あの事柄をどのように思い返したらよいのだろうか。
この手記を書き始めるにあたって思い悩む。
いや、それ以上に、うまく思い返すことさえむずかしい事柄であるものを、
上手にひとに伝えられる言葉など、果たして自分にあやつることができるのだろうか。
文学青年とよばれて、詩を書いたり、小説を書いたりしてきたが、
ひとつの驚異的な現実体験の前で、
そのような修行が何の役にも立たないような気がするのは、
どれだけ小銃の構造や扱いを学ばされたとしても、
現実に弾丸を一発も発射したことのない者が、
殺せと命じられている相手を眼前にさせられたようなもので、
小銃を実際に手にしていながら、
どのようにしたら人殺しを行なうことができるかと悩んでいるのと同じようなものである。
しかし、これは喩えでもなんでもない。
実際に召集令状が手元に送られてきて、あさってには出頭しなければならないのだ。
その前にぜひとも書き残しておかなければならないと思い、書き始めるのだが……
あの事柄よりも前にどうしても頭に思い浮かんでくるのは、
人類の始まりの時代のことである。
猿から人間へ進化したと言われるかなめの時代のことである。
生物学の世界では、ミッシング・リンクと呼ばれている猿と人間の間にある環、
系統としてつながらない未定の部分のことである。
このことはそれに一番関心をもっていた坂田から教えてもらったことだ。
だが、ぼくは坂田のように生物学者をめざしているわけではないから、
彼のような実証的な考えというものにはいたらない。
ぼくが抱くものはあくまで直感からくる心象にすぎないものだ。
ミッシング・リンクと呼ばれている時代も、
その時代を見聞した者が記録として残した文章や絵があるわけではないので、
すべては化石から始まって現在に至るまでの遺物からの推測にすぎないことである。
その推測からどのようなものであったかが描かれていても、
あの事柄を体験して以来、ぼくの思い浮かべるミッシング・リンクとは次のようなものだ。
もちろん、謎の答えを発見したなどという大それたことではない。
そのような素晴らしい発見であれば、ただちに全世界へ発表して、
とりあえず、現在行なわれている欧州戦争や亜細亜戦争を一時中断して、
人類が猿から人間へ進化したときに何があったかを注目すれば、
現在行なわれている世界戦争が人類にとって歴史的系統的に意義があることを認識し、
人類の未来へ向けて希望のある相互殺戮を再開することができるはずだからだ。
だが、残念ながら、思い浮かべることができるのは、人類の愚行というありきたりなものだ。
そのようなものなら、だれだって感じている、認識していることである。
ただ、知ってはいるが行なうことは別であるという精神と肉体の二元論に立っていることだ。
戦争は愚行だと思っていながらも、殺されるとわかっていれば相手を殺すのだ。
いや、みずからの肉体を生存させるためには、頭を空にして殺戮を行うのだ。
太古の人類もそうして生存してきたから、現在のわれわれがあると言えることなのだ。
ただ、その殺戮は異種へ向けられるばかりのものでなく、
同種へ向けられるものとして、人類が新たに見いだした生存の方法であったのだ。
それが猿という動物から人間に移行するときに行なわれた革新的な変化のひとつだった。
動物から人間に移行するその過渡期とはちょうど黄昏時のようなものだった。
昼がまだ昼としての終わりを告げたわけでもなく、
夜が夜として完全に始まったわけでもない、
光と闇が交錯する薄闇の支配する短い時間のことである。
短いとは言っても、それは何万年も続いた時代だったに違いない。
来る日も来る日も薄闇が支配し続ける時間のなかを、
人類に成り変ろうとする猿が有象無象にうごめいている姿が見えるようだ。
人類として発展を遂げようとするには、
この時代をしっかりと脳に抱かなければならなかった永遠の黄昏と言うべきものである。
獲得形質は遺伝しないということであれば、心象を刻み込まれたのでない。
その何万年も続いた薄闇が支配する黄昏の時代に、
実際の行動において、そうすることが生存し続けることの歓びであることを脳に刻んだのだ。
かのドイツの大哲学者ニーチェ先生がおっしゃているとおり、
悦び―それは心の悩みよりいっそう深い。
痛みは言う、去れ、と。
しかし、すべての悦びは永遠を欲する―
―深い、深い永遠を欲する!
人類が脳に抱いた永遠の歓び、異種ばかりでなく同種へさえも殺戮を行う歓びである。
だが、殺戮だけであったら、人類の哲学的問題はこれほどには複雑にならなかったであろう。
その永遠の薄闇の時代にもうひとつ革新的にさせたものがあるのだ。
性の放埓である。
人類は発情期という定期的な性からみずからを解き放ち、
同種へ向けられるばかりでなく異種へさえも性交を行うことをする動物となったのだ。
相手かまわずの殺戮と相手かまわずの性の放埓。
このふたつを脳に抱かなければ、猿から人類への進化は行なわれなかったのだ。
どのような美辞麗句や大義名分をおしかぶせようと、
人類が人類であるかぎり、これは人類をあらわすものであり、
それなくしては人類ではありないということでは、脳にある永遠の黄昏なのである。
人類の誕生時代に行なわれた同種への殺戮と性の放埓という愚行をただすために、
あらゆる宗教は人類を裁く神を招来させているが、
裁かれた人類がその神となって生存し続けるようなことでもないかぎり、
人類を裁くということは現在の人類をやめろと言うのと同じである。
人類の愚行が人類を終末へ向かわせる。
そのようなことはかつて一度もなかったし、これからもありえないことだ。
なぜなら、人類は如何なる手段を使っても行なう同種への殺戮と性の放埓をやめない。
なぜなら、それは人類の脳にあって、最も深いところから歓びを見いだしていることだからだ。
この日本の戦争も末期に来ている。
東京も度重なる空襲で見るも無残な姿になっている。
家族はまだ無事だが、親戚や知り合いには死んだ者も出ている。
だが、悲哀や憐憫や哀悼や嫌悪や憎悪や諦念さえも彼方へ押しやることは可能だ。
人類の脳に愚行を行なわせる永遠の黄昏があることがわかっていながら、
同種を殺戮するために出撃することは歓びそのものだからである。
国のため、民族のため、家族のため、恋人のため……いや、いや、いや、
いっさいの美辞麗句や大義名分を越えた彼方にある歓びそのものだからである。
殺戮を行うことに意味などない。
それは人類の存在理由だからだ。
だから、殺戮を行った者は、うむを言わさず殺戮されることでその存在理由をまっとうする。
殺戮に言辞を加えることで人類の真実をあらわすことなど何ひとつない。
あるとしたら、せいぜい文学だ、こうした手記のような文学にすぎない。
同種を殺戮した者は、同種によって殺戮されるだけの存在にしかすぎないのだ。
従って、殺戮するために出撃して行く者は殺戮されるだけなのである。
わかりやすいことだ。
殺戮が人類にとって不可欠のものであるのと同じように、性の放埓もまた不可欠である。
大量殺人を犯す者はそこに性的快感をおぼえるというが、
出所は一緒の脳のなかにある永遠の黄昏にあるからということにほかならない。
フランスのマルキ・ド・サドというひとの文学にも、
大勢の男女が森のなかの城で性的放埓の道具とされて殺戮されるという物語があるが、
脳にある薄闇、永遠の黄昏、ミッシング・リンク、進化への跳躍が、
人類の誕生に欠くべからざることを知っている者にとっては、
殺戮と性の放埓が教えることは、隠蔽された場所で行なわれる秘儀と言えるようなものなのだ。
こうした手記にしか残せない、公然とされることのはばかれるものなのだ。
牢獄へ投獄されているような孤絶者、死を決定付けられているような者だけが行なおうとする、
脳から脳へ伝えていく隠されたもの、オカルトと言えるものなのだ。
だから、これから語ることに真偽をはさむことは意味をなさないと思っていただきたい。
実際に起こったことをありのままに書こうとするのはやぶさかでないが、
書かれたことが文学めいていると感じられても、それはオカルトが持つ特有の性格、
つまり、知ろうとする者だけに開かれる知識の表現だからと了解していただきたいのだ。
このオカルトに一番強い関心を持っていたのは結城だった。
日に日に厳しくなってゆく戦局のなかで、
われわれ学生も召集されるときが来るだろうことは誰もが予測していた。
結城はその日が来る前に是非行なっておかなければならないと決心して、
ぼくと坂田を呼ぶと、次のような話と計画を語ったのである。
結城は東京の旧家に生まれ、裕福な家柄に育ったことから広い知己を得ていた。
そのなかでさる男爵と結城は三十歳近く年齢が離れていたが、
幼少時から親しんでいた間柄であった。
男爵は結婚して数ヶ月足らずで夫人を病で亡くし、その後男やもめを通していたが、
女たらしであるというよからぬ風評を立てられていた人物だった。
暇があると男爵の屋敷へ遊びに出かけていた結城は、
訪問する度に異なる女性がいるところに出会ったという。
だが、ひとが立てる噂がどのようなものであれ、
結城にとっては、男爵の世俗離れしたありようはたまらない魅力だった。
結城は男爵から神秘主義やオカルティズムといった知識を豊富に教わったのだった。
その集大成とも言うべきものを男爵は発狂する直前、結城に打ち明けて譲り渡したのであった。
男爵のこれまで行なった探求では、
人間は脳のなかに永遠の薄闇というものを抱いている、
これはどの人間の脳のなかにもあるもので、それがなくては人間ではないというものである。
この脳の薄闇は人間のありようとして、本能的なふたつのものをつかさどっているという。
殺戮と性の快楽である。
人間は異種へばかりでなく同種へさえも殺戮を行なう地球上にまれな種である。
また、人間は同種へばかりでなく異種へさえも性的行為を行なう地球上にまれな種である。
このまれな種である人間がただひとり直立歩行し、手の使用と言語でもって、
地球上の支配者であるような振舞いをさせているのも、
ひとえに、この脳にある薄闇の存在が他の動物と異なっていることにあるからである。
つまり、脳に薄闇を抱えたことが人間をあまたいる動物から進化させたのである。
言い方をかえれば、他の動物もこの脳の薄闇を抱えれば、人間のようになるということだ。
だが、この脳の薄闇の存在は明示されることはなかった。
人間の存在理由が殺戮と性の快楽にあるなどということを認めることはできないからだ。
人間が誕生以来、その歴史として行なってきた殺戮や性の快楽の放埓は、
愚行とは言われても、道徳的に愚行なのであって本性のものとしてはありえないからだ。
それで、この脳の薄闇の知識は隠された、つまりオカルトとして、
知ろうとする者だけに開かれる知識として伝承されてきたのである。
世界に存在する魔術と呼ばれるようないっさいの知識は、すべてこの脳にある薄闇、
殺戮と性の放埓をどのように操作したら人間は人間以上のものになれるかという探求である。
従って、人間に甘んじて、人間以上のものになろうなどという願望を抱かない者は、
このオカルトの世界からはいっさい閉ざされているのだ。
結城は男爵からここまで聞かされたとき、
自分がどうして男爵に惹かれ、尊敬の念まで感じて接してきたかをあらためて悟ったという。
つまり、自分も普通の人間に甘んじられない者だということをはっきりと自覚したのだ。
だから、そこから先の荒唐無稽とも思われるような話を彼は真剣に聞くことができたのだった。
男爵は、脳の薄闇の存在が単なる知識でなく、実証されることを深く考えた。
そのためには何を行なえばよいのか真剣に検討した。
その結果はこうだった。
人間に肉体的にも精神的にも苦悶を与える拷問というものがある。
その拷問が性的箇所を責めるようなものであった場合も同様な結果になるのだろうか。
男爵は三角木馬という拷問道具を見たとき、そう思ったという。
その三角木馬が日本のみならず西洋においてさえも同様に存在すること、
知らないというだけで、それは世界各地に人間にとって普遍に存在するものであるかもしれない。
そうだとしたら、その三角木馬で脳の薄闇の秘密を解き明かせないだろうかと思ったのだ。
尋常な神経の持ち主が聞いたら気ちがい沙汰の話に違いない。
ましてやその考えを実行に移した者がいるとしたら……
結城でさえ実行に移される話に入ったとき、われ知らず身体が震えてくるのを抑えられなかった。
まず、男爵は三角木馬を作らせるために、これはと思う木工職人を捜すことに努めた。
ようやく、偏屈な変わり者として評判の片眼の不自由な中年の職人を見つけることができた。
飲んだくれの男だったが行なった仕事には確かなものがあった。
ここまでに一年を要した。
木工職人は尋常でない仕事の依頼に何の不審も抱かず質問もなく、
ただ家賃がたまりにたまっているので前払いしてくれることだけを要求した。
完成した黒塗りの拷問道具を見たとき、男爵は心底感動したという。
予想を遥かに越えた美術品のような優れたできばえだったからだ。
男爵は割り増しを与えてそう評価すると、木工職人も生涯の最高の出来だと答えた。
そして、旦那はこの木馬に女性をまたがせるんでしょう、あっしはそう念じて作りやしたと言った。
聞けば、生まれたときからのめっかちで、女性との愛にはついに見放されたままで来てしまった。
せめて、自分が憧れてきたような美しい女性たちがこの木馬にまたがって、
自分を抱きしめてくれるように股ではさみ、喜びの声を上げてくれたら本望だと言ったのである。
男爵は木馬の目的をいっさい話していなかったから、驚くと同時にオカルトを感じた。
しかも、それが実証されるように、木工職人はひと月後に脳溢血で死亡したのであった。
みずからの真のありようを知った者に訪れる死の招来と言えるようなことだった。
漆黒の三角木馬は誕生以来のいわく付きのものとなったのである。
その後の歴史は男爵が作り出すものだった。
男爵はその木馬へまたがることを百名の女性へ申し出たという。
百名の女性は貴族から平民に至るまで、男爵の人物評価にかなった者たちが選ばれた。
それは二十年の歳月をかけてのこととなった。
ただまたがせるだけであったら、拷問にすぎないものであるから、それを望む女性はいなかった。
むしろ嫌悪すべきもの、忌避すべきもの、唾棄すべきもの、憎悪すべきものであった。
そのような行為の気ちがい沙汰以上に、そのようなことを考えだす気ちがい沙汰であった。
男爵は女性を三角木馬で拷問して愉しむことを目的としていたわけではなかった。
あくまで、人間の脳にある薄闇の実証のために行なうことであった。
男爵は女性に三角木馬へまたがるわけを誠実に説いて聞かせ続けた。
この木馬にまたがって、人間の真実のありようを見いだした者はまだだれひとりとしていない、
それはまたがった者でなければわかりようのないものだが、
それはまた、真の愛を感じることのできるような女性でなければ成し遂げられないことだからだ、
なぜなら、真の愛を知る女性の存在こそ、愚行を行なう人間世界を闇から光へ導くものだから。
男爵は、人間の愚行を救済するものは、女性があらわす母性としての愛だと信じていたのだ。
この申し出から木馬騎乗を承諾した女性は五名だった。
残りの九十五名の女性はそのような不埒な申し出を侮辱と感じたが、
事実をひとに伝えるにはあまりに気ちがいじみているために、男爵を女たらしとしたのであった。
男爵はその五名の女性を心から尊敬し愛すべき女性たちだと言った。
なぜなら、彼女たちがその身をかけてあらわしてくれたことは、
男爵が実証を望んだことを現実に示してくれたことだったからだ。
それは信じられないようなことだが、男爵は真実だと言った。
木馬にまたがった最初の女性は、いさぎよく生まれたままの姿になることさえ引き受けたが、
股間を責められる苦痛に泣きじゃくるだけで、身悶えのあまり木馬から落ちそうになるのだった。
女性の提案で、身体に縄をかけて上から支えたらよいのではないかということになった。
その格好はまさに拷問を受けさせられる被疑者の姿そのものだった。
女性も全裸を縛られた身体になれば本当の覚悟もできると言ったのだった。
思いを決めたときの女性の強靭さには、男爵も目的の実行を大いに励まされた。
生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ胸縄までかけられた姿でまたがることは、
今度は落ちる心配のないかわりに、木馬にしっくりとはまり込むということでもあった。
最初は女の敏感な箇所を襲う激痛に悲痛な形相を浮かべて耐えていた女性も、
やがてこらえきれずに泣きじゃくりだし、それもかなわないと最後の抵抗というように、
木馬をはさんでいる両方の太腿を必死に押さえつけて身体を浮かせようとしたが、
それがまったく甲斐のないことだとわかると、ついに諦めのなかへ絶望的に沈んでいった、
やがて苦悶に舞い上げられたように裸身がぶるぶると痙攣を起こし始め、
表情は気絶するか、或いは死ぬのではないかと思えるほどうつろになったとき、
突然、顔の表情が悩ましいくらいのうっとりとした美しいものとなり、
木馬にまたがっていることがまるで官能を高めているものでもあるかのように、
下へ伸びきっている両脚を馬をはやらせるような感じに振ることさえしたのだった。
そのときの木馬の黒い色艶は生き物であるかのような生々しい光沢を放っていた。
木馬から降ろされても、女性は法悦となった状態からさめることがなく、
その口からうわごとのように出た言葉は、
私は女、
すべての生まれるものの母、
すべてを受け入れられる、
私を愛し光り輝きなさい、
というものだった。
そのとき、男爵が望めば、その女性は喜んで受け入れただろうという。
そして、同じことは残りの四名の女性が木馬にまたがったときにも起こったのだった。
五名の女性の事実は、脳の薄闇が存在しているからこそ起こることだと確信させた。
苦痛を苦悶として受けとめるのではなく、深いところから呼びさます法悦として感じられることは、
脳の薄闇が殺戮を快楽と感じさせるのと同じように、苦痛に対して性的官能が働いているのだ。
最も深いところにある歓びは脳の薄闇をとおしてあらわすことができるのだ。
そのとき、人間は固有な存在を離れて、人間を超えた普遍的な存在を知覚するのだ。
女性のあらわした広大で底知れぬ寛容は愚行を遥かに超えさせるものだ。
男爵はそう理解したことで、みずからも浄化されたように認識を得たのであった。
だが、それはまさしくオカルトであるということを裏付けるように、
その尊ぶべき美しき五人の女性たちは、その後、
ある者は不慮の事故で亡くなり、ある者は病を得て亡くなりして、この世から消えていったのある。
男爵は女性の死亡を知る度に涙が枯れるまで泣き続けて悲しんだが、
ついに最後の女性の死がある決心をするに至らせたのである。
男爵もそのときは五十歳になっていた。
人間の脳にある永遠の薄闇の実在を認識した以上、もはや世俗に生き続ける理由はなかった。
男爵は世俗に言わせれば狂気、認識者に言わせれば超脱の世界に生きることを決めた。
そして、結城を呼んでこれらのことを語り、
漆黒の三角木馬をどのように使うかは君の生きる見識だと言い残して世俗と決別したのである。
それから一週間も経たないことだった。
東京大空襲の際、男爵の屋敷にも爆弾が落ちた。
痴呆同然だった男爵は逃げるようなこともせずに亡くなったのである。
結城はぼくと坂田に以上のことを語った。
だが、それはまだ男爵についてのことで、結城自身のことではなかった。
男爵は木馬が蔵置してある土蔵を含めて結城に譲り渡した。
その土蔵は東京の下町にある、
まだ葦の生い茂るさびれた場所へ特別に造らせたものだった。
結城はまずわれわれでそれを見にこうと提案した。
そのときはまだ男爵の話に半信半疑だったが、
問題の木馬を見ることはやぶさかではなかったから承知した。
何ごともそうなのであろうが、見ると聞くとは大違いとはこのことだった。
問題の三角木馬を薄暗い土蔵のなかで見たときの衝撃は、
思わず身体が震え出したくらい生々しい存在感であった。
部屋の中央にそそり立つ木製の拷問道具は、残酷でおぞましい形をしていたが、
その何とも言えず艶めかしい漆黒の色艶は美しい工芸品のようにさえ感じられたのだ。
この木馬に生まれたままの姿をした女性たちがまたがされたと想像すると、
われ知らず男性がいきり立つのを抑えることができなかった。
結城や坂田もその様子を見ると同様な心境にあると思えた。
男爵の話がでたらめとは思えないほど、現実的な迫力があったのだ。
だが、その淫靡な木馬を前にして、結城が語りだしことを耳にしたときは正気を疑った。
結城は自分も脳の薄闇を実証してみたいと言い出したのだった。
彼としてはその決心を伝えることが充分に悩んだ結果であることはよくわかった。
しかし、二十歳の学生が考えることにしてはあまりにも尋常でなかった。
尋常でないどころか、恐るべきというか、気ちがい沙汰であるというのは、
木馬へまたがせる女性をすでに決めていたことだった。
その女性は由利子さんだった、われわれ三人の共通の女友達であった。
いや、女友達というのは正確ではない、われわれがともに心を寄せる同年の女学生だった。
ぼくと坂田は唖然とした思いを感じながらも結城の話を聞き続けた。
その場の異様な雰囲気が彼の熱のこもった語りを聞かさせたのだ。
男爵が見いだしたことは、脳に薄闇が実在するというものにすぎなかった。
その薄闇が人間に果たしうる可能性についてはわずかに触れたままで亡くなった。
われわれが眼の前にしている木馬は、だれにでも手にすることができるものではない。
いわく付きの木馬に男爵が実証を加えた、オカルトを開く扉と言えるものだ。
われわれが思い切って開けさえすれば、人間の真実が見える扉なのだ。
知ることを望む者にだけ与えられる叡智を手に入れられる幸運がわれわれにはある。
それを得たいと思う一念から言いたい。
われわれ三人はいずれ召集され、この戦争で死ぬことになるだろう。
わかっている死におめおめと従わされる前に、
みずからの手で限られた者にしか知ることのできない、
人間の真実の何たるかを知ろうではないか。
それに対して坂田は言った。
おまえの言わんとすることは理解できる、それには同感だと言っておこう。
だが、どうして木馬にまたがる女性が由利子さんなんだ。
おれは木馬と由利子さんと結びつけて言うことさえ、激しい嫌悪を感じるくらいだ。
ぼくも言った、そのとおりだ、由利子さんをこのような忌まわしいものと一緒にしたくない、
だいたい、このような恐ろしいものに好んでまたがる女性なんているはずがない、
きみの考えていることは妄想にすぎない、あまりにも現実離れしすぎている。
坂田も畳みかけた、そうだ、男爵の話だって、どこまでが真実かわからない、
ここに木馬があるというだけで、亡くなってしまった男爵や女性たちの話は確かめられない、
実証の確認のできないものは、たわ言か絵空事にしかすぎないのだ。
ぼくも言い添えた、きみは男爵を尊敬していたから、その死で気が動転しているのだ、
それに、きみ自身もまた戦地へ行くことで死を迫られ、気が高ぶっているのだ、
それはきみだけじゃない、われわれはみなそうだ。
脳の薄闇の実証だなんてことはやめた方がいい。
だが、結城はそうした説得にもひるむことなく言い返したのである。
確かに自分が提案していることは、狂っているようなことなのかもしれない。
だが、狂っていようと、実際に行ってみなければ、確かめることはできない。
きみたちが半信半疑でいることも、行なってみなければ、確かめられないのだ。
由利子さんは、ぼくだって、きみたちに負けないくらい思いを寄せているひとだ。
そのような素晴らしい女性であるからこそ、由利子さんでなくてはならないのだ。
ほかの女性に木馬へまたがることを申し出たとしよう、
恐らく、われわれは男爵が二十年かけたように出会える女性を待たなければならない。
そのときには、われわれは死んでいる。
いや、由利子さんでさえ、空襲で亡くなっているかもしれない。
機会は今しかないのだ、生きている今しかないのだ、
今行なわなければ、永遠にないのだ、ぼくはそう思う。
それに、何よりも、われわれは心から愛する女性に願うことなのだ。
由利子さんを愛しているから、われわれはオカルトを開くことができるのだ。
三人のまなざしはひとつに注がれていた。
そそり立つ漆黒の色艶を放つ三角木馬だった。
われわれが計画を実行したこの記述を読んだひとは、
彼らは気が狂っていた若者たちだったと思うに違いない。
われわれも自分たちは狂っていなかったと反論するつもりもない。
ただ、ことは行なわれたのだということを伝えるだけである。
人間にとっての真実とは、人間に受けとめられるだけのものがあって、
初めて真実になるのだ。
由利子さんをその土蔵のある場所まで誘いだすことはたやすかった。
それまでにも、われわれは四人して郊外へ散策に出かけたりしていたからだ。
われわれが誘ったときから、由利子さんは何かおかしいと気づいていたようだ。
彼女は美しいばかりでなく、心根の優しい頭のよい女性だった。
われわれが普段とは違う張りつめた心の様子にあることを敏感に察知していた。
だから、彼女はあえて何も聞かず、言われるままに土蔵のある場所までついてきた。
そのなかへ入ろうと言われたときも、大きな瞳をじっと見返すだけで、
ただ、隠し切れない不安が表情をこわばらせていたが、素直に従ったのだった。
土蔵のなかへ入ったとき、三角木馬は布で覆いがされていた。
由利子さんは異様なものがあることに気がついたが、
じっと押し黙ったまま、まなざしを室内のあちらこちらへさまよわせるだけだった。
彼女ひとりを男三人が取り囲むようにして、結城がここへ来た事情を説明し始めた。
人間の脳に薄闇が存在すること、
その薄闇を実証することは、知られざる叡智を知ることであり、
実証するためには、あなたの協力が是非とも必要であること、
ただし、それは普通のことではない、
三角木馬という拷問道具にまたがることで行なわれる、
いや、そればかりではない、
あなたは裸になって、縄で縛り上げられた姿にさえならなければならない、
われわれ三人は心からあなたを思い、尊敬している、
あなた以外に行なうことができる女性は存在しないと思い、お願いしている、
われわれ三人が戦地へおもむく末期の願いとして、
どうか、気ちがい沙汰と思われるこの申し出を聞き届けてください。
そう結城が言い終ると、われわれ三人は由利子さんの足もとへ土下座したのだった。
まったく一方的な言い分だった、だが、われわれにはそれしか言いようがなかった。
すでに結城の言葉を聞き始めたときから、由利子さんの顔は緊張で蒼ざめていた。
三角木馬にまたがると言われたとき、坂田が布の覆いを取り去ったのでその方へ眼をやった、
抑えきれない不安と恐怖から身体をぶるぶると震わせていた。
裸になって縛られるのだと聞かされるに及んでは、
その場へ気絶するのではないかと思われたほどふらふらになっていた。
信じられない異常なことが身に降りかかっていると彼女は感じていた。
異常であることはわれわれもまったく同じだった、極度の緊張がわれわれを舞い上げていた。
由利子さんは何とか気を取り直して、その場へくず折れるのだけは抑えていた。
だが、もらす言葉ひとつなく、逃げ出す素振りひとつ見せず、彫像のように凍りついたまま、
われわれの取り巻く土下座のなかに立ち尽くしているばかりだった。
われわれもひたすら土下座し続けているばかりだった。
そうした時間がどれくらい長く続いたかわからない。
気づいたとき、われわれ四人は古い時代の土蔵のなかへすべり落ちていた。
それはわれわれの狂気が生みだした幻想であったのかもしれない。
しかし、われわれにとって、それはまぎれもなく現実だったのである。
われわれがいた土蔵は、江戸時代に拷問倉と呼ばれていた場所だった。
その拷問倉で行なわれることは、
穿鑿所で行なわれる叩きと石抱きという牢問いで自白しなかった者へ、
海老責や釣り責、或いは木馬責といった拷問によって自白を強要することであった。
二間に二間半の塗籠めの土蔵は、奥に二坪の座敷があり、残りは白州となっていた。
時刻は午の刻という白昼であっても、
天井が高く明り取りの窓の小さい倉のなかは薄闇の支配する場所だった。
しかし、薄暗いからといって異議を申し立てる者はいなかった。
そこで行なわれる執務は書き物に専念することではなかったし、
執務に関わる者以外の人物が見るような見世物ではなかったからだ。
照明による演出も舞台効果も、芝居がかったことはいっさい必要なかったのだ。
その薄闇に支配されている雰囲気は、光が少ないせいばかりではなかった。
倉のなかに置かれている道具が暗澹とした雰囲気をかもしだしているのである。
高い天井に渡された梁にある滑車は、麻縄を不気味な蛇のように長々と垂れさせている。
その麻縄も束として掛けられたまわりの壁では、ひとの首が並べられているように見える。
肉が飛び出るほど縛り上げて、ひとの姿をとどめないくらいに身体を折り曲げさせて、
男や女の最も恥ずかしい箇所をむきだしにさせて、苦悶に気絶するまで締め上げる縄だ。
天井の滑車から吊るすのに使ってもよい、そのときは持たせる石の土産も用意されている。
縄の馳走を頂戴してもらうのもいいが、客人には座布団を出すのが礼儀というものだろう。
三角に削られた木材を五本並べた十露盤板は正座すれば血が流れるほど安楽になるものだ。
それでも、気持ちのよくならない客人には、四角に切り出された重い石を膝に抱いてもらう、
一枚で足りなければ、何枚だって用意してあるから、好きなだけ欲しがることができる。
見るだけで、使用される恐ろしい目的を暗鬱とあらわしているものばかりだ。
だが、暗鬱としているばかりではこの陰鬱さはかもしだされない。
薄暗い場所であることの特有の湿気に加え、ここで流されてきたさまざまな体液、
悲痛な涙、残虐な汗、恨めしい小水、もれた精液や女蜜などがしぼり出された血とまじりあい、
じめじめとにじむような絶望をかもしだしているのである。
この拷問倉が立ち昇らせる湿気は、人間の本能が作り出す瘴気と言えるものである。
尋常の者であれば、長い時間とどまることのできない陰惨な場所である。
この陰惨な場所に不可避の用件がある者と言えば、詮議をする役人と被疑者だけである。
被疑者の場合は、この場所へ頻繁に出入りする者は少なかったが、
職務を負わされた役人は、日常の仕事として繰り返されなければならないことだった。
必然的に職務に特有の性格が養われていき、それなしではそこにいることはできなかった。
詮議を行なう役人は三人いた、男たちは背丈の違いこそあれ、
似たような痩せた体型と陰気な顔つきをして、黒ずんだ柄の着物を一様に着ているのだった。
だれかれの区別を拒否する単一の個性に埋没することは、彼らには不可欠のことだった。
だが、彼らも人間である、単調な仕事を救うのはすべて被疑者のありようにかかっているのだ。
熊や牛のような男の被疑者では肉体的にもきつい労働となるだけであった。
猪や狐のような女の被疑者では精神的にもきつい労働となるだけであった。
人間の若い女で世慣れしていない被疑者が最も満足感のある責めを行なえる相手だった。
だが、犯罪を繰り返して送られてくる女のなかで、そのような上玉はなきにひとしかった。
だから、役人たちは諦念の思いから、早い自白だけを求めて過酷すぎる責めを仕事とした。
この事情も、切支丹奉行所となると少し違っていた。
拷問倉で詮議にかけられる女は、御法度の信仰を持っているだけで普通の女が多かった。
まれではあったが、なかには若く美しく世慣れしていない生娘がいることもあった。
われわれがすべり落ちた過去の拷問倉は切支丹奉行所のものだった。
拷問倉の白州には、女の被疑者ひとりと男の役人三人が立ちつくしていた。
被疑者の女には、まず姓名と年齢が問われた。
女は顔をうなだれていたために顔つきがよくわからなかったが、
ほっそりとした身体つきと後ろ手に縛られて張り出した華奢な肩の感じから、
隠し切れない若さのみずみずしさが漂っていた。
女の背後には天井の滑車からふた筋の麻縄が垂れていたが、
汚れて黒ずんでいる様子は老獪そのもので、女の初々しさがいっそう際立っている感じだった。
顔を上げて、質問に答えよ。
結城が鋭い声音で女に言った。
女は伏せていた顔をおずおずと上げるのだった。
目鼻立ちの整った愛くるしいほどの美貌を持った娘だった。
娘は怯えた様子のまなざしで見返しながら答えた。
由利と申します、二十歳でございます……けれど、けれど……
これは何かの間違いでございます、私は切支丹ではございません、どうかご確認ください……
女は置かれている身の上の恐ろしさから絞りだすような声で訴えかけるのだった。
しかし、そこにいる役人のだれひとりとしてその申し出には耳を貸さない。
切支丹であるかどうかを調べられるためにおまえはここにいるのだ。
切支丹であるということを認めるというのであれば、そう申し出ろ。
そうしたら、踏み絵して、おまえには相応のご沙汰が下るはずだ。
坂田がここでの取り扱いを女に説明するだけだった。
でも、でも、私は切支丹ではありません、本当です、お願いです、ご確認してください。
女は、いやっ、いやっをするように身悶えして泣き出しそうな表情になっている。
その風情や面立ちはたまらなく可憐に映って、やはり女は美人にかぎると思わせるのだった。
だから、これからおまえが切支丹がどうか、確認するのだ、まず着ているものから脱がせよう。
このせりふを言うときはいつもぞくぞくする、とくに相手が美人であるときはたまらない。
坂田が女を後ろ手に縛っている縄を解いている。
ひとりで立たされた女は身体中に起こる震えのために棒立ちになるだけだった。
女、着ているものを脱げ、裸になるんだ。
結城が叱咤する。
女は棒立ちになったまま何をしようともしない。
優しそうな顔つきのわりには随分と強情な女だな、脱ぐ気がないなら、脱がせるぞ。
坂田が言いわたす。
女はようやく帯紐を解こうとするが、懸命になっても震える指のためにままならない。
強情なのではなくて恐ろしさのあまり身動きできなくなっているのだ。
その女がうろたえている風情がまた可愛らしくてたまらない。
女は怯えた美しい顔を情けなさそうにしかめながら、やっとの思いで帯紐をはずした。
白色が脱色して灰色に褪せた罪人用の単衣の前がはらりと割れる。
女があわててそれをかき合わせるようにすると、
脱げと言ったのだ、早くしろ。
結城が怒鳴る。
女は顔をうつむかせたまま、両肩から少しずつ単衣をすべらせていく。
あらわれたのは眼にしみるような白い柔肌が輝く生まれたままの姿だった。
女は思わず両手で胸と下腹部の箇所を隠すと、身を縮こまらせるようにするのだった。
女体の優美な曲線につつまれた全裸姿があらわれただけで、
生娘らしい若さのみなぎる艶やかな白い肌の輝きがあたりを照らしだして、
陰湿で暗澹とした倉のなかに不釣合いな華やかさがかもしだされていた。
いい女だと思わせた、見れば、結城も坂田も同様に見とれている。
場所こそ違っていれば、この乙女の清楚な輝きは、
その女を愛する男から思う存分にほめられたものに違いない。
しかし、この場所では女の美しい全裸姿も、
罵倒され詰問されるばかりでなく、美しさも蹂躙されて責められるほかないものであった。
女、身体を隠さず、しゃんと立て。
坂田がいいところで言葉を投げつける。
女はうつむいたまま、小刻みに身体を震わせながら言われたとおりになる。
可愛らしい乳首をつけたふたつの乳房が柔らかそうに形よく膨らんでいる。
ふっくらと翳る黒い茂みがひきしまった腰の太腿の付け根にいじらしそうにのぞいている。
いつまで眺めていても飽きない裸身の美しさだったが、そうもいかない。
女に近づいていって、縄掛けを始める。
見ると触れるのとでは大違いである。
溶けてなくなるのではないかと思えるくらい柔らかくて白い肌は、
近づいただけで香ってくる甘酸っぱい生娘だけが放つ特有の体臭を漂わせ、
女の目鼻立ちの整った美しい顔と艶やかな黒髪を間近にして、
背中へまわさせたほっそりとした手首を後ろ手に縛り、
しゃぶりつきたいくらいにみずみずしい乳房の上下へ薄汚れた麻縄を掛けていくと、
縄を締め上げるたびに、うっ、うっ、と可憐な声音がもれて、
縄掛けの職務を負っている冥利に尽きるものだとつくづく感じさせるのだ。
その女が精一杯の気力を出して、こちらの方をじっと見つめながら、
お願いでございます、私は、私は、切支丹ではございません、
間違いでございます、どうか、どうか、お助けくださいませ……
と訴えかけられると、拷問を恐れる者の常で哀願する最後の頼みが語られたと思う。
次に女の口から出る言葉は、もはや自白以外にはありえないのである。
女は聞き届けられない言葉に泣きじゃくりだしている。
見たところ強情そうな女のようであるから、木馬責めで行なおう。
結城はそう判断した、われわれにまったく異存はなかった。
三角木馬はこのように美しく清純な生娘をまたがせて泣かせるにはぴったりの道具だった。
結城と坂田が隅へ行って、布の覆いがかけてあるそれを中央まで運んできた。
坂田が布の覆いを取り去ったとき、女のまなざしも思わず木馬へ注がれた。
四本の堅固な脚が胴体を支えた姿は馬を模していたが、
その馬は頭と首と尾がないという異様さに加えて胴体が三角柱の形をしていた。
木馬というものがひとのまたがるものであれば、
そのまたがる背中は乗り心地のよいに越したことはない。
だが、あいにくこの木馬の背は三角柱の鋭角をなす部分がまたがる箇所になっていた。
その上、背の高さはそばに立っている女の腰を越えていたから、
またがされれば爪先さえも地面にとどくことはなかった。
木馬は目もあやな雪白の柔肌をさらしたなよやかな女体が脇にいることで、
責め具としてのおぞましさを遺憾なく見せつけているのだった。
しかし、一方でその漆黒の色艶の艶めかしさは不思議な生々しさをかもしだしていた。
まるで、そこにいる生まれたままの姿の美しい女体が騎乗することこそ、
木馬が作られた本来のありようを示すのだとばかりに、
手の込んだ芸術品がもつ奥深い美しさを妖しく放っているのである。
しかし、またがることを定められた女にしてみれば、
その木馬にどれだけの芸術性があろうと拷問道具であることには変わりはなかった。
木馬から眼をそらせている女の表情は、
薄暗いなかでも蒼ざめているのがはっきりと見て取ることができるものだった。
空ろなくらいに茫然としながら、不安と恐れだけが身体中をうごめきまわっているように、
麻縄で縛り上げられた裸身をぶるぶると震わせているのだった。
そのような女の姿には、このような場所でしか絶対見られない妖美が感じられた。
よし、木馬へ乗せよう。
結城が職務的な抑揚のない口調で言った。
天井の滑車から降りている縄を女の背後にまとめてある結び目へしっかりと繋いだ。
女は自分に成されていることがわかったことで、まなざしはあちらこちらへさまよいだし、
そのままにしておけば、気絶してくず折れてしまう状態だった。
ばしっ、という鋭い音が響くと同時に、
まだ、落ちるのは早い、自白してからだ、しゃんとしろ。
坂田が女のふっくらとした白い尻を平手打ちしたのである。
坂田の実際的ないい所作だった。
女は何とか気を取り直したが、今度はたまらずにすすり泣き始めている。
女の泣き声にもいろいろな声音があるが、だいたいにおいて、
すすり泣きの可憐な女は号泣も悩ましく感じさせるものを持っている。
それをこれから聞かせてもらおうというのである。
女体の背中を繋いでいる麻縄がぴんと張られ、結城と坂田の手によってたぐられる。
吊りあがっていく裸身を支えて木馬の真上へ誘導していくのはこちらの役割である。
女は身体の吊りあがる直前に足をばたつかせたが、両足が地面から離れると、
縛られた柔肌へ襲いかかってくる自分の体重の苦しさに集中せざるを得なくなる。
美しい顔の眉根をぎゅっとしかめ、開いたきれいな唇からは苦しそうなうめき声がもれる。
宙吊りになった状態で閉じる力を奪われたしなやかな両脚はすんなりと伸び、
両腿の付け根にのぞくふっくらとした黒い茂みを透かしてわれめが見えるのだった。
女の身体を誘導する役割で、脚や腰へ触れる以上に、それはたまらない見ものだった。
うっすらとやるせなさそうにのぞいていたわれめも、身体が高々と吊りあがったときには、
娘の純真とでもいうように真一文字に閉ざした若々しい羞恥の唇をいじらしく見せるのだった。
生まれたままの姿を緊縛された女体は、そのままゆっくりと下へ降ろされていった。
女の身体が木馬の形にうまく収まったことを告げるように、
一閃の鋭い悲鳴が倉のなかへ響きわたった。
口を割らせるということが詮議の目的であるならば、
木馬は女のまたいだ箇所にある唇を三角の形で上手に押し開いて割っていた。
せっかく木馬と女体がむつまじい間柄をもったのであるから、
女の身体が木馬からずり落ちて離れないように天井から繋いでいる縄をがっちりと留めた。
涙に濡れた頬へ乱れた艶やかな黒髪をまといつかせた女の美しい顔立ちは、
両眼を閉じ眉根をしかめ開かれた赤い唇に食いしばった白い歯をのぞかせて、
死に物狂いの形相で股間から突き上がってくる激痛をこらえようとしている。
少しでも責め苦を逃れようと左右の太腿で懸命に木馬の背を挟み込んでいたが、
みずからの身体の重みを耐えかねたかのようにやがて力萎えて、
両脚はずるずると下がっていき伸び切っていくのだった。
すると、今度はみずからの身体の重みがまたいでいる三角の一点へ集中していく。
女はそれを振り払うように上半身を身悶えして、
いやっ、いやっ、と顔を左右に揺り動かし、黒髪を振り乱して泣き始めるのだった。
女の両眼からとめどもなくあふれだす涙のしずくは、木馬の鋭い背へ落ちて飛び跳ねている。
時間が経つにつれ、肌に浮かび上がった汗を吸った麻縄が生々しく肉へ密着していき、
胸縄は上下から締め上げている乳房をさらに突き出させ、
愛らしい乳首を淫らなくらいにつんと立ち上がらせるのだった。
痛い、痛い……
唸るような艶めかしい声音が女の口からもれ続ける。
苦しい、苦しい……
またがされた格好のために、若々しく張りのある腰付きはきれいな尻を潰れたように歪め、
太腿の付け根の方は恥ずかしいわれめの形を、
これ見よがしとあざやかに三角を食い込ませて見せつけていた。
いやっ、いやっ……我慢できない……痛い……
苦しい……お願い……降ろして……許して……
うめき声もか細くなっていく。
ふっくらとしていた黒い茂みは汗まみれとなってしなだれている。
空中へ伸びきって垂れている白いしなやかな両脚も生気を失ったように動かなくなっている。
全裸を麻縄で縛り上げられ三角木馬にまたがされた女の姿は凄絶そのものであった。
だが、そういう姿にまでなるからこそ、女から自白が搾り出せるのであった。
女、いい加減に本音を吐く気になったか。
結城がうつむき加減になってこらえている女の顔を上げさせて詰問する。
女の美しい顔は視点の定まらないまなざしを投げるだけで返答はなかった。
きれいな形をした唇は半開きになって泡さえ浮かべているのだ。
この女にはまだ耐えられるのだろう、そんな顔をしている。
坂田がわれわれの方を一瞥しながら言った。
だれが見ても、女は加えられ続ける苦痛に翻弄されて限度がきているのがわかった。
天井から背中へ繋がっている縄が身体を支えていなければ床へ落ちていたに違いない。
それでも責めが続けられるのは、ただ女の口から自白の言葉がないからだった。
もはや、しゃべることのできない状態にあるのがわかりきっていながら続けられているのだ。
これがこの場所が拷問倉であることをよくあらわしている取り扱い方なのだ。
若くてか弱い女が淫らなくらいおぞましい拷問に晒されている姿になればこそ、
われわれにしても職務的な忠実をまっとうできている満足感を得られるのだ。
ああっ〜あ、ああっ〜あ。
突然、女は絶叫するような声を張り上げて苦悶を訴え始めた。
それは苦痛の切っ先が女の芯の最も敏感な箇所へ切り込んでいったからだった。
女は縛り上げられた裸身をぶるぶると震わせながら大声を上げて泣き叫んだ。
苦悶が女を上へ上へと舞い上げるように、あらんかぎりの力を振り絞って、
乱れた黒髪を打ち振るい、胸縄で突き出させられた乳房をゆらせて上半身をねじり、
すらりと伸びている雪白の両脚を立ち上がったかのように空中へ爪先立ちにさせるのだった。
こらえ切れずに泣き叫ぶ声はあたりかまわず、
女にはもはや自分さえ見失われて、あるのは耐え切れない激痛のみとなっているのだった。
しかし、それも時間の問題だった。
苦悶に舞い上げられた女は、ついに限度がきてしまったかのように、
縛り上げられた裸身を突然びくんと硬直させたかと思うと、首をがっくりとうなだれるのだった。
落ちたな。
われわれは少々うんざりした表情を浮かべながらお互いを見やった。
自白が行なわれなかった以上、すべては初めからやり直す以外のないことだったからだ。
女の気絶を確かめるために、坂田が近づいていって顔を上げさせようとしたときだった。
坂田は信じられないというような驚きの表情をあらわしていた。
美しい顔立ちをみずからもたげた由利子さんは、凄艶な表情を浮かべながら、
悩ましげなまなざしをわれわれの方へ投げつけたのである。
由利子さんは気絶などしていなかった。
むしろ、木馬にまたがされたことで感じえた法悦に浸っているという感じだった。
由利子さんがはさみ込んだ三角の背にはおびただしい量の女の滴りがあふれだしていて、
その漆黒の色艶をいっそう艶めかしく光らせているのだった。
そして、官能を高められた恍惚とした面立ちで、縛り上げられた裸身全体を桜色に上気させ、
さらにその恍惚を高めようとするかのように、三角の背へまたがったしなやかな両脚を振って、
木馬をはやらせ法悦の境地へと疾駆していくのだった。
その姿はまさに、
天空に黒馬を駆ける美しき戦う乙女の幻想が重ねあうような気高さに輝いているのだった。
結城と坂田とぼくは、由利子さんの緊縛された裸身を慎重に三角木馬から降ろした。
土蔵の床へ横たわった姿になっても、由利子さんの法悦とした状態は続いていた。
われわれはその美しい姿を同じように浮遊させられた心持ちで見守るだけだった。
由利子さんのきれいな形をした唇が開いて、優しすぎるくらいの声音が言うのだった。
私は女、
すべての生まれるものの母、
私はすべてを受け入れられます、
私を愛し光り輝きなさい。
だれが最初だったかわからない。
身に着けているものを全部脱ぎ捨てて、生まれたままの姿になったわれわれは、
縄の付いたままの由利子さんとかわるがわる結ばれあったのだった。
そのことを後悔した者はだれもいなかった。
なぜなら、われわれは脳の薄闇の叡智を体得したからだった。
だから、結城と坂田とぼくには戦地での死が決定付けられている。
みずからの真のありようを知った者に訪れる死の招来である。
だが、同じ脳の薄闇の体得者であっても、由利子さんだけは生をまっとうして欲しいと願う。
われわれ三人の心からの願望である。
彼女がすべての生まれる母だと言った実証が果たされることを切に願いたいのである。
彼女を待っているのが早すぎる死でなく、新たな生命の誕生であって欲しい……
それを願うのだ。
漆黒の三角木馬は今もあの土蔵のなかに置かれたままにある。
結城が死んでしまう以上、所有者のないものとなるのである。
もし、この記録を読む者が脳の薄闇の叡智を体得したいと望むなら、
あなたが見つけだした漆黒の三角木馬は、あなたの見識で至上のものとなるはずである。
なぜなら、われわれ人類はみな等しく脳のなかに永遠の黄昏を抱いているからだ。
さらば、友、さらば、愛するひと、さらば、生……
昭和二十年三月二十日
一之瀬
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