……どうして、そのようなことを! 私たちは、しなければならないのですか!
  家に、家に返してください、いますぐ!」
 作者は抑え切れず、岩手伊作之助の方をきっとなったまなざしでにらみつけながら、叫ぶのだった。
 岩手伊作之助は中腰の姿勢になると、相手の美しい顔立ちの顎をとらえて無理やり上げさせながら答えた。
 「何をいまさらおっしゃられるのですか、ここまで来た物語の筋立てだと言うのに……
  どうして、あなたは読者をがっかりさせるようなことを言うのです、あなたは作者として、もう失墜した身なのですよ、
  それはわかっているはずだ、だから、そのような身の上になっている、このような整然とした論理の展開はないでしょう。
  権田孫兵衛先生のおっしゃられること、行われることは正しいということです、先生の偉大な慈愛ではないですか。
  せめて、<民族の予定調和の表象>を演じられるだけでも、立つ瀬があることだと思わなくては、ばちが当たりますよ。
  さあ、小夜子殿にその愛らしい乳首を吸わせてあげなさい、淫靡な気分が高まるように存分に吸わせてあげなさい!!」
 顔立ちを上げさせられていた作者は、大粒の涙をあふれ出させながら、そ、そんな、と音にならない言葉で唇を震わせた。
 「さあ、母親が進んで手本を示さなければ、子供だってどうしてよいかわからないでしょう。
  示してあげなさいよ、胸を突き出して!」
 綱之助の方は、身悶えして避けようとする小夜子の緊縛の裸身を無理やり母と向き合わせるようにさせていくのだった。
 作者と小夜子は、たとえ演技だと言われたとしても、そのような行為を人前で行ったら気が違ってしまうのではないか、
 とおびえ切ったまなざしを互いにそらせ合うのだったが、武士と力士に容赦はなかった。
 「どうした、早く致さぬか! 
  子供が母親の乳を吸う、自然極まりない人間の行為ではないか! 早く致せ! 先へ進めんぞ!
  この<女の業>の章だけ飛び抜けて長いものとなってしまったら……
  それは、おぬしたちの煮え切らなさのせいだ! ふがいない女の腐ったような決断のせいだ! 早く致せ!」
 母と娘は、裸身を縮こまらせるようにして、かたくなに拒んでいる様子しか見せなかった。
 岩手伊作之助は刀を持ち出してくると、小夜子のなよやかな肩先を鞘の先で激しく小突いた。
 「いやっ、いやです、そんなこと、そんなことできません!」
 何度小突かれても、小夜子は、大きくかぶりを振りながら、緊縛された裸身を悶えさせて泣きじゃくるだけだった。
 ついに、綱之助がその大きな手で小夜子の美しい顔立ちを左右から押さえて、無理やり相手の胸へ持っていこうとした。
 娘の哀しい泣き声は高まるばかりだったが、どうあっても顔立ちを近づけさせようとはさせなかった。
 母は後ろ手に縛られた裸身を大きく震わせながら、大粒の涙をぼたぼた落として見守るしかなかった。
 やめて、やめてください、お願いです、と哀願したところで、物語の筋立てを変える力がみずからにないことは知れていた。
 全裸というに羞恥に加え、柔肌を圧迫している縄の緊縛の恥辱に導かれる以外には、命を絶つようなことしかなかったのだ。
 だが、それはできない、できない理由があった、生き延びなければならない理由があった……
 母は、思い至ったというように美しい唇を噛み締めると、緊縛の裸身を相手の方へにじり寄らせていくのだった。
 胸縄で上下から挟まれることで突き出させられている綺麗な乳房だったが、それがいま小夜子の鼻先にあるのだった。
 「……小夜子さん、吸ってください、お願いです……」
 あらがうことをやめて、思わずまなざしを上げて相手を見やった小夜子だった。
 「お母様……」
 作者は、母親らしい慈愛をこめた表情を浮かべながら、優しく相手を見返して言うのだった。
 「お願いです、小夜子さん、何も言わずに、吸って、お願い……
  これよりほかに、最後まで行き着く手立てはないのです……お願い……」
 小夜子は、泣きはらした両眼にさらに涙を浮かべながら、答えていた。
 「ごめんなさい、本当にごめんなさい、お母様……悪いのは私です……
  小夜子の身勝手で気まぐれで思い上がった空想がこのような展開を生んでしまったのです……」
 母は、緊縛された乳房を突き出すようにしながら、毅然とした表情になって叫んでいた。
 「いいえ、そのようなことはありません、私が至らなかったために、わけのわからない展開となってしまったことです……
  詫びなければならないのは、私の方です……あなたは、私が生んだ最愛の子です、あなたならできることです……
  さあ、ぐずぐずしていないで、私の乳房を吸って!」
 「お母様!」
 小夜子は、緊縛された裸身をもどかし気に動かしながら、綺麗な形の唇を愛らしく立っている相手の乳首へと寄せていった。
 唇が乳首へ触れた瞬間、母と娘は、ともにびくっと裸身をうごめかせたが、それ以上ことが進まなかった。
 「それでは、触れたという表現にしかならないであろうが……赤子だって、もっと上手に含むぞ……
  女が女の乳房を吸うというのは、ただ口に含むということではない、口に含んだ乳首を吸い上げ、舌先でこねまわし転がし、
  時には歯を立てて、淫靡な気分が高まるように責め立てていくということだ!
  小夜子殿、行って頂こう……母殿の官能がどのように煽り立てられるかは、あなたの責め具合ひとつによるのだ!」
 岩手伊作之助は、相手をけしかけるように、緊縛の裸身の縄尻を鞭打つように揺さぶった。
 小夜子は、艶やかな日本髪を揺らせてかぶりを大きく振ると、意を決したように小さな赤い唇を開きながら、
 愛らしく立っている母の薄紅色の乳首を口へ含んでいくのだった。(
☆原注


   
原注) 実は、小夜子が明美夫人と女同士の濡れ場を行った経験は<女の木馬>の章にあることは事実であるのだから、
   たとえ、それが闖入者に邪魔されて中断されたことであったとしても、彼女にその志向がないとは言えないことだった。
   だが、それも、そのような状況を作り出すことに協力した作者あってのことであったのだから、
   いま、彼女が対面していることは、展開の正当性を証明できるものである。
   何の正当性であるかと言えば、<女の芳香>の章において<
☆或るマゾヒストの身上書>なるものが示された。
   そのなかで、小夜子は<牝鹿のたわむれ>と称される女同士の性愛を十二歳のときに体験し、
   それが彼女のレズビアンでありマゾヒストであるありようを決定付けたと心理分析されていることによる論理性である。
   しかし、人間のすべての性的傾向は属性ではなく、表現と形態であるとの認識を通過してしまった以上、
   そうした論理性も荒唐無稽と化する、思想の再構築が行われるためには、物語は続行されなければならない所以である。


 小夜子は、含んだ甘美なしこりをおびた乳首を、ぬめった舌先で優しく転がしたり強くこねまわしたりし始めた。
 丁寧で思いやりのある娘の熱心な舌先の愛撫に、母はいつしか息遣いを荒いものとさせて、
 煽り立てられる官能をあらわにして見せるようになっていくのだった。
 「……ああっ、ああっ、いいわ、いいわ……
  小夜子さん、舌でこねらせているだけではだめ……吸って、吸ってちょうだい……」
 子供が母親におねだりするような甘えた口調で、母は娘へ訴えかけるのだった。
 作者にとっても、すでに全裸にさせられ縄を掛けられたときから、
 肉体を圧迫している縄の拘束感が思いとは無関係なほどに上気させていくものとしてあった。
 乳房を突き出させられる胸縄を施されたことは、そこを責められれば、官能は一気に煽り立てられることを準備させていたのだ。
 母親が娘に対して、恥も外聞もなく性愛表現のおねだりをするのは、確かに、はしたない行いであるに違いないだろうが、
 官能に火をつけられ、掻き立てられ、煽り立てられていけばいくほど、
 妻の意識はとうに薄れ、母である意識もやがて擾乱させられ、女であることの意識だけが如実なものとなってくるのであった。
 その女であることの意識は、女であることの存在証明を貪欲に求めさせていた、女の性のオーガズムへの到達である。
 オーガズムの整合性の前では、だれから何と言われようと、どのように思われようと、意味は結ばれないという自尊があった。
 煽り立てられる快感が行き着かせる場所こそ、固有に自己実現の行われる絶対性であると勢いづけられていたからである。
 母に求められるままに、小夜子は乳首を吸い上げた、思いっきり強く吸い上げた。
 「ああっ〜」
 美しい顔立ちを悩ましそうに歪める母から、甘美な声音がもれたそのときだった。
 乳首の先端から温かい液状のものが放出され、それが小夜子の舌の上へみるみる広がった。
 娘は驚いて、思わず唇を乳房から離すのだった。
 眼の前には、白濁としたしずくを浮かばせている薄紅色の乳首が立っているのだった。
 「お母様……」
 娘の大きな黒目がちの両眼は、さらに大きく見開いて見つめるばかりだった。
 「ほおう、作者殿は妊娠なされておられたのか……
  やはり、その美しい裸体からは独特の色気がにじんでいるとは感じていたが……」
 そばで仁王立ちになりながら、ふたりの愛欲表現を眺めていた岩手伊作之助と綱之助は、
 のぞき込むようにその箇所へ顔を近づけて、感嘆の溜め息をもらした。
 作者は、まるで恥じらう乙女のように顔立ちを真っ赤にさせて俯くと、ささやくような小声になって告白するのだった。
 「……<あの方>から懐妊を頂いたことです……
  新しい思想を私は身ごもっているのです……
  ですから、絶対に……絶対に最後まで行き着かねばならないのです……」
 生まれたままの全裸を縄で緊縛された女には、
 妊娠という聖なる奇跡を矜持するそこはかとない色香が満ちあふれているのだった。
 「なるほど、さすがに、権田孫兵衛先生は鋭い眼識のあるお方だ。
  新しい思想を身ごもっている女性を率先して、<民族の予定調和の表象>となされるのだから……
  では、美しい母殿、今度はあなたに娘殿の乳房を吸って頂くことにしよう。
  小夜子殿のふたつの乳首もずいぶんと突っ立ってしまっているようではないか……」
 内実を暴露されてしまった作者は、他人の思想へ盲目的に追従する者のように素直さをあらわすしかなかった、
 言われるがままのことをためらわずに行おうとするのだった。
 「小夜子さん、しゃがみ込んだそのような姿勢ではお辛いでしょう、夜具の上へ横になってください……
  あなたにして頂いて高ぶらされた私の官能に負けないくらいのものを、私はあなたにして差し上げます……」
 母は、うっすらと笑みさえ浮かべた表情で、母であり、女であるところの自尊心を精一杯示しているのだった。
 「お母様……」
 娘の方も、唇をすぼませて微笑み、言われるとおりに夜具の上へ横たわろうとしたが、後ろ手に縛られた身では難しかった。
 岩手伊作之助と綱之助が気を利かせ、両側から裸身を支えるようにして仰向けに寝かせていくのであった。
 作者の身体も、左右から抱きかかえられるようにされ、娘のわきへ添い寝をするように近づけさせられていった。
 母は、緊縛の裸身をさらににじり寄らせると、鼻先に迫っている相手の乳房へ顔を埋め一気に頬張っていくのだった。
 「ああっ、ああっ」
 桃色の乳首へ歯を立てられるようにされた小夜子の美しい唇からは、思わず切なそうなやるせない声音がもれる。
 母の口は頬張っている乳首を舌先で激しくうねりくねりさせると、さっと引き離され、
 今度は長く伸ばさせた舌先を乳暈へ触れさせ、ぐるぐると輪を描きながら乳首の先端の方へとせり上げさせている、
 そして、桃色の可憐な乳首は、力いっぱい吸われるのだった。
 「ああっ、ああっ、いいっ、いいっ、いいわ……お母様、素敵……」
 小夜子は、念願であったかもしれなかったことに、やっとめぐり合えたような喜ばしさで、
 うっとりとなった表情を浮かべているばかりであった。
 尖っているほど立ち上がってしまったふたつの桃色に輝く乳首であったが、
 唾液でぬめるほど愛撫された光沢をあらわにしてはいたが、だれの眼にも、乳をにじませている様子は確認されなかった。
 岩手伊作之助と綱之助も眼を皿のようにして見つめ、確認しなければならないことだった。
 小夜子を孕ませる相手は、すでに準備されていることだった、彼女は処女ではなくても、妊婦であってはならなかった。
 孕ませる者がだれか、それは、武士も力士も知らされていないことであったが、知る必要のないことでもあった。
 当然、失墜した作者に主人公の大団円など案出する力はない、母は、みずからの胎児を守ることで精一杯だったのだ。
 「乳房を吸い合っているだけでは、もう、物足りないというありさまのようであるな……
  では、改めて、女同士としての懇意で親密で愛情を示す挨拶を行ってもらうことにしよう……」
 岩手伊作之助は、薄笑いを浮かべながらそのように申し渡すと、綱之助の方へ目配せした。
 だが、母は、夢中な舌先の愛撫に興奮を示すように艶めかしい尻を拠り所のないようにうごめかせ、
 娘は、高ぶらされる官能に閉じ合わせている美しい両脚をくねらせるように悶えさせているばかりで、
 岩手伊作之助の言ったことなど、まるで聞こえていないという様子だった。
 武士と力士は、呆れたという顔を見合わせて苦笑すると、ふたり掛かりで作者の緊縛の裸身をおもむろに抱きかかえ、
 胸の位置から顔立ちと顔立ちが相対する位置まで運んでいくのであった。
 年上の女は、うっとりとなった美しい表情を浮かべている年下の女をまじまじと見させられた。
 女同士で行っていたと思っていたことが一挙に母と娘の事柄に成り変わるのだった。
 それは、年下の女にも同様に起ったことだった。
 「如何致したのだ……
  ただ、見つめ合っているだけでは、冷めていくぞ、萎えていくぞ、せっかくかもし出させた色気が……
  お互いを高め合う女同士がお互いの美しい顔を前にしたら、行うことはひとつであろう……
  礼儀をあらわして挨拶せねばなるまい、美しい唇と唇を重ね合わせて、お互いを賞賛し合うということではないか……
  行儀作法を心得ているという品性がおありでござるのなら、さっさと始められよ……」
 母には、確かに言われるとおり、相手が清楚で美しい顔立ちをしていると実感できることであった、
 このような美しく可憐なものをだれにも奪われたくないという愛情の感じられることだった。
 それもそのはずで、作者と作者の創造した主人公の関係は、切っても切れない愛の絆で結ばれているものだ。
 だが、母と子という親子の関係である以上、いつかは子離れし、いつかは子供は自立していくものであるに違いなかった。
 この場合は、母と娘という間柄であるばかりでなく、女性と女性という間柄で、ふたりは結び付けられるものになるのだった。
 その場合、もし、お互いが生まれたままの全裸であるという姿態にあるだけのことだったら、どうなのだろう。
 <女同士で愛欲を行う>という尋常でない行為は、ただ、嫌悪や拒絶を感じるようなことになるではないのだろうか。
 しかし、麻縄で後ろ手に縛られ胸縄を掛けられた姿態であることが、身動きの自由を奪っていることであるにも関わらず、
 柔肌を通して伝わる縄の圧迫感による拘束が掻き立て煽り立てる意識は、解放される官能というものを感じさせるものであった。
 普通であれば想像もつかないような事柄が概念的思考の上で、見事に縛って繋がれるように見える事柄としてあるのだった。
 年上の女は、相手が美しい女であるといういとおしさから、相手の綺麗な唇へみずからの唇を寄せていくことができた。
 年下の女も、寄せられた唇へためらうことなく吸いついていくことができたのは、縄の緊縛に目覚めさせられてのことだったのだ。
 実の母と娘が一糸もまとわない生まれたままの全裸を麻縄で縛り上げられて、女同士の愛欲を行っている。
 レズビアンであるとか、マゾヒストであるとかの定義がなかったならば、ただ、屈辱的で恥ずかしい光景であったかもしれない。
 人間の属性としてある性的傾向がそのようにさせているのだと定義されれば、人間であれば、仕方のない性的行為であるのだ。
 いや、そうではない、ふたりは、精一杯の愛欲<表現>へ没頭できるように、気持ちをひとつにしただけのことである。
 互いに共通する目的である、女としての性のオーガズムへ到達するために、表現しなければならないことを表現しているのだ。
 縄の緊縛はそのように開示しているのだ。
 年上の女と年下の女の美しい唇は、ぴったりと重なり合った。
 重ね合わせた唇の感触へ集中するように、ともに固く両眼を閉じ合わせ、
 艶やかに整った日本髪の後れ毛を上気した頬へもつらせながら、柔らかな唇を撫でさするように右へ左へとこすり合わせている。
 さらに、ふたりは、高まる官能の胸騒ぎに、なよやかな雪白の肩先を震わせながら、
 縄で突き出すようにされた互いの乳房と乳房、乳首と乳首をこすり合わることを始めるのだった。
 女同士で唇を重ね合わせ身体を密着させることが、このように甘くとろけるような美しい胸騒ぎを煽り立てるものであったとは。
 それは、やがて、痺れるくらいの切なさできゅっと胸を締めつけてくるものへと変わり、
 抑え切れなくなった思いは、開き加減となった相手の唇の間へ、尖らせた舌先をもぐり込ませることをさせるのだった。
 ねっとりとした甘い舌先が口中へ入ってくると、女の芯から伝えられてくるような強烈な痺れを意識させられ、
 する方はどんどんと勢いに乗っていき、される方はただされるがままになっていくだけだった。
 うっとりとしたまなざしでうっすらとまぶたを開きながら、飽きることなく、舌先をうねらせたり、くねらせたり、からませたりしている。
 吸われるようにされる頃には、強烈な痺れに翻弄されつつも、負けまいと相手の舌先を吸い返すようなことをするのだった。
 それは、熱烈な愛撫にますます油を注ぐようなものとなり、喘ぐような熱っぽい鼻息は激しくなるばかりだった。
 相手の気分の高まりは妖美な誘惑を示すばかりのことで、激しい息遣いを示すようになりながらも、
 みずからの尖らせた舌先を相手の口中へもぐり込ませ、指導権を奪い合うような濃厚なくちづけが繰り返されるのだった。
 ふたりには、もはや、相手が母であり娘であること、作者とその創造した主人公であること、そのような意識は解体していた。
 女として女に対している、それが構築されている最も自然な意識として感じられることであった。
 我を忘れて相手に没頭している愛欲行為だった……美しい表現であるが、みずからはみずからを意識するのである、
 みずからがみずからに納得のいく表現を行わない限り、忘れられない我は、ただしらけていくばかりのことになる。
 そばで下腹部をおっ立たせながら眺めていた岩手伊作之助と綱之助も、ふたりの余りの熱心さには感心するばかりだった。
 「初めて行う愛欲とは、到底思えない……
  <民族の予定調和の表象>となるのは女でなくてはならない、それは、女の秘める底知れぬ力のゆえだ……」
 岩手伊作之助は、茫然となった面持ちで、権田孫兵衛の教えを思わず復唱しているのだった。
 <民族の予定調和>の思想がどれほどのものであるか、そのようなことなどまったく関係ありませんといった大胆さで、
 ふたりの女は、縄で突き出させられた乳房と乳房をくびれるばかりに押しつけ合って、貪欲に舌を吸い合っているだけだった。
 「だが、やはり、ふたりにしては、初めての愛欲行為に違いないでござる、言われたことしかできないでいる……
  いじらしいかぎりであるが、ここは、拙者たちの出番であろう……
  さあ、母殿、もっと腰のあたりを相手へ密着させて、このようにして揺さぶっていくとよいのだ……」
 岩手伊作之助は、年上の女の艶めかしいむっちりとした白い尻へ両手を置くと、押しつけて左右へ揺らせて見せるのだった。
 「ああっ、ああん……」
 年下の女の口から思わず悩ましい声音が上がると、女の尻は男の手など邪魔くさいとばかりに振り切って、
 優美な腰付きをみずからうねらせ、尻を悩ましくのたうたせるように揺さぶっていくのだった。
 「ああっ、ああっ、ああん」
 女の下腹部のふっくらと盛り上がった小丘が割れめのあたりでこすり合わされ、
 ふたりは、抑えても抑えきれないやるせなさそうな甘美な声音を上げ始める。
 ああっ、ああん、ああっ、ああん……
 年下の女は、突き上げられる快感に、喘ぐように美しい唇を突き出して相手の甘い舌先を懸命に求めるが、
 年上の女は、込み上がってくる快感に、美しい日本髪を振り乱すようにうごめかせるだけで、燃え上がっているばかりであった。
 だが、後ろ手に緊縛された身の上では、互いに横臥させた姿勢で下腹部をこすり合わせるといっても、明らかな限度があった。
 ふたりの女にとっては、それだけのことを行っているというのでは、もはや、我慢のできない状態が作られていたのだった。
 「よし、それでは、今度はこのような体勢になって頂こう……
  綱之助、宜しく頼む……」
 添い寝から覆い被さるような姿勢にさえなっていた年上の女のなよやかな肩へ手を掛けると、
 岩手伊作之助は、無理やり引き離すように身体を起こさせた。
 間髪入れずに、綱之助がしなやかに伸びた優美な両脚を抱きかかえ、上半身を岩手伊作之助に抱きかかえられ、
 浮き上がらせられた裸身は一気に反転させられて、横臥している女の上へうつ伏せに乗せ上げられていくのであった。
 「小夜子殿、仰向けに横たわってくだされ、愛しい母上がいま参るでござる」
 小夜子は、言われるがままに、優美な全裸の緊縛姿を言葉どおりの体勢にしていくのだった。
 母の眼の前には、娘の艶やかな漆黒の和毛が間近に迫っていた。
 娘の眼の前には、母のそこはかとなくあだっぽい漆黒のふくらみが間近に迫っていた。
 ふたりの女は、如実な現実を眼の前にさせられると、
 思わず、相手のあからさまな箇所から美しい顔立ちをそむけさせたのであったが、
 その仕草は、ふたりの男の哄笑を誘うようなものでしかなかった。
 「は、は、は、は、は、何を嫌がっておられる……わけがわからん。
  おふたりとも立派な成人であろう、男性を知らないわけでもないはずだ……
  それだけ仲良くお互いの乳房を吸い合い、唇を重ねて舌を吸い合い、まだ満足に至らないというのであれば、
  当然の行為ではないのか……
  さあ、燃え上がっている官能であろう、ためらえば、消え失せていってしまうぞ……
  望んでいることならば、望むとおりに行えばよいことだ……」
 薄笑いを浮かべている岩手伊作之助の顔付きも、美しい女たちに見せられている愛欲行為のためにかなり上気していた。
 できれば、代わって拙者が行ってしんぜよう、と言い添えたいほどであったのは、綱之助の方も同様であったに違いないが、
 職務として行わされている以上、望んでいるからといって、望むとおりには行えないことだった。
 それでも、ふたりの女は、凍りついたようにじっとなったままだった。
 「……お母様、小夜子はかまいませんことよ……
  お母様とは、このようなことになる運命だったのかもしれません……
  それは、哀れで、残酷で、悲劇的なことかもしれません……
  女という尊厳が凋落していく悲劇……女という官能が剥き出しとなって淫心を生ませる妖美のありよう……
  男性の作者によってのみ作られてきた色の世界……そのようなものであるのかもしれません……
  けれど、お母様も女、小夜子も女なのです……
  小夜子は、いつかは、自立して行かなければならない身なのです……
  いつまでも、お母様に甘えてばかりいてはいけないことなのです……
  私は、望むままに致します…… 
  私は私であることを、お母様も認めてください」
 突然の娘のきっぱりとした宣言だった。
 「小夜子さん……」
 言葉の意味を噛み締める猶予もなく、母は、下腹部へ伸びてくる柔らかな舌先を意識させられるのだった。
 「お母様、私の方へもっと腰を寄せて、両脚を開くようにして……」
 小夜子の口調は、まるで、命じているように鮮明だった。
 「こっ、こうですの……」
 頼もしいくらいの娘の言葉に添おうと母は思うのだったが、しなやかな両脚は羞恥の震えをあらわすだけのものであった。
 「お母様、恥ずかしがっていても仕方のないことです……
  行わなければ、この方たちから無理やりされるだけです……
  それでは、そうあるものだと思わされてきた、これまでのサディズム・マゾヒズムの<表現>と変わらないことです。
  それは、そのように望む方たちが望むようにした<表現>であって……私はいやです……
  そのようなことでは、もう、納得ができません。
  たとえ、縛られて身動きの自由を奪われているという身の上でも、私は、私の望むままに行いたい。
  縄による緊縛に晒されている裸身がそのように導くのです、仕方のないことです。
  官能の極みへ到達したいと願うならば、みずからの意志で行き着くことが人間の自然であるはずです。
  昇りつめましょう、小夜子と……一緒にそこへ行き着きましょう、お母様……
  さあ、行いやすいように、もっと大きく両脚を開いて……こうして、私がするように」
 小夜子は、ぴっちりと閉ざしていたなよやかな白い太腿を大きく割り開いて、艶やかな漆黒の和毛をあらわにさせるのだった。
 夢見るような黒い輝きの幻が浮かび上がり、ふっくらとした艶麗な靄の奥深くにある妖美の割れめの生気が撒き散らされていた。
 母は、みずからの股間の箇所も、相手はそのように見てくれるものだろうか、拙劣な表現力では失望させるのではないか、
 こみ上げてくる不安を感じながらも、言われるがままに、むっちりとした美麗な太腿を震わせながら、
 そこはかとなくあだっぽい漆黒のふくらみをあからさまとさせていくのであった。
 「ああっ」
 小夜子の尖らせた甘い舌先は、いきなり、柔らかな漆黒のふくらみを掻き分けるようにしてもぐり込んできた。
 思わず声を上げてしまった母だったが、されるがままになっていると、もぐり込まされた舌先が勢いを得たようにうねりくねりされ、
 割れめを押し開かれるようにされながら、どんどんと快感を煽り立てられるようにされていくのであった。
 「ああっ、ああっ」
 ひとり上げている悩ましいうめき声は、とてつもなく羞恥を感じさせるものに意識されるのだった。
 それを押し殺すには、みずからも、されていることと同様の愛撫で相手に負けまいとするほかないことだった。
 母の美しい顔立ちは、埋められるような激しさで、小夜子の股間めがけて押し付けられていった。
 ふたりの女の行為をそばで仁王立ちになって見守る岩手伊作之助と綱之助には、
 みずからの込み上がってくる官能を抑えながら、ただ、凝視することを続けるしかないことであった。
 小夜子と母は、全裸の匂い立つような色香を放つ女を存分に発揮しているのだった。
 しかも、その哲学の第二原理――第一原理は、性のオーガズムによる整合性の認識であるから、当然ながら、
 第二原理となることである――とさえ規定したい蠱惑の全裸の女性の姿態には、縄による緊縛が施されているのである。
 後ろ手に縛られ乳房を突き出させられる胸縄のありようは、艶めかしい乳色をした裸身の悩める官能的な身悶えにあっては、
 自然が人間の自然を最大限に妖美とさせる、麻縄の妖艶な化粧のように映し出されて見えるものであっても、不思議はなかった。
 ……いや、そのように見えるのは、そのように描写する作者が<そのように望んでいる>から、そう見えるだけのことでないの?
    サディズム・マゾヒズムによる表現であれば、もっと淫猥にもできることじゃないか、そうでしょう?
    おっしゃるとおり、
    望むままの<志向>と自己を含めた他者へ伝達する<表現>とそのあらわれである<形態>によれば、
    表現の可能はひとつではありません。
    性的傾向をあたかも人間の<属性>のように、第一原理のようにして定めているために、
    同じような表現が持ちまわりで行われていくだけのことにしかならないということです。
    表現の可能は、人間の数と同数にあるものです。
    ましてや、出自の同様な人類であっても、民族の形成は、それぞれが固有のものを持っているのです。
    <志向>と<表現>と<形態>が赤であることを優勢な概念とされているからといって、
    どうして、全部が赤でなくてはならないのでしょうか、実証とはだれもが同じ事実を認めることではないのでしょうか。
    従って、ここはひとつ、このように描写する私、冴内谷津雄の顔を立てて頂きたい、男の立つ瀬でございます……
 愛欲に没頭するふたりの女にとっては、作者と一般読者の問答など、まるで大気圏外の話という勢いであった。
 いや、下降させる重力を振り切って飛翔しようとする、大気圏外まで昇りつめようとする上昇力であった。
 母は、尖らせた舌先をうねうねとさせながら相手の割れめを押し開いて、いち早く、愛らしい敏感な突起へ触れようとしていた。
 「ああっん、お母様……だめっ、だめ……」
 小夜子は、言葉とは裏腹に、優美で悩ましい腰付きをせり出させるようにして、鋭敏な箇所をみずから押し付けていくのだった。
 母は、鼻先をふっくらとした艶麗な漆黒の靄のなかへ埋め、ぬめった舌先を最大限に伸ばさせて、
 立ち上がっている可憐な小突起をいじらしいほどの丹念さで、舐め上げ、舐め下げ、うねらせ、こねらせて、
 しこりを確かなものとさせていくのであった。
 「ああっ、ああっ、もうっ、もうっ、だめっ、だめっ」
 小夜子は、下腹部から突き上がってくる波打つ快感にされるがままになってしまうだけで、切なく甘い声音を張り上げるばかり、
 それが日本間造りの部屋全体へ響き渡るくらいに大きなよがり声だと意識させられると、たまらなく羞恥が込み上げてくる。
 「お母様、お母様、私だって、私だって、負けませんわ」
 年下の女はそのように叫ぶと、鼻先にちらついている、そこはかとなくあだっぽい漆黒のふくらみの奥に開いている花びらへ、
 むしゃぶりついていくように伸ばさせた舌先を向けるのだった。
 「ああっ、ああっ、小夜子さん、ああっん」
 幾重にも折りたたまれた花びらが舌先でこじ開けられるようにされると、すでにふくらみを帯びていた箇所からは、
 どろっと女の蜜がにじみ出てくる……執拗な舌先はそれを掬うと、可憐な真珠の輝きをした鋭敏さへ塗りたくっていくのだった。
 母の艶めかしい白い尻がぶるっと震え、大きく開かせていたしなやかで美しい両脚がやるせなく悶え始めた。
 このまま、花びらと小突起の間の往復運動を続けられていったら、一気に押し上げられて、昇りつめてしまうのではないか、
 と感じられたことだった、娘……いや、相手の女性の巧みな舌先の愛撫には、感心させられるばかりであったのだ、
 だが、先に行ってしまっては、年上の女としての立つ瀬が示せないというふがいなさが残るばかりだ、それは納得できない。
 母の舌先も、小夜子の愛撫を真似たことが繰り返され始めたのだった。
 「ああん、ああん」
 優美な腰付きを悶えさせながら、小夜子が声を上げれば上げるだけ、熱烈な舌先の愛撫となって相手へお返しされる。
 「ああっん、ああっん」
 艶めかしい尻をくねらせながら、母が声を上げれば上げるだけ、執拗な舌先の愛撫となって相手へ返礼が繰り返される。
 綺麗に整っていた日本髪も、いまや、黒く妖しい美しさを漂わせるおどろな乱れ髪となり、
 ふたりは、悩めるうわ言のような声音で、お母様、お母様、小夜子さん、小夜子さん、と相手を呼び合いながら、
 昇りつめようとする階段を手と手を取り合いながら、互いに懸命に引き上げ合いながら、向かっているのであった。
 生まれたままの全裸を縄で縛り上げられた艶麗な姿態の女がふたり、互いの股間へ美しい顔を埋め合って、
 やるせなく、切なく、悩ましく、汗で光らせた乳色のねっとりとした優美な腰付きを、艶めかしい尻を、美麗な両脚を悶えさせている。
 おっ立たせ続けるふたりの男も、絶頂を極めるのは、もはや、時間の問題だ、と思いを込めて見つめていたときだった。
 突然、相手の股間から顔立ちを離した小夜子がこちらを向いて、言い放ったのだ。
 「岩手伊作之助さん? それとも、岩手伊作さん? 
  そんなこと、もう、どちらでもよいことですわね。
  準備なされているのでしょう、持っていらしゃったら? ここへ」
 びっくりして顔を見合わせる岩手伊作之助と綱之助だった。
 清楚で美しい小夜子の顔立ちは、汗と唾液と女の蜜の入り混じった妖しい光沢でてらてらと光り、
 そのぎらぎらと奥深い輝きをあらわす大きな黒い両眼は、相手に否を言わさせない迫力が感じられるものだったのだ。
 「もっ、持ってくるって、なっ、何を……」
 岩手伊作之助は、薄笑いを浮かべたつもりでいたが引きつっていた、声音までもがどぎまぎとしていた。
 「そんな、つれないことをおっしゃらないで。
  女同士が高め合って、あと一息のところであるならば、必要なものは決まっているでしょう?
  それを女の私に言わせるのですか、無粋ですわねえ、あなたや綱之助さんの立派なものを模造したものですよ。
  どうぞ、持っていらっしゃって。
  ぐずぐずなさっていると、冷めていきますわよ、萎えていきますわよ、せっかく燃え上がらせた私たちの官能が!」
 小夜子は、妖艶な微笑みを美しい顔立ちに浮かべると、あだっぽいまなざしを鋭利に光らせるのだった。
 岩手伊作之助は、明らかにたじろいでいた、
 美しい女たちの妖美な愛欲に魅了されていた思いがあっただけに、弱気でさえあった。
 「で、では、お、おふたりには、つ、繋がって頂くことに……」 
 しどろもどろの岩手伊作之助に、しっかりしろ、と肩を叩いた綱之助の方は、まだしゃんとしているようであった。
 ふたりの女を繋ぎ合わせる双頭の陰茎を模造した張形は、言われるまでもなく、準備されていたのであった。
 綱之助は、それを持ち出してくると、無骨な顔付きに薄笑いを浮かべながら、見せしめるようにするのだった……
 
江戸時代のわが国において、天然及び合成ゴムを原材料とした製品は製造されていなかったから、現在、<☆このように>
 一般的に使用されている、一本の長い張形の両端に太い亀頭のついた柔軟性のある道具というものは存在しなかった。
 一本の木製の両端に亀頭を付けただけの張形は存在したであろうが、はめ込まれた側の体位の柔軟性は失われたはずである。
 <鍔(つば)でつながっている相対張形>なる表現に接したこともあるが、どのようなものか想像しにくいものであった。
 いや、どのようなものであろうと、女の膣へ挿入して、ふたりをともどもによがらせればよいわけであるから、
 ポルノグラフィの文学表現とすれば、実証的なことは大して問題ではないのだろう。
 だが、ここで、綱之助が見せしめるようにしたことには、理由があった。
 その不気味とさえ言える異様な造形を施された張形が権田孫兵衛先生考案製作になるもので、
 特徴はふたつの太くて長い木製の張形を縄を束ねて撚った太綱で繋いでいるという点にあった、
 その太綱によって腰と柔軟性が木製の一本よりも確保されているのであったが、何よりも縄の応用に本質があったのである、
 特許出願は難しいことであっただろうが、一般使用の頻度に耐えるアイデア製品には違いなかったのである……
 「いったい、何をぐずぐずなさっていらしゃるの、早くなさったら」
 小夜子は、見せしめているだけの相手に、我慢し切れないというような上ずった声を投げかけてきた。
 「喜んで、えぐるように奥深く、挿入して差し上げよう……」
 綱之助は、願ってもないことだとばかりに、しゃしゃり出ようとしたときだった。
 「まっ、待ってくれ、小夜子殿は……拙者に、拙者に任せてもらいたい、武士の情けだ、一生の願いだ!」
 岩手伊作之助のまなざしは、熱烈さを漂わせて小夜子の方へ注がれていた。
 そう、忘れもしない、初めて会ったときから、心惹かれていた女性であった……
 奥さん、これからは何があっても……何があっても、耐えてください……
 ぼくは……ぼくだけは、絶対に奥さんのことを思い続けていますから、と告白さえした美しいひとだった。
 その美しいひとの麗しい箇所へ、実物が無理であるならば、せめて似非陰茎を差し入れられることの喜び、
 その一期一会の歓喜を奪われるなら、奪い取る奴は兄弟弟子であろうと何だろうとたたっ切ってやる、と思わせさえしたのだった。
 黒いまわしひとつの筋肉隆々とした無骨な顔付きの力士は、心情を重んじる男だった、大きくうなずくと似非陰茎を差し出した。
 それから、友情厚い綱之助は、小夜子の裸身の上へ覆い被さっている母のなよやかな両肩へ両手を掛けると引き離し、
 その緊縛された裸身を軽々と抱き上げて、小夜子の頭と反対の方角になるように仰臥させていていくのであった。
 つまり、ふたりの女は、ちょうど股間のあたりで交差できるように、正反対に寝かされたということである。
 母は、行われていくことに、あらがいの素振りなど微塵も見せず、おとなしくされるがままの格好になっていくだけだった。
 艶めかしい朱色の夜具の上には、生まれたままの雪白の全裸を麻縄で緊縛された女がふたり、
 艶やかな黒髪をおどろに乱れさせ、美しい顔立ちを吹き出させ浴びせられた汗と唾液と女の蜜で妖しく輝かせながら、
 真っ直ぐ伸ばさせた優美な姿態を待ち切れないとでも言うように、乳首を淫らなくらいに尖らせた綺麗な乳房を揺らせ、
 艶麗な腰付きを悩ましく悶えさせ、閉じ合わせているのが苦痛とばかりに、しなやかで美麗な両脚をもじもじとさせていた。
 その中心は、何と言っても、乳色の脂肪をたたえた柔和な太腿の付け根にあたる女の股間であっただろう。
 少なくとも、尊敬する権田孫兵衛先生考案製作になる張形を握り締めて、その箇所へ近づいた岩手伊作之助にはそうだった。
 しかも、そのふっくらと盛り上がった無限さえ想起させる漆黒の夢幻の靄が匂い立たせる妖美の割れめの生気においては、
 決して引けを取らないと一般的には評価されるだろう母の股間など、まったく眼に入らないといった様子だったのである。
 生まれたままの全裸の匂い立つような色香を漂わせる女性の中心で叫ばれる愛は、ただひとつ、この美しいひとのみだった。
 さらに、男が近づいたのを知ると、小夜子は、やるせなさを漂わせる艶めかしい太腿をみずから開くようにさせたのであるから、
 官能を掻き立てられ、恋心を煽り立てられ、脳溢血を起こすのではないかと思わせるくらいに顔付きを上気させた男が、
 漆黒の恥毛の下にぱっくりと割り開かれて、折り重なる肉の襞をあらわにさせる生々しい割れめに、
 艶麗で妖美な花びらに満ちてむせかえる芳香の立ち昇る神秘な花園を意識したとしても、
 ばっかじゃないの、ひとりよがりで、と思わないで頂きたい、
 ポルノグラフィには滅多見られない純愛の場面だと理解して頂きたい。
 ううん、いじわる、はやくなさって……
 岩手伊作之助を見上げた小夜子の奥深い官能の輝きをあらわす悩まし気なまなざしは、そう告げているようだった。
 男は、震える指先で、靄のように柔らかい漆黒の和毛をそっと掻き分けながら、
 さらに柔らかいのではないかと意識が価値転換させられるような肉の合わせめを押し広げながら、
 真珠の輝きをあらわして立ち上がっている愛らしい小突起のその奥にある芳香漂わせる花びらをさらけ出させた。
 震える男の手は、狙いを定めて張形の太い先端をそこへあてがったが、それだけで、
 悩ましいふくらみを見せていた襞の間からは、どろっとした女の蜜が輝きを帯びて流れ出てきた、
 そのまま押し込むと、ためらいも羞恥もなくあふれ出す蜜に乗せて、柔らかな花びらは亀頭を深く押し包んでいくのであった。
 「ああっ、ああっ、もっと深く、もっと深くにして」
 小夜子の高まる甘美な声音に合わせて、張形を握り締めている岩手伊作之助の手には、奥深い吸引力が伝わってくるのだっだ。
 「小夜子殿、拙者は幸せでござる、あなたとお会いできたこと、一生の思い出と致すでござる!」
 恋する男は、求められるままに、ねじり込むように押し込んでいくのだったが、
 女の芯を突き上げられるように高ぶらされる小夜子は、含んでいくことに夢中で、相手の告白など聞こえていない様子だった。
 だが、聞こえていようがいまいが、叫ばれる愛であるからこそ、その声の大きさに伴ってみずからも納得できることだったのだ。
 権田孫兵衛先生考案製作になる張形の片方が女の穴へしっかりと収まったことは、だれの眼にも明らかなことだった。
 そのあかしのように、小夜子は、途端に寡黙になり、優美な姿態全体を震えるように悶えさえているばかりになっていた。
 岩手伊作之助は、みずからの下腹部も限界へ達している緊張に舞い上げられて、へたり込むような疲労感を示していた。
 「よし、母殿の方は、わしに任せよ」
 綱之助は、同朋の肩をぽんと叩くと、緊縛された美しい裸身を身悶えさせながら待ち続けさせられている女の方へ向かった。
 「お待たせ致した……
  <ご主人様>の思想を懐妊されているお方に、このような所業を果たせるわしは、光栄のかぎりにあるでござる」
 力士は、丁重な言葉と同様に、相手のしなやかで美麗な両脚をつかむと丁寧な仕草で大きく割らせ、
 その股間を小夜子の股間と触れ合うような位置にまで移動させていくのだった。
 ふたりの女は、両脚を開き合ってお互いを跨ぎ合いながら、股間を間近にさせられて仰臥させられたという格好になった……
 性愛の四十八手なるものがあり、そのうちの<第四十二手 松葉くずし>に近い体位であったというモデルを借りれば、
 表現は簡単なのだろうが、厳密には、<松葉くずし>の体位を双方が仰臥して行う体勢にあったから、四十八手にはなかった。
 そもそも、<性愛の四十八手>なるものは、男性と女性の愛欲表現を規定するものとして考えられたのであるから、仕方がない。
 <性愛の四十八手>女性版、或いは、男性版といったものも存在するのだろうが、物語の本筋ではないので研究者に譲る……
 後は、ひとつに繋がるために、もう片方の似非陰茎の亀頭をもう片方の女へ含ませれば、完成ということだった。
 だが、そのときだった。
 それまで、観念したように、おとなしくされるがままになっていた母が叫んだのだ。
 「いやっ、嫌です、お願いです、やめにしてください!」
 恐怖に突き上げられたとでもいうように、美しい顔立ちを引きつらせて、激しく泣きじゃくり始めたのだった。
 「母殿、いい加減にしてください、ここまで来て、そのような駄々をこねられては……
  ただでさえ長くなってしまっているこの<女の業>の章が終わらないではありませんか」
 緊縛された優美な裸身を震わせながら泣きじゃくるばかりの相手に、
 綱之助も手にした似非陰茎をただ握り締めるだけで、呆れかえることしかできなかった。
 「母殿が泣いて見せようがわめいて見せようが、
  母と娘はひとつに繋がって官能の絶頂を極める、という筋立ては変えられないのです。
  それがわしらの職務でもあるわけなのです……わしも惨いことはしたくない、明美奥様のときだって、
  憧れの方を木馬に乗せ上げて責め続けるなんて、わしの本意ではなかった。
  <ご主人様>の思想を身ごもっていらっしゃるという母殿であれば、尚更、残酷な真似などしたくはない、ばちがあたる。
  だが、それがわしの職務だと言われれば、行わざるを得ない、女性に嫌がられるばかりのまったく損な役回りだ。
  これも、無骨な顔付きの男が筋肉隆々とした裸体に下履きひとつという設定ゆえなのか……
  常套陳腐極まりないことだ、このような表現を平気でする作者の阿呆面が見てみたいくらいだ……
  このような次第なのです、どうか、母殿、ご理解頂いて、おとなしく絶頂を極めては頂けませんでしょうか」
 筋肉隆々とした裸体に黒いまわしひとつという無骨な顔付きの男は、相手の泣き顔をのぞき込むようにして頼むのだった。
 だが、涙をあふれ出させたきらきらとしたまなざしをこちらへ向けながら、いや、いやとかぶりを振る女はつれなかった。
 「いやですっ、あなたが何とおっしゃろうと、私は、いやっ、あなたなんか、大嫌い!
  私は、身ごもっているのです、そのような太くて醜くて長くて異様なものを含ませられたら……
  それを思うと、恐ろしいのです、恐ろしくて、恐ろしくて……
  いやっ、いやっ、いやっ、絶対にいやっです!」
 母は、駄々をこねりまくる子供のように、おどろに乱れた艶やかな黒髪を振りながら、
 緊縛された雪白の裸身を右へ左へ揺さぶって、否、否、否を強調し続けるのだった。
 「仕方がないでござる、母殿、許してくだされ」
 割り開かれた白くむっちりとした柔らかな太腿の奥には、まだ、てらてらと輝きを残す女の蜜をのぞくことができた。
 綱之助は、閉じ合わせようと必死になる女のしなやかな両脚を両手で押さえ込むと、
 これ見よがしというくらいに左右へ開かせて、そこはかとなくあだっぽい漆黒の恥毛のふくらみは言うに及ばず、
 可憐で鋭敏な真珠の小粒の立ち上がり、妖美に幾重にも折り重なって息づいている花びらに囲まれた深遠な穴、
 さらには、羞恥のすぼまりを示す菊門まで、あからさまにしてさらけ出させるのだった。
 「きゃっ〜、いやっ、いやっ、いやっ〜、やめて〜」
 母は、緊縛された裸身を身悶えさせて懸命になって逃れようとするが、力士の腕力の前ではどうしようもなかった。
 「いやっ、いやっ、いやっ……」
 あらがう叫び声もいつしか弱まっていき、ついに訪れた沈黙の後は、泣きじゃくる声音となって日本間造りの部屋へ響き渡った。
 「ああ〜ん」
 一段と高い泣き声が上がった。
 男の手にしていた双頭を持った張形のもう片方が強引にあてがわれたのだった。
 だが、男の予想に反して、その箇所はあらがう様子など微塵も見せず、むしろ、再びあふれ出させているきらめく女の蜜で、
 太い亀頭を難なく呑み込み、奥へと押し込む力に合わせては、柔らかな花びらはぐいぐいと押し包んでいくのであった。
 「母殿、いやよ、いやよも、好きのうちでござるか……
  女性というのは、まことに謎めいたものでござる……」
 綱之助は、握り締めている似非陰茎へ伝わってくる息づく吸引力に感心しながら、思わずそのように言うのだった。 
 母には、答え返す余裕などなかった。
 泣きじゃくっていた声音は、今度は、煽り立てられる官能の鳴き声に変わろうとしているのだった。
 「ああっん、ああっん、いやっん、いやっん」
 女の麗しい穴へしっかりと収まったことは、反対側の小夜子の実証と比較することなく、歴然としていることだった。
 だが、学問の基本は、対照・相対・相反・相似・対称の比較にあることは確かであって、
 それが事実であることをあらわすように、それまでおとなしかった小夜子が悩ましい声音を張り上げたのだ。
 「ああ〜ん」
 ふたりの女が体内へ含み込んだ木製の太くて長い陰茎は、ふたりを繋いでいる縄を束ねて撚った太綱を伝わって、
 それぞれの肉体があらわす官能表現をやり取りさせるという双方向性を実現しているのであった。
 撚られた縄という通信ケーブルが互いのデータのアップ・ロードとダウン・ロードを媒体しているということである。
 母が嫌がるように切なく腰付きをうごめかせれば、それは小夜子へ、女の芯を燃え上がらせるような鋭い刺激となって伝わり、
 その快感があらわされるように悩ましく揺さぶられる尻は、母の股間へ、女の芯を焚きつける熱い刺激となって伝わるのだった。
 また、そればかりではなく、縄は、それぞれに与えられた官能の状況に応じて行われる表現に従って、
 性感の相乗効果を高めるという運動も担っていたのであるから、伝達の機能以上の媒体でもあったわけである。
 わが民族の概念的思考の基幹とされている<縛って繋ぐ力>の多種多様なありようのひとつであったと言えることであるが、
 その発揮される力を性のオーガズムへの到達という人間の第一原理と結ばれて、性欲の芯から直接認識させられることは、
 自然の植物繊維を撚って作られた縄は、縛りという行為においては、肉体の緊縛が拘束すると同時に解放するものとしてあり、
 繋ぐという行為においては、快感の絶頂へ昇りつめるためにたぐり寄せていく官能という意識と同一であることをあらわしていた。
 このことは、<色の道>の理解には重要な事柄であったが、
 生まれたままの全裸を縄で縛り上げられて、長くて太い似非陰茎を膣へ奥深くに呑み込まされ、その膣同士を縄で繋がれ、
 みずからの肉体を激しく悶えさせることは、みずからの官能を高ぶらせるのと同様の高ぶりを相手に与える色責めにあっては、
 官能を高ぶらされるということ自体に夢中になっている当事者には、たとえ丁寧に聞かされたことだとしても、
 性行為に水をかけられる理屈であっただろう。
 恋する疲労感でへたり込んでいる岩手伊作之助、もっこりとさせた一物をまわしの端から飛び出さんばかりにさせている綱之助、
 このふたりにとっては、権田孫兵衛先生の偉大なる教えをまのあたりにさせられていることだと思えたに違いないが、
 彼らのぎらぎらしたまなざしからは、美しい女たちが妖美な姿態で愛欲に耽る淫猥に魅了されているだけだとも見受けられた。
 来賓として観覧されている一般読者の方々は如何か。
 「小夜子さん、私だけ先に行くのはいや……
  昇りつめるなら一緒、一緒ですよ」
 やるせなさそうに息遣いを荒くさせながら、母は、美しい顔立ちへ汗の玉を浮かばせて、娘の方へ言葉を投げていた。
 「もちろんです、お母様……
  小夜子ひとり、行かせないで」
 優美な腰付きを悩ましそうにくねらせながら、小夜子は、含み込まされた口からきらめく女の蜜をあふれ出させて、答えていた。
 含み込まされた似非陰茎は、ただの木製の造形物にすぎないものであったが、
 体温のぬくもりを熱く帯びたせいなのか、それとも、体液のぬるみを存分に吸い込んだせいなのか、
 膨張した生身のようなものとして感じられるようになっていた。
 そのあざとい感触は、じっとなったままで受けとめるというには、余りにも意地の悪い異物というものを意識させられるのだった。
 抑えようとしても、淫乱だと思われるくらいに尻がうごめき揺れるほど、腰付きを右へ左へとうねらせないではいられない。
 うねらせれば、それだけ、含み込まされたものへ前後の運動が生まれるから、尚更、うねらせることを求めさせられる。
 うねらせることに伴っては、繋がっている相手の激しい悶えも加わってくるから、悩ましさは狂おしさにまで変わろうとする。
 人間が進化の原動力とさせた両手が使えたら……だが、後ろ手に縛られた上に乳房を突き出させられる胸縄まで施されている。
 上半身の身動きはよじることが精一杯で、官能を突き上げられていくもどかしさは込み上がっていくばかりのことである。
 そして、縄が柔肌を圧迫して伝えてくる熱い拘束感こそが、まるで、愛されている者にしっかりと抱擁されているような切実感で、
 官能のもどかしさを肉体を包み込むような甘美な高揚へと変えさせられていくことで、救済が生まれるのだった。
 ああ〜あ、ああ〜あ、ああ〜あ、ああ〜あ……
 母がもらす悩ましく甘美な声音を小夜子のやるせなくよがる鳴き声が追いかけ、
 それを母のやるせなくよがる鳴き声が追いかけ、さらにそれを小夜子がもらす悩ましく甘美な声音が追いかけ、それを母が。
 日本間造りの部屋へ響き渡る女の恍惚とした泣き声は、<環に結ばれた縄>のように高まっていくのだった。
 ひとつに繋がった股間を中軸にして、互いの雪白のしなやかな両脚をこすり合わせ、絡まり合わせ、もつれ合わせながら、
 含まされている似非陰茎に息づく本物のうごめきを求めるように、貪欲な尻を妖艶なありさまにうねらせ続ける。
 淫乱をあらわす腰付きの動きに合わせては、呑み込まされた似非陰茎が前後へうごめく度に、
 ねっとりとしたきらめきを帯びた女の蜜がとめどもなくあふれ出して、匂い立つ芳香さえ撒き散らされているようだった。
 女は、疲れというものを知らないかのように、いや、それこそが底力であるとでも言わんばかりに、飽くことなく続けていた。
 これが性のオーガズムへ到達することを求めての女の本領発揮ですわ、と言わんばかりに見せつけて。
 「ああ〜ん、ああ〜ん、お母様、もう、行ってもいいですか、行ってもいいですか……
  小夜子、我慢できない!」
 年下の女は、はあ、はあ、と激しく喘ぐようになりながら、半開きとさせた潤むような妖艶なまなざしを浮かべて呼びかける。
 「まっ、待って、もっ、もう少し……お願いだから、もう少し」
 年上の女は、綺麗な唇を震わせながら、激しい息遣いのかすれた声音で応じる。
 「だめっ、だめっ、だめっ、お母様、そんなに揺さぶったら!
  だめっ、小夜子は行ってしまいそう!」
 女の芯から強烈に疼き上がってくる快感に突き上げられて、こらえ切れないという声を張り上げる、小夜子だった。
 母は、娘に追いつこうと必死になって尻を揺さぶったのだが、その激しい情欲がそのまま相手へ伝わってしまうのだった。
 互いに含み込まされた似非陰茎を繋いでいる太綱も、ぶるぶるとした震えをあらわしているくらいだった。
 「こらえて、小夜子さん、こらえて……
  いま、行きます、いま、行きますから、こらえて!」
 女は、抑制を求める相手の言葉などまるで無視して、情念に燃え上がる腰付きを輪を描くくらいに狂おしくうごめかせ続けたのだ。
 こらえさせられている女も、感受させられているばかりではもはや耐え切れなかった、相手と同様の仕草を始めるのだった。
 ……日本間の様式に造られた部屋であった、
    落ち着いたたたずまいの床の間には、端のかけた縄文土器の模造品がひとつ置かれていた、
    その前の畳へ敷かれた朱色の艶めかしい夜具の上で、
    生まれたままの全裸を麻縄で緊縛された雪白の艶麗な姿態がふたつ、
    縄で突き出すようにされたふっくらとした乳房の可憐な乳首を淫らなくらいに立ち上がらせ、
    盛り上がる艶めかしい漆黒の恥毛を汗ばんだ色艶で輝かせながら、優美な腰付きを激しくうごめかせ、
    大きく割り開かれたしなやかで美麗な両脚を置き所がないというようにあちらこちらへと悩ましく悶えさせ、
    ぱっくりと開かれた割れめには、真珠の輝きを放つくらいに尖らせた愛らしい鋭敏な突起をあからさまにのぞかせて、
    幾重にも折りたたまれた花びらの奥深くへと含み込まされた<縛って繋ぐ力>を全力で吸引しているありさまがあった、
    おびただしく流れ出ている互いの女の蜜は、互いを繋いでいる太綱へ伝わって、まじりあってさえいた、
    おどろに崩れた艶やかな黒髪は、上気した頬へまとわりつきながらも、突き上げられる官能の快感に振り乱された、
    互いの顔立ちは、うっとりとなった薄目がちの妖艶なまなざし投げながら、半開きとなった綺麗な唇からは、
    息も絶えていくような切なくやるせない声音、悩める官能の甘美な泣き声、高ぶらされた快感のよがり声がもれ続ける、
    ああ〜あ、ああ〜あ、もうっ、だめっ、もう、だめっ、行ってしまう、行ってしまう……
    ああん、ああん、行く、行く、あっ、あっ、あっ……
    燃え立たせられた官能の絶叫を唱和させながら、後ろ手に緊縛された裸身をびくんと硬直させると、
    ふたりの女は、同時に頂上へと昇りつめていったのだった、
    含み込まされたふたつの似非陰茎までもが放出を果たしたというように、
    女のあらわす甘美の痙攣をびくんびくんと伝えている、
    それに合わせて、女たちを繋がせた太綱も妖しいくらいに生き生きと揺れているのであった……
 見とれるばかりの光景だったが、立ち会っているふたりの男にも職務があった。
 夜具の上へ緊縛された裸身を無造作に放り出されたように仰臥させている、ふたつの女の姿態へ近づいたときだった。
 恍惚をさまよう小夜子のうっとりとなった薄目がちのまなざしが突然大きく開かれたのだ。
 「まだよ……まだ、私たちには触れないで……
  最高の喜びを得たこの官能の意識が宇宙の静寂へ消えてなくなるまで……そっとしておいて……
  ううん、私は、かまいませんことよ……
  あの偏屈爺さんが<色の道>を歩めとおっしゃるなら……
  歩き続けてもかまいませんことよ……
  だから、いまは……
  いまは、まだ、ふたりのときを楽しませて……」
 女は、生まれたままの全裸を縄で緊縛された姿態に甘美な痙攣の余韻をあらわしながら、
 美しすぎるくらいの表情に艶麗な微笑みを浮かべて言い放ったのだった。
 恍惚にのけぞる母である作者は言うに及ばず、日本間造りの部屋の片隅から、股縄を施された緊縛の全裸姿のまま、
 一部始終を眺めさせられていた、礼子、節子、法子、明美夫人と七人目の女性にとっても、
 小夜子の法悦の言葉は、実感のあるものとして感じられることだったのである。
 これが<女の業>と呼ばれたいきさつであった――

 ところで、男性読者のあなたさま、みずからを縛り上げた全裸緊縛の姿態のまま、
 無事、性のオーガズムへ到達なされましたでしょうか?




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