通 夜 宵のうちに行う葬送の法要。 「大辞林 第二版」 ![]() 事物は<ものの見方ひとつ>でどのようにも様相を変えて見ることのできるものである。 但し、この<ものの見方ひとつ>という観念の根拠に因習という民族固有の意識があれば、 どのように様相を変えて見ていると思っていることであっても、 実は、ひとつ、ふたつ、みっつという程度のものでしかないのかもしれない。 眼に見えてあらわれる因習の様相を取り沙汰しているだけでは、 因習から脱却することが困難である所以であるが、 そもそも、民族の生活の根拠として存在する因習というものが脱却できるものなのだろうか、 そのことの方がはなはだ疑問ではないのだろうか。 現在あるわれわれには、未だ見ぬ遥か将来の子孫は確かとは言えないが、 間違いなく、祖先は厳然と存在するのである。 その遥か原初の祖先より営々脈々と受け継がれてきた生活のしきたり、 新しい事物などあり得ないとしても、生活を維持させていくことのできる因習、 観念の根拠としてあるからこそ、民族意識と成り得るもの、 脱却はおろか、打ち消し難くあるからこそ、民族の不滅であることを感じさせる自意識を……。 さて、これから語られる権田孫兵衛老人のお話であるが…… 二十七歳になる容姿端麗の人妻の夫を失った哀切の心の空洞へ忍び寄る魔の手、 この場合は、八十余歳の老人の骨と皮と皺のささくれだった手、 しかも、その手に握られているのは、自然の植物繊維を撚って作られた古来よりある麻縄、 何の目的に使用する麻縄であるかと言えば、 優美な女体を縛り上げるためだけにあるという尊厳ある代物、 どのように美しくあろうとも、男体を縛ったのでは不浄とさえされる貞潔な道具、 つまり、美しい未亡人は、老人の縄による緊縛の加虐・被虐の生贄にされるというお話である。 美しい未亡人が拉致されて、男たちや女たちから淫欲のままにおもちゃにされ虐待される、 このような成行きは、ポルノグラフィでは少しも珍しいものではないから、 せめて、人物の設定を変えて、生い先のない老人を主人公としたところに現代的な興趣がある、 と言いたいところであるが、実際は、 権田孫兵衛が八十余歳の老人であって主役を張らねばならないから、そうなるだけのことである。 何故なら、この権田老人、 <縛って繋ぐ力による色の道>なるものを伝導せねば死ねない、と言うのである。 それがわが国における、 <民族の予定調和>実現の唯一の正統性ある猥褻論理思想であるからだ、と言うのである。 正統性ある猥褻論理思想? 猥褻な論理に正統性のある思想というものがあり得るのだろうか? 猥褻には違いなくても芸術、猥褻には違いなくても学術などと称されて表現の行われてきたことは、 これまでにも、数多あったことは確かであるが、それらが芸術にも学術にもならなかったわけは、 芸術や学術の根拠とされる真理の追究という整合性が猥褻にはあり得ないからである。 猥褻は、人間の荒唐無稽を表現するものとして、重要な存在理由を持っているものである、 芸術や学術を装うようなことをしても、全裸に晒されれば、余りにも明白な事柄となるところである。 全裸が発情を誘発させるものであることは、裸体の審美を明らかにすることと等価であるのだ。 従って、猥褻な生まれたままの全裸にこそ、芸術や学術もどきのわけのわからなさに比べて、 猥褻の人間存在の真理追究という整合性が表現されるということである。 そうだとすれば、<正統性ある猥褻論理思想>と言うことも、 或いは、成立することであるのかもしれない。 しかし、本人がどれだけの思想や実践の充実を持っていようと、 悲しいかな、本人自身で文章にまとめられない事実は、結局は、このような体裁になることである。 ソクラテスの偉大な思想もプラトンあってこそ、という喩えは大げさ過ぎるにしても、 権田孫兵衛老人も、敵対者である鵜里基秀において文章を依存せざるを得ないというのは―― 老人は、「人間の荒唐無稽の存在理由――そのような異端の論理証明は幅を利かせてはならない」 と公然と言い放っているのである――人生の皮肉という以上に、描かれる権田孫兵衛老人は、 鵜里基秀のプラトン的想像力でもって表現されるものでしかない、ということである。 しかも、権田老人は、相手となる美しい未亡人に<小夜子>を指名したのであるから、 いくら、彼女が『九つの回廊*牝鹿のたわむれ』の☆『小夜子の物語』の終結部で、 「私は、<色の道>を歩み続けてもかまわないと思っているのですのよ」と言ったとしても、 荒唐無稽が身上とされるポルノグラフィにおいて、 権田孫兵衛老人の思惑通りに、そうそう簡単に論理の成行きが整合性を成すとは考えられない。 ここに、あらかじめの権田孫兵衛と鵜里基秀の相反と矛盾があるのである。 そのような相反と矛盾を最初に解決してから物語を構成するなどという有能さは作者にはないから、 いままで以上に、読者への負担が掛けられる――読者の賢明な読解が求められることになるのである。 では、前置きはこのくらいにして、始めることにしましょう。 ![]() ![]() ![]() 三歳年上の美男子であり、仕事も真面目に行う良き夫であった健一が死亡したのだった。 それがどのような病気、どのような事故であったとしても、死が殺人や自殺ではなかったということでは、 ただ、愛する夫は亡くなったのだという冷たい硬直としたむくろの事実をあらわすものでしかなかった。 或いは、多額に掛けられていた保険金が受け取れるということでしかなかった。 だから、夫を心から愛していた小夜子は、取り残された哀しみから、ただ、泣くしかできなかったのだ。 はたから見ても恋人同士のように仲睦まじかった若い夫婦は、子供に恵まれずにいたから、 妻は母として、子供を掻き抱いて、哀しみを慰め合うこともできず、 通夜の晩も、ひとりぽつねんとして、祭壇の前へ座り続けるしかなかったのだった。 数多く訪れた弔問客も次第に遠のき、棺桶とひと夜を明かすのは、小夜子ひとりのみであったのだ。 それは、最後の夜を夫とふたりだけにして欲しいという、女の望みでもあった。 夫との初夜に、ふたりで輝かしい未来を互いに高揚とさせた抱擁と結合のなかで確かめ合ったことは、 いま、別れに際して行うこととしては、ひとりでみずからをみずからが慰めるようなものでしかあり得なかった。 そこで、ポルノグラフィの常套である、夫への愛ゆえに官能を高ぶらされて悶える未亡人が喪服姿のまま、 夫の遺骸の面前でオナニーを始める展開ということが予想されるわけであるが、 小夜子の場合も、夫への愛は、抱擁と結合の激しさほどにあったから、考えられないことではなかった。 それがいますぐ実行できなかったとしたら、彼女を見つめる人物がまだ居残っていたからに過ぎない。 それにしても、哀しみを耐える女の着物の喪服姿の美しさというものは、 妖美とさえ言える黒の艶めかしさがそこはかとない白の純潔の色香を漂わせているものがある。 <喪服姿の女性が最も美しい>とよく言われることは、 <縄で緊縛された全裸の女性はさらに美しい>とよく言われることと、 いずれが優る表現であるものかは、統計の数値を得ていないのでよくわからないが、 つまり、それ以外の様相にある女性はすべて、それらよりも劣る美しさにあるということなのだろうか。 では、<喪服姿を縄で緊縛された女性の姿>というのは、どの程度の美しさの位置付けにあたることなのだろうか。 審美というのは、言語の概念として追求すると美学となるほどの深遠さがあるものである、 このような数行で片付けて、喪服姿は女の美学だなどと思うのは、浅はかさの露呈でしかないだろう。 いずれにしても、<哀切は淫心をさそう>という名言を待つまでもなく、 喪服姿の妖しい美しさがその姿を眺める者を惑わすということがあったとしても、まったく不思議のないことだった。 最後に居残った近親者である夫の弟の健三は、二十歳の大学生であったが、その場を去り難く、 いつまでもぐずぐずしていたのは、以前より義姉を憧れる思いというものがあったにせよ、 眼の前に正座し続ける美しい女性が喪服姿の妖美を漂わせて、今やまったく独りきりでいるということにあった。 もちろん、兄も同じ場所にいたわけであるが、口を挟める立場にあっても、口のきけない身の上であったのだ。 従って、健三にとっては、この美しい女性とこの先ずっとふたりきりでいられるなら、 通夜が毎晩のように続けばよいとまでは考えることはなかったにせよ、 <代えられるものは他にはない夜>と感じられたことは確かだった。 だが、その夜も十時となっては、恋の高まりをのぼせ上がるように意識させられる男も、 明日の告別式へ再び来ることを約束して、その場を立ち去らねばならなかった。 義弟が未練がましく帰って行った後、孤独と向かい合わされた小夜子が寂寥を感じるだけでなく、 他人への応対の気疲れから解放され、ひとりになれたという深い安堵感までを得たことは当然だった。 これで思う存分にオナニーに耽られるという思いにまで一気に至るということではなかったが、 長い時間続けていた正座も横座りの姿勢に崩し、線香を絶やさないようにと点け足しては、 哀切の思いで夫の遺影を眺めやることは始めていたのだった。 だが、長い葬儀の緊張の余韻は、<哀切は淫心をさそう>というほどには、 なかなか官能を高ぶらせるような具合にならず、淫らな想像を取り結ばせることを容易にはさせなかった。 そのときだった。 玄関のチャイムが鳴り響いたのである。 小夜子は、このような時間に訪問者があることを訝しがりながら、ドア・フォンへ出た。 相手は、年老いたしわがれ声で、夫の古い知り合いの者で、遠方から来たために遅くなってしまったが、 是非とも線香をたむけて帰らせてもらいたい、と申し訳なさそうな声音で告げるのだった。 小夜子も、老体鞭打ってやって来たことを意識させられて、明日の告別式にあらためてください、とは言えなかった。 彼女は、家の玄関扉を開いたのだった。 そこ立っていた遅れ馳せながらの弔問客は、 小夜子に思わず驚きの悲鳴を抑えさせるほどの風采をしていた。 禿げ上がった真っ白な頭髪に歯のないくぼんだ口もと、どぎつい目つきや鋭い鷲鼻、 皺だらけの小柄で痩せ細った身体が薄っぺらな着物に包まれて、険しい老いだけがあらわとされているのだった。 このような生い先を感じさせない老人が生き長らえていて、 元気で活気のあった夫があっけなく死んだのは、それこそ奇跡に違いないと思えたとしても不思議ではなかったが、 小夜子は、人間の生死は平等とであると考えていた一般的な女性であったから、奇跡などとは思わなかった。 「ありがとうよ…… ご主人の祭壇はどっちだね……」 八十歳は優に過ぎていると思われる老人だったが、身動きはかくしゃくとしていて、 相手の返事も待たずに上がり込むと、ずけずけと奥の方へと向かっていくのだった。 小夜子は、たかが小柄な老人ひとりのことであったが、とても嫌な気がしていた。 それは、数珠を手にしているというのなら理解ができたが、 何が理由でそうあるのかはわからなかったが、老人が携えていたのは、麻縄の束だったのである。 小夜子は、もう、早くお焼香を済ませて帰って頂きたい、という思いで一杯になっているのだった。 ところが、確かにお焼香はさっさと済ませた老人だったが、 是非とも、奥様に話して置かなければならないご主人の用件があると言って、どっかと座り込んだのだった。 帰ってくださいと言ったとしても、立ち去る素振りなどまるで感じられない相手は、 にらみつけるような鋭いまなざしを小夜子の方へ向けて、老いの険しさを発散させているばかりであった。 「何でしょうか、主人のこととおっしゃいますのは……」 小夜子は、仕方なく、尋ねるのだった。 「こうしてつくづく見ると、奥さんは本当に美人だねえ。 顔立ちも清楚で愛らしく、その喪服の映し出す線からは、きっと身体付きも優美さそのものなんだろうねえ。 ご主人がいつも自慢気に語っていたことは無理なかったということだね……」 老人のどぎつい目つきは、なめくじが吸い付くような粘りを示して、前へ座る女の上から下までを這いまわった。 小夜子は、ぞっとさせられるものを感じて、少し強い語気になって言い返すのだった。 「夜も遅いのです、遠くからお越し頂いたことは大変感謝しておりますが、 申し訳ありません、用件を早く済ませては頂けないものでしょうか……」 老人の顔付きは、老いの険しさそのものがあるだけの無表情と言えるようなものだったが、 その含み笑いをした声音は、小夜子も、ホラー映画でさえ聞いたことのないような不気味さだった。 「く、く、く、く、く……奥さん、何を言っているんだね、今宵は通夜ではないのかね。 奥さんは、愛するご主人のため、線香を絶やさずに一夜を過ごそうというのであろう。 夜も遅いのではない、夜はまだ始まったばかりじゃないか、く、く、く、く、く……」 小夜子は、女ひとりでいることをみくびられたような笑いに、腹立ちさえ感じさせられるのだった。 「わかりました、おっしゃる通り、お通夜です…… ですから、私は、主人との最後の夜をふたりだけで過ごしたいのです。 お願いですから、ご用件を早くお済ませになって、お帰り頂けませんでしょうか」 答える老人の険しい無表情は、声音の威圧をもって、脅迫さえ滲ませるものに変わっていた。 「わしにさっさと帰れだって、無作法もいいところだな。 おまえさんがご主人とふたりだけで過ごしたいという思いは当然のことだ。 だが、ご主人は、立派な棺のなかに安らかに眠っているだけだろう。 おまえさんに実際にしてあげられることなど、何ひとつない、だが、わしなら、できる。 おまえさんとふたりだけで過ごす通夜、そのために、わしは来たのだからな。 いいか、わしが来たのは、おまえさんのご主人のたっての要望だったからだ、言わば、遺言だよ。 おまえさんは、ご主人から、<民族の予定調和>の話を聞いたことはないのか」 小夜子は、突然語り始められた事柄にびっくりするばかりで、返答に詰まっていた。 「そうか、まるで聞かされていないという様子だな、いいか、よく聞くんだな。 おまえさんのご主人は、<民族の予定調和>の信奉者だった、これは、 <人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神であるというヴィジョンを実現すること>を目指して、 <縛って繋ぐ力による色の道>がその道程であるという、わが国唯一の<正統性ある猥褻論理思想>だ」 小夜子は、大きくかぶりを振りながら、慌てて口を挟むのだった。 「まっ、待ってください…… 私の主人は、そのような、そのような新興宗教めいた事柄には無関心のひとだったはずです。 信奉者だなんて、そんなこと! でたらめもいい加減にしてください!」 だが、老人は、相手の言うことなど、まるで聞こえていないとでもいうように、平然と続けるのだった。 「この<民族の予定調和>の実現のためには、 <縛って繋ぐ力による色の道>の表象が必要とされる、その表象とは女性のことだ。 おまえさんのご主人は、おまえさんを愛するが故に、おまえさんをその表象とすることを決めたのだ。 表象である女性は、<縛って繋ぐ力による色の道>を歩まねばならない。 表象としての女性が<縛って繋ぐ力による色の道>を歩まねば、<民族の予定調和>は実現しないからだ。 そして、表象としての女性となるためには、 女性は、生まれたままの全裸を自然の植物繊維を撚って作られた縄で縛られなければならない。 おまえさんのご主人は、おまえさんを縄で縛りたかった、だが、果たせずに亡くなってしまったということだ。 わしが手にしているものを見て、おまえさんも、 今宵、ここにわしがいるという意味がこれでわかっただろう。 わしは、おまえさんのご主人の果たせなかったおまえさんへの愛を実現させにやって来たということだ。 さあ、身に着けているものをすべて取り去って、その場へ生まれたままの裸姿をさらせ!」 小夜子は、言われたことの余りの驚愕に唖然となったまま、美しいまなざしを見開いているばかりだった。 「言われた通りに、さっさと裸になれ! <縛って繋ぐ力による色の道>は、旧来にあるサディズム・マゾヒズムの行為とは異なるものだ。 サディズム・マゾヒズムという属性が人間にあるなどという前提では、 わが<民族の予定調和>の実現は、決して果たし得ないことだ! 民族には、各々の民族に固有の<正統性ある猥褻論理思想>があって当然のことなのだ。 わが国の男子には、わが国固有の古来よりの<武士道>というものがある。 たとえ、それが戦争と殺人を前提とした道であっても、男子としての将来を照らし出すたしなみとして、 因習とも言うべき、民族の意識と不滅をあらわしているものであり、男子として欠くことのできないものだ。 それと同様に、女子には、<縛って繋ぐ力による色の道>というものがあるということだ。 これは、戦争と殺人を前提としたものではないことは、女性の生産性という存在理由による、 女性が<色の道>をたしなみとすることによって招来されることは、不滅の民族の栄光の未来ということだ。 武士道をたしなみとする男性が望ましい女性と考えている相手は、 共に自決を行ってくれるような存在であるとしたら、 <縛って繋ぐ力による色の道>をたしなみとする女性はそぐわない相手かもしれない。 何故なら、性のオーガズムを極める者は、それが死に象徴される最終を意味することはないからだ。 葉隠の思想だとか、カトリックの思想だとかの別の事柄と性が結び付けば、 交接しながら食い殺されるかまきりの法悦を死に際しての最上と願望できることかもしれない。 だが、性のオーガズムを極める者は、死にたがっている者ではない。 満たされない性の欲求から、逞しくされた妄想を聖なる幻想と感じることとは、まるで違うのだ。 性のオーガズムを極める者は、比肩し得るもののない円満具足を感じる取ることができるが、 それは、さらに、それ以上を求めさせるものとして、むしろ、生きてあることを望ませるものであるからだ。 <縛って繋ぐ力による色の道>が<民族の予定調和>への道程であるのは、 この<生存し続けること>が招来させるものとしてあるということだ。 従って、<縛って繋ぐ力による色の道>にある女性を相手とする男性は、 <民族の予定調和>の信奉者でなくてはならないという所以であり、 その限りでは、生まれながらの日本人であることが絶対条件ということでもない。 民族の純潔ということは、生まれながらの日本人の男女がただ交接するということではない。 生まれながらの日本人のおちんちんとおまんこが結合することは、 民族の身体を遺伝させることには違いないが、獲得形質である民族思想を遺伝させることにはならない、 民族思想は、それに目覚める者でなければ、認識には至らないことだからだ。 <民族の純潔>とは、同じ目的をあらわした民族思想を持った男女が結ばれることにおいてこそ、あり得るのだ。 それは、これまでに、宗教が民族統一を行わせてきたありようそのものであるが、 <縛って繋ぐ力による色の道>も至るところが<人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神である> ということであれば、宗教性をあらわしたものとなるのは当然のことと言えよう。 だが、それは宗教性であって、宗教ではない。 従って、<民族の予定調和>は、新興宗教ではない、認識される民族の思想にしか過ぎないものだ。 似非新興宗教まがいのいかがわしさに比べれば、ただの民族の思想であるということでは、純潔そのものだ。 だから、おまえさんのご主人も信奉者と成り得たということだ。 おまえさんは、そのご主人の愛する妻ではないか。 おまえさんも民族の女であれば、民族意識に目覚めた振るまいを行うことがまず第一のはずではないか。 わが国における唯一の<正統性ある猥褻論理思想>を信奉しなくて、 どうして日本女性たる所以を自負することができるというのだ! さあ、早く全裸になれ! 生まれたままの優美な日本女性の姿を晒せ! 無理やり着物を剥ぐような暴力は、まるで意味がない!」 老人の声音は、有無を言わせない迫力があったが、小夜子もようやく負けまいとあらがいに出た。 「いやです、どうして、私が裸になんかならなければならないのです! どうして、縄で縛られなければならないのです、馬鹿げています! あなたは、年を取り過ぎて、頭がもうろくしてしまっているのじゃありませんこと! そのようなたわごと、荒唐無稽な話、聞かされても、さっぱり理解のできないことですわ! 主人だって、同じことでしょう、主人が口をきかないことをいいことに、でたらめ放題を言って! さあ、もう、お帰りになってください! これ以上居座る気でいるなら、警察を呼びますわよ!」 老人は、どぎつい目つきで相手をにらみつけると、おもむろに立ち上がって、 玄関扉の方へずんずんと歩いていくのだった、それから、振りかえりもせずに家から出て行った。 小夜子は、急いで扉に錠を下ろすと、恐ろしかった思いに心臓をどきどきと高鳴らせながら、 祭壇の夫の棺の前までやって来て、ようやく安堵のため息をもらすのだった。 だが、そこへ腰を落ち着けようとしたときだった。 とぐろを巻いている蛇のようなものが眼に入って、はっとなった。 気違いじみた老人が置き忘れていった、使い古されて灰色に脱色した麻縄の束だった。 小夜子には、それがただ忌まわしいものにしか思えず、触れることさえおぞましかった。 それで、仕方なく、そのままにして置いたのだが、色々な緊張する事柄の引き続いた気疲れからか、 ふいに眠気がさして、いつの間にか、畳の上へうつ伏せるようにして眠り込んでしまっていた。 気がついたとき、小夜子は、畳の上へうつ伏せるようにして眠り込んでしまった窮屈な状態に、 身体を動かすことが容易ではないと感じたが、それがすぐにまったく別の理由によるものだと知ったとき、 大きな驚愕と狼狽と、そして、激しい羞恥を感じざるを得なかった。 信じられないことだった、みずからの身体は、布ひとつ覆い隠すもののない生まれたままの全裸姿にあり、 しかも、窮屈であるどころか、身動きの取れないように両腕を背後にまわされ、 重ね合わせた両手首は縛られ、そればかりではなく、あらわにされたふたつの乳房を上下から挟んで、 両腕をがっちりと固定されるような胸縄まで掛けられているのであった。 しかし、それ以上に信じられないことは、その自分の姿を眺めやっている者の存在だった。 禿げ上がった真っ白な頭髪に歯のないくぼんだ口もと、どぎつい目つきや鋭い鷲鼻、 皺だらけの小柄で痩せ細った身体が薄っぺらな着物に包まれて、険しい老いがあらわとなった老人ではなかった。 端正な若々しい顔立ちに、すらりとした身体付きを黒の礼服に包んだ、義弟の健三だったのである。 どうして、このようなことに! 小夜子は、めまいさえ感じさせられる状況の不可解さに、考えを取り結ぼうと懸命になったが、 がっちりと結ばれているのは、むしろ、みずからの柔肌へ食い込んでいる麻縄の存在感そのものであった。 そして、その縄の拘束感は、これまでに一度も経験したことのないような思いを高ぶらさせるものがあったのだ。 恥ずかしい箇所を覆い隠すひとつの布切れもないという、生まれたままの全裸の姿にあること、 これだけでも、顔立ちが火照るほどの羞恥を呼び覚ますものがあったが、 その裸身をみずからの意のままにはさせてもらえないという縄による緊縛、 まるで、犬や猫や豚、馬や牛のような家畜動物と同じ裸姿のまま、自由を奪われて畳の上へ転がされている。 両腕を背中へまわされ、重ね合わされた両手首をがっちりと縛られ、 上下からの麻縄で突き出すようにされたふたつの乳房は、恥ずかし気もなく乳首をつんと立ち上がらせている。 うつ伏せになった格好は、畳へ押し付けられたそのふたつの乳首へ、 敏感な甘い疼きの感触を込み上げさせるものがあったのだ、いや、乳首ばかりではなかった、 できることならば、身体のもっと別の箇所も刺激して欲しいと感じさせるものがあったのだ。 全裸になり縄で縛られていることが身体全体を鋭敏とさせて、 みずからの思いなどまるでよそに、官能が自然なくらいに掻き立てられていくものがあったのだった。 このような恥ずかしくもあられもない姿になっていることが、どうして、このように感じさせられることなのか。 小夜子には、その不可解さは、驚愕と狼狽と羞恥と渾然一体となっていくばかりのことだった。 その渾然となった不可思議をさらに膨らませるような事実…… 官能に悩めるみずからの姿態をまじまじと見つめている相手の存在…… その者へまなざしを向けることなど、到底できることではなかった。 好ましい美青年と言える美しい顔立ちをした男性であることには違いなかったが、 義弟であることも間違いのないことだったのだ。 「義姉さんのしっとりと情感を漂わせたそのまなざしは、 自然の植物繊維を撚って作られた縄で生まれたままの裸姿を縛られることを義姉さんは嫌がってはいない、 ぼくにそう思わせる……」 健三は、高ぶらされる思いから両頬を紅潮させ、うっとりとなったまなざしで優しく語りかけていた。 「ぼくは、<縛って繋ぐ力による色の道が導く民族の予定調和>の信奉者です。 義姉さんがその表象の女性となることを夢見て、これまでずっと待ち続けて来ました。 けれど、それは決してかなうことのない願望であることも承知していました。 兄さんがいたからです、兄さんは、ぼくの抱く思想をただ胡散臭いものであるとしか見なしませんでした。 しかし、兄さんの亡くなったいま、ようやく、実現が訪れたのです。 愛するぼくの義姉さんが<縛って繋ぐ力による色の道>を歩む表象となることが可能となったのです。 今宵、義姉さんとぼくは、ふたりで<色の道>を歩み始めるのです……」 小夜子は、のぼせ上がったような声音で語り続ける相手に、義弟ではないような印象すら感じていた。 その独善的な語り口には、納得できるものがまったく感じられなかった。 何よりも、全裸にされて、縄で緊縛されていることが首肯できなかった。 「健三さん、どうして、私はこのような姿にさせられているのですか。 このような忌まわしいことは、嫌です、すぐに縄を解いてください!」 義弟は、美しい顔立ちに微笑みさえ浮かべながら、かぶりを振った。 「何を言うのです、あなたがみずから望んだことを! ふたりが結ばれるために掛けられた縄をぼくに解けと言われるのですか! そんな理不尽な! 義姉さんとぼくは、幸運な運命にあることをむしろ喜ぶべきだというのに!」 小夜子は、後ろ手に縛られた裸身を精一杯身悶えさせて、いやいやをあらわしながら、あらがった。 「私がみずから望んだこと! あなたは、一体何をおっしゃるの! このような卑猥なこと、私が望むことなど、ありません! いますぐ、縄を解いてください! 健三さん!」 健三は、浮かべた微笑みを消すこともなく、なだめるように言い返すのだった。 「義姉さん……初めてのことなので、義姉さんも狼狽している気持ちはよくわかります。 でも、義姉さんがそのような姿にあるいきさつを知ったら、納得のいくことだと思いますよ……。 ぼくは、明日の告別式へ再訪することを約束して、この家を出ました。 しかし、ぼくの義姉さんへの思いは、簡単には立ち去らせることをさせないものでした。 ぼくは、駅へ向かう舗道に立ち尽くしたまま、冴え渡る美しい月を眺めながら、義姉さんのことを考えていました。 しばらくすると、ひとりの着物姿の老人がこちらへ歩いて来るではないですか。 その老人が何者であるかを知ったとき、ぼくは、驚きの余り、ああっ、と声を出してしまったほどでした。 その老人は、権田孫兵衛先生だったのです、先生がどうしてここに? 権田孫兵衛先生は、わが国で唯一の<正統性ある猥褻論理思想>を明らかとされた方です。 先生の<縛って繋ぐ力による色の道が導く民族の予定調和>の思想は、 信奉者が十万人は下らないとされているもので、ぼくも信奉者のひとりでした。 その権田先生が尊厳のある老いの表情を浮かべて、ぼくの前へ立たれるなり、 はっきりとおっしゃられたのです。 『今宵、また、<民族の予定調和>の表象がひとつ生まれる。 それを成し遂げるのは、いま、そこにいるおまえさんだ。 おまえさんは、わしの予言に従って、おまえさんの思いとすることを実現できるのだ。 この先の家に、眠れる美女が縄をかたわらに置いて、おまえさんの来訪することを待ち望んでいる。 おまえさんは、その美しい女性の古い因習の眠りに、民族の表象となるための新しい目覚めを与えてやるのだ。 さあ、行け、若者よ! これまでに学んだ<縛って繋ぐ力>の叡智を存分に生かせ!』 わが民族の輝ける未来を見通すことのできる権田先生にとって、 一個人としてあるぼくの未来を見通す予言を成されることなど、どれほどのことでしょうか。 ぼくは、義姉さんへの思いを固めることができたのです、義姉さんのもとへぼくは引返したのです。 先生のおっしゃる通りでした、ぼくの来訪を迎え入れてくれるように、家の玄関扉には錠が下りていませんでした。 先生のおっしゃる通りでした、義姉さんは、麻縄をかたわらに置いて、うつ伏せて眠っていたのです。 ぼくは、先生のおっしゃる通りの実現を行おうと義姉さんの身体に触れました」 小夜子は、辻褄の合わないその話に、思わず口を挟んだ。 「健三さん! 待って、待ってください…… 私は、あの老人の帰った後、間違いなく玄関扉へ錠を下ろしたのです! あなたを迎え入れるために開けて置いたなんて! そんなこと! それでは、まるで、私がふしだらな女のようではありませんか!」 「義姉さん! 黙ってぼくの話を聞いてください! あなたがそのような姿にあることがすべてを明らかとさせていることであるというのに! あなたが錠を下ろしたかどうかの確証など、 下りていなかったという事実の前では、まったく意味のないことでしょう! そんなことよりも、権田先生は、こちらへおいでになっていたのですか! あなたを縛った麻縄は、権田先生が所有されていたものであったのですか! ああ、何という光栄! 縛りやすい手になじむ縄だとは感じていたが、まさか、権田先生の御縄とは! 先生は、ぼくの何もかもをご存知であったのだ!」 健三は、感無量というまなざしで、裸身の緊縛の縄を見つめるのだった。 全裸を縛られている女にとっては、解いて欲しいと思うばかりの忌まわしい縄であったが、 義弟の一心に思い上がっている様子は、付け入るすきの見つからないものだった。 小夜子は、突然、駄々をこねる子供のような素振りで、緊縛の裸身を激しく悶えさせた。 「ああっ、もう、いやっ! このようなこと、いますぐ、やめにして! 亡き主人の前で、このような淫らなこと! 不埒なこと! 気違いじみたこと! 健三さん! あなたもあの老人と一緒なの、わけのわからない思想に狂っているの! そうであったら、私の縄を解いて! ここではなく、よそへ行ってやってください、お願いです!」 だが、義弟は、冷静だった。 彼は、礼服のポケットから取り出した手拭いを細長く折ると、相手の口へ猿轡を噛ませたのだった。 美しい形をした赤い唇の間へ深く食い込まれた豆絞りの手拭いは、 押し殺された声音で甲斐のない抵抗を懸命に叫ぶ女の空しさをあらわしているようであったが、 全裸の姿態の方は、ばたばたと泳いで、必死の身悶えをあらわとさせていた。 健三は、うつ伏せになっている小夜子の裸身の肩へ手を掛けて、強引に表へと起こした。 向かい合った義姉と義弟であったが、懸命のまなざしを向けて女が制止を呼びかけているのに対して、 男のまなざしは、あらわとなった艶麗な姿態の上から下までを蛭のような執拗さで這い続けているばかりだった。 その熱い視線が妖艶にふっくらと盛り上がった漆黒の靄のあたりへ留まったとき、 畳の上に置かれていた麻縄の一本が男の手に取り上げられていた。 縄は早速ふた筋にされると、女の優美な曲線を描いてくびれる腰付きへ巻き付けられて締められ、 縦長の可愛らしい形をした臍のあたりで一度結ばれると、縄尻は下へ降ろされて股間へと一気にもぐらされた。 尻の方から出された縄は、割れめへ埋没するように、くいくいと調節されながら締め込まれていった。 猿轡を噛まされているくぐもった声音でさえ、泣き叫ぶような悲鳴となって聞こえたほどだったが、 しなやかで美しい両脚を必死なって閉じ合わせて身悶えしていた姿態も、 がっちりとした股間の縄が掛けられたことで、突然、硬直とした驚愕と狼狽と羞恥をあらわすようになっていた。 健三は、深々と女の割れめへ食い込んだ権田孫兵衛先生の御縄を満足そうに見つめて、言うのだった。 「先生の御縄を身にまとえるなんて、義姉さんも本当に名誉なことだ! さあ、いいですか、義姉さん! 大人しくぼくの話を聞いてください! あなただって、わけのわからないままに、ことが運ばれていくことは、納得のいかないことでしょう。 あなたにそのような縄を掛けたぼくを、あなたはいま、非情で残酷で淫猥な男であると思っているかもしれない。 だが、<縛って繋ぐ力による色の道>は、旧来にあるサディズム・マゾヒズムとは違うことなのです。 女性を虐待するために緊縛する縄、そのような縄の緊縛が<縛って繋ぐ力>の行うところではないからです。 同じ木を眺めていることであっても、見る者によって、その木は同じものには見えないということです。 人間の行為の加虐・被虐の根拠を人間にあるサディズム・マゾヒズムという属性と見なしてしまえば、 人間の行為のすべての加虐・被虐は、サディズム・マゾヒズムのあらわれでしかないことになります。 もし、そうであるならば、人間が人間であるかぎり、消せない属性であれば、永遠不滅のものと言えます。 永遠不滅の人間の属性であれば、今更、手の施しようのないことです。 人類の未来は、加虐・被虐の虐待を言いつくろいながら、文明だ、文化だと思い続けて行くことに過ぎないでしょう。 もっと異なる考え方があって、それが人類の可能性を展開させることだとしたら、 それが探求されるべきことは、必然的なことであるはずなのにです。 太陽が地球のまわりを回っているのか、地球が太陽のまわりを回っているのか、 そのようなことが明確にわからなくても、人類の暮らしに大きな影響はあらわれません。 人類は、太古より営々脈々と受け継がれてきた因習によって、生存を維持できるからです。 ですから、人間にとっての叡智というのは、人間に役立つものであってこそ、初めて有用なはずです。 混濁とした性の認識にあるだけの人間存在は、叡智によって、変わり得るということです。 その叡智が<縛って繋ぐ力による色の道>なのです。 ぼくが義姉さんを裸にして縄で縛り上げたことは、義姉さんがぼくを軽蔑するということになるはずです。 ぼくは、義姉さんから軽蔑されることを望みません、ぼくは、義姉さんを愛しているからです。 ですから、義姉さんが<民族の予定調和>の表象、 <縛って繋ぐ力による色の道>を歩む女性として目覚めることを求めて、このようにせざるを得ないことなのです。 お願いです、小夜子義姉さん、ぼくの話を素直に聞いてください!」 相手の顔付きが真剣な表情を浮かべていることは、小夜子にも理解のできることだった。 だが、そのように言われても、生まれたままの恥ずかしい全裸に晒され、忌まわしく後ろ手に縛られ、 乳房を突き出させられるようなおぞましい胸縄を掛けられ、手拭いで非情な猿轡を噛まされ、 その上、最も恥ずかしい股間の箇所へもぐらされて残酷で淫猥な縄を締め込まれた姿にあることが、 どうして、虐待を行う行為ではないのか、 或いは、性科学で言うところのサディズム・マゾヒズムの行為ではないのか、とても理解のできないことだった。 いや、混濁とした性の認識にあるだけの人間存在と言われたとしても、 性が人間にとって、どのような役割を担っているものであるかなど、深く考えたこともない。 混濁とした性の認識、そのように言われてしまえば、それだけのものでしかない。 語られていることが余りにも突拍子もなく、掛け離れていて、荒唐無稽とさえ思えることだった。 いや、そのようなことよりも、早急な事柄であったのは、 股間の箇所へ掛けられた縄が段々と意識しなくていられないものとなっていくことだった。 敏感な小突起を押し潰され、女の花びらを押し開かれて果肉にまで触れられ、菊門を圧迫し続ける麻縄は、 すでに、柔肌を緊縛されていた縄の拘束感が高ぶらせていた官能と荒唐無稽もなく結び合わされていくのだった。 小夜子は、その込み上げさせられる甘美で悩ましい疼きに、おのずと思いを向けさせられてしまうのだった。 「義姉さんが望む望まないに関わらず、肉体へ掛けられた縄は、義姉さんに目覚めをもたらす…… われわれの性的官能というのは、四六時中働いているものです。 われわれがそれに気づくのは、扇情を感じる明瞭な対象を考えるときにおいてです、 或いは、肉体の感覚を通して刺激が行われるときにおいてです。 言い方を換えると、性的官能は、われわれの気がつかないところで働いているものです。 人間には、性的官能を通さなければ見えないものがある、ということになりますし、 性的官能を通して対象の遠近さえ感じている、ということになります。 性的官能が人間存在の認識に与える重要性は、四六時中にあるわけですから、大変なものであるはずです。 ところが、性的官能の至るところは、発情であり生殖行為ですから、 人間が人間をほかの動物と差異のあるありようとして、 思考だとか、精神だとか、心だとかと言って概念化してきたことに比べては、動物的で下卑たことになります。 もし、思考だとか、精神だとか、心そのものの働きが性的官能に影響されて行われていることだとしたら、 人間のこの地上における唯一性の尊厳と感じていることは、ほかの動物のものと変わらないということになります。 いや、むしろ、発情する周期性を持っているほかの動物こそ、性的官能は四六時中働いていない証明があり、 そこに思考や精神や心があるとすれば、官能に影響されない純粋なものと言えるでしょう。 ですから、人間に性的官能が四六時中働いているものであることは、絶対に認めてはならない事実なのです。 仮に、地球が太陽のまわりを回っていることが事実だとしても、 その逆を信じ続けていながらも、生きることが可能であるという人間であるからです。 取って代わる思想が存在しなければ、人間は、旧態とした思想にあるか、因習にあるしかないことだからです。 ですから、性の事柄はさて置いてから、 人間の事柄を考え始めることが整合性のある正統な人間論理とされてきたのです。 しかし、このようなやり方が本末転倒の思想的限界しか生み出さなかったとしても、当然と言えば当然なのは、 どのように優れた思想を生み出す人物であろうとも、性的官能は知覚することだからです。 <縛って繋ぐ力による色の道>は、四六時中働いている性的官能を通してあらわれる思想です。 従って、旧態の思想では、加虐・被虐の虐待を意味することも、価値転倒が行われることなのです」 小夜子には、義弟の語っていることが意味を取り結ぶには複雑過ぎて、 みずからの置かれている官能の高ぶりへ単純な答えを出してくれるような言い方はないものなのか、 もどかしいばかりのことだった。 畳の上へ仰臥させられている生まれたままの女の優美な姿態は、 淫靡な麻縄の緊縛による意匠を施されて、もはや、じっとしていることがままならないというように、 猿轡を噛ませられた顔立ちを右へ左へと動かしてみたり、美しい乳房の際立つ上半身をねじってみたり、 羞恥の意地とでも言うように閉じ合わせているしなやかで美麗な両脚をよじったりしていた。 しかし、身体をうごめかせれば、女の割れめ深くへ埋没させられている縄がゆるむわけではなかった。 むしろ、それは体温を帯びた熱っぽさを超えて、 女の花びらの奥から滲ませる花蜜を吸い取るような灼熱へと変わっていくものがあった。 小夜子は、う~、う~、とくぐもった声音で訴えかけ、 その潤んだまなざしは、すぐに縄を解いて欲しい、と哀願の真剣さを浮かばせたものとなっているのだった。 「縄を解いて欲しい、という辛さが込み上げてきたのは、わかります。 けれど、ここで縄を解いてしまったら、恐らく、義姉さんは、ぼくを恨むことになるでしょう。 義姉さんがそのように縄で緊縛されて感じることができるということは、それ以上のことがあるからです。 小夜子義姉さんは、やはり、<民族の予定調和>の表象となるにふさわしいひとだったのです。 表象となることは、何も特別に選ばれた女性がなるものではありません。 生まれたままの全裸の姿を自然の植物繊維を撚って作られた縄で縛られる女性であれば、 誰でもなれることです。 ただ、そこから始まる<縛って繋ぐ力による色の道>を歩むことは、 本人の目覚めがなくてはならないことなのです。 小夜子義姉さんは目覚める女性である、とぼくには信じられます。 何故なら、権田孫兵衛先生は、あなたをそのような女性だと見なしたからこそ、行われた予言だったからです。 予言は実現されるからこそ予言である、ということをあなたに明らかにしましょう……」 健三は、身に着けていた黒の礼服を脱ぎ始めていた。 小夜子は、びっくりしたように、綺麗な大きな瞳をさらに見開いて相手を見やるばかりだった。 男は、ためらいもなく、腕時計まで外すと、一糸も身に着けない生まれたままの全裸の姿になっていた。 すでに、相手に対する思いの丈を見事にあらわすように陰茎は反り上がっていたが、皮は剥けていなかった。 それから、小夜子の仰臥する裸身の脇へ添寝をすると、 片方の手で股間の縦縄を引き掴みながら、熱っぽく語り出したのだった。 「<縛って繋ぐ力による色の道>には、一般的な通過儀礼とされていることがあります、それは、 <民族の予定調和>の信奉者である男性が表象となるべき女性の身に着けているものをすべて剥ぎ取って、 生まれたままの全裸の姿に晒すということで、その晒した男性のみが初縄を女性に掛けられるということです。 この一般的な通過儀礼を経験した者でなければ、それ以上の縄を女性には掛けられないという禁則になります。 ぼくのあなたへの通過儀礼は、このようなものでした…… ぼくは、錠の下りていない玄関扉を開いて家のなかへ入ると、無用心ですから、きちっと錠を下ろしました。 これで義姉さんとふたりきりになれると思うと、心臓が喜びで激しく高鳴りました。 権田先生の予言の通りに、美しい女性が畳へうつ伏せるようにして眠っていました。 そして、そのかたわらには、予言の通りに、緊縛を求めるように縄の束が置かれてあったのです。 ぼくは、早速、美しい女性の身体に触れて、そっと仰臥させる姿勢に変えました。 女性の入っている眠りは、古い因習の眠りと呼ばれたものであったので、 少々のことでは目覚めることのないものでしたが、その深い眠りにあるあなたの愛らしさを見て、 民族の表象となるための新しい目覚めを与えることこそが、ぼくのここにいる存在理由だと確信させたことでした。 それにしても、眠りに入っているあなたの顔立ちは、清楚で愛らしく、美しさそのものが輝いているものでした。 ぼくは、その綺麗な形をした赤い唇へ思わず唇を重ねたい衝動に駆られましたが、 通過儀礼においては、女性を全裸にすることと縄掛けだけが求められる行為であって、 禁則を犯す行為をする者は、混濁とした性の認識にあるだけの者として軽蔑され、信奉者を剥奪されることでした。 ぼくは、<民族の予定調和>の信奉者のいさぎよさを持って、あなたに接しました。 脱衣を始めました、帯締めから解き始め、帯揚げを抜き取り、身体を優しく転がすようにして帯を取り外し、 着物姿になったところで伊達巻や腰紐を抜いていくと、着物の裾前は自然と割れていくのでした。 それまでの妖美とさえ言える黒の艶めかしさに酔わされていたぼくの思いは、 そこはかとない白の純潔の色香を漂わせた長襦袢を眼にさせられたとき、 高鳴っていた心臓は、さらなる期待へ膨らんで痛いくらいのものとなっているのでした。 めまいが感じられるほどの甘美な芳香がその長襦袢の奥から立ち昇っていて、 憧れていた小夜子義姉さんの柔肌が触れられるものとしてあると思うと、 下腹部へ膨らみ始めていたものも固さを帯びたものとなってきたのです。 ぼくは、着物の裾前を大きく開いて、長襦袢の腰紐を解き、さらに、肌襦袢の紐を解きました。 そして、あらわとさせるように、撫でた柔和な両肩から剥ぎ取っていったのです。 あらわれたふたつのふっくらと盛り上がった乳房の美しさは、その先端へのぞかせた乳首の愛らしさと共に、 あたりをも明るくさせるくらいに光沢を帯びた雪白の柔肌を眼に染み入るようなものとさせていました。 ぼくは、思わず、震える指先を乳房へ触れていました。 その溶けるような柔らかさは、乳首の瑞々しいしこりをもって、豊潤な果実のような芳しさを感じさせるものでした。 ぼくは、唇を寄せて、頬張ってみたい、吸ってみたいと思いましたが、何とか抑えました、禁則があるからです。 しかし、下腹部は、正直に抑えの効かない反り上がりを示し始めていました。 残るのは、下半身を覆う湯文字と足袋だけです。 ぼくは、突然、背後から誰かにのぞかれているような気配を感じて、あたりを見まわしました。 自分は、罪深いことをしているのではないかという思いが込み上がり、 兄の棺が眼の前にあることを思い出したのです。 ぼくは、眼の前の女性の美しさに圧倒され、惑わされて、とんでもないことをしでかしているのではないか、 この美しい女性は兄の妻だったひとなのだ、そのような反省の念が頭を駆け巡ったのでした。 ぼくは、躊躇したのです。 そのときでした。 『おまえさんは、わしの予言に従って、おまえさんの思いとすることを実現できるのだ』 という権田先生のお言葉がはっきりと聞こえてきたのです。 そうです……ぼくは、いい加減な気持ちでこのような真似をしているのではない…… ぼくは……ぼくは、兄さん以上に、小夜子さんを愛しているからこそ、行っていることなのだ…… ぼくは、<民族の予定調和>の信奉者であるからこそ、行っていることなのだ…… このことを認識したのです。 ぼくは、湯文字の腰紐を解き、その優美な腰付きから、強引なくらいの激しさでそれを剥ぎ取りました、 そして、足袋を脱がせて、女性を生まれたままの全裸の姿とさせたのです。 ああ、この感激は、一生に一度しかないものだと感じられることでした。 かつて、リヒャルト・ワーグナーの楽劇に夢中になっていた頃、 『ジークフリート』の最終幕で、ジークフリートがブリュンヒルデを魔の眠りから目覚めさせる場面で、 英雄がワルキューレであるブリュンヒルデの身に着けている甲冑を脱がせていく場面で、 ぼくは、小夜子さんとぼくを重ね合わせて、想像に耽ることをしていました。 神々の長・ヴォータンの娘であるブリュンヒルデは、 ヴォータンの別の子供である実の兄妹から誕生したジークフリートとは、叔母と甥の関係にあたります。 ヴォータンの命令に逆らったことでブリュンヒルデは神性を剥奪されて魔の眠りに入れられますが、 それを目覚めさせるジークフリートと出会って愛を感じ、ふたりは人間として結ばれることになるのです。 『神々の黄昏』というフィナーレにおいて、ジークフリートは姦計にあって殺されますが、 人類を指環の魔力の破滅から救済するのは、その死を追って自己犠牲するブリュンヒルデの神性にあるのです。 <人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神であるというヴィジョンを実現すること>という <民族の予定調和>に、ぼくが信奉者となろうと決意したのも、そこに神性があるということからでした。 神性、これは、人間が人間以上の尊厳のあるものへ生まれ変わる属性です。 ぼくは、小夜子さんに神性を見ることができ、ぼくがそれによって神性を得ることができる。 女性がわが民族の救済を表象するものであれば、人類をも救済するということです。 ぼくと小夜子さんとは、結ばれる運命にあったのだ、と言えることなのです。 ぼくは、神々しいまでの美しさを放つ、小夜子さんの生まれたままの姿を見て、そう確信できたのです。 今宵のあることを夢見て、小夜子さんと最初に出会ったとき、 つまり、兄の花嫁としてあらわれたとき、そのとき以来、念願し続けてきたことであったのです。 ぼくは、小夜子さんの優美な裸身を掻き抱くようにして半身を起こさせると、 ほっそりとした両腕を背後へとまわさせ、重ね合わさせた華奢な手首へ麻縄を巻き付けていきました。 この縄掛けを何百回と練習しました、すべては、小夜子さんのために行ったことです。 ぼくは、女性に対して童貞ですが、女性への縄掛けも童貞でした。 その童貞を捧げる純潔は、ただ、小夜子さんひとりだけをもって可能なことであったからです。 『<民族の予定調和>は、ただの民族の思想であるということでは、純潔そのものだ』 ということを権田先生はおっしゃられていますが、ぼくは、童貞の純潔をいさぎよいことだと思っています。 ぼくは、小夜子さんの両手首を縛った縄を前へまわして、美しい乳房を上下から挟んだ胸縄として施しました。 突き出すようにされたふたつの乳房であっても、その美しさの変わらないことは、 ぼくの縄掛けも決して稚拙なものではないという自負を感じさせたことでした。 そして、ぼくは、小夜子さんが気がつくまで、最初にあったと同じように、うつ伏せの姿勢にさせたのでした。 如何ですか、小夜子さん、これで納得がいかれましたか」 添寝する健三は、その言葉と同時に、手に掴んでいた女の股縄に力を込めるのだった。 ああっ、だめ、だめ、そのように力を入れたら……。 小夜子は、言葉にならない声音をもらして、身悶えせずにはいられなかったが、 義弟の話す事柄は、ただ、もう、わけのわからないものとして響いてくるだけで、 そのなかでも、要するに、彼が自分のことを好きであるという点だけは、はっきりしているような気がした。 男性が女性に対して愛を打ち明ける仕方は、決して定められた決まりのあることではないものだが、 義弟のやり方は、あらゆる点で常軌を逸しているとしか思えないことだった。 小夜子は、どうしてよいものやら、途方に暮れるばかりのことだった。 だが、思いは途方に暮れても、柔肌へ掛けられた縄と股間へもぐり込まされた縄の拘束感は、 甘美に疼いて込み上げさせられる官能をさらに焚き付けられたいと感じさせるものだった。 亡き夫の面前で、このような振る舞いはふしだらだ、と思いに抑制をかけてみるが、 義弟の掴んでいる股の縄は、手綱が引かれるように、微妙に刺激を変えて高ぶらされるものであったのだ。 その証拠に、すでに、女の花びらを押し開いて果肉にまで触れている縄の箇所がじっとりと濡れていることは、 みずからも意識できるくらいの量としてあったのだった。 従って、それを確かめられるように、男の指先が股間へもぐり込んできたとき、 小夜子には、もう、後ろへ逃げられる場所はないと感じらさせられる思いがあったのだ。 義弟の望むものを受け入れることなしには、事は収まらないのだった……。 「小夜子さん…… ぼくの縄掛けで、こんなに感じてくれているなんて、こんなに嬉しいことはありません…… 小夜子さんは、ぼくを迎え入れてくれることに、もう、ためらいはありませんか?」 やはり、答えられない質問だった…… それは、猿轡を噛まされていたからではなかった…… 猿轡はもう取り外されていた…… 代わりに差し出されたのは、激しく反り上がった皮の剥けていない陰茎だった…… それを口に含んで欲しいと、唇に触れるくらいに間近にうごめかされていた…… 全裸を縄で緊縛された女性がフェラチオをさせられる…… これって、SMと呼ばれているポルノグラフィでは、よくある光景じゃないのかしら…… 私だって、インターネットのアダルト・サイトで見たことがあるわ…… <民族の予定調和>というのは、 性科学で言うところのサディズム・マゾヒズムの行為ではないのかもしれないけれど、 ポルノグラフィのSMには違いないということじゃないのかしら…… 同じ木を眺めていることであっても、見る者によって、その木は同じものには見えないことだとしても、 やることが一緒では、どちらの方が気持ちよくなれるかってことの違いではないのかしら…… 私には、よくわからない…… 「小夜子さん、含んで…… ぼくは、もう、こらえ切れなくなっているんです!」 綺麗な形をした唇を開こうとしない相手に、健二は、切羽詰ったような声音を上げるのだった。 女性の肝腎の箇所へ挿入される前に、女性から舌で愛撫を受ける光栄が欲しかったのだ。 だが、小夜子は、考えあぐねているような素振りを見せるだけだった。 そのときだった。 固く反り上がっていた男の陰茎は、震えるなり、白濁とした液を放出し始め、それは、女の顔面へ飛び散った。 やはり、SMと呼ばれているポルノグラフィであったのだ、 という認識以前に、小夜子は、きゃあ~、という悲鳴を上げて驚愕していた。 その悲鳴に狼狽した男の方は、慌てて矛先をあちらへ向けたが、それは、美しい乳房の上へも飛び散っていた。 白濁とした精液まみれとなった神性の美女であったが、 さすがに、その神性は、確かなものがあった。 目的を果たせずに果ててしまい、愕然となって座り込んでしまった相手を小夜子は救済したのである。 「健三さん、落ち込むことなど、ないことよ。 現実は、物語や映画やオペラのようには、うまくいかないってことですわ。 気にしないで、これで、あなたも、女の前で、男になれたということですもの」 小夜子は、姉さんぶったところさえ示すのであった。 …………… ここまで書き進んだところで、権田孫兵衛老人から鵜里基秀へ文句がついた。 健三は、愛弟子のひとりであり、彼を侮辱するような描写は許さないというのである。 作者にしてみれば、余りにも美しい全裸の女性が縄で緊縛されている官能的な姿を前にして、 こらえ切れずに射精したというのは、むしろ、女性を思う深い恋心のあらわれであったと思うのだが、 <縛って繋ぐ力による色の道>の道理にかなっていない、とされたのである。 そこで、一度放出してしまったものは元には戻せないから、 放出は最初から行われない展開へと想像力を転じる以外にないことになる。 気がついたとき、小夜子は、畳の上へうつ伏せるようにして眠り込んでしまった窮屈な状態に、 身体を動かすことが容易ではないと感じたが、それがすぐにまったく別の理由によるものだと知ったとき、 大きな驚愕と狼狽と、そして、激しい羞恥を感じざるを得なかった。 信じられないことだった、みずからの身体は、布ひとつ覆い隠すもののない生まれたままの全裸姿にあり、 しかも、窮屈であるどころか、身動きの取れないように両腕を背後にまわされ、 重ね合わせた両手首は縛られ、そればかりではなく、あらわにされたふたつの乳房を上下から挟んで、 両腕をがっちりと固定されるような胸縄まで掛けられているのであった。 しかし、それ以上に信じられないことは、その自分の姿を眺めやっている者の存在だった。 禿げ上がった真っ白な頭髪に歯のないくぼんだ口もと、どぎつい目つきや鋭い鷲鼻、 皺だらけの小柄で痩せ細った身体が薄っぺらな着物に包まれて、険しい老いがあらわとなった老人ではなかった。 端正な若々しい顔立ちに、すらりとした身体付きを黒の礼服に包んだ、義弟の健三でもなかった。 亡くなった夫の健一だったのである。 夫が一糸もまとわない生まれたままの全裸でいるのだった。 どうして、このようなことに! 小夜子は、めまいさえ感じさせられる状況の不可解さに、考えを取り結ぼうと懸命になったが、 がっちりと結ばれているのは、むしろ、みずからの柔肌へ食い込んでいる麻縄の存在感そのものであった。 気違いじみた老人の言った言葉が思い出されるのだった、 『おまえさんのご主人は、おまえさんを縄で縛りたかった、だが、果たせずに亡くなってしまったということだ』 ああ、主人は現世に未練を残した余り、亡霊となってそれを果たしに来られたのだわ……。 私を縄で縛り上げた、これで本望でしょう、どうか成仏してください……。 だが、亡霊は、肉体の実態を持たない精神性にあるからこそ、亡霊であるという整合性である。 従って、小夜子の肉体が実際の縄で緊縛されているものだとしたら、健一の亡霊が行ったことにはならない。 それは、小夜子の夢想なのか、願望なのか、希望なのか、妄想なのか、或いは、淫夢なのか……。 いや、現実であった。 小夜子は、ただ、その男性が夫であればよかったのかもしれないと思っただけだった。 夫に瓜ふたつのその男性は、双子の弟の健二だったのである。 間違いなかった、健二は、インポテンツ、つまり、陰茎が勃起せず性交ができない状態にあった。 素っ裸に晒した筋肉質の見事な肉体であったが、その箇所の筋肉だけは硬質を帯びていないことが証拠だった。 顔付き、身体付きは似ていても、相同と相似をごっちゃにするものではなかったのだ。 しかも、その相似でさえ、相反と言えるようなふたりの性格の相違があったから、 言動と行為が表現されることになれば歴然としていることだった。 夫の健一は硬派であり女性を縄で縛るようなことは決してしなかった、 だが、弟の健二は軟派であったので女性を全裸にして縄で緊縛するようなことをしたのである。 小夜子を最初に見初めたのは、実は、弟の健二の方であったのだが、その奔放な振る舞いに付いていけず、 最終的に求婚を承諾したのは、兄の健一に対してであったのだ。 しかし、小夜子には、健二と恋人関係にあったとき、肉体を持って教えられたことがあった、 それは、全裸を縄で縛り上げられた女性が<民族の予定調和>の表象になるという、 <縛って繋ぐ力による色の道>というものであった。 健二は、権田孫兵衛老人も一目置く、<民族の予定調和>の信奉者幹部だったのである―― 余談ではあるが、玄関扉の錠が下りていなかったという義弟の健三の一件は、実は、 この健二の手引きによることであったのが謎解きである、済んでしまったことなので大した意味はないが――。 幹部へ成り上がった当人の特質というのは、そのインポテンツということにあったのだが、 つまり、陰茎が勃起せず性交ができない状態にあるということは、官能による発情はないものであるが、 エロスを意識できないということではない、むしろ、失われた知覚の者がほかの知覚が敏感となるように、 エロスの知覚に関しては、一般的な男性よりも、鋭敏でさえあると言えることがあったのである。 この場合のエロスというのは、生殖器官の機能とは無関係に、 生まれたときから死に至るまで働くエネルギーのことである。 性的官能が四六時中働いているものとされるのは、このエロスのエネルギーの存在によることである。 射精や月経を経験していない幼児において恋愛が生まれるのも、枯れ果てた老人の恋愛が行われるのも、 このエロスのエネルギーの存在による。 <縛って繋ぐ力による色の道>と言っている前提には、生殖器官の機能ではなく、 エロスのエネルギーが確実に据えられていることは明らかである。 八十歳は優に超えている権田孫兵衛老人が開祖であることの所以であると言えることなのである。 健二の場合は、その鋭敏なエロスの知覚に奔放な性格が結び合わされて、 思考が行われ、行動へと向けられていくのであるから、 若さゆえの強靭さを帯びたものとなっているのは当然であった。 <人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神であるというヴィジョン>というのは、 健二がインポテンツに苦悩した末に見出した希望の原理だったのである。 想像力がエロスのエネルギーと結び付いたとき、監獄に隔離された幻想の羽ばたきは、 ソドムが百二十日をかけて至る人類の存在理由を問う思想にまで成り上がるものなのだ。 だが、インポテンツは、小夜子が結婚を断念した理由でもあったが、 彼女には、決して離れることのできない相手として、健二があったことも事実であった。 それこそが肉体へ教え込まれた縄による緊縛の快楽、<色の道>であったのだ。 健二は、全裸にして縄で緊縛した表象の女性を三万人は生んできた、有能な伝導者であった。 <民族の予定調和>の信奉者としての男性は十万人は下らないとされていることであるが、 表象としての女性がどのくらいの数で存在するものか、統計がないので明らかとされていない。 民族思想のようなものが数値であらわされるようなものとしてあることはあり得ないから、 <民族の予定調和>においては、ほかの教団が行うような人集めの行われることは、あり得なかったのである。 信奉者である男性は、ただひたすら、女性を全裸にして縄で縛り続け表象とする、これだけだったのである。 言い方を換えると、あなたがいま隣にいる見ず知らずの女性に対して、 あなたは生まれたままの全裸を縄で縛られたことがありますかと尋ねて、 はい、と答える女性が日常茶飯事であれば、<予定調和>実現は間近にあると言えることだった。 何故なら、表象は具象を持って実現と成すことは、奇跡は言葉ではなく実現であることと一緒であるからだが、 あり得もしない<予定調和>の奇跡の成就を先延ばしにして、 その希望だけが生存を続けさせる糧というようなものではなかったのだった。 『<道>は、至ることができてこそ<道>であって、至るためには、肉体が必要であり精神が必要なのだ。 その肉体と精神の一致を結ばせる縄による緊縛、<色の道>が歩むための<道>である真髄である』 ここのところはきちんと描写せよと権田老人から言い渡されて記述しているところである。 少し冗長になるが、<色>と言っていることについても、よい機会なので記述しておこう。 喩えては、三省堂「大辞林 第二版」に示されるような名詞の意義の総体である、すなわち、 『色彩。 光による視神経の刺激が脳の視覚中枢に伝えられて生ずる感覚。 色相(色あい)・明度(明るさ)・彩度(あざやかさ)の三属性によって表される。 物の表面に表れている、そのものの状態。 顔色。表情。様子。情趣。調子・響き。きざし。 心のやさしさ。情愛。容姿。 男女の情愛に関する物事。男女間の情事・恋愛。情人。恋人。遊女。遊里。 特定の色彩に関するもの。禁色。 種類』といったことである。 この名詞の意義は、動詞や形容詞、或いは、副詞との結び付きによって、意味の展開が行われるものであるから、 <民族の予定調和の色の道>というのは、多義多様性があらわされるためのものであると言える。 言うまでもなく、その多義多様性こそは、人間の抱く想像力そのもののありようであり、 <人間本来のものとしての神>へ導かれるためにあるとされる所以なのである。 そこで、<色>は、情愛や恋愛を意味するものであるから、 健二にとって、小夜子というのは、三万人の表象のなかのひとりの女性であったに過ぎなかったが、 美しさと人格において、格別の存在と感じていた女性であったのだ。 健二は、その愛する女性を兄に奪われたとはまったく考えていなかった。 そのような嫉妬であるとか憎悪であるとかの類は、 <民族の予定調和>からすれば、余りにも下世話な事柄に過ぎなかった。 むしろ、小夜子を奪われていたのは、兄の健一であったかもしれないという関係があったのである。 小夜子においても、健二は格別の存在だったのだ、結婚後も、ふたりの逢瀬は定期的に重ねられていた。 肉体を縄で緊縛されて耽る快楽というだけで、交接の決して行われることのなかった男女の恋愛は、 彼女に不倫の罪深さを意識させるどころか、<民族の予定調和>の表象としてあることの自負は、 <縛って繋ぐ力による色の道>を歩むことで、ますます光り輝くものとなると思えたことだったのである。 近い将来、わが国は<民族の予定調和>を標榜した国家として自立する、 小夜子が尊敬を抱いた、これが健二の信念であったのだ。 従って、家の玄関扉の鍵を手渡しておいた相手は、その家の主人さえ口出しすることがなければ、 自由に出入りできる、もうひとりの夫とも言える存在であったのである。 その男が、全裸を縄で緊縛され畳へうつ伏せた姿勢にあった小夜子の前へ、立ち尽くしているのだった。 「小夜子、今宵の通夜に、ふたりきりでいられるこの幸福感は、 いずれは、わが民族すべての幸福感として感じられることになるだろう、 民族意識という主体性を持たない日本人として、 日本人がみずからを考えるようなことは、もはや、過去のこととなるのだ、 わが民族には、<民族の予定調和>という成り代わるべき約束の地があるからだ、 おまえのその優美な曲線を描く生まれたままの姿態が太古よりの因習としての縄によって緊縛されている姿、 自然が育んだ植物繊維を数多重ねて撚られた縄、その縄をじっと見続けていれば、 そこにあらわれてくるのは、縄文土器を最初の表現とするわが民族の<縛って繋ぐ力による色の道>、 縄は,民族の歴史において、宗教的、政治的、戦争的、装飾的、様式的、そして、実用的と用いられてきたものだ、 もちろん、猥褻的としてあったことも当然のことであったが、一般的な文明や文化は、猥褻を下層にしか置かない、 だから、歴史の上へ明るみに晒されるということはなかったが、 縄が生まれたままの全裸の女性を縛るために用いられたことは、太古より、途切れることなく行われてきたことだ、 それは、因習としての<色の道>ということだ、 だが、残念ながら、その<色の道>が意味するところを理解する者が存在しなかった、 <道>である以上、何処かへ通じているものであることを認識する者がいなかった、 だから、明治時代以降、文化の上にもあからさまとなっていく<縛って繋ぐ力による色の道>は、 西洋から導入された性科学思想へ追従して、サディズム・マゾヒズムのあらわれとされてしまった、 それに異を唱える者も存在しないから、今日まで、そのようなものであるとしか思われなかった、 もちろん、異を唱えるということは、西洋の進んだ学術に対して反旗を翻すことになるわけだから、 侵略戦争に大勝し続けて領土の拡張が実現できた結果でもあればともかく、 大敗して原子爆弾まで二発も落された悲惨からすれば、西洋の優れた学術の奴隷となるのも無理のないことだ、 そのような状況で、民族思想など高揚しても、時代遅れの気違い沙汰と見なされて当然のことであろう、 ましてや、猥褻と崇高が表裏と成す<縛って繋ぐ力による色の道>であれば、なおさらだ、 要するに、長いものには巻かれろ、ということだ、 みずからの手で縄を取り、縛り上げろ、ということではないのだ、 だが、権田孫兵衛先生があらわれた、 先生は、<縛って繋ぐ力による色の道>がわが民族固有のありようであることを明らかとされた、 先生は、みずから、それを<正統性ある猥褻論理思想>とおっしゃられているが、何というご謙遜であろう、 その<猥褻>は、<民族の予定調和>実現の暁には、取り払われるものであるのだから……」 縄で後ろ手に縛られ胸縄を掛けられていた小夜子にとっては、 愛の告白のように、うっとりとなって聞くことのできる健二の言葉だった。 生まれたままの全裸を縄で緊縛されていることは、 その柔肌を通して伝わってくる拘束感を強い抱擁のように感じさせるものがあった。 私はこの方に抱かれている、という熱い思いは、 この方の考えていることであれば、私は、どのようなことでも従うという思いにまで高めるものがあったのだ。 しかも、みずからを気持ちのよい官能へと導いてくれる縄の拘束感は、 官能を発揮できる女であるからこそ、女であることを誇りとすることのできるものであったのだ。 いま、健二は、うつ伏せになっている小夜子の肩に手を置いて優しく引き起こすと、 畳の上へ置いてあった別の縄を取り上げて、新たな縄掛けを行おうとしているのであった。 それを知ると、小夜子は、胸縄で突き出すようにされている乳房が震えるくらいの期待の高まりを感じるのだった。 畳の上へ仰臥させられる姿態にされた小夜子のしなやかで美しい脚のひとつが取り上げられた、 それは、艶めかしい太腿と脹脛が密着するように膝を折って曲げられ、 幾重にも巻き付けられた麻縄で束ねられた。 もう片方の脚も同じようにされると、女の股間は、これ見よがしの大胆さでさらけ出されるものとなった。 すでに、全裸を縛られた官能の高ぶりから、美しい顔立ちの両頬を桜色に染め上げていた小夜子だったが、 女の最も恥ずかしい箇所をあからさまにされて、泣き出さんばかりの羞恥から首筋まで真っ赤になっていた。 健二は、相手へ掛ける縄がこれで何百回となるはずだったが、 今日初めて縛られるような初々しさを見せる小夜子の心持ちがいとおしさそのものとして感じられるのであった。 そのような相手のまなざしを受けて、小夜子は、どんどんと高ぶらされていくみずからの官能に、 恥ずかしさと戸惑いと不安と喜びの撚り合わさった甘く切ないやるせなさの疼きを意識させられて、 しっとりと情感に潤んだまなざしを投げながら、行われていく男の所作を見つめ続けているのだった。 大股開きに膝から折られた両脚は、さらに別の縄を使って、 女の股間の箇所がこれ以上はあからさまとはならないというところまで開かされ、胸縄のあたりで縄留めされた。 それから、緩みの起らないように、ほっそりとした首や優美な腰付きから縄が掛けられて固定されるのだった。 女の最も恥ずかしい箇所を見せつけるようにさらけ出されて、しかも、縄で緊縛されている身の上は自由を奪われ、 されるがままになることへの抵抗をまったく封じられているという姿態がそこにあったが、 女は、綺麗な形の赤い唇を真一文字に閉じて、虚空の一点を凝視するようなまなざしを浮かべるだけで、 あらがいの言葉はおろか、激しく高鳴っている心臓からもらされる息遣いさえ抑えられていた。 さらに、全裸の健二は、恥ずかしい女の箇所が祭壇の遺影へ向くように、小夜子の姿態を整えていった。 亡き夫と面と向かわされた未亡人も、それには、両眼をしっかりと閉じて、 いまにも泣き出さんばかりに揺さぶられている思いを懸命にこらえているというありまさとなった。 「小夜子、おれの思いを言おう、 おれは、兄にも、<民族の予定調和>の信奉者になって欲しかった、 兄にも、おまえを全裸にして縄で縛り上げて欲しかった、 だが、兄は、そのようなことには無関心だった、 彼の頭には、産業立国として日本が世界経済の支配へ至ることしかなかった、 それが日本人だと思っていた、 もちろん、<民族の予定調和>は唯一の<正統性ある猥褻論理思想>に違いないが、 それは絶対の思想ではない、 思想には、それを選ぶことのできる、比較することのできる相対性があるからだ、 唯一の絶対思想など、存在しないということだ、 たぶらかされるような無知蒙昧にあるというのならともかく、 みずからの弱さの逃げ場として唯一の絶対思想へ追従するようなことは、 結局は、自滅か、犯罪を起こすようなものしかならないのだ、 だから、兄が<民族の予定調和>の信奉者とならなかったとしても、それは、彼の選択だった、 おれがいま、おまえに晒させている姿をおまえは恨みがましく思うかもしれない、 だが、今宵、おまえは、愛していた夫と今生の別れをしなければならないのだ、 そして、おまえは、生き続ける者としては、<縛って繋ぐ力による色の道>を歩まねばならないのだ、 それが、小夜子、おまえが選択した思想であり、道だからだ、 だから、おまえは、その姿をもって、それを明らかとせねばならないのだ……」 小夜子は、しくしくとすすり泣きをもらし始めていた。 愛していた夫は亡くなったのだという悲哀がどっと押し寄せてきたのだった。 だが、小夜子は、すすり泣きを続ける思いが、 高ぶらされている官能をさらに掻き立てるものとしてあることも意識させられていた。 このような消え入りたいほど惨めで、恥ずかしく、淫らで、浅ましい姿をさらけ出していることが、 亡き夫への冒涜となることだとしたら、自分はひとさまから軽蔑されてしかるべき女である、 或いは、天国や地獄というものを信じているならば、地獄へ落ちるということである、 だが、生まれたままの全裸を縄で緊縛され、羞恥と淫猥と下卑の姿態で晒されていることが、 抑え難く燃え上がってくる官能の炎に焼き尽くされることであるとしたら、 その炎は浄化の官能と言えることなのであろうか。 自分の居場所は、常識のなかでは、もはやないに等しいに違いない。 居場所となる約束の地は、<民族の予定調和>の実現においてしかないからだ。 健二さんに導かれるまま、<縛って繋ぐ力による色の道>を今日まで歩んできた。 これからも生き続けようとすることであれば、官能が悲哀を呑み込むようなことであっても、 私は私であるということではないのだろうか……。 小夜子の上気した顔立ちは、苦悩の域というあたりをさ迷っている表情を浮かべていた。 健二は、その女の顔をまじまじと見つめながら、続けるのだった。 「縄を結んで縛るということは、ひとつの観念ともうひとつの観念を結び合わせることだ、 一義の絶対性が宇宙のすべてさえも統括するという考え方からは、 縄を結んで縛ることの不可欠は生まれない、 縄が自然の植物繊維を撚って作られたものであることは、 自然は柔軟で多様性に富んでいることをあらわしている、 多義多様性として存在している自然は、その各々が結び合わされることであらわされる全体性としては、 宇宙もまた、多義多様性としてあるということだ、 わが民族は、縄文土器の最初の表現以来、<縛って繋ぐ力による色の道>を歩んでいるが、 それが現在は、全裸の女性を縛る緊縛というありようにまで至ったということだ、 いずれは、<民族の予定調和>の実現に至り、さらに、宇宙の多義多様性へと至るのは、 人類としての存在理由であることからなのだ、 小夜子、おまえが苦悩するのは、おまえが人類の母であるからだ! おまえが、人類の存在理由を明らかとさせる、未来の子を生むことのできる女性であるからだ! 女性が人類を救済する! これは、<縛って繋ぐ力による色の道>にあって、必然のことだ!!」 小夜子は、みずからの緊縛の裸身のすぐ間近に立ち尽くして、咆哮する男性を見上げていた。 そのときだった。 彼女は、生まれたままの全裸でいる健二の異様に気づいたのだ。 「あなた、立っているのではありませんこと……」 そのように告げられた健二は、びっくりしたように、みずからの下腹部を見つめるのだった。 「おおっ、何ということだ! 奇跡だ! 奇跡が起ったのだ!」 健二が奇跡と呼んだものは、弱々しい感じではあったが、股間へもたげ始めているのであった。 「健二さん、私を見て! 小夜子の縛られた全裸姿をしっかりと見て!」 男は言われるままに、そのあられもない姿にさらけ出された女の姿態へ、吸い付くような凝視をするのだった。 すると、もたげていた陰茎は、掻き立てられた官能で充血していくように、固さを帯びてきたのだ。 「いいわ、いいわ、あなた! 今度は、今度は、小夜子の乳房に触れてみて!」 男が男を蘇らせていく感動的とも言えるありさまに、女の方も、もう夢中になって援護しているのであった。 上下の縄で突き出すようにされた小夜子のふたつの綺麗な乳房は、 すでに愛らしい乳首が欲情のしこりをあらわしてつんと立っていたが、 健二は、そういうものに初めて触れるようなおどおどした様子で、震える指先を伸ばすのだった。 その溶けるような柔らかさと瑞々しいしこりは、電気ショックのような急激さで陰茎をびくんと動かせのだ。 「ああ、素敵、健二さん! そんなに感じてもらえるなんて、小夜子はしあわせ! それなら、それなら、あそこにも、あそこにも触れてみて!」 健二は、顔をほころばせて、乳房を揉みしだき、乳首をこねりまわしていた。 「あそこ? あそこって、どこのことだい? あそこじゃわからないよ」 男には、からかうような余裕まで生まれ始めているのだった。 「あなたの意地悪……」 ふたりは、顔を見合わせて微笑み合うのだった。 「小夜子、ありがとう、おまえのおかげだ…… このようなことが起るなんて、本当に奇跡だ!」 健二は、大股開きにしてあらわとさせた女の股間の箇所へ、指先を向けていくのだった。 「ああ~ん、いいわ、いいわ!」 これ以上は両脚を開くことは不可能と思われるくらいにあからさまにさらけ出された小夜子の股間は、 男が触れたいと望むものであれば、小さな丘から割れめを覆うようにして立ち昇る艶やかな漆黒の靄、 その下にぱっくりとのぞかせる輝ける真珠の小粒のような鋭敏な小突起、 開き始めている花びらが鮮やかな果肉ときらめくしずくをあらわにさせて予感させる内奥の妖艶な洞穴、 さらには、可愛らしくすぼまった純真な菊門、と思いのままにあるのだった。 健二は、下半身へ決壊した堰のようにして流れ込む高ぶらされる官能に、それこそ数百回と触れてきたそれらが、 たまらなく、初々しく、愛らしく、美しく、いとおしいものとして感じられるのであった。 それらのひとつにでも触れることは、間違いなく、反り上がりへ向かわせることだ、 と自信を持たせることだったのだ。 だから、男は、優しい指遣いで、艶やかな漆黒の繊毛を撫でて梳くようなことから始めているのだった。 「ああっ、ああっ、だめっ、だめっ、ああん、気持ちいい」 小夜子の思いは、苦悩の域などもう存じ上げませんわ、といった勢いで、 掻き立てられている官能を燃え上がらせようと、相手の指の愛撫へ意識を集中させているのだった。 男の指先は、そろそろと割れめを伝わって鋭敏な小突起へ触れていたが、 それは、こねりまわされるほどに、しこりをあらわして立ち上がっていくのが見て取れた。 「ああ、ああ、ああ」 小夜子は、鳴き声にも似た甘美な声音をもらしながら、 身悶えしたところでどうにもならない緊縛の裸身を震わせるばかりだった。 健二は、思わず唇を寄せると、舌先でその鋭敏さを舐めまわし、吸い上げるようなことをしていた。 「うっ、うっ、うっ」 女の姿態は、吸い上げられ、歯を立てられる度に、びくっ、びくっ、と痙攣する反応を示していたが、 それは、男の陰茎にも、その度に、びくっ、びくっ、とした反り上がりをあらわさせた。 相手の股間から顔を上げた健二は、女の花びらがすでに開き切って、 花蜜が輝きを帯びてあふれ出しているのを目の当たりにさせられたが、 吸い寄せられるように、その妖艶な洞穴へ指先をもぐり込ませ始めたときだった。 「いやです! あなたの指なんかではいやです! あなた自身がいらして!」 小夜子は、そう叫んだのだった。 だが、健二には、ためらいがあった。 確かに、もたげ反り上がることには成功していたが、 生まれてから一度も女性に使用されることのなかった陰茎は、すっぽりと皮に包まれた童貞のものだったのだ。 男は、苦悩の域にたたずんでしまったように、首をうなだれて動作がとまってしまっていた。 「健二さん! 何をためらっていらっしゃるの、あなたらしくない! あなたと私は、共に<縛って繋ぐ力による色の道>にあるはずです! <縛って繋ぐ力による色の道>の信奉者の流儀に従って、あなたは、みずからへ縄を掛ければよいのです! さあ、お始めなさい!」 あられもない格好で畳の上へ緊縛の姿態をさらけ出している女は、男を叱咤激励するのだった。 <縛って繋ぐ力による色の道>においては、 麻縄は、優美な女体を縛り上げるためだけにあるという尊厳ある代物、 どのように美しくあろうとも、男体を縛ったのでは不浄とさえされる貞潔な道具とされていた。 いま、健二は、小夜子に目覚めさせられて、畳の上にあった麻縄の一本を手に取ると、 それをふた筋として、菊門へ当たる位置を定めるように、結んで瘤をこしらえた。 それから、縄頭をもたげている陰茎へ引っ掛け、ふた筋を左右から睾丸を挟むようにして股間へともぐらせた。 瘤が菊門へ当たるように縄を引き絞ると、陰茎は、否応でも反り立つ硬直を示すようになるのだった。 そして、尻の方から出された縄は、左右へと割って腰へとまわされ、臍のあたりできっちりと結ばれたのだ。 これは、不浄の縄だった。 だが、生まれたままの全裸を麻縄で緊縛された女性と結ばれることで、浄化される縄とされていたのだ。 これを信奉者の流儀と呼んでいたのだが、 健二には、信奉者幹部であっても、一度も経験のなかったことだったのだ。 男には、初体験のおどおどした様子さえ伺われるのだった。 「素敵よ、健二さん、素敵……小夜子に触れさせてください!」 小夜子に触れさせて、と言われても、女は、緊縛された不自由な身の上であった。 「さあ、いらして」 小夜子は、静かに両眼を閉じると、その綺麗な形の赤い唇を半開きとさせるのだった。 健二は、ためらいがちにその矛先を向けた。 女は、唇へ触れてきたものへ大きく綺麗な瞳のまなざしを投げると、言うのだった。 「剥いてください……小夜子は、あなた自身が欲しいのです!」 健二は、言われるままに皮を剥き、赤々と充血しているものをさらけ出した。 小夜子は、ためらいもなく、柔らかな唇で触れると、すぐに尖らせた舌先をのぞかせて舐め始めた。 その熱心な舌先の愛撫は、熱い唾液のしたたりを落させて、 ついには、男の口から、ああ~、ああ~、とやるせなさそうな声音までもらさせるのだった。 それから、女は、口中一杯に男性自身を頬張ると、優しく強くと抜き差しを繰り返し始めた。 「ああっ、ああっ、気持ちがいい、気持ちがいい…… 小夜子、今宵の幸福感を、ぼくは、どれだけおまえに感謝することだろうか!」 相手を高ぶらせようと懸命になって口中の愛撫を繰り返す小夜子の顔立ちは、 汗を滲ませて真っ赤に上気したものとなっていた。 彼女は、おもむろに男の陰茎から離れると、 てらてらとした光沢をはなって激しく硬直している真っ赤なありさまを見て、 言うのだった。 「あなたの感謝を私にください…… 人類の存在理由を明らかとさせる未来の子のために……」 高ぶらされた官能で恍惚とした表情を浮かべ始めている小夜子の綺麗な顔立ちを見つめて、 健二は、縄で緊縛された全裸の相手の美しい花びらへ、 縄を掛けられたみずからの硬直した陰茎をあてがって、 しっかりと含み込まれていく吸引力のままに、 妖艶な内奥へと深く深く沈み込ませていくのであった……。 この場合、放出はあったのかないのか、 それは、奇跡というものを信じるかどうかの判断によるものと言えよう。 …………… 権田孫兵衛老人は、<縛って繋ぐ力による色の道>が奇跡さえ生むのは当然のことであるから、 信奉者幹部の健二の成行きを曖昧な形で終わらせたのは、道理にかなっていないと再び文句をつけてきた。 では、曖昧でない成行きをあらわす想像力へ転じる以外ないことであろう。 |
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