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突然でびっくりなされたかもしれません。 実は、われわれの性的官能というのは、 こうした表現を前にしなくても、四六時中働いているものです。 言い方を換えれば、 われわれの気がつかないところで働いているものです。 われわれがそれに気づくのは、 扇情を感じる明瞭な対象を考えるときにおいてなのです。 たとえば、緑の木の葉にエロスを感じることがあったとしても、 岩石のような鉱物であったとしても、不思議はないことなのです。 マイヨールの彫像は、 後ろ手に縛られ身をよじった姿であらわされた女性の肉体、 ということが表現されていましたが、 縄は描かれていません。 しかし、縛った縄が明瞭に描かれていなくても、 われわれは、そこに抑圧、拘束、被虐を読み取ります。 では、われわれは、左の表現を前にして、何を読み取りますか。 抑圧、拘束、被虐……言うまでもありません。 では、この表現を全体性的に見た場合には、何がわかりますか。 表現のなかに相反矛盾しているものを読み取れなければ、 扇情を掻き立てる女体緊縛の表現としか言いようがありません。 性的官能は、単なるエネルギーであって、整合性的なものです。 性的官能自体には、相反も矛盾もないのです。 ただ、常時働いているそれは、 われわれの判断する対象に関係していることがあるだけです。 人間には、 性的官能を通さなければ見えないものがある、 ということになります。 われわれは、性的官能を通して対象の遠近さえ感じている、 ということになります。 この性的官能を利用して表現を追求すると、 どのようなものが可能となるでしょうか。 ポルノグラフィ……その形態は取らざるを得ないでしょう。 ただ、それがどのような全体性を現出させるものとなるかは、 謎の追求如何に関わっていることだと言えます。 ひとつの試みがここにあります。 画像をクリックしてみてください。 ☆BACK ☆上昇と下降の館 |