借金返済で弁護士に相談



見つめている。
そこに打ち捨てられた縄を見つめている。
幾十本もの細い植物の繊維が撚り合わされてできている縄。
なまめかしく螺旋をえがくその姿は、
ひとの細胞にあるとされるわれわれの歴史を遺伝するDNAと同じ形状をしている。
その縄をひとは結ぶ、
その縄でひとは結ばれる。



家というものがある、ひとりで住んでいる場合もあれば、複数が同居している場合もある。
家は容量をもった器であるから、包含する「もの」の限度というものが存在する。
この場合の「もの」とは、人間を始めとして、動物、昆虫、微生物、植物、
それといわゆる「物」とされる、家財道具類、調度品、電化製品、衣類、嗜好品、食料、その他である。
家にはこれだけのものがあるのだから、それを維持していくためには、財力はなくてはならない。
加えて、秩序を保つ規律というものが必要となる。
まして、ひとつの場所に長年住んでいる場合、それも代々にわたる家系が明確であればあるだけ、
規律はしきたりという言葉に置き換えられて、維持していくための重要不可欠なものとなる。
このありようを家を守ると言う。
従って、守る家を意識しなければ、財力もしきたりもお構いなしのことになるわけである。
エロな物語の書き出しとしては、少々興ざめの感じがしなくもないが、
清楚な人妻・美樹、色っぽい家政婦・よし子、独善的な主人・啓介、残酷な姑・鬼婆、
この四人が活躍の舞台としているのがこの家という場所であるので、少々補足を試みた次第である。
と言うのも、エロな物語の状況設定は、
野外においてあけっぴろげでやりたい放題が行われる場合を除いて、
国籍を問わず、時代を問わず、建物の環境にある場合はほとんどがこの前提に従っているからである。
それほどに、われわれにとって、特に定住民族にとっては、血肉化しているものと言えるのだろう。
だから、この家に嫁として迎え入れられた美樹が主人である啓介に、
家のしきたりとして、妻という立場である以前に家畜の女という役割を与えられることになっても、
美樹がそれを望まず、この家へ入ることを拒絶すれば、受難の境遇を生活することはなかった。
もっとも、美樹でなければ、陽子でも由香里でも、別の女性が入れ替わるだけのことである。
家畜の女としての境遇を美樹が引き受けたのは、エロな物語では美女は被虐にさらされねばならないという、
性的願望の如実な表現であることは言うまでもないが、物語と論理の展開に整合性をきたすために、
美樹がもとよりその被虐を望む女性であった、
つまり、よく言われるマゾの性癖があったとすることが簡単明瞭である。
エロな物語は、複雑な人物、複雑な状況設定、複雑な筋、複雑な展開、さらには、複雑な結末をきらう。
官能はそれ自体としては清冽な人間のエネルギーである、それは善悪を超越している。
だから、複雑な構造が絡み合うということにおいて官能を刺激はしても、
それを高ぶらさせるということにおいては、往々にして逆効果になるからである。
歴史的に見ても、エロな物語が情景描写に表現の大半を置くのは、性的願望の成就が目的にあるからである。
従って、性的願望の成就が情景描写にあるとしたら、十九世紀の写真や映写機の発明以来、
それに音声さえも加わる臨場感が生み出す情景描写の表現の方が言語だけを媒体とする表現よりも、
まず、わかりやすい、広範で大量の伝達性をもっているということで、明確な存在理由をもっているはずである。
このようなエロな物語の本文に直接関係ないような事柄が挿入されるということ自体、
エロな物語を言語で表現することの新たな段階へ移行させる胎動をあらわしていることなのかもしれない。
何故なら、ポルノグラフィというのは、人類がこれまで変わりえなかったありようとしての人類であるかぎり、
われわれにとっては、なくてはならないものとしてあるからである(
☆詳細は『荒唐無稽の存在理由』を参照)。
とめでたく、ポルノグラフィの謳歌・賛美・明るい未来を言っているようにも見えるが、
新たな段階へ移行することを示す表現が多数あらわれて、ひとつの傾向を示すようなことがないかぎり、
木製の張形がビニール系の合成樹脂で作られ電動するという変わりよう以上のことはありえない、
どのような性交にも耐えられる精巧なアンドロイドであろうと、ダッチ・ワイフに変わりはないのである。
美樹はダッチ・ワイフではなかった、清楚な顔立ちと美しい姿態をもったマゾの女性だった。
このように言えば、赤ずきんちゃんは赤ずきんをかぶっていたと言うように、単純でわかりやすい。
そして、マゾの女性であれば、被虐の境遇にあってこそ喜びを感じるのだということは不可欠の条件なのである。
言い換えるならば、模範と定型に従って紋切り型のありようを前提としないエロな物語は成立しにくい。
何故ならば、官能はそれ自体としては清冽な人間のエネルギーであり、善悪を超越している孤高であるからだ。
エロな物語というのは、その純粋な官能の力を利用して、人間の性的可能性を願望するひとつの表現である。
ひとつの表現である以上、その様式の展開もあれば、他に取って代わりうる表現もあるということである。
どのような様式であろうと、様式は生まれ、成長し、衰退し、死滅する。
だが、表現においては最終のものなど存在しない、あれば、それは人類が人間を終わるときである。
人間の終焉と家政婦として雇われているよし子のありようがどこまで密接に繋がるものであるかはわからないが、
彼女の給与の対象となる仕事は奥様に付き添っての世話にあり、
家畜の女として家のなかでは常に生まれたままの全裸で生活させられている美樹――
家畜の名としては、1号、2号でもよいのだが、
この場合は、由美子という主人お気に入りの名前に変えさせられている――
その彼女を主人が不在のとき、主人と同様の役割で、女の全裸へ縄を用いてあらゆる意匠の縄掛けを施したり、
道具を使った無理やりの排泄行為をさせたり、屈辱や恥辱と思われる剥き出しの姿態で長時間放置させたり、
主人自慢の形状記憶合金で作られた責め棒を跨がせて苦痛と悦楽の同時性を身体へ教え込んだりして、
奥様を飼育・調教することが日課としてあったのだが、その仕事を続けていくことがいやになるかどうか、
また、将来性のある職業として考えるかどうかを判断するのは、本人の意思次第のことである。
或る家の奥様を家畜の女として飼育・調教するとは言っても、見るひとのものの見方によっては、
ちょうど飼っているペットが運動不足に陥らないために行うトレーニング程度のものであるし、
実際、そのような観点から、思うがままの物語が絵であり、映像であり、小説であり、ゲームになったりして、
多くの表現がなされていることからすれば、それほど深刻に考える事態ではないのだろう。
よし子も三十四歳と年齢もまだ若く、そのくらいの気軽さでやっていれば、
決して悪い給料ではなかったのだから、それなりにすごさせたはずのことである。
それが造反を起こす行動に出たということは、余程のことがなければならない。
本当に奥様に横恋慕したからということが理由であるとしたら、
この不景気・就職難のご時世で大きな代償を支払っていると言えるのではないだろうか。
だが、彼女は、
「わたしは自分の思いを打ち明けられたことだけで満足です。
 いままで、一度だって、本心からひとに言えたことはなかったのです……」
という美樹への思いの一念だけで行ったことだとすれば、恋の力というのは何という破壊力であることか。
その恋路をこの家に棲息する鬼婆は邪魔をした。
この鬼婆は、外見上は普通の八十歳を越えるくらいの老婆であるが、女性と絡むと鬼婆になる。
それと言うのも、禿げ上がった真っ白な頭髪と歯のないくぼんだ口もと、どぎつい目つきや鋭い鷲鼻、
皺だらけの小柄な身体が険しい老いをあらわにしていたが、女性には違いなかった。
女性であるがために女性に執着するという至極もっともな理由によって、女性とねんごろな関係を持つ、
と言っても、レズビアンであると言うことではない、女性の行動へ関与するのがまさに生そのものなのである。
この家に棲息している場合も、実際は家事いっさいをまかされる家政婦の役割にすぎないのであるが、
よし子が来るまでの間、この老婆は、主人の啓介が家畜の女として美樹を飼育・調教するありさまを、
いつもかたわらで薄気味悪い笑みを浮かべながら眺めていたのだった。
奥様が全裸になり麻縄でさまざまな緊縛をされ、あらゆる責めを受け、もらす切ない声音、甘くやるせない声音、
悩ましいよがり声、恍惚となった泣き声、みな耳にし、さらけだされた身体の各所も嬌態のことごとくも、
すべて見てきているのだった。
そうした百聞は一見にしかずという認識で、女性の境遇を男性の迫害に乗じて追撃し、
女の本性を暴くということを極上の喜びの身上としていた。
ただの家政婦にもかからわず、奥様にとっては、嫁における姑のようなうとましい存在感を感じさせたのも、
女としての先達ということがあったからだった。
何が女の先達であるかと言えば、女は伝統的・因習的にも被虐にその存在理由があるという認識だった。
女はいじめられ、なぶられ、しいたげられて、始めて女という存在をあらわすという伝統的思考方法である。
先にいる女は、あとからきた女が被虐のありようを示さないということを絶対に容認しない。
何故なら、先にいる女がそこに女としての自尊心を持って存在することを可能にさせているのは、
まさに彼女より先の女から被虐の存在として取り扱われたからである、従って、
家に嫁として迎え入れられた女がいじめられ、なぶられ、しいたげられることは、その嫁の存在理由なのである。
ましてや、嫁を亭主が可愛がるなどということは、その相対する分量だけ被虐が行われるだけのことである。
実はその亭主が息子であるかどうかさえ、たいした問題ではない、問題は女は被虐にあって女であることなのだ。
嫁に息子を奪われた腹いせといっても、いじめる、なぶる、しいたげる、という行動のきっかけが必要なだけで、
それは別に茶碗ひとつ割ったということでも同じである。
息子を溺愛しているから姑の嫁いじめがあるなどと言うのは、愛の動機の濫用があるだけのことである。
男女の性が絡む情熱的な行動の不可解さを何でもかんでも愛に結びつければそういうことになる。
だから、鬼婆がよし子と美樹の恋路を邪魔したという表現には誤謬があるとも言える。
鬼婆は、夫婦の寝室で、奥様と家政婦がともに全裸になって乳繰り合っているさまをのぞき見して、
女が図々しくも一緒になって喜びの絶頂を極め、造反を決定化するように家から駆け落ちしようとしたことが、
女の存在理由としての伝統と因習を受け継がない不埒として見ただけのことだったからである。
美樹とよし子が女の分際で展開させようとしていたことはとんでもないことだった。
女は被虐の存在であるから女である以上、被虐を超えたら、鬼婆の存在理由も消滅してしまうことになるからだ。
こうした鬼婆の存在による伝統反逆への抑止力が善いことであるか、悪いことであるか、
この問いはたいした意味を持たない、それは善悪の彼岸の事柄であり、ましてや道徳とは無縁のことである。
女性解放の問題への移行などおこがましいかぎりである。
女性の被虐の状況を解決したところで、人間の問題は依然として残る。
愛の動機の濫用が愛という言葉を無意味化させるように、状況のいずれに肩を持つかという善悪であれば、
善とするものを支持する立場は、悪を措定する前提がある以上、いつでも悪となりうる背理を持っている。
いままで悪だと思われていた伝統や因習が実はそれがあることで善を成立させていることさえあるのである。
主人の啓介が単に性欲に駆られてというだけでなく、
ここまで真面目に考えて、家のしきたりだと言って、
妻を女の家畜とさせていたかどうかはわかりにくいところだが、
少なくとも、妻と家政婦が引き起こした擾乱の事態を処罰によって一義化しようとしたことは確かだった。
これにも、官能はそれ自体としては清冽な人間のエネルギーであるということが基調になっている。
夫婦の寝室で女であることの喜びの絶頂を極め合った美樹とよし子は、駆け落ちする以外に道を見出せなかった。
その行動をふたりの愛欲のありさまをのぞき見していた鬼婆が阻止した。
ちょうど帰宅した啓介は全裸の姿で互いに身を寄せ合っているふたりの女を見たとき、
その罪が何にあるかという罪状の追求よりも下腹部を思わず一気にもたげさせ、
ふたりを処罰するという決定を下すに及んではいきり立つほどさえなった男の自尊心が、
地下室で責め苦を与えるという婆さんの提案を妙案とさせ、
実行を確信をもって行わせることをさせたのであった。
一糸もまとわない生まれたままの全裸の姿にある由美子は、いつ見ても美しいと感じさせるものがあった。
どのような美しいもの、愛らしいものであっても、間近に接し続けていれば、無感動になり倦怠さえ引き起こす。
ところが、家畜の女という被虐の境遇がそうさせるのであろうか、由美子の漂わせる色香は色褪せないものだった。
ウェーブのかかった柔らかな黒髪を輪郭にして、通った鼻筋に可愛らしい小鼻と綺麗な形の唇、
柳眉の下に大きな瞳を輝かせ、上品な顔立ちに優しさをにじませる美貌、
その浮かばせるきめの細やかなしっとりとした表情は、憂いを含んだとまどうようなまなざしを彼方へ向け、
その場にあっても、まるで別の世界に住むひとのような孤高の美しさをかもしださせているのだった。
澄んだ声音の喋り方のイ長調的な音楽性、それがパウゼとなって押し黙って控えているときの様子は、
女らしさという言葉をこれほど実感のあるものだと感じさせないではおかないものがあった。
なめらかな乳色をした柔肌が造形する姿態は、ほっそりとした首筋、肩から腕へつたい指先へ流れるなよやかな稜線、
愛らしい桃色の乳首をつけ美しい形に隆起した乳房が魅力的であれば、腰付きから脚への線は蠱惑的であった。
家畜の女のあかしとして、下腹部の翳りの覆いはすっかり取り去られ剥き出しにされていたから、
腰付きの曲線がなまめかしく優美であるだけに、ふっくらと盛り上がった中央の縦の深い亀裂は鮮烈でさえあった。
綺麗なふくらみを見せる尻からしなやかに伸びた両脚は、つま先まで匂い立つ麗しさでそれらを支えているのだった。
この裸身を隣に立つよし子が愛欲のままに好き勝手にしたのである。
だが、同じく全裸の姿でいるよし子は、普段見慣れている衣服をまとった姿態からは想像できない魅力があった。
女は顔立ちにしても身体付きにしても、格別秀でているようには感じられなかった。
乳房は大きくもなければ小さくもなかった、曲線をあらわす腰付きや尻の優美さも見事と感じられるものでもなかった。
太腿からつま先へ至る線はなまめかしいと言うにはほっそりとしすぎていた。
身長こそ同じくらいであったが、由美子のわきへ立つことで見劣りするのではないかと思わせた。
だが、よし子の表情は女の自意識を輝かせているというくらいに存在感があった、
かもしだされる官能の魅惑は、野生の牝鹿が思いのままにあらわす優美でなまめかしい姿態を思わせるものがあった。
女と一概に言うけれども、固有な美しさを女はそれぞれに持っているのだ、
ただ、それをどのように発揮させるかに違いがある。
そのような魅力の違いを複雑でわけのわかりにくいもの、女性の神秘という多義性をあらわすものだとしたら、
それを一義化させる道具を男は持っていた。
少なくとも、啓介にとって、縄はその道具であった、結ぶ、繋ぐ、縛るという行為は一義のものであった。
女は縄を掛けられて初めて女そのものをあらわす、という一義だった。
どのような外見をもった女であろうと、女であれば、生まれたままの全裸姿にして縄で縛り上げれば、
自由を剥奪され逃れられなくなった境遇が生み出す、緊張、苦痛、羞恥、屈辱のまぜこぜとなった擾乱のなかで、
縄に閉じ込められたという拘束感があって初めて向き合わされる自己を知ることになる。
縛られた身体をどのようにあがいて見せたところで、思いをどのように意志に変えさせようとしたところで、
おのれの恥ずかしい箇所までもさらけ出された緊縛姿を鏡で見せ続けることをするだけで、観念するのは時間の問題。
観念すれば、今度は本来あるところの自己と向き合って折り合いをつけることを始めるのだ。
矛盾や相反に属するいっさいの思いを緊縛が官能を高めるものだというひとつに整合させることを行うのだ。
そのあかしに、いずれは花蜜をあふれ出させ、みずから挿入を受け入れる欲求を口にさえするのである。
女はそうした動物にすぎない、家のなかに囲われていれば、家畜にすぎない。
生産性と言えば、子を孕み、生育させ、出産するという以外、持たない。
だから、常に美しい姿にあって、その美しさを全裸の姿であからさまにしておかなければならない。
この家のしきたりはそうなのだ。
啓介は、よし子が自分から翳りの覆いを取り去って割れ目を剥き出しにさせている箇所を眺めながら、
女とはそうしたものだと納得するのだった、家畜の女になりたがっているのが女の本心であると思うのだった。
由美子は縛られるとき、
「いやです、もう、あなたの自由にはなりたくありません」
と言って身悶えを示したが、啓介には意味のない言葉だった。
縛られれば、言葉など他愛のない伝達手段だということを知ることになるからだった。
言語のつたなさが官能の直撃を超えるだけのありようを示したことはこれまでにないのである、
手に負えない官能のエネルギーを持て余すかぎり、形而上と形而下の交接は成し遂げにくい処女と童貞なのである。
一方のよし子の方は、初めての緊縛だった、抵抗が予想されたが、婆さんが抜き身をかざして封じ込めた。
啓介は、抜き身などこの家のどこにあったのか、覚えはなかったが、よし子が歯噛みしながら見せた悔しさに、
牝鹿の匂い立つ色気が感じさせるわくわくとするような官能に比べれば、実に取るに足りないことだった。
後ろ手に縛られ乳房の上下へ掛けられた縄の全裸緊縛姿にあった女がふたり立ち並ぶと実にあでやかであった。
隠す手段を奪われた裸身を少しでも見せまいとよじるような姿勢にして、
男に見せるどころか互いを見ることさえも羞恥であるかのように顔を俯き加減にそらせて、
女の姿態が浮き上がらせる曲線の優美と豊麗と色香をかもしださせているのだった。
ふたりの縄尻を取って地下の拷問部屋へ引っ立てていくのは、もたげている男の自尊心をぞくぞくと震えさせた。
前を歩かせるふたりの女の白く豊満な尻がうごめくさまは、あだっぽいと言う以外の何ものでもなかった、
その妖しさを漂わせる縦の亀裂へ股縄を掛けてはまらせてみたら、どれほどに淫らで悩ましいありさまになるだろう。
いきり立たせられる思いに夢中になっていると、いつの間にか地下室へ到着しているのであった。
このような場所が家のなかにあったことは疑問があったが、伝統と因習の守護者である婆さんがあると言ったものだ、
眼の前にさせられている以上、ないと言えば嘘になるから、このリアリティは現実的なものだと感じさせられた。
実際、由美子もよし子もこの場所の雰囲気にのまれ、不安と恐怖から裸身をぶるぶると震わせていた。
拷問部屋、その言葉以外受けつけないくらいの明確で圧倒的な存在感であった。
窓ひとつないコンクリートの壁で閉塞された三十畳の広さは、四隅の上方にあるスポットライトだけの明るさだった。
照明は中央を浮かび上がらせるようにして集められ、周囲に置かれたまがまがしい拷問道具の数々のなかにあって、
一段とおぞましい姿をあらわにしている紫色の三角木馬を際立たせていた。
見ようと思わずとも、この場に立てばそれを見ずにはいられないというありようだった。
三角柱の胴体に四本の脚がついているだけの簡素な形は、装飾をいっさい必要とせずに存在理由をあらわしていた。
三角の鋭角の部分が背になっていて、そこへ跨らせて人間の急所である股間を責め立てるというものである。
人間の肉のもっとも柔らかい箇所で、かつもっとも敏感な神経のゆきとどいている陰部を鋭い三角で割らせて、
さらに本人の体重のままに食い込ませるという重力の最適利用を可能にした見事な発明の道具である。
跨る者に責め苦を与えて自白させるという心理的・尋問的・供述的効果にも優れていたことは、
日本の場合も室町時代後期から江戸時代の終わりまで使われていたことで立証されている。
近代化・現代化というのは、このような木製の工芸品を頭から時代遅れと見なして、
鉄製品・非鉄製品・石油製品によって生活道具から始って拷問道具に至るまで変えさせてきたが、
この家の場合、鬼婆という伝統・因習の守護者がいたので、このような拷問道具も存在できたというわけである。
だが、三角木馬の持つ歴史的意義がどのようなものであれ、眺めているだけのものならともかく、
それに跨がされることになる者にとっては、古代だろうと近代だろうと現代だろうと、意味も関係もない。
跨る者の時代性を超越しているということでは、この道具は永遠の存在であるとも言えたかもしれない。
「さあ、旦那様、いつまでも木馬になんか見とれてばかりいないで、
 さっさと女を跨がせなきゃ、だめだ」
婆さんがけしかけた。
永遠の存在も想像だけでは説得力が弱い、実在することが明らかにされるに越したことはない。
どのような高山であろうと、登攀の行われることがなければ、人間にとっての山ではない。
この場合、三角の頂上へ昇らせるには、部屋の隅に置いてあった踏み台を使うのだと婆さんは指示する。
何ごともそうであろうが、飛躍することはわかりにくい、段階を踏むことは対象の理解を速やかにさせるものだ。
踏み台、階段、はしご、こういったものは思いを移行させ展開させ高所にまで引き上げさせる手段だ。
木馬を挟むようにして踏み台をふたつ置くと、今度は認識の過程を踏み出す者の番である。
婆さんの論理では、最初に跨がせるのは奥様の由美子で、家政婦のよし子がみずからの罪の大きさを知るのは、
自分が行った造反行為の結果、責め苦を受けさせられる者があらわす苦悶の大きさを見ることにあるという。
よし子は責め苦の対象に取って代わることのできない以上、みずからが責め苦を与えているのと同じだというのだ。
啓介はもっともだと感じたから、由美子を処罰の道へ歩ませようと近づいた。
間近にする妻の肉体はいつも言うに言われぬ芳しい香りがして、
その乳色の白さを輝かせる肌の柔らかさとなめらかさは、思わず優しく抱きしめたくなるくらいのものだった。
だが、この肉体がよし子を惑わせこのような事態を引き起こさせたことを思うと、
彼は心を鬼にして相手のなめらかな背中を小突き、引っ立てるようにして歩ませるのだった。
「いやっ、いやです、お願いです、やめてください、こんなこと、いや……」
由美子は足もとを踏ん張り、悲痛な声音を上げながら訴えた。
命令には絶対服従だった家畜の女が示した抵抗は啓介を戸惑わせた。
そこへ婆さんに縄尻を取られているよし子が泣き叫ぶような声をあげて哀願してきた。
「ご主人様、お願いです、どうか美樹さんをそんな目にあわせないでください……
 悪いのはみなわたしです……わたしが罰を受けます……美樹さんを許してください!」
家畜の女として由美子と名乗らせた女は本名で呼ばれていた。
啓介にとって、由美子はかつて愛した不滅の恋人の神聖な名前だった、その神聖をないがしろにされたのだった。
由美子とよし子の非道を怒鳴り散らして、鬱憤を晴らすというだけでは収まりがつかなった、
由美子の翳りを奪われてあからさまになっている割れ目を見るとむらむらとした官能が怒りを倍化させるのだった。
無理やりにでもこの女を跨らせねばならない、という思いが相手の綺麗な尻への打擲となってあらわれるのだった。
バシッという皮の裂けるような乾いた音と、ああっ、というか弱い女の悲鳴が室内にこだました。
啓介は妻の裸身を押し上げるようにして処罰への階段を昇らせた。
由美子にはもう恐ろしさで力が抜けているようなところがあった、
しなやかな美しい両脚が木馬の背を跨いだときは、視点の定まらない空ろな表情にさえなっていた。
それを婆さんは鬼婆のように、
「しゃがみ込め!」という怒号とともに、手にしていた抜き身の背で女の綺麗な尻を叩くのだった。
由美子は、眉根をぎゅっとしかめ、美しい形の唇を噛み締めがら、言われるままにそろそろと腰を落としていった。
段階が踏まれて行われることは、このように速やかな認識の過程へ移行させるものだった。
三角木馬の鋭い背がこれ見よがしに割れ目へ食い入っていくさまは、残酷で淫らで異様で妖美でさえあった。
「ああっ、美樹さん!!」
よし子が由美子の表情と同じくらい悲痛な顔立ちになって泣き叫んでいた。
啓介は双方の踏み台を取り去っていった。
女のしゃがみ込まされた腰付きは、
すらりと長い両脚を重力の法則に従って地面の方へ垂れさせ、優美な直線をあらわにした。
つま先が地面に届かないことは、体重がそのまま跨っている箇所へ集中するということであった。
翳りをまったく取り去られた股間の箇所が、
深々とした神秘の割れ目をこれでもかというくらいに木馬の背へ食い込ませ、
ふっくらとした白い小丘を醜いくらいに盛り上げて見せていたが、
それが激烈な苦痛であったことは、女の清楚で美しい顔の苦悶の歪みが見事にあらわしていた。
「ああっ、やめてっ、やめてっ、お願いですから、美樹さんをおろしてあげてっ!!」
よし子はもうなりふり構わず泣き出しながら叫んでいた。
だが、啓介には責め苦を必死で耐える女の姿に憐憫などは少しも感じられず、
むしろ美しいとさえ感ずるものに陶然とさせられていた、
妻は、由美子は、女は、重力などという下世話なものを超越して中空に浮かんだ、
実在する天使のような永遠不滅の美しき輝きを放っていると詩的にさえ思わせるものであったのだった。
全裸で女が縛られ拷問道具に跨がされて責め苦にあっている姿に天使を見るなどとは、
尋常な状況であったら、それこそ気違いだと言われてもあたりまえのことである。
だが、そこは尋常な場所ではなかったし、尋常なことが行われていることでもなかった。
どのように驚異的なひとや考えや場所があろうと、そのなかにいれば普通のことにすぎなかった。
こうした女の本来の美しさを現出できるものであれば、ひとりよりもふたりであればどうなるか。
だれもが興味を持つことだった、官能にほだされて舞い上げられた気持ちになれば、
だれでも世界は悦楽の場所であり、思うがままに行動を成し遂げられるとさえ考えるようになる、
自己中心の世界観こそが正しく絶対的だと思うのである。
婆さんとよし子が木馬の女について、助けるの助けないのと激しくやり取りしていたが、
啓介にはまったく無意味に思えることだった。
そのような他愛のない問答を繰り返したところで、答えは導き出せない、
答えは薄っぺらな言葉になどなく、そのあらわれが眼の前に示されたとき、初めて明らかとなるのだ。
それでも、婆さんの鬼婆のような怒声は迫力があった、
よし子は全裸の緊縛姿では何もできないことを愚弄され続け、ついには無力感に打ちひしがれていた。
そんな彼女に木馬の女は言葉をかけて励ますのだった。
「よし子さん、負けたら、だめよ……
 わたしは頑張ります、よし子さんがそこにいてくれるから、頑張れるのです、
 わたしは、負けないわ、絶対に……」
無意味な言葉である、みずからの苦悶に精一杯の者が行うにはお節介と言うものだ。
それを明らかにするように、
婆さんは手にしていた刀の鞘をよし子の股間へ無理やりねじ込むようにして差し入れた。
ああっ、ああっ、よし子はたまらず腰を引いて防ごうとしたが、もぐり込んだ先っぽはそのままだった。
婆さんはよし子の縄尻を強引に引き寄せると、もぐり込ませた先っぽをぐりぐりと回転させるのだった。
よし子は泣き声を上げて苦痛を訴えるのだった。
「たいした痛さじゃないよ、いま、奥様が味わっているものに比べたら、蚊に刺されたようなものさ。
 そのぐらいを耐えられなくて、おまえに木馬が耐えられるのかねえ。
 だって、おまえは言っただろう、美樹さんとやらなければならないことがあるって。
 だから、これから、それをやってもらおうと思っているのに」
よし子は由美子と将来をともにするような高らかとした希望をほざいたのであった。
そのようなものが夢にしかすぎないことは、現実感覚のなかでしっかりとわかることだ。
家政婦が造反を起こして妻と痴情の関係を持ち、官能にのぼせ上がったふたりは逃亡まで企てた。
放っておいても社会問題にはならないだろうが、一家においては重大な恥辱であり混乱である。
収拾をつけるには、ふたりの罪の起因となった同じ官能によってひとつの秩序に戻さなければならない。
全裸を緊縛した妻を三角木馬の責め具へ跨らせたことで気負い立たせていた下腹部は天使を見させ、
今度は家政婦を跨がせることを思うと一段と反り立つものとなり、美への願望にはちきれんばかりになった。
啓介は妻と並んで跨らせるために踏み台をもう一度木馬まで運んで設定した。
婆さんが刀の鞘の先っぽでよし子の背中を小突きながら引き立ててくると、
啓介はその裸身を踏み台へ押し上げようとして触れた。
匂い立つような牝鹿のなまめかしい体臭に、思わず縄で突き出されたふっくらとした乳房を鷲づかみにした。
よし子は、何をするの、という激しいまなざしでにらみつけたが
眼前に迫った三角木馬の現実感には、言葉は何らの概念を結ばせることもできなかった。
婆さんは、ふたりを向き合わせて跨らせることを提案した。
「ふたりがお互いの苦悶の表情を見られなければ、意味ないじゃないか。
 こいつのために自分はいま死ぬ思いの激痛を感じ苦悶を耐えさせられていることを自覚させなきゃ。
 いくら、好きだ、愛している、このひとのために頑張るなんて言ったって、
 そいつのためにこんなひどいに思いにさせれていることが実感されれば、百年の恋も冷めるのさ。
 そんなものは、小説や舞台や映画の世界の話、うまく描かれた絵空ごとにすぎないってことを、
 この夢見る淑女の方々にも知ってもらわなくては、本当の罰にはなりゃしないね」
まともな言い分だとは感じたが、それは本当の罰を与えるということに意義を感じたからではなかった。
女同士の愛欲行為にまで及んだというふたりがそれぞれの苦悶のなかにあって、
どれだけ、所詮は被虐の身にある女にすぎず、その美をあらわすことしかできないというところを、
しっかりと見ることのできる配置だったからだ。
踏み台の上へ昇らされたよし子は、木馬を跨ぐことに躊躇を示し、跨ってもすぐに腰を落とさなかった。
彼女をためらわさせていることが何であろうと、時間の問題であるにすぎない。
「さっさとしゃがみ込め!!」
ついに、啓介は激しい言葉とともに相手の身体を押さえつけて腰を下げさせた。
それから、身体の支えとなっていた双方の踏み台を強引に取り外すと、
鋭角を股間へ食い込まれされたよし子は、
室内にこだまするぐらいの凄まじい絶叫をあげて苦痛をあらわにした。
よし子のだらりと下がった二本の脚は、中空を蹴って地面へ届かせようというはかない試みを行っていたが、
それがかえって股間へ食い込ませることがわかると、
今度は内股に挟んだ三角の背をいっそう強い力で挟み込んで身体を浮かせにかかっていた。
しかし、それさえもまったく空しい試みであるどころか、
ますます食い込みを激しくさせるものであることがわかると、
まるで生気を失った牝鹿が三角の台の上へ二肢を割り開かれて吊るされているような感じのものになった。
その様子を薄笑いさえ浮かべて眺めていた啓介は、
下腹部にそりかえったものに気持ちのよいくらいの充血を感じ、
放出のときを漸進的に進ませることを思うのだった。
よし子は股間の一点から全身を貫いて込みあがってくる激痛をもはや耐えるしかなかった。
眼の前へ肌の触れ合うくらいに間近に向き合わされている相手をかえりみる余裕はまったくなかった。
苦痛は思いを翻弄し、両眼を閉じ眉根をぎゅっとひそめて唇を噛み締め、
必死なってこらえさせるものでしかなかった。
ああっ、ああっ、ああっ。
悲痛な泣き声を一段と高く張り上げても、後ろ手に縛られた状態ではどうにもならなかった。
真下へ眼をやれば、自分でもはっきりとわかるほど、
鋭角な三角が割れ目へ食い入って恥ずかしいほどに小丘を盛り上げているのが見えた。
そればかりではない、胸に掛けられた麻縄で突き出させられた乳房にある乳首までもが、
このような残酷な姿にさせられて欲情しているとでも言うように、浅ましく突っ立っているのであった。
恥ずかしく、情けなく、浅ましく、痛く、苦しく、どうにもならないありさまにさせらている自分が、
大きな負担だと感じる以外の何ものでもなかった。
この苦悶から解放されるのであれば、自分などどのように放棄してもよいとさえ思わせるのだった。
よし子は俯いたままでいるばかりだった。
自分が大きな負担なら、相手の存在はもっと負担であったのだ。
いつ終わらせてもらえるかもわからない苦悶を耐え続けることを思うと、
これまで自分が楽をして考えてきたこと、感じてきたことは、ずべてまやかしのようなものに思えるのだった。
そんな自分を放棄できるというのなら、相手の存在も放棄して、何もかもなくなってしまえばよい、
このもっとも柔らかく敏感な箇所から全身を苦悶の底へ沈めるありようから解放されるのであれば、
もっとも愚劣で恥辱で残滓のような自分などまったく不要だった。
よし子は両眼からぼたぼたと涙をあふれ出せながら、ひたすら苦悶を耐え続ける以外なかった。
ふたりの緊縛された全裸の女が互いに向き合わされて紫色の三角木馬に跨がされているのだった。
部屋の四隅にあるスポットライトが煌煌とその姿を照らし出しているありさまは、
まるでショーのような際立った感じを与えていたが、観客は男ひとりと老婆ひとりという寂しいものだった。
実際は、これを読んで頂いている読者の方と書いている作者も参加しているのであるが、
読者の方はつまらないと思って立ち去って行かれる場合もあるので、実数として計算するのはむずかしい。
作者の方は、おもしろかろうとつまらなかろうと、物語の最後まで付き添って行く立場にあるのであるが、
人間の物理的・心理的現象の現実性に従っては、それほど簡単に物語へちょっかいを出せないところがある。
従って、紫色の三角木馬へ全裸の緊縛姿で跨がされ処罰を受けている美樹とよし子を、
啓介や鬼婆の現実参加に比べては、ただの傍観者という見守り続ける立場でしかなかった。
それはそれとして、光に照らし出されているだけ、女体の白さは浮かび上がり、
四本のしなやか脚が挟み込んだ紫色との対比で、ただの絵姿であれば、
夢幻とも思えるような残酷でありながら妖美でもあるエロティシズムがあらわれていたが、
実際は、ひとりの女は俯いたまましくしくと涙を流して耐え続け、
もうひとりの女は顔こそ上げていたが、苦痛に顔立ちを歪ませて耐え忍び続けていたというほど散文的だった。
美樹は家畜の女として被虐の境遇を生活してきただけに、苦痛を耐えることでは思いも身体も準備があった。
しかし、いままで行われたことは虐待には違いなかったが、拷問ではなかった。
いま、拷問にさらされた状況にあっては、
被虐を喜びだとするような生やさしさが通用しないことを悟らされていた。
股間から全身へ行き渡る苦痛は苦悶の大きなうねりとなって、いつ終わるともない波打ちを繰り返している。
主人の気の済むまで行われることはわかっていても、そのときまで気を確かに持っていられるかわからなかった。
耐え続けろと言われれば、耐え続ける、それはよい。
だが、眼の前へ同じ拷問姿にさせられた相手と感じ合った、
あの緑なす草原や森林のような生育するものが息吹として伝える青々とした官能の輝く喜び、
それを打ち消され、台無しにされ、放棄させられるのであれば、
耐え続けることなど無意味と思われるのだった。
だが、そうされてしまうのだろう、この苦悶がそうなるまで続けられれば、自分はそうなってしまうのだろう。
所詮、自分などというものは、そんな程度のものなのだ。
だから、自分はこの家へきて、家畜の女の役割を引き受けて、それを甘んじていられたのではなかったのか。
一時の官能に舞い上げられて、ほだされた思いから考えることなど、現実的なものなど何もないのだ。
女は女、女以上のものにもなれなければ以下のものにもなれない、与えられた境遇を甘んじるだけのもの。
そうかもしれない……
けれど……けれど、わたしは耐えて見せるわ、耐え続けられるかぎり、苦悶を耐えて見せるわ。
美樹は必死な思いでそう一念するだけだった。
しかし、彼女たちの思いがどのようであろうと、紫色の艶やかな木馬が拷問道具であることに変わりはなかった。
そこへ跨がされた女は、激痛が舞い上げる苦悶の波間に漂うことを現実感とさせらるのだった。
最初の激痛がおさまり、逃れられるように思えた苦痛もさらにうねりを増して打ち返してくるのであった。
苦悶はふたりがそのあるがままに孤独であることを徹底してわからせるものであったのだ。
跨がされた三角が女のもっともか弱い箇所へ体重のままに突き上げてくる苦痛に耐えかねて、
女たちはしなやかな両脚を伸ばしきって、届くはずもないつま先をそらせ始めていた。
美樹は、う〜、う〜、と唸り声をあげながら、耐え続けることを耐え続けていた。
よし子は、こらえ切れずに逃れようと意味もなく身悶えを行おうとしたが、
それがかえって深みに入ることをふたたび思い知らされ、泣きじゃくって耐え続けるしかなかった。
そして、唸ることも泣くことも甲斐のないことだとわかるようになると、
ついには、ふたりはじっと俯いたまま耐え始めた。
しかし、それも長くは続かなかった。
俯かせていたふたりの顔は、苦痛の波頭が高まるように、艶やかな髪を振り乱しながら持ち上げられていった。
眉根を歪めてきつく両眼を閉じたその表情は、白い歯で噛まれている唇が赤く綺麗だっただけに、
ぞっとさせるようなものさえ感じさせた。
だが、顔をもたげただけでは、依然として何ごとも変わらなかった。
ふくらませたまぶたから涙をあふれ出させたよし子が、しくしく、と泣き始めていた。
それにつられて、美樹も同じように嗚咽をもらし始めていた。
女たちの悲痛な泣き声は、激痛に翻弄されていくように、徐々に高まっていくのであった。
しかし、ふたりの女は自分の身を耐え続けるだけで、救いを求める言葉を何ひとつもらすことはなかった。
あふれ出す涙も、激情にほてった頬をつたい、乳首のつんと立った乳房の上へしたたり落ちていた。
ついに、どちらからともなく、ああ〜ん、ああ〜ん、とやるせない泣き声があがった。
身悶えしたくてもできないほど、木馬の背に沈み込まされたふたつのなよやか裸身は、
にじませた汗をただなまめかしく光らせているばかりであった。
ああ〜ん、ああ〜ん、ああ〜ん、ああ〜ん。
抑えのきかなくなった女たちの泣き声は頂点へ達していくようであった。
突然、舞い上げられた苦痛から狂ったように、美樹がわめいた。
「わたしは、いやっ、
 絶対に屈服しないわ、絶対に、いやよ!」
最後の力をふりしぼっているというような声だった。
その声に目覚めさせられたとでも言うように、よし子も朦朧としながら叫んでいる。
「わたしも、いやっ、
 負けないわ、絶対に、負けないわ!」
そして、後ろ手に縛られた身体で抱き合えないのなら、
せめてもと、ふたりは互いの額を相手の裸の肩へ乗せて泣くのだった。
ああ〜、ああ〜、ああ〜、ああ〜。
哀切なその泣き声も激しく高まっていくと、極まったかのように、やがて途絶えていった。
ふたりは髪を相手の肩へ垂らして、がっくりとうなだれた姿のままいるだけであった。
まるで絶命したかのように木馬に跨った姿を動かさなかった。
三角を挟み込んだふたりの白い内腿がてらてらとした光沢をおびていた。
おびただしい量の花蜜が割れ目からあふれ出て、木馬さえも濡らしているほどだったのである。
ふたりは、耐えがたい苦痛なのか、或いは、耐えることで生じた快感なのか、
どちらともおぼろげである薄闇の狭間をさまよっているという感じであった。
美樹は、額を押しつけた相手の肩から伝わってくる生きているぬくもり、
それがふたりの間に匂い立つ女の体臭を甘美な芳香のように感じさせ、
相手を思うことで、それがさらに強くなるのを意識するのだった。
どのくらいの時間、そうしていたのか。
スポットライトに煌煌と浮かび上がった白く光り輝くふたつの物体は動かなかった。
あ〜っ、あ〜っ。
やがて、ふたつの悩ましく悶えるような声音がなまめかしく交錯し始めた。
じっとなって動かなかったふたりの女が、どちらからともなく、おもむろに顔をあげて相手を見ていた。
その美樹の顔立ちは、ぞっとするほど美しいものだった。
よし子の顔立ちも、妖しいほどの女の色香をただよわせたものに変わっていた。
女たちは、相手の美しさに魅せられていくようにうっとりとなっている顔を寄せ合い、
綺麗な唇を突き出だして相手を求めていた。
よし子が差し出す柔らかな舌を、美樹は欲しがるように唇を開いて待っている。
唇と唇を重ねるほどのことでは物足りないと言わんばかりに、
美樹は含んだ相手の舌を一気に頬張って吸い上げた。
う〜ん、う〜ん、と悩ましそうな鼻息を鳴らしながら、
ふたりは妖美にうごめく軟体動物のような舌を執拗に絡ませ合っている。
後ろ手に縛られた全裸姿で残酷な三角木馬に跨がされたまま、
苦痛を超えて中空へ舞い上がったかのように、
女たちは夢見心地の表情で相手を求め合っているのだった。
受けとめる美樹が終われば、今度は彼女が差し出すぬめりをおびて糸を引いた舌を、
よし子が頬張って熱烈に愛撫し始めていた。
女たちは、もはや、跨っている三角の苦痛が消え失せてでもいるかのように、
夢中になってキスをし合っていた。
ふたりの女の割れ目があふれ出させる花蜜が左右に割った白くなよやかな内腿を濡らして、
紫色の木馬の腹をてらてらと光らせながら、ふたつのまざりあったしずくとなって床へしたたり落ちていた。
それは信じられないような光景だった。
一方では、拷問道具に跨がされた残酷な処罰の光景でありながら、
一方では、美しくも妖しい情欲が淫靡に輝いている愛欲の姿があったのである。
眺めていた啓介はその底知れぬ迫力に打ちのめされていた。
よし子の見せるキスの上手なこともさることながら、
あの従順一辺倒の妻が積極的に相手の舌戦に応じている姿は眼を見張るばかりのものだった。
ふたりの淫らで妖艶なキスの姿を見つめていると、
下腹部にいきり立っているものが思わず放出を始める感じさえあったのだ。
ねばりつくように舌を絡ませもつらせして、互いの官能を掻き立て煽り立てしていけば、
さらに、高ぶらされる刺激が欲しくなってくる。
女の芯から込み上げてくる悩める疼きに我慢ができないとでもいうように、
木馬を跨いで優美に垂れ下がっていたふたりの両脚が揺れ出したのだった。
ああっ〜ん、ああっ〜ん。
まるで女の亀裂を割って食い込ませた三角の頂点をもっと深くに求めるように、
美樹とよし子は唇を重ね合ったままで、両脚を振り始めたのだった。
ああ〜ん、ああ〜ん。
その姿は馬を駆りやる乗り手さながらに、並足のきれいなリズムさえ刻んでいた。
ふたりを乗せた紫色の木馬も、吸い続ける女たちの花蜜に生気をおびさせられたかのように、
三角の鋭利な胴体や頑丈な四本の脚をなまめかしく輝かせながら、
喜びにはずんでいるようにさえ見えるのだった。
あう〜、あう〜。
股が裂けてしまうのではないかと思われるほど、揺れる優美な両脚のテンポが早まっていくと、
女たちの唇はおのずと離れて、喘ぐようなやるせない吐息がもれるようになっていた。
驚異的なことは、彼女たちの動作が激しさを増しても、
木馬の鋭角な背が柔らかな肉を破らなかったことではなく、
むしろ、しっくりと女の柔肌になじんでいく感じさえ示していることだった。
あ〜ん、あ〜ん。
まさに、その木馬に高められていくように、ふたりの声音も甘く切ない泣き声に変わっている。
美しく眉根を寄せながら、股間から突き上げてくる官能に持ち上げられていく喜びを、
ほてった裸身全体で受けとめようとしているようだった。
ああっ、ああっ、うう〜ん。
突然、跨った緊縛の全裸を大きくのけぞらせたかと思うと、
美樹とよし子は、同時に官能を昇りつめていくのだった。
その瞬間、脱力したかのように力を失ったふたりの身体は、木馬からくずれ落ちそうになっていった。
びっくりした啓介は思わず駆け寄ると、ふたりの緊縛の裸身を両手で支えるようにしたが、
その甲斐もなく、女たちはなしくずしに床へ転げ落ちていくのだった。
だが、啓介を驚かせたのは、落ちたふたりの身体に損傷がまったくなかったということではなかった。
後ろ手に縛られた全裸を一メーター以上の高さから落下させれば怪我のないことはない、
ましてや床はコンクリートである、だが、なかったのである。
そればかりではない、床へ身体が落下するやいなや、
美樹とよし子はそれを待っていたかのように、
後ろ手にされたままの不自由な姿態をすり寄せ合っていくのだった。
そして、責め苦に耐え続けた互いの股間へ、いとおしがるように互いの顔を埋めていくのだった。
茫然としながら見つめ続ける啓介を尻目に、
相手の舌が動きやすいように恥ずかしげもなく優美な両脚を開いて、
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ、と淫らな音を立てながら、
相手の割れ目を舐め合っている女たちの姿は、女同士の愛欲をあらわすそのものだった。
女たちは、もう一度高め合わなければ気が済まないといった激しさで、
相手の敏感な可愛らしい突起を舌先で掻き出して、歯で噛み合ってさえいる。
啓介は眼の前に展開されている光景に陶然とさせられていた。
美しいふたりの女が生まれたままの姿を縄で緊縛され、女の中心となる箇所へ顔を埋め合って、
妖しくも淫らな愛撫を続けながら、一緒に昇りつめようと懸命になっているのだった。
ふたりは開いた羞恥の花びらを舐め上げながら、
ついにはその深い奥へと尖らせた舌先を入れ始めている。
はっ、はっ、はっ。
激しい息づかいとともに、舌先の差し入れられる動きも早まっていくと、
美樹もよし子も、もうがむしゃらに相手へ吸いついていくだけだった、
うっ、うっ、う〜ん。
ふたりは今度も仲よく思いを一緒に遂げていった。
極まった官能に白い裸身を打ち震わせながら、
女たちは相手の股間から頭をあげると、
啓介の方へ顔を振り向かせた。
その表情を見た瞬間、男は総毛立つほどの凄絶な美しさを感じさせられた。
ふたりとも頬をばら色に染まらせ、うっとりとしたまなざしを快さそうに投げかけていた。
相手の花蜜に濡れて光る唇は、愛らしさを一段と増したような輝きを示すだけで、
淫らな様子など少しもなかった。
むしろ、その表情は、女たちが本来持っている麗しさや淑やかさが昇華されたという感じだった。
それは、聖なる法悦とでも言えるような美しいものであったのだ。
そのとき、啓介は、いつの間にか、婆さんがその場から姿を消していることに気づいた。
女たちにはそのようなことはどうでもよいことだった、
彼女たちには、オレンジ色の閃光が見えていたからだった。


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