《 般 若 の 思 想 》![]() 椋陽児 画 今でもはっきりとおぼえていることだが、 私が縄で縛られた全裸の女性というものを初めて見たのは、中学一年、十三歳のときだった。 風俗雑誌に掲載されていたもので、戦争で片脚を失ったじいさんがやっていたさびれた古本屋で見つけたものだ。 その当時は女性のヌード姿でさえ見ることをはばかられた時代だったから、女性が生まれたままの姿で、 しかも罪人のように縄を掛けられている姿というのは、驚愕する以外のなにものでもなかった。 もっとも、私は、女性を縛るということでは、実はそれ以前から関心をもたされていた。 教えてくれたのは、近所に住む二歳年上のひとりっ子の坊ちゃんだった。 坊ちゃんの家は、代々貿易会社を経営していて、結構なお金持ちだった。 私のようなたいして裕福でない家の者が坊ちゃんの家に出入りを許されたのは、 家が近かったというばかりでなかった、坊ちゃんと私は不思議と気が合ったからだった。 坊ちゃんはとても頭が良く、わがままで少し変わったところがあったため、友だちは少なかったのだ。 その変わったところというのは、坊ちゃんは必ず「悪いことをする者は罰を受けねばならない」と言うことだった。 小学校六年の子供が言うには、大人じみた感じだったが、坊ちゃんは言うばかりでなく、 そのことを実行していたのだ、坊ちゃんの家にあった土蔵がその仕置きの場所だった。 坊ちゃんの両親は一年の半分くらいを外国旅行に出かけていて、留守は老夫婦と女中にまかされていた。 この十八歳になる女中を仕置きするのが坊ちゃんの役目だったのである。 清楚な顔立ちもさることながら、おとなしくて素直であったこの女中は坊ちゃんの言うことなら何でも従った。 逆らうような悪い真似をすれば、坊ちゃんは仕置きをすると申し渡していたからだった。 しかし、従順であった女中に何らの落ち度がなくても、仕置きは行なわれることになっていた。 それは老夫婦が用足しに半日出かけたときであり、坊ちゃんにとってその時間はかけ替えのないものだった。 私が初めてその仕置きを手伝わされたのは、小学五年になったときであった。 なかでも、行なわれた仕置きの最後となった土蔵の光景は忘れられないものとなった。 仕置きとは言っても、ただ、女中を後ろ手に縄で縛り、立った姿勢で土蔵の柱に繋ぐだけのことだった。 柱に繋がれた女中の様子をその前に陣取ってじっと眺め続けるだけのことだった。 どのくらい前から坊ちゃんと女中の間でそのようなことが行なわれていたかは知らないが、 坊ちゃんの部屋にミルクとビスケットを運んできた女中をつかまえて、 「今から、おまえを仕置きするから、土蔵へついてこい」と言い放っただけで、 女中の表情は一瞬こわばって大きな瞳がさらに大きく見開いたが、はいという素直な返事が聞かれるのだった。 坊ちゃんを先頭に女中が従い、私がその後について庭の片隅にある土蔵へ入った。 入口にある網戸から差し込んでくる光だけの薄暗い場所であったが、 閉じ込められたような陰気くさい雰囲気には、わけもわからなく胸をどきどきさせるものがあった。 私の立場はほとんど立会人のようなものだった、観察しているだけで、坊ちゃんがすべてを行なった。 坊ちゃんと女中は年齢が五歳離れていたが、その頃はもう坊ちゃんの身長の方がうわまっていた。 眼の前にすくっと立たれた男の子に、女中は顔を俯き加減にしてまなざしをそらしていた。 「悪いことをする者は罰を受けねばならない。 おまえは、ぼくが来て欲しいと思ったときに来なかった。 ぼくにさみしい思いをさせたおまえは悪いことをしたのだ。 罰を受けさせてやる、縛るからな」 坊ちゃんが話し始めると、女中のまなざしは相手に向けられていった。 そのじっとそそがれる女中のまなざしを坊ちゃんもまたじっと見つめ返すのだった。 女中の顔は蒼ざめて見えるくらい緊張していたが、坊ちゃんの表情も凛々しく見えるくらい緊張していた。 そのふたりを見ていた私も緊張した、そして、ふたりがものすごく大人に感じられた。 坊ちゃんは用意していた麻縄を手にして女中の背後に立った。 女中は束ねていた艶やかな黒髪を両手で解いて振ると、そのまま背中で両方の手首を重ね合せるのだった。 その仕草には女性の色っぽさが漂っていた。 「おまえを仕置きするのも、今日が最後かもしれない。 ぼくは両親とアメリカへ行くことになった。 おまえと別れるのは、さみしい。 だから、おまえを忘れないために、今日はおまえをきつく縛るよ、いいかい」 女中は言葉で答えずに、大きくうなずいてみせるだけだった。 その顔は一念を思いつめているようで、きれいな形をした唇は真一文字に閉じられていた。 坊ちゃんは女中を後ろ手に縛ったばかりではなかった、初めてふくらんだ胸の上へ縄を掛けたのだった。 セーターとスカート姿でいた女中は、ただでさえぴったりとした衣服が身体の線をあらわにしていたが、 縄を掛けられたことで、その美しい胸の形は見ている者の胸を激しくときめかせたのだった。 「正座するんだ。 おまえがぼくに従順だということを見せるんだ」 女中は言われるままに床へ膝を折って、動きにくい身体を無理しながら正座の姿勢を取るのだった。 女中にしてみれば、何よりもスカートがはだけることを避けたいと思ったのだろう。 身体全体から恥じらいがにじみでるような、そのもじもじとうごめかせる動作は匂い立つようだった。 きちんとした正座にすわり、後ろ手に縛られ胸縄を掛けられ姿をあらわしたとき、 女中の顔立ちは長い黒髪を頬に垂らし、思いを込めたようなまなざしを床の一点へ投げかけていた。 その姿は美しかった、女性がこれほどまでに美しいものだということを初めて知った思いだった。 いつもなら、坊ちゃんも私と並んで女中を観察するのだったが、その日は違っていた。 坊ちゃんは女中を縛った縄尻を握りしめたまま、込みあがってくるものを押さえるように唇を噛みしめて、 足もとの女をじっと見続けているのだった、まるでふたりを結びつけている縄が伝えてくるものを感じているように。 それは、緊縛されて正座した女とその縄を掛けて立ちつくす男の繋がれた愛をあらわす、まさに永遠の姿だった。 それから一ヶ月後、坊ちゃんの一家はアメリカへ移り住むために引っ越していった。 別れ際に、坊ちゃんは、おまえはたったひとりの親友だったから、秘密を打ち明けると言って話したことがある。 それは、小さかったとき、母親が父親に裸にされて縄で縛られた姿を見たことがあるというものだった。 そのとき、父親は「悪いことをする者は罰を受けねばならない」と言い、母親を雁字搦めにしたそうだ。 「許して、許して」と乞う母親に、父親は「おれはおまえを愛しているからこそ、こういう真似をするのだ」と言った。 坊ちゃんが女中を仕置きしたかったのは、女中を誰よりも好きだったからだと打ち明けたのだった。 その女中は、坊ちゃんの一家が引っ越すのに合わせて、出入りの若い植木職人のところへ嫁いでいった。 坊ちゃんの話で少し前置きが長くなったが、まあ、そういうことがあったのだ。 ただ、今にして思えば、坊ちゃんの心残りは、彼女を生まれたままの裸姿にして縄を掛けられなかったことだろう。 坊ちゃんが思い焦がれた女性の全裸緊縛は、相手の美しさをいや増しにさせたことだろう。 もっとも、坊ちゃんが本当に女性の全裸緊縛姿を望んでいたかどうかはわからない。 母親と親密に過ごせる時間の少なかった坊ちゃんにとって、彼女は恋人であり、母親であったのかもしれない。 それを結ばせていたのが縄による縛りであったのだろう。 緊縛の因縁、そういったものだったのだろう。 いずれにしても、それ以来、私の方は女性の縄で縛られた姿というものに惹かれるようになってしまった。 そして、中学一年のときに出会った緊縛写真は衝撃的であったばかりでなく、私を本当に目覚めさせたのだ。 <じゅずつなぎ>と題された白黒写真だった。 女性が三人、素っ裸で後ろ手に縛られ胸縄を掛けられ、正座させられた姿で並んでいるというものだった。 <じゅずつなぎ>の意味は、その三人の女性が互いに縄で繋がれていることにあった。 床が板の間であったから、恐らく、人買いにでも拉致され部屋に監禁された情景でもあらわしていたに違いない。 昨今の何もかもが剥き出しの流行からすれば、たいしたことのない緊縛写真である。 だが、私にとっては、恐ろしく現実的な光景に感じられたことだった。 それは、三人の女性の顔立ちが打ちひしがれたように俯いていたため、黒髪に覆われて見えず、 モデルとは思えないずん胴の体形が銭湯へ行けば覗くことのできるような近所のおばさんを思わせたことだった。 その写真を見てからというもの、街で見かける成人女性はことごとく<じゅずつなぎ>を連想させるのだった。 言い方を換えれば、成熟した女性はすべて生まれたままの姿を縄で縛られる存在だと感じるようになったのだ。 十三歳の少年が思うこととしては尋常ではない、だが、そうなってしまったのだ。 女中の縛られた姿の美しさに心底感動をおぼえた私にとってみれば、必然的な成り行きだったのだろう。 私にとっては、女性のもっとも美しい姿とは、一糸もまとわない全裸を縄で緊縛された姿となったのだ。 美の価値観には個人差がある、しかし、異常な状況にあるものに美を感ずるというのは後ろめたいことだ。 それは隠し続けなければ味わえない喜びである、まして、実行しようと野心を抱いとき、それは苦行に近かった。 私は<じゅずつなぎ>を実現したいという野心を抱いたのである、 と言うのも、大切にしていたその白黒写真を家の新築のどさくさに紛失してしまったのだ。 高校二年生のときのことである。 一緒に捜してくれと誰にも頼めない悩みは、<じゅずつなぎ>のイメージを完全に固定させてしまった。 <じゅずつなぎ>はもはや私のなかにしかないものだった、それは私だけの理想へと進化していったのだった。 大学へ行く頃には、私にも女体緊縛についての知識がそれなりに身についていたが、 一般の風俗雑誌で紹介されているようなものと、それはどこか違っていた。 女体緊縛というものが存在する所以は、人間にはサディズム・マゾヒズムの性向があるからというものである。 サディズム・マゾヒズムは虐待という現象を通して人間を見ることであるから、 虐待の現象のひとつのあらわれが緊縛である以上、緊縛は虐待である意味以上のものはなかった。 だから、私が女性に緊縛を求めることは、虐待したいと申し出ることと同じであり、 虐待を望む女性、つまりマゾヒズムの性向を持った女性でないかぎり、その申し出は快く受け入れられない。 快諾しない女性を無理やり縛り上げれば、それこそ虐待であるわけだから、緊縛は虐待以外の何ものでない。 これは、縛者と被縛者の関係をサディズム・マゾヒズムという数式に当てはめたようなことだから、 わかりやすいと言えば、わかりやすい、それも猥褻とされる事柄についてだから、それ以上追求しても始まらない。 理屈をこねていると勃起したものさえ萎えてしまうから、官能に身を委ねて行なうことが一番ということである。 だが、私はそうは思っていなかったという点で、 サディズム・マゾヒズムに強い関心を抱いているということでは、 常識の異端者であったかもしれないが、その世界の価値観のなかでも異端者であったのだ。 私が独りで悶々と考え続けて行なったことだから、所詮は独断と偏見にすぎないことであるに違いないのだろうが。 <じゅずつなぎ>には三人の女性が必要とされた。 私はその三人の女性を囲い、私の望むとおりの<じゅずつなぎ>にしなければならなかった。 それにはまず財力が必要であったが、私は公務員になってからもずっと独身を通し、 必要最低限の出費以外はすべて貯蓄にまわし、ようやく場所も財力も整ったのは三十八歳になってからだった。 ひとりめの女性は、名前を礼子と言い、私と同い年だった。 私の中学校のときの同級生で、久々にクラス会があり再会したことがきっかけだった。 クラスの仲間と三次会まで付き合って、別れ際に声をかけてきたのは彼女の方だった。 もう一軒付き合ってくれないかという申し出に、私はそれだったら、私の家へ来ないかと誘った。 彼女が二度も離婚して独り身であるということは聞こえていたし、私の中学時代の片思いの相手でもあったのだ。 礼子はかまわないわと答えたのだった。 家は二階建ての古いもので、二階に三部屋、一階に一部屋と台所と浴室があった。 私は家に着くと、居間に当ててある日本間で彼女を前にしておもむろに語った。 「古い話をして申し訳ないが、きみはぼくの中学時代のあこがれのひとだった。 今日ここにきみがいることは、きっと因縁であるに違いないとぼくは思う。 なぜなら、ぼくは今でもきみが好きだ、会えたことはとてもうれしい。 きみさえ困らなかったら、明日は休みだし、二階へ泊まっていったらいい、ちゃんとした部屋があるよ」 私にとってみれば、どのみち普通に理解されない世界の話であるから、単刀直入に答えを出す方がよかった。 私にはまだ酒の酔いが残っていた、しかし、彼女の方はもっと酔っていた。 「ふうん、そうだったんだ、知らなかった、と言いたいけれど、私は気がついていたわ。 だけど、あんたはガリ勉だったから、近づきにくかったのよねえ、私みたいな頭の悪い女にとっては…… あんたがそのとき私に言い寄ってくれれば、私もこんなふうになっていなかったかもしれないわよ。 まあ、いまさら、愚痴を言っても仕方がないわね、ねえ、お酒あったら、頂戴よ」 差し出したウィスキーの水割りを一気に飲み干し、彼女はとろんとしたまなざしをこちらへ向けてもう一杯ねだった。 「もう、酒はその辺でやめておいた方がいい、それより、ぼくの話を聞いてくれないか」 「いいわよ、もう一杯くれたらね……私のことを黙って本当に愛してくれるのはこの水だけなんだから…… 男はみんな嘘っぱちよ、最初のうちだけ調子のいいことを言って、私に飽きたら、さよならだって…… もう、うんざりだわ、そんなこと……いいから、早く、お酒頂戴よ……あんただって、同じでしょ」 礼子はグラスを掲げたまま、にらみつけるようにして言うのだった。 私はそのグラスをひったくった、そして、その代わりに用意してあった麻縄の束をテーブルの上へ置いた。 「何よ、これ」 彼女はびっくりして視点の定まらないまなざしを私と縄とに交互に投げるのだった。 「酒で酔うことよりも、もっときみ自身であることに喜びを感じさせてくれるものだ。 きみは男に裏切られてきたかもしれない、しかし、それはきみが成長しなかったことにも原因がある。 きみは肉体ばかり見事に育ったが、精神は中学生程度のままだということだ。 きみの精神が成長して、世の中をもっと判断力のある眼で見ることができたなら、 きみは裏切られたことで自分がみじめな思いになることはない。 きみは自分自身というかけがえない自分に自尊心を持っているからだ。 そのような思いに成長できることをこの縄はしてくれる。 あとは、きみがこの縄を掛けられることを望むかどうかだけだ」 礼子はびっくりした表情のまま、とろんとしたまなざしを懸命に凝らして私を見るのだった。 「言っていることがむずかしくて、わかんないわよ、要するに何なの、私をこの縄で縛りたいということ…… へえ~、あんたにこういう趣味があったんだあ、私だって知っているわよ、エスエムというのよ、こういうの…… 異常性愛……何だか、恐ろしいわね……でも、あんたが言うと、学校の先生に教えられているみたい…… いいわよ、どっちみち、私はあんたが好きで付いて来たんだから……だけど、その前に一杯、頂戴ね」 私は首を横に振った、彼女は口をとんがらせてすねたような顔をした。 「服を脱いで、裸になってくれ」 礼子はわたしの方をじっと見すえると、「いやよ、私の服はあんたが脱がせて」と答えた。 私が彼女に近づいてスーツに手をかけたときだった。 礼子は突然抱きついてきて、私の唇に吸いつくように激しいキスをしてきたのだった。 戸惑ったのは私の方だった、彼女は舌先さえ私の口中へ差し入れてがむしゃらに唇と唇を重ねあわせてきた。 私は彼女のするがままにさせ、相手の身体から着ているものを脱がせていった。 ようやく唇が離れたとき、礼子はブラジャーとパンティだけの姿になっていた。 「どお、私のキス、まんざらでもないでしょう……これで、覚悟もできたわ……あとは自分で脱ぐから……」 それからは、彼女は寡黙になっていった。 私の方へ背中を向けると、身体を覆っている最後の下着までも取り去って、生まれたままの姿になったのだ。 「両手を背中へまわしてくれ」 言われたとおり、礼子は両手を背中へまわしてくる、その柔肌は酒の酔いに加えて羞恥が上気させていた。 私は彼女を後ろ手に縛った、彼女は高鳴っている動悸をあらわすかのように、すでに肩で息をしていた。 縄を前にまわし、乳房の上へ掛けた、薄紅色をした乳首をとがらせ、ふっくらとふくらんだきれいな乳房だった。 先程までの強がったような態度は影をひそめて、彼女は俯いたまま私の方さえ見ようともしなかった。 今度は乳房の下の方へ縄をまわして締め上げていくようにすると、うっ、うっ、とこらえ声をもらすだけだった。 「きれいな乳房だね、中学のときも、きみのスタイルはめだっていたね、そのきみが今ここにいるんだ」 礼子は上目遣いに私の方を見たが、そのまなざしは裸姿を縄で縛られた自分に戸惑っているという感じだった。 それから、私は縛った後ろ腕を固定させるように幾重にも縄を掛けていった。 縄の拘束が強まるにつれて、礼子の呼吸が荒くなっていく、彼女の心臓は激しく脈を打っている。 「股にも縄を掛けるから、ひざまずいて」 横座りになっていた彼女はすぐに行動を起こそうとはしなかった。 「いやかい、そんな縄を掛けられるの」 私の問いかけに、礼子はかぶりを振って、「脚がしびれて立ち上がれないの、起こしてください」と言うのだった。 私が手伝ってひざまずかせると、彼女は両方の太腿をぴったりと閉ざして、精一杯羞恥の箇所を隠そうとした。 子供を産んだことはないと言っていたが、艶めかしい曲線をあらわにした女っぽい見事な腰付きをしていた。 その白い太腿の付け根には、恥じらいの茂みが黒の色艶をおびてこんもりとしていた。 「縄を通すから、両脚を開き加減にして」 そう言われると、礼子は情感のこもったまなざしを私の方へ向けて、言いなりになっていくのだった。 私は縄を腰へ巻きつけて締めると、臍のあたりから縦に下ろして、彼女の股間へもぐり込ませようとした。 「恥ずかしいわ……恥ずかしい……こんな気持ち、初めて……」 「いやかい、いやなら、やめるよ」 私はからかうような気持ちで言った。 「いじわる……私をこんなにさせたのは、あなたじゃない……私は、もう、あなたの手のなか……」 礼子はすねたような声音をもらすのだった。 「縄で縛られるって、もっと痛いことかと思っていたけれど、あなたのはそんなんじゃない、もっと……」 「もっと、何だい、はっきり言ってみろよ、きみらしくないな」 私は彼女の股間へ縄を通しながら答えを迫った。 「もっと、あなたに縛ってもらいたい……」 「こんなふうにかい」 私は股間へ通した麻縄を彼女のわれめへしっかりと食い込むように締め上げながら言った。 「ああっ、ああ、だめ、だめっ……あなた、だめっ……私、本当に感じてしまうわ……」 背後で縄留めを終わらせた私がふたたび見たとき、礼子は全裸を縛られた境遇に囚われたかのように、 ひざまずいているのもままならないくらい下半身をもじつかせているのだった。 「これは、きみが自分自身となるためのイニシエーションだ、今日からこの家がきみの住まいだ」 私は彼女へ申し渡していた。 ついに床へ腰を落としてしまった彼女は俯いたまま、 自分のなかで増殖し始めている新しい自己意識と向かい合っているようだった。 これが礼子への初縄だった。 ふたりめの女性は、名前を法子と言い、年齢は私より五つ若かった。 同じ省へ勤務する二年前からの同僚だった。 彼女は国立女子大を卒業していた才媛だったが、その自尊心は男性を寄せつけず、ずっと独身を通していた。 私は彼女にまったく関心はなかった、私などが手の届くような相手では到底なかったからだ。 それがどういう因縁で関わりをもつようになったかと言うと、きっかけは神保町の古書店街で出会ったことだった。 その日は土曜日だった、私は夕食までの暇つぶしに女体緊縛の雑誌を漁るため店をわたり歩いた。 私は、サディズム・マゾヒズムに基礎を置いた女体緊縛というものにどうしても首肯できないところがあったので、 どのような雑誌を眺めても似たり寄ったりで、これはと思うようなものをほとんど見つけだすことができなかった。 私の見るところでは、サディズム・マゾヒズムに基礎を置いた性の価値観というのは、 マルキ・ド・サドの著作とポーリーヌ・レアージュの『オー嬢の物語』でもって集約されているようにしか思えなかった。 いずれもフランスのものだが、それは知の伝統ということでもあるのだろう。 だから、残りはすべて亜流にしかすぎないものだと感じていた。 人間にはサディズム・マゾヒズムの性向があることは否定しない、それが殺戮や強姦を招いていることもわかる。 だが、それを男女の従属関係の基礎とすることがどうしても納得できないのである。 私が<じゅずつなぎ>を成就したいと願望したことは、私なりの結論を出したいということにほかならなかった。 そのときは、すでに礼子との同棲生活を半年間続けていたので、彼女の成長から学ばされることの方が多かった。 法子はそのレアージュの『オー嬢の物語』、正確には澁澤龍彦訳のものを絶対だと言っていた。 「愛をいだく女はみな男の奴隷になる萌芽を持っている。 奴隷になるということは自由意思を奪われることであるから、そのときの愛は自己の意思ではもはやない。 主人と奴隷を繋ぐ愛にすぎないものであるから、主人が奴隷をどのように取り扱っても、それはただの愛なのだ。 オーは鞭打たれて苦痛にあることに喜びを知り、膣を広げられる肉体改造を行なわれて女の機能を高め、 主人の持ち物であることをあらわすために陰唇に輪を付けさせられ、その美しい肉体に焼印を押されてさえも、 大勢の紳士淑女の集う夜会へふくろうの面を着けて堂々とその姿をさらすことをする。 男たちの単なる性の慰み物として犯されるだけのものであっても、オーには神のような受容力がそなわっている。 それは、愛は愛という、至上の愛という認識をえた自尊心、つまり、ミネルヴァの叡智にあるということなのだ。 自分に縛られている愛しか知らない普通の女が神に近づく叡智を知るには、奴隷になることがその道なのだ。 あなたにはこういうこと、理解できるかしら、ただの性欲だけの世界ではないことよ」 私が出てきたエロ本専門店の店先で出会った後、ふたりで入った喫茶室で彼女はそのようなことを語った。 まるで、私が低俗なエロ雑誌の愛読者であることをなじるような調子だったが、 どうしてそのような話へ展開したのか覚えがない、ただ、彼女は私と一度は話してみたいと思っていたと言った。 私はエロ雑誌の愛読者であったし、性欲を感じて女体緊縛を行なっていたから、 その言葉に反発するつもりは毛頭なかった。 「ただ、ぼくは、フランス人の女性オーにはミネルヴァの叡智があったと言うなら、 日本人の女性にも、性における般若の叡智というものがあると言いたいですね」 法子は不思議そうな顔をした。 「般若の叡智? 聞いたことがないわ、だれが言ったことですの、高橋鐵あたりの言説かしら」 彼女の性の文学や絵画に関する知識は相当なものだったが、般若の叡智は知らなかった。 知らないはずである、それは私が自分の女体緊縛の世界をてらって、そう言ったことだったのだ。 だが、私の浅薄な知識にないだけで、わが国の先人たちのなかにはそうした表現をした者もいるのかもしれない。 「いや、ぼくにもわからない、わからないけれど、見せることはできますよ」 「わからなくて、見せることができるって、ずいぶん変だこと、写真か絵にでも表現されていることなの」 「興味ありますか、ぼくの家まで来ていただければ、お見せすることができますよ」 法子は『オー嬢の物語』に匹敵する日本の叡智に強い関心を持ったようだった、私は図に乗って申し出た。 こうして、翌日の日曜日、法子は私の家へ来ることになった。 だが、私には法子が<じゅずつなぎ>の第二番目の女性になるとはどうしても思えなかった。 私が行なっていることなど、所詮はエスエムまがいの低俗な性欲行為とせせら笑われるだけだと思った。 家へ誘ったことを後悔もした、だが、このことを礼子に話すと、 「素敵じゃありませんこと、私みたいな身体ばかり敏感で頭の悪い女と違って、 頭がよくって、きれいなんでしょう、そのひと、第二の女にふさわしいひとだと私は思いますよ。 私に精一杯見事な縄を掛けて、そのひとに見せてあげたらよろしいかと思います」 と喜んでくれ、積極的になってくれるのだった。 その日が来た、約束の時間どおり、法子は訪ねてきた。 私は家へ迎え入れると、居間へ案内して、その場へ待たせた、そして、般若の叡智を見せた。 生まれたままの礼子の身体、恥じらいの毛さえもきれいに剃り上げられた全裸には縄の文様が施されていた。 縄は、ほっそりとした首から縦へ下がって、乳房と腰付きを際立たせるように幾つもの菱形を浮かび上がらせ、 覆うものを失っている小さな丘へ深々と埋没し、女のわれめをこれ見よがしにあらわにさせているのだった。 だが、その姿が礼子だということはわからなかった、彼女の顔は般若の険しい形相の面で覆われていたからだ。 しずしずと居間へ登場した般若の女に従い、その後ろ手に縛った縄尻を取って私はあらわれた。 テーブルを前にして座っていた法子は、突然の見世物に狼狽した様子だった。 私は、彼女が気を悪くして、そのまま立ち去ってしまうだろうと懸念した。 異常性愛の実際など見せられて、平常な心持ちでいられる方がどうかしているというものだ。 だが、法子は立ち上がろうともせず、狼狽している様子を見せまいと必死になっているのだった。 声をかけるのも気の毒なくらい、震えて、蒼ざめて、その視線はテーブルの一点へ落ちたままだった。 それに比べて、礼子は堂々としていた、彼女は法子の前へ直立した姿勢を崩さず立ち尽くしていた。 雰囲気は緊張の張りつめたものだった、私も礼子の縄尻を取ったまま脇に立っているだけだった。 それを変えたのは礼子であった、彼女は私に「後ろ手に縛った縄を解いてください」と言った。 私は言われるがままにした、すると、礼子は小さく縮こまったようになっている法子の間近へ寄ったのだ。 「あなたも、着ているものを脱ぎ去りなさい、それを望んでここへ来たんでしょう」 礼子は優しい口調で言うのだった、法子は思わず般若の面構えの女を見るのだった。 般若の女の手は相手のスーツを脱がせにかかっていた、普通の女はあわてて衣服を押さえるのだった。 「いやなのかしら、いやなら、お帰りなさいな、般若の叡智は望む者にしか見えないものなのよ」 その言葉に、法子は般若の顔と縄で緊縛された肉体を交互に見比べると、身体を振りほどくように立ち上がった。 「私は、このような趣味は持っていませんわ、今日見たことはだれにも言いません、帰らせてください」 震える声音でやっとの思いで言い放つのだった。 私にはわかっていた結果だった、私は何も言えず、立ち尽くしているばかりだった。 だが、法子はその場を立ち去ろうとはしなかった。 「どうして、あなたは何も言わないのです。あなたはここの主人でしょう、この奴隷の主人なんでしょう。 あなたの行なっていることは正しいことだと、どうして私を説得しないのです、そんなのいい加減だわ。 あなたの言った般若の叡智とやらの独創性など、たかが知れているってことよ、わかっているのかしら」 法子の思いを逆撫でしているものがこの場の雰囲気にはあったようだ。 「法子さんと言いましたね、あなた、今あなたの言ったこと、少し間違っているわ」 口を挟んだのは礼子だった。 「彼は私の主人ではないし、私は彼の奴隷ではありません。 私はもちろん縄によって彼から多くのことを学ばされました、私は緊縛を受けたことで成長しました。 けれど、私は自分というものを成長させただけで、彼の奴隷に成り下がったなんてことではありません。 あなたは人間の関係を誤解しているんじゃありませんか、男と女、主人と奴隷、サディストとマゾヒスト、 男女が性的関係を結べば、女が男に縄で縛り上げられれば、そうしたありようしかないと思うのは、 了見が少し狭いというものじゃありませんこと、つまり、あなたの知っていることは、ただの知識です」 全裸の女、しかも屈辱的な恥ずかしい縄を掛けられた姿でいる女、 そんな女に言われたくないというふうに法子は首を振った。 「あなたは気がついていないだけで、所詮は男の性の奴隷に成り下がっているだけなのよ。 第一、そのような惨めな格好にさせられて、心の成長がありますなんて、よく言えるわね。 男の性のおもちゃにされているだけなのに、気づくことができない、そのことこそ、心の退化というものよ」 しかし、何と言われも、般若の面を着けた女は平然とした様子を崩さなかった。 「あなたがみずから般若になろうと望まないかぎり、話し合っていても、埒はあきません、お帰りくださいな」 般若の女はそう言うと、法子の先に立って玄関の方へ案内するのだった。 「……私は般若になることを望んでいないなんて言ってません……ただ、納得がいかないだけなのです……」 法子は依然立ち去る様子を見せず、独りつぶやいているのだった。 「その答えを出すには、きみがみずから縛られてみる以外、ないと思いますよ」 私の言葉に法子のまなざしは真剣そのものだった。 「でも、あなたは私を縛って、あなたの自由に私を取り扱うのでしょう、それでは私は惨めになるだけだわ」 私は彼女のそばまで近づいて答えた。 「本当にそれだけかどうか、縛られたら、わかることでしょう、さあ、気持ちが固まったら、服を脱いで」 法子は思い迷っていた、だが、決心したように唇を一度噛みしめると、 「般若さん、さっきは失礼なことを言ってごめんなさい……私には自分で脱ぐ勇気がありません…… ロワッシーでオーがされたように……私の脱衣を手伝ってください……」 と申し出るのだった、般若は彼女に近づくと優しい口調で言うのだった。 「初めてのことは、だれだって、不可解だし、不安だし、勇気がいることよ、でも、安心して、私がそばにいます」 法子は般若の面構えをじっと見すえながらうなずくのだった。 スーツ、スカート、ブラウス、シュミーズ、パンスト、ブラジャー、パンティと般若の手際のよさは、 見る見るうちに法子の身体から覆うものを失わせて、女の肉体をあらわにさせていくのだった。 女は生まれたままの姿にさせられた羞恥から、思わず乳房と恥じらいの箇所を手で覆っていた。 「隠すことなんかありません、あなたの身体は美しいわ、美しいから縄掛けされるのです、わかりますか」 法子は黙って聞いていた、そして、隠していた箇所をさらけだすようにするのだった。 「とてもきれいですよ、そんなに美しいあなたなら、縄掛けされたらもっと美しくなるはずです、 両手を背中へまわして」 私の言葉に、彼女は躊躇した、しかし、般若がうなずくのを見ると、おずおずと両手首を差し出してくるのだった。 そのほっそりとした手首を重ね合わせて縛った、残りの縄をきれいに隆起した乳房の上へ幾重にも掛けた。 法子の表情は極度の緊張に蒼ざめていた、まなざしは戸惑いを隠し切れず、あちらこちらへとさ迷うばかりだった。 乳房の下へも縄をまわした、首縄として掛けた縄を縦に下ろして胸縄を締め上げていった。 その緊縛感が彼女を思いもよらない心持ちへと誘っているようだった。 彼女の視線はみずからの縄目を丹念に追っていた。 私は法子の縄尻を取ると引き立てるようにして敷居の柱のところまで歩かせた。 彼女は全裸を麻縄で緊縛されたという信じられない境遇にめまいのようなものすら覚えて足元をふらつかせていた。 私は柱に座布団を巻きつけてクッションを作ると、それを背にして法子を腰かけさせた。 法子は自分を見届けてくれている般若の方へまなざしを向け、 行なわれていくことの不安と羞恥と恐れを必死になってこらえようとしていた。 私は法子にあぐらの姿勢を取らせようとした、彼女は、いやっ、ともらすとそれを拒んだ。 豆絞りの手拭いを持ってきて猿轡をした、それによって彼女は自分と面と向かわなければならなくなった。 法子のお得意の言葉は閉ざされたのだった。 私が両方の足首を取って重ねあわせると、先程の抵抗はなかった。 それから、私は足首を縛り上げた縄を両腕にからげて背後まで引いていった。 ううっ、ううっ、と訴えかける法子のくぐもった声音が聞こえてきたが、 あぐらをかかせられ持ち上げられた両脚は、女の羞恥の箇所をこれ見よがしにあからさまにさせていくのだった。 法子の恨みがましいまなざしがじっと私の方へ向けられていたが、 どうにもならない羞恥と屈辱の姿にさせられた彼女は、もはや、ありのままの自分と向き合うしかなかった。 法子はわが身に閉じこもるように首をうなだれ眼を閉じ、 肉体と精神から立ち昇ってくる新しい自分の意識と会話を始めるのであった。 これが法子への初縄だった。 最後の女性は、名前を節子と言い、年齢は私より八つ若かった。 彼女は私が診察を受けていた総合病院の受付に勤務していた。 きっかけは、私が保険手帳を出そうとしてバッグをあけたとき、その中身を節子がふと見たことから始まった。 バッグのなかには麻縄の束が入っていた、そのようなものをなぜ持ち歩いていたかと言うと、 その頃、体調の方があまりすぐれず、良くなることの願掛けにでもなればという浅はかな思いからだった。 撚られた縄には宿った力がある、縄を思いを込めて結ぶと、その力は縄を掛けられた女性に影響を与える、 女性が本来望んでいる自己と対面できるのだ、そのご利益に私も預かりたかったのだ。 縄を見たときの彼女のはっとした表情は魅惑的で、とても印象的だった。 それまでの白衣を着た事務的一辺倒の女性が女の色香を漂わせるようなしっとりとしたものを感じさせたのだ。 それからは、病院へ行くたびに、彼女と顔が会うとそのまなざしが私を探るように投げかけられるのを意識した。 いや、私が彼女に関心があったから思わず注視するあまり、 単に彼女に疑心のまなざしを呼び起こしていたにすぎないことかもしれなかった。 いずれにしても、言えることは、彼女のしなやかな立ち振る舞いや穏やかな話し方、 心のなかに隠された一念を思い続けているような顔立ちは、縄で緊縛されることの似合う雰囲気を持っていたのだ。 そして、私の感では、彼女は縄で縛られた経験があると思えた。 それを確かめるためには、もう一度、麻縄の束を見せるしかなかった。 私は大胆にもバッグの中身を取り出す振りをして、受付のカウンターにそれをさらけだしたのだった。 見る者によっては、ただの使い古した結束の道具にすぎないものだが、 その意味を知る者にとっては、ひと目をはばかる淫猥さをあらわす生き物でさえあるものだ。 彼女は困ったという表情を浮かべていた、その可愛らしい形をした口もとは、 そのようなもの、こんなところへ出さずにすぐにしまってください、とでも言っているようだった。 私は家に帰ると、礼子と法子にこのことを話した。 法子は「そのひとは間違いなく縄で縛られた経験を持つ女性ですわ」と言い、 礼子は「素敵じゃありませんこと、第三の女性は経験者、うってつけじゃありませんの」と言った。 それから、ふたりは相談を始めると、結論として、彼女たちがその女性に話をつけると言い出したのであった。 私には彼女たちの積極性がたのもしかった。 私はこの間、縄による緊縛を通じて、彼女たちが成長する関わりを持ってきた。 私の行なってきたことは、ただ、肉体的にも精神的にも効果のある緊縛をどのように行なうか、腐心してきただけだ。 彼女たちが固有の自己意識に目覚め、それを成長させていったとしても、 それは彼女たちがみずからそうありたいと望むものになろうとして成ったということで、私が果たしたわけではない。 世間から見れば、この家は私という家主がいて、二階に女性の間借人をふたり置いているアパートである。 そのアパートの居間では、毎夜、生まれたままの姿になった女性たちが工夫の凝らされた縄の意匠で化粧され、 さまざまな体位を取らされていくなかで、官能と思念の高まりから見いだされる認識を習得している。 休日には、彼女たちは終日全裸を縄掛けされた姿のままでいることもあるから、この家では緊縛が生活である。 だが、私はこの家の家主ではあっても、彼女たちの主人ではない、ましてや、彼女たちは私の奴隷ではない。 「奴隷状態の幸福」ということが言われる、自己を放棄して、精神と肉体のすべてを主人に委ねるのである。 自己というものをまったくの負担だと感じているひとにとっては、それは確かに幸福な状態なのであろう。 だが、自己を負担だと感じることはあっても、自己を放棄するということは、人間にはなかなかできないことだ。 それは自己を放棄するというよりも、別の自己を生きるというだけのことではないかと思う。 だから、奴隷状態の幸福とは、奴隷ということの自己を生きる幸福ということになるのだろう。 だれしも、ひとの奴隷になんかなりたくない、自由意思でもって生きたいというのが当たり前のことである。 だが、自由意思をもって生きるということは、考えられるほど自由なものではないことも確かだ。 人間は複雑に構成されている、単なる精神と肉体の二元論では説明できないものをもっている。 サディズム・マゾヒズムだけでもって、人間同士の性の従属関係を説明することが私に首肯できない理由でもある。 確かに、人間同士には従属関係が存在する、だが、その従属関係はそのひと自身のなかにも存在するものだ。 人間は自分よりも大きいものや強いものに依存して自己を保っているところがある。 これは人間が群れをなし、社会を形成し、文明や文化を営んで発展させていくためには欠くことができない。 作り出すためには労働力が必要であり、それを結束させるためには主人と奴隷の従属関係が必要だからだ。 人間が結束して大きいことや強いことを成し遂げられのは、従属関係が存在しているからである。 この人間と人間の従属関係を作り出しているのが人間のなかにある従属関係である。 人間自身のなかにある従属関係とは、精神と肉体の強さと大きさに自己意識が従属しているということである。 人間の精神と肉体の作り出す可能性は、自己意識で判断している矮小なものではないということだ。 それを引き出すための精神や肉体の修練や鍛錬が強さや大きさを創造させるのである。 だが、それは従属関係であることに変わりはない、自己意識が精神や肉体の奴隷となることもある。 もっとも、精神や肉体に主人の意識があるわけではない、主人の意識は自己意識が作り出すものである。 しかし、人間と人間の従属関係には、主人と奴隷の意識がおのおのに存在する。 私は女性を生まれたままの裸姿にして麻縄で緊縛する。 女性は無防備の裸体にさせられたばかりでなく、衣服という自己を仮想しているものを奪われた羞恥に置かれ、 行動の自由を封じられた屈辱にあって、狼狽する自己はそれをさせたものを強く大きく感じさせる。 人間は肉体に刺激を与えられることで官能を発電させ、発電された官能は頂点まで高まるように作られている。 あとは官能を受けとめた者がそれを意識化することで高位へもっていくか低位へもっていくかの違いである。 自己意識が想像力をともなって行なうことである。 縄の緊縛による拘束感というのは肉体への刺激であり、それだけで官能を煽り立てるものである。 さらに、緊縛が作り出す肉体の異常な状況意識が想像力へ加わり、自己意識をより強烈にさせるのである。 自己をそのような状態にさせた縛者を被縛者が強く大きい存在だと見なす成り行きである。 そのひと自身のなかの精神と肉体と自己との従属関係がそのまま縛者と被縛者の関係と同様になるのである。 だが、このありようが絶対でないのは、人間のなかの従属関係は自己によって変革できるということにある。 般若が迷いを離れ事物の真相を本当に見抜く知恵という境地であるなら、自己変革はまさにそれなのである。 礼子が成長した結果を自意識としてあらわすためにみずから般若の面を着けたように、 法子もまた緊縛から習得した自己の成長を自覚したとき般若の面を望んで、自立をあらわしたのだった。 般若が覆われていたものをあからさまにさせる知恵ということの象徴のために、 礼子は女であることの自意識をあからさまにさせるため、恥毛を剃り上げることを私に望んだ。 くっきりとあらわになった女のわれめを晒し、般若の面をつけた全裸姿を麻縄で緊縛されること、 その名前のない自己そのものとなることが自立という成長をうながすのだった、法子も同様だった。 自立である、縄による緊縛が従属関係を生み出すのではなく、自立にまで成長させるのである。 このことを間違いないと教えてくれたのは節子だった、彼女と縄の関わりをもったことだった。 ある土曜の午後、私が仕事から帰ると、礼子と法子による素晴らしい贈物が居間に置かれていた。 生まれたままの全裸姿を後ろ手に縛られた節子が正座の姿勢を取り、縄尻を敷居の柱へ繋がれていたのだ。 私はびっくりすると同時に、彼女の一糸もまとわない雪白の柔肌が匂い立たせる美しさに感激した。 私が近づくと、俯いていた彼女の顔はもたげられ、憂いをおびた表情に情感のこもったまなざしをよこすのだった。 「きみの身体にもっと縄を掛けてみたい、かまいませんか」 私がそう問うと、彼女はこちらへじっとまなざしを向けたまま、小さくうなずくのだった。 「縄で縛られた経験があるようですね。よかったら、きみのこと、少し聞かせてくれませんか」 私は彼女を後ろ手に縛って柱へ繋いでいた縄を解きながら語りかけた。 「礼子さんと法子さんにお聞きしました、あなたは私を成長させてくれるのだと……」 病院で応対するときのあのはきはきとした様子はまるでなく、彼女の声は怯えているようでさえあった。 「きみが何を望んでいるか次第です、ぼくの<じゅずつなぎ>のことは聞いたと思いますが、 ぼくがやっていることは、裸の女性を縄で緊縛するということでは他のSM愛好者と同様かもしれませんが、 何を見いだすかということが少し違っていると思います、馬鹿げていると思われるかもしれませんが、 自立の境地の認識です、それを成長と言っているのですが、ぼくも彼女たちから学ばされてきたことであります。 きみの求めているものが他のSM愛好者と同様のものであれば、恐らく、ぼくのやり方に失望することでしょう。 ぼくは麻縄で縛ることしかしません、それしかありません、性交も異物挿入も口淫も鞭もローソクもありません。 もし、きみの望んでいるようなものでなかったら、言ってください、いつでもやめます」 私は一度自由にした節子の両手を取ると、身体の前で重ね合わせて縛った。 彼女は何の抵抗も見せず、私のされるがままになっていた。 私は柱を背にして立たせると、両手を頭上へ掲げさせて繋ぎとめた。 女らしい曲線を見事にあらわした白くしなやかな裸身だった。 「わあ、すごくきれい、女の私でも見惚れてしまうわ」 「顔立ちも清楚で、モデルさんみたい」 居間へ礼子と法子があらわれた、彼女たちは般若の面を着けただけの生まれたままの姿だった。 彼女たちは部屋の壁際へ並んで正座すると、節子と私のやり取りをおとなしく見物し始めるのだった。 柱に裸の晒しものにされた女は、居並ぶ者たちに見つめられる羞恥から閉じこもるように黙っていたが、 やがて、自分の内から突き上げてくるものを意識させられたように、眼を閉じたまま語り始めるのだった。 「私は小さかった頃から、縛られることに興味を持っていました。 それは、幼稚園のときに、大好きだった雄太郎君に誘拐ごっこで縛られたことがきっかけだったと思います。 私を縄で縛って、その縄尻をつかんだ雄太郎君は、節子はずっとぼくのものだ、と言ってくれたのです。 私は、縛られたことは嫌でしたが、その言葉はうれしくて、いつまでもそうしていて欲しいと思いました。 けれど、小学校へ行くと雄太郎君とはクラスが別れて、彼はまったく私に関心を寄せなくなったのでした。 小さいときの恋愛感情など移り気なものです、私も雄太郎君のことは気にかからなくなりました。 残ったのは、縄で縛られたという思いでした。 大きくなるにつれて、好きなひとに縛られてみたいと思うようになりました、けれど、そんなことは異常です。 私はだれにも話せず、ただ、その思いを自分なかだけにしまっていました。 交際を求めて近づいてくる男性は少なからずいました、しかし、私の好きになれるひとはいませんでした。 私はわがままでうぬぼれていたのかもしません、そうです、私には男性など必要なかったのです。 恥ずかしい話ですが、私は高校三年のとき、自分で自分の身体を縛ることをおぼえたのです。 その愉しみを知って以来、私には男性が必要なくなったのです。 初めは両手首を重ね合わせて縛るだけでした、それが段々と着ている服を一枚一枚脱ぐようになって、 身体を隠すものが少なくなるにつれて、縛る方法も工夫されていったのでした。 私の部屋には等身大の姿見があります、それが私の思いを打ち明けられる唯一の話し相手です。 その鏡の前へ私は生まれたままになった身体に自分で縛った縄の姿を晒すのです。 鏡のなかの自分を見つめ続けていると、善いこと、悪いこと、いろいろなことが思い起こされてきます。 けれど、そうした思いをさらに続けていくと、私はわけもわからなく自分が美しいと思うようになれるのです。 男性など必要ないと言いましたが、本当は、私はセックスの経験があります。 けれど、いずれの男性の場合も、喜びは感じられませんでした、彼らは私を不感症だと思ったかもしれません。 でも、私は姿身の前へ自分をさらしたとき、喜びを感じることができます。 そのとき、私を縛っている縄の拘束感が自分よりもっと大きな存在に抱かれているという喜びを与えるのです。 私は異常な女なのです、本当に恥ずかしくて、ひとには言えない女なのです。 礼子さんと法子さんからここのことをお聞きしたとき、私は耳を疑いました。 礼子さんも法子さんも同じよう大きな存在を意識したことがあると聞かされたとき、私はうれしかった。 私はひとりじゃない、私も<じゅずつなぎ>のお仲間に入れてもらえれば、こんなにうれしいことはありません。 そう感じています、お願いします……」 節子は閉じていた両眼を開きながらそう言うと、私の方へ訴えかけるようなまなざしを投げてよこすのだった。 全裸で両手首を縛られ晒しものになった姿だけで、彼女にはすでに境地ができあがっているという感じだった。 「わかりました、感謝するのは私の方です、私の<じゅずつなぎ>は、あなたによって完成することができます」 私は、掲げさせていた節子の両手首の縄を解くと、床へひざまずかせた。 それから、敷居の柱の後へ両手をまわさせると縛り、魅力的な曲線を描いている腰付きをよじるようにさせると、 その姿勢を固定させるように両腕へ幾重もの縄をからげていった。 片方の脚を敷居の柱へ繋ぎとめ、股を開き加減にさせるためにもう片方の脚へ繋いだ縄を引っ張った。 腰のくびれに縄を巻きつけて、恥毛がふっくらとした黒い色艶を見せるわれめへ通そうとしたときだった。 彼女の羞恥の花びらがすでに花蜜でべっとりとなっていることに気づいた。 「……恥ずかしい……感じてしまうんです……」 節子はそうつぶやくと、緊縛された我が身へ深く沈んでいくように両眼を閉じて寡黙になった。 私はわれめへしっかりと食い込むように縄を締めこんで縄掛けを終えた。 「きれいだわ」 「うっとりするくらい」 壁際で眺め続けていた般若の女ふたりが声をそろえて言った。 これが節子への初縄だった。 私は先に診察を受けていると言ったが、やはり癌に間違いはないそうだ。 それも、ほとんど回復の見込みはなく、持っても半年がせいぜいということらしい。 私は三人に打ち明けた、彼女たちは悲しんだが、私は「それが縄の因縁なのだから、天命だ」と言った。 私は満足している。 私の<じゅずつなぎ>は、一糸もつけない三人の女性が後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられ、 正座した姿で並んでいるお互いを縄で繋がれているというものだった、あの<じゅずつなぎ>と同じである。 ただ、私のものは、女性たちは俯いていなかった、堂々ともたげた顔には般若の面が着いていたのである。 自尊心に満ちた美しい光景だった。 私は礼子、節子、法子をじゅずつなぎに繋いだ麻縄をしっかりと握りしめて、縄から伝わってくるものを感じ取った。 礼、節、法の三位一体、それが意味するものは何なのか、そこから探りたかった。 しかし、それ以上を望みたくても、残念ながら、私の身体は急速に言うことをきかなくなっていた。 そして、私は倒れた。 今、病室で空ろな状態で死を待っている。 礼子と法子は毎日病院へ顔を出してくれる、節子も時間をみつけて病室をのぞきに来る。 三人とも本当に素晴らしい女性たちだ、彼女たちのと出会いを私は感謝している。 人生には幾百万もの経験が存在する、だが、重要と思えるものはわずかだ。 私の場合は<じゅずつなぎ>だった、ひとから見れば、馬鹿げたことであるかもしれない。 だが、私にとっては重要なことだった。 それにしても、生れたままの全裸でいる女性が縄で縛られた姿、何と美しいものだろう。 縄による緊縛で悟りを開いた女、般若の女、何と気高いものであろう。 私と彼女たちとを繋いだ縄。 私の縄を彼女たちの御手に委ね、時を終わりにしよう。 あとは、彼女たちが作り出すことだ…… |
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