小部屋へ戻って来た男性は、 さも、自分はおまえの威厳のある主人なんだぞ、と言わんばかりに、 激しく音を立てさせながら扉を開いたのでした。 女性は、生まれたままの全裸にされ、縄で恥ずかしい緊縛をされ、 浅ましい自分の姿を鏡で見つめることをさせられと、本性としてあるマゾの性格を否応なく気づかされます、 その気づかされた思いは、肉体を敏感にさせる緊縛の縄で情感を込めて煽り立てられていくと、 そのようにしてくれた男性、自分を支配する主人から、もっと淫らにいじめられたいと願う女らしさとなります、 わたしの心持ちは、そのようになって、男性を待ち受けるものであったのです。 可愛らしい被虐の女であると言われたら、とてもうれしく感じることだったのです。 ところが、激しく音を立てて開かれた引き戸は、 立て付けが悪かったのかもしれません、或いは、勇み立っていた男性の股間の勢いのせいか、わかりません、 敷居から無様にも外れてしまったのです。 わたしは、思わず、くすっ、と笑いをもらしてしまいました。 まじめなサディズム・マゾヒズムの状況のなかにあって、不謹慎であると思われかもしれません。 不謹慎とは、すでに全裸で緊縛された姿をあからさまにしているわたしが言えるような言葉ではありませんが、 いずれにしても、笑いとおならというのは、抑えようと思って抑えられるものではないのです。 へたをすると、抑えつけようとすればするほど、自然な感じで出てしまうと言えるものなのです。 笑いもおならも、荒唐無稽にあるものなのです。 荒唐無稽――人間に内在する、みずからのありようとみずからの関わるいっさいをでたらめとするもの、 笑いとおならがそのあらわれであることは、神話やおとぎばなしの時代から示されてきていることです。 ですから、笑いをもらしただけであったのは不幸中の幸い、それでおならさえも出してしまっていたら……。 最悪です、ああ、恥ずかしい……。 サディズム・マゾヒズムの緊張感あふれる状況が荒唐無稽になるどころか、 同時進行に行われているのであれば、物語の存立さえもあぶなくなってしまうことでしょう。 もっとも、物語の方は作者が考えることですから、わたしなんかが考えることは余計なことかもしれません。 わたしが心配しなければならないのは、眼の前にある現実であることは言うまでもありません。 男性は、サディズム・マゾヒズムの性向を満足させるために、この場所へ高いお金を支払って来ているのです。 わたしと決してコメディをやりたいとは思っていないのです。 わたしも、それはよく承知していることです。 けれど、現実というのは、往々にして、そうあって欲しいと考えているような展開には至らせてくれません。 男性は、懸命になって外れた引き戸を元のように戻そうとしていました、 それがどうしてもうまくいかず、誰かほかのひとの手を借りたいくらいだと思ってわたしの方を見たとき、 わたしの不自由な事実確認をしただけであるならともかく、わたしのもらした笑いと出会ってしまったのでした。 扉を外してしまった男性の無様な事実と全裸を無様に緊縛されている女性の事実との現象的衝突。 この二者は、それまでふたつを結び付けていたものが緊縛の麻縄という具体物であったことを、 笑いというつかみどころのない感覚へ一挙に結び付けられることをされたのです。 女性は縄によって高ぶらされた官能の快感を求める、男性は縄によって高ぶらされた官能の快感を求める、 主語が異なるだけで、縄が両者の整合性的絶対関係をあらわすことに矛盾のなかった状況をです。 そこで、男性も、思わず笑いをもらし、わたしと共感することによっては、 結び付きであった縄の緊縛関係は、さらに激しく複雑化し、官能を高める一貫性へ相反なくおもむかせることをする、 でも、お互いに笑い合ってしまったら、和気あいあいとなってしまって、 サディズム・マゾヒズムの過酷な緊張感なんて、なくなってしまうかもしれない…… そうではなくて、男性がわたしの笑いを嘲笑として受けとめたら、よいのです、 嘲笑に反応する行動には、報復か逃避のいずれかがあります、 逃避は、この状況から逃げ出してしまうわけですから、お話になりません、 報復です、これは、わたしはすでに緊縛されて自由を奪われているのですから、 やりたい放題、納得のいくまでいじめることで果たすことができるのです。 嘲笑に対する報復、これこそ、女を被虐の思いにさせた成り行きを自然な展開へ至らせるものでした。 ああ、しかし、現実とは何と不可解なものでしょうか。 男性は、わたしに笑われたことで、そり立つ思いばかりでなく、実物さえも一気に萎えさせてしまったのでした。 笑いという荒唐無稽の何とも残酷な仕打ちとしか言いようがありません。 わたしは、ごめんなさい、と謝りました。 しかし、いくら素直な気持ちからの謝辞の表現であろうと、 いらぬ同情は、かえって萎縮を硬直させるだけのことであったのでした。 もう、こうなっては、サディズム・マゾヒズムどころではありません。 結局、男性の気持ちの収まるまで待たされるということになったのでした。 それまでの間、わたしは、その場所の設備としてあった頑丈な鉄格子の檻へ入れられることになりました。 もちろん、生まれたままの全裸を後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられた緊縛姿のままです。 ふたたび、待たされるという境遇に置かれることになったのです。 今度は、収拾のつかない結果のお仕置きとしてされるようなことだったので、 男性は、盗み見るようなこともしません、また、いつまでそのようにさせられているのかも、わからないことでした。 わたしは、薄暗い檻のなかで、ひとりぽつねんと待ち続ける女でしかなかったのでした。 これはわたしの仕事である以上、やむ得ないことだという思いはありましが、 それにしても、何ともみっともない、お話するのも恥ずかしい展開でした。 もっとも、みっともなく恥ずかしいのは、そもそも、わたしがさらけ出している姿がそうであったのですから、 言うまでもないことですわね……。 ……こうしてひとりぽつねんとさせられていると、ふと、古い記憶のようなものが蘇ってくる気がするのです。 それは、わたしは以前は男性であった、という記憶のようなものです。 しかし、不思議なものですね、女性に生まれ変わって生き続けていると、女性としての悩みの方が優先するのです。 かと言って、男性の記憶は払拭されたわけではない、どっちつかずとも言えない不思議なありようなのです。 実は、企業秘密で大きな声では言えないことですが、 わたしの所属するプロジェクトT・エンタープライズ社は、わたしを実験材料にして各種の研究を行っています、 一般市販化できる用途を発見しては、開発実用化することを事業としているからです、 わたしの男性女性のありようひとつを取っても、心理学、生理学、生化学、進化学の多角面から進めています。 たとえば、自己分裂に始まる心の問題は、その多くがわたしのありようの方法を使って解決できる、 その実用化としての治療方法を現在開発中とのことです。 わたしは、ただの実験材料ですから、詳しいことも、難しいこともわかりません、まして女ですし……。 わたしはただの実験材料……どこかもの哀しい表現のように聞こえますね。 わたしも、映画やコミックスによくあるような、悩める人体改造人形、アンドロイド、サイボーグか何かだったら、 よかったのにと思うことがあります。 悩める美しいアンドロイド、なんて言われたら、ロマンティックな響きがしますものね。 けれど、プロジェクトT・エンタープライズ社はともかくとして、この物語の作者は、すでにご存知の通り、 愛の解決はだめ、感情移入による感動はだめ、情欲を煽り立てるだけのポルノはだめ、といった調子ですから、 わたしとしても、実験材料として苦悩することはともかく、喜怒哀楽の露骨な感情表現はできないのです。 もっとも、そうですよねえ、生まれ変わった人間なんですもの……。 生まれ変われるなんてことは、そうざらにはできることではないんですもの。 そうざらにできないことのできた人間ができないで悩んでいる人間と同じだなんて、おかしいですものね。 だから、ほかの人間と変ったところがあったからと言って、思い悩むことなんか少しもないのかもしれません。 むしろ、それは、みずからの存在理由、そう考えたらよいのかも……。 実は、わたしは、命の保証もわからないのです…… でも、それだって、どの人間にある寿命だってわからないことと同じです、 いいのです、わたしは、いまのところ、薄暗く冷たい部屋のなかで、 頑丈な鉄格子のはまった檻へ入れられた、 生まれたままの全裸を縄で緊縛された美しい人形でいることで……。 |
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