女性の全裸の匂い立つような色香というありさまは、残念ながら、日本女性だけが持つ固有性ではない。 この地球上で最も美しいそのありようは日本女性であると思うのは勝手だが、 厳然とした事実を否定することはできない。 白色だろうと、黒色だろうと、黄色だろうと、人種という差別などまったく意味をなさない照応―― 全裸の女性の匂い立つ色香の前には、黄色だろうと、黒色だろうと、白色だろうと、人種に関わりなく、 陰茎と睾丸を持つ男性なら直截に性的官能を煽り立てられるという、 矛盾のない一致がそこにはあり得るからである。 人類の歴史を見ても、強姦は同じ民族間同士でしか行われることはなかったと立証するものはないし、 ましてや、国家を異にしたり、用いる言語を異にしているから行われなかったということはない。 むしろ、異民族間において、侵略ということが有無を言わさず互いを理解することのできる表現行為であるのと同様に、 行われれば一切の言語を超越して認識できるのものとしてあった。 言い方を換えるならば、侵略と強姦は、右と左、上と下と言うように、不可欠の双方性をあらわすものとしてあり、 これまでに、言語による意思疎通の障害を乗り越えられる世界的表現として用いられてきた方法であった。 喩えるなら、音楽に国境はないというように、性行為に国境はないと立証してきたことだったのである。 構造的に、膣と陰茎が存在すれば、成立する安易さであったのである。 では、もとより、女性の全裸が匂い立つような色香というものをまったくあらわさなかったら、 強姦は人類にとってありえなかったことなのか―― この点については、色香の匂い立たない全裸の女性という<ア ポステリオリ(後験的)>の立証がない以上、 この事柄を人間のありようをあらわす哲学の第一原理とさえ呼んで差し支えないことになる。 しかし、それほどまでに厳然とした事実であることを否定できない事柄であるにも関わらず、 その女体の命題を第一原理として規定することは、 独壇場であるはずのポルノグラフィでさえ公言することをはばかってきたのであるから、 哲学や心理学、生物学や進化学、生態学や解剖学、脳科学においても、公言が行われなくて当然のことなのであろう。 従って、ここにおいても、それを第一原理であるとは規定しない――調子こいて言うのはいいが、 そのようなことを言い出す者は、本人が気がついていないだけで気違いだ、とそしられるのは片腹痛いからである。 何故なら、この第一原理は、次の命題を引き出すのである、すなわち―― 人間が、存在するそのありようにおいて、相反矛盾する認識を所有することになりがちなわけは、 その認識を形成する思考のありようが概念を構成することに基づいていることによる。 概念を構成するのが言語である以上、言語が転変流動する意味を属性として創造されるものであるかぎり、 相反と矛盾は最初から決定づけられたこととしてあるほかないのである。 これを最近わかってきた脳の機能から言えば、 人間の思考そのものがシナプスの火花が絡み合う意識の組み合わせであると言える。 だが、実は、このようなことは、人類の創始以来、わかっていることなのである。 人間の認識において、相反矛盾のない整合性を持っているものは、ただひとつしかないからである。 それは、性のオーガズムである。 性のオーガズムは、発動すれば、相反矛盾なくきっちりと快感と合わされることができるものとしてある。 その快感そのものは、際限がなく味わいたいという円満具足を認識させるほど、 比肩するものを人間の認識上で見つけ出すことができないものとしてある。 目的と結果の因果関係に、歪みや不純なものが一切介入していないのである。 人類は、動物として、最初にこの整合性の認識を得た、そして、そこから概念的思考を出発させたことによって、 人類の創造するものは、すべて、神の概念から始まって科学の概念に至るまで、 その存在理由として、整合性がなくてはならないものと考えるように仕向けられているのである。 もとより、整合性のない概念的思考であるから、その生み出す問いに最終の答えの出るはずもない。 「私たちは誰なのか。どこから来たのか。どこへ向かって行くのだろうか。 私たちが待ちうけているのは何なのか。何が私たちを待ちうけているのだろうか」 このような根本的に重要な問いは、そうした問いを生み出すことに人類の重要さがかかっているのである。 従って、出るはずのない答えは、人知を超越している事柄というものを際限なく拡大させる方向へと向かわせ、 それをさらに、整合性の所以をもって立証するという複雑系の過程を創造していくことを繰り返させるのである。 このようなありようは、少なくとも、地球上においては、人類唯一のことであるから、 それがまるで荒唐無稽のありようだとしても、 人類を否定するのも、肯定するのも、あくまで人類のなかだけでしかあり得ないことになる。 このようなありようとして成立している文明や文化が人類の自慰行為だと言うのは簡単である。 地震や台風や隕石の飛来といった環境の前では、人類は、こともなげに裸姿をさらけ出されてしまうのである。 そして、何が起ころうとも、たとえ、人類が宇宙へと進出していったとしても、唯一の人類であるかぎり、 人間にとって、性のオーガズムが唯一の整合性のある認識である、ということは否定されるものではない。 性のオーガズムを人間から取り除く科学的処置が行われ、すべてが人工受精に成り変り、多くの世代交代を経て、 人類の整合性の認識が無意味化したとき、人類は、初めて、新たな進化を遂げた位置に立つという想像もできるが、 果たして、それほど簡単に性のオーガズムを人類は放棄できるか、疑問である―― とまあ、このようなことをまことしやかに言い出してしまったら、 性のオーガズムの機能には神秘とも言えるエネルギーがあって、 それを取り出すことのできる器械さえ作り出すことが可能である、 とするに至っては、行き着くところは、米国の連邦刑務所になってしまうだろうから、 目下のところ、第一原理として規定することは先の話にして、まずは、全裸の女体に瞠目するにとどめよう。 その全裸の女体とは、言うまでもなく、主人公小夜子の外観である。 読者のなかには、すでに、主人公小夜子よりも、 もっと肉迫して想像することのできる女性に置き換えられている方もいらっしゃるだろうが、 実は、作者も、言語を紡ぎながら、或るとても美しく好感のもてる女優を想像し続けている次第である。 と言うのも、ポルノグラフィで主役を張るには、美貌と優美な姿態において充分なものがあったが、 どうも、この小夜子という女性、気まぐれというか、わかりにくいところがあって、やりにくいと感じているのである。 だが、「だれかれに気を遣うこともなく、勝手気ままに空想に耽ることが掛け替えのない現実なのですから」 と言って開始されてしまったことである、 とにかく、結末までは何とかこぎつけないことには、作者としても立つ瀬がない。 そこで、いまを絶好の機会だと考えた―― 先に、自宅で着物に着替えるために彼女が全裸になったとき、 読者の方と一緒になって初縄を掛けて楽しもうと思ったことをいまここで実行しよう―― いかがでしょうか、この提案。 …………… …………… …………… お返事の聞こえないところをみると、なかなか品を重んじる方でいらっしゃるようですね。 では、私が先手を切って行いますから、具合がよろしければ、後からお出で下さい。 さて、静寂と沈黙が無情にも支配する部屋へ、置き去りにされたままになっていた小夜子は、 床へ片膝をついた姿勢の生まれたままの裸姿を縮こまらせながら、めそめそと泣き続けているばかりであった。 思いは、依然として、<どうして、このようなことになってしまったのだろう>と繰り返すだけだった。 「どうして、このようなことになってしまったのだろう、ですって? そのような問いの答え、簡単ですよ、奥さん…… <☆女体緊縛の必然性>、この麻縄が答えてくれますよ」 突然の男の声に、びっくりした小夜子は、優しい撫で肩越しに振り返るのであった。 目鼻立ちの整ったその顔立ちは、実際に見ると、確かに愛くるしいと言ってよいほどの美貌であった。 その美貌は、男の手にしているものを知った瞬間、つぶらな両眼をさらに大きく見開くのだった。 「何をなさるというの……いやっ、縛られたくなんかありません! あなたは、だれ、いったいだれなの…… どうやって、鍵のかかっているこの部屋へ入ってきたんです……」 麻縄の束を見せつけながら近づいてくる男に、小夜子は、ほっそりとした両腕で胸のあたりを覆い隠し、 悩ましい感じの太腿を強力接着剤でもつけたようにぴっちりと閉ざしながら、叫んでいるのだった。 男は、相手の抵抗するような態度などお構いなしとばかりに、勇んで間近まで近づいていった。 「いやっ、いやです……ひとを呼びますよ! そのように平然と行おうとして、あなたはひとに見られているということをご存知なの! 私を勝手にしようなどと、あの方が黙ってお許しになると思っているの!!」 男は、全裸へ初縄を掛けるという初志貫徹のみが頭にあるだけで、 相手のたわごとなど耳に入るかとばかりに首を振って、 まずは、華奢な両手首を背中へまわさせて、後ろ手に縛ることから始めようと思い募らせているだけだった。 ふたつのふっくらとした乳房を隠している白い腕をひっぺがそうと、男が手を伸ばしたときだった。 部屋の鍵ががちゃりと開けられ、扉がばたんと音を立てて開かれた。 「むさくるしい風采をした奴だなあ、おまえは、そこでいったい何をやっているんだ! ご主人様のしもべである方へ勝手に近づいて、いったい何をしようとしているんだ!」 年齢は三十歳くらい、筋骨たくましく浅黒く精悍な若々しい風采の男は、そう言い放ちながらやってくると、 むさくるしい風采をした男の襟首を片手でつかんで、あちらの方へとずるずると引きずっていくのだった。 あちらの方とは、小夜子のいた場所と正反対の方角で、まるで病原菌を隔離するように離されていくのだった。 文章が少し書けた点では、むさくるしい男の指は相手よりも少々の力はあったが、 精悍な男のみなぎる腕力の前には、小夜子に劣らないか弱さを示すだけのありようしかなかった。 筋骨たくましい若々しい風采の男は、むさくるしい男をこともなげに床へ転がすと、 しゃがみ込んでしまった相手へ容赦なく足蹴りを食らわせ始めるのだった。 その痛いことって、なかった、痛さは、ぼこっ、ぼこっという音となって室内全体へ響き渡った。 成り行きを見守っていた小夜子も、 エドガー・ヴァレーズの「アイオニゼーション(電離)」などにはあらわれない打楽器の衝撃音に、 思わず悲痛な表情になって叫ぶのだった。 「だめです、やめてください、そのようなひどい真似はやめて…… その方だって、悪気があってしようとしたことではないはずです…… ただ、魔がさしただけなのです、許してあげてください、お願いです……」 そう言い終わると、頭を下げて思いをあらわすのだった。 精悍な男は、全裸の相手が我が身もかまわず、深々とこうべを垂れて嘆願する姿に見入っていた、 足もとへぐったりとなったしまったむさくるしい男など、とっくの昔に忘れてしまったように、もう洟もひっかけなかった。 「奥さんは、心根の優しい方なんですね……」 男は、相手をじっと見つめたままだった。 小夜子は、顔をもたげていることが恥ずかしくてできなかった、 男性にみずからの生まれたままの姿をじっと見つめられていると思えば、尚更できなかった。 一糸もまとわない可哀想な素っ裸を小さく縮こまらせている女のそばへ、男はそれとなく近づいていくのであった。 男の手がそっと優しく肩へ置かれたのを感じた小夜子は、まなざしをおずおずと上げるのだった。 男のまなざしも、熱烈さを漂わせて相手に注がれていた。 「奥さん、これからは何があっても……何があっても、耐えてください…… ぼくは……ぼくだけは、絶対に奥さんのことを思い続けていますから……」 小夜子は、男の精悍な顔立ちを見つめたまま、恥ずかしさ以上に頬がばら色に染まるのを感じていた。 ふたりは、まるで、恋人同士のように、じっと見つめ合ったままになっているのだった。 ずたぼろにされそうになったむさくるしい男は、そのすきに部屋からあわてて逃げ帰っていった―― 簡単に言えば、作者に<似非現実>ということの認識が甘かったという結果である。 <似非現実>とは言え、状況は絵空事であっても、ディテールは現実に似せようとしていることなのである。 主人公が全裸の無防備の姿でいるから、作者が縄で縛り上げることができると思い込むのは勝手だが、 物語の筋と状況は、作者の勝手放題になるほど、曖昧なものではないということである。 奇態な物語には違いない、説得力の薄い筋には違いない、状況説明の足りない描写には違いない、 確かに、そうではあっても、結局は、作者も物語を構成する一部に過ぎないという戒めの足蹴りであったのだ――。 「あなたのお名前をお聞きしてもかまいませんか……」 小夜子は、美しい形の唇を震わせながら尋ねていた。 痛い足蹴りを食らわせた男は、唇の端に笑みをこぼしながら答えていた。 「名乗るほどの者ではありません…… 私も、ただ、ご主人様にお仕えしている者に過ぎないのです……岩手伊作と言います」 <いわ・ていさく>なのか、<いわて・いさく>なのか。 無情にひとに足蹴りを食らわせる男の名前など、どっちでもいいことだが、<いわて・いさく>である。 岩手は例の鬼婆の本名と同じ、伊作は旧約聖書でアブラハムとサラが神との契約のあかしに授かった子と同じ名前。 だが、そのような偶然は、ひとに足蹴りを食らわせる乱暴者を説明することにはならない。 「奥さん、私も行うことは、実に忍びないと思っているのですが…… ご主人様がお望みのことなのです……どうか、両手を背中へまわして下さい……縛ります」 岩手伊作は、むさくるしい男が床へ置き忘れていった麻縄の束を具合よく取り上げながら、静かに言うのだった。 やはり、乱暴者は乱暴者だ、その本性を見事にあらわしたではないか。 小夜子は、その言葉に、相手をじっと見据えたまま、澄んだ大きな瞳を開かせた。 「……私は、縛られるのですか……あの方がそうお望みなのですか……」 嫌なことは嫌である、と拒絶すべきである、<NO>と言えない日本女性と批判されてしまうに違いないことだ。 「……でも、岩手さんになら……岩手さんなら、私……かまいません」 小夜子は、乳房を覆い隠していた両手をおずおずと動かすと、白くしなやかな両腕を背後へとまわしていくのだった。 先ほど、むさくるしい男が求めた同じ行為を、大した時間も置かずに、みずから実行しようというのだった。 あれほど嫌がったのに、男が変れば女も変るということなのか。 いずれにしても、作者は彼女の好みの男性ではなかったのだ。 小夜子の優美な全裸への初縄は、岩手伊作の手中にあったのだ。 作者の出る幕は完全に消滅させられてしまっていた―― 従って、作者の至らぬ振るまい、お待ちになっていただいていた読者の方へ、お詫び申し上げます――。 だが、岩手伊作は、すぐに彼女を縛ろうとはしなかった。 縄の縛り方を知らないわけではなかった、縄による緊縛に熟達した者だったからこそ、その役柄に選ばれていたのだ。 岩手伊作は、覆い隠されていた小夜子のふたつの乳房がさらけ出された瞬間、 そのふっくらと美しく隆起した姿に眼を奪われた、電気うなぎの電気ショックで硬直してしまったように、 ピンク色に息づく可憐なたたずまいの乳首へ、唇を寄せてみたいという衝動に吸い付かれてしまっていたのだ。 女性の全裸の匂い立つような色香がそうさせたことであるとは言え、 女性を縛ることが常習であるという男にしては、随分と初心なありようを示していた。 だが、熟練の緊縛者であろうと、恋する心情においては、 幼稚園児や小学生、中学生や高校生、大学生や専門学校生と変わらないものである。 それをあえて異なるものとさせるのは、仕事を表現すること、社会的なありようを示すこと以外になかった。 「どうなさったのですか……」 縛られることに思いを集めようと俯いていた小夜子は、思わずその美しい顔立ちを上げて尋ねていた。 いつまでも縛ろうとしない相手が、そのまなざしをぎらぎらと輝かせて自分の乳房のあたりを眺めているのを知って、 彼女は、首筋まで赤く染め上げるほどの羞恥を感じて、ふたたび俯いてしまった。 縄による女体緊縛ということが仕事を表現することであり、社会的なありようを示すものであるかどうかは、 それによって代価を得ているかどうかに依存することである、 どのような体裁のよい御託を並べようが、それで金銭を得ていれば、社会にある仕事のひとつと言えることである。 岩手伊作は、<ご主人様にお仕えしている者>であると言ったが、その仕事で収入を得ていることは事実だった。 だから、彼は、自分勝手に募らせている思いに、いつまでも夢中となっているわけにはいかなかったのである。 白くなめらかな背中の上で、かすかな震えをおびながら交叉されているほっそりとした女の両手首を取ると、 二筋をひとつにした麻縄を絡めて二度巻きつけていった、 手首を締め上げない程度の余裕を持たせて縄留めをすると、残りの縄を素早く前の方へまわし、 きれいな乳房の上の方で大きくふた巻きし、背後へ戻した縄を手首を縛っている縄と結び合わせた、 新たに用意された二筋をひとつにした縄がその結び目へ加えられ、 今度の縄は乳房の下の方で大きく二度巻きつけられ、 ずれ落ちるのを防ぐために背後から双方の腋の下の縄へ絡められて結ばれ、 背中で体裁よく縄留めが行われると、岩手伊作が自称するところの<美麗後手胸縄縛り>の完成であった、 縄尻は被縛者を引き立てるのに充分な長さとして残っていた。 文章にすると長いようだが、ものの二分とかからない手際の良さであった。 言うまでもなく、小夜子に抵抗する様子がまったくなかったことにもよるが、 そのような短時間に、縄ひとつによって、 全裸姿を縛られる女性が変貌するありさまも急激と言えば急激だった〔☆注〕。 〔注〕 この点については、<☆女体緊縛の必然性>によって、 縄と女体と緊縛の因果関係はすでに明確化されていることであったにしても、 個人差に依存する、縄の緊縛になじむ女性心理の変化ということについては、言及が不足していることであった。 <財団法人 大日本性心理研究会>という団体から寄せられたその批判によれば、 権威ある研究から生まれたサディズムやマゾヒズムに準拠しない性心理の論理展開は無意味であるとのこと、 科学的方法をもって論理とすることが現代の必須条件であり、 直観だけで示されるものは、ただの思い付きであるか、もしくは<論理風>でしかない、 この場合は、全裸の女体を縄で緊縛することの実際から収集するデータなくしては科学的方法とは言えない。 この団体では、縄による緊縛を職業とする縄師という実験者を雇用し、 緊縛の未経験者である女性を十六歳から六十五歳という幅広い年齢層の被験者として、 すでに五百件の事例を得ており、それを現在コンピュータ解析中であるとのことである。 それによれば、縄になじむ心理の速度は、 首縄、胸縄、腰縄、股縄、足縄などの縄掛けの形態に依存して大きく異なるものであり、 女性がいずれを嗜好するものであるかは、変化要因の多様性においても、 女性が生まれながらにして被虐性の心理をもった存在であることを裏付けると同時に、 たとえば、<女性は縄で縛り上げれば、女らしさをあらわす>という従来の定説を論証できることだとしている。 いずれ、科学雑誌にその論文が発表されることになるので、詳細はそれを参照して欲しいとのことだった。 科学的探求も遂にこの分野へ至ったことは、人類の全知へ向けての大きな希望となることなのだろう。 言われるがままに、背中で両手首を重ね合わせて縛られるのを待つ小夜子は、ただ、俯いたままでいた、 手首をたくましい男の手でつかまえられ、ごわごわした縄の感触が締め上がる圧迫感を意識させると、 小突かれでもしたようにびくんとなって、顔立ちをおもむろにもたげるのだった、 両手を後ろ手に縛られては、恥ずかしい箇所を隠したくても、もう、どうすることもできなかった、 その思いが頬を真っ赤にさせるほどの羞恥を一気に煽り立ててきた、 生まれたままの全裸にさせられたことは、とても恥ずかしいことだった、 しかし、できるだけ覆い隠せば、まだ、自分自身は逃げ場のある自由があると思えることだった、 だが、裸姿を不自由にさせられた姿にあっては、羞恥は屈辱的な思いにまで一気に至らせて、 自分自身などというものを考える余地をどこかへ吹き飛ばされてしまった、 もう、どうにもならないのではないか、という前途を閉ざされた不安と恐怖が自分を取り囲んでいるのだった、 両手首と両腕をがっちりと押さえ込まれ、乳房の上下へしっかりと掛けられた縄が自分を取り囲んでいるのだった、 どのように考えようとしても、その強烈な拘束感以外は現実ではない、と思わせるに充分のことだったのだ、 やがて、囲いのなかで渦巻く、羞恥と不安と恐怖の入り混じった思いは、 顔立ちばかりでなく、首筋から行き渡り、身体全体を火照らせるくらいにのぼせ上がらせて、 まるで、夢見ているようなぼおっとした思いがある一方で、 身体全体を小刻みに震えさせる甘美とも言える悪寒を伝えてくるのであった、 悩ましく煽り立てられるそのどうにも押さえることのできない思いは、 わけのわからない思いへとふわふわと浮遊させていくのだった、 自分をその場へ留まらせるために、手を差し伸べて助けてもらいたかった……だれに? 愛する夫……だが、夫の健一は、眼の前には存在しなかった…… <ぼくだけは、絶対に奥さんのことを思い続けていますから>と語りかけられた言葉が浮かぶ…… その方は眼の前にいる…… でも、その方に掛けられた縄でこのようになってしまっている…… その方に助けてもらうということは……その方の言いなりになってしまうということなの? わからない……わからない……わからないわ…… 小夜子は、ただ、狼狽するばかりだったが、この過程がものの二分とかからなかったのである。 だが、岩手伊作もまた、狼狽するような思いを抱かせられていた。 床へ片膝をつき、羞恥の股間をできるだけ見せまいと必死に太腿を閉じ合わせている相手が、 隠す手立てを奪われ、上下から縛られた縄で突き出させられた美しい乳房をこれ見よがしにあらわにさせて、 頬を紅潮させた愛くるしい美貌に、懇願するような哀切をおびたまなざしをこちらへ向けている。 素っ裸にした女性を縄で縛り上げた姿など、懇願するような哀切をおびたまなざしを浮かべるありさまなど、 空気を見慣れていると感じているほどに、ありきたりなものだと感じていたことだった。 だが、いま、眼の前の女性は、戸惑う思いを感じさせるのだった。 女に対する縄掛けは、眼の前に示されている通り、業務上の点でも、申し分のないものであった。 だが、女を緊縛したという思いは、答えの保留されている恋心にあっては、 ぐじゃぐじゃに解けているも同然のことだったのだ。 「おっ、奥さん、立ってください……」 その震える声音は、言い渡しているというよりは、お願いしているというようさえ聞こえた。 小夜子は、言われるがままになるほかなかった、 彼女を縛り上げた縄尻は、しっかりと相手の手に握られているのだった。 「岩手さん……岩手さん、私は…… 私は、これからどうなるのですの……」 おずおずと床から立ち上がった小夜子の精一杯のか細い声音の問いだった。 岩手伊作は、返答しなかった。 それは、無情であったからでも、その答えを知らなかったからでも、ましてや、聞こえなったからでもなかった。 比較優先の問題であった。 後ろ手に縛られ胸縄まで掛けられた小夜子は、両手を使えないという平衡感覚から、 ただでさえ、女性の全裸の匂い立つような色香というありさまにあったが、 匂い立つ色香がそこはかとなく悩ましく立ち昇るように、 優美な裸身をあだっぽくやるせなさそうにくねらせながら立ち上がったのである。 もちろん、それだけでは、比較にならない。 恋心を抱く相手から問いかけられた将来を決定する重要な言語よりも、 一層重要な概念がそこになければ、あり得なかったということである。 唇を寄せたいと衝動させた可憐な乳首のついた美しいふたつの乳房、これは、もう、道理である。 艶めかしい太腿からしなやかに伸びた綺麗な両脚と品を感じさせる小さな両足、これも、当然、道理である。 あだっぽい量感を示すふたつの引き締まったふくらみが妖美な亀裂に割られている尻、言うまでもない道理である。 女性の全裸の匂い立つような色香が哲学原理となることだとしたら、 決定的とも言える道理が支えているものでなくてはありえない、 言うまでもなく、女性の中心とさえ俗称される箇所がなくてはならないものであったのだ。 官能をもろに感じさせる優美な曲線に縁取られた腰付きの愛らしい形をした臍のくぼみが予兆させるもの、 黒い艶をおびてつつましやかに、まるで、夢幻の柔らかなもやを思わせるふっくらとした恥毛に覆い隠されて、 見ることを望み、なかへ入り込むことを切望する者に開かれている、 小さな丘に深々とした切れ込みをあらわにしている美麗の割れめがそれであった。 恋の力はひとを幻視者にさせると言うから、 岩手伊作は、陰毛に隠されていながら、その美麗な割れめがありありと見えると感じたほど、 小夜子のあらわした生まれたままの全裸姿が放つ表現性は圧倒的なものがあったのだった。 恋していなくても、哲学の第一原理として規定することは可能なものであったのだから、恋する勢いにあっては、 恐れおののいて、誰も公言する者がいないのであれば、おれがする、 と岩手伊作に思い込ませるものがあったとしも、不思議ではないことだった。 こうして、作者に痛い痛い足蹴りを食らわせ、 小夜子の美しい全裸へ初縄を掛けることを果たし、 健一という愛する夫のいる人妻へ横恋慕する、 岩手伊作という者によって、長い人類史で陽の目をみなかった、哲学の第一原理宣言は行われたのであった。 <女性の全裸の匂い立つような色香というありさまは、すべての人間認識の最初の命題である> この者が哲学の何たるかを少しも考えていなかったとしても、宣言として行われた以上、仕方のないことだった。 彼は、第一人者であるという自負を感じてなのか、急に落ち着きのある態度をあらわし始めていた。 そして、次のように言うことが相手への愛をあらわすかのように、心をこめた優しい口調で告げるのであった。 「奥さん……ご主人様のしもべであるあなたは、これから、鋼鉄の檻へ入れられるのです…… しもべであることの自覚に心から目覚めるまで、入れられるのです…… 道を学ばれる第一歩ということです…… でも、大丈夫、心配しないで下さい、あなたがしもべを自覚されれば、出られる檻なのです…… 私も、しもべです……同じしもべがいることを…… 奥さんのことを誰よりも思い続けているしもべがいることを……どうか忘れないでください……」 狼狽する思いをさ迷っていた小夜子だったが、告げられた内容を把握できないほど、うろたえてはいなかった。 「そ、そんなこと……裸のまま、檻へ入れられるなんて! 嫌です! 私は嫌です! お願いです、岩手さん……やめにしてください……そんなこと!!」 柔らかな美しい黒髪が左右へ大きく揺れるほど、小夜子は、かぶりを振って悲痛な表情で訴えていた。 「どうして、そのようなことになるのです。 ただ、私は、あの方にお会いするために、ここへ来ただけだというのに…… どうして……どうして……どうしてなの!」 小夜子は、緊縛された裸身を悶えさせながら、岩手伊作へその顔立ちを迫らせる勢いで問いかけていた。 そのままであれば、顔と顔とが無造作に衝突して、甘いくちづけなどではなく、痛い目に遭うのは眼に見えていたので、 第一人者は、相手の剥き出しの優しい撫で肩を両手で押さえつけると、強い口調で言うのだった。 「奥さん、わがままを言ってはいけない。 あなたがそのような姿になったのは、だれかれから、無理やりにされたことではない。 あなたがご自分の意思をあらわしてなったことだ、嘘だとお思いなら、最初から振り返ってみなさい。 この館へ来たことも、生まれたままの全裸姿になったことも、全裸を麻縄で縛り上げられたことも、 あなたの意思に反して、強引に、無理やりに、有無を言わさずに、行われたことではない。 いいですか、全裸をみずからの意思で人前へ堂々とさらす、全裸を縄で縛られることを抑えがたく求める、 これは、見ようによっては、露出症の被虐嗜好症であると言われたって、不思議のないことですよ。 奥様は、疑いのないマゾヒストだということですよ。 しかし、ご主人様は、<女体緊縛の必然性>や<全裸の女体の哲学第一原理>というような、 そのような余りにも下世話な考え方を超越しておられるお方です。 しもべであるあなたは、ご主人様の前では、あくまで、人間としてあるだけの存在なのです。 しもべであるあなたは、どのような過ちの姿を見せようとも、広大で深遠な愛で見守られているということです。 わかりましたか、いま、あなたがそのような姿でいることこそ、しもべであるあかしということなのですよ。 ですから、あなたは、心からしもべとして目覚めることを求められているのです。 いいですね……おわかりになったら、私と行きましょう……」 小夜子は、言い返す言葉の何も思い浮かばず、 ただ、我が身が伝えてくる、縄で拘束されている緊縛感に圧倒されている思いだけを感じていた。 彼女は圧倒されている思いを感じていたかもしれないが、岩手伊作の言動には絶対の問題がある。 <女体緊縛の必然性>はまだしも、<全裸の女体の哲学第一原理>は、彼が宣言したことではなかったのか。 だが、岩手伊作は、どこ吹く風というふうに、恋心から思いついた熱狂的認識など放棄してしまっているようだった。 みずからの手で後ろ手に縛り胸縄を掛けた恋人を前にして歩かせ、その縄尻を引きながら熱心に見つめているのは、 黒い艶やかさの亀裂に割られた量感のある美しい形の白い尻が悩ましくあだっぽく揺れ動いているさまであり、 <全裸の女体の哲学第一原理>などでは物足りない、さらに駆りやられる想像であったのだった。 小夜子は、部屋から出され、廊下を歩かされ、地下へ降りる階段へと向かわされていった。 こみ上げてくる、全裸姿で引き立てられる虜囚のような羞恥と屈辱の思いを否定することはできなかった。 しかし、それだからと言って、何が言える、何ができる、何が考えられる。 恥ずかしく、情けなく、浅ましいだけで、自由な身動きや考えは取れないのだ、という事実があるだけだったのである。 地下の薄暗い廊下をずんずんと進まされて、やがて、どん詰まりの頑丈な扉の前へたどり着かされた。 岩手伊作は、ポケットをまさぐって鍵束を取り出すと、勝手を知っているように、見合う鍵をぴたりと差し込んだ。 「さあ、奥さん、入って下さい……」 そう言い放つと、相手の白くなめらかな背中を押し出すようにして、なかへ入れるのだった。 部屋のなかは、真っ暗だった。 なかへ入った途端、重々しく閉められた扉は、光をまったく遮断しているのだった。 小夜子は、進もうにも戻ろうにも、おぼつかない立場を意識させられたが、 一方では、むっとしたひといきれが感じられるのであった。 どのくらいの人数であるかはわからなかったが、かなりの人の数がその場所にいるのだと思えるのだった。 その大勢の人々が固唾を飲んで自分の方を見つめているのではないか、と思った瞬間だった。 さらに、眼を暗まされるような強烈な光が小夜子に当てられていた。 彼女は、登場をあらわした主人公のように、スポットライトに浮かび上がらせられていた。 余りの驚愕に、主人公は、ただ、立ち尽くしているだけだった。 どのように美しい美貌や姿態を備えていても、おびえて震えているだけでは、大したさまにならない。 主役であるならば、それ相応の見栄えが発揮されなければ、見ている者は納得しない。 この場合も、相応の観客は、相応の代価を支払って見物しているのであった。 それは、明らかな演出があることにあらわれていた。 主役を輝かせる役どころ、それが脇役のある所以であるが、この場合は、強と弱の対照効果であると言ってよかった。 脇役の者は、全裸を縛られた主人公の縄尻を無理やり引っ張って、強引に前へと進ませた。 おびえ震える美しい女は、縄の縛めだけをまとわされた恥辱の虜囚というありさまをあからさまにされるのだった。 この引き立ての脇役は、岩手伊作ではなかった。 縄尻を取っていたのは、髪を剃り上げた頭にむさくるしい髭をたくわえた唇の分厚い無骨な顔付きの男で、 筋肉隆々とした浅黒い肉体をあらわにし、腰へは不気味な鎖や鞭をぶら下げて、 黒いショーツ一枚姿だったその箇所も、筋肉隆々としたさまをよくあらわしている脇役だった。 このような黒い屈強な男がわきに立てば、白く柔和な裸の女は一層のか弱さを引き立てられる、対照だったのである。 「さっさと、歩け、めす豚め!」 強靭な肉体に劣らない、太くどすのきいたフォルティッシモの声音が響き、 背中を小突く一ニュートンの力は、小夜子をよろよろとよろけさせた。 彼女は、思わず、いやっ、と叫び声を上げたが、そのピアニッシモは、か弱さを倍化させるものでしかなかった、 或いは、耳する男性の思いも陰茎も、さらにいきり立つことをさせる、女性特有の色艶のあるソノリティであった。 それが証拠に、男の黒いショーツのその箇所は一段と盛り上がりを見せ、 その強靭な両腕は、女のこわれてしまいそうな白い裸身をぐいぐいと引っ張って、中央へと向かわせるのだった。 そこには、白木で作られた太い角柱が一本立てられていた。 よくある設定なので、馴染みのひとには、責めるために用いられる<晒し柱>であることはすぐに合点がいったが、 その木製の柱、どのように眺めまわしても、<鋼鉄の檻>ではないことは確かだった。 小夜子もそれは感じていた。 それとも、ここでは、<晒し柱>を<鋼鉄の檻>と呼んでいるのであろうか。 小夜子はそこへ入れられるというのであれば、<晒し柱>のなかへ入るということなのだろうか、どうやって? これは、全裸を緊縛された女を嬲る見世物ではなく、実は、華麗なマジック・ショーであるとでも言うのか? まさかあ……。 象徴と比喩の重層的表現が言語の構成する概念を拡大深化させるとしても、少々取り結びにくいありようだった。 そうかあ……そもそも、岩手伊作の言ったことを鵜呑みにするから、このようなややこしいことになるのである。 岩手伊作は、作者に痛い足蹴りを食らわせた乱暴者である、 言葉巧みに小夜子の全裸へ初縄を掛けた卑劣漢である、 哲学上の重要な原理を思い付くままに宣言して反故にした偽善者である、 嘘の上塗りなど、平気の平左衛門の男なのだ、 だから、この場から、無責任にも姿をくらましたのだ―― 小夜子には、もちろん、このように複雑な思いをめぐらして考える余裕はなかったが、最後のところは感じていた。 岩手さん、私を見捨てて、どこへ消えてしまわれたの……私は、いやっ……恐い、恐いんです! しかし、それはソノリティにさえならず、小夜子は、力が抜けてしまったように、されるがままになっているだけだった、 晒し柱を背にさせられて、きちっとした直立の姿勢に立たされると、 くず折れないようにがっちりとした縄でくくりつけられていくのであった。 そうして、美しい女の縄だけをまとった生まれたままの全裸姿があらわにされたのだった。 感心するようなため息がもれていた…… 熱っぽい吐息が流れていた…… 嘲るような笑い声や小さな歓声まで上がっていた…… どんよりと淀んでいた場内の空気がさまざまな思いにうごめき始めているのだった。 観客となっていた人々の手元には、以下に示される文書があらかじめ手渡されていたのである。 <或るマゾヒストの身上書> 女は名前を小夜子と言った。 年齢は二十七歳、美男子で思いやりがあり、健康で仕事にも有能であった夫を持つ人妻であった。 彼女自身、美貌と優美な姿態を兼ね備えていたから、夫からも、だれからも、こよなく愛される存在であった。 生活に困ることのない収入があり、不足しているものを見つけ出すとすれば、子供がいないことくらいだった。 だが、彼女は、子供を望むことよりも、もっと満たされることを求めていた、それは、彼女自身の心であった。 満たされた現状に甘んじられない心があるというのは、人間として、ごくあたりまえのことと言える。 満たされた心のままに生き続けられるということの方が、現実生活では遥かに困難なことであるからだ。 人間の心は移ろいやすいのである、心が完璧でありたいと思うのは、それが完璧なものではないからなのだ。 従って、文学作品に見事に表現されているように、「恋に溺れながら、私の愛は乾いていく、高ぶるほど空虚、 満たされるほど孤独」であると彼女が感じていたとしても、特別なありようを示していることでなかったのだ。 彼女さえ受け入れることをすれば、近づいてくる男性との恋の機会はいくらでもあった。 彼女は、その恋の大海原へ漂う小舟のように、移ろいやすく感じるままに愛の渇きを癒すことを求め、 結ばれ合うことで高ぶらされる官能が、求める愛に比べては遥かに空虚なものであるからこそ、 さらに結ばれ合うことを求めさせ、喜悦のなかに満たされるそのはかなさにあっては、 人間という無常の孤独が感じられるのであった――このようなものを感じてもよかったのである。 しかし、彼女は、愛するのは夫ひとり、と固い思いを抱いていたのだった。 ここで、もし、「恋に溺れながら、私の愛は乾いていく」と言うときの<恋>と<愛>の意味することが、 一般に言われているような恋愛ではないとしたら、どうであろう。 彼女固有の世界を示しているようなことだとしたら、どうであろう。 彼女の夫に対する純潔の思いは事実であっても、 その肉体の奔放さも純潔であるとすることができるものなのだろうか。 いや、その肉体と言えども、結局は心が支配しているものであるのだろうから、 彼女の心は不純であると言えることなのだろうか。 ここで、どのようなありようが心の純潔であるかを云々していても意味がない、 そのようなことは、そのようなことを専門に考えてくださる先生方にお任せしておいた方がよい。 ここで言わなければならないことは…… 彼女はマゾヒストである、ということなのである。 現在のところ、その定義のほかに適当な言葉がない以上、そのように表現するしかないことなのである。 マゾヒストとは、どのようなありようのことを言うのか、ここにおいでになっている方々には周知の事柄であろうが、 作家であったザッヘル=マゾッホの名に由来する、 肉体的及び精神的苦痛を受けることによって、性的な満足を得る異常性欲者のことである。 小夜子は、異常性欲者なのである。 彼女は、肉体的及び精神的苦痛を受けることによって、性的な満足を得ることができる女性であったのだ。 しかも、<恋に溺れながら、私の愛は乾いていく>と言っている相手は、女性でしかあり得なかったのだ。 マゾヒストでありレズビアンであったと決めつけてしまうのは簡単だが、 男性である夫を愛し、その性行為に心底から喜悦する女性であることも否定できない事実であった。 要するに、性に淫乱なだけである、と結論付けてしまえば、 折り合いを付ける、辻褄を合わせる、収拾を付ける、整合性を成す、といった考えの点からは間違いない。 いずれにしても、そうした加虐と被虐を通して女性同士の愛欲を行うことを<牝鹿のたわむれ>と称することを、 彼女は、その愛欲に目覚めさせられた最初の相手から教えられたが、そのときは、まだ、十二歳だったのである。 最初の相手は、その後、小夜子の前から忽然と姿を消したが、彼女にとっては、まさしく、本物の恋の相手だった。 この世で最も崇高な愛と肉体の行為によって、法悦の高みにまで上昇させてくれる唯一の相手であったからだ。 彼女は、人生の成長過程では、<牝鹿のたわむれ>を共有できる相手を見つけることがまったくできなかった。 成人になってから、そのような行為を職業としている女性とたった一度だけ関係を持つことをしたが、 相手の女性の真摯な奉仕にも関わらず、惨憺たる思いしかなかったのだった。 彼女は、異常性欲者なのである、普通の女性であれば満足できるだろう行為も受け入れられなかったのである。 誰が見ても、恐らくは、精神病理学の先生でさえ、彼女の外見を見ただけでは判断できないことだろう。 美貌と優美な姿態に包まれた肉体の奥にある、その心の真のありようを知ることはできないであろう。 言動や振る舞いはごく普通の女性をあらわすものしか感じられない、この女性が実際に考えていることは、 十二歳のときより、その恋する相手を求める心が生み出し続けている空想となって、 犯しがたく偏執狂的なさまを示している異常な世界であることを……。 その証拠を、これから、本日ご来場の皆様にご覧に入れようというのである。 普通の女性であったら、とても耐えられない境遇に置かれて、 この女は、悩ましくあだっぽい演技にしてさえ見せ、堂々と我々の眼へさらすことをするのである。 人前へ生まれたままの全裸になったということだけで、女性は激しい羞恥を抱くものである。 その裸身のまま、縄で自由を奪われる緊縛をされれば、屈辱は生きた心地さえ奪うものである。 さらに、全裸を緊縛された姿を晒しものとされるのであれば、何が女性を救う思いになると言うのか。 そればかりではない、この女は、慎ましく隠している翳りを見事に剃らせて、 女性の羞恥の割れめを惜しげもなくご覧に入れるというのである。 心に巣くっている異常性欲なくして、どうして、普通の女性がこのような振る舞いを行える、と言えるのか。 どうか、皆様、ご自身の眼で確かめて、納得していただきたい所存である……。 このように述べられたショーの前口上であった。 だが、生まれたままの全裸を縄で緊縛された女性が出てきて、 ただ、陰毛を剃り上げられて女の割れめを剥き出しにされる、というだけでは余りにも趣がなさすぎた。 たとえ、それが名前のよく知られた女優などが行ったことだとしても、新鮮なあじわいは一度きりのことであって、 何度剃り上げられようがあからさまにされる割れめは同じということで、 その場面を繰り返し見させるようなものとはさせない。 同じ場面を繰り返し見ようとさせるものは、たっぷりとあふれだす感情移入があってのものなのである。 つまり、共感の場としてなくてはならないものであるが、それだけでも成立しない。 共感の場からかもしだされる<謎>がなくてはならないのである。 <謎>がどのように表現されるかということに掛かっている、ということなのである。 我々には不可知というものがあり、それは<謎>というあらわれをもって、我々を答えの方へとおもむかせるからだ。 <謎>があれば、答えはある――このような考え方が人間の自然な思考過程となっているのは、 すでに、明らかにされているように、性のオーガズムの認識があるからである。 人間以外の生物、動物や昆虫、或いは、植物などにも、生殖行為を行う限り、性のオーガズムはあるのだろうが、 人間が固有のありようを示しているのは、概念的思考を発達させたことにある、言語の使用によるものなのである。 性のオーガズムは、発動すれば、相反矛盾なくきっちりと快感と合わされることができるものとしてある。 その快感そのものは、際限がなく味わいたいという円満具足を認識させるほど、 比肩するものを人間の認識上で見つけ出すことができないものとしてある。 目的と結果の因果関係に、歪みや不純なものが一切介入していないのである。 この相反矛盾のない官能のありようには、<答え>というものがあるのである。 従って、我々が言語を用いて行う概念的思考の一切は、答えがあらかじめあるものだと考えようとするのである。 答えが最初からあるものだとすれば、不可知と感ずるもの一切が謎となるということである。 そして、その謎の答えを導き出そうとすれば、想像しうる限りのありとあらゆる現象が生み出されるのである。 天国、地獄、神、仏、悪魔、餓鬼、悪霊、怨霊…… 折り合いを付ける、辻褄を合わせる、収拾を付ける、整合性を成すために、 謎と答えの結び合わされる<環>ができあがり、その<環>は<最終>というものを持たないから、 生み出された現象を、繰り返し、死と再生、自己完結、調和、そして、永遠の事象として考えることができるのである。 その由来が性のオーガズムの認識ひとつから始まっているのである。 しかし、人間の認識のありようがこれほど単純な<ひとつのこと>であるとするのでは、余りにもはかない。 同じ生物であるほかの動物、昆虫、植物などとは絶対に異なった存在であると考えようとすれば、 この性のオーガズムの認識から、整合性をあらわす現実というものを創造することが必要となってくる。 それが、いま、まわりを見渡して、人間がより良き環境に生活することを可能にしようと作り出してきたことである、 その作り出す方法が科学と呼ばれているものである。 従って、不可知の想像物と科学の創造物はあらわれる仕方が異なるだけで、出所は一緒のことなのである。 それらをどれだけ明確に区分できるかという整合性を求めることが、そのあらわれと言えることなのである。 たとえば、錬金術から科学へと進化したことは、 錬金術は、実際にはできもしないことをもっともらしく体系化した想像の産物で、 科学は、実際にロケットを打ち上げることができるものであるという現実の所産であるならば、 それは、まさしく、進化のあらわれであると言えることである。 しかし、どれだけ、科学がその思想と技術を進化させたとしても、 <神>―これは、錬金術にとっての中心的な考えでもあった、不可知の超絶的な力――と <重力>―これは、科学のみならず、人間生活の中心的な考えである、物質の意味される力――は、 人間という動物がこの地球上で生きていく上では、不可欠のものとしてあることは変わらないのである。 そのふたつの出所が<性のオーガズムの整合性>に拠ることでは、一緒であるということは変わらないのである―― と表現の<謎>のことを考えていたら、こんな風な展開になってしまった。 全裸を縄で緊縛された美しい女が陰毛を剃り上げられて女の割れめを剥き出しにされること…… 人間の概念的思考は性のオーガズムという整合性の認識が出発点としてあるということ…… これらが並列して示されることは、荒唐無稽なありようだと言われても仕方がないが、 少なくとも、ポルノグラフィであるからこそ、できることは確かである。 ポルノグラフィという表現方法は、錬金術が科学へと進化したように、 性のオーガズムが人間認識の出発点であることを、こみ上げさせられるままに、やみくもに表現してきた段階から、 いずれは移行するものなのである、なぜなら…… 性のオーガズムを手に入れようとする方法は、現行のポルノグラフィがあらわす表現方法が最終ではないから―― と明らかにしてしまったら、小夜子の勝手気ままに耽る空想の物語はどんどん雲散霧消していってしまうので、 彼女のショーの場合、次のような悲嘆の筋書きが添えられていたら、 少しは感情移入のはかれるものとなるのかもしれない、と続けることにしよう……。 悲哀は淫心をそそる、という名言がある、 美しい小夜子は、突然、残酷な運命へと逆落としにされたのである。 愛する思いやりのある夫が株式相場で妻の穴などとは比較にならないほどの大穴をあけたのだ。 夫は、みずからの萎縮してしまった財産では、穴埋めに挿入することは到底できなかったために、 太くて長い純金でできた陰茎をもつ金融業者から、膣外性交を承知で暴利の借金をしたのだった、 すでに勃起虚弱の陰茎であったわけだから、当然と言えば当然で、返済インポテンツの状態へと追い込まれた、 最終期日がやってきて、担保として差し出されていた美貌の妻は、 物的価値のある生身の優美な肉体として無情にも奪われていったのである、 昨今、人口過剰のせいか、文明が一層明るくなったのか、人間の物質的価値が少々下落しているようなので、 このような設定が果たして説得力を持つものであるかどうかは、疑問の残るところもあるが、 におい漂う陳腐さは、見せ場で補って余りあるとすれば、もしかして、温故知新と言い換えられるかもしれない、 はてさて、どうか…… さて、夫と引き離されて、金融業者の屋敷へ連れてこられた小夜子は、狭い小部屋へ押し込められた。 そこで、身に着けているものを洗いざらい取れと命じられたのだった。 言われるままに、高価な髪飾りをつけ、高額の指輪をし、豪華なハンドバッグを持ち、豪奢な訪問着を着ていたので、 それらは古物にしても、ネット・オークションで高値の転売ができると見なされたのだった。 彼女は、こみ上げてくる嗚咽を必死になってこらえながら、ひとつひとつを身体から取り去っていった。 この経過の詳しい描写は、<☆女の脱衣>にあるので、お手数ですが再度そちらを参照していただきたい。 小夜子は、ついに、一糸も身に着けない生まれたままの全裸の姿になっていた。 羞恥の余り、じっと立っていることもままならず、くず折れるようにして床へ片膝をつき身体を縮こまらせていた。 恥ずかしさと恐れと不安が咽喉をつまらせるくらいに、掻き抱くふっくらとした乳房の胸をきゅっと締めつけていたが、 間もなく、小夜子よりは少し年上の金融業者の妻である明美という女があらわれた。 なかなか目鼻立ちの整った美人ではあったが、気性の激しさがもろに顔にあらわれていた。 「さあ、あんたは、そうして身に着けているものを全部失ってしまったのだから、正真正銘の裸一貫…… これからは、担保流れの品物として扱われることになるんだからね、わかった? わかったら、わかりましたと返事くらいしなさいよ! それが、あんたの持ち主である社長夫人の私に対する、礼儀というものじゃないの!」 夫人は、俯いて押し黙ったままでいる小夜子へ近づいていって、無理やりその顔立ちを上げさせるのだった。 「何よ、少しくらい綺麗な顔をしているからって、お上品ぶらないでよ。 うちのひとがあんたを担保にしてもいいと決めた理由もわからないではないけれど、 綺麗な顔をして、いい身体をしているからって、そこに見せているのは、恥も外聞もない素っ裸じゃないの。 私は常識のある女だから、そんな姿を人前にさらされたら、恥辱の余り、息絶えてしまうと思うわ。 ところが、あんたは平然としている…… 平然としているだけじゃない、ひとの言っていることをまるで無視している!」 明美夫人の片手は、相手の顎を捉えていたが、もう片方の手は、柔らかな片頬へ平手打ちを食らわせたのだった。 パシッ、と乾いた音が小さな部屋を満たしていた。 小夜子は、怯えきったように大きな眼を見開いて、きつい形相を浮かべている社長夫人を見つめると、 裸身をぶるぶると震わせながら、綺麗な形の唇から恐る恐るもらすのだった。 「……ご、ごめんなさい……もう、ぶたないでください…… わかりました……わかっています、私は、あなたたちの持ち物であることを…… 私の身は主人の失敗の責任を取ることだと……わかっています……」 明美夫人は、薄笑いを浮かべながら、赤くなった相手の白い頬を撫でさすりながら言うのだった。 「そうよ、素直であれば、いいのよ。 あんたにその自覚があるんだったら、私にぶたれたからって、私を恨むようなことはしないわよね。 私だって、立派な商品となるあんたを傷付けようなんて気はないのよ。 あんたを傷ものにしてしまったら、それこそ、私がうちのひとから殴る蹴るをされてしまうわよ。 女なんて、可哀想なものよ、何だかんだ言ったって、男の言いなりになってしまうだけのもの……。 だがら、あんたも、我なんか張ったって意味がないわよ、女という品物であることをしっかりと自覚することね。 さあ、行くわよ……両手を背中へまわして、縛るから……」 縛ると聞かされて、小夜子は、じっと相手を見据えると、心臓がどきどきと高鳴り始めるのを感じていた。 相手が背後へまわっていくのを意識すると、両手が自然と覆っていた乳房から離れていって、 おずおずと両脇へ持っていかれるのを感じていた、まるで、縛るという言葉が条件反射の信号のようだった。 「素直ねえ……あんた、まるで、縛られることが好きみたい…… 初めてじゃないのかしら……旦那にその趣味でもあったの?」 小夜子は、頬を赤らめながら、小さくかぶりを振っていた。 「いえ、そんなこと……」 聞き取れないほどの小さな声音だったが、明美夫人は、そのようなことはお構いなしに、 なめらかな白い背中の上で重ね合わさせたほっそりとした両手首を山吹色も真新しい麻縄で縛り上げ、 残りの縄を前へまわしてふっくらとした乳房の上の方で二重に巻いてから縄留めをした。 追加の縄を今度は乳房の下の方で二重に巻いて、後ろ手にさせた縄へと固定させていくのだった。 ざらついた縄の感触が柔肌を圧迫してくる刺激的な感じは、その縄掛けが手際のよいものだっただけに、 拘束されているのだという思いをふわっと浮遊させられているような快さに変えて伝えてくるのだった。 「いやねえ、あんた、本当にうっとりし始めているじゃない…… 縛られるのが本当に好きなの? はっきり言いなさいよ!」 生まれたままの全裸の姿を後ろ手に縛られ胸縄を掛けられた女は、迫られるその言葉に、 戸惑った表情を浮かべながら答えていたが、縄の感触の方が断然に切迫力のある問いかけに違いなかった。 「いえ、そんなこと……好きなんかじゃ……好きなんかじゃ、ありません……」 頬をばら色に染め、柔らかな黒髪を揺らせながら、恥ずかしそうに顔をそむける仕草が、古い喩えで申し訳ないが、 初夜の翌朝、旦那様のあれ、どうだった、と尋ねられた十八歳の新妻の初々しい処女の羞恥を漂わせた。 明美夫人も、小夜子が可愛らしい女だと感じたのは、そのときからだった。 女の可愛らしさは、女から見ても、ほれぼれとするくらいに見事な麗しさをあらわしていた姿態が決定づけた―― ほっそりとした首筋から撫で下りた両肩の線、 その優しい感じは木立の間から小鳥のさえずりが聞こえてくるような穏やかさがあり、 白い胸もとはまるで降りしきる雪にたたずむ小さな湖を思わせた、 ふっくらと乳色をかもしださせる綺麗にふくらんだふたつの乳房には、 桃色の純潔と形容したいほどの可憐な乳首がつつましそうに立ちあがっていて、 美しさのもやが立ちこめているのだった、 胸から腰へ流れる優美な曲線は中央に愛らしい形の臍をのぞかせ、 生産する大地の豊饒を感じさせる壮麗とも言える腰付きは、 息苦しいまでの漆黒の色艶で盛り上がる羞恥の翳りを、 まるで、その内奥にある深遠な宇宙のひび割れを覆う静謐とさえ映らせているのだった、 量感を感じさせる艶めかしい太腿からしなやかに伸びた美しい両脚があればこそ、 その肉体が間違いなく現実のものであることを感じさせるのであった―― このように可愛らしい女性であれば、私の手でもっと可愛らしくしてやりたい…… 明美夫人は、おせっかいとも言える姉さま心を意識させられていた。 縄で緊縛された生まれたままの全裸をじっと相手に見つめ続けられて、 小夜子は、恥ずかしさに身悶えせずにいられなかったが、一方では、ときめくような胸騒ぎも感じてもいた。 羞恥と屈辱の姿にあって、喜びへの期待を感じてしまう自分というものが、戸惑わされるものとしてあったのだった。 「では、行くわよ…… あんたにどのくらいの物品的価値があるか、品定めをしてもらうために、お客様を呼んであるのよ。 さあ、こっちよ、歩いて……」 明美夫人は、美しい品物を繋いだ縄尻を取ると、引き立てるようにして小部屋から出させるのだった。 その小部屋は控え室だった、黒い布地にふさがれていた通用口を抜けると、広間の方へと出るのであった。 薄暗い広間には、小さなテーブルが置かれていて、 それぞれに着飾った年齢のさまざまな男女のカップルが座り、二名×十五卓=三十名はいた。 部屋に空調の設備はあったが、漂わされるひといきれや香水で、むっと淀んだ熱気が感じられるのであった。 観客席の反対側に、強烈なスポットライトの当てられた場所が暗闇に丸く浮き上がっていたが、 そこに堂々と立てられている白木で作られた立派な十字架は、乳児とお子さん以外の誰が見たとしても、 見せしめにひとをはりつける以外の用途を感じさせない忌まわしさをあらわしたものだった。 その忌まわしさの印象は、言葉にならないくらいのぞっとさせられるようなものであったが、 言葉にならないのでは描写にならないので、その言語による概念化をこれから行わなければならない。 明美夫人は、小夜子をゆっくりと歩ませていた――これも、夫人が目覚めた姉さま心からなのか、 まるで、覚悟を決めさせる猶予を与えてやっているかのようだった。 このような気遣いをかけられるほど、十字架を見せられただけで、小夜子は、恐怖の余り蒼ざめたのだった。 戸惑いの思いなど一気に吹き飛んでしまい、緊縛された裸身は、がたがたと震えさせられるばかりだったのだ。 話が全然違うのではないか……<鋼鉄の檻>であったはず……<晒し柱>はどこへいってしまったの…… 私は、本当にあの十字架へはりつけられるの……そんなことは、いやっ……絶対に、いやっ! お願いだから、やめにしてください……あんなものに乗るのは、いやです、絶対に、いやっ〜!! 小夜子は、あらがうように身悶えし悲鳴を上げようと思ったが、思いも身体も力が萎えてしまって、できなかった。 小夜子は、十字架にかけられる以外になかったのだった。 この成り行きは、あらかじめ観客の手元には、<☆或るマゾヒストの身上書>なる文書が手渡されていて、 それは、この物語を読み進んでいられる読者の方もご存知のことであるが、そのなかで、 「この女は、慎ましく隠している翳りを見事に剃らせて、女性の羞恥の割れめを惜しげもなくご覧に入れる」とあった。 これは、当然、行われることになるのだが、それだけで、たっぷりとあふれだす感情移入は生まれるだろうか。 実を申し上げると、主人公小夜子が陰毛を剃り上げられる過程は、<女の芳香>として表現される予定であった。 「女性の全裸の匂い立つような色香というありさまは」という最初の書き出しで始まる、それが所以だった。 ところが、物語における<似非現実>は、作者の思惑と主人公の思惑を必ずしも一致させないのである。 作者によっては、主人公へ感情移入することで、整合性のある起承転結を作り出すことを心掛けていられる方もいる。 読者がそうした物語に共感できるのも、整合性のある概念的思考を当然として働かせているから起こり得るのである。 しかし、<概念的思考の整合性の所以>を明らかとしてしまった物語は、読者のそれに頼ることがもはやできない。 読者の方が、もう、いやっ、になって、物語を途中放棄してしまうようなことがあっても、 先へ展開していくことを必至とさせられている――それは、<謎>は追求されなければならないからである。 性のオーガズムから導き出される概念的思考が生み出す<謎>である、答えがないと言っている<謎>である。 答えのないと言っている<謎>を追求する……これは、もう、でたらめである……荒唐無稽である…… だから、ポルノグラフィという表現方法は、人間にある荒唐無稽を表現できる…… 我々は、ここまでたどり着いているのである、だから、<謎>を追求して、先へ進む以外にない―― 小夜子の緊縛された裸身も縄に引き立てられて、刻一刻と十字架へ近づいていく、先へ進む以外にないことだった。 しかし、十字架にかけらるということが、それほどまでに嫌悪すべきことであるのだろうか。 もちろん、常識では計り知れない、羞恥と屈辱と苦痛を忍耐しなくてはならないことは、当然のことである。 この場合も、常識では計り知れない忌まわしさが、その十字架の形態にはあったのだった。 物語における<似非現実>を解説することに夢中になってしまっていて、言うのが遅くなってしまったが、 その十字架の縦となる木材のなかほどには、やはり木材でできた太い三角柱が突き出しているのであった。 十字架にかけられれば、股間がその三角柱を跨ぐことになるのは、容易に想像できることであったのだ、 或いは、十字架に取り付けられた三角木馬と言った方がわかりやすいことなのだろうか。 いずれにしても、言い遅れを言い訳するわけではないが、このことが重要な事柄であるかどうかは、 それに跨がされる主人公と、<女の芳香>として剃毛を表現しようと企図している作者とでは異なるのである。 もっと言えば、三角柱を跨がされる十字架へはりつけられるというありようは、 主人公小夜子が勝手気ままに空想に耽っている、エロティックで奔放なさまをあらわしていることである。 彼女がその姿にどのようなありさまを連想して空想に耽っていたかは不可知の事柄であるので、 それはさておいても、その実際へ行き着く前に、まず、その跨る股間の剃毛があることは避けられないことだ。 強烈な丸い光のなかに浮かび上がらせられた小夜子の姿は、彼女を注視する三十名の男女から、 感心するようなため息や熱っぽい吐息、嘲るような笑い声や小さな歓声といったものを上がらせていた。 まばゆいくらいに光沢を放つ乳白色のねっとりとした脂肪に包まれて、 そのまま女優として売り出しても充分に通用するのではないかと思わせるほど、 子供を産んだ経験がないせいか、人妻でありながら、見事に引き締まっている全裸姿だった。 いや、人妻であるからこそ、女としての喜び、性のオーガズム、社会生活を経験していることからかもしだされる、 熟れた果実の芳香、あだっぽさ、麗しさ、可愛らしさ、艶めかしさ、悩ましさ、妖しさを感じさせるのだった。 ウェーブのかかった艶やかな黒髪が柔らかに縁取る、 大きな瞳に綺麗な鼻筋が愛らしい小鼻を開かせて、 しっかりと結ばせた美しい形の唇があらわすうりざね顔の麗しさ…… ほっそりとした首筋の絹のようななめらかさは、 優しい撫で肩へ流れる女っぽさをこれでもかと引き立たせ、 ふっくらと艶めかしくふくらんでいるふたつの乳房の悩ましさを、 いちごの瑞々しさをたたえている乳首へ吸い寄せられる情感を、ふくいくと匂わせている…… 美麗な曲線を描く腰付きの輝くような妖しさは、 神秘の片鱗を垣間見させる可愛らしい臍をのぞかせて、 その下につつましい翳りを見せて茂る漆黒の繊毛を、 眺めるほどにますます艶麗なものとさせているのであった…… そして、女の羞恥をあらわすようにぴったりと閉ざされた太腿のあだっぽさは、 そこからしなやかに伸びた両脚の優美を形のよい小さな足でまとめているのだった…… 残るは、背中と尻であったが、それは、後ろ向きにされて見せられたときに、 観客席から、思わず、まあ、綺麗なお尻、と声が上がったほど、 熟れた量感をあらわしていながらも、 艶美に引き締まった尻の深く妖しい亀裂に割られているさまは、妖艶そのものであったのだった…… だが、このような美しさも、女が縄で緊縛された姿にさせられているからこそ、強調されることなのだ、 と、そばに立っていた明美夫人は、観客のだれに劣らない魅入られたまなざしを向けながら、そう感じていた。 美しい肉体へ掛けた自分の山吹色の縄化粧があるからこそ、この女は引き立って、皆から眺められているのだ。 ただのヌード姿を見せたって、すぐに飽きられてしまうだろう、 そのようなことなら、値を付ける男性のとなりに座っている女性にあたりまえにしてもらえることなのだ、 この女の物品的価値が評価されるには、どこにでもいる女性のありよう以上のことを見せなくてはならないのだ、 美しい女であれば、もっと美しくならなければ、それはあらわせないことなのだ、と思うのだった。 小夜子は、一点を凝視したまなざしで、紅潮した頬をこわばらせているばかりだったが、 立ったままの姿でいることには、もはや、限界が来ているほど、思いは自失の極みへ至ろうとしていた。 明美夫人は、手招きで助手を呼ぶと、くず折れそうになる小夜子を背後から支えさせるのだった。 この助手は、黒いショーツ一枚の姿に、筋肉隆々とした浅黒い肉体をあらわにしている例のスキン・ヘッドの男だった。 明美夫人は、助手が持参してきた湯の入った陶器の鉢と西洋剃刀で、準備を始めていた。 羞恥と屈辱と不安と恐怖に舞い上げられていた小夜子には、 もう、行われていくことの何かに反応する力は、茫然となったまなざしで見つめること以外にできなかった。 明美夫人は、その相手の正面へ片膝をついた姿勢で身をかがめると、 艶めかしい太腿の付け根に、漆黒の色艶を繊細にあらわして盛り上がる柔らかな翳りをまざまざと見据えた。 小夜子は、本能的にか、腰をひねって隠そうとする素振りを見せたが、 その可愛らしい仕草は、明美夫人に、ますますの感情移入をさせるものとなるのだった。 相手の愛くるしい顔立ちをもう一度見やって確かめると、 明美夫人は、指先へ掬った湯を悩ましい翳りへ優しく押し当てていった。 ああっ、とやるせない吐息が小夜子の美しい唇からもれた。 明美夫人が、悩ましい翳りの色艶がますますの光沢をおびるように丹念に湯を塗りたくっていくと、 小夜子は、感じさせられ突き上げさせられるものを打ち払うかのように、 美しい黒髪を揺らせ、ばら色に火照っている顔立ちを右へ左へとねじっては、身悶えを示すのだった。 それもそのはずで、明美夫人は、ただ、陰毛を湯で湿らせているわけではなかった。 そのほっそりとした指先は、塗りつけるたびに、女の柔らかな小丘を撫でまわし、 ときにそこにある生暖かく深い割れめへほんの少しもぐり込ませてはやめにする、というたわむれがあったのだ。 女がそのようにされたら心地よく感じるということを、女が行っているのだった。 ああっ、だめ、と小夜子から悩ましそうな声音がもれるまで、そのたわむれの塗布は続けられたのだった。 観客も、全裸を緊縛され晒しものとなっている女が微妙に変化していくさまを、固唾を飲んで見守っていた。 むんむんとした女の官能美が漂い始めているという感じだった。 小夜子は、全裸になって麻縄で緊縛されたことだけでも、甘く疼かされるものを感じていたが、 晒しものにされる我が身という思いは、甘美に疼かされるものを煽り立てられるように急かされ、 実際に肉体への愛撫が行われるに及んでは、どんどんと燃え盛るような心地よさを感じさせられていた。 しかも、それが女性の手によって行われているのだという思いは、 本当は、こんなことをされてはいけない、していはいけない、思ってさえもいけない、と考えていたことが、 実際にされてみれば、どうして、このように気持ちのよいことをしてはいけないのか、わからなくなっていた。 そのうっとりとなっている小夜子の可愛らしい表情を見て、明美夫人は、そっと言うのだった。 「あそこを剃るわよ……いいわね…… 剃って欲しいんだったら……私に…… 明美に、お願いして……」 小夜子は、きらりと光る西洋剃刀を手にした相手の顔をまじまじと見下ろしながら、綺麗な唇を震わせた。 「……明美さん……剃ってください…… お願いです……小夜子のあそこを、剃ってください……」 考えて出た言葉ではなかった、ただ、下半身を疼かせている相手の言葉を繰り返したつもりの言葉だった。 「いいわよ…… まかせて、望むところよ……」 優美な曲線を描く官能的な腰付きの中央に…… 水を含んで妖しい美しさを漂わせる柔らかなふくらみがあるのだった。 明美夫人は、そこへ剃刀をあてがった。 そして、剃り始めたのだが、それは、先ほどの塗布が指先のたわむれであったのと同じように、 手もとが狂えば柔肌を傷付けてしまうという緊張感の加えられた、思い入れたっぷりの鋭利な愛撫であった。 ひと剃り、ひと剃りに、観客からため息がもれるほど、熱の入った見せ場を作り出すような丁寧さだった。 生まれたままの全裸を縄で緊縛された美しい晒しものに、いくらの値踏みがされるかという見せ場だったのである。 明美夫人は、それがよい結果を生むだろう、という期待に胸がふくらむ思いで作業を進めた。 小夜子は、その作業に協力するように、優美な腰付きをみずから前の方へ突き出させるようにさせて、 ひと剃り、ひと剃りに、高ぶらされる女の官能をあらわす、悩ましさと切なさとやるせなさの混じった甘美な表情で応え、 掻き立てられ、煽り立てられて、昇らされていく思いを、次第に高まる愛くるしい声音であらわにさせているのであった。 ああっ、ああっ、ああ〜ん。 床へ落下していく黒い色艶の艶めかしい和毛が増せば、白い柔肌のふっくらとした丘もあからさまになっていく。 眼に染みるようにくっきりとした奥深く生々しい割れめがさらけ出される頃には、 小夜子は、緊縛された裸身をかすかに震わせている状態にあった。 「さあ、すっかり綺麗になったわよ…… 見違えるくらい、綺麗になったわよ……」 褒められた女は、下腹部の拠り所から全身を火照らされている心地よさに夢中になっていて、 恥ずかしくあからさまにされた箇所を見やる余裕もなかった。 明美夫人は、観客がきちっとした評価を付けられるように、その場を退いて、新たな装いの物品を示すのだった。 生まれたままの全裸の女は、麻縄の縛めだけをまとわされて、文字通り、生まれたままの姿になったのだった。 美貌の顔立ちがあかさまにされているように…… 美麗な乳房があらわにされているように…… 女の生々しい割れめが匂い立つような麗しさでさらけ出されているのであった。 場内からは、そのありように反応して、感心するため息がもれていた、熱心さをあらわす吐息もあった、 或いは、揶揄するような女の含み笑いもあった、さらには、ブラヴォーと賞賛を叫ぶ男の歓声もあった。 だが、小夜子には、場内がざわついているとしか感じられないものだった。 もう少しで行き着くところにまで行けたのに、相手が自分の前から退いてしまったのだった。 観客三十名から浴びせかけられる視線と声音から、羞恥を感じて横へそむけたように見えた女の顔立ちも、 脇へ突っ立ったままでいる明美夫人へ、恨みがましい視線を送りたいがためのものだったのだ。 明美夫人は、薄笑いを浮かべながら、相手のまなざしをしっかりと受けとめたように、うなずいて見せた。 「柔肌が荒れてしまっては、いけませんので…… スキン・クリームを塗っておきます……」 そう言うと、ポケットから取り出した小瓶を開けて、小夜子の下半身へまとわりついていくのだった。 それは、もう、湯の塗布の愛撫でも、鋭利な刃の愛撫でも、スキン・クリームの塗布の愛撫でさえなかった。 女が思いを寄せた女の求めに応じて、昇りつめるまで行われる愛欲の愛撫としか言えるものではなかった。 女の熱心な指先は、ふっくらとした白い丘を優しくも揉むようにしながら、 割れめをこじ開けるように少しずつもぐり込んで、奥へ奥へとにじりながら、うごめきを開始していた。 緊縛された全裸の女は、されるがままになっているだけでは物足りないとばかりに、 艶めかしい太腿を開くようにして、相手の指先をさらに奥へと誘う仕草を示しているのだった。 明美夫人は、してやったりと満足そうな笑みをたたえながら、観客席の方へ顔を向けた。 「お客様に申し上げておきます、可愛らしいことに…… この美しい女性は、間違いなく、上付きにできています…… これは、お得な価値だと思いますが……」 上付きというのは女の名器の条件として言われることで、膣の位置が肛門より遠くにあることを意味するらしいが、 下付きと同じようにお目にかかったことがないので、明美夫人のこの表現は、作者には理解しかねることである。 小夜子にも、同様に理解しかねる言葉であったが、 彼女の場合は、相手の指先がついに敏感な小突起をまさぐってさがしあて、 クリームを丹念に塗る素振りに見せながら、優しく強くこねりまわされる快感へ気を奪われていたからであった。 ああ〜ん、ああ〜ん、ああ〜ん。 快感の激しさ、心地よさがそのまま音声に変換されているという、悩ましくも甘美な声音がもらされ続けていた。 その可愛らしい音楽に勢いづけられるように、明美夫人の指先も、容赦がなかった。 可愛らしく立ち上がっている敏感な小突起を掻き出すくらいのねっとりとした愛撫で突っ立たせ、 べたべたのスキン・クリームを花びらの奥からとめどもなくあふれ出させているぬるぬるの女の蜜と混ぜ合わせ、 官能にべっとりとなった女の愛欲を間違いなく<答え>のある方向へと向けさせていたのである。 居並ぶ観客も、もはや、クリームの塗布だけではないと気がついていたのは当然のことで、 緊縛された全裸の女が、ああっ、ああっ、ああっ、と泣き声に似た切なくやるせない声音を張り上げて、 筋肉隆々とした男に支えられた裸身を振りほどくような勢いで、 もはや、身の置き場がないというように、悩ましくよじり、切なくねじり、やるせなくくねらせているさまが、 官能の絶頂へ至るさまを見事にあらわしていたからだった。 <性のオーガズムは、発動すれば、相反矛盾なくきっちりと快感と合わされることができるものとしてある> ということの実例が、人類史のなかで、またひとつ立証されることになったのだった。 小夜子は、美貌の顔立ちを法悦の美しさに歪め、 緊縛された裸身をぴくぴくと痙攣させるようにして、 昇りつめた喜悦に満たされていることを、だれの眼にも明らかにさせているのだった。 そのときの女の全裸は、紛れもなく、匂い立つような色香をあらわしたものだったのである。 これが<女の芳香>と呼ばれたいきさつであった。 |
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