階段の軋みが高くなり、昇ってくるひとの気配が強くなると、 わたしは、見ようと思わずとも、思わずまなざしがそちらへいってしまうのでした。 待ち焦がれているというような激しい思いがわたしのなかにあったわけではありません。 そのようなことは、はしたないことであり、淫乱なことであり、悪魔的でさえあることだからです。 わたしの胸をどきどきと高鳴らせる期待は、 ほんの少しの愛をかけてもらえればよい、ということを思っているに過ぎません。 清嗣さんの納骨の日から夜ごとに繰り返される行いは、 ひとの道にそむいたことをしたのだという罪の意識でわたしを苛んだことでありました。 けれど、わたしは優しく扱われることで、この家に嫁に来て以来、かつてなかったほどの心遣いを示されたのでした。 縄で縛られることをされると言われたときも、 それは愛する者が普通の行いだけではあらわせない愛の深さを相手に伝えるために必要なことだと聞かされました。 お義母様の生まれたままの全裸を縄で縛り上げられた姿をわたしが見たとおり、 わたしも愛される者であるからこそ、お義母様と同じ姿になることができるのだと言われたのでした。 言われるがままのことをされるのに異存はありません。 わたしに文句の言える筋合いはないのです。 わたしの意思を振りかざしたからといって事態がよくなるわけではないのです。 苛んでいるわたしの罪の意識が拭われていくとしたら、 いま、階段を昇ってくる方のかけてくれる愛しかないからです。 心から愛して亡くなった清嗣さんをお作りになったお義父様の愛しかないからです。 「待たせたね……用意するのに、少し手間取ってしまってね」 きちっと着物を着こなしたお義父様は、立派な髭をたくわえた口もとから低い声を響かせて言いました。 その手には、泡立ちがこぼれんばかりの陶器の小鉢と西洋剃刀と濡れた手拭いが握られていました。 「かおる、おまえは本当によい嫁だとわしは思っている……。 おまえが成瀬の家へ来てくれなければ…… 成瀬本家の家系はわしの代で終わりになっていただろう……」 お義父様は、手にしていた道具を床へ置くと、着物の帯を解きながら話し始めるのでした。 わたしは、縛られた全裸姿を白木の柱へくくり付けられたまま、おとなしく聞いているだけでした。 「その意味では……おまえは成瀬家を救済する女だと言える。 救済する女……何という美しい響きだろう…… グレートヒェン、いや、ゼンタ、エリザベト、ブリュンヒルデ……。 わしは、リヒャルト・ワーグナーの音楽が大好きだ。 学生時代には音楽家になれたらよいという願望さえ抱いたこともあった。 だが、わしも清嗣と同じだ、長男であったから成瀬家の跡を継ぐために夢を断念したのだ。 今度、ゆっくりと時間を取って、かおるにもワーグナーの音楽の素晴らしさを堪能させてやろう。 一度聴けばわかるが、その音楽は聴く者のむなぐらをつかみ、顔をそむけさせずに響きを受けとめさせる、 音楽は無意識から立ち昇る香気のように、われわれにある愛の望みの何たるかを目覚めさせてくれるのだ…… 愛の望みの何たるか……それは、この目覚めなくしてはあり得ない。 ワーグナーのオペラの場面では、目覚めの場がいかに重要な意味を持つことであるか……そして」 お義父様は、白い褌ひとつの裸姿になると、小鉢と西洋剃刀を手にしてわたしの前へしゃがみ込むのでした。 お義父様の顔は、突っ立っているわたしのちょうど下腹部の前あたりにありました。 わたしは、じっとしているのが辛くなるくらいの恥ずかしさが込み上げてきて、胸はどきどきと高鳴るばかりでした。 「その愛の望みの何たるかとは、女性の愛だ……。 女性が自己を犠牲にして男性を救う純粋な愛だ……。 ワーグナーの音楽の真髄はそこにある。 人類を救済する愛こそ、女性によって成し遂げられることであるということを……」 お義父様は、小鉢のなかの石鹸水を刷毛で泡立てながら、低い声を高くして言うのでした。 わたしは、聴かされている話と真下で行われていることの何たるかが結び付かないまま、 つのってくる不安を抑えることができませんでした。 「かおる、おまえは特別な女なのだ……。 成瀬家の血筋を受け継ぐ者を孕むためのことが行われたときから、 おまえは特別な女になったのだ……。 おまえは、おまえの純粋な愛によって救済を行うという特別な女になったのだ……」 お義父様は、顔を幾らか紅潮させ、わたしを下から仰ぐように見上げて言うのでした。 素っ裸だった上に縄で淫らにさえある格好で縛られていたわたしに、 そのような救済のどうのこうのと言うことがどうして関係があるのか、理解しにくいことでした。 ぎらついたまなざしで見つめられるわたしは、ただ、恥ずかしさと不安と戸惑いのなかで、 次のように言われたことが、混乱する思いへと転がされていくことでしかありませんでした。 「純粋な女は、その思いの無垢をあらわすように、 思いを偽るような覆い隠す翳りを必要とはしない……。 救済の女として、女をあからさまにさせていることこそ、無垢の純粋さをあらわすことなのだ……。 両脚を開きなさい、かおる。 開いたら決して動いてはならないぞ、おまえを傷付けることはわしの本望ではないからな……」 わたしは、躊躇していました。 しかし、わたしの足首をとらえたお義父様の手は、ずるずると割り開かせていくものであったのです。 わたしには、返すべき言葉が思いつきませんでした……。 わたしは、ただ、耐えることしかできませんでした。 それでも、行われることの何たるかを、わずかでも見ないでいることはできませんでした。 刷毛にはたっぷりと泡が掬われていました、それがわたしの茂みの方へあてられていきます。 布切れひとつ隠すもののない生まれたままの姿にさせられていることは、恥ずかしいことでした。 その身体を後ろ手に縛られて、乳房を突き出すように胸縄を掛けられている姿は、おぞましいことでした。 恥ずかしくおぞましい姿で白木の柱を背にして、晒しもののようにくくり付けられていることは、情けないことでした。 わたしは、お義父様がそのような姿になることを望むからこそ、我慢ができたことでした。 いま、そればかりのことではありません……。 わたしの下腹部の羞恥を隠す翳りが取り去られると言われたのです。 わたしは、わけもわからなく、哀しさばかりが込み上げてくるのを感じていました。 お義父様の語られた思いがどのようなものであれ、陰部の毛を剃られるということは尋常のことではありません。 けれど、わたしは、すでに尋常でない罪深いことを行ってしまっている女であることも事実です。 女の羞恥であり、自尊心でさえある恥毛を剃られるということがその罪深さのゆえのことであるならば、 わたしにとって仕方のないことなのでしょう……。 お義父様の抱かれている思いがどのような異常なことであれ、 それがわたしにかけてくださる愛のあらわれであるなら、 わたしは幸せな女であると言えることなのかもしれません。 そのように思っていくと、くすぐったい感触で塗り込められていく水気が気持ちのよいものと感じられます。 柔肌を締め付け身動きの取れないようにされている縄の拘束が、抱き締められていることのようにも感じられます。 「いいね、かおる、しばらく辛抱して……。 絶対に身体を動かしたらだめだよ……」 わたしの顔を見上げて、鋭いまなざしでありながら優しく言ってくれるお義父様に、 わたしは、はい、とはっきりとした返事をすることができたのでした。 それにしても、何と言ったらよい感触だったのでしょう。 生まれて初めて身体になされたことは、 生まれて初めて、自分のなかにこのような思いがあったのだと目覚めさせられたことでもあったのです。 剃刀の鋭利な刃先が肌に触れるときのすくみ上がらせられるような感触は、胸をきゅっと締め付けます。 刃先が撫でるようにすべらされていくと、こらえ切れない疼きから解放されるような甘美な感じがぞくぞくと走るのでした。 それが、女の割れ目にまで及んでされたときには、余りにも切なくやるせなく、それでいて快い感覚から、 わたしは思わず、ああっ、とため息までもらしてしまったほどでした。 しかも、そのとき、縄で身体を縛られていることは、おぞましいことだと感じていたはずなのに、 縄にがっちりと抱き締められているからこそ、そのような心からの快さがあるのではないかと思えたのです。 このような異常な行為で感じてしまうわたしは、異常な女なのかもしれません。 いや、すでに異常なことを行ってしまっているのですから、本当に異常で罪深い女なのです。 「かおる、きれいになったよ……見てごらん……」 すっかり剃毛された箇所は、濡れた手拭いで拭き取られると、 そばに置かれていた鏡台の鏡を調節されて見せつけるようにさせられました。 ああっ、いや、恥ずかしい、とわたしは言って、思わずまなざしをそらせないではいられませんでした。 羞恥を隠す翳りはまったく奪い去られて、白い柔肌のなかに深々とした切れ込みがくっきりとあらわれているのでした。 「恥ずかしいことはない……かおるの無垢の純粋さのあらわれだ、美しさのあらわれだ……」 そう言いながら、お義父様は、魅入られたようにじっと視線を注ぎ続けるのでした。 わたしには、もう、頭が混乱するだけのことで、ふらふらするばかりでした。 わたしは、いったいどのような者であるのか、という疑問さえもがあやふやになっていくことでした。 わたしが、ただ、されるがままの肉体に思いを委ねているということであれば、単純なことであったのかもしれません。 しかし、見られることのために作り出される、小説や演劇や映画のようなものであったならばともかく、 それは表現しようという固有の目的のために作り出されるものでありますから、 わかりやすく単純にもできることなのです。 けれど、生身の人間というのは、そういうわけにはいかないのです。 わたしだって、抱かれて愛されるときに、そのことだけを考えて行っているわけではありません。 そのことに夢中になろうとはしますが、さまざまの思いが点滅するように去来することは確かです。 小説や演劇や映画が、所詮は、固有の目的の表現を行うことの絵空事、 虚構のリアリズムということに過ぎないことは、 そうしたことを体験することが、一時の現実逃避ということであるばかりでなく、 単純化された概念を現実のように思うことをさせられる背信があるということでもあります。 人間は、現実を把握するために、単純化された概念の現実を手立てとして行おうとする限り、そうなることだからです。 この物語の作者が行っていることもまったく同様のことだと言えます。 この物語の作者の場合、昭和中期を設定して物語を紡いでいるようですが、所詮は二〇〇四年に生きている人間、 小説が虚構のリアリズムを持って成立するというには、余りにも現実と虚構との乖離が意識されているのでしょう。 その証拠に、作中人物に、たとえばわたしのような女に、 このような好き勝手な独白を許しているのを見てのとおりです。 このことは、文学に詳しかった亡くなった清嗣さんだったら、もっと適切な批評を下せることだと思います。 だが、さすがに、この作者も現段階では、死者を復活させるという手段にまでは出ないようです。 罪深い行いをしている女がいきなり何を言い出すのだと思われるでしょうが、 生まれたままの全裸を縄で縛り上げられ、女を剥き出しにされるような剃毛の姿にあって、 わたしの頭のなかの混乱を収拾できなければ、せめて、解説してみようと思えば、こうなった次第です……。 ああ、それにしても、清嗣さん、どうして死んでしまったのですか……。 わたしは、あなたに会いたい……かおるは罪深い女になっていくばかりです……。 けれど、わたしのささやかな思いなどよそに、お義父様は、穴のあくくらいに股間を見つめ続けながら、 次の立派とさえ聞こえるような話を語り始めたのでした。 「幾十本もの細い植物の繊維が撚り合わされてできている縄……。 縄は人類が生み出した最大最高の道具のひとつであるのだ。 縄を用いることには、人間のすべてがあらわされていると言っても過言ではない。 自然に生育する植物の繊維を撚るということ、それも、ふたつ以上を撚り合わせることにおいて生み出されること。 それは、ひとつでは決してあらわし得ない、複雑で強靭で柔軟性に富んだ事柄を可能にすることを示している。 人間は、人間としてのありようを律するために、あらゆる相反する概念を考え出してきた。 上と下、前と後、右と左、天と地、陰と陽、善と悪、理性と官能、愛と憎しみ、男と女……。 あらゆる相反する概念は、そこから展開される発展的な考えを生むということでは、進歩を意味するものである。 対立なくしては進歩はあり得ないということだ。 だが、縄がわれわれに教えるところは、その相反するものを対立させるだけでなく、撚り合わせることにある。 一見矛盾しているようであるが、撚り合わされることによって、 全然別の複雑で強靭で柔軟性に富んだありようが生まれるということだ。 これを撚り合わされた呪術と言ってもよい。 われわれは、特に日本人は、古来より、縄に対して特別な信仰を持ってきた民族だ。 それは、撚られたことから生まれる縄の不思議な力に気づいた古代人が、 偏在する数多の超越的存在のあらわれのひとつが縄そのものの使用にあり、 かつその縄が超越的存在との媒介をなす信仰の対象としたことから始まったことなのであろう。 縄を結わえるということは、ふたつのものを結び、縛り、繋ぐという信仰行為である。 結わえられた縄が作り出す文様というのは、撚り合わされた呪術の象徴というものなのだ。 だから、よりよく超越的存在を象徴させるための努力は、紋様の様式を発展させることと同じだった。 日本人ほど、あらゆる生活の場において、縄、紐の類を紋様として密着させている民族はいない。 それは、宗教的行事にばかりでなlく、政治的行事、戦争行為、刑罰行為にまで及んであることだ。 言うまでもなく、我が成瀬家の代々の家業である呉服においても、 帯の多彩な結び方はそれをあらわしているものだ。 立派な学者の先生方は、そのような日本人と縄や紐との関わりを研究なされていて、見事な見識を示しておられる。 だが、わしは、そうした伝統が花開いた江戸時代の人間ではない、昭和の人間だ……。 わしは、富国強兵を目的に西洋文化を躍起になって取り入れようとした明治維新以降の人間なのだ。 わしにとっては、西洋文化と日本文化は、ふたつが撚り合わされてできた縄のようなものでしかない。 わしには、対立なくしては進歩はあり得ない、というような弁証法的な考え方がしっくりとこないのだ。 デカルト、カント、ヘーゲルと夢中になって西洋思想を勉強していた友人たちもいたが、 わしには、何のことを言っているのか、さっぱりわからなかった。 その友人たちでさえ、官僚や企業の重役に収まった暁には、良識も悟性も観念もへったくれもなく、 商売繁盛、家内安全を神棚の注連縄に拝んでいた、まあ、それが普通のことだと言えば普通のことなのだ。 わしも一介の呉服屋に過ぎないから、たいそうなことは言えないが、 西洋の様式を取り入れていると思っているほどには、西洋の内実を認識しているわけではないから、 結局、行っていることの日本的実情との相反・矛盾をあらわすことが際立ってしまうことになる。 猿真似のようなことをするから、日本人が猿として戯画化されることは偶然ではないということだ。 だが、どうしようもないのだろう、 国を上げて富国強兵へ向かうことを日本のあるべき姿だと思っているのだから……。 わしだって、余計なことを言いふらせば、官憲の御用になってしまう。 こうして、土蔵に閉じこもって行っていることがせいぜいなのだ。 情けないと言えば、男として情けないのか……。 だが、かおるのふっくらとした白い柔和のなかに、 神秘さえ漂わせる深い切れ込みをあらわにしている箇所を眺めていると、 わしは、わしなりの日本人をあらわすことに誇りを感じる……。 日本の女の優美さが教えてくれることに元気づけられる……。 かおるがそうして縛られている縄には、それだけの意味が込められているということだ……」 お義父様は、床から立ち上がるのでした。 わたしには、ただ理解しがたく感じる事柄なだけで、火照ってくる羞恥にのぼせ上がらせられるだけでした。 顔と顔が向かい合っても、わたしはまなざしをそらせるようなことはしませんでした。 お義父様は、わたしの顎を優しくつかむと、立派な髭のある口もとを唇の方へ寄せてくるのでした。 わたしに顔をそらせる理由はありません。 押しつけられた髭のとげとげしく疼くような感触に吸われるばかりのことをされるだけです。 長い接吻でした……。 火照っていた裸身を煽られるようなぞくぞくとした官能を感じさせられて、思わず身悶えさせられるほどでした。 唇が離されると、お義父様は、わたしを柱へくくり付けている縄を解き始めました。 「わしにとって、ワーグナーの音楽というのは西洋文化だ。 その音楽の真髄である女性による救済ということは、わしの抱く日本文化と撚り合わされることによって、 全然別の複雑で強靭で柔軟性に富んだありようを生ませるのだ。 わしは、かおるとこのような関わりを持ったことで、そのことに心から目覚めさせられた。 ワーグナーの思想にも、人類のために戦う英雄は、兄と妹との結びつきから生まれてくるものであるのだ。 成瀬家を救済する女性が誕生させる男子は…… 人間のために仕事を行ってくれるものであることを、わしは信じるのだ」 お義父様の興奮した低い声は、興奮させられているわたしにとっては、官能を煽り立てるものでしかありませんでした。 それと言うのも、お義父様は、新たな麻縄を手に取ると、わたしに首縄を掛け、それを縦へおろして胸縄を締め上げ、 さらに腰まで持っていくとくびれを際立たせるように巻き付けたのでした、それから、さらに別の縄を使って、 裸身に絡みついている縄が目もあやな文様を織り成すように何本も何本も付け加えていくのでした。 わたしは、縄の複雑な紋様が身体の上に浮かび上がっていくにつれて、 柔肌を締め付けてくる縄の圧迫感に、これまでにはなかったような思いを感じさせられていました。 「撚り合わされてできた縄は、呪術の螺旋を描いている、 それらが絡められ、結ばれ、繋がれて、美しく深い紋様をあらわすようになると、 紋様の描かれた女は、超越的な存在との媒介者として、巫女のような存在になる。 官能という高まりにおいて肉体へ深く下降へしていく一方で、 認識の地平に降り立って目覚めるということでは彼方へ上昇していく。 撚り合わされた呪術そのものに化身したことにおいて、 女は官能の高ぶりの頂点に至り、高山の頂きに立った者が眺めて言うがごとくのことを知る。 ――悦楽はすべてのことが永遠ならんことを欲するのだ、 深い深い永遠を欲するのだ。 救済する女の目覚めは、深い深い永遠を欲することにおいて、 善悪の彼岸にあって、新たな生命の誕生のために受け入れることをするのだ……。 日本が男性の盲目的な権力意思の追従によって、 破壊と殺戮と崩壊への道を転げ落ちていくものだとしたら、 それを救済するのは女性の存在でしかない。 日本は目覚める女性たちによって救済されることなしには、 新たな思想の誕生を生むことは決してないのだ!」 お義父様が語っていることは、ほとんど聴く者を無視したような調子になっていました。 わたしには、恐ろしいくらいの激情が感じられましたが、 白い褌を取り去ったそこも言葉に負けないくらいの屹立を示しているのでした。 わたしは、思わずそばに置かれていた鏡台に映るみずからの姿を眼にしました。 生まれたままの全裸の姿に掛けられた縄は、わたしを後ろ手に縛って、複雑に絡み合った紋様をあらわにしています、 ふたつの乳房が突き出させられ、その先についた乳首が欲情のためにつんと立ち上がっているのがはっきり見えます、 わたしにもわからないのです、雁字搦めに縛られた縄の圧迫感がわたしの思いをよそに、どんどん、どんどんと、 わたしだけの世界、もしそのようなものがあるとすれば、わたしひとりだけが知っている世界へ閉じ込めていくのです、 その世界から眺める限り、全裸を縄で縛られている姿は、情けなく、残酷で、淫らに見えるのに違いないのですが、 ましてや、女の羞恥の翳りを奪い取られて、割れ目を剥き出しにされているような浅ましい格好にあるのですから、 死にたくなるほどの恥辱や屈辱の思いがあったとしても当然だったのでしょうが、そのひとりの世界から眺める限り、 わたしは、そのなかにいることで、わたしが世界のすべてであるような思いさえ感じていたのです……。 わかりません、罪深い女がそのような不遜な思いになるなど、許されることでは決してないことです。 でも、わたしが女であるということにおいて、女だからこそ、そう思えたことであると感じたことは確かです。 ですから、お義父様がわたしを優しく床へ横たわらせ、猛々しい思いをわたしのなかへ進入させてきたとき、 わたしには、弄ばれている思いも、虐げられている思いも、犯されている思いも感じられませんでした。 罪深い行いをしているのはわかっていても、それは、官能の高ぶりの頂点にまで押し上げられることで、 わたしのすべて、わたしの受容力の深さを感じさせたのです、深い深い受容力を意識させたのです……。 しかし、わたしは救済の女であるというような大それたものであるわけがありません。 わたしは、罪深い女でしかありません。 後日、お義父様から聴かせて頂いたワーグナーのオペラのなかでは、 実の兄ジークムントと結ばれた妹のジークリンデが英雄ジークフリートを身ごもったことを知る場面で、 救済の音楽が高らかに鳴り響くのを教えられましたが、わたしが身ごもったとしても、 新たな生命の誕生を感動をもって受けとめることはできるでしょうが、 そのような感動的な音楽が鳴るわけはありません。 罪深い女が罪をあがなうためにできることは、新たな生命を育むことでしかないのです……。 ……そうして生まれてきた男子が、わたし、成瀬薫であるとしたら……どうでしょう。 かつて堕胎させた子供の生まれ変わりが自分であると考えるような仕方と、 運命的に生まれてきた男子が女性に変身させられて真の英雄になる、 いずれの方がもっともらくしく思えることなのでしょう……。 成瀬は、眼の前へ置かれている鏡台に映る自分の姿を見つめながら、そのように考えてみるのだった。 まのあたりにさせられている境遇を引き受けようと意識したときから、さまざまな意思があらわれるのであった。 安藤教官の手で白木の柱へ繋がれ、放置されてから長い時間が経過しているようであった、 或いは、短い時間であったのかもしれない……。 あたりに漂う廃れた薄暗闇、死んだように物音ひとつしない静寂、自分ひとりが照らし出されている光……。 あやふやにさせられた時間感覚のなかにあって、 成瀬は、ただ、その境遇を耐えることしか考えていなかった……。 そのときだった、遥か下方に扉の開かれる音が聞こえた。 木製の階段が軋んで、昇ってくるひとの気配が感じられた。 安藤教官が戻って来てくれたに違いないと成瀬は思った。 教官は、何を考えているのわからない冷たさと温かさがあった、好きになれるタイプの女性では決してなかった。 その彼女から唇へキスさえされたことは、女性として生まれて初めての経験だったが、おぞましかった。 また、何をされるのかと思うと不安だったが、孤独でいさせられることも苦痛には違いなかった。 だが、階段のあがりばなへ姿をあらわしたのは、引詰めた髪型に黒縁の眼鏡を掛けた白衣姿の教官ではなかった。 きちんとした髷を結い、着物に袴姿、大小の抜き身まで腰にさした侍風情の男だった。 時代劇の演出で登場して来た人物と言うならば、鬢付け油の匂いまで感じられる存在感があった。 男は、成瀬が全裸を緊縛された姿でくくり付けられている白木の柱の方へ、際立ったがに股で近づいてきた。 女は、びっくりしていた、戸惑っていた、思わず恥ずかしい箇所を隠そうと身をよじらせていた。 「かおる殿、お待たせした……。 何を恥ずかしがっておられる、拙者とは、もう、そのような仲ではござらぬではないか……」 男は、かおるの眼の前へ立つと、にんまりとした笑いを浮かべながら甲高い声音でそう言った。 その声はどこかで聞いたことのあるような特徴的な響きがあったが、 男の吐き出す嫌な口臭と腹に一物あるような陰険な顔つきは、思わず顔をそむけさせるものだった。 「そのようにすねて見せるかおる殿の色っぽい仕草は、 喜びの声をあげてよがるなまめかしい仕草とはまた別に、やはり、美女ならではのものでござる……」 侍姿の男は、そむけているかおるの顔をのぞき込むようにして言うのだった。 成瀬は、言われていることの意味がまったくわからなかった。 男が余りにしつこく顔を寄せてきたので、振り払うようにして言い返していた。 「知りません……あなたのおっしゃること…… わたしには、何のことか、さっぱりわかりません…… あなたは……あなたは、いったいどなたなのですか……」 男は、甲高い笑いを部屋中に響かせると、成瀬の顔をまじまじと見つめて答えるのだった。 「拙者を覚えておらぬのか、猪木政明でござるよ……。 ああ、それも仕方がないことかも知れぬな、 昨晩、ここへ連れて来られたときは三人がお相手したものであるからな…… 何せ、初対面であったことでもござるし……」 猪木政明と名乗った侍姿の男は、人事開発本部長常務取締役と同じ名前で同じ声音をあらわしているのだった。 だが、その姿はどう見ても、時代劇に出てくる武士という身なりであった……これは、芝居の演出か何かなのか。 豆鉄砲を食らった鳩のようにきょとんとした表情を浮かべている成瀬には、 豆鉄砲などといういまどき見つけることも困難な古い比喩を使って描写しなければならないほど、 時代錯誤と言ってしまえば、笑ってしまうような真面目な武士を演じている相手が珍妙そのものに感じられた。 だが、笑ってなどいられなかったのは、成瀬が置かれている境遇が全裸を緊縛されていることにあったからだった。 「いったい、これは、どういうことなのですか……お聞かせ下さい」 猪木は、魅せられているようなまなざしで、成瀬の乳房や股間のあたりを眺めているだけで、返事をしなかった。 「わたしがこのような女になったのは、どのようないきさつからなのですか。 わたしにわからないのは、わたしに何の説明もなされず、一方的にことが運ばれていくということです。 どうか、わたしにわかるように教えてください……」 成瀬には、相手のしつこい目線をそらせるためにも、質問に答えさようとする意気込みがあった。 だが、猪木侍は、視線を離すのが惜しいというくらいに股間へ眼をやったまま、投げやりに答えるのだった。 「……かおる殿、いまさら、白を切られたところで、どうにもならぬことでござるよ……。 奥方の運命は定められておられるのだ……拙者が参ったのも、その準備のためでござる……。 拙者としては、このように美しく気立てのよい奥方が慰みものになるのは、正直言って、残念だ……。 だが、拙者も一介の俸禄を頂いている武士に過ぎない……上意には、絶対服従の者に過ぎないのだ……。 それに、この歳で浪人になっても、雇い入れてくれる藩はなかろう。 世情は黒船が来航して揺れ動いておる、どこの藩も厳しいお家事情がある……。 そのような最中に、風流な花見の宴だと……。 上意というのは、拙者ら家来には及ばないところがある……」 独り言のようにして語られた事柄には、途方に暮れた思いを感じさせるところがあった。 だが、途方に暮れていたのは、成瀬も同じだった……。 この唐突な「成瀬かおるの事情」については、 少々補足を試みないと先の展開が無茶苦茶であると受け取られてしまう可能性があるので、 「或る美しい奥方の受難」という内情暴露としてお伝えしたい所存である。 内情暴露と言うからには、もちろん、語り手は猪木政明殿に行って頂くことになる……どうぞ、よろしく。 「わかり申した、ええ、さて…… 美しいものは、誉めそやされる分だけ、憎まれるものであるというのは世の常のこと。 同じことは、優秀なものは、羨望されるものであるが、嫉妬されることも同等にあるということ。 世の中、この綱引きがあるから人情沙汰に事欠くことがないし、醜聞の絶えることもない、 瓦版や人情本がよく売られる所以である。 我が藩で行われたことも、あからさまにされれば、世間の耳目を集めることである。 幕政に影響を及ぼさないことであれば、藩のお取り潰しにまでは至らないことであろうが、醜態には違いない。 しかし、世の中、権力を執行できる立場にいる者は、みずからの欲を満たすために用意周到なものである。 人の欲というのは、ほとんど次の三つから成り立っているものであるが、三つは絡まり合っているとも言える。 力と金と女である……女が抱く欲も、女である場所が男と変るだけであるから、これは三種の欲器と呼ばれている。 我が藩で行われたことは、我が殿がひとりの女へ抱かれた欲から端を発していた。 ひとりの女とは、成瀬家の若い奥方、かおる殿と申される方であった。 かおる殿は、類稀なる美女と呼んで差し支えのない、気品に満ちた容姿と美しい心根をそなえた方であった。 それだけで運命的なものを背負っていると感じさせずにはおかない女性であることは、 我が殿がかおる殿を見初めたのが相手がまだ八歳、殿が二十五歳のときであったのだから、 男女の結びつきのこれまた摩訶不思議とも言えよう。 先代の殿が病にて急死され、殿は早々に婚姻をあげられた直後、 参勤交代にて江戸屋敷へおもむいた折のことであった。 それも、日本橋の上ですれ違った相手を見かけたことに始まったというのであるから、宿命とさえ言えることなのか。 八歳の女子がどのような成長を遂げるものであるかは、普通にはなかなか予測のつきかねるものである。 しかし、我が殿に眼識がおありになったのは、女性に対してのことばかりではなく、 商人の考え出すご法度すれすれの商売に融通を与えてやり、その見返りに財を得ていたことにもあらわれている。 殿は抜け目のないお方であったから、八歳の女子の身元はすぐに調べられた。 さる旗本のご息女であることがわかったが、旗本とは言っても、昨今、それは廃れたお家柄の代名詞でもあったから、 殿としては、どのようにしてか手段を講じれば、そのかおるという名の女を手中にできると考えたのだった。 いま女と言ったが、そのとき、殿の頭のなかには、十八歳になった女子の姿があったということだから、 何と言う想像力、眼識、先見の明であったことであろう。 事実、十八歳になったかおる殿は、八歳の女子からは想像も及ばない美しいご息女になられたのであった。 しかし、殿の抱かれる欲に待ったをかけたお方がおいでになった、殿の奥方様である。 殿は、言うまでもなく、口に出しておっしゃれることは絶対になかったが、 殿が一生の不覚として感じていられた奥方であられた。 先代の急死が急がせた婚姻であったとは言え、 かおる殿が美の極端であるとするならば、醜の対極に位置していたお方であると言ってよかった。 その醜も、容姿においてのことであれば、眼を閉じていてやり過ごせるようなことであったかもしれないが、 拙者ら家来の者でさえも手を焼く、その高慢で、わがままで、情け容赦のない性根は、 恭子という名にもふさわしくなく、絶望的な悪妻であると感じさせる以外の何ものでもなかった。 拙者もここまで言ってしまうには覚悟がいるが、覚悟なしには内情暴露はできるものではない。 殿が夫婦の睦みごとにも疎遠であったことが輪をかけていたのであろう、 奥方様は、殿に十年来の思いを寄せる女があることを知ると、十年来の思いを寄せられない腹癒せを考えたのだ。 どのような手段が講じられようと、殿のそり上がる思いの丈の先端がその女に触れることを阻止したのだった。 殿は諦めるしかなかった、そして、諦めていれば、「或る美しい奥方の受難」もあり得なかったのである。 だが、世の常である、美しい存在は、それがあるというだけで、すでに宿命を背負わされているのである。 それから、十年が経ったが、殿はかおる殿を諦められなかった、奥方様に封印された分だけ思いを募らせていた。 かおる殿はすでにさる藩の三男にあたる方へ嫁入りしていた、ふたりが相思相愛で結ばれた幸せな婚姻であった。 これまでの年月、素行調査に従事してきた拙者が言うのだから間違いないが、羨ましい限りの夫婦であった。 ふたりは、そのときまで子宝に恵まれていなかったが、その方が幸いしていたことだったのかもしれない。 ふたりがご法度の切支丹であることが発覚したのだった。 我が殿は、逮捕の知らせを入手するや否や、早速手をまわして大枚の賄賂を御目付役様や奉行様へお渡しして、 小石川の詮議所へ連行されるかおる殿を本屋敷の土蔵へ連れて来させたのであった。 後ろ手に縛られ胸縄を掛けられたかおる殿がこの土蔵の二階へあらわれたとき、 この場がぱっと明るくなった感じさえしたが、俯いたままで顔をあげようとしないかおる殿は、 横顔からも蒼ざめきった様子がうかがえて、立っているのもままならないくらいにおびえているのだった。 その場には、牛尾重役と熊田と拙者の三人がいたが、殿は後からおいでになるとのことだった。 拙者らは、取り合えず、かおる殿を部屋の中央にある白木の柱を背にさせて立った姿でくくり付けた。 昨日までであったら、かおる殿をこのような酷い扱いにするなど、考えることもできないことだったが、 いまは、ご公儀のご法度を破った罪人、拙者も幼い頃から知っている相手であるとは言え、罪人は罪人であった。 我が殿も、ご法度の何たるかを知っているからこそ、 ご法度破りすれすれの商人と手際良く通じることができていたのである。 世の中、ご法度なくしては、人と人との関わりもまた公明正大とはならないのだ。 だから、拙者らは、どのような人物であれ、ご法度を破る者は罪深い考えを持っているものとしか見なさなかった。 顔をあげてみよ、熊田が太い声で言った。 かおる殿はおずおずと顔をあげたが、その美しく輝くようなまなざしは空ろにさ迷うばかりのものだった。 ほお、聞いてはいたが、確かに稀に見る別嬪だな、殿がご執心になるのもわかる気がする、 牛尾重役がしわがれ声で評した。 いやあ、ただ美しいというのではない、破壊してしまいたいくらいの愛らしさがある、熊田が呆然としながら付け加えた。 殿は、逃げられないように裸にして置けとのことだが、そこまでしなくともよいと思うのだが、拙者は言った。 猪木、おぬしが考えることではないだろう、拙者らは命じられたことをやればよいのだ、牛尾重役が近づいていた。 熊田もそれに続いて、かおる殿の間近に立っていた、拙者も遅れを取ってはならないと従った。 かおる殿は熊田の手で縛られていた縄を解かれていった。 かおると言ったな、いま、聞いたとおりだ、そこに裸になれ、しわがれ声がどすをきかせて申し渡した。 それにしても、かおると親しそうに呼び捨てにできる牛尾重役が羨ましかった、 拙者は、昔から知っているせいか、その美しさに敬意を抱いてきたせいか、呼び捨てになどとてもできなかった。 しかし、立っているのもままならないくらいのかおる殿に、脱衣などできるようには見受けられなかった。 裸になれと言われた時点で、気絶するのではないかと思われたほど、身体がふらふらしているのだった。 仕方がない、拙者が脱がせよう、熊田は、むしろ、それを望んでいたかのように気負い込んで相手に触れるのだった。 そのときだった、かおる殿は、美しい顔立ちにきっとなった表情を浮かべると、 自分でいたします、と言うなり、拙者らの方へくるりと背を向けると帯締めにほっそりとした指をかけるのだった。 女の自尊心と言うようなものが匂い立ってくるようであった。 拙者らは、固唾を飲んで、その成り行きを見守るだけだった。 帯じめと帯あげが解かれた、白くほっそりとした指先と絡まり合いながら、はらりと垂れていった。 帯枕の紐がとかれ、帯がめくるめくようになだれ落ちるのを片手がそっと押さえた。 帯の前部を身体へ巻きつけたまま、そろそろとなよやかに下へすべり落としていくのであった。 足もとには、瀟洒な帯が春の海原のうねりのように穏やかに波打って見えた。 かおる殿は、躊躇を感じているように動きをしばしとどまらせたが、意を決したようにおもむろに腰紐を解くと、 肩から少しずつすべらせていくや、着物はきぬずれの音もたおやかに落下していった。 身に着けているひとつひとつが取り去られていくに従って、 芳しく鼻をくすぐっていた柔らかで優しい香りがなまめかしいくらいの甘美な匂いを放つようになっていた。 かおる殿は、まるで色とりどりの花びらで足もとを埋めているという感じだった。 その純白の長襦袢姿は、匂い立つなよやかさが陽炎のように立ち昇ってめまいすら感じさせるものだった。 長襦袢を支えている紐が解かれていった、伊達巻がほどかれると、裾が長く引かれたようになった。 肌襦袢と腰巻の結び目が解かれたのを告げるかのように、かおる殿は腰を落として横座りの姿勢になっていった。 足袋を脱いでいるのだった。 そして、衿から徐々に下へすべらせて長襦袢と肌襦袢を脱いでいった。 両肩から少しずつ柔肌があらわになっていくにつれて、 部屋の明かりが一段と増したような華やかさがかもし出されてくるのだった。 剥き出しになった背中は、乳色に輝くなめらかな柔肌をむせ返るくらいの色香で匂い立たせていた。 淑やかな女らしさを優美な曲線が際立たせ、ふくよかな白い尻にのぞく黒い亀裂は神秘の悩ましさそのものだった。 女の裸身は、凍りついたようにじっとなったままでいたが、生きている証拠は震える肩先が伝えていた。 立ち上がって、こちらを向いてみろ、牛尾重役のしわがれ声は容赦がなかった。 だが、誰もがそのようにして欲しいと望んでいることを言っていたのだから、文句の出るはずもなかった。 かおる殿は、そろそろと立ち上がっていくと、ためらいがちに全身像を拙者らの前へ向けるのだった。 両手は胸と下腹部を覆い、きれいな唇を真一文字に締めて、顔は起こしているもののまなざしはそらされていた。 おまえは罪人なのだから、そのような格好をさせられるのだ、手をどけてよく見せろ、熊田が言った。 処遇の理由を申し渡されたかおる殿は、言われるままにおずおずと両手を離していくのだった。 そのあらわにされた姿の美しかったこと、部屋がさらに明るくなり、白昼のような輝きとなったと言ったら大袈裟か。 ほっそりとした首筋に優しいなで肩、なよやかな線が腕から指先まで流れるようにあって、 それが愛らしい乳首をつけたふたつのふっくらと盛り上がった乳房を品のよいものと感じさせるのだった。 女のあらわす曲線の優美さとはこのようなものかと思わせるほどの腰付きからしなやかな両脚への艶麗な趣き、 可愛らしい臍の下にのぞかせる淡い漆黒の翳りは、太腿のなまめかしい肉付きのあいだにあって、 気品さえ感じさせたのは、その顔立ちの清楚で淀みのない美しさがあったればこそのことだったのであろう。 着物姿にあったときも麗しさにあふれていたが、隠す布切れひとつなくさらけ出された生まれたままの全裸姿は、 菩薩のような、いや、切支丹であったのだから、聖母のような神々しさを感じさせるものだった。 魅せられたまま呆然となって見つめ続けていたのは、言うまでもなく、拙者ばかりでなかったのは、 牛尾重役も熊田も口をぽかんと開けたまま、驚異の賜物を見るがごとくに眺め入っているのだった。 恥ずかしい箇所を覆い隠すことも許されず、かおる殿は火照らせた毅然とした顔立ちをこちらへ向けてはいたが、 まなざしは彼方へとそらされ、懸命にこらえながら立ち尽くしているのをあらわすように身体を震わせていた。 いつまで眺め続けていても飽きさせることのない美の神秘とは、まさにこういうことを言うのだろう。 実際、拙者らは相当の時間をそうしていたことは事実だった。 殿から命じられたことが女を裸にせよということであったのだから、拙者らはそうしたまでのことだった。 かおる殿はご法度の切支丹の罪人であったからこそ、拙者らもこのような取り扱いをしたまでのことである。 十八歳のときに殿の側室として迎えられていれば、このような対面もあり得ないことだったのである……。 そして、今度も、殿の奥方様がしゃしゃり出て来られなければ、 事態も思わぬ方向へと進展することはなかったのだった。 いつまでも土蔵へあらわれない殿を待ちかねて、牛尾重役が屋敷の方へ一度戻ることになった。 しばらくして帰ってきたが、まったく浮かない表情を浮かべているのだった。 その間も素っ裸のまま立たされていたかおる殿の方を一瞥すると、しわがれ声で事情を説明した。 かおる殿を土蔵へ連れ込んだことが奥方様にばれたのだった。 用意周到な殿ではあったが、奥方様の腰元どもが間者ごときの働きをして成果をあげたのだ。 腰元どもには報奨金が出るだろうが、拙者らの失態が原因でなかったことは幸いであった。 奥方様は、そのような罪人いますぐ切り捨てよ、と半狂乱になって暴れたとのことだが、 殿はそれを収めるに、奥方様が思いつかれたひとつの条件を呑まざるを得なかった。 これから先、かおる殿を囲い者として養っていくために非常な大枚をはたいてもいるのだった、 そのような高価で美しいものを闇雲に破棄されてしまうなどということは、断じてされてはならないことだったのだ。 だが、奥方様が出された命を助ける条件ということも、常軌を逸していることだった。 条件とは、季節も季節だから、花見の宴を盛大にもよおせ、ということだった。 それだけであれば、高慢でわがままな思いつきに過ぎなかったことかもしれないが、 奥方様には情けの容赦のない性根というのがあった。 それが残忍というのか、残酷というのか、そういう相貌をあらわにさせたのだった。 それも、ひとえにかおる殿の美しさの魅力の分だけ、あふれ出させられた憎悪というものであったのだろう。 屋敷の庭に立派に咲きほころんでいる桜の大樹のわきへ白木の十字架を立てよというのであった。 そこへかおる殿をはりつけよというのであった……しかし、そればかりではなかった。 それにしても、何ということを思いつかれるのであろうか……奥方様は女なのか、人なのか。 かおる殿の女の羞恥の翳りを剃毛して、生まれたままの姿で晒しものにせよということであったのだ。 命じられてきた牛尾重役からして、熊田も、拙者も信じられないことだった。 すでに、酒宴のための手配は腰元どもによって始められ、十字架を作る大工の手配も終わっているとのことだった。 明日の宴の準備としては、後は、拙者らに任されたかおる殿の剃毛ということだけであった。 この話をそばで聞かされていたかおる殿は、ついに立っていられず、なよなよと床へへたり込んでしまった。 拙者らとしても、上意であればやらねばならない、やらなければ拙者らの首が飛ぶ。 しかし、女のあそこの毛を剃るなどということは、まったくの未経験のことであった。 さすがに、熊田は事業の新規開拓においては有能な男であった。 彼は道具を調達してくると言って土蔵を出ていった。 牛尾重役は、女は縄で縛り上げた方がよいと言って、拙者とふたりで縄掛けを始めることにした。 かおる殿は、何とか気を保たせているのが精一杯で、後ろ手に縛られていっても抵抗を示すことはなく、 ふっくらとした美しい乳房の上下へ胸縄を掛けられても、俯いたままになっているだけだった。 この土蔵へ連れて来られて、泣き声ひとつあげず、言葉ひとつ吐かず、うめき声さえあげないでいることが、 実は、みずからが置かれた境遇を覚悟している思いからのことであるのは、そのまなざしからわかるのだった。 美しく澄みきった瞳を毅然とさせ、拙者らのすることを遥か彼方から見つめるような表情が感じられたのだった。 信仰に従って覚悟していたのだ。 縛り上げたかおる殿の裸身を床へ仰臥させていたところへ、熊田が手桶と手拭いを持って戻ってきた。 剃り上げる業務も熊田が行うことになった。 牛尾重役が女の頭の方へ位置して上半身を押さえつけた。 拙者は、熊田とふたりでしなやかできれいな両脚を強引に割り開かせると、足首をつかんで足もとの方へ位置した。 拙者には、かおる殿の女の羞恥がこれ見よがしにさらけ出されているのが見えたが、 漆黒の色艶に覆われた真一文字の割れ目がこのように美しく見えたのは初めてのことだった。 女のあそこなど、所詮、出し入れするだけの愉しみの場所と考えていたが、 奥方でさえある女の箇所とは思えないくらいの鮮やかで瑞々しい色艶が示されているのだった。 そこがもっとあからさまにされるのである、それを見ることができるのは男冥利に尽きると言えるのかもしれない。 切支丹奉行所の詮議では、このようなことでは済まされない、非道とも言われる残酷なことが行われているのだ、 おぬしは、その意味では、まだ幸せなものであると言える……いいか、動くでないぞ、始めるからな、 熊田は、得意の営業的説得で言いくるめながら、手桶の湯をかおる殿の艶やかな繊毛へ振りかけていくのだった。 拙者には、残念ながら熊田の背が邪魔をしていて、剃り上げられていくところを見ることはできなかったが、 熊田は何をやらせても卒のない男であったから、初めてとは思えない手際の良さを見せたのだった。 いや、熊田にとって初めてのことだったかどうかは、確かめたわけではなかったからわからないが、 手際がよかったことは確かで、あかさまにされた箇所を見せられたときは、見入らずにはいられないものだった。 翳りの一切ない女の羞恥の割れ目というのは、子供のものしか見たことはなかったが、 その愛らしい感じというのは、女はすべてその姿にあったらよいと思わせるほど、なまめかしさそのものであった。 どうして、神様は女のあそこへ毛を生やさせたのか、不思議とさえ思わせることだった。 いや、かおる殿が美しい顔立ちときれいな身体をそなえた女性であったからこそ、そのように思えたことなのか。 或いは、信仰の一念から彼方を見つめるようにしている澄んだ瞳に、 涙をそっとあふれ出させる淑やかさが示されたから、そのように感じさせられたことなのか。 いずれにしても、乳色に輝くなめらかで艶やかな柔肌が放つ色香に負けずとも劣らないくらい、 なまめかしく花びらの折り重なったそこは、甘美な匂いを撒き散らす麗しさそのものと思えたものであったのだ。 だから、拙者ばかりではなく、牛尾重役も、熊田も、見とれているばかりでは収まりがつかなかった。 下腹部にもたげたものは、行き場所を求めてそり上がっているのだった。 しかし、拙者らは、命じられたこと以上のことはできない身分があった。 据え膳食わぬは男の恥と言うが、拙者らの役目は、据え膳をこしらえるという無味乾燥とした業務であったのだ。 拙者らにも、少しは役得というものがあって、よいのではないか…… 女の身体を傷付けるということでなければ、少々のお楽しみがあってもよいのではないか、 熊田がそり上がらせているだけではやるせないというような太い声で言った。 それには、牛尾重役も熊田の方を見た。 奥方様の勝手放題だけがまかり通るというのでは、何とも歯がゆい、おぬしに妙案があるのか、 しわがれ声は問い返した。 熊田は、ふところへ手を差し入れると、木製の張形を取り出して見せるのだった。 おぬし、どこでそのようなものを、常に持参しているわけではあるまいに、拙者は、びっくりして尋ねていた。 いや、このような場合もあるかと思って用意しておった、やはり、熊田は営業戦略において抜け目がなかった。 類稀なる美しさを持つ女がよがるところを生身で味わえないのであれば、 せめて、このようなもので見せてもらわないことには、収まりがつかないというものだ、 熊田は、牛尾重役と拙者の前へ張形をかざして、しげしげと見つめながら言うのだった。 三人がどのように張形に注目していても、 かおる殿は、顔をそむけたまま、視線をじっと彼方へ投げかけているだけだった。 拙者も出番を失っては面子が立たない、ここで女への申し渡しの役を買って出ようと思った。 生まれたままの姿を縄で後ろ手に縛られ、美しい乳房の上下へ胸縄を掛けられ、 両脚を開いて仰臥させられた姿にある、なよやかで優美で艶麗な輝きを放つ罪人へ宣告したのであった。 |
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