熱くほだされた官能であっても、高ぶりの頂点へ達すれば、いずれは解けて冷めていくものである。 舞い上がった思いにしても、重力の必然は地上へと引き付けるものであるから、醒めていかざるを得ない。 屈強な男の腕に抱かれていたなよやかな肉体をそっと床へおろされ、 後ろ手に縛られたままの格好で横臥させられた女は、 自分を省みることのできる思いが次第にはっきりとしてくると、 置かれている境遇のありようも明らかなものとして意識されるのであった。 女の羞恥の中心である陰部を人前にさらけ出されるというあられもない姿にされて、 そこにある性感の小突起を女性の手によって快感の絶頂へ至るまでもてあそばれて、 成り行きで夢中になって言ってしまったこととは言え、 かおるを絶対にいかせてください、 かおるに女であることの喜びを目覚めさせてください、 などという恥も外聞もないことを哀願してしまった自分の浅ましさ……。 女として情けないことした、いや、男としてみっともない真似をした、そう思わざるを得ないことであった。 依然として全裸をさらけ出された姿のままでいることは、 その上、縄で後ろ手に縛られている惨めな姿は、その思いをいっそう身に染みたものとさせるのであった。 いや、そうじゃない、淫らな振る舞いは女の肉体が勝手に感じてしまったことを行っただけだ、 と男の意識は反駁を試みようとするが、 淫らになることの哀願をしたのは、どのように女っぽい気持ちにさせられていたとしても、 男としての意識があらわしたことだった。 それがこの白々しい状態になってわかるのだった、 わかることのできる自分だと思えたのだった。 「かおるさん……そんなに落ち込まなくたって、いいわよ。 あなたは女であることの喜びを知ったのだわ、それは素晴らしいことじゃない。 正確には、女であることの官能の喜びを知った、ということだけれども、 あなたがいま落ち込んで悩んでいることは、 あなたがまだ完全に女の思いというものに成り切っていないことから起こることなの。 あなたが心から女の思いに成り切ることができたとき、 それは、あなたのなかで、あなたの男性の意識と女性の意識が婚姻するとき…… どお、ロマンティックでしょう、男性と女性の意識が結ばれる初夜を迎えるということね。 研修というのは、その初夜を迎えるために、あなたがしなくてはならない花嫁修行みたいなものだわ。 いまどき、初夜だの花嫁修行だのと、流行らないたとえをするようだけれど、 女性の自由と平等からすれば、花嫁として作られることは女が男に隷属している象徴には違いないわ、 でも、女性がその美しさを発揮する必然は、美しさを修業することなしには得られないということも事実だわ。 花嫁と初夜というロマンティックな幻想を現実化するためには、欠くべからざる過程ということになるわけね。 つまりは、そうあろうとする自覚の問題ね、まわりからどのように見えるかなんて過渡期のことに過ぎないのよ。 あなたの女性としての成長は、言うまでもなく、あなたがそれを望む自覚からしか生まれないということ。 さあ、起きて、それを始めましょう、第一過程の始まり、始まり……」 安藤教官は、皮肉な笑みを浮かべることは相変わらずだったが、 優しさあふれる物言いと床から相手の裸身を起こすことに気遣いが感じられるのだった。 しかし、その手に乗馬用の鞭が握られていたことも相変わらずであり、 立ちあがらせた成瀬の後ろ手に縛った縄尻を引いて歩ませることも気遣いだった。 「わたし、裸のままなのですか? ……縛られた姿のままなのですか?」 女は、全裸姿で拘束されているという家畜のような取り扱われ方に、 いま語られた女性のあり方との落差を感じて、思わずきれいな声音で問いかけていた。 まわりからどのように見えるかなんて過渡期のことに過ぎない、と言われたって、 実際に見られている姿は、恥ずかしかったし、屈辱的であった。 醜態の姿に抱きかかえた屈強な肉体の男は、鏡のそばに立ってこちらをじっと見つめ続けていたし、 その鏡の向こう側からも、何人もの見えない相手が眺め続けているということであった。 女性教官は、両者を見比べるようにすると、うなずきながら言うのだった。 「そうね、あなたが魅力的な女性であれば、あなたがひとに見つめられるというのは当然のことでしょうね。 大いに自信を持ってよいことだわ。 あなたの存在が相手を発情させることがあるとしたら、影響力も大ということよ。 彼のあそこは、この部屋へ入ったときからずっとそり上がったままでいるわね。 彼も仕事柄、結構醒めている方だけれど、あなたは特別だったみたいね。 それだけ魅力的な全裸ですもの、隠させるなんて惜しい真似はさせないわ、 と言うのは冗談……言うまでもないけれど、研修はプログラムにそって行われていることね。 先ほども言ったように、女はいじめられたとき、最もよく女をあらわす、ということが原則になっているの。 そのような罪人か奴隷のような縄で拘束された姿にあることも、必要なことだから行われているわけね。 どうして必要なのかってことは、研修が終了したときに、あなた自身でわかることだわ。 承知してね……さあ、行きましょう」 後ろ手に縛られた素っ裸の女は、白衣を着けた女に引き立てられるようにして誕生室を出るのだった。 成瀬が廊下に出されて最初に感じたことは、そこが一度来たことのあるような場所に思えたことだった。 東京事業所の建物で行われた就職面接のとき、会場となった暗黒部屋へ向かう廊下と酷似していたのだった。 あのときは中村秘書に導かれていた……。 彼女の愛らしい面影が思わずよみがえってきた……。 だが、それは遥か昔の出来事だったように思われて、懐かしい感じさえするものだったのである。 時間感覚のよりどころが失われていた。 誕生室にも、この廊下にも、窓というものがひとつもなく、外界の様子は完全に遮断されていた。 敷き詰められた絨毯の上を音もなく歩かされていると、歩くふたり以外に人気の感じられないその場所は、 福島研修所であると言われたものの、それが実際どこにあるものなのか、疑問さえ浮かんでくるのであった。 福島県福島市まで連れて来られたことは、記憶として残っているはっきりとした事実だった。 だが、女性の肉体に変身させられた時間、どこにいて、その上、ここがどこであるかは、わからないことだった。 それよりも何よりも、わからないと言えば、この女性の肉体の現実感だった。 現代医療の最先端技術で可能なことだとしたら、これは大変なことだと言わなければならない。 やはり、これは、気がかりな夢……悪夢……それとも、エロな物語や映画などによくある淫らな夢……。 そう、美しい女が裸に剥かれたり、縄で縛られたり、陰部をいじられたりされて、いじめられるのだから、 エロな物語や映画、或いは、ゲームのような筋立てと言えるのではないだろうか……そうであれば、淫らな夢? 四十五歳の男性の肉体を二十七・八歳の優美な女性の肉体に変換させることなど、実際、不可能なのだから……。 淫らな夢……そう思ってしまえば、笑ってしまうような出来事なのかもしれない、 深刻がることなんか、何もないのかもしれない。 いつ醒める夢であるのかはわからないが、 それまでは、ただ、女性を演じていればよいだけのことなのかもしれない……。 女性だってまんざら悪くない、女性があのような快感の喜びを感じているものだとしたら、 むしろ、女性の方がよいさえと思えるほどのことだった……。 妻の麗子が四十八手を求めたこともわかるような気がする、 恋人のれい子が十回以上に及んで喜びの声をあげながら交接を求めたこともわかるような気がする、 自分だって、安藤教官の手がついに離れていったとき、もう一度して欲しいと思ったことは事実だったのだから……。 自分が女性に生まれ変ったという淫らな夢…… その夢のなかにあることだと思えば、 どのように辻褄が合わないことであろうと、整合性のないことであろうと、矛盾したことであろうと、 非現実的なことである荒唐無稽のいっさいは説明がつくというものだ。 女性としてのありようを楽しむのであれば、男性の意識をしゃしゃり出させるなど無粋極まるというものだ……。 成瀬がこのような束の間の思索をできたのも、その歩まされている廊下が実際に長かったことにあった。 ぐるりと一周をめぐらされて来たと言っても過言ではなかった。 と言うのも、第一過程を行うといって案内された部屋の扉は、誕生室の扉と同様のものであったからだ。 安藤教官は、皮肉な笑みを浮かべながら言うのだった。 「こちらを入って、 なかは少し変っているけれど、大丈夫、ホーンテッドマンションではないわ」 そう言って開かれた扉の奥は、昔ながらの土蔵という場所であった。 舞台装置として作られているのであれば、その頑丈で古臭くて薄暗い雰囲気は見事な存在感をあらわしていた。 「どお、タイムスリップしたみたいな感じでしょう、少なくとも、二十一世紀の雰囲気ではないわね。 明かりだって、このようなものしかないんですものね」 部屋の扉が閉められると、頭上にひとつ六十ワットくらいの裸電球がともっているだけの場所となった。 引詰めた髪型に黒縁の眼鏡を掛けた安藤教官の顔も半分影が差したようになって、 相変わらずの皮肉な笑みが不気味にさえ感じられるのだった。 「そこに二階へ昇る階段があるわ、こっちへ来て」 教官は成瀬の裸身を押し出すようにして歩ませるのだった。 だが、女の身体は、階段の上がり口で止まったままになってしまった。 「あら、かおるさんは、先に上がっていくのが恥ずかしいのかしら? だいぶ本物になってきたみたいね…… いいわ、わたしが先に行くから、付いて来なさいね」 成瀬は、全裸を尻の方から見られるのかと思うと、たまらない恥ずかしさが込みあげていた。 だが、これが不思議なことだったのだが、恥ずかしいという思いへ自分を委ねていくと、 恥ずかしさがたまらないものとなり、そのたまらなさがさらに恥ずかしさを求めるような思いにさせるのだった。 戸惑うような思いだった……それにしても、何を期待しての戸惑うような思いなのか……。 白衣の教官に従って木製の階段を軋ませながら二階へ上がっていくと、 そこは思っていた以上に広々とした場所であった。 「ここが、あなたが第一過程の研修を終了するまで居るところね、 折檻室とも呼ばれているわ……」 低い天井には太い梁が見えたが、ここにも窓はひとつもなかった。 照明は、ふたつの裸電球が頭上から中央にある白木の柱を浮かび上がらせていた。 置かれていた家具調度品は端の方へ整然と片付けられていたので、簡素なたたずまいはあったが、 古色蒼然とした因習さえかもし出させている雰囲気があったことは確かだった。 折檻室だと言われことが眺めているだけでもわかるような気がしたが、 折檻とはいったい何をされることのなのだろう……。 安藤教官は、隅から古びた木製の椅子をふたつ持ってくると、ひとつを成瀬に勧めるのだった。 裸の女は、向かい合わせに腰掛けるときも、後ろ手に縛られた不自由な体勢ではあったが、 しなやかなきれいな両脚を組んで、できるだけ羞恥の箇所を見せまいという配慮を怠らなかった。 教官は、陰影のある皮肉な笑みを浮かべてうなずくと、語り始めた。 「折檻室と言ったって、あなたをプロジェクトT・エンタープライズ社の有能な社員に育てる研修ですから、 ポルノグラフィで行われているような、見世物にするための過酷な折檻が行われるわけではありません。 この研修で折檻を受けても、あなたに臨時ボーナスが支払われるということではないということね。 それに不満を感じるかどうかは、あなた次第ですけれど、少なくとも、あなたのための折檻には違いないわ。 意味のない虐待をあなたが受けるということではない、ということです……」 と言ってはいるが、その手に握られた乗馬鞭が楽しそうに揺れ動いているのを見せつけられていた。 「このようなことが行われるわけはね…… あなたが職務に付いたとき、あなたが自分で自分の身を守れるようにするためなの。 女性は、いくら強くなったからと言ったって、か弱い存在よ。 そのか弱さを守るために、長い歴史を通じて、女性は自分で自分を守る術を考え出して行ってきたわけね。 あなたも女性になる以上、その女性であることの宿命を背負わなければならない、 女性であるという存在を自分ひとりの力で守るということね。 それには、あなたが女性であることのか弱さをとことん知る必要があるわけ、 それがこの折檻室の目的ということ。 これから行われることに、あなたは根をあげるかもしれない。 けれど、そのときこそ、あなたが女性として自分を守る術を得られたかどうか、真価が問われるときだわ。 それと……このことは、はっきりと自覚しておいてね。 あなたは、最先端の技術を結集して、非常に高額な費用でその身体を得たということ。 残念ながら、いまの段階では、誰にでも平等にお金さえ出せば与えられる、というものではないということ。 つまり、あなたは、選ばれた人間ということになるわけね。 人間はどん底の過酷な思いをしても、まわりからちやほやされ出すようになると、いい気になるものだわ。 あなたが特権的な自分の境遇に目覚め、成金趣味の尊大で思い上がった女性になってもらうために、 あなたがあるわけではない、ということをよくわかってね。 と言うのも、あなたが思い上がった気持ちになるか、 或いは、その逆に落ち込んで、普通の人間でないことに絶望を抱くようになるか、 そのことは紙一重のことだから……。 あなたはスーパーマン、いや、スーパーウーマンでは、決してないからよ。 女性として、心底から目覚めたとき、あなたは母性というものを意識するかもしれない。 けれど、あなたのその身体は、自然から生まれたものではなく、人工で造られたものである以上、 あなたの陰部は、女性とまったく同じ形態と官能を備えてはいても、出産は不可能であるということ、 体外受精なら可能性があるとか、そういう問題ではなく、出産そのものの機能がないということだから……。 見ようによっては、あなたは、ただの美しいセックスマシーンとしての自分を感じるかもしれない。 それは、すべて、あなた次第…… あなたが人間としての自意識をどのように持つかによって決まることだわ。 研修教官のわたしとしては、これ以上のことは言えません。 あしからず……。 これで、説明は終わり、後は、実際に体験してもらう以外にないわね。 では、立って、かおるさん」 成瀬は、言われるままに立つのだった。 安藤教官は古びた椅子をもとあった場所へ片付けると、そばにある長持を開いて何やら準備している様子だった。 成瀬は、後ろ手に縄で縛られた裸身を直立不動にさせて、おとなしく待っていた。 より良き職務遂行のための研修である以上、教官の指導に従って行うことは責務であった。 白衣の女が携えてきたのは、両手いっぱいの麻縄の束だった。 女性教官は、それを相手の素足の前へこれ見よがしに放り出すのだった。 「これは、あなたを鍛え上げる研修教材ね……。 日本は独自の文化を持っている国だわ、特に様式ということについては、恐らく、世界有数じゃない。 絶対なる神はひとつしかないという一義の宗教性に対して、幾つもの神が偏在するという多義の宗教性、 日本人は宗教的にはっきりしない民族だと言われることがあるけれど、それはこの多義性にあるからじゃない。 宗教性を持たない人間などと言うことはありえないことだから、この多義性こそ、日本人の宗教性と言えるわね。 キリストというような一義の絶対性は存在しないのだから、偏在する多数の神のそれぞれが絶対性を持つことになる、 でも、絶対性なるものが唯一性を意味している以上、そのありようは、相反と矛盾をあらわすものでしかない、 相反と矛盾をあらわしているその全体性そのものを絶対性として受容できれば、多義性は成り立つということね。 多義としての絶対性である以上、一義としての真理の絶対性は求められることはない。 整合性に基づく合理的精神性の発展は日本にはなかったから、科学と呼ばれるものの発展もなかったわけね。 それぞれの絶対性を持つ多義性は、折り合いをつけるという方法で行われて来たということ、 その折り合いをつける方法というのが様式ということの発展にあったのね。 古来よりの日本文化の伝統は、様式を生み、発展させ、確立し、それを伝達する作法ということなのだわ。 残念ながら、この伝統、明治維新を分水嶺として、いまに至っては、少々おざなりにされているけれど、 それは、日本人が西洋を受容することにおいて、まだ咀嚼し切れていないというだけじゃない、 真似っこばかりしているほど、相手からたくさん学ぶことあるだけでしょう。 でも、そろそろ、真似っこばかりじゃ物足りない、と感じてきているときじゃないかしら。 別に、日本古来の伝統へ復帰せよとか、滅ぼさないように大事にせよなんて言われなくても、 それが本当に必要だと思われれば、それはおのずと展開される方向へ向くのだから、心配のないことだわ。 必要のないものは消滅していくってことに過ぎないものよね。 少々むずかしいことを喋っているようだけれど、わたしは教官なのだから、少しは教官らしいところも見せないと。 何だ、安藤は教官とは名ばかりで、裸の女を縛って、鞭打ったり、股間を悪戯して、楽しんでいるだけじゃないか、 企業の研修所の職になければ、SMクラブの女王様をやっているような女じゃないかと……。 かおるさん、あなたも、内心はそう思っているんじゃないかしら? 違う?」 理知的な風采をしている女は、成瀬の可愛らしい顎を指先で捉えると、 黒縁の眼鏡の奥から醒めたまなざしでのぞき込むようにするのだった。 「でも、わたし、あの女王様という様式、結構いいと思っているのよね。 まだ、西洋の真似っこのところがあるけれど、いずれは、日本の伝統様式を表現していくと思うわ。 それのあらわれと言えば、この、あなたの足もとにどっさりと置かれている縄、この場合は麻縄ね。 西洋の拘束具って、確かにその目的に合致しているように、単純で頑丈で、誰にでも扱いやすくできているわよね。 一義の絶対性に基づく整合性的合理精神が生み出したものだから、そうなるのだわ。 それに比べて、日本の拘束具はこの縄という代物、古くからあると言えば、西洋の拘束具よりも起源は古いわね。 でも、その扱い方に独自の発展を見たのは、世界広しと言えども、わが日本文化だけ。 西洋においてだって、野外作業や登山や船舶用の目的で、縄の扱い方は様式的発展を示しているけれど、 人間を拘束するという目的で美の様式にまで高められた発展をあらわしているのは、唯一日本民族だけ。 人間を動物扱いするように緊縛して拘束する、 その上、猥褻なことが行われるということが抱き合わせのことであれば、 一般の社会常識・道徳・美意識からすれば、表沙汰にすることは恥さらしでおぞましいことではあっても、 そのようなものに意義や存在理由を認めたら、それこそ、えらいことになってしまうでしょうね。 確かに、実際に行われていることが淫猥主体であるのだから、きれいごとでは片付けられないことだわ。 まあ、サブ・カルチャー、アンダー・カルチャー、エクストリーム・カルチャーの位置付けってところかしら。 でも、縄による人体の緊縛が淫猥なことを示しているのと同じ事実で、 それが多義の絶対性に基づく相反矛盾的全体精神が生み出した、 作法を知らなければ扱うことのむずかしい縄の様式をあらわしていることも事実だわ。 拘束だけを目的とした緊縛、拘束されるという様式を作るための緊縛、このふたつは違うということね。 わたしは日本人、だから、かおるさんに施す緊縛も、あなたをみっともない姿にするような縄掛けはしないわ。 美しい裸身を縛り上げた縄が歪めて異形にするのだから、みっともない姿になるのは当然なのに、 みっともない姿にするような縄掛けではない、という矛盾相反する表現に日本独自の多義性があるわけよね。 どお、あなたは、これから日本文化の伝統の一端を衣装のように身にまとうのよ。 素敵じゃない、わくわくしてこない? 日本人の女には縄が一番よく似合う、とは言ってみたくなる台詞ということよね」 成瀬は、自分の背後にまわった相手が後ろ手縛っていた縄尻を取って、胸の方へ掛け始めるのを知らされた。 ふっくらとしたきれいな乳房の上下へくるくると巻かれていく縄は、肌に吸い付いてくるような感じのものだった。 女性が全裸を緊縛された姿を写真や映画などで知ってはいたが、みずからその立場に立たされるとは思わなかった。 生まれたままの全裸でいさせられることは、恥ずかしかった、 それを覆い隠す手段を奪うように後ろ手に縛られたことは、屈辱的な思いを感じさせられた、 それがいま、腕の動きをがっちりと止められ、 乳房を突き出すようにさせられた縄掛けは、惨めさをも湧き上がらせていた。 しかし、一方では、縄のざらついた感触や密着してくる圧迫感が胸をやたらとどきどきさせるものにしていた。 それはめくるめくような戸惑いを感じさせ、視点を落ち着かなくあちらこちらへとさ迷わせるものであった。 「最初は、胸縄だけのシンプルな装いね、 柱の前まで来て」 成瀬が動こうとしなくても、安藤教官は、縄尻を無理やり引いて、中央の白木の柱まで歩ませようとするのだった。 これでは、まったく罪人か奴隷のような境遇だった。 罪人か奴隷のように取り扱われている女は、柱を背にして立たせられると、しっかりとくくり付けられるのだった。 頭上から投射されるふたつの裸電球の光で、その薄暗い場所に姿を浮かび上がらせているのは、柱の女だけだった。 成瀬は、思わず太腿を擦り合わせて、女の恥ずかしい箇所を少しでも隠そうとした。 「いいわね、その仕草、とても女っぽいわ…… もっと、自分でもよくわかるようにしてあげるわね……」 白衣の女は、隅の方から縦長の鏡を備えた和風の鏡台を持ってくると、柱の女の姿が映るように調節するのだった。 「ああ、いやっ」 全裸姿を縄で縛られ柱に繋がれた姿がまじまじと映ると、成瀬は思わず拒絶の言葉をもらすのだった。 「何言ってんの、惚れ惚れとするくらい美しいあなたの裸身が映っているんじゃない、 それも、日本の伝統様式である縄の緊縛の装いを施されて、 日本の女、ここにありというくらいになまめかしい姿にあるのじゃなくて。 わたしは、あなたを惚れ直したわ、とっても可愛らしい子……」 安藤教官は、そう言うなり相手のきれいな唇へキスを送るのだった。 それには緊縛の女の方もびっくりした。 「あら、わたしにキスされるの、いやなの? だって仕方ないじゃない、かおるさんがそうして晒しものにされている姿って、とても愛らしいんですもの。 でも……これは研修です……あなたも、わたしが先ほど言ったことを忘れないように……。 褒められてばかりいるからって、いい気になってはだめよ。 あなたが晒しているその姿って、あなたみずからが見ているままに、 恥ずかしくて、情けなくって、惨めで、浅ましく、淫らでさえあるのが実際のところなのだから…… だって、そうでしょう、 こんなところをこれ見よがしにくっきりとさせているなんて、恥知らずもいいとこよ。 わたしがそんな姿にされたら、とても耐えられないわ」 女性教官は、手にしていた乗馬鞭の先端を相手の股間まで持っていくと、 覆い隠す翳りもなくあらわになっている割れ目へねじ込むようにするのだった。 「ああっ、痛いっ、何を、何を……」 成瀬は、腰をよじらせて懸命になって鞭の先端から逃れようと試みたが、教官は容赦なく奥へともぐり込ませた。 「わたしは、あなたの教官、でも、女王様であるってことも、知っておいてもらった方がいいと思って。 いいわね、わたしの命令には絶対服従よ。 あなたは、わたしの生徒であって、奴隷でもあるということね。 この場所では、あなたがどのようにわめこうが、泣こうが、 誰にも知らされないってことも、おぼえておきなさいね。 あなたとわたしだけの秘密の部屋……どお、ミステリアスでロマンティックなこと。 わかった? わかったら、返事をなさい!」 なぶられる女は、美しい眉根を歪め、恨みがましいまなざしを向けながら、 噛み締めていたきれいな口もとで返事をするのだった。 「……はい、わかりました……」 「そう、いい子ね…… 随分と素直になってきたわね、いや、女っぽくなってきたということかしら……。 それじゃ、しばらくは、その自分の女っぽさをとくとご覧になるがいいわ」 引詰めた髪型に黒縁の眼鏡を掛けた白衣の女は、乗馬鞭をおもむろに引き抜くと、 何事もなかったかのようにくるりと背を向けて、階段の方へ歩いていくのだった。 木製の階段が軋み、遥か下方に扉の閉ざされる音が聞こえると、あたりは人気のない静寂が包み込んだ。 いや、人気はあった。 生まれたままの姿態を縄で緊縛され、それを鏡に映し出された姿を見つめさせられている女がいた。 ふたつの裸電球の光に浮かび上がっている柱に繋がれた女の姿は、 乳色に輝く白い柔肌と肉体の凹凸が作り出す黒い影とが織りなす深い陰影があらわされていた。 あたりに漂う廃れた薄暗闇、死んだように物音ひとつしない静寂、自分ひとりが照らし出されている光……。 折檻室と呼ばれた古びた土蔵の造りの二階にひとりぽつねんと取り残された成瀬は、 眼の前に据えられた鏡に映し出されている女の姿に、どうしても視線を向けることができなかった。 どこの誰かもわからない美しい女がそうされている姿であれば、或いは、見ることができたかもしれなかった。 いや、自分が男であれば、興味なり関心なりを抱いて、眺めることを楽しむ淫猥な光景だったのだろう。 だが、そこにあるのは、否定のしようのない自分の姿態であったのだ……。 いや、そうじゃない……。 自分にとって、あり得ると考えらることが起こっているわけではないのだから、 これは淫らな夢であるに違いないのだ。 小説や映画やゲームのなかだからこそ可能である淫らな夢……。 映画の撮影のためにそれが実際行われたことであろうと、 ただ眺める者にとっては、眺め続けるだけの虚構のリアリズムに過ぎないということだ。 みずからがその現実に参加することも、撤退することも、みずからの自由にあるという虚構性であるからだ。 それを体感までできるということであれば、仮想現実と呼ばれる虚構のリアリズムである。 脳を操作される医療技術が進歩すれば、そのように生活することだって不可能ではないだろう。 だって、そうであろう、就職した会社で職務のために女の肉体へ変身させられる男、 このような話、虚構のリアリズムならともかく、実際にあった話など聞いたことがない。 <プロジェクトT>というのは、脳を操作開発するための事業ではないのか。 その事業組織に自分は組み入れられて、研修と称して実験を受けさせられているのではないのか。 そうだ、そうに違いない、そうであれば辻褄が合う。 このわけのわからない物語のような筋立てにあって、 自分は主人公となったような思いで、演じさせられているだけなのだ。 こうしてひとりになると、本来の男性である意識が頭をもたげ、 それがますます判断をしようとしゃしゃり出てくるのがまったくの証拠じゃないか。 人間は逃れられない現実に縛られているから、一時の絵空事に癒しを求める。 組み立てられた現代の機構が複雑で堅牢なものであれば、その絵空事は事業と流通の可能性から肥大化していく。 複雑多様な価値観が偏在していると言われる現代だが、実はそのような状況にあることこそ、 事業と流通の経済を発展させようと求める者たちにとって、絵空事を展開させやすい現実なのではないか。 <プロジェクトT>とは、脳を操作する手段をもって絵空事を流通させる事業と言えるのではないのか。 いや、大変なことに気づいたものだ、われながら、たいしたものだ。 そう考えれば、これは組み立てられた淫らな夢…… まだ醒めやらないだけで続いているだけ……。 だが、そうは思ってみても、乗馬鞭の先端をねじ込まれた股間の箇所が痛みとして疼いていることは確かだった。 その痛みの箇所を考えると……惨めなことをされたという思いは、たまらなく哀しいものを感じさせるのだった。 どのように男性の意識をあらわしても、女性の肉体のままでいることは変らないのだった。 これこそがまさしく現実であると思わざるを得ないほど、感覚を呼び覚まし感情を掻き立ててくるのだった。 ああ、どうしてこんな目に遭わなければならないのだ。 研修と言ったって、余りにもひどすぎる、まるで人間扱いされていないではないか。 女として生きていくことに、このようなひどい仕打ちを受けることが本当に必要だと言うのか。 研修とは折檻で、ただの虐待じゃないのか、あの安藤という女王様を喜ばせるだけのただのSMじゃないのか。 そればかりじゃない、自分の挙動を眺めている組織の者たちがいるのだから、彼らも被虐の姿を楽しんでいるのだ。 それを言ったら、この物語を書いている作者だって同様だ。 どいつもこいつも、女になった男がなぶられるさまを絵空事のように楽しんでいるのだ。 ふざけるな、おれは男なのだ、おまえたちにもてあそばれるようなか弱い存在ではないのだ。 その男の自尊心は、置かれている境遇の恥辱と屈辱を全面否定するだけの男らしさを発揮したがっていた。 だが、懸命になって男を奮い立たせようと試みても、奮い立たせる強姦的な一物が存在しなかった。 あるのは、くっきりとした切れ込みを見せる女の優しく受容的な割れ目であった。 じっと見つめることなど到底できるはずもない、 その事実が剥き出しにされている全裸が眼の前にあるだけだった。 どうしてこんなふうになってしまったのだ……また、同じ疑問が繰り返されることになった。 古色蒼然とした薄暗闇の方へ眼をそむけていると、 おどろおどろした因習の雰囲気が立ち昇ってくるようで、 それが情けなさの思いへといっそう沈み込ませ、涙さえにじませてくるのだった。 女になりたいと思ってなったわけではないのだ。 もう、こんなことはいやだ、いやだ、いやだ、男を返せ、男を返せ、男を返せ。 「返せ、返せ、返せ、返せ、返せ……」 女は、泣きじゃくりながら、きれいな声音でわめき散らしていた。 しかし、泣いたって、わめいたって、淫らな夢であったら変ったかもしれないが、現実では変りようがなかった。 それは、誕生室で思い知らされたことだった。 泣きじゃくったって、女という身の上で、どのようにあきらめがつくかということに過ぎなかった。 生まれてきたことをあきらめるしかないということだった……或いは、自殺するか……。 自殺……このまま、苦悩を抱えて生き続けていくことができそうもなければ…… それはひとつの答えであるかもしれなかった……。 そのときだった、ふと、思うことがあった…… 生まれてきたことをあきらめるしかない、と考える以前に命を失っていった者のことを……。 それは、淀んだ水のなかに浮かぶ小さくてぶよぶよした白い肉塊で真っ赤な下水へ押し流されていった者だった。 あのとき堕胎させた子供が、もし、生まれ変わった現在の自分であるとしたら、どうだろう。 淫らな夢よりもさらに荒唐無稽でさえある、生まれ変わりという発想は、成瀬には何故かしっくりとするものだった。 命を失わせてしまったという長い間の罪悪感がその子を自分が生きるということで救済を得たような感じだった。 そうだ、確かに、誰だって男性女性をみずから望んで生まれてくるのではない。 いずれの性であろうとそれを引き受けることなしに生き続けることはできない。 だが、果たして、そのいずれかを選ぶという道しかないのだろうか。 自分がいま感じているように、性の相反と矛盾の全体性から生き続けるということは、できないことなのだろうか。 可能であるかどうかは、生きてみればわかることだ。 生きること、それが何よりも求められることであれば……。 何をめそめそしてる……いや、何をめそめそしているの、だらしないわ、かおる。 あなたが与えられた命よ、精一杯生きようとしなくて、どうするの。 そう思うことは、自然な感じを与えるのだった。 成瀬は、その美しい顔立ちに気高い表情を浮かべ、きっとなったまなざしを鏡の方へ向けるのだった。 鏡に映し出されているのは、生まれたままの全裸を後ろ手に縛られ、 乳房を突き出すようにされた胸縄を掛けられ、女であることの割れ目をあからさまにさせられた姿だった。 惨めで、情けなく、淫らでさえある姿態であった。 だが、その顔の表情には、戸惑いも悩みもなく、決然とした意思があらわす清冽さが漂っていた。 いいわ、わたしの女であることを開発したいというのなら、いくらでもなさい、 わたしは、耐えてみせますわ…… なぜなら…… なぜなら、わたしは女ですもの…… わたしは、かおるという女ですもの……。 それから、どのくらいの長い時間、そのようにして鏡に映し出されたみずからの姿を見つめていたのだろう。 どのくらいの深い時間、ぽつねんとひとり部屋に放置されたままでいさせられたのだろう。 意識というものが現在をあらわすものであるなら、 連続した意識の状態にあるということは、始まりと終わりを知らなければ、永遠を感じていることと同じである。 永遠の感覚にあるものだとしたら、そこには縛られる時間の制約はなく、想像力もまた解き放たれることができる。 古びた堅牢な造りの土蔵があった。 かおるはその土蔵の二階にある白木の柱へ身体をくくり付けられていた。 布切れひとつ隠すものを許されない、生まれたままの全裸を縄で後ろ手に縛られ、 乳房を突き出させられるような胸縄を掛けられ、直立した姿勢を晒しもののようにされているのだった。 恥ずかしい、情けない、浅ましい、惨めだ、という思いが身体を火照らせるように募って、 ぽつねんとひとりそこに置かれているのに、 ひとに見られているのではないか、というおぞましさに身を震わせるのだった。 間違っても、このような格好…… 絶対にひとに見せたくはない、見られたくはない、見せてはならない……淫猥とさえ言える姿であったのだ。 どうしてこのような目にあわなければならないのだろうか。 彼女はその疑問の答えが見つけ出せないまま、置かれている境遇を耐えるしかなかったのだった。 このようなことになったいきさつであるなら、簡単に思い出すことができた……。 わたしは、成瀬の家へ嫁に来たのでした。 成瀬の家は代々の呉服屋を営む由緒ある家柄でした、そこのひとり息子である清嗣さんと結婚したのです。 清嗣さんが大学生で、わたしが女学生のとき、ふたりは知り合いました。 清嗣さんはとても頭がよく、将来は小説家を夢見る文学青年でロマンチックで思いやりがある方でした。 しかし、清嗣さんには許婚のようなひとがいました、大学を出ればそのひとと結婚することになっていました。 そして、家業を継ぐことになっていたのです、小説家など若気の夢というものに過ぎなかったのでした。 清嗣さんは反抗しました、家を継ぎたくはないし、結婚する相手もかおるさんという女性であると言ったのです。 しかし、厳格なお義父様は、代々そのようにしてきたのだから、成瀬家はこのように困らずに成り立ってきたのだ、 家を困らせるような者はみなの迷惑になるだけだ、勘当するから出て行けと申し渡したのでした。 清嗣さんは身体が弱かったのです、 もっと身体の強いひとだったら、家を飛び出すことのできる勇気を持てたかもしれません。 清嗣さんは家業を継ぐことを承服しました、但し、結婚相手はかおるさんでなければ絶対に嫌だと言ったのです。 わたしは、あれほど彼を生き生きとさせていた小説家の夢を断念することはとても哀しい気がしましたけれど、 わたしを妻に選んでくれたことはとても嬉しくて、清嗣さんの決めたことならどんなことでも従うことができると思いました。 お義父様もわたしと会うまでは結婚に反対のご様子でしたが、結局、誰からも祝福される婚姻となりました。 夫婦であった三年間は幸せに満ちた日々でした。 お義母様もしきたりに厳しいひとでしたが、わたしはいくら叱られても、家を守るために習うことだと我慢しました。 どのように辛く嫌なことがあっても、清嗣さんがいつもわたしをいたわってくれました、愛してくれました。 わたしは幸せだったのです、ただ、子供が生まれないということを除いては……。 家系を大事にする家では、夫婦となった若い者に跡取りが生まれないということは致命的なことです。 わたしはお義母様に連れられて、幾度なく懐妊と安産を願掛ける神社へ足を運びました。 清嗣さんはわたしを愛してくれました、身体が弱かったので激しいことにまでは及びませんでしたが、 わたしを精一杯愛してくれて、わたしも精一杯それに応えました。 しかし、気配さえもなかったのです、お義父様とお義母様は、わたしに原因があるのだと思っているようでした。 五体満足で頭もよく由緒ある家柄の息子に子種がないなどとは、考えられないことだったのです。 お義父様とお義母様がご自身を振り返ってみても、そのようなことは絶対にあり得ないと思っていたことだったのです。 わたしにはそのように思えたことでした……原因はわたしにあるのだと……。 その本当の答えが出ないまま、清嗣さんは病で急死してしまいました。 それはあっという間の出来事で、ひとりの子供の誕生がこれほどまでに大変なことだと言うのに、 人間の死というのは余りにも簡単過ぎることのように思えたことでした。 病院で看護に付き添っていたときは無我夢中でした。 通夜と葬式のときは、茫然となった思いから足もとさえもおぼつかなくなりました。 初七日を迎える頃には、悲しみを擦り切らせていただけに、安静は恐ろしいくらいの孤独感をも感じさせたのでした。 ある晩、ひとり寝の寂寥とした思いから、寝付かれずに庭の縁側で涼みを取ろうとしたときでした。 庭の片隅にある土蔵の二階の窓に明かりがともっているのに気がついたのです。 その土蔵は古い物をしまってあると聞かされていただけで、入ったことは一度もありませんでしたし、 入る必要もありませんでした、いや、入ることもできなかった場所でした、鍵はお義父様だけが持っていたのでした。 真夜中のことであり、母屋の方からは物音ひとつ聞こえず、家人はみな寝静まっていたようでしたから、 恐らく、お義父様が明かりを消し忘れたのだと思いました。 そればかりか、土蔵の重々しい扉が開かれ、網を張った引き戸がわずかに開いているのが見えたのです。 わたしも普通の心持ちだったら、どうしてそのようなことをしてみようなどと思い付くことはなかったはずです。 清嗣さんがとなりに寝ていてくれれば、夜中に起き出して、土蔵のなかを見てみようなどとは思わなかったはずです。 でも、わたしは寂しさのあまり、少し気を紛らわせたかったのです。 わたしは、庭を抜けて土蔵の前まで行きました、なかへ入ることに躊躇は感じませんでした。 一階は明かりのない薄暗闇で、二階へ上がるがっしりとした木製の階段に光が帯びのようにもれていました。 わたしは、階段をわずかに軋ませながら昇っていきました。 階段のあがりばなまで来たときでした、わたしは、それ以上昇ることができませんでした。 わたしの眼に入ったものがわたしの両脚をすくませて立ち尽させたのでした。 女性が床に横たわっていました、その女性は一糸もつけない素っ裸の姿でいました。 そればかりではありません、その女性は縄で後ろ手に縛られていました。 それだけではありません、その女性は乳房を上下から挟まれるような胸縄を掛けられ、 罪人がされるような首縄をつけられ、それが縦に下ろされて胸縄を締め上げ、 さらに下ろされて腰のくびれを引き締めるように巻きつけられ、 ああ、何というむごいことに、腰から股間へ下ろされて漆黒の茂みへ深々と埋没させられていたのです。 何というむごくて、淫らで、驚くべき姿だったのでしょう。 しかも、驚きがわたしにめまいすら起こさせたのは、 上気させた顔立ちにうっとりとした表情を浮かべ、恨みがましいまなざしをじっとわたしの方へ向けた、 それがお義母様だったからでした。 わたしは、思わず後ずさりするように下りようとしました。 そのときでした、わたしを驚かせるものがさらに待っていたのです。 お義父様でした、お義父様がわたしのすぐ背後に迫っているのでした。 お義父様と顔が合いました、もちろん、わたしに直視することなどできることではありません。 ごめんなさい、とわたしは大声を張り上げて、 お義父様のわきをすり抜けて、その場から逃げ出すしかなかったのでした。 それから、部屋へ戻ると布団を頭からかぶって、ぶるぶると震えながら朝まで眠れないままでいたのでした。 わたしは、お義父様から何を言われるかと思うと、恐くて恐くて仕方がありませんでしたが、 翌朝、お義母様と顔を合わせたとき、昨晩は何事もなかったような態度を取られたのにはびっくりしました。 いや、お義父様からは厳しく文句を聞かされるものと覚悟していたのに、優しいくらいの態度があったのです。 でも、わたしのなかには、見てはいけないものを見てしまったという動揺が続いていたことは確かです。 それは、清嗣さんの納骨を控えた数日前の出来事でした。 わたしには、無事法事を済ませねばならないという思いが一番でした。 お義父様、お義母様がどのようなことをなされようと、それは夫婦の間のことだと思います。 偶然にもむつみごとを見てしまったわたしですが、わたしが見たことを忘れれば済むことなのです。 わたしは、成瀬家へ嫁に来た女です、嫁としてしなければならないことを行うだけです。 そのように思っていたのでした。 しかし、わたしがどのように考えようと、成瀬家の嫁であるという立場は異なって考えられていたのでした。 納骨の法事が終わった晩、わたしは喪服を着替える間もなく、お義父様に呼ばれました。 そして、わしに付いて来なさいと言われて、土蔵の二階へ連れていかれたのです。 わたしは、何を言われるのかと思うと、もう、どきどきするばかりで、聞かされる話もうわのそらでした。 けれど、次のことは、はっきりと聞き取ることのできたことでした。 「……清嗣の納骨も終わったいま、おまえの今後のことを考えなければならない。 妻ともよく話し合ったのだが、おまえには実家へ戻ってもらうのが一番なのだろうということになった。 ……だが、わしとしては、おまえを実家へ帰したくないというのが本音だ。 成瀬家は、ひとり息子の跡取りが死んでしまったのだから、養子でももらわない限り、家は断絶してしまう。 遠い親戚なら別だが、わしの近い親戚には男の子はいない、わしは見ず知らずの子では絶対に嫌なのだ。 わしは、おまえが最初にこの家へ来たときから、とてもいい娘だと思っていた。 わしが若くて独身であったら、きっと嫁にもらうに違いないと思ったほどだ。 息子がいなくなったいま、成瀬家の子種を持っている者は、わししかいない。 いま、おまえが妊娠しても、誰だって、息子の残した子種が花を開かせたことだと思うだろう。 どうだね、ここへ残ってくれる気はないかね」 はっきりと聞き取ることのできた話でした、けれど、本当に言葉どおりに受け取るべき話だったのでしょうか。 わたしには、常識では到底考えられない、恐ろしささえ感じさせることでした。 けれど、わたしも返事に困っていたのは、後家になって戻る実家が裕福ではなかったからでした。 両親は野鼠になって朝から晩まで働いて、わたしを女学校へあげ、成瀬家へ嫁がせた喜びを得たのでした。 実家には、まだ独身の妹と小さい弟がいました。 お義父様は、見返りと言っては何だが、弟の学費の仕送りをさせてあげるとさえ申し出たのでした。 わたしひとりがうなずけば、まるく納まる話だったのです。 わたしは女です、女がひとりで渡っていくには、並大抵のことでは済まされない世の中の厳しさがあります。 わたしがうなずけば、わたしは、子供にさえ恵まれて、一生を安泰に暮らしていけるのです。 義父と交わりを持つことは、世間の常識や道徳からすれば、決して許されることではないことはわかっています。 けれど、女がひとりで生きようとしても、男のひもが付き街娼になって暮らしていくようなものであったとしたら、 いったいどれだけの違いがあると言うのでしょうか。 わたしは、か弱い女だったのです……うなずきました。 お義父様は、優しかったです。 わたしに喪服を脱ぐように言うと、自分も紋付袴を取り去ったのでした。 素っ裸になったわたしの身体を頭の上からつま先に至るまで、舌を這わせてわたしの情感を盛り上げるのでした。 わたしがしっとりと濡れたようになるのに、お義父様は大して時間のかからないほど経験が豊かでした。 わたしは、清嗣さんに済まないことをしているという思いと、 恵まれる胎児こそ清嗣さんの子だと思いながら、お義父様のものを受け入れたのでした、 お義父様は威勢があって、二度に渡って成瀬家の将来を投げかけました。 しかし、それで終わったことではありませんでした。 お義父様は、お義母様には、嫁が清嗣の子を授かっている可能性があるかもしれないと説得しました。 成瀬家に留まる以上、家業の仕事を覚えてもらうために、土蔵の二階で研修を行うこととされました。 確かに、家業の仕事と言われれば、そうであったのかもしれません。 お義父様は、呉服の帯の締め方や結び方を学ばせるように、麻縄の縛り方や締め上げ方を教えたのです。 わたしが見てしまったお義母様の縛られた姿のように、今度はわたしが縛られた姿にさせられることでした。 わたしに文句の言える筋合いはまったくありません、わたしはお義父様の言うがままになるだけでした。 ただ、どうしてこのような目にあわなければならないのだろうか、という疑問はありました。 間違っても、このような格好…… 絶対にひとに見せたくはない、見られたくはない、見せてはならない……淫猥とさえ言える姿だったからです。 わたしは、生まれたままの全裸にされて、縄で縛られることがおぞましくて仕方ありませんでした。 今晩も夕食が済むと、お義父様は、先に土蔵へ行っていなさい、とわたしに言います。 そのときのお義母様の恨みがましいまなざしに、わたしは悪いことをしているような思いさえ感じるのでした。 わたしが二階で待っていると、間もなく、お義父様が上がってきます。 わたしに着物を脱ぐように言うと、布切れひとつ隠すものを許されない生まれたままの全裸を後ろ手に縛られ、 乳房を突き出させられるような胸縄を掛けられ、立った姿勢のまま柱へ晒しもののようにくくり付けられるのです。 恥ずかしい、情けない、浅ましい、惨めだ、という思いが身体を火照らせるように募ってきて、 ひとりぽつねんとそこに置かれているのに、 ひとに見られているのではないかというおぞましさから身体が震えるのでした。 そのわけは、縦長の鏡を備えた鏡台が眼の前へ置かれているからでした。 母屋へ行ったお義父様が戻ってくるまでの時間、わたしは自分の姿を見つめることをさせられるのです。 鏡に映し出されたわたしの姿…… それは本当にわたしの姿なのでしょうか……。 あたりに漂う薄暗闇の静寂がそれに答えくれるはずもありません。 遥か下方に扉の開かれる音が聞こえます、 木製の階段が軋んで、昇ってくるひとの気配が感じられます、 そのひとが答えてくれることなのです……。 |
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